記事タイトル:軽度発達障害全般 


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テーマ: 兵隊さん歩きができない。   
恐らく、発達性協調運動障害のあるお子さんなのではないでしょうか?(注:もし、他の身体運
動に障害がなく、不器用でもないようでしたら、当てはまるとは限りません。)
私自身にも、息子にもこれがあります。基本的な運動能力は、だいたい7〜10才頃に改善するこ
とが多いため、小学校高学年頃に良くなってくることが多いものです。(と言っても、その後ス
ポーツ万能になるという意味ではありません。)

で、この障害があると、自分の身体を自分で動かすことがとても困難です。一つ一つの動作に神
経を集中し、手順を意識しながらでないとできません。
子どもの頃は特にたいへんで、足に集中すれば手はおろそかになります。息子も同じようでした
ので、まずは足だけを意識させました。手は、ぶらぶらさせていると自然にバランスを取るよう
に動くのですが、意識させるとできなくなります。
私自身が、兵隊さん歩きをマスターした時は、頭の中で「こっちの足が前の時・こっちの手が後
ろ/その時、反対側の足が後ろ・反対側の手が前」の視覚像を何度も何度も反復して、イメージ
を叩き込まなければなりませんでした。(注:左右の身体像もできていないので、「こっち」と
「あっち」でなければ、いけません。)
でも、そこにたどり着く前は、意識すればするほど手と足が一緒に動いてしまい、しまいにわけ
がわからなくなってしまいました。きっと、手と足を一緒に動かす方が、視覚的に楽だったから
だと思います。

でも、ちゃんとした歩き方をしなければいけない場面は、運動会の入場行進ぐらいだと思うの
で、それほど気にしなくてもいいように思います。
(ただ、道を歩くのに、手足の動きを考えながら真剣に歩くことはありません!←経験者は語
る。私は、つい最近、この呪縛から開放されたばかりです。)
[2002年7月8日 22時8分24秒]

テーマ: ↓の続き。   
授業なども、最初と最後の挨拶の時はしゃきっとしていないといけないけれど、「姿勢の保持」
と「人の話に注意を向けること」が同時にできない人に対しては、授業中はどちらに専念するべ
きか考えれば、おのずと優先順位は決まるでしょう?
(ただ、現状では、発達障害のない子の姿勢が全般に悪いために、一緒に指導されてしまうこと
が増えています。)

「姿勢を保持する」ことと「ご飯を食べること」が同時進行できない人に対しては、ご飯中に姿
勢を注意すると断食になってしまいますので、その辺は個々の事情に合わせて選択べきです。
[2002年7月5日 8時54分4秒]

テーマ: 姿勢の保持について。   
低緊張は主に筋力の問題で、重力に抗して姿勢を保持するのがむずかしいのです。頭の位置を正
常に保ったり、体のバランスの平衡を保つ機能と合わせて、「前庭覚」の異常だそうです。モノ
の本によると、これが覚醒水準にも影響しているとのことです。(注:緊張の調節も、筋力だけ
の問題ではなく、前庭覚の機能に由来するもののようです。)

だから、「できなくても仕方ない」と考えることもできますが、私は、姿勢を保持していなけれ
ばならない行事の時などにはきちんとできる必要があるけれど、プライベートな場面では自由に
していた方が良いと考えています。
指導する際は、“良い行動”を強化することで時と所の使い分けを教え、本人自身にもできる限
りこうなってしまう理由を教える方針です。

感覚器官と脳の働きは身体的な問題ですが、「だらしない」は別のことです。でも、社会的な場
面でその場にふさわしい行動がとれることも、本人の精神衛生のために必要なことでもあるの
で、身体的な限界に合わせてどういうスタイルで行くか決めた方が良いと思っています。(ホー
キング博士に向かって、「しゃきっとしなさい!」と言う人はいないでしょう?←ちょっと飛躍
しすぎ?)
[2002年7月5日 8時26分57秒]

テーマ: ↓の補足。   
頭の冷は方には、もちろん直接冷やす方法もあります。(ありきたりですが…。)
この場合も、「ひえぴた」のようなピタリ貼る系を好む人もいれば、それは断固拒否派もいま
す。氷をなめたり口の中でガリガリしているとおさまる系とか、氷を手に持ったりビニール袋に
入れて冷やすのがいい系とかもあるようです。
[2002年7月3日 8時49分49秒]

テーマ: 暑さに弱いことについて。   
>お迎えの車の中でなぜか「体が痛い〜。」と大騒ぎ。

これは、感覚が未分化で温覚と痛覚が混合しているために、暑さ寒さの感覚を「痛い」と感じて
しまっているように思います。



>暑いときは娘は外に出るのを拒否して
>「頭が暑い。」と半べそをかいていました。

身体の恒常性を維持するのと体温調節機能が弱いので、ちょっとした変温動物みたいなところが
あるのでは? ウチは、親子ともども(共にアスぺ)にこれがあります。特に、下半身は冷えや
すく、上半身はのぼせやすい。そして、自分の身体的な感覚に敏感なのでそれを感じやすいばか
りか、一度気にし始めるとそこに注意が集中してしまう。つまり、身体的な虚弱さから実際に動
けなくなりそれに対する過敏もある、というのが原因だと思います。
自律神経系の調節不良があってそれを感覚できずに倒れてしまうよりは、ずっとマシという考え
方もできるのではないでしょうか? もう少し大きくなって来たら、「体温調節がしにくい体だ
ということ」「それに過敏になっていること」を本人にハッキリと言って、自覚的にコントロー
ルするように教える必要も出てくるところです。
身体的なことは、成長するにつれて落ち着いてくることもありますが、私の場合は十代のうちは
全くダメでした。ウチの長男は今中二で、小学校の時と比べればいくらか良くなっていますが、
大幅な変動と暑さにはとても弱いです。(湿気が加わると、とてもダメージを受けやすくなりま
す。)

で、対処法ですが、↑で説明がつく場合には、身体的な特性に合わせて時間割を組んだり場所を
選ぶなどの環境面での配慮をすることと、身体に注意を集中させないように自己コントロールす
る方向に持って行く必要があると思います。
訓練といっても、身体的な特性なので無理は禁物です。もし、本人が受け付けるのなら、足だけ
の冷温浴や足を温めるなどの東洋医学的な手法を遊びとして取り入れて、調節機能を高めるやり
方もあります。
でも、これを毎日続けるのが大変だったら、物理的に温めたり冷やしたりして対応すると早く解
決します。これも、身体的な特性が個人個人違うので、一概に言えません。例えば、私は“冷え
のぼせ”が強いので、頭が暑くなったら足を温めると治ります。でも、ウチの長男は、皮膚感覚
派なので、外から風を当てないとダメです。
[2002年7月3日 8時17分33秒]

テーマ: 分かっているのに、゛つい゛間違った判断をしてしまう。   
きっと、根気良く観察すると、「人のどういう仕草に反応しているか」「どういう状況だとわか
らなくなるか」が見えて来ます。
それから、是非の判断が本人につかないような時は、何かのサイン(○×のマーク、指で○×を
作るなど)を取り決めたり、本人に「それは、やって良いことですか?」「今、あなたはどうす
ればいいですか?(席に戻るとか・ごめんなさいと言う、ことに自分で気づくように持って行
く)」と聞くなりして、状況が読み取れるようにしてあげれば、だんだんと分かっていくはずで
す。
[2001年11月21日 8時38分29秒]

テーマ: 母という暴力。   
「人とやりとりしたい気持ち」は、他人が植え付けて育つものではありません。
"人とやりとりすることが楽しい"ことを経験しなければ、"やりとり"はできても"楽しく"はあ
りません。
「自分の気持ちが通じて・それに応えてくれた」という実感がなければ、"やりとり"の"ふ
り"でしかありません。

それと同じように、自分の身体が生まれ持った生来の感覚知覚の特性を変えてしまう「訓練」な
んてありません。神様が作り損ねて欠けているものは、欠けたままです。
ただ、どのようにその身体と付き合って行けばいいかということを覚えられれば、それでいいん
じゃありませんか?


あまりにも早期に「診断」が下ってしまうと、いろんな「できないこと」「気になること」を指
摘されたり気づいたりしてしまうために、ちょっとしたことに大騒ぎして何とかして自分の力で
治してしまおうと思ってしまう人がいる。
子どもの心は子どもの心/子どもの身体は子どもの身体で、自分のものではないことを忘れてし
まう。これは、本当に恐ろしい。
[2001年11月7日 8時20分11秒]

テーマ: ウンチがうまくできない時。   
「おまる」でもトイレでも、座ったかっこうでウンチをしようとすると、既に座るという行動を
しているし、お尻をおろしてそこに体重をかけてしまっているので力が上手く入らない。自閉症
児なら、お尻に何かが触っている感触も余計な情報として入力されてしまっている。
それで、ウンチが出そうなタイミングをつかむのに成功しても、本人がそのための動作をするこ
とに困難がある。

ウチの長男の例。オマルに座って両手を挙げるガッツポーズの形をとらせ、「うーん!」という
掛け声とともに力を入れさせたら、うまくできるようになりました。
[2001年11月1日 20時56分55秒]

テーマ: 発達障害児のトイレットトレーニング   
まず、「おしっこがたまった・出そうだという内部感覚は、誰でも鮮明に感じているものだ。」
という前提をはずしましょう。
知覚神経が脳に「危険信号」を送り、その信号を受けて、何かの行動を起こすなり・人に伝える
なりするということができなければならない。あるいは、「おしっこをする」「ウンチをする」
という動作をするためには、身体のどの部分をどのように操作し、しかもどういう風にどこに力
を入れればそれができるのかも、自分自身の内部感覚としてつかまなければならない。(できな
い時は、視覚的な信号と結びつけたりして、感覚と運動との間がうまく連動していないところを
補わなければならない。)
この間の、どこでつまづいているのか解明しなきゃ、方策は立てられない。
[2001年10月31日 16時35分31秒]

テーマ: わざと叱られるようなことをする場合。   
まず、「叱られている/してはいけないことをやっている」ということが本人に分かっているの
でしょうか?

こういう場合の、よくあるケースを以下にあげます。
まず、叱っている時の人の顔や様子から相手(親)が怒っているということがわからず、むしろ
その表情などが面白いので、またそれを見たいと思っている。
また、誉める時の顔よりも、叱る時の顔の方が普段の時よりも変化がハッキリわかるので、それ
を求めている。
それから、誉める時よりも叱る時の方が、相手が真剣でその雰囲気が伝わって来るので、それが
楽しいと感じている。
或いは、自分の意思が上手く表現できないので、叱られることで相手を自分に注目させ、それを
コミュニケーションを取る手段だと学習してしまっている。

一般的な"叱る"という行為が、本人にとっては「やったことがその場の状況にふさわしくない」
という意味に受け取れていないのでしたら、そのことを本人に伝える方法を見つけることが先決
だと思います。
[2001年10月26日 8時1分11秒]

テーマ: 「夜驚症」と「レム睡眠関連行動障害」   
この違いについては、(医学関係の本によると)「レム睡眠関連行動障害」は夢を見ている状態
で異常行動が起きるもの、「夜驚症」はノンレム睡眠(深い睡眠)から突然覚醒する自律神経の
変化を伴う発作です。
どちらも、医学的な治療の対象にもなります。でも、基本的には日中のストレスや緊張が原因に
あるため、ただ薬を飲ませれば解決するものではないということです。

それなりに頑張っている証拠とも受け取れますが、もしかしたら"自分の気持ちをうまく表現で
きないストレス"とか"自分の気持ちを抑えこんでいるストレス"のようなものがあるのではない
でしょうか?
もし、"うまく表現できない"のなら、気持ちを表現する手段を考えたり、本人には自覚がないと
ころを第三者が代わりに言ってあげるように心掛けたりする必要がありそう。
また、"受け身になって我慢している"のなら、我慢していることを認めて誉めてあげる必要があ
りそう。
どちらも、「気持ちを受け留めてもらえた」という安心感が大切なのでは。でも、言葉かけをし
た時に、本人が抵抗する姿勢をみせることも多いので、ついつい当たらず触らずにしている事柄
かもしれません。そういう時は、言う方が仰々しかったり・しつこく追及する姿勢があって、そ
れがイヤなのかもしれない。さりげなくちょこっと言ったり、軽く肩を叩く程度の方が、良いこ
ともあります。
[2001年10月24日 9時58分16秒]

テーマ: かかわり方・あれこれ。   
注意の障害が重くて、周りの動きをほとんど見ていないタイプ。
     :ウチのAS&ADHDの長男。

他のことをしているようでいて、ちらちらと様子をうかがいながら参加するチャンスを待ってい
るタイプ。:或るカナータイプの自閉症児。

常に周りに注意を払いながら、距離を置いて参加しているタイプ。
     :或る非・定型自閉症児(受動型)。

ものすごい甘えん坊だけれど、向かっていったり追いかけたりすると逃げる。特定の人以外は、
受けつけないタイプ。
     :ウチのADHDの次男。

実際に、どういうかかわり方をしているのかを観察して、その子に合った対応をするしかないっ
てことでしょう。
[2001年10月19日 7時55分50秒]

テーマ: 言うことを聞かない。    
本人にすれば「何を言っているかわからない」とか「わかっているのにうまくできない」とか
「やりたいんだけれど時間がかかる」ということかもしれない。
[2001年10月18日 17時55分38秒]

テーマ: 関係者の意見が食い違うこと。   
専門家の先生は、それぞれ自分の立場から「唯一の真理」であるかのようなことを言うけれど、
実際に子どもを育ててくれるわけじゃない。
それに、ほんの数時間しか見ていない人は、そこで見えた様子と自分の知識と今までの経験でも
のを言うわけだから、或る面ではそういう観点でしか見ない人だからこそ見える真実をついてい
る。けれど、逆に言えば全てを見ることはできない。
どこを取ってどういう風に育てるかを選択するのは親だし、たとえ親が自分で納得できたものを
選択しても、子どもの側に受け入れる素地が無いものは徒労に終わってしまうことだってあるで
しょう。
最終的には、「やってみなけりゃわからない」ことだらけでしょうね。だから、「考える意義の
ある情報を仕入れてみるかな」ぐらいの気持ちで聞いていれば、いいんじゃないでしょうか?
[2001年10月14日 9時59分29秒]

テーマ: 善悪からの脱却(つづき)。      
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

私としては、尺度そのものを、「善悪」ではなく「できる・できない」「わかる・わからない」
に変えるようにしたいというところです。
「できない」は「できる」になるように、「わからない」は「わかる」になるようにしていけ
ばいい。「どうしてもできない」「どうしてもわからない」は、"できないから・わからない"
から"こうしてみたらどうだろう"という方向に発想を変えて欲しいのです。

ウチも、学校で『失敗は成功の元』なんていう言葉を覚えてくると、一時的に自力で本人が自
分で前向きになることもあるのですが、状態が悪いと長男・次男ともに「ボクは世界で一番悪
い子だ」と言い出します。(現在は、二人とも運動会などのプレッシャーでイライラしている
ため、なるべく接触させないようにしています。)

ウチの場合はどちらも言葉は通じるので、"いけない事をしたとき"は、"やったこと・言ったこ
と"は「今やることではない」とか「人に対して失礼」だとか「そう思われたら困るようなひど
いことを言っている」という風に説明できます。
でも、かつては「良い子でも悪い子でもない⇒今やることと違うことをやっている⇒今は何の
時間だった?・今はどうしなければならなかった?」という風に、主題をずらしていた時期が
ありました。(でも、この手段を使う場合は、時間・空間をある程度構造化して"今やること"
を明白にしている必要があると思います。それは、それぞれのお宅の事情がありますので、本
人にわかりやすい言い方を見つけられないでしょうか?)
・・・「善悪」から離れさせることは、私にとっては執念なので…。

※ウチの場合は幼児期に告知しているので、「自閉症」やADHDの説明も同時にできます。
[2001年9月12日 8時36分40秒]

テーマ: 自己否定。    
>やっぱりまず誉めてあげる事を増やしていくしかないのかな…。

コミュニケーションが成立している場合(ADHD児や二者間関係の成立している「自閉症」
児)と、そうでない場合(言葉の有無にかかわりなく完全に自己閉塞状態にある「自閉症」児)
とでは違うと思います。
これは、我慢ができたことや自分で工夫することを「誉められる」ことで自信に直結できるか、
実質的なコミュニケーションが取れていないのでいくら誉められても「自分が自分自身の裁判
官/自分で決めた事にしか従わない」状態にあるかの違いでしょう。
[2001年9月11日 10時20分47秒]

テーマ: 欲求不満耐性の問題。   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

発達障害児が、自分の思うように事が運ばなくて納得できないでいる時、できる限りの妥協策
や代替手段をこうじて、不満を残さないようにすることは大事です。(本人が、本当に納得し
て機嫌を直すまで私は粘ります。)
でも、おとなしいタイプでない場合(いわゆる、多動があったり他害傾向がある場合:男子に
多い)では、欲求不満耐性が低いことも往々にしてあります。いくら本人の気持ちだからといっ
て、「我慢することがいや」「やりたくないことはやりたくない」というところに周囲が負け
てしまうと、最終的に苦しむようになるのは本人だということも考慮しないといけないことが
あります。

特にADHD児には、わからないからできない・能力的に無理という以上に、「我慢すること
ができない」ことが大きいので、これはこれで発達課題の一つとして向き合わないといけない
場面も多いと思います。
[2001年9月11日 9時55分34秒]

テーマ: 善悪からの脱却。   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

ADHDでも「自閉症」でも、良いか悪いかの選択で納得させることは最小限に留めた方が良
いと思います。(何かのルールをお勉強している時は別ですが。)
それは、かつて「発達障害」というものが全く知られていなかった時代の発想と同じで、往々
にして"悪い"と解釈されるような行動をしたり発言をしてしまうことが多く、そういうことを
している自分が悪い⇒自分は悪い子という発想に繋がりますから。(それが、自己否定の始ま
り。)
[2001年9月10日 21時4分31秒]

テーマ: {幼稚園の年中〜小学校入学直前}にひとやま越えること。   
発達障害(特に、言葉や行動の障害)のある子どもは、幼稚園の年中〜小学校入学直前の時期
に、"自分がみんなと違う・同じにできない"ことに気づいて悩むことがあります。
というのは、この頃から自分と周囲との違いに気がつくこともあるけれど、そろそろ"赤ちゃん"
みたいなことが許されなくなるし、「お兄さん・お姉さんらしい行動」を要求されたり、文字の
学習などが始まるというのが、第一。
そして、「発達が遅れているだけで、いつか追いつく」という希望的観測が持てなくなるほど
"違い"がハッキリしてくるからでしょう。

でも、その時に、「自分には自分なりの課題があって、それを一つ一つクリアーしていけばい
いんだ」と言って支えてあげることができれば、親子の愛着・信頼関係もできるし本人も安心
します。(幼児期に「診断」がつくメリットです。)
[2001年8月30日 22時54分32秒]

お名前: ペンギン   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

「ADHDと幼い子ども」は、動く物や光る物には何でも興味を持って見る。
「自閉症児」は、『動き』や『光』に魅入る。
[2001年1月18日 7時46分14秒]

お名前: ペンギン   
−長男の小1時点での生活指導−

1、注意の転動。
   ○時間と場所による区切りを明確にする・何かをする時には関係のない物を片付ける等、
    生活全体を構造化する。
2、抑制困難(我慢できない)。←時間・順序・見通しがわからない。
   ○前振りを長くすると不安になるので、なるべく直前に言う。
   ○これから起こることを、分かりやすく順を追って説明する。その時に、自分は何をす
    ればいいか、具体的に指示する。
   ○やることを少なめにする。

3、言葉の問題。(聴覚系の失認による、「読字障害」。)
   ○「伝言ゲーム」「おもしろ言葉」「なぞなぞあそび」などを利用して、再聴覚化(聞
    いたことを思い出す)の練習。 
   ○そのものだけを名詞的に認知しているため、位置関係・前後関係・因果関係が全く分
    からなかったので、外国人のための『日本語文法』の教科書を教材にする。
   ○経験したことを言語化できるようにするために、一緒に活動した後で「日記」を書か
    せる。(自分が一緒に体験しているので、作文のためのヒントを与えることができる。)
   ○「マカトン法」を応用して、本人に意味がわかっている記号を掲示しながら言葉で指
    示する。 
[2001年1月9日 15時22分41秒]

お名前: ペンギン   
−長男が小1の時にやっていた「訓練」プログラム−

聴覚:聴力に問題はないが、自分に対する指示として注意することができない。
   聞くことに集中させると、疲れる。
    ⇒[音を追いかける訓練]目隠しをして、好きな音を追いかける。
    ⇒[鈴入りボール]鈴の入っているボール(ひとつ)と入っていないボール(複数)を
            同時に投げ、鈴の入っているボールだけを追いかける。

視覚:何かを見た瞬間に、反射的に行動してしまう。
    ⇒時と場合によっては、単純にやめさせる。
   見えているものに過剰に反応する。
    ⇒見せない・目をつぶらせる。
   どこかで見て来たものを、そのまま正確に玩具などを使って再現しようとする。
    ⇒時間制限をするけれど、基本的にやりたいようにやらせる。
     終わりの時間がきても執着が強すぎてやめられない場合は、10数える。
     同時に、経験した内容を「言語化」するようにしむける。
   部分しか見ていないので、輪郭をとらえてられない。
    ⇒[同じ形を探すゲーム]

触覚:異常に敏感/聴覚に注意が向かない分、視覚と触覚が過敏になっている。
    ⇒タオルを噛む・タオルにくるまる。全身をいろんなものでこする。
    ⇒マットでグルグル巻き。

身体:しかし、一方で、空間や身体を把握できていない。
 (自分の体と外界の境目が分からないので、触覚で確かめようとして動いてしまうのが、多動の原因。)
    ⇒[フラフープ]自分の手足の位置・伸ばすとどこまで広がるか、視覚的に把握させる。
           どれくらいの大きさならくぐれるか。(トンネルでもやった。)
           ※説明するのに、「自分のまわりの輪」という表現を使う。
     [ダンボール箱]どれくらいの大きさなら入れるか。
     [自分の大きさ]紙の上に寝かして体の輪郭をとり、自分の大きさを自分の目で見る。
中心・左右:全体的にクネクネしていて、背骨の中心線が定まっていない。
       ⇒[スイスイスイミング]という玩具を使って、両腕を回しながら姿勢を保持す
                  る練習をする。
      左右が分からない。
       ⇒[みぎ・ひだり]指示に従って動く練習。ラジオ体操で動作分解。

前庭覚:回転・上下の動きを好む。
     ⇒[ハンモック・ブランコ]で、クルクル回す。
     ⇒[トランポリン]を課題達成のご褒美にして、好きなだけやらせる。

原始反射:ヒコーキの体位がとれない。
      ⇒[スケートボード]に乗せて、ヒコーキ(当時、恐竜が好きだったので、プテラ
               ノドンと呼んでいた)の体位をとらせる。
     しがみつくことが困難。
      ⇒[特大サイズのぬいぐるみ・ゴム製の恐竜]に、落ちないようにしがみつかせる。
[2001年1月9日 15時1分35秒]

お名前: ペンギン   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】
−自閉症児が走り回ることについて−

ウチには軽度のアスペと重度のADHDが重複したのが一人と、典型的な普通のADHD児が
一人います。
後者の方の動きは単なる過活動といった感じでしたが、アスペが入っている方は、空間を見た
らとたんに全速力で走りました。つまり、長い廊下があれば一番奥まで、広い公園は端から端
まで、円形の散歩道は何度も何度もぐるぐると、疲れるまで走りました。

>(それをしなくなったのは)我慢しているんでしょうか?
感覚器官と運動神経の発達のアンバランスが、修正されたからでしょう。
つまり、何かの視覚的な情報に対して、一定の反射的な行動をしなくなる。それから、行動そ
のものの全身的な統制が取れてくる。(ただ、「走る」ためだけに「走る」という行動をしな
くなるということ。)
[2001年1月9日 9時20分12秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラタウンの掲示板からの転写】
−ADHDと自閉症の診断を明確にする必要性について−

ただ、問題になるのは、人間がADHDの人のADHDは、中身は普通の人だからADHDの
注意と衝動性への対策をすれば良い。
けれど、人間が自閉症でADHDを重複して持っている人には、モノの感じ方や考え方の構造
が少し違っているので、普通なら教えなくてもわかっていることこそ教えなければならないと
いうこと。
それから、両者を識別するのは、医者や療育者にとっては必要ですが、本人の意識の中で分け
ることは不可能だし、その必要もないと思いますが…。

[補足]
何故かというと、医者は処方する薬を選ばなければならない。療育者は、本人に何をどう教え
るべきか見抜かなければならないから。
一番の問題は、多動−転動なのか、衝動性なのか、強迫性なのかというところを押さえないこ
とには、実効性が薄くなるということ。
[2000年12月30日 15時23分32秒]

お名前: ペンギン   
−幼児期〜学童期前半の問題行動への対応−

1、"しつけのなっていない子ども"のような振る舞いをする子どもの中には、過保護でワガマ
 マな場合・過干渉でストレスを発散している場合・自分の社会的な位置を読んで相手によっ
 て態度を変えるのが上手い場合・発達障害がある場合があります。
2、このうち、発達障害がある場合は、何らかの認知障害や運動能力の障害や注意の障害や興
 味関心の偏向がその根底にあることがほとんどです。
3、まず大切なのは、正確な診断をすること。困っているのは本人なので、どこにどういう障
 害があって、何をどう教えれば良いかを知ることです。
4、そういう子どもたちの行動を責めたり失敗を叱ることは、何の意味もありません。また、
 発達障害のない場合の理屈で解釈することは、たとえ表面上は普通に振る舞えるようになっ
 たとしても、それは調教と同じことで恐怖によって本人を追い込んでいるだけです。
5、障害があるために"できないこと"は、少しでも負担が軽くなるように補助してあげて、発
 達の時期と成長を待ちます。遅れている部分で、みんなと一緒のレベルに横並びすることを
 要求しないで下さい。
6、"わからないこと""できないこと""困っていること"を理解することで、安心できる心の基
 地ができ、しっかりとした信頼関係を形成することができます。その為には、その子が持っ
 ている「障害」の内容を良く知ることです。しかしそれは決して、診断名を知ることと同じ
 ではありません、その「子」がどういう子どもかを知ることです。
7、そして、目先のことだけではなく、成人後を見越して、キッチリとした「生活」の枠組を
 作ってそれを守ること、"こういう子"だから「何を言ってもわからない」「何をやっても無
 駄」「好きにさせてあげることが個性をのばすことだ」と諦めて放置しないこと。(最終的
 には、社会に出るということを忘れない。学校は社会生活に必要なスキルを身に付けるとこ
 ろであり、家庭は生きる意欲の源と自信をつける場であることを忘れない。)
8、社会的に逸脱した行為をした時は、その行為そのものは断固として許さないこと。ただし、
 どうしてそういう行為をしてしまったかという理由(障害に基づく)をしっかり説明して、
 本人自身を責めないこと。
9、障害の性質上、制限を加えることも必要。
 ・暴力的で残虐なシーンのあるゲームや映画、衝撃映像などは、興奮しやすい子どもには
  無制限に見せてはいけない。(もし見せる場合には、必ず誰かが一緒について解説したり
  注釈を加えたりすること。
 ・衝動性が強い子どもが、ストレス耐性がなくて騒いだからといって、決して妥協しない。
 ・強迫的に固執しやすい子どもは、どういう性質のものに固執しやすいか観察して、それと
  同じ刺激で矯正してあげること。つまり、音声に反応しているのならば音声で打ち消して
  あげる。しかし、むやみに否定しないで、条件を付けたりより柔軟なものに変えていく。
10、これらのことは、幼児期から取り組むのが最も容易なので、できるだけ早い内に「障害」
 に気づいてあげて下さい。でももし、発見が遅れても、根気良く1から順に始めて下さい。
 それから、何らかの脳の機能の障害が根底にあるので、薬物療法を併用することも必要です。
[2000年12月27日 23時10分22秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】

自閉症かADHDかを識別するのは、その子がいろいろな場面でどういう行動をとり・どうい
う風に人と係わっているかということなので、「言葉」で語れるものではありません。
それから、「認知障害」と「言語障害」は、自閉症に随伴しやすい症状の一つであって、それ
だけで自閉症を定義しようとするのは誤まりです。
だから、それを判定するのは、何人ものありとあらゆるパターンの自閉症児・者を見て自閉症
の行動特徴をつかむ訓練をした人が、実際に会って見ないとわかりません。(一番違うのは、
目つき・顔の表情・身体の動きですから。)
※「目つき」というのは、視線回避のことではありません。目の周りに自閉の面影が残るので
 す。それから、顔の表情筋が動かない。そういうことです。

しかし、それのできる医者があまりにも少ないのに、子ども方はどんどん成長してしまう。そ
れでは手遅れになってしまうので、対処療法的に使ってみて効果のあるものならば何でも使う
しかないということです。

それでも、どちらか知りたいというのなら、TEACCHの自閉症判定法であるCARSの基準に当て
はめてみると一番判りやすいです。
で、TEACCHはアメリカ流に「自閉症」と「アスペルガー症候群」と「非定型自閉症」を明確に
分けるので、合計点数が30点以上を「狭義の自閉症」としますが、だからといって点数が低
いから何の問題も無いとは言いません。何らかの形の「広義の自閉症」であるとします。
CARSの項目はとても具体的に書かれているので、ADHDだけの子どもはほとんど当てはまってい
ないのですが、文字面だけで曲解しようと思えばできないこともありません。

というわけで、自閉症と診断された人とADHDと診断された人の実物を見て解説することは出来
ますが、ぜーんぜん見たことのない人について「言葉」でどちらか決めるのは、キケンです。

ついでに、CARSでみると、「自閉症」と一口に言ってもそのプロフィールは人それぞれてんで
バラバラで、項目別に何が重くて何が軽いかを知ることができます。

参考図書:『自閉症の治療教育プログラム』ぶどう社
     『自閉症のひとたちへの援助システム』 朝日新聞厚生文化事業団
     『自閉症の診断と療育』(内山先生の講演会記録)
                        神奈川県自閉症児・者親の会連合会
       ※自閉症児のとる行動や発言の具体的な例が分かりやすく挙げられています。
[2000年12月15日 7時49分32秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】

「障害」という文字がつくと、とっても深刻に受け止め過ぎる傾向があるので、それほど心配
しないで「そういう人〜♪」として気楽に付き合ってくださーい!
とにかく、そういう「障害」があるので「悪い子」でも「だらしない」のでも「わざとやって
いる」のでも「ふざけている」のでもなく、一番困っていて・助けて欲しいと思っているのは
「本人」なのだということが分かれば、問題の半分は解消しているのですから!

基本的に、発達障害児には「何かを教えること」よりも、ごく普通に生活しながら、障害があ
るなりに"ごく普通に生活できる"人になれるような「土台を作ってあげる」ことが大事なんだ
と思います。
[2000年12月10日 23時24分45秒]

お名前: ペンギン   
発達障害児全般に必要なこと。

1、発達に遅れがあったり、能力のバラツキがあって普通と違う発達の仕方をしていることを
  認めること。
2、普通と同じように、学習指導要領に沿った方法で、同じに出来なくて当然だということ。
3、性急な結果を求めず、今・必要な・スモールステップを飛ばさないこと。
[2000年12月10日 17時53分18秒]

お名前: ペンギン   
最初から最後まで理解のある先生に恵まれて、6年生になった現在ではいちおう一人前にやっ
ている長男の、小学校入学時の様子。(IQ=80ぐらいです。)

・ひらがなの自分の名前が読めるようになったのと、1から10まで続けて言えるようになっ
 たのは、入学一ヶ月前のこと。
・入学式の前の一週間、毎朝、学校に行くように間に合うように起こし学校に通う練習をした。
・片道45分の道のりを、帰りはとっても歩いて帰れそうになかったので、毎日迎えに行った。
・帰りの支度は全くできない。ボケ〜ッと突っ立っているだけだったので、私が全部やって、
 先生にその日の様子を聞いてから自転車に乗せて帰る。
・授業時間中は、ボーッと立って常同行動をしたり、チックをしたりしていた。

このクラスには、もう一人カナー・タイプの自閉症児がいて(当時、まだ人と会話出来なかっ
た)、この子は授業中にフラフラと出歩いては校内を徘徊していた。それに対して、担任の先
生は、「○○君捜索班」を作る。自分が探しに行くと、授業が成り立たなくなるため。

長男の現在があるのは、この先生の素晴らしい対応のお陰です。

また、この先生が教職員全員に"こういう子"がいることを徹底的に周知させてくれたため、以
後、ずっと引継いでくれています。(お陰で、ADHDの次男は、"こういう子"がいて当たり
前という空気の中で迎えられました。次男も、1年生の一学期は、ほとんど職員室で過ごしま
した。)
[2000年12月9日 15時30分28秒]

お名前: ペンギン   
長男を「やる気」にさせるキッカケとなった本は、『君ならどうする』(日本文化科学社)。
「一番困っているのは、本人なのだ」という部分を読んだ時、泣いていた。
[2000年12月9日 14時47分31秒]

お名前: ペンギン   
【困ったさんの洞穴からの転写】−アスペとADHD−

「理屈」を教えると、アスペの長男は喜ぶ。
でも、ADHDの次男には「もう、わかったから、やめて!」と言われる。
「理屈」が判ると、アスペの長男は何とかしてその通りにしようとしてパニックになる。
けれど、ADHDの次男には「理屈が分かっても、出来ていなければ知らないのと同じだ!」
と言わなければ、やろうとさえしない。

能力的に無理なことを回避しようとする時、アスペの長男はあからさまにパニックになるか、
決り文句の言い訳をするかのどちらか。でも、これがまた、状況に合っていなかったりする。
それで、その不適切さを指摘される。
しかし、こういう時、次男の方は、どう言えば先生の心情に訴えられるか計算して、理由を
使い分けている。それで、いとも簡単に目的を達成している。・・・恐るべし!

今日は、朝から二人ともバッチリと手綱を引き締め、30分前にはリタリン飲ませて行かせ
たので、子供会の奉仕活動の掃除を喧嘩もしないでちゃんとやっていた。
長男の方は、最近「自閉症」が目立っているので、「掃除の時間は掃除をする」と思ってし
っかりやれるようになったのは良いのだが、遊んでいる次男を注意する言い方が悪いのと次
男の方はADHDで「今・何を・すべきか」分からないところを叱られて喧嘩になる、とい
うのが今までのパターンだった。
それが、今日は、次男が真面目に掃除しているのと、長男が余計なお世話をしなくなって、
平和を保っていた。
長男は、次男が私に叱られているのを見て、それは親子関係・療育関係にあるからやってい
ることだって分からないのと、「何を・どう・注意されている」か分からないまま、状況を
つかんでいないままに、サル真似で叱るからいけないのだ。(「自閉症」だからね。)

私はよく、「注意」が何かに集中しすぎてしまって自分のやるべき日常的な仕事を忘れて
しまう。これは「自閉性障害」の注意の問題なのだが、それを防止する為にカードを作っ
てラミネートしたものを、必ず通りかかったり何かをする為に立ち寄って目につく場所に
置いてある。
それを見た次男は、やっと自分の思っていることを文字に変換(といっても、鏡文字がや
たら多く、大きさもバラバラ)できるようになったので、真似してカードを作って自分の
席に置いている。これは、もちろん、ADHDで自分のやることを忘れるのを防止する為
である。しかし、このこと自体を手順として構造化してやる必要はない。さすがだ!

長男は「ボクは自閉症だけど、ADHDが邪魔なんだ」って、しょっちゅう言っている。
それを聞いて次男は、「ボクはADHDだけど学習障害が邪魔なんだ」って言う。
確かに、同じ小1の時点で比べれば、長男の悲惨さは次男の比ではない。
しかし、次男は自閉がない分、自分の遅れ具合がハッキリと自覚されるので、なお辛いのだ。
昨日も、「どうしてみんな、ボクの事をバカって言うの?」って聞いて来た。
「そりゃあ、授業中に堂々とお絵描きしたり工作していたりすれば、言われるだろう。普通の
人は、いくら授業が分からなくても"聞いてるふり"ぐらいはするものだ。」と答えたら、どう
やら最近、少しは「分かるようになりたい」「追いつきたい」という意欲のようなものは芽生
えて来ているようなことを言っていた。
それから「みんなが嫌がるようなクダラナイこと」をやっているのに、ウケテいると思ってい
ることもあるし、自分に思慮分別がないので「倫理的に間違ったこと」をしているのを、みん
なが面白がって追従しているのに気づいていないこともある。
でも、自分で自分に向って「ボクはバカだ」と言うのだけは、断固としてやめさせた。こっち
も真剣だから、本気でひっぱたいた事もある。セルフ・エスティーム(自己評価)を低下させ
ることだけは、絶対に防ぐ。

長男は、集中すると言葉数が多くなる。自分のやっていることを、逐一実況中継するからだ。
次男は、集中すると足をバタバタさせる。

小学校3年生ぐらいまでの学力がつけばいいと思っていた長男が、いま、小6の勉強について
いってる。
一方、次男の方は、1年生の終わりまでに身の回りの持ち物の管理が出来るようになることが
目標。
どっちにしても、小学校低学年での遅れには、じっくり付き合った方が予後が良い。これ真実。

昨日、校内マラソン大会があった。
50番以内が目標と言っていた次男は、なんと18番だった。
ゴールで渡された紙を見て、「僕、18点とった!」だと。
で、その紙はどうしたのかと聞いたら、「取られた」「代わりにサイコロキャラメルくれた」
だって。
まさしく、模範的なLDのモノの考え方だ。
これだから、本当に「できないこと」の多かった長男の方が楽なのだ。
これでは、「できる」のに「やらない」、ただの「考え方のひねくれた」子どもだ。
[2000年12月9日 7時53分52秒]

お名前: ペンギン   
−発達障害全般に言えること−

知能(下位項目の凸凹含む)・知覚・注意・身体・認知といった、インプットの次元に障害
があるのを無視して、言語や行動というアウトプットの問題だけを強制的に調整しようとし
てしまうことが、そもそもの間違い。
[2000年12月8日 17時20分46秒]

お名前: ペンギン   
診断で、自閉症(アスペルガー症候群・広汎性発達障害含む)・ADHD・LDと言われた場
合、いったいどれなのかという問いに対して。

一番の土台に「自閉性障害」があり、それは加齢とともにマイルドな状態へと変わって行く。
そこに「注意の障害」があり、それが自閉症の注意の障害だけではなく、ADHDの診断基準
も満たしている。
で、ここまでは≪そういう人≫で≪そういう行動特性≫を持っているということ。

LDは、厳密に言うとADHDに随伴するものだけれど、自閉性障害特有の学習困難もあり、
その辺の識別はできない。
で、これは、上記の人が学習上の障害を併せ持っているということ。

※LDの診断については、さまざまな流派がある。↑のような状態全般を指してLDとする考
 え方をする人もいる。何らかの学習上の困難が見られれば、そう 診断する人もいるし、自
 閉症の学習困難は「自閉症」であってLDではないと言う人もいる。
※また、どんなに軽微なものでも「自閉性障害」があれば「自閉症」と呼ぶ人の中でも、ADHD
 の重複を認める人と併記しないという人がいる。
※ADHDの症状は目立つので、比較的容易に診断されるけれど、ごく軽度の「自閉性障害」
 が見逃されてしまうこともあるし、多少の自閉傾向はあってもADHDを主症状とみなして
 「自閉性障害」を認めないか「自閉傾向のあるADHD」という言い方をする人もいる。
[2000年12月7日 19時7分29秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの星空掲示板からの転写】

脳のどういう部分が原因となっているかは判らないけれど、根本的な「障害」があって≪そう
いう人〜♪≫がいる。だから、ADHDの人の行動はADHDだし、「自閉症」の人の行動は
「自閉症」。でも、判別の決め手は非常に身体的な特徴をつかめるかどうかだったりするので
す。
「行動」を文字で表わしてしまうと、それぞれみんな自分の知ってる範囲で「あのことだ!」
と思ってしまうから、本やインターネットの文字情報だけではどっちがどっちだか判らないん
です。
でも、≪そういう人〜♪≫を理解するために、「使えるものは何でも使えば〜あ」(←クレヨ
ンしんちゃんの声で言うべし♪)ってところでしょうね!?
[2000年12月7日 18時6分24秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの星空掲示板からの転写】

「自閉症」にADHDが重複していると、以下のような特徴があります。
【ウチの長男の場合。】

ADHDの「注意の転動性」で目的に添った系統だった行動が完遂できないところに、「自閉
症」の状況認知の弱さが加わって、全く何をしていいかわからなくなりパニック状態になる。
ADHDの「多動−衝動性」で興奮状態に陥った時の行動の奇妙さが、「自閉症」があるため
に極端に暴走して生半可でなくなる。


逆に、視線回避やこだわりや言葉の遅れなどがあって、行動上は「自閉症」的に見えてしまう
場合。
【ウチの次男:生まれた時から「自閉症」児&者に囲まれて学習させられてしまった面もある】
ADHDの「注意の転動性」で、やることがどんどん変わって行くけれど、指摘されると容易
に続きから始められる。
ADHDの「多動−衝動性」で興奮状態になっても、乱暴&ヒワイになるだけで、人格的な崩
れはみられない。
それから「こだわり」といっても、感覚的な常動行動や身体的な幻奇的行動はみられないし、
パターン化もしない。ただ、認知の遅れがあるのと論理的な思考が苦手なので、興味の対象が
一時的に限られているだけ。出来ることが少ないだけでなく、精神的な負荷を伴う持続的な努
力を避けたがる、一方、興味があって出来る事になら「注意」を集中できる。
それだけなんです。
[2000年12月7日 18時2分9秒]

お名前: ペンギン   
1、ADHDや高機能自閉症などの障害のある子どもは、親の持っている理想や常識の押し付
  けを悉く拒否するような行動をする。
2、しかし、親が子どもを"こうしよう"とするのをやめて、その子が「いったい何をしようと
  しているのか?」「どういうつまずきがあって、そういう行動をしてしまうのか?」とい
  う観点に立つようになると、子どもの方は「自分が理解されている」「自分を守ってくれ
  ている」という信頼関係が生まれる。
3、そうすると、「愛着対象者を悲しませたくない・困らせたくない」という気持ちが起こっ
  て、問題行動が沈静化していく。
4、それに対して、(障害があるという捉え方をせずに)問題行動を起こす度に叱られたり責
  められたりして育つと、逆の方向に向うので反抗挑戦性障害や行為障害に発展させてしま
  う可能性が高くなる。
5、障害のない一般の児童も、親が本当にその子のことを見ないで、自分の理想や社会の常識
  を押しつけると、同じようなことが起きる。どちらも、親がどんなに子どもに愛情を注い
  でいると自己満足していても、当の子ども自身が「理解されていない」「信頼されていな
  い」「愛されていない」と感じているという意味で、同じ問題である。
6、見捨てられ不安の強い子は、先生や親の前でだけ"いい子"にしていて、点数がつかないと
  ころでそのストレスを発散していることがある。或いは、どうせ愛されていないという思
  いから、逆に困らせる行動ばかりするようになる子どももいる。また、何を言っても親が
  自分の言いなりになっていると、どこまで許容されるか試すという形で愛情を確認しよう
  としたりもする。
7、子どもに道徳的な行動や善悪の知識をいくら教えても、子どもはそういう知識で行動する
  のではないので、まずはきっちりそういう信頼関係を作ることを抜きにしてはならない。
[2000年12月7日 14時49分10秒]

お名前: ペンギン   
【○○アスペの会】の方々へ、お詫びです。

>あまり競争心がないけど、うまくできたときに大袈裟に誉めると、やっぱりやる気を出すよ
 うです。わざと負けてあげて、「すごいなあ。」とほめると、結構練習したりして。

ちゃんと診断されている今の子供たちは愛着もできているし、親もどうすれば良いか知って
います。発達性協調運動障害のことも分かっているし、学校のカリキュラムや先生の態度も
違います。
だから、何かが出来るようになって誉められたらちゃんと喜ぶことが出来る子供たちだと思
います。いや、そういう子供にして欲しいです。
[2000年12月7日 14時28分53秒]

お名前: ペンギン   
【7月9日の「○○アスペの会」のフォロー】
「運動関係のことで強制されて、一回だけ出来てもウレシクなかった」と言ったことの補足。

「発達性協調運動障害」の通過点を過ぎる前の段階で、発達上の遅れやアンバランスがあって
能力的に追いついていないのにたった一回だけ・形だけ出来て合格点をもらっても、ウレシク
ないということです。
その時に、その時点での正当な到達点(スモール・ステップ)を示されて、時期が来るのを待
ってくれていたのなら、きっと小さな喜びを積み重ねる「大きな喜び」を覚えることが出来た
だろうと、今にして思います。
[2000年12月7日 14時24分13秒]

お名前: ペンギン   
最近、次男の勉強を教えていて、長男の時は「こんなもんじゃなかった」ことを思い出す。
読み:まず一字一字の音を覚えるところから始まり、音の変換が出来ても繋げられないので単
   語としての意味が分からない。そもそも、名詞の羅列しかできていなかった期間が長か
   ったので、文章というもとはどういうものかというところから教えなければならなかっ
   た。当然、動詞の意味が分からないどころか、動作をしている人の絵を見せて何をして
   いるのか覚えさせなければならなかった。
書き:まず、線を書く練習、そして線を識別する訓練が必要だった。なにしろ、曲線を直線的
   に認知していたばかりでなく、分かっていても運筆ができない。しかも、字を書くのに
   腕を宙に浮かせて肩関節から動かしていたのだ。まず、肘をつけるようにさせた。手首
   が動かないのは仕方ないから、前腕部全体を動かして書く練習をした。
計算:数えることさえできなかった。だって、一対一対応ができてないのだから。だいたい、
   1から10まで数唱できるようになったのが小学校入学十日前。絵を見て数える指の動き
   と口の動きが全く別。当然、数の保存性から数の概念から、ここは全く知的障害児とし
   ての対応だった。
注意:当時、長男が何かに注意を向けていられる時間は1〜2秒だった。当然、じっと座って
   いられるはずがない。すべてのことは手順を構造化して教えなければ、今そして次に何
   をすべきか全く分からない。そして、ようやく理解したり絵文字を見ることができるよ
   うになったとしても、注意のスパンがあまりにも短くて指示なしにはできなかった。
   (そういえば、まだ世の中を名詞の集合体としてしか認知していなかった時期に、人の
   発する言葉には何かの行動を指示する言葉もあることを理解させたのも、本人が意味を
   知っている物を使った絵文字だった。)

学校は、行って一日楽しく過ごせればよかった。帰りの支度だって、ボケ〜ッと突っ立ってい
るだけだったから、先生との連絡かたがた毎日行って私がやった。
毎日、家では感覚統合訓練をした。それから、「人の言った言葉に注意を向けること」と「人
の言った言葉の音を覚えさせること」も訓練した。いろんな色や形をした折り紙を壁に貼って
「○色で○形を持って来なさい」から始めて、種類をだんだん増やしていったり取りに行く距
離を長くしていった。なぞなぞも、伝言ゲームもやった。
そして、人と人が話をしている時には、空間に見えない線があるのだからそこに割りこんでは
いけないこと。それから、人に話しかけて良い時と悪い時があること、状況によって言って良
いことと悪いことがあること。
[2000年12月7日 14時5分18秒]

お名前: ペンギン   
「軽度」:知的障害があるかないかという意味と、「自閉症」として軽いか重いかという意味。
      ※私は、知的障害がないという意味でも「自閉症」の程度という意味でも「軽度」
       になる。この点については、長男も同じ。
      ※しかし、診断基準ではIQ70で区切るので、IQが正常範囲に満たない知的
       ボーダーであっても、診断基準上では知的障害がないことになる。長男の場合
       は、確かに基準上は知的障害がないことになるが、知的ボーダーの範囲になる。

「高機能」:同じ「自閉症」でも、IQ70を境目に、「高/中・低」とに分けられる。
      ※私も長男も、いちおう「高機能・自閉症」に入る。しかし、同じ「高機能」で
       も、私は知能が正常範囲にあるけれど、長男は正常範囲ではなくボーダー圏に
       属する。
      ※一口に「高機能・自閉症」と言っても、学習困難があるとないとでは、臨床像
       も問題点や悩みも違ってくる。

「境界線」:知的ボーダーを指す場合と、「自閉症」の「診断」が下るほどの社会生活上の困
      難があるかどうかの境目という意味。
      ※一般に「境界線」児という場合、LDだろうとADHDだろうと「自閉症」だ
       ろうとそういう「障害」がなかろうと、すべてこう呼ばれる。長男は、この意
       味でも、堂々とそう呼んで差し支えない。次男も、ここに含まれる。
      ※私の場合は、そういう意味の「境界線」では全くない。(IQはちゃんと調べ
       ていないけれど、標準以上であることは確か。)しかし、「自閉性障害」が認
       められるか否かという意味では、「自閉症」が残遺しているタイプではないの
       と身辺自立という面での障害がないので、「人格障害」や「健常」との識別が
       難しいという意味の「境界」の内側になる。
[2000年12月7日 14時2分39秒]

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