中学進学をきっかけに特別支援学級を選択しました。
入ってみると入学前に見学したイメージとは全然違っていて期待を裏切られたよ
うな気持ちになしました。
担任は軽度発達障害については行政で出している小さな薄っぺらいリーフレット
程度の理解しか持っていないように思われました。
交流にはとても消極的で、事ある毎にストップします。
教科書を忘れたらやめる、通級の生徒と組んでやる課題になるとやめる
自分で交流の時間が解らなかったから今日はなし・・・
不定期の時間割、解るところに提示もされていなければ自分から気付く訳もない
のに普通にしゃべれるから声掛けする必要は無く黙っていても時間になったら一
人で交流に行けるのなら交流しても良いとか・・・これでは話にならないではな
いか。
支援級では自立支援とはあまり言えない実践的ではない作業
絵本の読み聞かせ(よみ聞かせるだけ、内容理解等は促さない)
担任が用意した使われない専用の教科書
自閉症の生徒に耳塞ぎやロッキングを羽交い締めに押さえて無理に我慢させ続
けるとか・・・
疑問に思い伺ってみると息子さんは遅れがあるのに学校へ来させて貰えるのだか
ら自覚してもっと謙虚にさせて欲しい欲しいとの事。
告知もまだ途中なのに子供にそんな指導って・・・
これってごく普通の事なのでしょうか?
良いところもあるのですがおかしな指導法が目立ち過ぎて不信感をもっています
。
我が子は書字困難ですが小3位の漢字は書けますし読むことは普通に出来ます。
細かい内容理解はまた別ですが、得意教科の教科学習は必要です。
必要なのは一日の予定に沿った行動を自分で出来るように支援する事、なのに声
かけすら無し。自分で出来ないといけないと・・・出来ないから特支を選んだの
に。
息子が何気ない一言で人を傷つけるので『柔らかい言い方に変える』『言って良
い場面を教えてやる』など伝えた
でもそれも他の生徒よりちょっと話せるからって得意になっているだけと思われ
指導がされませんでした。
これでは・・・と色々考えて悩んでいますが出口が見つかりません。
障がい児は通常の進学、就労をしいなし勉強しても解らないのだから意味がない
と支援の担任すら主張します。私はもちろん猛勉強させて欲しいとは思っていま
せんがこれでは我が子を社会の一員として送り出す事すらできないし「これが自
立支援です」と言われて納得がいくものではありません。
担任に軽度発達障がいを伝えるには何十日あっても足りません。
色々話し合い少しずつですが理解して頂き担任として出来る範囲での指導改善の
努力をしていくとの答えを頂きましたが、学校全体の方針があってどうしても応
えられない事が有ること、特に授業の交流については難しいそうで支援級の担任
も悩んでいらっしゃる事が感じられました。
微々たるものですが改善は為されてきてはいますが、これでは息子を社会人とし
て送り出すには余りにも足りない事が多すぎます。
よくは判りませんが支援教室の担任に専門家としての地位があれば少しは違って
くるのではないかと思います。
障がい児といっても個々のケースは様々ですしやはり難しいのは解っているつも
りです。
私は軽度発達障害の特別支援学級があればと強く望まずにいられません。
行政の相談機関は担任と良く話し合え、母親が教科の勉強して足りない分の教育
をし、自分で情報を集め自立支援も家で、というアドバイスを頂きましたがこれ
では経済的にも時間的にも母親一人に負担がかかってしまうし限界があります。
実際壊れてしまいそうです。
私たち親は進路、教育について何処へ相談すればよいのでしょうか?
これでは自立なんて夢の夢、でも手帳の習得は難しい。親亡き後はどうすれば良
いのでしょう?
国や行政にはもっと教育関係者や相談機関には軽度発達障害の理解を深めるより
いっそうの努力をして頂きたいものです。
薄っぺらいリーフレットやプリントだけでは解りやすい反面
こだわりが何であるか判らず『これがこだわり』
パニックがどんなものか判らずに『これがパニック』
(ごめんなさい、判りにくいです)
と子供達の行動にレベルを張り間違っているときもアスペなのでこうなのだと決
めつけて性格的なものまで障がいにしてしまう事につながります。
障がいを見るのではなくてその特性を踏まえた上で児童、生徒その人を良く観察
し、理想の素直で人に好かれる障がい児をつくるのではなく後に彼等にとって役
立つ実践的な指導をお願いしたい。
[2008/10/30 21:09:54]