学校における高機能自閉症児への対応(当事者からのお願い)
(2002.2.26作成素案/4.3〜4.6追加・補足/4.18追加・補足)
自分自身の体験と、カナータイプ・アスペルガータイプの自閉症児を療育した経験を元に、高機能自閉症児について教職員が知っていて欲しいことなどを以下に書きます。
尚、私が実際に療育したのは「言語・学習・注意・行動障害」のある子どもたちですが、私自身はそれらの障害のないアスペルガータイプで、学校には適応できたものの社会不適応を起こした例です。また、この他に、インターネット上で相談に応じた事例なども多々ありますので、それらを特に区別せずに項目別にまとめました。
(但し、LD・ADHDの対処法と重なるところの多い「学習」と「注意」の問題は、ここでは省かせていただいています。)これは、こちらからの要望です。実際は、学級運営上、可能な限りの取り込みをしていただき、お互いの為により良い環境を作っていただければ幸いです。
※ は、教員の意識を変えるだけで、即刻対応が可能な項目です。
基本方針
学習や感覚の特異性などの問題には個別対応が必要ですが、社会的孤立を避けるためにも(無理のないやり方で)集団とのかかわりも保つ必要があります。
{ボトムアップ式の個別指導}と{トップダウン式の集団指導}との割合や比重を、発達に応じて変えていきます。
通常の筋道とは違う発達の仕方をしているので、必ずしも教育過程で決められた順番に従っていない、独自の思考方法を持っていることがあります。このような場合は、本人の認知の特性に合わせたカリキュラムを作成すべきです。
学習のレディネスができていない分野については、教科学習以前のつまずきにしっかりと対応するところから、始める必要があります。
本人の発達段階と到達度に応じて指導方針をこまめに修正する、柔軟な姿勢が大切です。
他の子どもたちと全く同じように全てのことができるようになることが、本人にとって本当に有益なことだとは限りません。
発達のアンバランスがあって、できることとできないことの格差が大きく、できないことばかりが目についてしまうかもしれません。しかし、できること・好きなことから始めれば、本人が自信と楽しみを持つことができます。
小学校時代は、「障害」を持ちながらも周囲との折り合いをつけ、「個性」として伸ばしていける基礎を作る重要な時期です。
学校全体で基本姿勢を統一し、積み上げができるように引継いでいくことが大切です。
学級での具体的な対処法と、生徒指導の仕方について 【学級生活上の留意点】※ 下に、青字部分についての補足説明があります。
- 同じ姿勢を保持することが困難で、席についてじっとしていられない子どもが多いのですが、生理的・身体的な理由だということを理解して下さい。
- 席を離れる、校内を徘徊する、勝手にトイレに行くなどの行動をする子どももいます。低学年の内はなかなかコントロールできませんが、「行き先を告げてから行く」「必ず教室に帰って来る」といった約束をし、ステップを踏んだ対応をすると、次第にこのような行動はなくなります。
- 同時にたくさんの感覚器官を働かせることが困難なため、ちゃんと聞こうとすると姿勢を保持できなくなってしまったり、人の顔を見ない方が発言を聞き取りやすかったりします。一般に、お行儀が悪いとか相手に失礼だと言われてしまうところですが、これも生理的な理由なので、要所要所で引き締めることができれば、日常の学級活動では多少大目に見て欲しいところです。
- 学活や一日の流れがうまくつかめないない子どもには、順序立てた進行表を作ったり、学級環境を構造化して、「いつ・どこで・何をするか」を分かりやすくする配慮が必要です。また、急な予定変更について行けなかったり、ちょっとしたことで混乱してしまう子どもだということを念頭において接してください。
- 偏食や過食があることもあります。栄養のバランスを取り健康維持に心がけるための給食指導も必要ですが、無理強いしても身にならないことが多いので、本人が意識して食べられるようになるまでは強要しないようにお願いします。
- 一日の内で、活動性が高まったり低くなったりする時間帯(バイオリズム)があります。また、季節の変わり目に身体的に不調になることも多いのですが、本人には自覚がなく、何となく機嫌が悪くイライラしたりパニックになって現れることもあります。
- 行事前には不安感から緊張が高まって落ち着かず、行事が終った後には興奮していつまでも尾を引くことがあります。
- 自分の外観を気にせずに内部感覚だけで服を着るので、だらしない着方をしていることがあります。また、感覚過敏のために衛生管理がしにくいこともあります、爪切り・洗髪・散髪をいやがるのはそういう理由からです。(小学校高学年以降になると、意識してできるようになることが多い。)
【他害・癇癪・パニックなどの問題行動への対応】※
- 他児とトラブルを起こした時には、単に善悪を裁量するだけでなく、原因に何らかの「認知の間違い(注:後述)」か「パターン化された行動」があるという観点で見てください。(もちろん、原因が何であれ、不適切な行動をした時には素直に謝れることも大切なソーシャルスキルです。)
- パニックを起こした時は、まずはその現場から離し、落ち着いてから言葉かけをします。興奮状態の時には、何を言っても聞こえていません。
- パニックは、苦手なことに直面していることを訴えているか、強固な「こだわり」があることを現わす危険信号です。よく観察すれば原因は分かるので、できるだけ回避するような工夫が必要です。
- 発達の程度に合っていない課題を要求されると、パニックを頻発させることになります。スモールステップを一つ抜かしただけで、できなくなってしまうこともよくあります。指導計画を見直して、課題の水準を下げる柔軟性が必要です。
- その場の状況と全く関係のない事を口走って混乱しているような時は、現実に対してではなく、何かのキッカケで想起した過去の記憶に反応していることがあります。(テレビなどのワンシーンをそっくりそのまま再現する様子がよく見られるように、自閉症児・者は、現実に生きていながら、常に過去の出来事を参照していると言っても過言ではありません。)
【こだわり行動への対応】
- 「こだわり」が強い子どももいれば、あまり強くない子どももいます。感覚的で強固な「こだわり」行動があることもあるし、一度決めた「順序」を変えられないとか、一度覚えてしまうと変更がきかないというようなものもあります。
- 社会的に許される範囲のものや、ある程度は容認しても差し障りのないものは、取り立ててやめさせる必要はありません。全面的に禁止しようとすると、かえって強くなることがあるので、場所や時間をわきまえ・人に迷惑をかけないことを学習する方向に導くべきです。
- 最も強固な「こだわり」はなかなか変えることができませんが、それほど強くない「こだわり」ならば、変更に応じることもあります。最終的には本人が困るようになると思われる行動は少しずつ変えるように根気良く条件交渉をし、崩せるところから崩します。が、どうしてもダメとなったら周囲が合わせるしかありません。
- 授業中に、ひっきりなしに「はい!」と手を上げている・先生の言うことにいちいち応えるというような「こだわり」行動に対しては、相手にせず「今は・やめて」という指示に従えれば良しとします。
- ○や×の札を作ったり、手や腕でサインを出して、今やっている行動が適切かどうかを教える方法が有効です。しかし、一度や二度では止まりません。何度でも、その場で教える根気強さも必要です。
- 周りの状況とは無関係に、「自閉的なファンタジー」にのめり込んでしまうことがよくあります。じっと何かを見つめたり・奇異な動きを始めたりして、「心ここにあらず」の状態になります。基本的には「こだわり」と同様に、要所要所でやめられれば良しとします。
- これらの自閉的な行動は、自閉症児・者にとっては自然なことで、不安感を解消して自己のバランスを回復するために必要な行為でもあります。そのこと自体が悪いことだと思ってしまうと、精神的に悪影響を及ぼします。状況に応じて切り換えることを学習できれば良いという自覚を、本人に持たせることも大切です。
- 自閉症児・者の自閉的な行動をからかわないように、同級生たちを啓蒙して欲しいと思います。(思春期以降、本人が気づいて、これらの行動を人前でやらなくなることもあります。)
【学校に適応できている児童にも社会性の教育が必要なこと】※
- 学校という環境に適応できるタイプの子どもは、何の問題もないように見えてしまいますが、自分だけの思い込みの中に生きていて実質的なコミュニケーションが成立しないままにたまたま上手くやっているだけのことがあります。そのまま放置すると、青年期以降に孤立し就労や社会生活ができなくなる可能性があります。
- 世の中の仕組みに無関心なため、頭では分かっているけれど生活の智恵にならないことが多くあります。知識偏重になりやすく、理詰めで世の中を知り尽くしたつもりになっていることも多いので、家事の手伝いなどの身の回りのことをなるべく多く体験させることも大切です。
- 自閉症児の自己認知力は、全般に低いとみるべきです。自己像に関する思い込みが強いと、自分で自分にふさわしい仕事を決めつけて選択肢を狭めてしまうし、自分が正当に評価されないことに癇癪を起こします。逆に、自分は欠陥だらけでできることが何もないと思い込んでいることもあります。自分で評価した自己像と客観的な評価との間にギャップを生じさせないための指導も必要です。(LD・ADHDを合併している子どもは複雑ですが、介入の余地がたくさんあります。これらの合併がない子どもの方が難しいケースもあります。)
【精神的なフォローが必要なこと】
- 自閉症児には、発達の遅れや能力的な偏りがあるために、人と同じようにできないことがあります。遅れているだけで成長と共にできるようになることもありますが、多くは終生続く「障害」となります。まずは、本人が人と違っていることを悪いことだと思わせないで下さい。そのためにも、教師が良き理解者になってくれることを望みます。
- 「人と違っているために、人と違う行動や発想をしている」ことを、本人と同級生の双方が納得できるように、「差別意識」を生まない配慮が必要です。クラスの子どもたちの態度は、教師の接し方に左右されます。
- 普通ならば、現実検討力を失わせるほどでもない一般論を真に受けてしまうことがあります。例えば、「どの教科もまんべんなく点を取るように」と言われたことを「自分に欠けていることを補完しなければならない」と解釈し苦手な科目ばかりを選んでしまうとか、「何でも正直に答えなさい」「疑問に感じたことは何でも質問しなさい」と言われてその通りにしてしまうことなど。更に、できるはずのないことに固執してできない自分を責め、一人深刻に悩んでいることがあります。誰かがいち早く気がつけば、こじれないうちに思い込みをほぐしてあげることができます。
- 「いじめ」体験は、いつまでも記憶に残ります。その、「悔しさ」をバネにして成長するというような一般論を安易に適用しないで下さい。(否定的な対人関係が固着してしまうと、ありとあらゆる社会活動に支障をきたしかねません。)
- また、本人自身が「普通になりたい」「みんなと同じになりたい」という気持ちを持った時には、その気持ちを尊重してあげて下さい。しかし、自分には欠けていて・できないことがあると自覚した時には、優れている面を評価して、自信を失わせないようにして下さい。
- 自分に欠けている部分は補助具を使うことで補えるし、会社に勤めなくても在宅でできる仕事もあります。常に、前向きに、自分の特性を活かす工夫をする姿勢を身につけられるようにアドバイスすることが肝要です。
- 何もかも一人で抱え込まず人の意見を聞ける人になるように、「人は信頼するに足るものだ」という経験をたくさん積むことが大切です。
- 興味・関心の幅が狭くても、能力的な偏りがあっても、それらを上手に活かして、社会的な技能に繋げている人もいます。趣味や生甲斐にしている人もいます。自分自身の特徴を本人自身がよく知って、優れた面が際立つように・不得意な部分が表に出ないように心掛け、不利な立場に追い込まないことも大切なスキルです。
補足説明 【偏食指導について】
- 本来は、家庭で行うべき生活指導ですが、学校生活の一部としての給食指導についての注意点です。(家庭で或る程度の指導ができている上で依頼されている場合と、そうでない場合とでは異なります)。
- ここで「強要しないように」と言っているのは、“どうしても受け入れることができないもの”のことで、偏食はそのまま放置せよということではありません。
- 食の「こだわり」に手付かずで入学してくる児童を指導するには、「一日・一つずつ・一口ずつ」挑戦する、「目標を達成できたら誉める」を繰り返す方法や、「食べられない原因は何で、どういう条件(調理法・味付け・形状…)なら食べられるか」を聞き出して(或いは、様子を見て)地道に交渉して行く方法などが考えられます。
【生理的なものとの兼ね合いについて】
- 姿勢・服装・基本生活習慣など、通常ならば就学時にはできていて当然だと思われていることができないのは、主に発達の遅れや障害によるものです。
- 個々人によって発達の度合いが違いますが、低学年では無理でも中学年〜高学年になる頃にはできるようになることがあります。
- また、周囲の人と違うことをしていることに気づいて、自分からやめたりやめようと努力するようになる児童もいます。(違いに気づいた時に、全く自信をなくして自分自身を責める児童や、やめられないことをやめようと無理をし過ぎる様子の見える児童には、精神的なフォローが大切です。)
【学校での構造化が必要なケースと、その方法】
- 自分の教室・席・ロッカーなどの見分けがつかない。→色分けしたり、自分の目印をつける。
- 同じ部屋が、教室(勉強の場)になったり食堂(給食の場)になったりする状況の変化がわからない。→わかりやすいサインや絵などを掲示して、今現在の「場」と「自分がすべき行動」をハッキリさせる。
- 授業時間と休み時間の区別がつかない、前に他の児童が立って行う学級活動は自由時間ではないことがわからない。→わかりやすいサインや絵などを掲示して、今現在の「場」と「自分がすべき行動」をハッキリさせる。
- 時間割が進行していて、次の授業に入っていることがわからない。→授業内容がわかるような看板などを掲示する。(注:前の授業時間に起きたことを引きずっているだけの児童の、心理的な問題とは違います。)
- 自分のやるべきことがわからなくて、オロオロすることが多かったり回避傾向がみられる。→やることの順番を、本人がわかるように細分化した手順書を作り、それを見ながら行動する。
- 「時間の推移」や「仕事の経過」がわからなくて、不安に陥りやすい。→順番・現在どこをやっているか・あとどれくらいあるかなどを、線分・色分けした図形・水時計などを使って、量数化してわかりやすく呈示する。
自閉症の理解を深めるための予備知識 【特異な[感覚−知覚]をしていること】※
- 触覚(特定の衣類の感触をいやがる・常に何かを握ったり触ったりしている)・聴覚(特定の音をいやがる・耳ふさぎをする・通常では分からないような音を聞き分ける=耳がいい)・視覚(動くものをじっと見ている・特定の形を吸い寄せられるように見つめる・目の前で手をヒラヒラさせる)・味覚(微妙な味の変化で食べなくなる・同じ食材でも温度による味の違いにうるさい)・臭覚(特定の臭いをいやがる・または好む)などの過敏(特異性)が、よくみられます。
- 不快な感覚刺激に対する反応の仕方にも、個人差があります。パニックや癇癪を起こすこともあれば、本人もよく分からずイライラする程度のこともあります。言葉で明らかに拒否し頑として受け付けない子もいれば、不安を訴えて泣き出す子もいます。また、多少の苦痛は感じていても我慢していたり、自分で感覚遮断して感じないようにしている子どももいるので、外見では分からないこともあります。
- 感覚過敏は、精神状態の影響を受けます。精神状態が悪く不安が強いと、重くなる傾向があります。
- 逆に、身体感覚は鈍いことがよくあります。痛覚(怪我しても痛さを感じない・病気の時にどこが悪いのか分からず症状を訴えない)・平衡感覚(いつまでもグルグル回ってしかも目を回さない・高いところに平気で登る)・固有覚(自分自身で感じている身体の内部感覚と実際の身体の位置との間にギャップがある)・温感(暑さ寒さに合わせて服を選べない・健康に関わる温度調節ができない)など。
- これらの[感覚−知覚]の特異性には、個人差があります。組み合わせも様々ですし、ほとんどない子どももいます。
- 感覚過敏と言うよりは、接触防衛反応が強くて人との接触をいやがったり、人がたくさんいると苦痛を感じる子どももいます。
- これらは、本人にとってはとても重要なことで、決して「わがまま」や贅沢ではありません。
【認知の特性があること】
- 「認知」の障害があると、身の回りのちょっとしたことができない(例えば、縦長のロッカーに横長のカバンを入れようとする)こともありますが、主に「学習」障害となって現れることになるので、特別な教科指導が必要になります。
- また、漢字だけ覚えてしまうとか、文字や数字に異様な関心を示すことがあり、逆に「頭がいい」と思われて対応の機会を逸してしまうこともあります。
- 「部分」の認知が強すぎて、「全体」を見ていないことがあります。物の一部分だけしか見ていないために、一般概念では全く違うものを「仲間」としてくくってしまい、外観が変わると共通性を見出せなくなります。(逆に、部分認知の良さから、優れた識別力を発揮していることもあります。)
- 人に関する認知障害があると、人の顔を見分けられない(相貌失認)・人の行動や動作を誤まって解釈する(社会的認知障害/手を上げただけで叩こうとしていると思ってしまう、など)ことになります。
- 過去に不快体験をした状況(物)と類似した状況(物)を、異様に恐がることがあります。(メガネをかけた人をみんな恐がる・危険な思いをした場所に類似した場所やそこにあった物を恐がる、など。)精神状態が悪く不安感が強い時には、その傾向が強くなります。
- 通常では考えられない行動をしたり、とんでもない理由を訴える時は、何らかの「認知障害」があるとみなして、「この子には、どういう風に世界が見えているのだろうか?」という観点に立ってみてほしいところです。
- 認知障害のある子どもには、「ここは・何をする場所なのか」「今は・何をする時間なのか」といったことを、本人の発達段階に応じた意味の通じるサイン(絵・記号・言葉など)を出すようにすると、混乱が起きにくくなります。また、ソーシャルスキルカードなどを用いて、「人の顔の表情」や「人の行動」の意味を学習するプログラムも必要です。(より重度な場合は、環境全体を構造化して分かりやすくします。)
【言葉とコミュニケーションの問題があること】
- 言葉の遅れのあるカナータイプの子どもの場合は、言葉が出ない・遅いことを重視して、話し方を教えたり・しゃべらせようと強要しがちです。でも、伝達手段は言葉だけではありません。絵・写真・関連する物を上手に用いることでコミュニケーションが可能になることもあります。また、しゃべらないけれど人の言っていることは理解できていることもあれば、話せないのに文字を使いこなせるというような、発達のアンバランスがみられることもあります。(このアンバランスは、修正しようとしてできるものでもないし、一般的な筋道通りでなければ発達できないということはありません。)
- アスペルガータイプでは、言葉が出ているから大丈夫・分かっていると思われがちです。でも、本人は意味が分からずに状況に関連する言葉を記憶していて、機械的にしゃべっていることが往々にしてあります。また、知っていることを羅列しているだけで、お互いの意思を通じさせるために「会話」していません。一方的に、延々としゃべり続けることもよくあります。
- 言葉の持つ表面的な意味しか理解できない(「首をかしげる」は、首を傾けることでしかない、など)は、よく指摘されるところです。
- また、言葉を巧みに使いこなすことができている子どもでも、文脈を一切無視して、単語の意味だけにとらわれてしまうことがよくあります。
- どんな話題が話されていても、自分が興味を持っている特定の事柄ばかりを話すことがよくあります。また、何の関係もないことを話し始めた時は、頭の中に何かのシーンを思い浮かべて、そのシーンの中にある事柄のことを話していると考えるれば、全く不可解ではなくなります。
- 「会話」に関するソーシャルスキルを学習することも、社会生活上必要です。
【通常と違う「感情」の持ち方をしていること/人との「係わり方」が違うこと】※
- 「感覚」や「認知」が通常と違っていることと、不安感・恐怖感が強いために、「感情」の持ち方が人と違っています。喜怒哀楽はハッキリしているのですが、普通の人が笑わないところで笑ったり、普通なら何でもないことに怒ったりすることがあります。
- 意識の中に他者の視点を自然に取り込むことができないので、羞恥心がないように見えます。また、人によく見られたいという動機がないために、「社会的な感情」が生起し難く、競争心を持っていないことも往々にしてあります。⇒従って、これらの「社会的な感情」に訴える方法では、指導の効果が上がらないことになります。
- どんなにたくさん人がいてもほとんど人を意識せず、自分一人の独り舞台に立っているかのように振舞うことがよくあります。目立ちたいのではなく、逆に周りに人がいることを忘れてしまうほどファンタジーに没頭してしまっている状態です。自分の記憶にある物事(テレビのシーンなど)を再現し始めたり、知っていることを並べ立て始めたり、感覚的な何かに夢中になったりしているので、「おかしなことをする」「そんなことは聞いていない」などと怒らずに、状況に応じてストップをかけて下さい。
- 「一番」にこだわることも、よくあります。人より上に出ようとしているわけでも、人に勝ちたい・人に負けたくないという欲求が強いのでもありません。「自分でこうと決めたことが、そのイメージ通りに実現する」ものだと思っていることが多いのです。「一番が良いと決めたら何でも一番でないと気が済まない」と観れば、単なる「こだわり」とも考えられるので、「二番目から数えて一番だよ」「元気さで一番だよ」というような言い方をして、とりあえずはその場をうまくしのぐことはできるでしょう。しかし、自分の能力の見積りができていない、自分なりのやり方でできていると思い込んでいるために「思っていること」と「できること」とのギャップに気づいていないなどのステップの踏み外しがある時には、思い込みをほぐすための対応が必要なこともあります。
- 本や掲示物などに書かれた言葉やキャッチフレーズなどは鵜呑みにしますが、人に直接指示されることを嫌う傾向があります。直接指示される侵入感には抵抗を示すので、選択肢をいくつか提示して極力自分で選ばせるようにするとうまくいくことがあります。
【運動機能の障害や非言語的(身体的)な学習障害があること】
- 身体(の欠損)障害がないのに、粗大運動(全身を使った運動)や微細運動(手先の操作)がうまくできない「発達性協調運動障害」を持っていることがあります。
- 一般に、アスペルガータイプで合併することが多く、カナ−タイプでは少ないと言われています。(また、ADHDに合併することもあります。)
- この障害がある場合、着替えなどの日常の動作が上手くできなかったり、字や絵が書けなかったり、体育の授業についていけなかったりします。(音楽の楽器演奏、技術家庭科の実習にも影響します。)
- ルールが覚えられなくて体育に参加できないのではなく、キャッチボールができない・なわとびができないというような様子が見られたら、この障害を合併していることが疑われます。
- この障害の有無と発達の度合いを測定する基準があり、検査結果に基づいた訓練方法もあります。一般的な体育指導法を用いて、むやみに頑張らせてもほとんど改善しません。(発達が遅れているからできないのに、無理強いするのは、心理的な負担を増やすだけです。)
- 発達障害のない子どもでも、運動機能の発達が遅れていることがあり、こういう子どもたちを集めて基礎的な身体能力を高めるプログラムを組むことは、たいへん意義のあることと思われます。
- 発達障害(自閉症・ADHDなど)があって、この障害が合併している場合は、生活自立や就労に支障をきたす大きな要因になることがあります。
- 人がやっている動作を真似できなかったり、言葉での指示が通じないことがあります。簡単な動作でも、一つ一つの具体的で細かな動素に分解しないと分からないのです。また、何とか覚えられても、一連の動作をするのに常に(言語化して)意識しないと実行できないことがあります。
- 身体の操作性に難があるため、所作が粗雑に見えます。(例えば、ドアをバタンと閉める・物を放り投げるように置く・足音をバタバタと立てて歩く、など。)
- また、身体的なサインが読み取れないために、他者の動き方の秩序や動線を察知できずにぶつかってしまう、ドアの前に立って邪魔になっていることに気づかないこともあります。本人は全く分かっていないので、怒るよりも教えてあげることが必要です。