2002年5・6月の読んだ本。



2002年5月の読んだ本。
(小説5冊、合計5冊)

  • ジョン・アーヴィング 『サーカスの息子』(再読)  ★★★★☆
 『ホテル・ニューハンプシャー』や『ガープの世界』等の作品で、彼独特の共同体的(あるいはホーム的)家族観を読者に示した(我らが)J・アーヴィング。本作『サーカスの息子』では「故郷(ホーム)」についての問題を読者につきつける。主人公の老整形外科医にして映画脚本家ファルーク・ダルワラ医師は、生まれ故郷のインドにも、長年生活の基盤をおいてきたカナダにも、自分の故郷を感じることが出来ないでいる。――不安定感。

 現実社会と同じく、ダルワラ医師の周りの人々も(一見すると、そうは見えなかったとしても)皆それぞれの不安定要素を抱えて生きている。そして、それらの解決方法(というものがあるとしたらの話だけれど)もまた、人それぞれなのだろう。――僕やあなたと同じように。

 ――そして今回強く感じたこと。それは短篇作品「ピギー・スニードを救う話」で表明されたアーヴィングの作家としての基本指針が、この作品においてもきっちりと貫かれているということ。ピギー・スニードの死後、彼の名誉を救出した「作家」J・アーヴィングは、今もなお、彼の登場人物たちを、そして我々読者を救い続けている


  • 柳美里 『家族シネマ』  ★★☆☆☆
 不思議なリアリティがある小説なのにもかかわらず、読み手が(というか、少なくとも僕は)この作品に少しも楽しさ、面白さ、興味を感じられないという、とても哀しい状況に陥りました。小説を読もうとしたのに、全く身も知らずの他人のトラウマ溢れる心情を綴った日記を、むりやり見せつけられたみたいな読書体験になってしまいって、ひどく憂鬱だった……。
 「ハートウォーミングな」とは言わないまでも、もう少しなんとかならないものかと思う僕である。あるいは読者を楽しませることを目的とした小説ではないのかもしれないけれど、敢えてそんなものを読みたいとは思わない。――いくら僕だって、そんなに暇ではないのだ。


  • カミュ 『異邦人』(再読)  ★★★★☆
 高校時代に読んで以来の、久しぶりの再読。今回は、僕の脳みそに記憶されている印象よりも魅力的に感じた。(アーヴィングの作品などと比べれば短篇といってもいいくらいに)短い小説ということを差し引いたとしても、この作品に読者に息をつかせず一気に読ませる何かがあるのは確かだと思う。

 主人公のムルソーくんの、(ここでは敢えて「くん付け」で呼ばせてもらおうと思う。)ある種の率直(そっちょく)さ、無意識的だとしても自分に妥協をしない精神は、今でも充分に魅力的だと思う。 まあ、いくら太陽が眩しかろうと、テロリストに対する正義の鉄槌であろうと、人殺しは良くないですね。本当にそう思います。


  • カート・ヴォネガット 『スラップスティック』(再読)  ★★★★★

ある日突然どういうわけか地球の重力が強くなり、そこへまた緑死病なる奇病まで現われ出でて世界は無秩序、大混乱! ジャングルと化したマンハッタンの廃墟では、史上最後の大統領が手記を書きつづっている−−愚かしくもけなげな人間たちのドタバタ喜劇、スラップスティックの顛末を……。涙と笑いの傑作長篇。 (早川書房目録より)


 「または、もう孤独じゃない!」とのサブタイトルを持つこの小説は、我らがJ・アーヴィングの師匠でもあるヴォネッガットの作品。今まで読んだヴォネガットの小説で「これは退屈だね」ってものはありませんでしたが、中でもこのドタバタ喜劇(この作品のタイトルの直訳です。)な作品は特に僕のお気に入り!

 アーヴィング作品はもとより、村上春樹作品にも多くの影響を与えていると言われている作家ですが、素人の僕が見てもわかる(表に出ている)類似という点では、この『スラップスティック』と村上春樹の処女長篇『風の歌を聴け』との比較が一番わかり易いと思います。春樹ファンの方、どう思います? 個人的には春樹さんが「わざとわかりやすい真似をしている」部分があるのでは、と思うのですが……。そしてそれは春樹さんのヴォネガットに対する尊敬の表現のように僕の目には映りました。う〜ん、実際のところはどうなのでしょうね?

 この作品で思い起こされる作品がもう一つ。『シザーハンズ』という、手がハサミの男の映画です。有名な作品なのでご存知の方も多いのではないでしょうか。あの映画のドタバタ喜劇のイメージ、それでいて思わずホロッとしてしまうところ、などはこの小説にそっくりと言っても過言ではないですね。――というわけで、「アーヴィング作品が好きである」「村上春樹作品は初期のものが特に好きだ」「『シザーハンズ』を観て思わず涙してしまった」のいずれかに当てはまる方は、是が非でも読んでみるべき作品ですね。本当ですよ!



  • カート・ヴォネガット 『モンキーハウスへようこそ 1 』  ★★★★☆
 アーヴィングの学生時代の師匠であるヴォネガットの短篇集。先日『スラップスティック』の欄に書いたように、ヴォネガット作品はアーヴィングのみならず、初期の村上春樹作品にも影響を与えていると思うのですが、ヴォネガットの短篇と村上春樹の短篇は大分毛色が違うのが(僕はそう感じました)不思議でした。その風刺にとんだ短篇たちは、なんとなく「ヴォネガット爺ちゃんに、面白いこばなしを聞かせてもらっている」ような趣きがあって、ほのぼのとしてきます。それでいて読者が油断していると、すかさず毒のあるヴォネガット節が姿を現すので読者は油断できません。油断大敵。

 ちなみに伝言板等で「アーヴィング作品と村上春樹作品の類似」について訊かれることが良くあるのですが、個人的には(特に初期の春樹作品に関しては)むしろ、カート・ヴォネガットの作品とにているように思います。最近の作品については、また別として……。



2002年6月の読んだ本。
(小説3冊、その他1冊、合計4冊)

  • 司馬遼太郎 『燃えよ剣』  ★★★★★
幕末の動乱期を、新選組副長として剣に生き、剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑なな生涯。武州石田村の百姓の子“バラガキのトシ”は、生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって、浪人や百姓上りの寄せ集めにすぎなかった新選組を、当時最強の人間集団へと作りあげ、自身も思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく。

 以前伝言板で「司馬遼太郎は面白い!」って教えてもらったのがキッカケで、「たまには時代小説にもチャレンジしてみよう」と読み始めたこの作品。たぶん幕末ものの小説は初めてでした。
 さてさて、基本的な教養・知識の類に、かなりの欠落を抱えていると認めるにやぶさかでない人間であるところの僕は、最初のページをめくるまで、「新撰組の土方歳三というは、ひじかたさいぞう? いや、としぞうだったけ?」などと呑気に構えてたのです。(←かなりやばい奴です。)ところが、睡眠大好きの僕が眠るのもそっちのけで、この作品に熱中したのですから、いったい何処に自分好みの作品がひそんでいるのやら、本当にわからないものです。

 何故この小説は魅力的なのか? ちょっと時代背景とともに整理を試みてみます。

――徳川幕府300年の時代も終焉が近くなった幕末。日本の主権を幕府から朝廷(天皇)に返そう、黒船やらで脅されてびびってる幕府はもうだめだ。外国なんかになめられてたまるか。という尊皇攘夷の動きが強くなって行きます。(皆さんご存知の通り、大政奉還があり、旧幕府側は壊滅、時代は明治へと移っていくわけですね。)

 ところでこの「尊皇攘夷」。土方らの新撰組も、元々は尊皇攘夷を建前に結成されたもので、新撰組の長、近藤勇などは、かなりその「思想」にのめり込んでいき、結局はその思想と共に時代に葬り去られた感があります。〜「ばかだなあ、いまはこうゆう時代なんだよ。時代を読めよな」と流れに乗っていい気になってたつもりが、流れはどんどん変化していき(開国の方向)、その新たな流れにさらに乗っかるほどは、器用な男ではなかったという、それはそれで哀しい話です。〜

 え〜と、皆さんもご存知の通りこの時代は「士農工商」の時代です。剣の腕と時流に乗って新撰組の副長にまでなったとはいえ、百姓出身の土方歳三なんて所詮は「しいたげられる者」なわけです。幕府の人間は勿論、そこらへんの武士だって基本的には相手にしてないわけですよ。今風に言えば「体の良い使い走り」みたいなものでしょうね。そんな土方が、そんな土方がですよ、大政奉還後の官軍(薩長)の西洋式の武力にやられっぱなしの(300年の怠慢による自業自得の)幕府側について最後まで頑ななまでに官軍と戦い抜くわけです(涙)。江戸っ子調にいえば「べらんめえ、男が一度乗りかかった船でい!」ってなもんでしょう。

 ……う〜ん、やっぱり上手く説明できないなあ。

 特に愛嬌があるわけでも、人格家なわけでもない。ただひたすら自分が信じた道をゆく。それなのに司馬遼太郎の描く土方歳三の魅力は果てしないものがあるのですよね、とにかく。最後には、土方のある種滑稽なまでの頑なさ――世渡り下手の、だめ人間――までが愛しくなってくる有り様でしたよ、ほんと(涙)。

 ご存知の方もいらっしゃるでしょうか? 最近話題の「only is not lonely」という言葉。それを土方歳三にささげたいと思います。まさに彼の為にあるような言葉です。――そして、もう一人の「only is not lonely」坂本竜馬が主人公の司馬遼太郎『竜馬がゆく』は、ぜひとも読まなくてはと思っている。そんな僕です。

 ……え〜と(汗)。結局上手く説明出来ずじまいですが、読みやすくて面白い、とにかくそうゆう小説なんです。「時代小説なんて読んだことがないよ」という人にこそ読んで欲しいです。新たな世界が見えてきますよ。

(嗚呼、上手いおすすめの言葉がみつからない…。自分の文章下手が悲しい…。)

(あ、そうだ!「上手く言葉が見つからないくらい面白い」ってのはどうだろか?)

(……。)

(だめだこりゃ。)



  • 池波正太郎 『剣客商売』  ★★★☆☆
 TVドラマなどでも知られる有名な作品ですね。『燃えよ剣』と「刀つながり」ということで読んでみました。これはこれで悪くないのですが、どうしても『燃えよ剣』の圧倒的なまでの余韻の中にまぎれてしまった感があります。TVで時代劇を観ている雰囲気がそのまま文庫で楽しめるといった印象でした。20巻近くの続きものだそうで、僕が仮に主人公の秋山小兵衛の歳まで生きていたとしたら、そのとき老後の楽しみとして読むのも悪くないか、と思うのでした。



  • 糸井重里 『インターネット的』  ★★★☆☆
 何かちがう気がするなあと思うときには、その作家の人生観や世界観に、観ているあなたの考えがフィットしなかったわけです。しかし、ちがうなあとは思いながらも、作家が本気で問いかけた時には「おれはそうは思わないけれど、その幸せもあるだろうなあ」と、何となく納得できたりします。(本文より)

 僕は糸井重里さんの運営のホームページ『ほぼ日刊イトイ新聞』が大好きで、それこそほぼ毎日読ませてもらっているし、糸井脚本のTVゲームMOTHERなども大好きだったりするし、糸井さんと同じように魚釣りがすきだったりもする。かといって「あなたは糸井重里氏のファンなのですか?」と問われたら「よく分からない」と答えるしかない。

 『インターネット式』と題された本書についても同じである。彼の発言は、僕にとってとても興味深いものであることには間違いはないのだが、完全に納得しているわけでもない。

 はっきりしない。

 そこで気がついた。僕にとって糸井さんとは「常につるんでいたわけではなく、むしろ殆ど会話すらしたことが無かったのだが、心の中では評価し合い認め合っていた高校のクラスメート」のようなものなのではないかと。当然糸井さんは僕の存在すら知らないわけだから、その喩えは矛盾しているのだが、そういった気持ちを読者に感じさせる彼の文章が本気であることは間違いない。



  • 司馬遼太郎 『竜馬がゆく』 ★★★★★
 衆人がみな善をするなら、おのれひとりだけは悪をしろ。逆もまたしかり。英雄とは、自分だけの道をあるくやつのことだ。(本文より)

 司馬遼太郎の小説に描かれた人物はしあわせ者である。なかでも『燃えよ剣』の土方歳三や、本書の坂本竜馬は、特に著者のお気に入りの人物だったに違いない。小説を読んだ人間が作品から感じる彼らの魅力は、並大抵のものではない。その並でない魅力は、著者の愛情なくして生まれ得るものではないはずだ。

 『燃えよ剣』の感想で、「土方歳三は幕末のonly is not lonely」だと書いたが、彼らには、さらに溢れんばかりのカリスマ性が備わっている。読者は「あんな奴が友達だったら、退屈しないだろうな」と思うだろう。僕なんか「こうゆう奴になら斬られちゃってもいいかもしれない」なんて思ったほどだったのから(刀でこう、ざっくりと。笑)それくらいは思っても、ちっとも不思議じゃない。

 土方歳三の自らの美学にのっとった、ある種頑ななまでの生き様に対して、坂本竜馬の生き方はいささかしたたかに思える。大志を成し遂げる為には武士のプライドなんてあまり気にしていないような一面もある。そして一見それをひょうひょうとこなしているようにも見える。幕府の滅亡とともに散っていく土方歳三と、新たな時代の礎を創ろうとした坂本竜馬とのみごとなコントラストだ。

 でも! それにもかかわらず、僕は彼ら二人が「とても似ている」ように感じるのは、なぜだろう?


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