2001年11・12月の読んだ本。



2001年11月の読んだ本。
(小説4冊、合計4冊)

  • 安西水丸 『手のひらのトークン』  ★★★☆☆
 僕が好きな村上春樹さんのエッセイ、村上朝日堂シリーズの挿し絵をはじめ、さまざまなメディアで大活躍の安西水丸さんの作品。1969年のニューヨークが舞台の自伝的小説(←ご本人も、そう書かれているのであしからず。)なのですが、この作品を読んで、「ああ、僕らの親の世代だって、こうゆう時代があったんだよな」と、ふと思う。
 そうゆうことって当たり前の事なのに、普段日常生活を送っている時には、ついつい忘れてしまいがちなんですよね。


  • 江國香織 『つめたいよるに』  ★★★★☆
 江國香織さんの短篇作品集。江國作品って、めちゃくちゃ文章が綺麗なのに、何故か肌が合わない部分を感じていたのだけど、この短篇集では、そういった「もやもや」をまったく感じなかったのが嬉しい。どうやら僕は、江國作品は短篇のほうがうまがあうらしい。
 いままで読んだ江國作品ではマイベスト。


  • ポール・オースター 『最後の物たちの国で』  ★★★★★
 人々が住む場所を失い、食物を求めて街をさまよう国、盗みや殺人がもはや犯罪ですらなくなった国、死以外にそこから逃れるすべのない国。アンナが行方不明の兄を捜して乗りこんだのは、そんな悪夢のような国だった。極限状況における愛と死を描く二十世紀の寓話。
(白水Uブックス版 解説より)

 アーヴィングファンにも大人気のオースター作品です。まあ、いろいろあって、主人公のアンナという女性が「最後の物たちの国」に迷い込み、抜け出す事ができなくなってしまう話なのですが、なんと言いますか、要するに、その「最後の物たちの国」がものすごいわけですよ、いろいろと。

 「最後の物たちの国」のイメージは、村上春樹さんの『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(確実におもしろい)の「世界の終わり」の壁に囲まれた街や、村上龍さんの『海の向うで戦争が始まる』(これもオススメです)の「海の向こう」の街といった感じですね。前者の幻想的な部分と、後者のどろどろとした混沌の部分とがミックスされたといったら良いかもしれません。

 特に「世界の終わり」とは、雰囲気だけでない類似点も多いです。「世界の終わり」は決して破られることのない壁に囲まれた街ですし、「最後の物たちの国」では、今まさに壁が造られつつあります。また、「世界の終わり」の人々が、音楽や心を失ってしまっているように、「最後の物たちの国」の人々からも、いろいろなものが失われつつある…。 

 そして、この2作品は発表時期もかなり近い。『最後の物たちの国で』が1987年で、『世界の終わりと〜』が1988年に刊行されているのです。でも、『世界の終わりと〜』には元になった習作『街と、その不確かな壁』(『世界の〜』の「世界の終わり」の街を中心とした小説)が、おそらくそれより5年以上前の『羊をめぐる冒険』以前に描かれているので(それを読むために国会図書館まで行ったことがあるのです)、「どっちが先か」といえば春樹さんが先ということになりそう。
 当時『ノルウェイの森』が大ブレイク(死語?)していた春樹作品を、オースターが読んでいたなんて事ももしかするとあるかもしれないです。そう考えるとなんだかどきどきしてきますね。
 
 どちらにせよ、日本とアメリカの作家達(しかも、僕が好きな。というところが嬉しい)が、同じ頃、同じようなテーマの作品を求めていたというのは、単なる偶然ではない気がします。


  • カズオ・イシグロ 『日の名残り』  ★★★★☆
 伝言板でも話題になった、というか、伝言板でみなさんに教えてもらったのがきっかけで読んだのが、今回のこの作品。
 時は1956年のイギリス。長年名家のお屋敷で執事としてつかえてきたのが、主人公のスティーブンス。物語は、スティーブンスが、かつての同僚の女中頭を訪ねる小旅行の様子とともに、彼が20年以上もつかえてきた今は亡きダーリントン卿への思いや、彼が信じてきた「品格ある執事像」に対する思いが呼び起こす、彼の「(執事としての)生きかた」をめぐる回想シーンとから成る。

 なにはさておき、まず目がいってしまうのは、というか、僕の目が思わずいってしまったのは(笑)、物語の語り手である主人公スティーブンスの口調の「ていねいさ」。優秀な執事である彼の語り口が丁寧なのは、当然といえば当然だけれど、それにしてもいまだかつて僕の読書人生(←ってほど大袈裟なものでもないけどさ)の中で、これほどまで「紳士的丁寧さ」で語られたものは無かったと思う。かなり新鮮味があって、その丁寧なスティーブンス口調が、マイブームになりそう(笑)。
 彼は、執事という仕事(生き方)を愛し、誇り感じ、そして主人に仕えてきた。その徹底ぶりは、平成日本で怠惰な生活を送っている僕から見ると、ほとんど「偏執狂的」とすら思える。そういう人物に、馴染みがない。(ちなみに、この作品そのものが、今は無きイギリス的生き様を表現したものだそうです。)馴染みがないのですから、彼の人物像はピンとこなそうなもの。

 ところが、まったく馴染むことが出来ない人物のはずのスティーブンスに、僕自身や、トランパー(『ウォーターメソッドマン』)や、T・S・ガープ(『ガープの世界』)にある、「だめ人間」(同士の)の持つにおいを感じる。いや、まじですってば。親近感を感じつつ思うのだ「あ〜、こいつ、だめだなあ」って(笑)。
 どうひいきめに見ても、僕とスティーブンスは全然違う、彼の方が比較にならないほど「品格のある人間」なのだ。それなのに、それと同時に「だめ人間」の僕が親近感を感じちゃうくらいの「だめ人間」でもあるんです。(親近感もたれても、彼にとっては迷惑だろうけど(笑)。)
 どうです、不思議でしょう?「なんで?」「変なの」って感じた方は、ぜひ読んで見てください。(なんだそりゃ)

そして、読み終えた方へ
人間は、しばしばこっけいであり、しかも悲しいものだ。
T.S.ガープ
(ジョン・アーヴィング『ガープの世界』より)

 サイトのトップにも使わせてもらっている、T・S・ガープのこの言葉。 『ガープの世界』の中で、なにげない会話文の一部として使われている文章が、これ。日本生まれのイギリス人が書いたこの作品からも、この言葉と同じメッセージを感じませんでしたか?




2001年12月の読んだ本。
(小説1冊、エッセイ2冊、合計3冊)

  • 三島由紀夫 『永すぎた春』  ★★★★☆  
 本当に久しぶりに読んだ三島由紀夫作品。彼の小説の中では、あまり知られていない作品だと思うけど、とても面白いと思った。三島由紀夫には悪いけど、大作「豊穣の海シリーズ」より面白いと僕は感じた。ところが、文庫の解説によると、この作品は「大衆向けの娯楽性の高い作品」という、三島作品内での位置付けになっているらしい…。
 (どこかのサイトの管理人のように)娯楽を求める一般大衆の方(笑)。おすすめですよ(笑)。


  • 大槻ケンヂ 『のほほんだけじゃダメかしら?』(再読)  ★★★★☆
 ミュージシャン大槻ケンヂのアホアホエッセイ集。このひとのエッセイは本当に面白くて大好きなのですが、なんといっても、書き手の大槻ケンヂの「だめだめな感じ」が、一冊の本の隅々まで浸透している点がすばらしいのですよ(しみじみ)。ダメ人間としては、共感するところが大きすぎるエッセイを生み出す男。それが大槻ケンヂ、その人なのです。
 ちなみに、この文庫本では、巻末の解説での「わかぎえふ」という人の鋭い指摘も光ります。真理をついたその言葉。自分のあほな生き方が、思わず申し訳なくなってしまう一言でした…。(反省)

あ、そうそう私は思うのですが「のほほん」だけじゃあアカンでしょ、やっぱり。ええ。人間のほほんだけじゃあ。ええ、ええ。
(解説より抜粋)

 だ、そうです…(汗)。 …(無言)。


  • 三谷幸喜 『きまずい二人』  ★★★☆☆
 『古畑任三郎』や『3番テーブルの客』などの脚本家である著者。と、同時に、自らを「話し下手」で「人見知り」である著者。そんな彼が、数々の女性との対談によって、自らの性質を改善していく。三谷作品好きの僕としては、なんとも嬉しい一冊。三谷作品といえば、『3番テーブルの客』をご覧になってた方いらっしゃいませんか?あれが大好きだったんだけど、なかなか観てた人に出会いません。残念。

 ところで「枝豆ともやしって、どっちも大豆」だって知ってました?


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