(小説3冊、エッセイ1冊、合計4冊)
作品にはヴォネガット作品に度々登場する老作家、キルゴア・トラウトが頻繁にでてきて大活躍をするのでヴォネガットファンには嬉しい一冊といえると思う。相反するように、今までのヴォネガット作品諸々を全く読んだことのない読者にはとっつきにくい作品だという事も出来ると思う。ヴォネガット作品を何冊か読んで気に入った人、にオススメの一冊です。
さてと、本の話に戻ります(笑)。メインは表題作のなまず釣りに行くお話で、まあおおかたの予想通り結局大なまずは釣れないのだけれど、それでもまあいいか、楽しい旅だったし、っていう、ほどよい諦観みたいなのがあって、読者も「ま、いいか。」って気持ちになってくる。良い悪いは別として、読者に不快感を与える本ではない事は確か。って、これは誉めた事になるのか(笑)。 今回のはシーナさんチックの文章でお送りしました。上手くいったかな?
3/11(日)…其の一 「本当にぶ厚い本です。」 最近、トルストイの大作『アンナ・カレーニナ』を読み始めたので、なかなか他の本まで手が回りません。新潮文庫(上中下)のものを読んでいるのだけれど、皆さんもご存知の通りほんとうに「長い」、少なくとも僕の読書経験の中では。しかも、例えていえば最近よく読む江國香織作品などと比べると、同じ1ページでも隅から隅まで文字でうめ尽くされている『アンナ・カレーニナ』は1ページを読むのに要する時間が全然違う。あ、小説を読むときに読了までにかかった時間を記録しておいて、ページ単位の平均時間を出してみたら面白いかも。作家、ジャンルごとに分類したりとか…。それほど面白くないですね(笑)。 それでいてこの作品、ロシアの貴族階級を舞台としたメロドラマが繰り広げられるわけなのだけれど、どうも物語的魅力に欠ける気がしなくも無い。以前に読んだドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』などは、同じくらい長かったけれど、もっとこう………。いや、やっぱりそうゆう批判は最後まで読んでからですね。って、はたして最後まで読み通せるのだろうか(笑)。 とにかくこの本、先程いったように本当に沢山字が書いてあるので、予想以上に読了まで時間がかかりそう。一体あと何時間かかるだろう。読みやすい文章ではあるんだけどね。全く関係無いのだけれど、この本は古本屋で一冊100円で買ったので、もしかしたら100円で10時間近く読書を楽しめる事になるかもしれない。もしかして「お徳」なのか?でももうちょい物語が面白くなっていってくれないと、ただただ、しんどい時間が延びるだけになってしまいかねないなあ…。 3/18(日)…其のニ 「アンナは魅力的なのか?」 ようやく中巻まで読み終える。1週間前、この小説は「ロシアの貴族階級を舞台としたメロドラマ」と書いたのだけれど、どうやらそう単純な小説ではないという事がようやくわかってきた気がします。国境や時代を超越した「さまざまな普遍的なテーマ」が、「メロドラマ」のオブラートの中にしっかりと隠されていたのです。…トルストイにしてみれば、「それはおまえの読解力がないだけじゃ。別に隠してなんぞおらん。」ということになりそうですが(笑)。 村上春樹の小説にこの作品が出てきたことが、このおそろしく長いこの作品を読もうと思ったきっかけなのですが、現在中巻を終えた時点でどうしても釈然としないのは、僕が「アンナ・カレーニナに全く魅力を感じない」ということです。魅力も感じなければ共感もないしで、美人であり自己中心的という、よくありがちな好感のもてないキャラクターのひとりとしか思えない。 今現在までに登場している何人もの主要キャラクターの中でも、好感度はワースト1,2をあらそう、といったところだろうか…。まだ物語の途中なのであーだこーだ言う事ではない。という事は充分理解しているつもりだけれど、それにしてもこうも共感できないと、もしかして僕はとんでもないひねくれた根性の持ち主なのではないかと、とっても不安な気持ちになってくる。僕は自分がひねくれ者である、という事を認めるにはやぶさかではないけれど、本来好感を持たれるであろう人物を不当に嫌悪しているのではないか?という疑念は僕をとても悲しい気分にさせる。「俺はそんな奴だったのか、がっくし…」とね。そして、この疑念が作品を楽しむのを多いにさまたげてくれちゃっている。このままでは作品の総合的なすばらしさを認める事は出来ても、作品を好きになることはどうやら出来そうもない。って、なんだか暗ーい雰囲気になってきちゃいましたね。とほほ。まあ、たまにはこうゆう気分になったほうが良いのかも、僕の場合(笑)。 そもそもアンナって、読者が共感するであろうキャラクターとして存在しているのですよね?う〜ん、やっぱしそうでなきゃおかしいよなあ。もしアンナに魅力を感じれれば、今の3倍楽しめると思うんだけどなあ…。つらい小説です。 4/3(火)…其の三 「自己中心の女神」 みなさん!ようやく読み終わりましたよ!読書期間約1ヶ月、しかもほぼ毎日(糸井さんのHPと違い、本当に「ほぼ」ですが)読んでの1ヶ月です。しかし!しかしです!「よし!あの大作をついに読了したぞ。やったね。」というポジティブな気持ちになれていないんですよ、これが…。 う〜ん、これからいろいろ文句を書きますが(ごめんね…)僕は「この小説はダメだ!駄作だ!」と百年以上も世界中で読まれているこの作品に対して言うつもりはさらさらないのですよ。…いやいや、ほんとですって。まったくおひとが悪い(笑)。…ごほん、え〜と、読んでいただければわかりますが、この作品は本当に(其のニでも書きましたが)国境や時代を超越した「すごい作品」なのです。そのことを認めないわけにはいきません。だてに百年読まれてる訳ではないのです。 で、一体何に文句があるのか?というと、「アンナ・カレーニナに」です。正直に白状致します。「僕は、ああゆう人間は大嫌いです!」何度も言いますが、僕は本来好感をもたれるであろう人物をむやみやたらに嫌ったりしません。少なくとも、そんな人間にはなりたくない、と痛いくらいに思って生きています。それでも「嫌い」なのです。 「美人なら何をしてもいいのんか!」って思いました。こう書くと、ぶさいくな人間の「ひがみ」みたいに聞こえるかもしれませんがそれはたぶん違います。ぶさいくはぶさいくでも僕は「男」ですし、きれいなおねえさんは大好きなのですから(笑)。…あ、おかしな方向にいっちゃいました(笑)。僕が言いたいのはそんなことではなくて、僕がこの小説から感じた「アンナ」という登場人物の人間像は、自分が美人だと確信している所からくるのであろう「恐ろしいまでの自己中心性」で、自分以外の人間の気持ちをわかろうとしない、若しくは「人の痛みを感じる事が出来ない」人間なのにもかかわらず、自分の痛みは「すぐ他人に押し付ける」というたぐいまれなまでの「恐ろしい性格の持ち主」なんだなこれが、困った事に…。困った。困った。 ここで訳者の木村浩さんによる新潮文庫のあとがきから、ちょっと引用させてもらいます。 「トルストイは数多くの女性像を創造したが、アンナ・カレーニナほど魅惑的な女性はほかに見当たらない」、「もっとも彼女は決していわゆる外形的な美人ではない。アンナは女らしい優しい魅力と豊かな精神力にみちあふれている」と木村さんは書かれている…。 「おそらく国境、時代を超越した定説なのであろうその意見」と自分の感想とのあまりのギャップに、はっきりいってびびっています。一般的な捉えられ方でいうとアンナは、社会という枠にとらわれてしまって「本当の自分」「本当の愛」を見失ってしまっている我々一般的な人間には「まぶしすぎるくらいに真実の愛情を貫き通した女性」で、だからこそ彼女に魅力を感じないわけにはいかない。「実際にアンナがいたら大変そうだけど、ほんとの愛ってのはああゆうものなんだよな」といったところなのだと思う。まじでか!と思う。僕は「あれが愛なら愛などいらない」とすら感じてしまうのである…。ね、びびるでしょ?このギャップ? また「アンナの自己中心性」もまた、人間だれしもが持っている「普遍的なもの」の表現であることもわかっている。そして僕は「自分が自己中心的な人間であると認めるはやぶさかではない」しかし、しかしである、「アンナ・カレーニナ」の「うじうじうじうじ」とした悲劇のヒロインきどりな(っていうか「アンナ・カレーニナ」こそが悲劇のヒロインである。というのは世界的定説なのだろうけど)わがままさ、人に対する思いやりのなさ、は僕には信じられない。僕はどちらかというと「社会的通念などくそくらえだ!そんなものに幸せがあるか!」と考えている人間だと自分自身では思っているし、「アンナ・カレーニナ」という女性が象徴しているのも、おそらく同じものである(その結末は、悲劇的である)。それなのに僕は「アンナ」が嫌いなのだ…。ああ、神よ、お救いたまえ…(笑)。 (小説3冊、エッセイ2冊、その他1冊、合計6冊)
今回は、この本の前に読んだ『アンナ・カレーニナ』の影響もあってか、とにかく気持ちが良いほど読み易かった。なんだかんだ言っても、すらすら読める本はやっぱりいいですね。 17歳の高校生の女の子が突然25年後の自分に「スキップ」してしまうというこのお話。いきなり旦那さんや、高校生の娘がいたり、当然、自分も大人になっていて、高校の教師なんかをやっていたりする。主人公は戸惑いながらも「その自分」を生きてみる決心をするのだが…。というのが大体のあらすじ。そして、ある意味ものすごく残酷な物語なのにもかかわらず、読後何故か「あったかい気持ちになる」、そんなちょっと不思議なお話です。おすすめ!
評価はHPでリアルタイムに読者とのやりとりをしている状態ではもっと高かったと思いますが、それを単行本化してしまうとこんな位ではないかと思います。こうゆうのは鮮度が大事ですものね。まあなんだかんだ言っても「春樹ファン」の僕としてはとっても楽しめる嬉しい一冊です。春樹ファンの方は是非!
あらすじは、タイトルからいろいろと想像してもらったほうが楽しいと思うので特に書きませんです、はい(笑)。僕が思うにこの作品、青春小説って分類でいいのだと思うのですが、青春もので一番のお気に入り村上龍『69』にせまる面白さ、気に入り具合と言っておきましょう。 それに、理由は僕も良くわからない、というか上手く説明できないのですが、アーヴィングのファンの方はきっと気に入る作品なのではないかという、根拠のない確信のようなものがあります。きっと作者のタケウチさんがアーヴィングファンというのも関係してると思うのですが、、、う〜ん、上手く言えない。まあ、とにかく一度読んでみてください。カレー色の装丁が目印です!
感想は「村上龍って、憎めない奴だな」という点に尽きる。僕の好きなマンガ家に松本大洋という人がいるのだけれど、その人の作品に『ピンポン』っていうのがあって、星野(ペコ)と月本(スマイル)という二人の主人公が出てくるのだけれど、この二人を例えるならば「龍=ペコ」、「春樹=スマイル」となるのではないかと思う。松本大洋を読まれる方、そう思いませんか?そして読まない方、わけのわかんない話になってしまいごめんなさい。
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