記事タイトル:社会全体に必要な、視点の転換。 


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お名前: 管理人   
投稿者 : pengin_ 投稿日時 : 2004/05/07 20:31 

直接言えばいいのに、紙に書いて伝言すること。
言葉で表すべき感情を絵や記号にすること。
人を避けているわけではないが、なるべく部屋にこもっていること。
記憶の中に人があまりいないので、自然とかかわりが少なくなること。
ちょっとした予定でもわざわざパソコンに入力して、リマインダーを送らせているこ
と。
一日中、アラームが鳴っていること。
ほとんどの人が「恥ずかしい」と思うようなことを、何とも思わないこと。
かまわれ、気づかれ、言葉をかけてもらうことを邪魔くさいと思うこと。
 
つまり、
明らかな人嫌いでもなければ明らかな人好きでもない、そんなかかわり方をしている。 
まったく人とコミュニケーションをとろうとしていないわけではないが、しゃべらな
い。 
こうなったらうれしいだろう、悲しいだろう、くやしいだろう、いやだろうと人が思う
ことが通用しないこと。
そういう人は、どこにでもいるかもしれない。
 
でも、そういう人として、認めて欲しい。
[2004/05/10 13:46:02]

お名前: 管理人   
投稿者 : pengin_ 投稿日時 : 2004/05/06 8:30 

私は、悩んでいるのではありません。同情してもらいたいのでもありません。救いを求
めているのでも、答えを出してくれと言っているのでもありません。ただ、「私は自閉
症なので、このように感じています、こんなことを考えています、こんな風にしてほし
いと思っています」と公然と訴えたいのです。
どこに行っても、「みんな一緒です」「誰でも同じです」と言われてしまいます。しか
し私は、“共感してもらう”ことで精神的な安定をはかろうとしているのではありませ
ん。「自分の世界から、かなり無理して人間社会に出向いて行っていること」と「○○
なので◎◎であること」を、認めてもらいたいだけなのです。
それから、時々、自分の世界に帰ってしまうことを、悪いこと・いけないこと・反社会
的なこと・悲しいこと・寂しいことと、言わないで欲しいのです。
[2004/05/10 13:45:18]

お名前: 管理人   
投稿者 : pengin_ 投稿日時 : 2003/12/26 13:37 

“ある特定の個人の愛に包まれて、末永く幸せに一生を送る”などという、御伽噺は要
りません。
一般的な共通認識に乗れる・乗れないのせめぎ合いの中で、パートナーを見つけられ
る・見つけられないの選択をするわけではないのですから。もともと外れているので、
分かっている人を増やさなければいけないのです。それは決して、自然に増えることの
ないものなので、誰かか行動を起こす必要があります。
パートナー探しは、その先の問題です。
[2004/05/10 13:44:49]

お名前: 管理人(代理)   
投稿者 : 腐乱検死体1 投稿日時 : 2003/11/01 0:23 

反省
 
私自身が、以下の状態を良く理解できていない事に気付かされました。
 
・メタ認知に障害がある状態
・パニックを起こして自身を制御不能な状態
・視覚過敏、聴覚過敏、触覚過敏、味覚過敏、嗅覚過敏
 
自分の経験にないものを理解するのは、障害があることを認めている当事者にも難しい
ものだと痛感します。
 
今回の件は、障害のことを知らない方へ障害の大変さを知らせることが如何に難しいか
も類推させてくれました。
[2004/05/10 13:44:18]

お名前: 管理人   
投稿者 : 水兎mito 投稿日時 : 2003/09/16 22:58 

> まずは、軽度発達障害(LD・ADHD・自閉症とアスペルガー症候群)の存在自体を認め
ることです。
> そして、その根拠になる法律を作ることです。教育と福祉が、歩調をそろえること
です。

そうですそうです!その通りです。
軽度発達障害の存在を「ないもの」にしないで下さい。

教育はようやく「現実」に目を向け始めました。
福祉も、この「現実」に目を向けてください。
政治も司法も行政も、私たちの存在を認めてください。

私たちが社会の一員としての役割を果たせるようになるためには、
私たちの存在を認めてもらわなければ、自信を持って何かを始めることさえ出来ませ
ん。
[2004/05/10 13:43:35]

お名前: 管理人   
投稿者 : pengin_ 投稿日時 : 2003/09/16 8:50 

あれこれ訴える以前に、最初の要求をしなければならないことを忘れていました。
 
まずは、軽度発達障害(LD・ADHD・自閉症とアスペルガー症候群)の存在自体を認めるこ
とです。
 
そして、その根拠になる法律を作ることです。教育と福祉が、歩調をそろえることで
す。
[2004/05/10 13:43:01]

お名前: 管理人   
投稿者 : pengin_ 投稿日時 : 2003/09/07 11:54 

ライフサイクルに合わせた支援体制を構築することが、必要です!
 
【幼児期】
もし、早期発見・早期療育の機会に恵まれたのなら、まず、「やっておいた方がいいも
の」「やっておかないと困るもの」「困っている周りの人たちのためにも早急にするこ
と」をするのは当然です。
しかし、その際には、本人には、社会に適応する人生と共に、LD・ADHD・ASD(自閉症と
自閉症スペクトラムの両方を含む)としての人生があり、どちらが良いとか悪いとかいう
ことではなく、本人が不利益を被らないために両方をうまく活用するための基礎を作っ
ているのだという考え方が必要です。発達障害は、克服するものではなく、共存してい
くものだからです。
 
【学童期】
幼児期には明らかな兆候が見られたけれどこの頃になると落ち着く子どももいれば、幼
児期以来の行動障害が引き続きある上に学習障害の症状が顕著に現われてくる子どもも
いれば、幼児期に見逃されこの時期に不適応を起こして発見される子どももいるでしょ
う。
幼児期に発見された子どもの場合、そのことが逆に作用して、障害障害と目くじら立て
て介入しすぎてしまい、せっかく持っていた良い面まで潰されてしまうことを警戒しな
ければならないかもしれません。
この時期の問題行動については、その原因をつきとめて適切な対応をすることが必要で
す。発達障害があるのか、そうではないのかという見極めを誤らないことは、とても大
事です。また、将来の不適応の前兆が見られる場合にも、用心するに越したことはあり
ません。
 
【思春期以降】
心理的なこと・対人関係・二次障害・人格的なことがからんできます。
また、環境が変わったり、成長と共に現われるようになる問題もあるので、この時期ま
でに療育の筋道をつけておくことも必要ですが、うまくいくことだけを考えていてはい
けません。
 
【成人後・自立をめぐる問題】
例えば、かつては、手に職をつけるという形で社会生活を送ることが可能になっていた
としても、今ではそこに“資格”の取得(当然、試験がある)が義務付けられていたり、
レポートや報告書を毎日作成するといった作業が伴うようになっていたり、売り込み・
宣伝といった経済活動や、レジ打ち・発注・発送といった事務的なことまでしなければ
ならなくなっていたりと、仕事の内容が変化してきています。
また、かつては、余計な刺激や厄介な対人関係から逃れることができる場があったの
に、今ではそれらの問題の発現を防ぐことができないような良くない環境が増えてしま
っています。そして、自分が第一で、自分を大切にしてくれる人をパートナーに選ぶ時
代になっていることは、非常に不利に働いています。
就労に当たっては、このような変化に対応することと、今までは必要を感じなかったこ
とに支援が必要になっている現状を訴えることが必要でしょう。
【構造の変化を!】
今までは、問題行動や不適応を起こしてから相談に乗ることが医療でした。就労できな
くなった人を援助することが、支援でした。
これからは、それらを予防することが産業として成り立つように、構造を変えていく必
要があると思います。
[2004/05/10 13:42:31]

お名前: 管理人   
投稿者 : pengin_  (元のメッセージ) 投稿日時 : 2003/09/04 9:47 

「どうしてできないの!」と責めるのでも、
「苦手なんだから、仕方ないよね。」と、ただ甘やかすのでもない。
 
どうすればできるか?
どこまでならできるか?
と、人が人を見ることができたなら、
きっと、特別なことはほんの少しで良くなると思うのに…。
 
こういうモノの見方をすること自体が、特別なことなのかもしれない。
[2004/05/10 13:41:51]

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