アスペの声が大きいわけ

ラグナロク(ファイナル・ファンタジーに出てくる乗り物)のお陰で、危機的状態から脱出したので、今日は躁状態です。(なんて、最近、本当の日記になってしまっているけど、いいのだろうか?) 

それで、何故急にこういうテーマかというと、地球上のあるところ(知ってる人は知っているでしょうけれど)で話題になっている事について、他にも聞きたい人がいるかもしれないから、二度手間にならないようにこっちに書くことにしたのです。(なんて、一体、誰に向かって書いているんでしょうね? ま、55億人も人類がいれば、似たような人が他に一人ぐらいはいるだろうということですかね?)

アスペの子供の声の大きさにヤッキリしている人が井戸端会議をしているところに、本人がシャシャリ出ては、満足に愚痴もこぼせないのではないかという配慮もあります。(なんて、長くなりそうだからこっちに書いただけか!) そうでない子供もいるでしょうけれど、たまたまかもしれないけれど、違う理由の場合もあるのでしょうけれど、ほんの一例なんでしょうけれど、自分のことを日記に書く分には自由なので…。

少なくとも、私と私の子供達の声が大きいのは、自分の声の大きさがわからないからです。こういう子供に注意するには、「黙れ!」でも「うるさい!」でも、社会的には正解です。しかし、声の大きさが判らない当の本人にとっては、「声が大きい!」でなければ通じません。もっとわかりやすくしたければ「今の声の大きさはOOホンです」と言ってあげたい所ですが、あいにくと渋谷のハチ公前に家が建っている訳ではないので、測定機が身近にありません。そこで、テレビのボリュームの数字表示に例えます。「ただいまの声の大きさは、ウチのテレビで言えば30です。ウルサイぞ!」で我慢します。

ましてや、部屋の大きさや相手との距離に合わせて声の大きさを調節するなんて、至難のワザです。そういう時には、「この小さい部屋で、そんなバカでかい声を出すな!」とか「人がどこにいるか確認してからしゃべりなさい!」でも良いけれど、やっぱり、今の声の"大きさ"を教えてからの方がいいと思います。と、偉そうなことを書いている当の本人が、バカでかい声で叱っているので、子供達の声もバカでかいままです。でも、分かっちゃいるけどやめられない!

どうして声がバカでかくなるかって? それは、言いたいことがあると夢中になって興奮してしまうからです。でも、人に何かを伝え・その人を動かして・何かをやってもらおうと働きかける"コミュニケーション"の場面で、このしゃべり方をするのは、とっても良くありませんね。本人は、ただ言いたいことをいっているつもりなのに、どうしても命令や押し付けに聞こえてしまいます。子供に向かってやると、内容的には"しつけ"でも"怒っている"と受け取られても仕方ありません。ましてや、人の表情から気持ちが読み取れない同士だから、我が家の喧騒は他人が聞いたらまるで"ケンカ"です。

でも、自分の言いたいことではない"用件"を他人に伝えなければならない時、普段は喧喧諤諤とやっているのがウソのように、まるで息消沈してボソボソとした声になってしまいます。そういう場合には、人と対面すると言葉を選ぶ自信が無くて、どう言っていいかわからないのです。どういう言い方をしたらいいか分からないので、まず相手から話し始めてもらってその口調を真似、聞かれた事に答える方が楽なのです。かく言う私も、相手がどうあれ"自分"なりのしゃべり方で始めれば良いと解ったのは半年前、ドナさんの本を読んだ後の事でした。それまで、スーパーのレジで話し掛けるにもどうしていいか分からずに、小さい声で呟いては、よく聞き返されました。自分の言ったことが通じていなくてやり直しをお願いする事がしばしばでした。

それはさておき、肝心なのは、こういう子供が思春期を迎え、「心の理論」課題をクリアーする頃になるとどうなるか? ということです。

一見、声の調節ができるようになったようでも、本当にできるのならば何の問題も無いのですが、分からないままに「声を小さくしなければ」という強迫観念に駆られている場合もあることに注意して欲しいのです。実際、私の思春期は、芽生え始めた"自我"なるものが過剰に自制をし始め、常に[実体の無い"何か"]に怯えてビクビクする毎日でした。そうなると、行動上は落ち着いているようでも、精神状態はとっても不安定です。バカでかい声を出して怒られていた子供時代は、脳天気で極楽トンボでいられたのにね。

それに、音楽を聞く時も、音の大きさにはやたらと神経質でした。どこかの本に書いてあったけれど、"ヘッドホン"で音楽を聴くと良いというのは本当です。だって、本当に外界をシャットアウトできるし、音の大きさを気にしなくて良いのですから。確かに、それで難聴気味にはなりましたが…。


                

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