記事タイトル:無意味なコレクション 


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お名前: ペンギン   
いろんなことか分かりすぎる・いろんなことができてしまう。
学校ではもてはやされるが、社会にとっては無用の長物。
[2001年8月3日 17時21分45秒]

お名前: ペンギン   
学校で、理科だの社会だの家庭科だのを習って、よくありがちの問題に答えてテストで点を取
ったって(学習障害があれば、それもできないけれど…)、雨が降った時に、まず雨が降った
のに気づかない、風で雨が家の中に吹き込んでいることがわからない、家のどこに窓があるの
かわからない、引き戸一枚動かして窓を閉めたつもりになってしまい反対側が開いているのが
わからない…つまり"生活する"ことができない。

学校で習う、知識のための知識なんて、それこそ無意味なコレクション。
[2001年7月29日 9時50分42秒]

お名前: ペンギン   
『犬夜叉』の主題歌とタイトルバックが、昨日の放送から変わった。(とーぜん、長男と次男
に、登場人物全員の名前を教えてあげた。)
神無は良かったが、神楽はもっと凛としたキャラにして欲しい。
[2001年7月17日 9時59分42秒]

お名前: 一角獣   
猫も杓子も、で「杓子」について広辞苑を引いたついでに「猫」についても引いてみる。
当然(?)「犬」についても引いてみる。
諺の内容などからすると、犬と鷹が使役動物として社会的に認知されていたらしい。

今日の『犬夜叉』はちと暗かったですねぇ。そんな回もありということで。
[2001年6月11日 23時31分46秒]

お名前: 一角獣   
非常に長い待ち時間になんとか耐えられたのはBGMがバロックになっていたから。
ということに気づいたのでバッハの無伴奏チェロ組曲(カザルス演奏)を購入。

「あなたほど人間を怖がる人はいない」という表現をされました。

なんだか新鮮。
私は人間が「怖かった」んだ。そうなのか。そうかもしれない。そう言えないだけなのか。

「人間が嫌い」と言うと
私の傲慢か何かの欠落であるかのように負い目に感じてしまいがちですが、
「人間が怖い」と言うと、
が然、か弱く救済を待つ身になれたような気がしますぅ。(←小春ちゃんイメージ)

しかしそう言ってくれたヒトは、そんなに私の主観が転倒するような一言だと意識していないでしょう。
でも初めて口に出して言われたことは実感として意外です。
先方も救援者としての自身を意識できたからこその一言だったのかもしれない。
つまり私に嫌われていると感じている間は、決してそうは仰らないでありましょう。
[2001年6月10日 17時14分13秒]

お名前: 一角獣   
見つけた。珊瑚=ラムちゃんの目つきの瞬間。
18巻154ページ最終コマ。
[2001年6月5日 17時59分39秒]

お名前: 一角獣   
刀々斎は自分のシゴト(刀)に絶対の価値を置いているから
それを使いこなせず真価を理解しようとしない兄弟を「バカ」と呼べるんでしょう。
いいなぁ。ものつくりは。

しかし私個人的には天生牙の力=肉体の死から救うこと がそれほど価値のあることと思えない。
命あるものはどうせいつかは死ぬのだし、生きてさえいればいいとも思えないし。
蘇生する直前のりんちゃんが村人に袋叩きに遭って前歯が欠けていたようなのだけれど、
その歯は天生牙によって治ってるのかどうかの方が気になるゾ。
どっちみち乳歯だったら問題ないかも?
[2001年6月5日 7時46分33秒]

お名前: 一角獣   
刀々斎からは、殺生丸も犬夜叉も「バカ兄弟」と一緒くたにされてますな〜。(13巻)
「嫌われてるんでしょうな、やっぱり。」と言った邪見を蹴った殺生丸の心中がちょっと謎。
言葉を選べと言うのなら、どういう口の利き方なら良かったのだ。
[2001年6月5日 6時51分5秒]

お名前: ペンギン   
今日の話は、"かごめ"と草太の姉弟関係と絡めた、珊瑚と琥珀の姉弟の物語。

そういえば、小5の時に「うるさい、だまれ」と言われて以来一言も口を利いていない姉弟関
係って何だったんだ?・・・やっぱり、ワタシの育った家ってヘン。
[2001年6月4日 22時48分41秒]

お名前: 一角獣   
今日の作画はいまひとつ。なにより雲母の足運びが非常に不自然。
[2001年6月4日 19時25分20秒]

お名前: 一角獣   
しかしソンディの説を見ていると、これは「妖怪分析事典」のような気も。
[2001年6月4日 12時4分23秒]

お名前: 一角獣   
病的な領域の話で恐縮ながら流れのままに。
自殺を考える場合にも、一時的な衝動や、他力本願で成功の確率が左右される曖昧さや
圧倒的な外部の力の前に無力な状態、いわば自我の放棄の瞬間を1秒も入れるわけにいかない私。
したがって選択肢は自刃。
切ったら痛いのは当たり前。死ぬつもりなら身体的な痛みは一度我慢できたなら次も我慢できるはず、
という合理的判断の下、地道に切っていたりします。(←ご苦労サン)

高校生の頃、既にその理屈のまま動脈まで切っているのに「身体的な外傷」で入院しただけで
精神科に行くことはなかった私のケースはやはり変なのかしらん?
それは私にとって「ココロの病」ではなく「私の問題」だったようですね。

ソンディ学派のサイトなど見ると、分析タイプ別に自殺形式を割り出しているのが面白い。
私は、さしずめ「S:愛と死  性衝動遺伝圏のサブ範疇」の
「s マイナス 二者一体、マゾヒスト、メタトロピストの人々」?

「s−の人々は、一般に攻撃欲求sをつねに自分に向ける、自己犠牲的な人間である。」
しかしそれ以外の傾向説明は当てはまらないようです。私にはそこまでエネルギーが無い。
この学派の説明するような「人」に向ける持続的な欲求が私には無い。

ついでに適度な圧迫感が好き、という傾向のあった私は「マゾかも?」と思ってましたが、
テンプルさんのハグ・ボックスの存在を知って、理由はそれだったのか〜、と安心したのでした。
非・自閉症でも隅っこや布にくるまって本を読んでいるのも昔から好き。
[2001年6月4日 9時38分6秒]

お名前: 一角獣   
りんちゃんにとっては殺生丸が神様みたいなものなのかしら。
私は神様が助けに来てくれなかったので今に至る。

過去に死を選択しても、また続きを生きている人間なので
私はつい、桔梗はタフですな〜と思ったりするんでしょう。
[2001年6月4日 8時51分4秒]

お名前: ペンギン   
ケガした時に、頼みもしないのにせっせと水や食糧を運んで世話をしてくれた女の子"りん"を、
人間には無慈悲なはずの殺生丸が、天生牙で蘇生させた。
身寄りがなく穀つぶし者扱いされていて、口がきけない少女だったはずの"りん"は、逝き帰っ
た(文字通り、地獄からの使いの餓鬼を天生牙で切り捨てたので、一度逝って帰って来た)後
は、口もきけるようになったし、動作もキビキビとしてまるで別人のよう。しかも、殺生丸の
指示を字義通りにきく。「動くな」と言われれば、「動いていい」と言われるまで止まってい
る。
殺生丸にはやはり、妖怪でありながら人間に惚れた父と同じ血が流れているのか?
                  ・・・これが、殺生丸の株を上げるのか下げるのか?

どうしても、"りん"のこの様子を他人事と思えない、ワタクシであった。
[2001年6月4日 7時52分10秒]

お名前: 一角獣   
桔梗もよく疲れないなぁ。一回死んでるのに。

疲れているのは私か。
過去に7〜10年単位で無理な生き方をしてはそれを見切って方向転換してきたものの、
ようやく治療に取りかかってもこのまま老人性うつ病に雪崩れ込んでお終いかも?
そんなものかも。と思う最近です。

とりあえず鉱物写真のサイトでも見て休養。美しい。神秘的。小宇宙。(←石好き)
[2001年6月4日 6時44分57秒]

お名前: 一角獣   
殺生丸は何故犬夜叉をかまうのか。
でもそれやっていないと、結構カレって暇そう。
[2001年6月4日 5時49分19秒]

お名前: 一角獣   
「この私に」「この私が」「この私を」
↑
どの?というツッコミを入れる隙の無い殺生丸と桔梗のセリフ…
[2001年5月30日 20時5分3秒]

お名前: 一角獣   
「桔梗なんて居なくなってしまえばいいのに―」
「私、今きっとすごく嫌な顔してる。こんな顔で犬夜叉に会えない。」(18巻)

↑
実感として脈絡についていけない。と思ったかごめのセリフ。
では、ワタクシはどう発想し、展開し、どう思考回路を辿るかは、割愛。
[2001年5月30日 19時56分25秒]

お名前: 一角獣   
「おれの体に流れてる妖怪の血は、てめえなんぞと格が違うんだ!!」(16巻)
↑
犬夜叉にちょっとがっかり、のセリフ。

鋼牙クンの場合は「鶏口となるも牛後となるなかれ」の良い見本かも?
[2001年5月30日 19時45分25秒]

お名前: ペンギン   
そういえば、犬夜叉は布団に入って寝ない。

それにしても、「抜いちゃいなさいよ! その刀、殺生丸には抜けなかったのよ。それを、
あんたがやすやすと抜いたら…、殺生丸の面目、丸つぶれよ赤っ恥よ!」
「なるほど…。そいつは、すげぇいやがらせだな…。」
の下線の部分。・・・私は、そういう動機では鉄砕牙を抜かない。
[2001年5月30日 15時48分51秒]

お名前: 一角獣   
戦乱で妖怪まで襲ってくる不穏な世の中なのに、神楽の粋な着物は何処で調達するのかしら、
と思っていたのだ。妖力?
りんちゃんの新しいお着物は殺生丸のお見立てなのか、邪見に任せているのかしら?とか。

鋼牙クンに「アウ、アウ、アウ」と言いつけ口を利く狼たちが可愛いなぁ、とか。
[2001年5月29日 13時16分24秒]

お名前: ペンギン   
妖怪たちが変化(へんげ)する時に、服がビリビリ破れる。
しかし、元に戻る時には、あの衣装はどこから来るのか?

それから、珊瑚は着替えに時間がかかりそうだ。
(珊瑚は、時々、『うる星やつら』のラムちゃんに変化する・・・目つきが。)

早く、神楽が出ないかなあ。

でも、アニメだと犬夜叉が「かごめ、かごめ」と言っている声が耳についてウルサイ。
これは、アニメで付け加えた部分なのかとコミックを見直して見たら、私はそーゆーセリフと
場面を抜かして読んでいたことがわかった。
[2001年5月29日 8時10分8秒]

お名前: 一角獣   
立ち止まっていたら、日傘の上に雀がとまりました。しばらく居るので動けなかったゾ。
蝶々に服にとまられたことは何度かあるけれど鳥は初めて。
[2001年5月28日 12時24分32秒]

お名前: 一角獣   
桔梗はやはり
霊力をもった巫女であることをアイデンティティに選択する必要があるんでしょうねぇ。
霊力をもって生まれた為に束縛の多かった生きていた頃と違って
地域の安全を守るという社会的義務、自己を律して感情抑制をすることから解放されても、
もう普通に存在していける生きた身体が無いんだから。
今さらただの女のコになってもむしろ不完全な「かごめの影」になってしまうし?

桔梗の言動は恐ろしく計算尽くだけれど、計算があまりにも合っているので嫌みが少ないような。
全体として駒の配置や力関係からシナリオを読んでいてなおかつ
駒である人物たちの感情的動揺によって生じる誤差や運気の流れまで予測の範疇だから?
悲運の巫女としては幸運な自分の生まれ変わりの「運」がどの程度のものか、
突き放して見ているのかも。

ワタクシはかごめの強みは一つには未成熟で自分を知らないことだと思っています。
結局は、それも知らずに生きてこられた運の良さか。
[2001年5月26日 13時2分56秒]

お名前: 一角獣   
かごめの魂が大きいというのは、許容量が大きいということでしょうかねぇ。
↑5巻を読んでいる。

他者に寛容。
それって「敵」のいない環境で育ったからではないかしら。
誰も「悪い人じゃない」であろうことが前提。
1巻でも犬夜叉に攻撃されて「本気でやったわね!」とか言っているし。
2巻でも殺生丸にも「本気でやったわね!」とか言ってるし。
自分に故意に危害を加える者がいることの方が異常事態なのですね。(←日本の常識?)
[2001年5月24日 20時46分55秒]

お名前: 一角獣   
『犬夜叉』世界における「退治」「成敗」「封印」「浄化」の語の用法の違い。

犬夜叉だったら、強い者が勝つってことだろ。と言いそうな気もする。

いちおー考えたんだけど、
「退治」は商売で請け負う退治屋のような世俗の人間、「成敗」は法師の場合に使うのが原則のようだけれど、
「退治」の方が仏教の言葉らしいんですよね。「成敗」はむしろ政治的(世俗的)な言葉。
巫女の場合の「封印」は暫定的措置、「浄化」は恒久的措置という違いでしょうかしら。
[2001年5月24日 19時40分34秒]

お名前: 一角獣   
病名の区別は診断基準に基づいて医師がするものであろうから置いておいて。

記憶の欠落を巡っての「抑圧」と「解離」の違いは、時系列に沿って考えるならば。
抑圧とは、同じ軸の上にある一点の記憶が事後になって隠蔽されている。
解離の場合は、そもそも同じ軸の上にはその一点の記憶が存在しない。
抑圧とは事後の取り消しであり、解離とは発生地点での取り消しだったということかしら。
だから「抑圧」の場合は、思い出させる徴候が「嫌」なのであり、
「解離」の場合は、フラッシュバックに苦しめられても「これ何のこと?」と感じるものかも。

”抑圧されている表象ないし思考内容は、それが否定されるという条件のもとで
 意識の世界の中に入り込んでくることができるわけである。
 否定は抑圧されているもの[意識レベルでは認知を受けることができないもの]を
 認知する一つの方法であって、本来すでに抑圧の解除を意味しているが、とはいうものの、
 それはむろん抑圧されているものの承認ではない。”(フロイト「否定」)

劣等感や罪悪感という社会的(?)2次的(?)感情は抑圧されうるかも知れないが
圧倒的な恐怖や、無力感による絶望などの体験は、解離するのではないかしらん。
[2001年5月24日 19時31分0秒]

お名前: 一角獣   
9巻読んでも分かりませんぞ。<琥珀クンの主観
しかし本日で全巻制覇。天生牙とりんちゃんのことも分かったのでスッキリ。
[2001年5月24日 12時14分36秒]

お名前: 一角獣   
雨で書店に行けないので『犬夜叉』における
「退治」「成敗」「封印」「浄化」の語の用法の違いを考えている。(←考えんでいい)
[2001年5月23日 16時49分28秒]

お名前: 一角獣   
因果関係がよくわからずに結果だけがショックだったケースなら、
過失致死、最悪の結果に終わった事故、というタイプのトラウマで、
「過失」の必然性に納得できれば記憶を抑圧するほどの「罪悪感」は無くなるはずです。
「必然」の過程に自分の劣等感が絡んでいると、トラウマは多少複雑になるでしょうけれど、
それも弱い存在としての人間に誰でも起こりうる不可抗力という説得のしかたはある。
だからこれからどうしたらいいのか、という視点の切替も。
それが神経症治療に対応して生まれた精神分析の果たし得る役割かもしれないと思っているのですが。

PTSDのトラウマとは
「ある種の体験は記憶の中に符号化されるものの、
 それは自分に起こった出来事を理解し受け入れ、人生を続けていけるようなやり方では
 ないということである。」(同書、同章)

↑そーゆー意味で、この章の関心は人類史上の不条理であるホロコーストなどの
重篤な症例に向かっているわけですね。
乳幼児期のトラウマ体験も同じように重篤になり得るのかもしれない。
打撃と耐性は相対的なものだから。
[2001年5月23日 10時20分27秒]

お名前: 一角獣   
琥珀クンの記憶喪失はフロイトの「抑圧」のモデルに近い描き方のように感じます。
「精神分析的文献にあまねく認められる」「解離」という「語の用法の混乱」が
ここにも見られるかな、という意味ですが。

「トラウマに関して、「抑圧」という言葉を用いると
 望ましくないトラウマ記憶を患者が能動的に排除するというイメージが喚起される。
 実際の症例で、こうなっているのかどうかは、はなはだ疑問である。   
 最近の研究は、トラウマ体験の解離はトラウマが起こっている最中に起きることを示している。
 圧倒的なトラウマ体験を排除する能動的過程が存在する証拠はほとんどなく、
 体験を意識から切り離しているのは、抑圧とは別のメカニズムのようだ。
 トラウマの生存者の多くは、自分が自動的にその光景から遠ざけられたと報告する。」
 (『トラウマへの探究』第9章)

つまりPTSDの解離であるとするならば、(とりあえず奈落の謀略の経緯は置いておいて)
家族や味方に武器を向けざるを得ない、という行為の最中に、
耐え切れずに解離が起こっているはずです。
その件に関して、自分の体験としての記憶が真っ白、その体験に特化した別人格に解離、
というのがPTSDの解離かな。
そして思い出せない。はず。

しかし奈落の呪術によって操られていたから最初から別人格になっていたのですよね。
そして自分のさせられた行為の結果を見た時点では、ことの次第、因果関係を把握した?
それが奈落の仕向けたことであっても「罪悪感」になっているから思い出せないの?
(↑そこは観ても読んでもいないのでわからない。やはり全巻揃えるしか。)
[2001年5月23日 10時0分18秒]

お名前: ペンギン   
アニメだと、犬夜叉の着ている衣の「赤」がキレイ。
[2001年5月22日 17時21分59秒]

お名前: 一角獣   
作者の「色」と表現したのは、個性というかアクというかクセというか。
当然売れ筋のパターンとかキャラクターの配置とか、ヒットする為の定石は踏んでいるのだろうけど、
小さなネタで作者のユーモアのセンスを感じさせる面白さも巻を追うにつれ出てきたので。
↑
七宝ちゃんがドキドキして待ってたのに悟心鬼にイヤガラセで露骨に無視されて怒ったりとか。

七宝ちゃんは、アニメの声のイメージ合ってたような気がする。
[2001年5月22日 16時38分53秒]

お名前: 一角獣   
む〜。ビデオで見ようか…。

しかし原作コミックだと作者の色を感じ過ぎて閉息感などと言っていましたが、
もう慣れてきたので作品世界に愛着ができてしまったらしいです。そうしたら。
私の頭の中の登場人物の声が、声のイメージがアニメのそれとフィットしないの。
それで弥勒様が主役格のエピソードは放送前に原作を見ておきたかったのでした。(←ファン)
それにやはり昨日の放送を見てもアニメの弥勒は状況解説的セリフが多いなァ。役割的に。
それで原作より老けてる印象が。老成し過ぎちゃイヤ。
犬夜叉もアニメの方が原作より2つ3つ年上みたいな感じするかな?
(3、4回しか見てないのでよくわかんないけど。)
[2001年5月22日 16時18分48秒]

お名前: ペンギン   
あら〜、弥勒様が"風穴"開くと、紫色の光が出てキレイだったんだ。
[2001年5月22日 15時49分8秒]

お名前: 一角獣   
『犬夜叉』10、11、12を購入。

昨日アニメを見たところ次週は弥勒クンのエピソードだったようだし
四魂の玉のイワレもそろそろ知っておこうということで。←先週放送を見損なった。

弥勒クンは自分探しに行く必要なんて無かったのでしょうな。
最初から人と違う自分の状況が分かっているし、
同じ因果に生きた父親という先人の存在もあるし。
奈落を倒せば、いや倒さなくては、という採るべき道も分かってるし。←選べないし。
彼の父親はどういう生き方したのか興味あったのだけど、死際のエピソードしか無かったなぁ。

やっぱり選んだのか。前向きな方向で。
ただ不安でいるよりは目的=手段という存在の仕方もアリ。(←パチパチパチ…)

え〜とアト抜けているのは4、5、9、13、14巻。
[2001年5月22日 13時3分16秒]

お名前: 一角獣   
アニメを見て、犬夜叉って裸足だったんだ〜、と気づいた私。

悟心鬼の読んでいるのはシニフィアン?
思考の速度よりも速く動けるなんて凄いな〜そんな動きだと目に見えないんじゃないか〜?
と思ってみたり。
[2001年5月21日 19時10分53秒]

お名前: 一角獣   
『犬夜叉』15、16、18を買ってきました。
私は気の向いたところから揃えているが、今までは「惚れたはれた」の部分は丁度避けていたらしい。
そして今日の分は、そーゆーことが天こ盛りだった。(いや良いのですけど別に)

かごめが妥協したのですか。それは賢明。
元々恵まれているのだし贅沢言わずに「今」大切なことひとつを優先した方がいいでしょう。
人間は本人が知らないだけで、数秒後に事故で死ぬかもしれないのだから。←空から何か落ちてくるとか。
マンガの主役の場合、そういうことだけは無いけれど。

なんでも自分に都合の良いように解釈できる北条クン。
こういうヒトを堅牢な自我基盤を持っているとみなすのでしょう。
少なくとも平和な御時世である限り本人も周囲もハッピーです。
これが非常事態、どんな苦境に陥っても変わらないなら、ホントウに「強い」と言うべきでしょう。

北条クンのようにあまりにも自己充足していると、
他者と本当に関係が持てているのだろうかしら?という疑問も。
かごめともコミュニケーションがとれているとは言えないし。

今日は月曜日。放送のある日。しかしどうもまた見忘れるような気がする。
予定として意識して義務みたいになっちゃうのは重いので、見忘れたらそれでいいス。
(↑もうタダでさえ色々重いらしい。)
[2001年5月21日 12時40分1秒]

お名前: 一角獣   
なんとなく思いついたのですが。

いつまでも二つの時代の二重生活できないだろうし、
現代に生活基盤のあるかごめは、戦国時代での具体的なエピソード記憶は放棄しても
戦国時代での交流や体験から得た「何か」だけを心(脳かもしれないが)に取り込んで、
自分の世界である現代で犬夜叉の「生まれ変わり」の少年に出会えばいーのです。
理屈としてはあり得るでしょう? かごめが桔梗の生まれ変わりなんだもの。
「なんかコイツ、初めて会ったような気がしなーい。」とか言って、現代で一緒にいれば?
(↑少女の恋愛感情もストーリー展開の主軸のようだから、収まりを考えてみた。)

戦国時代の半妖の犬夜叉は、どうしたら幸福なのかな?

(幸福追求がテーマだっけ? 
 いや私は何故エンディングを考えているのだ〜。まだストーリー把握していないのに。)
[2001年5月17日 8時16分6秒]

お名前: ペンギン   
犬夜叉は、どんどん人間っぽくなってきて、イカンなあ。
最初の頃は、いかにも犬らしい座り方していて(それこそ、おすわりポーズ)、可愛かった。
[2001年5月17日 8時3分8秒]

お名前: 一角獣   
やっぱりドリトル先生のように犬から犬語を習わないといけないのか。
或いは観察によって犬語をマスターするとか。

珊瑚だけではなく『犬夜叉』では皆よく専属の動物に乗っている。
これって子どもの頃の憧れだったような気がします。乗り物で移動。しかも生き物。
殺生丸の乗っている双頭の獣も重厚でゴージャスでいい感じ。
でもやはり殺生丸でないと似合わない。
そーいえば。かごめは自転車か犬夜叉の背に乗っていますね・・・。
[2001年5月16日 22時22分44秒]

お名前: 一角獣   
無意味なコレクションらしいネタです。
動物行動学の本を読んだ記憶によると。(←『ドリトル先生』ではない)
水鳥のヒナは、頭上を飛ぶ鳥の影によって反応を変えているらしいです。
なんとか図示してみますと(左進行方向)
 |             |
−+−− の時は身を潜め、−−+−の時は気にしない。
 |             |

 ↑は猛禽類         ↑は水鳥(長い首を伸ばして飛ぶ)

ヒナはこういうこと、経験も教育もされなくても生まれた時から知っているのですね。
不思議。本能? 脳の中の初期データ?

犬の躾に悩むにつけ、野生のほ乳類の親が、子どもを巣に置いて餌をとりに行く時に、
どうやって「静かに動かないでいなさい」と言い聞かせるのか知りたいと思っていたけれど
それも生まれついて分かっていることなのかしらん?
[2001年5月16日 20時37分14秒]

お名前: 一角獣   
雲母と似た生き物が昔、イメージの中で生息していました。

何のキャラクターか分かった〜。<ございません。
邪見でした。(←何故?)
[2001年5月16日 12時21分57秒]

お名前: ペンギン   
妖怪・死人(しびと)・半妖と、人間の目。ちゃんと描き別けている。
まあ、妖怪と人間は、目の玉の形と色が違うから、ハッキリしていて当たり前。
だけど、見事なのは、里人に生きている振りをして振る舞っている桔梗の目と、死人の意地で
奈落に相対している桔梗の目の、描き方の違い。


ところで、「26話」のあらすじは、大方のところは同じだが、一部、コミック版とは大幅に
違っている。(日テレのホームページに書いてあったのは、コミック版そのまま。)
[2001年5月16日 10時29分16秒]

お名前: ペンギン   
犬夜叉の耳、引っ張ってみたい。
[2001年5月16日 10時15分24秒]

お名前: ペンギン   
雲母と書いて、"きらら”と読む。
[2001年5月16日 10時11分16秒]

お名前: 一角獣   
珊瑚ちゃんの乗っているあの生き物が欲しいんですけど・・・。(←無理)
[2001年5月16日 7時33分45秒]

お名前: ペンギン   
今日の『犬夜叉』のアニメ中、四つの魂の玉が合わさった瞬間の「色」と「光」が最高だった。
その色だけを焼き付けて、シアワセな気分で今日を終わりにしよう。

(まかり間違っても、その次の『名探偵コナン』のアガサ博士の声が、"冥加じじい"の声と同
じだったことを思い出さないように。)
[2001年5月14日 21時59分2秒]

お名前: ペンギン   
>「肯定的なコレクション」だけを、子どもたちに渡して来た。

というのは、子どもには「良いことばっかり言って来た」というのではない。

「否定的な面」はハッキリと断言している。
「できなくて仕方のないことができないことを、憤るな。」
「できなくて仕方のないことは、今はやらなくていい。でも、そのうち自然に出来るようにな
 るから、そうなったらやればいい。」
「どんなに頑張ったって、いくらゆっくり発達を待ったって、逆立ちしたって、できないこと
 がたくさんある。」
                               ・・・そう、言って来た。

つまり、「否定」的な面を否定したのではなく、「否定」的な面はハッキリ肯定した。
そして、「否定」的な面を「肯定」的に翻訳して渡した。
[2001年5月14日 18時5分46秒]

お名前: 一角獣   
巫女的な世界認識の単純化が、
理想論であるだけで自己寛容的な合理化(詭弁)ならば現実逃避なので認知療法で対処できる。
現実的な主体としての利益不利益を無視して実践しているところが厄介な病気なのです。
(結果俗世リタイアを余儀無くされる。他人に迷惑かけないが、本人がもたなかった。)
実践できるほどに悟りの境地であれば別に病気では無いはずだが、
妖怪にならないために強迫的に巫女を選択せねばならないのが実態なのです。
妖怪になる可能性と言うのは、人間皆殺し、という復讐願望も実は根底にある為。
私のケースに限って言えば幼少期に端を発するPTSDとは
一応のルールの保証のある社会生活上の対人摩擦が問題ではなく、
人間という生き物が本能的欲求や情動のままに躍動する妖怪に、
いつ変化するかわからない化け物としてインプットされているから。
毒には毒をもって制す、という理屈で自分が問答無用で殺しまくる妖怪になるわけにいかないし。
本当に人間=妖怪なら、巫女でも成敗したり封印したりしてもいいのだろうけれど
幼少期の刷り込みとは別に理性で人間=人間、と認識できているのでどうにもできん。
そしてストレス耐性に対する感覚刺激の強さは幼少期当時のまま。
だから「病気」になるのです。
神経症的症状を駆逐しても最終的には抗鬱剤で緩和されない強度の慢性鬱と身体化が主症状になる。

ということを数十年かけて体現してどうするのだ。
後に治療法が確立されるまでの前例を作ってるだけに終わりたくない。
[2001年5月14日 10時39分30秒]

お名前: ペンギン   
しかし、自分のやっていることやモノの見方・考え方が、「現在のこの国の価値観に叶ってい
る」「自分の所属する集団の価値観に叶っている」「"井の中のカワズ"なのにもかかわらず、
そうと知らずに地域的な価値観に叶っている」と思い込んでいる人ってのは、自分の方こそ"ワ
ガママの極致"だなんて、これっぽっちも思っていない。
この、妙な自信って、やだな。こんなものを集めて自慢している人の、気が知れない。じゃな
い、そんなの知りたくもない。それどころか、同席しただけでムシズが走って、その不快感を
清めたくなる。(そうならないように、感覚遮断をしたり、感覚を鈍らせるために精神安定剤
飲んだりしている。)
[2001年5月14日 9時6分45秒]

お名前: ペンギン   
それから、「自閉症」や「発達障害」の研究者、養護学校の教員や養護教諭の中で、本人の気
持ちに良く解かるという人の中には、世間一般の"ふつう"レベルの1つ下だった経験があると
言っている人が多い。
 症状があったとしても、心理社会的ストレスに対する一過的で予期される反応である。
 社会的、職業的または学校の機能にごくわずかな障害以上のものはない。
例えば、『発達障害の豊かな世界』に書かれている、S先生・T先生・I先生など。

そして、自分の子供が「自閉症」という、ウイングやデューイ。こういう人たちは、「自分の
子供が自閉症だから、本人の気持ちが解かる」だけなのかもしれない。
けれど、もしかしたら、自分自身にも「そのケ」が多分にあるからこそ「手に取るように解か
る」のではないか、とワタシは推測している。
[2001年5月14日 7時49分8秒]

お名前: 一角獣   
『犬夜叉』コミックス、17、19、20を購入。
弥勒クンが初期よりワイルドになっている気がする。←私的に良い傾向とみなす。
[2001年5月13日 16時59分11秒]

お名前: ペンギン   
全人として機能することが、そんなに良いことなのか? それが「幸せ」なのか?
・・・「あーゆーのがいーのか? そーゆーものなのか?」←犬夜叉のセリフ

DSMの「機能の全体的評定(GAF)尺度」によると、「精神的健康」とはこういう状態だ
そうだ。
「広範囲の行動にわたって最高に機能しており、生活上の問題で手に負えないものは何もなく、
その人の多数の長所があるために他の人々から求められている。症状は何もない。」
・・・まあ、世の中の大多数の人は、表面的にはこういう姿で生活しているけれど、その毛皮
   を剥いだら中身は妖怪だったりするかもしれない。
   心底こういう人なら、本当にそうなのだろう。けれど、お芝居している人とか、短所を
   無視・抑圧・否認している人もいるかもしれない。ただし、家庭でだけ本性を顕わす
   「内弁慶」タイプは、それはそれでれっきとした「症状」なので、24時間、生活の全
   てを追跡調査して厳密に測定したら、結構少ないカモ〜? 
   しかし、仮にこういう人が精神科を訪れて、治療室の中ではこう振る舞っているけれど
   「脱いだら凄い本性」を見破る眼力が、精神科医にあるのか?

いやいや、世間一般の「普通」の人ってのは、だいたいその一つ下のレベルじゃないの?
「症状が全くないか、ほんの少しだけ(例:試験前の軽い不安)、すべての面でよい機能で、
広範囲の活動に興味を持ち参加し、社交的にはそつなく、生活に大体満足し、日々のありふれ
た問題や心配以上のものはない(例:たまに、家族と口論する)。」
・・・こっちの方が、よっぽど健康的だと思う。
   ただ、こういう人といると、私は確実に(精神的に)疲れてしまう。世の中には、こう
   いう人が溢れている。そして、それが当たり前で、自分がその状態を維持できているこ
   とに何の疑念も抱かず、他者もこうあることが当たり前だと押し付けてくる。
   こういう人に限って、他者が軽い症状(抑うつ・不眠・反抗など)を示した時に、「情
   けない」「だらしない」「頑張れ」「なに、バカなこと言ってんの」などと言って来る。

これに対して、精神的な病的状態の最たるものは、「持続的で実害のある暴力」「最低限の身
辺の清潔維持が不可能」「自殺行動の実行」。
それよりちょっと軽いものは、「自殺企画」「時々、暴力的/時々、興奮」「時々、身辺の清
潔維持困難(といっても、遺糞症レベル。字面から受ける印象よりも、かなり重い。」「無言
またはひどい滅裂」
さらにちょっと軽くなると、「妄想や幻覚に影響された行動」「時々、滅裂な発言」「自殺念
慮」「ひどく不適切な振る舞い」「ほぼ丸一日の過眠」「仕事も家庭も友達もない」。
こういうのは日常的ではないので、ほとんどお目にかかることはないはず。

私にとっての「治療到達レベル」ってのは、かろうじて社会生活は維持できているけれど、
「ちょっとした感情の異常」「ちょっとした会話の困難」「ちょっとパニック/ちょっと鬱/
ちょっと躁/かなり不安」「友達いない」「仕事や生活上の係わっている対人関係にすごい葛
藤」。こんなところで、良いんだな。
[2001年5月13日 11時0分51秒]

お名前: ペンギン   
どんなに下らなくて野蛮でも、この国(社会&文化)の価値観に叶うコレクションは、「意味
あるもの」として博物館になったりもする。
しかし、この洞穴にあるのは、そこから外れた「意味ないじゃんもの」ばかり。

私はずっと明るかったけれど、顔色一つ変わらないまま「自己否定」が基調になってしまって
いた。そこで、知らず知らずのうちに「価値の引き下げ」という自己防衛をしていた。
「自分はここに生きていない。自分は、この社会で生きる価値のない生き物。だから、自分の
周りには、いつもいつもこの程度の人間しかいないのだ。」と。

つまり、私自身に関しては、いつもいつも「否定的なものばかりコレクション」して、「肯定
的なコレクション」だけを、子どもたちに渡して来た。

やっぱり持ちませんでしたねえ、破綻しました。自分の方が…。
[2001年5月12日 23時2分44秒]

お名前: 一角獣   
私はある時以後、巫女か妖怪か、どちらかを選択しないとやっていられなくなったようです。
まあ、自己イメージが良い自分と悪い自分に二分対立してしまいやすいのです。
当然(?)他者イメージも適当なところで統合できません。

自己イメージに関しては、おそらく自責感が極度に強いからでしょう。
医師からは自己評価が低い、自己否定的と言われこともありましたが、
どうやらそうではなく、それなりに自己を評価しており否定もしないけれど、
一般的に見られる無条件の自己肯定の範囲が欠落しているようです。
その土台が無いから、何をしても蓄積とならない。

見聞によると治癒とは不完全な自己を受容することで全人的に機能する人間になること
だと思っていましたが、私の病気では壁が大きい。
(神経症レベルの各種症状は独力で抑制。←病気の宝庫。しかし通院歴はゼロだった。
 しかし治療者を得た現在でも元の病気は治らない。)

どうにもならないのなら、いっそ運命を受容する潔癖な巫女を殻に選択しようか。
と考えている最近です。
妖怪を選択してしまったらその時点で魑魅魍魎の闊歩するのが外界になる。
外界は自己の内面の投射でもあり得るので。

巫女を選択するならば、いたずらに仮想敵を作らずに済む。自分がラクになりはしないが。
少なくとも一人は味方でいれくれる。かもしれない。人並みに多くを望まなければ。
禁欲が運命か。欲求を持たないから欲求不満にもならない。妥当な結論かも。
どうせどこかでは諦めないといけません。その水準が一般より低くても仕方ないのが現実だし。
欲求不満を症状というカタチに転換するのが正常な反応なのかもしれませんが、
単純な話、そこまでの心的エネルギーが無いのですね。
[2001年5月12日 22時0分2秒]

お名前: ペンギン   
犬夜叉や桔梗や奈落と違って、"かごめ”の方が圧倒的に魂が大きい。
その分、その「こころ」が病んだ時に、無意識下に押し込めようとする記憶や防衛反応のシス
テムが複雑になる。
犬夜叉や桔梗や奈落には、その全体的で複雑な仕組みが元々無いから、始めから全人として機
能していない。普通の人が病んで至る"なる"状態が初めからあるので、"なる"じゃなくって
"である"からのスタート。
壊れたものを修復するのではなくて、これ以上壊さないように維持するために医療的関与を求
めるのだから、治療による到達点のレベルが低くていい。その分だけ、単純なのかも?
[2001年5月12日 10時43分51秒]

お名前: 一角獣   
>不安障害を幼児期から持ち合わせることになる。
 「人との係わりや繋がりの中に、自己の存在を位置付けられない」し、
 「言葉や身体的接触によってに慰められることがない」となれば、
 自己が存在する安定した基盤を作るのは難しい。

>自分の「仕事」によってしか、自己存在の価値を認められない。

ここが同じです。しかし違いもまた決定的かもしれない。
その「違い」、自分の問題は簡潔に表現できないのでした。私は。

自己分析には壁がある。
材料として過去に膨大な量を主治医に向けて書いてきました。
それも無意味なコレクションになっているかも。主治医は分析畑の人では無いので。
少なくとも。数年かかって妥当な診断がついた。その役には立ったかもしれない。
しかし苦心の末に診断がついて現在までに医師との間で確認できたことは、
私のような患者は他に例が無い、従って治療モデルも無い=治療法がわからない。
ということでした。
(薬もなかなか効かないし、薬で調整して維持するような生活は既に無くなっている。)
医師には症状が重いことだけは当初から分かっていたようですが、私には分からなかった。
数十年間、一人で悪戦苦闘してきて、やっと「治療」を始めても実際にしてきたことは、
結果的に実態のままにいかに重い症例であるかの具現化であり受容でしかなかった。
「病気」だけに、診断がついて、ではどう社会生活を営んで行くか、とは反対方向で
社会生活は切り離して、転移の有効性に治療効果を期待するしかない現実です。
しかしその方法が安全確実である保証も無い。
私には治療過程であっても退行している余裕が無いらしいのです。
転移の中身も複雑なようだし。外傷体験が単一でないからでしょう。(←自己分析)
[2001年5月12日 9時20分18秒]

お名前: ペンギン   
最近、「アスペ=イジメられると、その外傷体験の想起パニックで人との接触を拒絶するよう
になるから、そうならないように守らなければならない子ども」みたいな図式が作られている。
(杉山先生だけが言っているのではなくて、内山先生も言っていた。)
その理屈は、非常に良く分かる。けれど、イジメだけが外傷体験ではない。そこのところを知
らないんだか、敢えて強調しようとしていないんだか、臨床上の問題にならないので医者が関
与していないんだか、分からない。

「自閉症」児の場合、「人からバカ呼ばわりされても、それを跳ね返そうとして"強くなる"」
とか「それだけが原因で鬱病になる」というような、通常の理屈や契機によって精神が強くなっ
たり病んだりするのとは、ちょっと違う。
というのは、元々が「人と存在する」ことはできても「人と繋がっていない」という"かかわり"
障害が根底にある上に、認知の歪み・知覚の異常・時間構造の特異性が加われば、慢性的な不
安恐怖状態におかれて当然なので、何らかの不安障害を幼児期から持ち合わせることになる。
「人との係わりや繋がりの中に、自己の存在を位置付けられない」し、「言葉や身体的接触に
よってに慰められることがない」となれば、自己が存在する安定した基盤を作るのは難しい。
「自閉症」者の、気分障害合併率の異様な高さ(6〜8割と言われている)が、それを如実に
物語っている。

人と直接繋がることが出来ず、常に自分の「こだわり」を通して係わり、自分の「仕事」によ
ってしか、自己存在の価値を認められない。そして、「こだわり」「仕事」「作品」を、自分
の生きる唯一の依り処にする。(だから、そこを人に突かれたり指図されたり取り上げたりさ
れると、ただちに「自己存在を否定された」に等しくなる。)

人に「バカ」と言われて、人から価値を認められなかったことに落ち込むのではない。自分に
存在価値がないと実感しているから、自分で自分に向かって「バカだ!」と言い、自分自身を
攻撃し、否定する力動が強く働いているのだ。
だから、否定的な言葉をかけられることに過剰に反応する。生きようとする意欲がある時には、
その攻撃性は外に向かう過激な反発になる。否定傾向が強い時には、すぐに「死」を念慮する。

そういうことなのでは、ないのか?
[2001年5月12日 2時44分31秒]

お名前: ペンギン   
「自閉症」児が同級生に嫌われる理由の一つに、「自慢している」「威張っている」というの
がある。本人は、「自慢する」「自己顕示する」ことを知らないから、平気でそう解釈される
行動をとり、そういうモノの言い方をする。
健常なこの国の子どもたちは、それに「感情」を引っ付けて感情的になるという「こころ」の
貧しさを先祖代々受け継いでいるので、幼ければ幼いほどより感情的になって怒り、人をイジ
メる。

それがわかっているからこそ、私はここでそれを繰り返す。「いくらでもそうすればいい」と
思っているから。
(敵の手口は分かっている。だから、そういうことをしている子どもたちから、「自閉症」児
を守った。そういう理由付けをしないようにと説明し、自分自身の傷ついた「こころ」のはけ
口にするために「自閉症」児をイジメていた子どもからブロックするために、U君をウチにか
くまった。)←でも、U君の親にすれば、単なる「余計なお世話」だったそうだ。

それから、私の現実は、毎日毎日"自分自身が元ADHDでLDなのに全くその自覚がなく、
自閉症どころかADHDやLDを理解する能力がない大人"に、「私が子どもたちにやってい
ることは全く無意味で、私はただ癇癪起こしているだけのキチガイ」呼ばわりされて冷たい目
で見られている。

だから、ここに逃げて来ている。
自分の存在の無意味さなんか、わざわざ人から言われなくたって十分に分かっている。
お願いだから、私が私の「げんじつ」に対して言っていることを、「自分のことを言われた」
と思い込む「関係念慮」は決して抱かないように!

ここは、それぞれが、自分に関する「事実」だけを書く「場所」だから。 

そして、人がそれぞれの頭の中で思っていること・感じていることは、その人にとっての「事
実」なので、それを否定する権利は誰にもない。
そうやって、自分にとっての「事実」を書くということは、その人が自分探しをするために、
とっても重要なことなのだ。

ここは、他人にとっての「無意味なモノ」を徹底的にコレクションする「場」だから。
[2001年5月11日 10時7分28秒]

お名前: ペンギン   
嫉妬・恨み・憎しみで人が人を殺すのなら理解出来るけれど、通り掛かりの見ず知らずの人を
殺してしまうことは理解できないから、「動機ない殺人」とか「理由なき殺人」なんていう理
由をつけようとする。
そういうことを言う人は、例えば、異性と付き合いたいのに"上手く付き合えない""会話するこ
とさえできない""容姿などに異性を惹きつける魅力がない"という悩みを持ちながら性的衝動を
抑えられずにいる人の「こころ」が見えていないのだ。
"係わりたいのに係われない"のが友人関係だと、「さびしい」だけだとしか思われないだろう。
けれど、社会的な感情や欲求が正常にある人にとって、"仲間関係が持てない"ということは社
会的な「死」を意味し、自己の存在の危機でもある。それなのに、「本人の努力が足りない」
とか「友達を作らないからいけない」と責められる一方だ。
「どうして、"係わる"ことが恐くなってしまったのか?」とか「何によって傷つき・何によっ
て傷つくことを怖れ・何から自分を守ろうとしているのか?」なんてことを考えもせず、「自
分からこころを閉ざすから、いけないのだ」「勇気を持って、こころを開け」などとお説教し
に来たりもする。では、「どうしてその人がこころを閉ざしてしまったのか?」とか「こころ
を扉を閉めさせたのは誰か?」とか「その人自身が、本当は人と係わりたいのに、こころの扉
を閉めることで必死に守ろうといういるものは何か?」とか「何を直視することを抑圧し、何
から目を逸らそうとしているのか?」といった理由を考えようともしない。
それで、教育者の考えることは、「こころ」を豊かにし、善悪の分別をつけるための道徳教育
をしろってこと。
こういう人たちは、なんという貧しい「こころ」の持ち主なのだ! この子たちは、善悪の判
断が出来ないのではない。善悪にがんじがらめに縛られているのだ。だからこそ、抑え込もう・
追い遣ろう・押し込めようとしているのだ。どうして、こんな単純なことが理解できないのか!

「理由」のある殺人者の「こころ」は、病んでいない。ただ、感情と衝動を抑制できないだけ。
それは「こころ」がないのではなく、理性を越えて情動が噴出しただけで、情緒の問題。
「理由」なき殺人者は、「こころ」を見ようとしない人たちによって「こころ」を傷つけられ
ている。でも、「こころ」を傷つける人は自分の「感情」を人に向けたり、人が自分に抱いて
いる「感情」を憶測する名人で、人の「こころ」が見えない。だから、「理由」が無いと言う。
実際は、「こころ」を見る能力が無いだけなのに。

この国では、「感情」が読めない人は罪になるが、「こころ」を無視して社会や他人に向かっ
て良い顔をすることが「美徳」とされるのだ。

どんな人の、どんな行動にも、必ず「理由」はある。
しかし、「感情」が読めるけれど「こころ」の見えない人が、この国では健常と呼ばれている。

この国で、「こころ」の発達が阻害されている人の行動の「理由」が、健常と呼ばれている人
たちとは違っているなんてことを理解しろと訴えること自体が、キチガイじみた行為なのだろう。

そんな「こころ」の貧しい人たちに、「自閉症」を理解させようなんて、幼稚園児に高等数学
を教えるようなものだ。
それは、ただの応用問題ではない、価値体系の逆転・白黒の反転した世界。出来あがった写真
を見て、そのネガフィルムを読めと言っているのだから、才能とカンのない人には、絶対に出
来ない。

    *   *   *   *   *   *   *   *   *

しかし、私が、いくら「こころ」が壊れる理由をコレクションしても、「感情」が読めない。
だから、知識はあってもカウンセラーにはなれない。それどころか、私はこういうことをただ
単に分析して記述しているだけなのに、いつのまにか、他の「障害」を批判していることにさ
れている。

これこそ、本当に「無意味なコレクション」
[2001年5月11日 9時5分30秒]

お名前: 一角獣   
この季節色々なバラが咲いています。色や形の違いを見ながら頭の中にコレクション。
同じ種類なのに少し違う。バリエーション集め。子どもの頃からの傾向です。
しかし明らかな園芸品種は意図的に多様化されているので独自の小さな発見という楽しみに欠けます。
(そちらは図鑑を見た方がよいかも。そういえば百科事典や図鑑も好きだった。)

雑草ひとつでも自分が知る程に世界が豊かなものに思えたのは何歳までかな。
以後狭窄の一途でした。

しかし子どもの頃から人間好きじゃなかったかも?
「ここは海のつもり」などと想定する空想遊びを共有できる一人の友だちとばかり遊んでた。
それって並行協調的ではありますが、対面してごっこ遊びをするのとは違うんですよね。
或る意味相互不可侵が原則です。
設定にアイディアを出し合っても、それぞれの頭の中でイメージを調整するだけだから
絶対に欲求がぶつかることもない。
(その点おままごととかお店屋さんごっこはストレスだった。)

最近、なんとなく天然石のビーズが欲しいかも、と思っています。
それで子どもの頃の遊びを思い出しました。
[2001年5月10日 8時52分44秒]

お名前: 一角獣   
弥勒は人格的に安定感があるような。
一言で言ってオトナなのかな。(←表向き慇懃だけどさばけてるし。)
殺生丸も無条件に安定していそうだが、それって天賦のものだから個性とはちと違う。

私は対照によって優劣比較を問うわけではなく、
単に差異にばかり眼が行くのです。差異の体系が私のコレクション。

情報入力のパターン認識を細分化することで自我を鍛える性癖があります。

内圧となる欲求が足りないから外圧への対処法によって自我の輪郭を作るらしい。
そういう意味で基本的に受動的なので人間社会に組み込まれるとストレス過多になる。
人間社会を遠ざけていられる状態でも、しかし主体の喪失に陥らずに済むように考えるネタを探す必要がある。
(←稼動停止にならないよう、こだわるためにこだわっている、という側面が強い。)

コミックスは財政事情により購入を控えておりまする。
[2001年5月9日 9時0分37秒]

お名前: ペンギン   
読んでいると言うより、見てる。
犬夜叉の顔が面白いのと、あの着物が好きだから。
               ↑
    しかし、実際は、あんなにふっくらとはしていない。

※ストーリーの設定(妖怪⇔人間、正⇔邪、破壊⇔再生)が良いのであって、「惚れた人を、
 命がけで守る」とか、霊だの魂だの転生だのという部分はコレクションしてない。

何故か、ウチでも弥勒は人気者。←「あーゆーのがいーのか?」「そーゆーものなのか?」
                 とブツブツつぶやく犬夜叉の顔が、たまらない。
                 ワタシが集めているのは、犬夜叉の目と耳。
(全体的に、ものすごく深刻な場面にお笑いが入っていたり、顔の表情が面白い。)
[2001年5月9日 8時2分23秒]

お名前: ペンギン   
とーぜん。(毎日読んでる。)
[2001年5月8日 16時2分41秒]

お名前: 一角獣   
う〜ん?
もしかして。
ペンギンさんは今日現在コミックス全巻入手済みだったりするのかも?
[2001年5月8日 13時51分39秒]

お名前: ペンギン   
「ある会議で会った自閉症男性が、恐怖と悲しみと怒りの、三つの感情しか持ち合わせていな
いのだと言ったことがある。」(P116)
「私は明日は死ぬかもしれないという気持ちで、一日一日を生きている。」(P117)
「襲われやすい動物と同じように、自閉症者は恐怖の感情を抱いていることが多い。私自身の
生活を視覚的象徴で絵図化しはじめるまで、私は、他の人たちがいつも恐怖と背中合わせで暮
らしているのではないことを知らなかった。恐怖が私の固執性を高め、私の生活は恐怖を抑え
ることでいっぱいだった。」(P221〜222)
              『自閉症の才能開発』(テンプル・グランディン著)より

どうしてなのか分からないまま、物心ついて以来私はずっと、テンプルさんが書いている上の
文の通りだった。
"生きていることの機微"に一喜一憂する手前の所で、いつもいつも「生か死か」を選択してい
たし、毎晩「このまま死ぬんじゃないか」と思いながらなかなか寝つかれず、毎朝「今日も生
きている」ことを確認してホッと一息ついたものだった。(最初に気づいて、これを儀式化し
たのは、小学生の時だった。しかし、私の家には、生死をかけるような出来事は何もなかった。)
鬱病が治っても、薬を飲み続けているのは、「気分循環性障害」が残っているからではない。
薬を止めると、まず確実に、日常的に人と接した場面が全てフラッシュバックして来る。それ
がなくても、また以前のような恐怖・不安状態に戻り、何かの強迫観念に囚われてしまうこと
を怖れている。
きっと、この恐怖心と、常に生死をかけた選択をしている切迫感が、私の気掛かりと私の集め
るもののほとんどが「無意味である」ことの理由なのだろう。

今現在の落ち着いた状態の方が私にとっては始めての経験で、まだ慣れていない。とはいえ、
やはりまだ、「薬」がなくなること・病院に行けなくなることが脅威になっている。
[2001年5月7日 9時14分29秒]

お名前: 一角獣   
四魂の玉という万能強大な力を有するモノがあるから、
用途目的は違えど人も妖怪も相争うわけですね。
それって一種の試金石なのか。鉄砕牙もそうであったように。

安易に人が死んだり生き返ったりし過ぎだよな〜と思いながら見ていた『ドラゴンボール』を思い出しました。
[2001年5月7日 1時16分50秒]

お名前: 一角獣   
私はアウシュビッツのガス室の前に立ったことが無いもので、
それと比較して何が「本当に恐ろしい」とは断言することはできない。
[2001年5月6日 23時11分2秒]

お名前: ペンギン   
現実の人間界では、「今から、アウシュビッツのガス室」に行くというような時でもなければ、
それほどの切迫感のある二者択一を迫られることはないでしょう。
日常生活をしている限りのエゴなんてものは、とってもいやらしいけれど、別にそれで死ぬか
生きるかを選択するわけじゃあない。ただ、自分の帰属する集団から外されるとか、それで顧
客を失うとか、自分がリストラされるとか、ローンが払えなくなるというところで生死がかか
っているわけだから、こういう半殺しの生き地獄の方が本当は恐ろしい。
[2001年5月6日 22時17分25秒]

お名前: 一角獣   
8巻、奈落のセリフ。
「あとは桔梗が、わが身かわいさに…自分だけは生きながらえたいと、
 あさましい願をかければよかったのだ。」

利己主義=あさましい。という意味か。妖怪も人間と同じ価値観を持っているのですな。
その上でよこしまな情動の方を選択するのがこの作品世界の「妖怪」だということかしら? 
要するに妖怪とは人間の影、負の側面として発想されているのかしら。わりと陳腐だ。

果たして現実の人間界では、
どの程度迄なら「我が身かわいさ」に行動しても「あさましい」と咎めないものかしら。
[2001年5月6日 14時25分46秒]

お名前: 一角獣   
悪用したら身の破滅が早まるだけか。
執行猶予の焦燥感。現実原則の徹底に迫られるわけですね。(一人納得)
[2001年5月5日 15時21分8秒]

お名前: 一角獣   
○○なのに××。というニ律背反の間でどう葛藤するのかが、個性であり人間ドラマの見せ場なんでしょう。
それを誇張する程面白いのでファンタジックな設定は増幅装置。
しかし。

かごめが他人の善意を信じて身体を張ってそれを確かめたりするエピソードによって
けなげで人格的に優れた資質のある少女という演出がされているようだが、
そんな生き方を実践していたら、
たまには目測を誤って手足の1本くらい失くしていてもいいのではないか。(←邪?)
しかしいつまでもこれといった障害の残るケガはしないし顔に傷ひとつ残らない。
少年マンガにPTSD的リアリティ求めても無意味なんだケド。

桔梗も己の力を過信して無理なことに手を出して、失敗したら怨んでいるだけ、
に見えるので同情できないなぁ。(←邪?)

弥勒の方が面白そう。彼も実質的に人間じゃないですね。
自分の生まれる以前の因果でとんでもないモノ持っているなんて、
どうやってそういう境遇受容したことになっているのかしら。
受容できたから聖痕になっているけど、本人次第で悪用することも可能だったはずだし。(←邪)
[2001年5月5日 15時12分54秒]

お名前: 一角獣   
私は人間が嫌いなので、外界の人間にまつわる情報をインプットする際に抽象化してしまう。
しかし作品というものは、抽象的概念にカタチを与えた象徴的存在=キャラクターを
駒として構成されている力動的な仮想世界。
それをまた抽象化しながら読んでしまうと解体、空中分解してしまうのも必然か。
静止点。
[2001年5月5日 14時28分13秒]

お名前: ペンギン   
おーっと、「妖怪(犬夜叉と殺生丸の父)⇔人間(犬夜叉と殺生丸の母)」じゃない。
     「妖怪(犬夜叉と殺生丸の父)⇔人間(犬夜叉の母)」だった。

無意味なものの説明を誤ると、無意味さ加減が分からなくなる。
[2001年5月5日 1時0分25秒]

お名前: 一角獣   
そうそう。偶然「激対決!殺生丸VS鉄砕牙」を最初に見かけたから、
たまにチャンネルを合わせるようになったのでした。
設定が荒唐無稽だし、映像刺激として面白かったからでしょう。
(学園物とかだったら絶対見ない)
[2001年5月4日 23時37分5秒]

お名前: 一角獣   
私にとっても普通の「女のコの恋愛観」は了解不能。
しかしそれが高橋留美子サンのお得意の分野らしい。それでついていけなくなりつつあります。
アニメだと映像が動くしカラーだし音声も効果音もつくし、刺激として単純に楽しめるかもしれません。
声がつくと、キャラクターに個別に存在感が感じられるようにもなるでしょう。
コミックスで見ていると、全てのキャラクターが作者の分身のようで、
作者の私的存在を感じてしまうので閉息感になる。(←ある意味私の神経過敏)
製作者の意図を深読みする傾向のある私は、作品が結末に至る前にいつも飽きてしまうらしいのです。
というよりも、何事につけ経過を楽しめなくなっています。←それが病気だけど。
[2001年5月4日 23時31分21秒]

お名前: ペンギン   
しかし、妖怪と人間の関係が分かることは、恐らく「人間の情念が解かる」という意味がある
のだろうけれど…。
半妖と妖怪、半妖と人間、生きてる人と死んでるのに動いている人、なんていう現実に存在し
ないものの関係が解かったって・・・・それこそ、決定的に無意味だ。
[2001年5月4日 23時1分20秒]

お名前: ペンギン   
ワタシにとって不可解な存在(かごめ)は、解析不能。
どうでもいい人間関係は、排除。

いかなる経緯で「あの人とこの人が、ああなって、こうなって」、どうして「あの人とこの人
がひっ付いた」のかは、興味もないし(と言いながら、いちおうそこのところも見たり読んだ
りはするけれど)、分からんのですわ。
さしあたって、誰と誰がどういう関係になったのかは整理するけれど、人間としての接近・回
避の理由ではなくて、「生きてる人(かごめ)⇔死んでる人(桔梗)」「入れ物は人間だけど
中身は妖怪(奈落)⇔入れ物は人間だけど中身は死魂(桔梗)」「妖怪(殺生丸)⇔半妖(犬
夜叉)」「妖怪(犬夜叉と殺生丸の父)⇔人間(犬夜叉と殺生丸の母)」という図式にしちゃ
うんだな。
[2001年5月4日 22時57分41秒]

お名前: 一角獣   
4、5巻は飛ばして6〜8巻を買ってきた。
↑
短気かつ物に執着できなくなっている為。その昔は物集めが好きだったような気もするのですが。

かごめが何故やたらと超越的な力を持っているのか、何故好かれるのか、必然性を見いだせない。
↑
主役の一人だから。「不思議な子」(←8巻楓談)でないとストーリーが面白くないから。
ということは当然分かるケド。

登場人物に感情移入し擬似体験することで作品とは享受されるものかしら。

そろそろ失速気味デス。(←何事にも気力が続かない。)
・・・また会おう。(←とりあえず桔梗モードになってみる。)

そう言えば。火鼠の衣とは、かぐや姫が求婚者に探してくるよう要求した物でしたね。
あと何だっけ。それも無意味なコレクション。
[2001年5月4日 19時46分13秒]

お名前: 一角獣   
「自己に対するのと同様な感情を他者に対しても抱くこと」ができなくとも、
社会的人格としての理性的判断によって
「自己に寛大であるように、他者にも寛大になる」ことはできる。
むしろ社会適応の為に、自己には寛大になれないまま、他者に寛大になることはできる。

自己報酬は無いまま、他者を罰することも無い。
「自己と他者が似たような存在である」という前提が自明でないからです。
しかし一般他者の方では「似たような存在である」ことを自明の前提として、
こちらの言動を解釈してくるもので、主観の差は広がるばかりで負担になる。

そんな他者との接触が負担になるのは、所詮、理性で自分を納得させているだけで、
半幽霊(=PTSD)としては感情鈍麻の状態に自己を維持しているだけなのでしょう。
PTSDの結果として「自閉的」であることは、防衛態勢ということかな。
しかし私個人に限って言えば、その防衛態勢によく適応しています。(だから病気が重いという話も)
これって生まれつきの気質も関係あるようです。だから私は一概に「PTSD」を語れない。
病名がアイデンティティでも無いし、PTSDの中でもケースとしてはマイノリティかもしれない。

『犬夜叉』コミックス、何巻まで買おうかな・・・?(判断保留)
[2001年5月4日 10時18分42秒]

お名前: 一角獣   
ペンギンさんの日記の<自己効力感>に引用されていた
『感情の発達と障害』(高野清純著)の中に記述されていることが、
かごめや七宝と犬夜叉との間の差異・齟齬として描かれているのかな。

>負の感情は自己と他者の間の心理学的距離を拡大する。
>負の感情状態のもとでは、自己報酬を高めることによって自己を慰撫し、
 報酬を減じることによって他者を罰するという自然な傾向が生じるとする。
↓
犬夜叉がかごめに、助けてやるがその前に以前に言ったことについて謝れ、と言うシーン。

>正の感情は“他者愛”をつくる。
>ここでもまた、この感情の元の源から高度な汎化が生じる。
 自己と他者間の心理学的距離は減少するので、
 自己に対するのと同様な感情を他者に対しても抱くことになる。
 自己に寛大であるように、他者にも寛大になる。

↑
健全に(?)支持的な家族という背景(=環境)に育ったかごめや、
養育者との一体感を持って育った純粋種の妖怪の七宝の場合。

作者は、この「他者にも寛大」ということを「あるべき発達段階」として設定し、
普通でない生い立ちの為に「発達途上の」犬夜叉の成長(?)を描いているのかしら。
つまり社会化がひとつのテーマなのかしら。社会化=人間的成長 の図式。
犬夜叉は天涯孤独の半妖(=帰属場所が無い=状態不安)だったので、
かごめたちと行動を共にするまでは社会的人格というものを持っていなかったけれど、とか?

なお私的には。

>負の感情を経験することの少ない人は、自己に満足しており、自己欺瞞的である。
 行動する時自己について多くを考えることなく、結果に満足する傾向がある。
 また、他人についてポジティブな見方をする。

↑
この
「自己に満足しており、自己欺瞞的」「行動する時自己について多くを考えることなく」
というところが「異常」に感じられてしまうのです。
だから「負の感情を経験すること少なく」成長したであろうかごめを人格障害的という見方になる。
自分の行動に原因が無いにも関わらず心的外傷体験(被害体験)をしてしまった人間には、
「結果に満足」などしていられない現実のあることが嫌でもわかっているからです。
[2001年5月4日 9時52分20秒]

お名前: ペンギン   
アニメは最初から見ていたけれど、一回見ただけでは何が何だか、よーわからん。
そこのところは、「テレビアニメ版」のコミックと途中から撮りだしたビデオで、おさらい。
現在放送しているのは、原作コミック本の10巻あたりのもよう。

で、しばらくは、奈落がいろんな妖怪を操ったり作ったりして、単発の小噺が続くようだ。
やっぱり我慢できずに、裏表紙見てストーリーが急展開しそうな17〜20巻を買ってしまっ
た。急に、あの人やらこの人がカップルになっていたり、片思いだの二まただのと、ややっこ
しくなっていた。
※しかし、戦国時代に封印された半妖と、死んでいるのに元の身体を容れ物の器として復活し、
 その容器を維持するのに死魂を集めている巫女と、その巫女の生まれ変わりの現代の女子中
 学生との間に、三角関係は成立するのか?

かごめが、犬夜叉がいつも口汚くて優しくない(?←口が汚いと優しくないのか?)ので「疲
れるなあ〜」と言ったのに、「俺といると、疲れるのだ」と解釈して落ち込んでしまうところ。
かごめが、ケガしているのにこれ以上闘わせたくなかったから、喧嘩相手の鋼牙が自分に片思
いしているのを利用して、上手いこと言って帰したのを真に受けて怒ってしまうところ。それ
を、七宝は「器が小さいから、人の言ったことを真に受ける」とか「自分に自身が持てない」
と分析する。
※そもそも、半妖の犬夜叉に、「自分」なんてあるのか? 人間として稼動している部分は
 表面だけなのだから(つまり、もともと人間の感情がないから)、人が言った言葉・人から
 言われた言葉が、そっくりそのまま命令や指示になってしまって当然ではないか。

なんだか、最初の内は、ほとんどの登場人物が犬夜叉を殺そうとするので、何故こんなに犬夜
叉が鬱陶しがられているのかよく分からなかったけれど、どうやら敵は奈落(毛皮の中身の人
形の姿は、非常にカッコイイ)に絞られて、桔梗だけでなく殺生丸まで犬夜叉を護り始めた。
まあ、護ると言っても、「誰が誰に惚れた」とかいうのは勝手にやってくれって感じだけれど、
実質は「妖怪に殺されないように闘う」ということなので、とっても判りやすい。(それに、
登場人物のほとんどが、普通=健常の人間ではない。死人だったり、妖怪だったり、霊力もっ
てたり…。)

しかし、18巻に出てくる琥珀(これも、実は死人)は、まるでPTSD。こういうのを、
PTSDの人が見るとどうなるんだろう?
こっちはこっちで、久々に封印を解かれた半妖が、妖怪の本性に目覚めると暴走し始めてコン
トロールが利かなくなるところなど・・・身に覚えがあって、反省。
                             ↑
                          言ってるだけ。実は、していない。
[2001年5月4日 8時31分44秒]

お名前: ペンギン   
女の妖怪は、女心の妖怪。
でも、男の妖怪は、ほとんど無性。

雷獣兄弟の飛天と満天では、カッコイイ飛天よりオケラ(?)顔の満天が好き。

しかし、『犬夜叉』の登場人物は、全体的に男でも女でもないような…。
弥勒だって、女たらしの設定だけどあまりエロくない。←そもそも、あやつは法師じゃった。

そうじゃなかったら、とっても見れません。(例えば、『ルパン三世』『セーラームーン』)
[2001年5月3日 21時2分9秒]

お名前: 一角獣   
む。
読売テレビのHPの犬夜叉のページも見たのですけれど、情報量は少なかった。
(↑私のブラウザがロースペックだから表示できなかったせいもある・・・。)

「激対決!殺生丸VS鉄砕牙」の回は放送を見た記憶があるのだけれど、
殺生丸の声を思い出そうとして思い出せない〜。
何故こだわっているかというと、コミックスの絵を見ている限りでは
殺生丸に異性を感じないから。(←感じたいのか?)

声の好みは結構はっきりしてイマス。
[2001年5月3日 18時28分22秒]

お名前: ペンギン   
これが、その無意味なコレクション
[2001年5月3日 17時42分11秒]

お名前: ペンギン   
『犬夜叉』って、もしかして人間と半妖のロマンスとか怨念のお話みたい。
だけど、当の犬夜叉自身がそのことを自覚していないし、殺生丸はカッコイイし、戦国時代の
着物姿って好きだし(特に、桔梗は、かつて私がしつこくねだって買ってもらった人形と顔つ
き・髪型・全体的な姿がそっくり)、獣の目と牙と耳を持つ人間ってカワイイし、何よりも人
間があんまり出てこないから、良いのだ。
どうしてこういうのが好きなのか、それこそ「無意味なコレクション」。

でも、ガンダムやメダロットなんかの、幾何学図形集合体タイプも好きなのだけれど、こっち
は見るだけにしている。(キリがないから。)
[2001年5月1日 22時16分10秒]

お名前: ペンギン    URL
まあ、最も不可解なのは、性機能不全とか性器の摘出などで「男ではなくなる」とか「女で
はなくなる」ということに悩む心理なんだけどね。
別に、それで人間じゃなくなるわけでもないのに、何故「生きていけない」ほどの苦痛にな
るのか、サッパリ分からん!
[2000年12月30日 10時7分49秒]

お名前: ペンギン    URL
地球人の分析をするために、DSM−4やICD−10の「人格障害」のところを読んでは
いかんのかねえ?
こうして、私の周りにいるのは人格障害者だらけだという結論に達したのだが、それらは全
て「普通」と呼ばれる人たちだった。
しかし、私にとっては、たいへんに有意義な観察の資料であることに変わりはない。
[2000年12月30日 9時57分4秒]

お名前: ちひろ   
今の楽しみは、ビデオテープのラベルを綺麗に貼り直して並べること。
でも、すぐに家族がバラバラにしてしまうでしょう。

私は負けない。
[2000年12月20日 16時8分59秒]

お名前: ちひろ   
2桁のコレクション作成中。
[2000年12月14日 19時51分46秒]

お名前: ちひろ   
無意味なコレクションが、ウチで一番多いのは殿だろう。
花火大会の時に空から降ってきた花火の燃え殻。
社会見学で石屋さんに行った時、持って帰って来た石を削る時に石に貼るゴムのくず。
ウチで食べたカキの殻。
その他いろいろ・・・

別名、ゴミとも言う。
いろんな事に興味があっていいなあと思っていたが、はたしてこれが将来何かの役に立つのだろうか???
神のみぞ知る。
[2000年12月14日 19時50分24秒]

お名前: ちひろ   
百円均一で、子ども部屋を片付ける為のアイテム「かご」を物色中、ガラスの小さい人形(ペーパーウエィトか!?)を見つけた。
ペンギンか魚か、どちらを買うか迷ったが、魚にした。
・・・単に、魚が綺麗だったから。
鏡の前に置いている。
[2000年12月13日 14時51分29秒]

お名前: ちひろ   
友愛セールの準備で出た、たぶん誰も買ってくれない物(別名ゴミ)。
その中から、家で使ってもいい物を探して持って帰った。
クロワッサンの形をしたバターナイフ立て、ストローのついたかわいい水筒、ミニコップの三色セット。
あまり、実用的とは思えないがいいのだ。
[2000年11月10日 17時20分44秒]

お名前: ペンギン   
時間の変更って出来るけど、手順の変更って出来ない。
と言うより、変更するのに手続が必要。
[2000年3月26日 21時21分57秒]

お名前: オオカミペンギン   
手帳に書いたりパソコンのスケジュール管理機能を使うのって、やっている人多いと思う
けど、私はダメです。
そういうのだと、「手帳を見る」とか「パソコンの警報音に注意を向ける」ことを手順化
できないのであった。
本当に、人それぞれだ。
[2000年2月25日 10時1分40秒]

お名前: ペンギン   
出先で何か思い出した時は、とりあえず、忘れないようにメモをとる。
しかし、メモをとったことを忘れてしまう。
忘れないようにと、目につきそうな場所に入れておく。
でも、家に帰ってメモに何か書いたことを思い出すと、いつものところを探して慌ててしまう。
何分か後には、発見されるようにはなりましたが。
[2000年2月23日 18時40分37秒]

お名前: ペンギン   
何故かというと、ちょっと前のことでも「終わった」ものとして処理されたものは何でも、
「ゴミ箱」というラベルの貼られた引き出しにポイポイ投げ込んでいくからなのだ。
けれども、消去されることがないので、どこかしらにあるようだ。
そして、ファイルはというと時系列にではなく、関心の深さ順に並んでいる。しかも、その
順番まで更新されていく。それで、時間と空間は常に歪んでしまうのだった。
[2000年1月11日 9時53分35秒]

お名前: ペンギン   
普段使っているファイルは常に最新情報に更新されている。けれど、更新前の情報は、
関連付けられると引き出せる独立したファイルとしてどこかに保存されているようだ。
[2000年1月11日 6時19分32秒]

お名前: ペンギン   
良いデザインの切手が出ると、ついつい買ってしまう。ちゃ〜んと整理して収納してあった
のに、本棚に立てられなくてどこかに大事にしまったら、それっきり何処に行ったか分から
ない。あれから、○年…。無意味なコレクションだ。

それと同じように、聞かれれば答えるし何かあると思い出すけれど、普段は行方不明になっ
ているファイルが、頭の中のどこかにたくさん眠っている。
そのくせ、ひとたびアクセスすると、今度は止まらなくなってしまうから厄介だ。
[2000年1月10日 15時7分27秒]

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