記事タイトル:自閉症関連 


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テーマ: つづき。   
■電車や虫に興味が集中しすぎる自閉症男児■

これが、男の子によく見られるものの度を越したものと見ることもできる。それに、こういう極
限した興味が、研究者の道に発展したりオタクになれるかというと、そうとも限らない。
というのは、ただ視覚的な刺激を求めているだけのことがあるから。じっと見ているのは、視覚
に鈍感なところがあって強い刺激でないと満足できない、繰り返しや連続を追っているなどの理
由があるだろう。動くものへの条件反射が強すぎることが、収集癖の原因だったりもする。
[2002年7月14日 22時4分29秒]

テーマ: いろいろまとめて。   
■算数の文章題ができない■

○文章を絵にして説明することで理解できれば、視覚化する方法が有効。或いは、人形などを使
 って説明してみてもよい。 
○国語力に問題がある場合は算数だけでは解決しないので、国語の発達レベルを把握すること。
○遣り取りの方向性(=視点の切り替え/複数の人が登場していること)が分かっていないの 
 か、助詞の用法が理解できていないのかによっても、発達課題が違う。
○日常の買い物場面で使えているか、確認すること。場合によっては、教科としてできなくて 
 も、生活課題としてできることを重視する方針に切り替えることが必要になってくる。


■注意の障害が重い場合■

○リマインダーを自分で使えない場合は、監督が必要。
○指示を出してできれば良いという段階から始めて、リマインダーに自分から注意を向けなれれ
 ば良い、指示なしでも自分からできるというように一つずつステップアップして行く。
○少しのことでも、できるようになったことは必ず評価する。既にできていることと、一番の課
 題との両方を評価の対象にする。
○家庭だけ、学校だけでするのではなく、基本方針を統一した上で評価をすること。学校での課
 題・家庭での課題を別々にするのではなく、両者で話し合って本人自身にとっての重点目標を
 一日の生活の流れの中で提示すること。
○一度にたくさん要求しないこと。


■クーラー・服のこだわり■
○暑さ寒さの感覚に問題があり、暑さ寒さが自分自身では分かっていないことがある。
○温度調節よりも、皮膚感覚を満足させることが優先していることがある。
○温度と、服や空調機器の温度調節することとの関係が分かっていない場合には、温度計などで
 温度を視覚的に分かるようにすることが必要。
○服の選択も、温度変化が分からない場合と、変更ができない場合との両方がある。
○暑さ寒さが分かってやっている場合は、行動がパターン化していたり儀式的行動をしていると
 見る。


■思春期以降の問題■
○思春期パニックは、単に自分の意思がでてきてそれを貫こうとしている場合と、自分の意思と
 ルールや教えられたことの両方の間でどちらを優先すべきか判断できずに一人二役の葛藤がそ
 のままパニックになって現れる場合とがある。
○自分で障害を自覚するようになった後に、混乱が生じることがある。また、障害を持っている
 ことが分かっているからこそ、その事実を自分自身で否定してしまおうとすることがある。
○今まで気づいていなかった自分自身の“できなさ”加減に気づくと、一時的にショック状態に
 陥ることがある。“できない”なりにどうすれば良いか考えたり、“できる”こと“やりた 
 い”ことをやろうという気になるように方向付けて、自信を取り戻させることが大切。
○いずれの場合も、そこで本人の考えを頭ごなしに否定したり無理強いしようとすると、人間不
 信に陥ることがある。本人自身が自分で納得するまで時間をかけた方が良いことと、一刻も早
 く(本人のために)間違いを正さないといけないことの両方がある。
[2002年7月13日 11時30分4秒]

テーマ: 自閉症児の睡眠のトラブル。   
自分ではどうしようもない、生理的な活動水準の問題があると思います。
保健婦さんや他のお母さん方がよく教えてくれる“秘訣”がほとんど通用しない、異生物の世界
かも〜♪

ということで、「生活リズム」がなっていないのは、親の努力が足りないとかシツケがなってな
いということではないし、我慢できずに寝ちゃうのは仕方のないことなので、どちらも「母親失
格」なんて考えないで下さいませ。
[2002年2月15日 13時30分21秒]

テーマ: よそのお子さんの、困った行動。   
>あまりにも同じ質問をするので、どうしたものかなと返事に困るのです
>→(毎回同じように答えていいのかどうか、答えたくない質問もあります)。

まず、「お勉強」として、「人には、答えたくない質問があること」「人には、人の事情があっ
て(例えば、仕事中だとか)答えられない時がある」ことをレクチャーします。その方法も、口
頭で分からないようでしたら、簡単な絵にするという方法もあります。
それで、そういう時には、何かのサイン(一般的には、手や腕で×を作るなど、分かるようなら
「今はダメ」という決り文句)を取り決めて、そのサインが出たときは質問しないというお約束
をします。(もし、そのお子さんに、自分が「やっている事をやめる」時の口癖のようなものが
あったら、それを利用する方法もあります。)
いっぺんに全部ではなく、一つずつやって、できたら誉める。これを何度でも繰り返すことで、
少しずつ行動が改善していくと思います。野放しにすると、結局は本人が困ることになります。


>それとなくは耳に入れた方がいいのかなと思うのは、お母さんに伝えてますが
>人の、困るとか怒ってることなどはとてもじゃないですが、伝えられません。

大きくなると、なかなか子どもの行動が把握できなくなります。自分でいろんなことができるよ
うになり、苦情も聞かないとなると、外でちゃんとやっていると思っていることもあるので、教
えた方がいいのではないかと思います。
私も、やはり息子が小6の時にそんなようなこと(内容は違いますが)があって、同級生の親御
さんに教えていただきました。この頃になるとけっこうしっかりした面も出てきて、自分の意志
で動いても大丈夫になることもあるのですが、是非の判断がついていないことも多いものです。
早めに教えてもらって、感謝しています。
[2002年2月14日 21時53分38秒]

テーマ: ワザと怒られるようなことをする時。   
「構ってもらいたい」とか「人にかかわりたい」という気持ちの現れ、だと思います。
ただし、それが普通は「罰であること」「他人に対する軽蔑を意味する行動であること」「そう
いうことをすると人は不快になること」が分かっていない、つまり情報の読み違いです。
そして、その根底には社会的認知障害(人のやっている行動から、その社会的な意味が読み取れ
ない障害)がありますので、そこのところを別室や家庭で説明してあげてみてください。

無視するほうがいいというのは、主に発語の無い自閉症児が、コミュニケーションの手段として
やっている場合。
それから、ADHD児がわかっていてワザとやっている場合です。
上に書いたのは、ちゃんと言葉があるけれど、人の行動の読み取りが分かっていない段階にある
場合です。
[2001年11月20日 21時17分58秒]

テーマ: パターン化が早い場合。   
こういう場合だと、人との信頼関係や真の意味での遣り取りが成立する前に、人との付き合い方
をパターンとして覚えてしまう事を警戒した方が良いのではないかと思います。
一見、物覚えが良くて・賢いと思われてしまうけれど、実は人との「かかわり」がない。気づか
ない内に、「人といられる楽しさを経験しないままに、人並みに行動できるようになってしま
う。」ことが、一番おそろしい。
あまり問題行動は起こさないだろうし、生活面での不都合もないかも知れないけれど、この先、
普通の子どもがあまりしないようなことに夢中になって楽しんでいる様子が見えたことに、「く
だらない!」とか「そんなことはやめて、普通の子がやっているようにしなさい!」と言わず
に、まずは共感してあげる必要がありそうですね。
二者間関係を成立させると言うより、「人が自分の気持ちに共感してくれている」ことが実感で
きることがまず第一なのではないでしょうか?

ただし、「行動障害と学習障害がある方が受容してもらった実感が持ちやすいので、母子の信頼
関係関係を作るとっかかりにもなる。/つまり、何でもできてしまう子の方が、かかわり障害へ
の介入がしにくい。」という点を忘れないで欲しいです。

(たくさんの場数を踏んだ方がいいというのは)融通性がつくと言うより、予備のパターンはで
きるだけたくさん持っていた方が便利と考えた方が良いと思います。「こだわり」が強くないと
いう利点を活かして、いろんなことを経験させてあげて下さい。
こういうところに気がつかないで、見掛け上の「できること」の上にあぐらをかいてしまうと、
大人になる頃に実質的な生活力のなさに驚くことになりますので。
[2001年11月13日 19時11分17秒]

テーマ: クレーン現象。   
こういう行動をしている幼児期はまだ自他の分化が進んでいないので、基本的にまだ"自分"が要
求して"他者"がそれに応えている意識はないと解釈するべきです。「自分の手でできないことで
も、目の前に見えている他人の手を利用すればできることがわかっているだけ。」なんていう
と、普通の親御さんとしては悲しくなってしまうかもしれないでしょうけれど、ここは"自分の
したいこと"がわかっていて"要求"することができているという風に、前向きに受け取って下さ
い。
それに、「この人は、私のことをわかってくれている」という信頼関係も成立しているというこ
とでもあるので、要求に応えて体験を共有することには、それなりの意味があります。そういう
ところから、押し付けでない"楽しさ"の共感も育っていくでしょう。

「言語」による"要求"がうまくできないのでその代わりにやっている段階ならば、言葉の発達と
共に自然にそういう行動は減ってくるでしょう。けれど、いつまでも言いなりになっていたので
は、"いつでも自由に使える道具"になってしまいます。
それで、様子を見て、"自分の意思"を"他者に伝える"という段階に持って行く必要はあるので
はないかと思います。ずっと付き合っていると、ある程度のパターンは読めるようになると思い
ますので、例えば「絵」を二枚用意して「どっち?」と選ばせてみるとかすれば、言葉での識別
ができる前でも、少しずつ自他の分化を促すことはできます。(この場合、いきなり「指差し」
ができることを要求するのではなく、最初はクレーンで「どっち」か教えるとか、やりたい方の
絵だけ持って来るということでも、上出来です。)

本当の二者間関係は、ある程度の"抵抗(=必ずしも・いつも・自分の思う通りにはいかな
い)"を感じて成立します。
"自分の気持ちが伝わった実感"が全くないまま行動パターンを学習してしまうのは、実質的な孤
立ですが、全く思い通りになるのは"ただ他人を巻き込んでいるだけ"になってしまうので、両方
のバランスをとって、後々になって本人が困ることにならないように気をつける必要があると思
います。
[2001年11月9日 8時25分34秒]

テーマ: 要求が通らない時のパニック(幼児期)。   
まず、"パニックを起こした時に親が動揺しない方が早くおさまる"ので、自分がパニくっていて
もそのそぶりを見せないように、腹をくくりましょう。

「要求が通らない」ことからパニックを起こした場合、現場にはパニックの原因があるので、
{現場から離す→興奮がおさまるのを待つ→落ち着いたところで言葉かけをする}というのが基
本です。
だいたい、暴れている真っ最中は、下手にいじるとひどくなることが多かったりするので、人気
のないところに連れて行って無視するのが原則ですが、無視されるとひどくなる・近づくと騒
ぐ・移動を拒否するなどの癖がついてしまっている場合は、2〜3回は親の忍耐が必要になるか
もしれません。
それから、「ここらで起きそうだと予想しておく/できれば回避する」とか「パニックそのもの
を減らす」とか「パニック中でも機嫌を直せるグッズや方法を発見して気をそらす工夫をする
(←これができれば苦労しない!)」といった努力も必要だと思います。

最初の一回は、本人をそこに置いて、自分の方がさっさと行ってしまう(振りをする)ぐらいの
ことをやらないとダメかもしれない。でも、そこで大騒ぎになる可能性も否定できない。
親が乗り越えなければならない「恥ずかしさ」と、子どもが覚えなければならない「気持ちの区
切り」の、どちらの壁が大きいのか!?というところ。

※これは、感覚過敏によるパニックや、同一性の保持欲求(こだわり)によるパニックの対処法
 ではありません。
※感覚過敏は生理的な要因が大きいので、我慢するのは無理なことが多い。「こだわり」が強い
 場合は、少しずつ緩和するように代替していくなどの方法が必要。
※幼児期の内ならば、長引かずに済むし、大人が強く出ることも可能。思春期以降だと、心理的
 な因子が加わるし、それまでの対人関係がどうだったかによっても変わってくる。
[2001年10月24日 19時9分20秒]

テーマ: 何かを想起して再現している時。   
でも、最も大切なことは、"どういう場面・どんなキッカケで再現が始まるのか"が分かったら、
次に"何を再現しているのか・それで何が言いたいのか"を探って、「再現劇場」を一緒に楽しみ
ながら気持ちを共有し、そこからコミュニケーションが始まっていくことだと思います。

視覚記憶と聴覚記憶の、どちらを想起しているのかによっても違ってきます。 
或る場面の映像を思い出したとしたら、見ているのは視覚的な記憶なので、その場で発する言葉
に気を取られずに、本人が何を思い出しているかを想像すればいい。
でも、言葉の音だけの連想とか言葉の音から連想している場合だと、その場で発した言葉の音か
ら解読すればいい。
[2001年10月24日 18時51分25秒]

テーマ: 再現パターン化のこだわり。   
自分の中では、常にビデオが再生されている状態、これから起きることを決めている状態なの
で、それと違うことが起きれば混乱してパニックになったり、やり直させることはよくあること
です。
頭の中の再現パターンの順序でないとわからなくなってしまうので、全く同じでなくても自分で
決めたパターンの流れに乗せることができれば、混乱は収拾されます。
学習能力が高ければ、予め他のパターンを用意しておいたりできるようになりますが、まだ現在
の段階では自分がやるべきことだけに焦点を当てて、必死にどこで・どういう行動をすればいい
か覚えているところだし、「自分がやった」という主体的な達成感が不可欠なお子さんだという
ことは、理解しておいた方が良いと思います。
確かに、これが「自己中心性」に発展してしまうのは困りますが、何をするにも「自分がやっ
た」と本人が感じられるように持っていけば、素直に人の要求を聞く子だということで末永くお
付き合いいただければ、幸いだと思います。
[2001年10月22日 19時3分37秒]

テーマ: 巻き込みこだわり。   
他人を巻き込むことがエスカレートすることだけは、阻止したいところです。言うのは一回だけ
に制限したり、それ以外の要求には応じないようにして、「人が言いなりになって当然」だと思
い込ませないように気をつける必要はあると思います。
でも、幼児期にはこういう特定の「こだわり」が強くて、しかもパニックを起こして収拾がつか
ない時期というのがあります。が、自閉症であることを全く否定しようとして普通扱いを貫こう
とすると逆に強化してしまう危険はありますが、ちゃんと本人がしようとしている気持ちを受け
留めながら・言いなりにならないように付き合ってあげると、それほど長引かずにすむことがよ
くあります。
幼児期のこういう状況を目の当たりにすると、「これがこのまま永久に続くのか!」とよく憤り
ますが、大概は大丈夫です!
[2001年10月22日 19時0分59秒]

テーマ: 共感するということ。   
「うれしい」とか「かなしい」とか「くやしい」というのは、本人が本当にそう感じてこそ"感
情"であり、お互いに同じ感情を共有するからこそ"共感"になります。
強要すれば、演技を覚えるだけです。こういうところは、欲を出せばきりがありませんが問題行
動に直結するものではありませんので、本人の気持ちの方に共感してあげて欲しいです。

よく、自閉症で問題になるのは、「自分の思い通りにならない」「自分が常に勝っていたい」
「自分が一番でいたい」というこだわりを持って、そうならないとパニックを起こす場合です。
こういうケースですと、行動変容のための介入が必要になりますが、逆に問題行動がないからと
いって自分の感情を否定され続けると、精神的な悪影響を与えてしまうことがありますから。
[2001年10月21日 10時5分19秒]

テーマ: 自閉症の文化はあるか?   
何もないからできないのではなくて、違うことを感じている・違うことを考えている。
でも、自分の身の回りのこととか最低限のことはできていないと、周りの人も本人も困る。
言葉が遅れていると、本人も自分の気持ちを主張できないし、自分の周りで起きている出来事が
わからないから、言葉の指導をしたり絵や図で表わしたりすることも必要。
情報の入り方が違うから、そこを整理して伝わりやすくすることは、お互いの為に大切なこと。

だけど、「何もわからない、かわいそうな人」だとか「世の中のことが覚えられない・困った
人」だとか「非・自閉者のようになるのが幸せ」と思うのではなくて、「自分の世界を持ってい
ていいから、外の世界にも合わせられる人」になって欲しい、と見てもらいたいというのが、私
の希望です。
[2001年10月19日 21時8分7秒]

テーマ: あれこれ。   
自分の感覚に浸っていることが、自分の存在を感じている唯一の時かもしれない。
でも、「客体に意識すれば主体は消える」。

何かの感覚に自分の意識を移すことで、周囲を人に取り囲まれている苦痛を感じてしまわないよ
うにしている。空間的に移動が可能ならば、どこかの隅にや隙間に隠れるけれど、教室に座って
いなければいけないような時だと、何かを見たり聞いたりして意識をそっちに逃がしながら、教
室内で起きている出来事をちゃんと見聞きしている。

元々の「こだわり」は自分で決めるのではなく、生理的・生得的に決まっていて、自分が行動す
ると言うのはそのままその型式に従うということだった。とにもかくにも、それが優先。(行動
障害のある場合は、この時期にまったく奇異な行動をしてしまう。行動障害がないと、ただのレ
ジスタンスみたいに映る。)
幼児の内は自分一人の身の回りのことができていればそれでいいし、学校に入っても最初は自分
のための知識を習得するだけでいい。けれど、だんだんに集団生活や文化的なことを学習しなけ
ればならなくなると、自分がやりたいようにやっているだけでは済まなくなるので、意識的に
「決まり」を作る。
自分に選択権がない、生得的な「こだわり」の次の段階のものだけど、何かが決まっていないと
行動できないというのは同じ。

過去を振り返って書いたものは、自分の生きていた世界が自閉症の世界だということを知ったあ
とに、文章という形で自分の外へ放出したものですが、原体験はもっと感覚的な情報(視覚・聴
覚記憶そのままのビデオのようなもの)とか漠然とした感じ。
でも、意識障害や思考障害がないので、素材は感覚的なものであったとしてもその場その場でし
っかり解釈をしている。だから、振り返った時に言語化できる。それは、あとからつかむのでは
なく、はじめからちゃんとつかんでいる。

コミュニケーションは、自分のいる世界と自分の外の世界が違うものだと解かった時に成立す
る。言語力はもともとあるので、言語化することはその前にもできている。
[2001年10月19日 13時49分38秒]

テーマ: 間接的な接近方法。   
{今から起きること・今からみんながやること・その中で自分は何をすればいいか}という情報
をきちんと与えて、しかもちゃんと本人から目を離さない。
「向かってこられた」と感じてしまってはダメですが、「何もしなくていい」ではない。
[2001年10月18日 17時57分53秒]

テーマ: こちら側の事情。   
特定の感覚を感じると、その感覚だけになってしまって自分の存在は消える。

「自分が何をしているかわからない」ことがわかるようになると、どういう状態であるかをモニ
ターしようとして過剰に神経を使うようになってしまう。

「自分がどういう存在なのか今どういう状態で、何をしているのかつかむ力」はつかないので、
教えてくれる人を探す力をつける。

鏡を見ながらだと、視覚と固有覚(自分自身で感じている内部感覚)を結びつけるので難しくな
る。それよりは、頬を触っていく触覚と固有覚の方が楽。
[2001年10月18日 10時15分41秒]

テーマ: 過敏になる対象   
指向性が変わることもあるし、今まで特に気にならなかったものが何かのキッカケで過剰反応を
起こすようになることもある。特定の出来事に結びついてしまうと、根が深くなる。
逆に、予め言い渡しておけば、想定の範囲内に入って大丈夫になることもある。でも、これは予
期不安が強い時には使えないし、言語理解と学習能力の問題もある。
でも、感覚遮断してしまうと、いつかその反動が来る。←これは、かえって恐い。
[2001年10月16日 16時46分17秒]

テーマ: 羞恥心のなさ。   
 幼児期の自閉症児は、羞恥心がないように見えます。でも、羞恥心がないと言うより、「自分
の周りに人が存在することの本当の意味がわかっていない時期」で、自分以外の他の人というの
は、"主体的な存在"であり、"意思や感情を持って自分のことを見ているもの"だ(これが「心
の理論」)ということがわかっていないのです。だから、その恐さも知らない。
 {人と共にありたい・人に自分の存在を認めてもらいたい・人に良い印象を与えたい・人にか
まってもらいたい・人から大事にされたい}という社会的な「感情」がもともと無いから、人か
らは異常と思われることでも本人自身の感覚や身体的な要求のままに行動してしまう。

 それを見て、親の方が羞恥心を感じてしまうのは仕方のないことですが、むやみに叱っても本
人にはさっぱりわかりません。ただし、時と場所を制限して人に迷惑をかけないための抑制をか
けることは必要です。・・・全面的に許容すると、本人にも家族にもよくありません。
 が、その行動そのものを禁止しようとすると、反発を食らってかえって抵抗を大きくするか、
本人がとんでもない勘違いをして過剰な自制(たとえば、水遊びをしてはいけないと思ってしま
う)をしてしまう危険があります。
 もうしばらくすると(と言っても、何時とは言えませんが)行動は落ち着いてきますので、現
在のところは悪い子扱いせずに味方になってあげて下さい。・・・実は、自分のことを守っても
らった経験を重ねることが、行動を落ち着かせる近道にもなるんです。
[2001年10月12日 10時5分49秒]

テーマ: 参加していないのに、かかわっている状態。   
{全体&状況把握⇒序列化⇒自分の位置付けと配置⇒パターン化}
それで、全く入らないわけでもなく・巻き込まれることもなく・邪魔されることもない「場」を
自分で確保している。/その「場」が確保できないところには近づかない、積極的に回避する。

よくみられる、行動障害のある自閉症児は、関係性の障害があって、因果関係とか物事の成り行
きとか仕組みがわからないので、全く自己流の固執から始まって自己流の順序固執(いわゆる、
儀式化)になって行くことが多い。
全体の中に自分を位置付けることができ、自分の周囲に起きている物事を自分の中に取り込むと
いう「かかわり」方をしている場合は、行動障害がなくておとなしいように見える。
よく、「授業に参加していないのに、授業内容は理解している」と言われるようなタイプ。で
も、だからといって決して受動的ではない。
[2001年10月11日 22時52分30秒]

テーマ: 感覚統合訓練   
感覚統合訓練といと、「訓練」をして感覚を正常に治すかのような印象をもたれてしまうかもし
れませんが、感覚神経や運動神経の発達の遅れによって"不足している感覚刺激を与えてあげ
る"程度のことです。
しかも、ちゃんとした訓練士のいる施設にこまめに通える環境にないと、正式には受けられませ
ん。私は、他の運動療法の本などを参考にして自宅でできる限りのことをしましたが、それで身
体的な変化が有ったということよりも、一緒に楽しく遊んだ精神的な効果の方が大きかったと思
います。
いくつかやってみると大好きな感覚遊びが見つかるので、それをごほうびにしたところ大喜び
で、以後、定番の遊びになりました。
・・・ちなみに、それはトランポリンとハンモックブランコでした。

ウチの家系は、前庭覚は過大評価する(過敏)な方ですが、過少評価する(鈍感)子どももい
る。こういう理由付けがわかると、行動に説明がつきます。
普通の感覚では理解不能なことかもしれないけれど、本人にとってはいたって自然なことなの
で、危険なことや禁止されていることをしないように場所をわきまえさえすれば、大目に見てあ
げていいと思います。(ウチでやったように、ごほうびとして利用させてもらうという手もあり
ます。)
[2001年10月10日 20時20分50秒]

テーマ: 「心の理論」   
よくある間違いについて。

○5〜6才頃に、周りと自分との違いに気づくこと。⇒「心の理論」とは、関係ありません。
○人の気持ちや感情がわからないこと。      ⇒「心の理論」とは、関係ありません。
○顔の表情から、相手の気持ちが読めないこと。  ⇒「心の理論」とは、関係ありません。

「心の理論」とは、自分の視点以外に他者の視点があることに気づくことであり、その結果、
他者の視点に立って推察できることを言います。
通常、これを獲得するのは4〜7才と言われています。でも、「自閉症」の場合は、10才前
後になることが多く、しかも「自分自身だったらどうだろう」というように自分の立場に置き
換えるとたいていハズレになるので、「一般的な人の気持ち」を知識として集積して論理的に
推論するようになります。
[2001年9月24日 11時42分40秒]

テーマ: ↓の補足。   
>「なんで、いちいち返事しなきゃならないの?」って怒られるまでやっていた。←これは、
 高校生の時。

というのは、高校生になって始めてそう言われたのではなく、高校生になった頃に"その言葉が
耳に入った""言われたことの意味が分かった"ということです。
[2001年9月17日 7時42分52秒]

テーマ: 相手に対して決まった答えを求めること。   
【疾風トホホサーカス団の掲示板からの転写】

私も、自分がしゃべっている途中に、逐一相手に対して「聞いている!?」と確認していたけ
れど、「なんで、いちいち返事しなきゃならないの?」って怒られるまでやっていた。←これ
は、高校生の時。
相手の仕草や素振りなどでは聞いている様子が判らないので、言葉で尋ねて言葉で返答を求め
る、しかも自分で思っている問答のパターン(シナリオ)と寸分たがわぬ答え方を要求すると
いうことなのでは?
だから、その時にうなずいたり手をあげたりという動作で、「わかりました」という意思表示
をしていたことも考えられるので、本人には「いつもいつも返事がなくても、ちゃんとサイン
で表わしていることもある」と教える一方、先生には「身体的な動作だけでは通じないので、
言葉に表わさないと判らないことがある」ことも説明しておいた方が良いと思う。
それで、身体的なサインを読み取るように本人に要求するのは無理だと思われたら、いつもハッ
キリ言葉で答えるようにするか、本人に理解可能なプロックサインを取り決めておいて"忙しい
時や、他の人と話している時にはこういう動作をする"約束をすれば、これも立派な療育のチャ
ンスになります。
(つまり、日常生活に潜む発達課題を見逃すな!ってことです。)
[2001年9月16日 10時44分42秒]

テーマ: 悪い言葉を使うこと。   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

"言っていることの本当の意味がよく分からないままに言っている"こともあるし、"悪い言葉を
好んで使ったり・過激な場面を面白がって見る"時期のある子もいます。
これがエスカレートすると、いわゆる「悪口雑言癖」と呼ばれるものになります。カナータイ
プの子どもによくありますが、「イヤ」「やりたくない」「わからない」という気持ちを表す
のに何でもかんでも「ウンコ」と言ったり、ちょっと人が間違いを訂正しただけで「バカ」を
連発したり…。
真に受けてしまうとタイヘンなことになってしまいますが、言葉にとらわれずに"どんな気持ち
を表わしているのだろうか?"と考えてあげた方が、早く解決します。
それから、「他の子に言ったらどうしよう」と心配するまでもなく他の子にも言うので、「本
当は、こういうことを言いたいんだよ」と周囲の子どもに説明する一方で、「自分では全然そ
んなつもりじゃなくても、そういう言い方をするとそう思っていることにされてしまう」こと
を根気よく本人にも教えて行くと良いと思います。
[2001年9月10日 20時37分32秒]

テーマ: 助詞について。   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

助詞と言うより、難しいのはモノとモノ・人と人との関係です。
私は、文章を視覚化して考えるタイプなので、こういう文章に出くわすと教科書やノートの余白
に図式や絵を書いて関係を整理します。

でも、「アンパンマンをドラエモンが押している」「ドラエモンがアンパンマンを押している」
の例だと、一瞬の内にドラえもんからアンパンマンへと"視点を切りかえる"ことを要求されるの
で、可哀相です。急にはできないです。
このやり方だと二つのことを同時にやらないといけなくて、ステップを一つ抜かしています。で
きれば視点は固定したままで、助詞の使い方だけを練習して欲しい。

それに、「アンパンマン"を"ドラエモン"が"押している」は、主語はドラえもんで、構文がひっ
くり返っている。
私は、こういう文が出て来たら、「ドラエモン"が"アンパンマン"を"押している」という正規の
順番に直す。これだと、助詞の使い方だけじゃなくて、文章の構造の組換えまで入っている。

物が文頭に来る文章での助詞の使い方ができているから、助詞は分かっているとは限らない。こ
ういう文章だと、実質的な主語は自分になるから、比較的容易に覚えられるし使い分けられる。

「自閉症」の場合は、本人にとって理解できる順番に従って
{助詞の使い方→2つの物の関係性→人間対人間}だと思う。
(ADHDやLDだと、最初の一つに躓いているだけでその次の二つは教えなくてもいい。)
[2001年8月30日 22時40分49秒]

お名前: 「独り語」と「時間の概念」について   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

「時間」といったって、「自閉症」の世界では「今」しかなくて「今」の連続でしかないのだ
から、「時間」は、何らかの"目に見える形"に置き換えないといけない。カレンダーや時計が
読めるとかそういうことではなくて、表にして手順や順番にすればいい。
それから、何か言われると「そのことで頭の中がいっぱいになるか、全く無視するかのどちら
かになってしまう」ということを、予め計算して話しかけないと、いけない。だから、事が起
きる直前に言うか、今から起きる出来事を表にして(言葉が通じない場合は、絵でも記号でも、
本人が理解できるモノを使えば良い)示し、「今は何番で、この表のどこなのか」をハッキリ
させておく。

「独り言」を止めさせるといっても、自分で気がつくようになるのはかなり大きくなってから
になるのが普通。軽度の「自閉症」だと「心の理論」を獲得する時期に、だいたい合致する
(小学校の高学年〜高校ぐらいの年代になることが多い)。でも、社会的に不適切な場面で
「独り言」をしなくなったように見えても、実は小さい声で言っていたりもするし、しゃべっ
ていいとなると遠慮会釈なしにしゃべり続けるというようなことは残る。
それで、「独り言」を自力で止められない内は、予め「止まれ」のサインを決めておいて、そ
れが出たら止められるようになればいい。ただし、そのサインを取り決める時に、「しゃべっ
ていけない」場面にはどういうケースがあるか(人の話をさえぎっている、ここは黙っていな
ければいけない場面だ…など)を教えておかないといけない。そうしないと、本人は、ただや
みくもに妨害されたと思ってしまう。
それから、「独り言」を自分で止めるのは、同時に「しゃべる」ことについてものすごく気を
使うようになるということなので、恥ずかしいことをしなくなって楽になったと喜ぶのも良い
けれど、本人の心理的負担が重くなっていることにも注意して欲しい。

でも、脳ミソの収納スペースの少ない人種にとっては、「考えている時にしゃべらない」のは
タイヘン。だから、人に迷惑をかけない程度のおしゃべりまで止める必要は無いと思う。そう
しないと、「しゃべることが悪いこと」のように思ってしまうから。
[2001年6月25日 8時43分17秒]

お名前: ペンギン   
パニックと一口に言っても、全てが同じとは限らない。

『君が教えてくれたこと』の繭子のパニックは、知覚過敏によるパニック。(ドラマ中では、
カメラのフラッシュによる視覚過敏。日常的には、聴覚過敏で起こす人が多い。)
『天使が消えた街』の輝さんのパニックは、外出時には離せない(恐らく、人に対する過敏性
をシャットアウトするために、聞いていると思われる)ラジオを、落とされたために起きた。
どちらにも共通しているのは、不安障害の「些細な驚きや驚かされることに対しての過剰な反
応」であり、その程度が発作的で現実感を喪失するほどの重篤なものだということ。
こういう抑制欠如によるパニックは、暴れ方がひどく見るに耐えられないので、その場に居合
わせた人を不安にさせ、恐怖に陥れる。それだけでも周囲の人を慌てさせるのに、ツボを知ら
ない人が抑えようとすると抵抗するので、どうしていいか分からない。でも、原因が分かれば
回避できるし、後を引かないので、処置はしやすい。
こういうエピソードは、ドラマに「自閉症」者を登場させる時には付き物のお決まりのパター
ンで、「こんな問題行動を起こすけれど、サヴァン的な凄い能力を発揮する」という展開のお
膳立てみたいなところがある。

しかし、現実的・日常的に頻発しているのにもかかわらず、ドラマには決してならないパニッ
クの方がよっぽど深刻で対応が困難だし、収まるまでに時間がかかるし、交渉が成立するまで
にかなりの精神力が必要だったりするし、「自閉症」を理解して理由を見極めなければ解決の
しようがない。(これは、発作ではないので、医療の対象にはならない。また、薬を飲ませて
一時的に鎮静化させたとしても、根本的には何も変わらない。)
というのは、その原因が「矛盾する命題や事実が同時に存在していること」にあるから。例え
ば、「行く⇔行けない」「行きたい⇔行きたくない」「できる⇔できない」「やりたい⇔でき
そうにない」「やらなければならない⇔恐くてできない」というようなこと。
それから、時間が経っても薄れない強い記憶を基準に思考するので、「まだ起きていない新規
の事柄と過去の体験との関連性が分かっていない=勘違いしている・違いが分からない」「予
定通りでない」「前回と違っている」「予想に反している」といったことから起きるものもある。
[2001年5月6日 13時54分25秒]

お名前: ペンギン   
−犯罪との因果関係について−

[『静岡新聞』に掲載された杉山登志朗先生のコメント]
 アスペルガー症候群は自閉症と同質の発達障害。自閉症との違いは、言葉の遅れがないこと。
その存在は、最近まであまり知られておらず、専門家でも誤まった診断を下している。青年期
以降まで未治療の例も非常に多い。
 アスペルガー障害が犯罪をしたという報告は、少数ながらあるが一般の若い年代に比べれば
非常に少なく、同障害と犯罪に因果関係を見いだすことはできない。周囲が障害に気づき対応
をしていれば犯罪の予防はできるのではないか。今回の少年も、早期に診断され治療を受けて
いれば、事件は起きなかっただろう。
 臨床的な経験では、同障害の人が悪意を持つことは非常に困難と思われる。むしろ社会ルー
ルに柔軟に対応できず、規則を完全に守りすぎることからトラブルを生じている。
 先進国で、児童青年精神医学の独立講座が医学部にないのは日本だけ。青少年の問題がこれ
ほど多発しながら、専門家が極度に少なく、治療可能な施設も非常に乏しい。こうした状況を
放置してきたのは行政の怠慢。同障害を診断できる児童青年精神科医は数えるほどしかいない。
専門家を育てることは一刻の猶予もならない。

[上記に関連して]
こういう事件があったことで最も心配されることは、事件が事件だけに、どのように説明して
も世間からの誤解を受けたり、誤まった固定観念ができてしまうこともそうですが、実際にこ
ういう子どもを持っている親たちが怖気づいてしまうということです。
それで、逆に「障害」を隠そうとしたり、周囲に説明する勇気を失ってしまうと、正しい療育
を阻む結果になりかねません。それでは、亡くなられた方が浮かばれないばかりか、ご遺族の
方々の気持ちもおさまらないと思います。
まず、事件報道の文面にあたふたして、「アスペルガー症候群という障害が直接の原因ではな
く、単に、心神耗弱の理由としてあげられたに過ぎない」という基本を忘れないこと。「二度
とこのような事件を起こさないこと」が最も大切なことで、「人はそれぞれみな違っているの
に、人それぞれの状態に合わせた対応をしてこなかったこと」こそが、反省すべき点なのです。

また、同じ自閉性障害(広汎性発達障害)でも、その出発点と現在の状況によって捉えかたが
異なっています。
「早期小児自閉症(一見してそれとわかる自閉症で、身体症状と神経症状が重く、身辺自立が
困難)」から始まった人・「アスペルガー障害(外見上は普通で身体的な困難は少ないが、実
質的にはかなり色濃く自閉症の社会性の障害を持っている)」から始まった人・「非定型自閉
症(外見上は自閉症に近いが、情緒的な面や感情の持ち方がかなり普通である)」から始まっ
た人とでは、問題意識が違います。
また、「孤立型」のコミュニケーションの困難さを知っている人・「積極奇異型」の対人関係
の稚拙さに困った人・始めから「受動型」で「行動障害」がない人とでも、全く捉えかたが違
うと思います。しかし、「アスペルガー症候群」は、「紛れもない自閉性障害の一員であり、
自閉症としての適切な対応が必須である」という認識を関係者が持たないことには、何も始ま
りません。
そして、こういう事件が起きてしまったのは、「自閉性障害(広汎性発達障害)」の側の問題
ではなく、個人の責任なき上辺だけの自由主義と知育偏重教育のツケが回って、児童を取り巻
く環境が劣悪になっていることと、子どもに直接向き合うことをしない大人が増えているとい
う社会的な破綻のひとつの現れであると思います。
[2000年12月28日 10時55分13秒]

お名前: ペンギン   
−フラッシュバックについて(続き)−

自閉症のフラッシュバックというのは、外傷体験や感情を伴った体験だけを想起するものでは
ありません。ただ、こういう体験は、想起すると同時にパニックになったり神経症的な症状が
起きたりするので目立つだけです。
もともと、記憶構造が全て「粗情報=処理されていない視覚情報と聴覚情報」の反復的な再現
という形を取っていることの一つの現れに過ぎません。

・いやなこと(外傷体験)を実際にしてしまう場合。
・いやな体験をした時に過去の類似した出来事(過去の外傷体験)を想起してしまう場合。
・不確定の未来に対する不安から外傷想起の連鎖が始まってしまう場合。
では、微妙にニュアンスが違います。
また、それと連動している感情も、個人的な喜怒哀楽なので、他者に対する社会的な感情は含
まれていないため、PTSDとは根本的に違うものです。

[私の場合は、実際の外傷体験による恐怖症には精神安定剤を、過去の外傷想起による不安症
状にはSSRIというように使い分けています。]
[また、精神安定剤には衝動抑制の効果が、SSRIは強迫観念を抑えると共に身体的な違和感を
取り除く効果があるように感じています。]
[2000年12月25日 22時24分39秒]

お名前: ペンギン   
−フラッシュバックについて−

よく、普通の人が「恥ずかしい」とか「悔しい」という慙愧の念にさいなまれることと同じ
ように勘違いされますが、そうではありません。
映像や音声や他の感覚(味覚・臭覚なども含む)が想起されて、生理的変化が起こると共に、
不安・恐怖・自己否定・他者への攻撃が始まってしまう。
そういう時は、思い出したことがあたかも現実に今・ここにあるかのようにありありと実感
されるので、それに直接に反応している。

だから、何の前置きや状況説明もなしに、いきなりそのことについて語り始める。
[2000年12月20日 7時26分58秒]

お名前: ペンギン   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

一口にパニックと言っても…。

知覚過敏や状況に対する恐怖症から起きるパニックは「不安神経症」のもので、発作に近い。
些細なことからタイムスリップして起きるパニックは、外傷想起の連鎖が止まるまで収拾しな
い。
で、こういうのは、「原因」となるものに近づかないようにするのが対処法。
で、あまりひどくなると、「パニックを起こすのではないか!?」という不安でパニックにな
ったりしてしまう。
(こういうのは、薬物療法の対象になる。)

それから、学習能力が高ければ、「以前・こんなことがあった」を一つの選択肢にして警戒す
ることが可能。ただし、その選択肢を保持するだけで不安神経症になってしまうこともある。

ただ、状況への即時対応ができなくて混乱してしまうパニックには、ある程度の傾向が必ずあ
るので、「起きるもの」と始めから想定して時間の余裕を持たせるとか、「回避する」方策を
考えて対応することができます。
しかし、新規の状況に対しては、またゼロからの出発になることを覚悟しておくことが必要で
す。
[2000年12月12日 9時14分21秒]

お名前: ペンギン   
普通の人は、学校にいる間は「学生」、社会にいる時は「社会人」に、自動的になれる。
しかし、自閉症の人は、一度学校という環境に合わせてしまうと、変更がきかない。
でも、どんな形であれ、結局は社会に出なければならないのだから、始めから「社会生活
仕様」に育てた方がいい。
[2000年12月12日 8時3分11秒]

お名前: ペンギン   
−視線回避−

【アサクラ・タウンの星空掲示板からの転記】視線回避に伴う「ごますり」。

何かをちゃんと聞こうとすれば、片耳をそっちに向けたほうが良く聞こえるから、当然、目
は"しあさって"の方向を向いちゃうでしょ!(まっ、相手に悪いから、時々そっち向いてあ
げるけどー。)
↑のことは「感覚−知覚」の問題で、よく聞こうとしてしている時の行動だけど…。
幼児期には、人に関心がないから見ようとも思っていないのだけれど、大きくなって「話し
ている人の目を見なさい!」って言われるのを字義通りに受け取って、人の目を睨みつける
ようになれる人もいる。
もともと自分の視線の位置が決まっていて、いついかなる時でもそれを動かさない人もいる。
(この場合、ちらっとは見ていたりする。)
「人の目」を見てしまうと人を感じてしまって危険なので、敢えて見ないようにしている人
もいる。


【autismドラマのBBSからの転写】[アイコンタクトが出来ない理由とその対応。]

目の印象が強く残ってしまうと、後でフラッシュバックが来て辛い。
目を見てしまうと、相手を意識してしまって負担になる。
決り文句や知識の羅列で対応できない話題に答える時は、自分の頭の中の文章の下書きをなぞ
り読みするのに邪魔になる。
ちゃんと聞こうとして耳をそちらに向けると、自然に目はそっぽを向く。
他にもあるかな?

「相手の気持ちに応える」なんていう、わけがわからないこと(しかも、もしかしたら、それ
が負担になっているかもしれないのに)を言うよりも、ルールとかマナーとして覚えた方が近
道です。
ウチでは息子に、「呼ばれた時にそっちを向かないと、相手は無視されたと怒る」とか「自分
では、そっち向かなくても聞いてるからいいと思っていても、相手には聞いていないというこ
とにされてしまう」と言って教えました。 


【autismドラマのBBSからの転写】↑の続き。

「呼ばれたら、そっちを向く」
「呼ばれたら、返事をする」
     と
「行くか行かないか決めるのは自分だ」
「返事をするのは、聞いてるよ〜♪という合図である」
     とを
別物として教えないといけないんです。
ウチの長男も、やっぱり「呼ばれたら答えるけれど、断われる」ようになる為に、何年も掛り
ました。「呼ばれたら行かなければいけない」と思ってパニック、の時期が長かった。

こういうのって、自分の時には分からないけれど、人がやっているのを見ると、手に取るよう
に分かります。(と言いながら、自分はまだ、呼ばれても行きたくないときには聞こえないふ
りをしてたりなんかして…。)
[2000年12月11日 22時38分38秒]

お名前: ペンギン   
−↓への補足−

軽度でそれほど顕著な症状がなく、学習上の困難や集団への不適応行動がほとんどない場合、
「診断」が遅れて学童期以降になることが多いと思います。
社会的不適応がそれほど大きくないので、幼児期のうちに症状として表われなかった(と言う
より、気づかれなかった)という意味ではある程度の社会性があるので、「手遅れ」というわ
けではありません。
ただ、「障害」を知らずに経過する時間が長いと、知らず知らずの内に無理を重ねていたり、
とんでもない勘違いをしたまま表面上のつじつまだけ合わせていて実質何も分かっていなかっ
たり、不当な取り扱いを受け続けていたりして、情緒的にこじれる可能性が高くなります。
特に、強い叱責・いじめ・騙され体験などがあると、治療のためのアプローチをすること自体
がそういう原体験の記憶を喚起することになるので、タイムスリップしパニック状態に陥りや
すくなります。
診断が遅れた場合は、そういう点に留意して、掛け違えたボタンを始めから掛け直すつもりで
お互いの間に生じてしまった誤解を解きながら、「現状」を変えていくようにします。

ただ、買い物時の店でのパニックなどは、3才前なら3回ぐらい対決すれば済むし、体力的に
も楽なのでそれほと大事になりません。しかし、一度それで味をしめて散々いい思いをした後
だと、抵抗が大きいし回数も何十回・何百回と必要になります。また、そうやって対立するこ
とが、外傷体験になってしまいます。
ですから、こういうことはなるべく小さいうちにしておいた方が「楽」ということです。
[2000年12月11日 17時33分40秒]

お名前: ペンギン   
−自閉症児療育のステップ−

乳児期:睡眠時間が長かったりおとなしかったりするので、係わり合いが少なくなりがち。
    また、育児書通りの育児法を拒否されたり、覚醒時に興奮し始めると止まらない・
    なかなか寝つかないなどの子どもの生活パターンを読んで、上手に付き合うことを
    考える方がよい。
幼児期:パニック・多動・こだわりなどが多く、言葉によるコミュニケーションもほとんど
    取れない状態になる。
    パニックには慌てないこと。特に、店で何かが欲しくてパニックを起こした時など
    は、その物を買って鎮めるなどということは絶対にしないこと。大騒ぎしたら、と
    りあえずその場から離し、人気のないところに連れて行くこと。(他の買い物を中
    止して、そのまま帰るくらいの覚悟も必要。)「パニックを起こしたら要求が通る」
    と学習してしまうと、将来的に本人が困ることになります。
    多動の抑制はほとんど出来ないので、逆に思いっきり走れる広くて安全な場所に連
    れて行って、へとへとになるくらいにさせた方がよい。
    こだわりは、社会的に不適切なものは本人が納得できる他のことに摩り替える必要
    があるし、完全に野放しにしないで後始末の手伝いを一緒にするなどの条件をつけ
    た方がよい。人に迷惑をかけない嗜好的なものは、とことん好きなだけやらせてよ
    い。あまり好ましくない行動でも、頭ごなしに禁止するより、妥当な範囲で十分に
    やらせた方が、早く収拾する。
    しゃべっていてもいなくてもコミュニケーションがとりにくいので、子どもが理解
    している事柄を上手く利用して、母子二者間の意思の疎通ができるようにする必要
    がある。幼稚園・保育園での集団生活には、ついていけなくても心配しなくていい。
    一番肝心なのは、「無理なく他人といられること」。それを妨げている知覚・認知・
    行動の特性をしっかり把握して、子どもの抱いている不安感を少しでも和らげてあ
    げること。
    ※問題行動を起こす原因をつきとめて対処すれば、解決も早い。
低学年:学校・学級にいられること。同級生たちに誤解されないように、担任にはしっかり
    連絡をとって説明しておく必要がある。
    将来の自立生活に必要な学力・生活習慣・学習態度などをステップを踏んで習得さ
    せること。(このレベルでの、見せかけではない基礎学力をキッチリつけておけば、
    後々自分で何かを習得したいと思うようになった時に自力でできます。)
高学年:自分を守ってくれる人に「愛着」を持つようになって、甘えたり係わりを求めて来
    たりする。
    5年生ぐらいで「心の理論」を獲得するので、行動が落ち着いてきて自閉症らしさ
    が目立たなくなります。そこで、普通になったと思われて周囲からの要求が急に高
    くなってしまうことには、警戒が必要です。
[2000年12月11日 8時7分42秒]

お名前: ペンギン   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】−パニック時の状態と回避法−

パニックになっている状態というのは(客観的に見るととっても些細で、どうでもいいことだ
ったりするんですが)、2つ以上の「今からやらなければならないこと」が一度に・同時に・
いっぺんに頭の中に浮かんで、何がなんだか分からなくなります。
例えば、「今から出掛ける」と突然言われて、「持ち物を持つこと」と「出掛けること」とい
うようなことでパニックになったことがあります(私が)。出かけた先でする「用事」のため
に必要な準備と出かけるための「支度」の両方をしなければならないのに、それぞれの手順が
分けられなくて、整理するためにゴチャゴチャ「あれをこうして、これをああして…。」と言
っているんですが、実際なにも進行せずに手足がバタバタ動いているだけ。
でも、それを見ていた人が一言「○○を持ったか」と言ってくれただけで、そのうちの一つが
サッと消えて急に落ちついてしまった。
だから、冷静に考えてみればちゃんと解かるんですけれど、その場ではやっぱりこういう状態
になってしまいます。

しかし、どういう場面でパニック状態になりやすいかが分かれば、それを回避する方針も立て
やすいと思います。上の例でいうと、「出掛ける支度」が急に出来ないことが分かったので
「出掛ける支度」を用事別にセットして置いておくことと、直前だと分からなくなるのでかな
り前から準備しておくことで、混乱が避けられるようになりました。


【補足】
ここでいうパニックとは、不安神経症のパニックやパニック発作のような感覚−神経的なもの
ではない、通常のパニックです。
こういう状態の時は、2つ以上の命題が錯綜してしまっているので、それを整理してほぐせば
いいのに、相反する二つの事柄を目の当たりにした瞬間、順序立てて思考することができなく
なります。
だから、本当は助けて欲しいのです。なのに、だいたい逆の扱いをされます。キチガイじみて
いるとか、わけのわからないことを口走っているとか、みっともないからやめろとか、バカバ
カしいとか…。そうすると、逆にエスカレートして暴れたくなります。
(最近、私がパニくっていると、計算ドリルを1ページやるのに10回はパニックになる長男
が、「僕も同じだから解かるよ」と言ってくれるようになりました。それで、収まりが早くな
りました。)
[2000年12月10日 23時19分44秒]

お名前: ペンギン   
−フラッシュバックについて−

【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】
「嫌な経験」は、一つ「昇華」してしまうと、似たような経験がいっきに全部解決してしまう
こともあります。
ただし、「昇華」できるのは、本質的に許容できる範囲のものに限ります。
「昇華」というのは元はフロイトの用語ですが、「消化」と書いてしまうと飲み込んでしまう
みたいでニュアンスがちょっと違うので、こちらの字を使いました。体験した当時は、理由や
状況が全く分からなくて心的外傷になってしまったものが、前後関係や自分の状態が分かった
と同時に解消して「笑い話」になります。
で、私の感じでは、「良い経験」をたくさんしても、それで元の「嫌な経験」を書き換えられ
るのではなく、それとは別に新たな経験の系列を記録するファイルができるのです。元の「嫌
な経験」は、上記の方法で解消しない限りどこかに保存されています。ただ、そのディレクト
リを忘れてしまって接続できない状態ですね。


【疾風トホホ・サーカス団からの転写】
フラッシュバックというと、「悪いもの」と決めつけないで下さい。
楽しいのもあるし、それで次に同じ事があったらどうすればいいかというおさらいになること
もあれば、謎が解けて役に立つこともあるので。


【追加】
「心の理論」課題は通過しても、「自我基盤」は脆弱です。
そう、何でもかんでも理屈で解決すると思われても困ります。
こういう時間構造を持っているのも、目の前にあるモノに影響されて同化してしまうことも、
成長してもほとんど変化はありません。
ただ、道理が分かるようになるとその後の対処の仕方が違ってきます。
だから、タイムスリップして話し始めたことをバカにしたり、「そんな昔のことをクヨクヨし
たって何になる」などと思わずに、ちゃんと聞いてあげてください。
そうすれば、前後関係や状況が解からないまま、象徴的な部分だけをキーとして残してしまっ
た事柄の一つが解決するでしょう。(本人にとっては重大なことですから。)
[2000年12月10日 21時58分33秒]

お名前: ペンギン   
【言葉と発達の学習室からの転写】−思春期パニック−

本人の側にある原因は、ストレス耐性が弱いとか自己認知力が低いとかいうことで、自分のと
った行動が正当なものではないから結果が思わしくなかったり、自分の予測自体が間違ってい
たのに、それを指摘されると怒るというものが多いです。
また、これくらいの年齢になると、或る程度状況が理解できるようになっていて、「こうしな
ければならない」のに「そうできない」というギャップから混乱していることもあります。
それから、小学校高学年ということで、周囲からの要求が高くなったり、個人にかかる責任が
重くなったり、「これくらい・できるもの」として扱われることで不安感が高まったり…。つ
まり、"負荷"が大きすぎるということも考えた方が良いと思います。

で、原則として、パニックで暴れている時にはお説教をせずに、とりあえず収拾させること。
そして、だいたいはいくつかの情報が錯綜して混乱していることが多ので、落ちつくのを待っ
て、本人自身の側の原因と環境要因を順を追って具体的に説明して、「では・どうすれば・い
いか」改めて考えるようにすればいいと思います。
そして、その中で本人にはどうしようもない環境的な原因については、相手(先生だったり同
級生だったり)があることなので、対外的な交渉もしないと解決できない場合もあるかもしれ
ません。

※この頃からフラッシュパックがキツクなるので、タイムスリップによるパニックのことも
 あります。
[2000年12月10日 14時35分48秒]

お名前: ペンギン   
構造化された場面では、とっても上手に振る舞える自閉症児・者がいます。
構造化されていない場面での人との係わり方を見てください。
[2000年12月9日 23時11分14秒]

お名前: ペンギン   
「自閉症」児が、いつも何かに触っていたいのは、とっても表面的な"触感"がいいのであって、
その中身に興味があるわけではありません。
だから、お気に入りの感覚グッズを探してあげようと思ったら、表面的なこと、特に素材に着
目してあげて下さい。

それから、ストッキングに興味を示す場合は、あのナイロンの生地の感触を好んでいるのであ
って、そこに包まれている足や性的なものへの興味ではありません。
そこを勘違いしてむやみに禁止すると、逆にその感覚への「飢え」を強め、成人後に大変な誤
解を受けることになります。
従って、ストッキングの生地に対する固執は十分に認めてあげて、中に生足が入っている時や
公衆の面前では決して触らないようにコントロールすることを教えてあげて下さい。
[2000年12月9日 16時28分48秒]

お名前: ペンギン   
−幼児期の「こだわり」「不適応行動」への対処−

長男にみられた「こだわり」行動。
1、特定の形状の物:車・ザリガニ・建設用車両・電車
  ⇒「見る」のが好きな分には、特に誰にも迷惑をかけないので、毎日その時間を作る。
   ただ、帰ってきてから、見て来たものをそっくり再現したがって、その為のミニカーや
   ブロックなどを揃えておく。が、全く同じモノでないとパニック。本人は不器用で工作
   できないので、紙に描いてミニカーに貼りつけたりして対応。
   色塗りが出来るようになったら、自分でミニカーを塗りたくってしまう。それで、同じ
   形の物がいくつも必要だった。
2、特定の行動の繰り返し:紙蒔き・水遊び・生物の分解
  ⇒紙蒔きは、広告の紙をダンボールの箱いっぱいに取っておき十分にやらせる。家中をチ
   ラシだらけにしてご満悦だった。しかし、全部蒔いたら、「今度はあの箱にチラシを入
   れる競争!」と言って箱に戻すことを必ずさせる。
   水遊びは、家庭用のプールで存分にやらせる。蛇口をひねって自分で水を出すことは、
   初めから許さなかった。寒くなったら、風呂場に場所を変える。
   何でも中身を見てみたくて、分解することに凝った時期があった。しかし、ミミズやセ
   ミやザリガニまでも、しかも一匹二匹ではなく捕まえて来たもの全部を水槽の中でバラ
   バラにし始めたので、全面的に禁止。それをやめるまで、取りにも行かせなかった。
3、常同行動:ロッキング・回転椅子
  ⇒基本的に容認。しかし、あまりにも激しくやり過ぎて出血したりしたので、時間制限を
   する。止めても、何時の間にか戻ってやってしまうので、外に連れ出したりする。
4、問題行動:新規の事柄への抵抗・やり始めると止まらない
  ⇒今までやったことのない事・行ったことのない場所への抵抗がとても強かった。
   前説をすると必ずゴネルので、いきなり連れて行く。何かしなければならないとなると
   必ずパニックになるので、始めは見てるだけにして終わり頃には必ず参加させた。と言
   っても、自力ですることは要求しない。すると、今度は終わり頃にその気になり、帰っ
   てきてから悔いが残るので、(イベントが終了しても)同じ場所に二度行った。
5、幼稚園への不適応
  ⇒最初に行った幼稚園では、事あるごとに「恐い 恐い」を連発して動かなくなってしま
   ったので、その度に園長先生が抱っこしてくれていた。だいたい、その場にはいても無
   関係な行動をとっていた。園児同士の話題にはほとんど乗らない。玩具の持ちこみは厳
   禁なので、登園直前まで持たせておいて私が持ち帰り、お迎え時に持って行って思う存
   分遊ばせてから帰ることを繰り返した。しかし、初めの幼稚園は行事が多く、しかも、
   二週間前ぐらいからだんだんに盛り上げて行くやり方をとっていたので、「言ったこと
   は即実行」でないとついて行けない長男には無理と判断して、一学期で退園。
   運動機能の落ち込みが激しかったので、二学期の間は体操教室の1年下のクラスに入れ
   る。何かが出来るようになることよりも、「指示を聞くこと」「課題から逃げないこと」
   が主目的。
   翌年、従兄弟がいて行事も少なく小人数の保育園に入園する。事前に園長先生に事情を
   説明しておいたので、一切の無理強いをせずに対処してもらう。登園時刻も、本人がそ
   の気になってからということにしてもらう。ただし、「この保育園は、お母さんが入っ
   てはいけない決まりになっている」ということにして、門のところでキッパリと諦めさ
   せる。
[2000年12月9日 10時18分48秒]

お名前: ペンギン   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】−絵文字について− 

その子が判るものならば、何でもいいんです。
既成のものや○○法じゃなければいけない、なんてこともないんです。
本人が理解している物でも記号でも絵でも写真でも何でも活用して、オリジナルなモノから始
めればいいんです。だって、最初は親子の二者間関係で通じればいいわけだから。
そうやって、コミュニケーションがとれてから、だんだんと汎用性のあるものに変えて行って、
時期が来たらそれが「言葉」に代わって行けばいいんです。
[2000年12月8日 17時4分11秒]

お名前: ペンギン   
自閉症児の全てが多動でもないし、過敏症があるわけでもない。むしろ、寡動で鈍感なことも
ある。
また、不安恐怖症が強くて母親にピッタリくっ付いて離れなかったり、母親としか会話しない
こともある。
或いは、クレーン現象で母親の手を自分のものとして利用したり、母親を巻き込むことを「こ
だわり」にしていることもある。

確かに、ここまで「頼られている」ことは確かなので、母親にとってはうれしいことなのかも
しれない。でも、これは「依存」であって「愛着」ではない。
その母親の満足感の為にその子に本当に必要なことをしないのは、結局、本人を不幸にする。
(実は、私の母がそういう人で、私の「依存」を許しながら私の行動や言うことがオカシイと
批判し続けたので、結局私は「自立」もできなかったし「愛着形成」にも失敗した。)
[2000年12月8日 16時55分26秒]

お名前: ペンギン   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】−衣服の調節−

温度知覚の鈍い人がいるので、そういう場合はとってもたいへんなことです。
私の場合、体を冷やして病気になるまで気がつかなかった。衣服の調整が自分で出来るように
なったのは、25才ぐらいになってからでした。
(自分で暑さ寒さが分からないのと、自律神経の調整機能が悪くてほぼ変温動物並に体温が変
化してしまっていたことの両方の原因でした。)
[2000年12月8日 15時25分31秒]

お名前: ペンギン   
【困ったさんの洞穴からの転写】

他人がやって効果が上がったのを見たとか、自分がやってみて効果的だった話をすることは、
悪いことでもなんでもない。
危険なのは、それを聞いた人が、内的な動機付けや必要性もないのに真似することだ。

ある自閉症者が、自傷することで精神的な安定を図ることが出来るようになったと語ったから
と言って、全ての人がそうなるとは限らない。しゃべれる自閉症者は、しゃべれない自閉症者
の代理人ではない。
大事なところは、自分で自分がどういう状態の時に何をすればいいかが分かったというだけな
のだ。

私は、放っといてもらえて、むしろうれしかった。
でも、今の子どもは、「あれも自閉症、これも自閉症」といろいろといじられて、可哀想だ。
私が苦労したのは、自閉症"である"ことにではなく自閉症であることを"認めてもらえなかっ
た"からなのだ。自閉症"である"ことを"認めて"、それなりの扱いをして欲しかったというこ
とだ。自閉症"である"ままに、社会性を身につけるのなら許せるのだが、あたかも自閉症"で
ある"ことは「悪」であるような取り扱いをするのなら、結局、昔と変わらない。

世の中のほとんどの人は自閉症ではないのだから、自閉症の理論で説明しても通らない場所で
は「そうではない」解釈を貫いていてくれた方がいいのかもしれない。
それに、「そうではない」解釈をした方が、その家の親子関係が安定するというのなら、それ
ならそれでいいのかもしれない。
しかし、私が生まれて始めて「愛着」を持ったとまではいかないが、「信頼」する気になった
人というのは、話し始めていきなり「一人がイイって言っている人に、愛だの結婚だのと言う
ことはないわねえ!」と言ったのだ。正に、青天の霹靂だった。「おいおい、それ言っちゃっ
ていいのかー???」って思った。
その後も引き続き「本心」を言わせておいて、言っても言っても肯定されるので、逆に恐くな
ってしまったのだ。だって、今まで自閉症の感ずるままに人にしゃべってしまって、良いこと
なんか一つもなかったから。「どうして、人の話をそんなに"そうだそうだ"と聞いてくれるの
か!?」って、こっちが質問した。
しかし、それは「私の中で解放されたがっていたもの」だった。それを封印してきたことが、
私の精神を狂わせていたのだった。つまり、自分が自閉症であって、自閉症の考え方や感じ方
をしていない自分はいないということ。
[2000年12月8日 15時18分20秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンノの療育掲示板からの転写】

それに、「人の目を見なさい」と言われれば「人の目を見ることができる」ようにもなるだろ
うし、「お話しましょう」と言われれば「お話もできるようになる」でしょう。「人から逃げ
るな」と言われれば「人といられるようになる」かもしれない。
でも、それで「いつ・いかなる時でも・人の目を見なくてはイケナイ」とか「親しい人とは・
必ず・お話をしなければイケナイものだ」とか「どんなにイヤでも・人と一緒にいなければイ
ケナイ」、というように「自分で自分を縛ってしまう」徴候が現れたら「条件付きの指示」に
置き換えてあげないと、精神的に危険な状態に陥ってしまうことを頭の隅に入れておいて欲し
いです。

大切なことは、「自閉症」の本人の気持ちを理解しながら、人と暮らしていくためには「人に
不快感を与えるよりは、少しでも親しみを持たれる人でいた方が、自分のためにもなる」ので、
そのために学習した方がいいこともあるのだ、ということです。
「普通」になっていくことを喜ぶのではなく、「普通」の人と折り合いをつけていく方法を技
術的に習得しているのだということ、忘れないで下さい。
[2000年12月8日 15時14分0秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】

「抱っこ療法」って、いわゆる『療法』という「抱っこ」を用いると「自閉症」が治るという、
あの「抱っこ療法」ですよね。
家にも一冊本があって、今、それを見ているのですが…。
まず、表紙に「自閉する心を解きほぐし、近しい人とのきずなをますます深め、人間的な感情
を育てはぐくむ」とあります。(そのあたりから、既にアヤシイ!)
で、問題の箇所はきっと、
「働きかけには応じたくないという抵抗の心情に共感する。」
「昔から最近までのつらい気持ちの表出を受けて慰撫する。」というところだと思います。

「だっこ」というか、http://home.hiroshima-u.ac.jp/aohta/paperbehavioral.htmにある
ように、「自閉症」児が「しめつけ」を必要としている事は間違っていません。
私も、実際にこれで長男のパニックを止めました。パニックを起こして手足をバタバタさせて
暴れていた時に、胎児の姿勢にしてギュッと抱きしめてやりました。それで、それ以降「不安」
をコントロールできるようになったので、パニックにはなっても暴れる事がなくなりました。
というのは、「不安」状態にある時、「自閉症」者は身体が拡散した感じになってとっても不
快になるのを、私自身が知っていたから。
でも、これは『抱っこ療法』の理論とは全く違うものです。

で「抵抗の心情に共感する」の説明ですが。
自閉症児はマイペースの行動が支配的で働き掛けへの抵抗が強いので、親が愛着を深め何かを
教えようとすればするほど対立が深くなる。
   ↓
故に、それが辛い思いであることを受け止めて共感しながらも、親の強い思いを伝える。

ということで、それ自体は誤りとも言い切れません。というのは、「どうせ、自閉症なんだか
ら、人の気持ちなんかわかりっこない」とか「交流したくないのなら、放っとけばいい」とい
う考えの人も確かにいるし、幼児期にパニックを頻発させる子だと「どうしていいか分からず
に、ただオロオロしてしまう」人も多いでしょうから。
でも、そういうどうしようもない状況下でも諦めずに、「自閉症者にも心があるし、人と交流
できる」という信念を持ち続けることは、必要な事だからです。恐らく、幼児期の間は「だっ
こ」がそういう役割を果たしていたのでしょう。

それに、十分に信頼関係が成立しているのなら、机に向かわせるために自分自身が椅子になっ
てしっかりと抱きしめ、「この場面から逃げさせない」という強い姿勢を示すことが更に信頼
関係を深めることもあります。
というのは、「本人が・本当は必要としているのに・楽な方向に逃避しようとしている」こと
を許さないのは、結局「本人のため」になり「本当に必要」なことだからです。

ただ、動機付けもない場面で杓子定規に行うのは、ただの「押し付け」です。

「だっこ」することがどうだというのではなく、この理論全体がフロイト派の「精神分析」に
基づいているのが違うと思うのです。
自閉症者が「だっこ」を求めていると言っても、一般的な意味とはちょっと違います。自閉症
者の多くは自分と外界の境目(つまり、皮膚感覚)を自分で知覚できないのです。昔は、知ら
ず知らずのうちに布団にもぐったりしていました。というのは、精神的に不安定になると特に
この身体的な拡散感が強くなって、とっても不安になります。その時に、「しめつけ」体験と
いうのは安定感を取り戻すために必要なのです。マットを利用した感覚統合訓練なども、同じ
目的で行うものです。

しかし、「抱っこ療法」の理論というのは、テンプルさんが締めつけ機で得ようとしたような
身体の安定感に根ざすものではありませんよね!?

「自閉症児は本当は人と係わりたいのに、過去の外傷体験に起因する恐れ・怒り・悲しみとい
った感情が否定的に働いて、愛着形成を阻害している。それを泣くことによって解放している
のだ。」というように説明されています。
そして、実際に行動が改善された例があっても、ほとんど「愛着障害」の理論で説明されてい
ますよね。もしかしたら、その説明はとっても感動的な内容なのかもしれない! こういう解
釈も成り立っているのだろうし、それがしっくりいくという人もいるのでしょう。

でも、私は気持ち悪くなってしまう。というのは自閉症者の論理で書かれていないから。
[2000年12月8日 15時13分8秒]

お名前: ペンギン   
【困ったさんの洞穴からの転写】−自閉症の身体感覚あれこれ−

体調が悪くてそれだけでシンドイ日は、動くのもタイヘンだし意識が外界に向かない。
でも何かしなければならない時には、意識を外に向ける為に何かの音に注意を集中させている。
そうしないと、すぐに自分の身体の重さや空中の光の残像や思考に囚われてしまうから。

「出かける予定」が入っていて準備ができている日は、始めから「お出かけモード」になって
いるから、意識を外界に向ける必要はない。こういう時は、どんなに体調が悪くても全く気づ
かなかったりする。
そして出かけた先で、機械の音やら照明器具の光やらそこらじゅうに貼ってあるポスター類の
文字などに注意を集中させるのは、〈人〉から逃げるため。

ボタンはめの出来ない「自閉症」児を見たら、その子はボタンとではなく自分自身の体と
格闘していると思って下さい。

〈人〉の触覚から身を守る為に、掲示物の「字」を見る。でも、話はちゃんと聞いている。
注意を外界に向ける為に、テレビを付けて意味を意識しない空のコトバ(つまり、言葉の音)
を聞く。その方が、内部感覚や思考の鎖に囚われずに作業ができるから。
イライラしているからではなく覚醒状態を保つ為に、ロッキングしたり体を叩いてリズムを
作る。そうしないと、何かに「注意」を集中させるためのエネルギーが切れて、ボーッとし
てしまうから。

意識が視覚に集中すると、対象だけになってしまって自分の身体が消える。
意識が聴覚に集中すると、自分だけになって他人の身体が消える。
いや、正確に言うと、"消える"のは身体の「知覚(情報として処理されたデータ)」であって、
「感覚(物理的な信号)」ではない。だから、〈人〉の感触はないのに、人にぶつからないよ
うに歩くことが出来る。

でも、「言葉」というのは聴覚だけの単純な「音」ではないから、「注意」という別の機能を
動員しないといけない。
何か他の物を見て「意識」を外界に向けて、自分の身体がここに在ることを忘れないために揺
すったり叩いたり何かに触ったりしておいて、それから人が言っている言葉を聞く。しかも、
入力の時点では音声信号でしかないので、とりあえず人の言ったことを文章そのまま丸呑みし
ておく。それを解析するスピードが速ければ、すぐに「意味」に変換出来る。
それのできない解読不能なものは、たいがいこちらの処理能力を越えた「感情」という要素の
あるものなのだろう。でも、気にはなっているのでとりあえず「音」として記憶のストックに
入ってしまう。それから、「音」として面白かったものも、そこにほうり込まれる。
ただ、その貯蔵庫送りになる「音」は、こちらでは選べない。勝手に転送されてしまい、ちょ
っとしたことをキッカケに勝手に再生される。しかも、画像付き。そのフラッシュバックがか
なりのクセモノ!

「不安」が強くなって来ると、「触覚」刺激を求めるようになる。
季節の変わり目に制度変更の通知、安定している状態が長続きしないという恐怖。

自分がありのままの自分でいられる時というのは、自分以外の外界のすべてのものが統一性
を失った部分の集合体と化して、空気と同質になっている時。そこにいる人も、物質も、私
にとっては存在しないものになる。
その時、椅子が回転すれば回転させるし、体を揺すりたければ揺するし、足を伸ばしたりバ
タバタさせたければそうするし、手を振りたければ振っている。或いは、目の前にある葉っ
ぱが風に揺れていたり、何かがチカチカ光っていれば目を細めたりいろんな風に見方を変え
て見たりしていることもある。
でも、そうしていると人的要素が一切消えて、「言葉」だけが浮かび上がって来るので、何
か考えをまとめたり、人の話をちゃんと聞こうとすればするほど、あからさまにそういうこ
とをするようになる。
もしかしたら、「自分」さえも空中に拡散して消えてしまっているのかもしれない。

振るようにできている手は、振って良い時には思いっきり振りましょう。
きっと、感覚−知覚が歪んでいるのと同じことが、体性感覚でも起きているからでしょう。
だって、末梢神経には「感覚神経」と「運動神経」の2種類があるのだから。

我々にとって重要な位置を占める、「感覚」と「身体」を調整する為の感覚統合訓練やムーブ
メント療法が、言葉の遅れや何らかの問題を解決する目的でしか処方されないというのは、残
念なことです。
幼児期にパニックを起こした時に、胎児の姿勢でギュッと抱きしめてやると、随分違うんだ
けどなー。(混乱した時や不安になった時に、終結させる体験が身体と結びついているので。)
[2000年12月8日 15時5分0秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】

不思議なもんで、親というのは、実質コミュニケーションの役に立ってなくても「早くしゃべ
った」=「頭が良い」ということに直結するから、とっても安心する。
しかし、自分がちゃんと世の中に納まってから話そうとしていると、「しゃべれない」=「こ
れは一大事だ!」ってことになって大騒ぎするのだ。
[2000年12月7日 14時48分7秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】

しかし、(自閉症の場合、特に)人が自分に対して話しかけていて・更にそれに応えることを
要求されていることが分からない、つまり、人との係わりそのものがない時には、とりあえず
「同じ場に・一緒に・いられること」と「求めている身体的な感覚やこだわりを理解して、信
頼関係を作ること」から始めないとね。
「言葉」というのは結果として出てくるものだから、「急いては事をしそんじる」より「急が
ば回れ」ですよ!
[2000年12月7日 14時47分35秒]

お名前: ペンギン   
【言葉と発達の学習室の掲示板からの転写】

それから、普通の言葉使いは、自分と他人を別の人格として認識していて→それゆえ、人と人
とが言葉を交わしていることが分かっていて当然、という前提に立っていますよね。
でも、主客が分離していない「自開」状態(※「自閉」ではない)だと、一人称の言葉(つま
り、自分が話す時の言葉使い)を与えてあげないと、何て言っていいか分からないんです。私
は、とりあえず真似してしゃべってましたけど、本当にそれでいいのかずーっと不安でした。
[2000年12月7日 14時46分56秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】

うーん、ワシもいきなり叩くのがとってもカッコイイあいさつで、結構ウケテたから、みーん
な喜んでるのかと思ってた。(でも、乱暴だって言われてたらしい。しかーし、人が自分に向
って話し掛けていることは小さい内から分かってたけど、誰かと誰かが会話していて「その内
容が自分のことを批難しているのだ」ということに気が付いたのは、小6の時だった。
[2000年12月7日 14時43分28秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】−間違いに弱いことについて−

[もっとも「自閉症」らしい時期の状態]
「自閉症」の人は、大人も子どもも他人の評価とは無関係に、「知らない」と「間違う」を恐
れます。それで、「分からないこと」や「完全にできないこと」を拒否したりもします。
なんてったって、「1か0か/全か無か」という思考パターンを持っています。
そういう時には、成功事例には「こだわり」、一度でも失敗した経験がある事柄には強い忌避
反応を示します。


[学習能力があって、一度経験したことを「選択肢」の一つとしてストックできるようになると]
たくさんの可能性をいつも心の中に下準備して事に臨むので、「予想外の出来事」が減って対
応はよくなります。
[2000年12月7日 14時41分24秒]

お名前: ペンギン   
だけど、自分に向かって発せられた「言葉」「視線」「身振りや手振り」に自然に注意を向け
られないという、「注意」の「指向性」(こっちから向ける方ではなく、こっちに向けられて
いることに気づくかどうかということ)については、どっちにも有り得ると思う。
それと、「図−地の認知障害」もどちらにもあるように思う。ただ、ADHDだといろんなも
のからいろんなところを「情報」として受け取って、それにいちいち反応して行動してしまい
本来何をしていたのか忘れてしまうのに対し、「自閉症」では普通の人が注意を向けないよう
な要素や部分が際立った「図」として認知されているというのが違う。

それから、「自閉症」の場合は、注意を外界に向けて「情報」を入力しようとする時に細かい
要素や部分の寄せ集めになってしまって、必ずしも一つのものとしてまとまっていないものを
合成してしまうこともある。
例えば、通常の人の可聴範囲外の音まで聞こえてしまっているとか、複数の人の喋り声の音が
合成されて聞こえてしまっているとか、あっちこっちで会話している人のしゃべり声の中から
聞こえて来る単語だけ聞き取って(自分が会話のメンバーでもない)別々の人にランダムに答
えてしまうとか。
ADHDでは、こういう「音」や「形」が分解されてしまうことによる混乱は起きていないよ
うに思う。
[2000年12月7日 14時37分11秒]

お名前: ペンギン   
「自閉症」の注意の障害が、ADHDの注意の転動性と違うのは、まず第一に「自閉症」の
場合は注意を向けられる範囲が狭くて指向性があり、注意をどこに向けるか選択しているだ
ということ。
それから、もう一つは、場面や瞬間ごとに切れ切れになっていて連続した像を結ぶのが困難
ということ。まるでコマ送りとか、スライドのように固定化された状況認知をしているので、
注意が転動しているわけでもないのに前後の脈絡がつかないのだ。
[2000年12月7日 14時35分32秒]

お名前: ペンギン   
【時計と時間の関係の続き】
〇基本的に「今」しかなくて、記憶もスライド写真の集合体でしかない。フラッシュバックで
 止まっていた一場面を想起すると、それが突然ビデオ化して再生される。その場面の再生が
 終わると、関連した場面や類似した場面の再生が始まる。
〇アナログ時計は、図形や形でしかない。あるいは、何らかの行動を支持する記号でしかない。
 初期のデジタル時計(パタパタめくれていくタイプのもの)を始めて見た時には感動しまし
 た。「これこそ時間だ!」って思いました。←でも、良く考えたら、これは時刻でしたね。
 それから、カチカチ音のする時計は音に合わせて針が動く機械として見ていました。
[2000年12月7日 14時33分58秒]

お名前: ペンギン   
「パニック」は、2つ以上の情報や命題が同時にあって、混乱している状態。
(発作や奇声・自傷・他傷などの神経症状がある場合は、まずそれが収まってから対処。)

1、錯綜している情報や命題をほぐしてあげる。
2、その一つ一つを順番に並べたり順位付けをしてあげる。
3、具体的な選択肢を提示し、今・自分がすべきことを自分で選ばせる。
[2000年12月7日 14時31分46秒]

お名前: ペンギン   
「自閉症」児の予後って、ほとんど、良い方向に向っていない(必ずしも問題行動に結びつか
ない精神的なこと、逆に、真面目で物分かりが良過ぎることの弊害も含む)「こだわり」をい
かに崩すかということと、島状に突出した能力をいかに見抜いて社会的に整合性のあるものに
していくかにかかっている。
[2000年12月7日 14時30分43秒]

お名前: ペンギン   
あっ、そうそう、「先生に言われたことを教条的に守ろうとして、融通がきかなくなっている
子」の話。
「一般的な標語」を「条件付具体的な指示」に置き換えて柔軟性を持たせてあげないといけな
いんだけど、「担任の先生=言うことを聞かなければいけない人」になっている場合は先生の
口から言い直してもらわないといけないかもしれない。
でも、それが望めない先生の場合は、それを打ち破るだけの言葉を親がかけていかないとね。
だいたい、「固執」していることがあまり良い方向に向っていないことについては、何年もか
けて親の口から説得をし続ける必要があるカモ。
[2000年12月7日 14時30分11秒]

お名前: ペンギン   
ウチの長男は、生まれる前から「私」みたいな子供になるだろうと予想していたので、生まれ
る前から療育を開始していました。最も「自閉症」らしかったころには、どこの病院にも行っ
ていません。
でも、私は「普通」だと思っていたことがそうではなくって、私には「苦痛」だった集団行動
が出来ないことは「悪いこと」だと知って病院に連れて行ったのは、やっぱり幼稚園に入って
からです。
当時はまだ、LDに関するものしか本が出ていなかったので、その中で関係があるところで自
分で出来そうなことを拾って本格的な療育を始めたのはそれからです。(それまでは、ただ経
験的にやっていただけでした。)
一番手を掛けたのは、感覚統合訓練を自宅でやっていた小学校1年生の時です。小学校低学年
の時期はまだ友達は必要ないとよく言われますが、私が友達作りに全力を上げたのは2年生か
ら3年生にかけてです。でも、私が子供たちと一緒にゲームをしたり、感覚統合訓練で使った
遊具でみんなを遊ばせたりしている部屋の隅で、長男はタオルにくるまっていました。そして
言いました、「何故、僕の家には人がいっばい来るの?」って。私の答え、「みんなは、お母
さんと遊びに来ているのだから、自分は好きにしていればいいのだ。」
ソイツが、みんなのしていることに興味を持つようになったのは3年生になってからです。そ
の一年間は、ゲームなんかは私が代わりにやっていたし、もう一人の「自閉症」児U君もいた
ので、私はこの二人に二人羽織のようにピッタリとくっ付いていました。4年生以降は、ある
程度自分でやるように突き放しにかかりました。
[2000年12月7日 14時26分10秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】

自閉症児のとる経過でよくあるのは、幼児期に最も自閉症らしさが顕著にみられて、だんだん
とマイルドなタイプに移行していくというのが多いです。
で、初期の頃(或いは、未療育の時期が長い場合)は、直接的な指導を一切受け付けずに、自
分で自分のできる範囲&分かる範囲で勝手に解釈して"できている"と思い込んでいるけれど、
それは一般的な到達度とは程遠く、とっても「できている」とは言えなかったりします。
(ここで、自力で何でも出来てしまうと、かえって発見が遅れてこじれてしまったりするので、
本当は少しは出来ていない事があった方がよかったりもします。)

こういうガンコさも、ただ教わる・教わらないというぐらいならそれほどの大問題にはならな
いでしょうけれど、人の言うことを一切受け付けずに「こだわり」を通すというのは、結局は
本人の為になりません。

ここで、どうやって対決するかです!
で、ウチもこれには何年もかけました。ただし、状況によってあの手この手を使い分けてやり
ました。

「自分ではできていると思っているけれど、やっていることが違っている」とか「始めからで
きる人なんかいない」とか「間違って覚えればいいのだ」とか、直接ハッキリ言った場面もあ
りました。
(主として、学習に関すること。何故なら、これは本人が取り組まなければならないことなの
で、徹底的にやらせました。)

また、上手くいかなかったからと逃げ出そうとしたところを捕まえて、本人の代わりに他の人
が何度もやるのを見せて成功したり失敗したりするものだと説教し、やる気になったところで
本人にやらせて、最後に成功したところで気持ち良く終らせるとか。
(とりあえず、本人が逃げ出すことは許さない。けれど、無理やりやらせるのではなく他人が
やっているのを見せて、その気にさせる方法。)

それから、「やりたくなければやらなくていいよ、と突き放して本人が自分でやる気になるの
を待つ」とか「今はこれこれこういう理由で無理だからできなくてもいいよ、とカマをかけて
気にさせておいて、向こうから"やりたい"と言い出すのを待つ」という手を使ったこともあり
ました。
(この場合は、「出来ていない」「間違っている」ことを言い渡さずに、「どこかおかしい」
「何かが不充分」だということに気づかせるように言葉をかけ、後はかる〜くアドバイスとい
う程度に留めておいて、自分で「これではいかん!」と思わせる方法。)
[2000年12月7日 14時18分1秒]

お名前: ペンギン   
【アサクラ・タウンの療育掲示板からの転写】

自閉症の子どもは、「因果関係」の理解ができないことが多いです。
自閉症でもLDでも、「時間」の概念の獲得が通常よりかなり遅れることが普通です。

それで、どうすればいいかというと…。
「順序」に置き換えてしまうのが、一番手っ取り早いです。起きることを、発生順・時系列に
1から番号をふって、次はなに、その次は…、としていきます。
で、とりあえずそのまま覚えてもらう(ADHD)とかパターン化する(自閉症)ことでその
場を乗り切り、後はゆっくり発達を待ちます。
[2000年12月7日 14時15分48秒]

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