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お名前: pocks
「アスペルガーの館(http://www.asahi-net.or.jp/~fe3s-mrkm/)」の掲示板に、こういうことを書い
た。
>>>>皆と服装とか趣味、思考を合わせようとしたり、
>>>
>>>これを実行しようとすると想像を絶するエネルギーを使わなくてはならないこ
>>>とがわかったため、早々に諦めざるを得ませんでした。拷問を受けるような思
>>>いまでして周りに合わすための勉強をするくらいなら、六法全書を暗記する方
>>>がまだ楽です。
>>
>>そう、これは本当に時間の無駄使い。その分の労力と費用を才能開発にあて
>>た方がましです。
>
>しかし、開発された才能も、周りに合わせられず社会から浮いているために
>就職には結び付かず、結局無駄になるのだった。ああ、自閉者は悲しからずや、
>かくもむなしき究極の選択。
(>が奇数個の引用がpocksの発言。>>>>はNo.6517シンタロウさん、>>はNo.6583くるとさんの発言で
す。)
結局のところ、いかに「高機能」であっても過度に社会化をしよう(非自閉社会に同化させよう)とすると
無理が出てくる。我々は一種の盲なのであって、どれだけ早くから療育をしようが、厳しい訓練を積もう
が、非自閉者と同じように意識せずに社会的なサインを出したり社会的情報を「感じる」ようになる(何気
なくボディランゲージを使ったり場の雰囲気を「感じ」取ったりするようになる)ことは望めないからだ。
たとえば、音が届かない範囲の距離を盲人が把握するのには、そこまで歩いてたどり着くまでの時間の経過
を用いるのだという。これが、目で見て距離感をつかむ方法とまったく異質なのは言うまでもなかろう。
我々自閉者は意識上で社会的情報を処理するが、意識しながら社会的情報を処理することと意識下で「感じ
る」ことは、触覚や聴覚を頼りに周囲の状況を把握する盲人の認識法と目でものを見る晴眼者の方法くらい
の差異あるいは異質さがあるのだ。
従って、ある程度以上の「社会化」あるいは自閉者の非自閉社会への参加が我々自閉者の努力のみで達成さ
れることはありえない。盲人に見ることを強要したりせず、外出の際は信号機の音だとか歩道の点字ブロッ
クなどを利用できるように、また、聾唖者の手話によるコミニュケーションがもはや禁止されることがない
ように、社会の側も差し支えない範囲で自閉者に譲歩し、自閉者なりの方法で社会と関り、行動をすること
を認めてもらうほかないのである。
(転載自由)
[2001年8月17日 4時20分10秒]
お名前: pocks
私のADHD戦略
子供のころ、立派な多動だった。
今は動き(多動)こそ目立たないはず(?)だが、注意欠陥の方は相変わらずだ。
つい今まで持っていたものをどこに置いたかわからなくなるなんて日常茶飯事。
んで、家庭内の紛失対策としてやってきたこと。
①自分の行動のクセを分析し、つい置いてしまいそうな場所の見当をつけてそういう場所を順に探していく
②もの毎にどこに置くかを決めておいて、帰宅後または使用後には決めた場所に置くように習慣付ける。
外出時の物忘れ対策としては
①普段要りそうなものを一式大きな鞄に入れておき、外出時は常にその鞄を持ち歩く。
降ろうが照ろうが傘が入っていたりするのでやたら重い代わりに、傘を忘れることはめったにない。
天気予報を気にしたり、出かける場所に応じて毎朝中身を入れ替えるといった手間がいらず、鞄の有無にだ
け注意を払えば良いので楽。
これなどまるでギャグのような解決策だが、やってる方は至って真剣だし、効果も高い。このくそ重たいラ
ップクラッシャー鞄を網棚に上げずに膝に抱えて電車の座席に座ったり、持ったまま立つようにしているの
は、もちろん置き忘れたりしないためである。(実はこの戦略も、鞄を網棚に置き忘れてなくすという苦労
を何度も重ねてからやっと編み出された。)
欠点は、見た目のバランスを欠いたり、場面に合わせた格好をしづらいということであるが、非ADHDの
方々は肢体不自由者にとっての車椅子のような障害対策・補助具だと思ってこの不似合な鞄を見逃してくれ
れば幸いである。
なお、ADHDに関しては診断を受けていませんが、その理由はこのような自己流の解決策によって実用上
困らないようにしているためです。常にばかでかい鞄を持ち歩くのは社会的に不適切(格好悪い、など)だ
からやめるべきだ、なんてことになれば私はたちどころに困ることになるでしょう。
[2001年8月16日 3時44分3秒]
お名前: pocks
資本も営業力も持ち合わせがない人の場合、雇われ人となって暮らすしかない。
そして、雇われ人志望者の選抜において最も重視されるのが「協調性」であるが、不幸にしてこれも持ち合
わせがない。(自閉症なんだからなくて当たり前)
かといって、面接の時に会社に向かって、「ワタシはこういう人なので、それに合わせてくれ」などと言う
わけにもいかない。言ったところで「そういう人は、我が社には要りません」と言われるのがオチだ。
ではというわけで、なんとかごまかして会社に入れてもらっても、長時間隠しとおすことなどできない。
「協調性」に問題があることが表面化しても若いうちなら許容される面があるが、それも歳をとれば直るだ
ろうと誤解されるからにすぎない。
自分なりに精一杯非自閉世界に譲歩し、ある限りの能力を尽くしても、決して「人並み」にはなれないのだ
から、結局中年落伍男ができあがってしまう。
食っていけるだけ稼げる一人前の雇われ人にしてくれないということは、社会が私に死ねと言っているに等
しい。犯罪(自殺を含む)に走る人々の気持ちがよく理解できる今日この頃だ。
働いて自活する権利を自閉者にも保証するため、ある程度以上大きな会社には一定以上の割合で(自閉者と
してのアイデンティティを保ったままの)自閉者を雇い入れることを義務付けるべきだと主張しよう。
他の心身障害者とひとくくりなら、扱いやすいあるいは非自閉人から見てかわいらしい、自閉以外の障害の
持ち主を選んで雇うということをやる企業が出てくるのは、今の制度の下ですら障害者を雇用するよりペナ
ルティを払う方を選ぶ企業が多いことから容易に想像が付くので、「自閉」何%と指定した法律が必要にな
るのだ。
閑話休題
こういう主張は生意気だとして非自閉人から嫌われるのは百も承知だ。しかしながら、頭の構造上非自閉社
会に100%合わせた行動をとることができない以上、非自閉側にも多少の妥協をしてもらおうという開き
直った主張を受け入れてもらう以外に共存共栄する方法が思いつかないのだ。
背水の陣であえて社会に異を唱える私とペンギン氏のおおらかさとの違いは、誰かに依存して生きることが
社会的に許容されない男と、それが許される女性という立場の差から来るのかもしれない。
[2001年8月15日 4時12分20秒]
お名前: pocks
以下、ペンギン氏の[2001年8月12日 11時24分10秒]あたりまでを読んでの
自閉者向け「意志」「能力」補足。
非自閉者は読まないこと。間違って読んだ場合無視するように。
私はかなり早くから自分の限界あるいは自分の障害ゆえにできないことを客観的に把握してきた、あるい
は、感じてきた。
「常識」がわからないから、わかるように説明してくれと親に言った小学校時代から、営業はできないから
と求職対象にしていない今まで、ずっとである。
しかし周りの人は、私が一見頭がよさそうで、それなりの成績を取ったり、そこそこの資格試験に受かった
りすることをとらえて、「能力はあるのにやる気(意志)がない」という評価を下してきた。常識がなく社
会に適応できないのはお前(pocks)の意欲がないためだというのだが、営業ができないとかいったことは
偽りのない事実(能力あるいは対人関係処理コプロセッサの持ち合わせがないからできないということ)な
のだから、この不当な評価にはかなり苦しまざるを得なかった。
そういう時に「高機能自閉症」の診断を得たのである。「もう『能力はあるのにやる気がない』的な非難に
悩む事はないぞ。」私は安堵した。
ところが、同じ自閉者が「言葉によるコミュニケーション"が可能で、自国の文化を学ぶ意思があって・自
国の社会に働きかける意志がある人は"社会適応"が良好だ」と言ったとなれば話が違ってくる。またしても
社会は私に迫るだろう。「自閉者自身も意志の問題だと言っているではないか。自閉の診断を盾にして嫌な
ことから逃げようと考えるなどとんでもないことだ。お前はやはりやる気がないのだ。」と。
…と、一瞬でこういう流れのフラッシュフロント(自分だけ語:過去にあったいやなことから未来に起こり
そうな嫌なことをリアルに予想してしまうこと。)したために、いたたまれなくなって「意志の問題ではな
い」と書いた、というのが私の内部事情です。
書き言葉は確かに相対的な得意分野ですが、自分的には今回のケースは「こだわり」のためというよりは、
嫌な「フラッシュフロント」を反射的に払いのけようとした、といった感じです。
ペンギンさんに嫌な思いをさせるつもりはありませんでした。申し訳ありません。
冒頭の警告を無視して最後までお読みいただいた非自閉の方へ。
非自閉者相手ならば「あなたならできるはずだ(から意欲を出してチャレンジしてみろ)」という筋の言葉
は励ましになるだろうと思うのだが、自閉者(特に、二次障害で鬱に落ちている人)にとっては逆効果にな
ることが多い。今後、自閉者に接する時は、励ましのつもりでかけた言葉がここに書いたような受け取り方
をされることもあるということを考慮していただければ幸いです。
[2001年8月14日 4時25分30秒]
お名前: pocks
補足。
ペンギン氏が「意思」と言っている部分を「能力」と置き換えたら非自閉社会論としてすんなり聞ける話
(でも納得はできない)になるのだが。
[2001年8月12日 0時27分40秒]
お名前: pocks
化け再掲。
>自国の文化を学ぶ意思があって・自国の社会に働きかける意志がある人は"社会適応"が良好
(2001年8月の「日記」[2001年8月11日 11時58分47秒]より)
重ねて指摘しておくと、これは「意思」の問題ではない。いかに「学ぶ意思」にあふれていても、学ぶこと
のできるノーミソを持っていなければ学ぶのが苦痛でしかないし、学ぶのに適した脳を持っていない場合、
多少学べたとしても応用ができない。([2001年8月8日 23時14分42秒]で述べた)服を着るという慣習に従
いたいという意思があっても、衣類の感触に耐えられなければ服を着れないのと同じことである。
非自閉文化に従えず自分流の方法を貫かざるを得ないのは障害の問題であって意思の問題ではないのだか
ら、「コニクラシイ・ヒネクレモノ」として切り捨てるのは不当であり、社会の側も一定の譲歩をすべきな
のだ。
非自閉文化の側が「意思」という解釈をしたがるのはその特性として理解できるが、同意するわけにはいか
ない。(ペンギンさんが自閉ではないといっているわけではないので念のため。)
[2001年8月12日 0時23分5秒]
お名前: pocks
>自国の文化を学ぶ意思があって・自国の社会に働きかける意志がある人は"社会適応"が良好
(2001年8月の「日記」[2001年8月11日 11時58分47秒]より)
重ねて指摘しておくと、これは「意思」の問題ではない。いかに「学ぶ意思」にあふれていても、学%A%4屬海�
のできるノーミソを持っていなければ学ぶのが苦痛でしかないし、学ぶのに適した脳を持っていない場合、
多少学べたとしても応用ができない。([2001年8月8日 23時14分42秒]で述べた)服を着るという慣習に従
いたいという意思があっても、衣類の感触に耐えられなけ%譴佗��紊譴覆い里汎韻犬海箸任△襦�
非自閉文化に従えず自分流の方法を貫かざるを得ないのは障害の問題であって意思の問題ではないのだか
ら、「コニクラシイ・ヒネクレモノ」として切り捨てるのは不当であり、社会の側も一定の譲歩をすべき
なのだ。
非自閉文化の側が「意思」という解釈をしたがるのはその特性として理解できるが、同意するわけにはいか
ない。(ペンギンさんが自閉ではないといっているわけではないので念のため。)
[2001年8月12日 0時18分34秒]
お名前: pocks
自閉関係の本で、まるで世の中との妥協の象徴であるかのように素っ裸でパンティを頭にかぶって遊びまわ
る10才(?)の少女、という話が出ていた。実際、こうくそ暑い時に外出しようと思って中年男の醜いス
ネ毛を隠すための長ズボンをはく時などはまさに「世の中との妥協の為に不本意ながら」といった気持ちに
なっている。してみると、彼女の心中もおそらく著者のご賢察通りなのだろう。
そういった、不承不承させられる「妥協」は実に多い。非自閉人ならリラックスするだろう時候のあいさつ
のやりとりなど、私にとってはわけがわからず無意味に感じるため最大級のストレス源になる行為の一つで
あって、パターン化してかろうじて乗り切れることもある、という代物だが、自閉を隠して世の中とよろし
くやろうと思う限り、会うたびに強要されるからといって一言の苦情すら言わせてもらうわけにはいかな
い。
身体障害者ならば障害をなくして社会に適応する事を求められたりはしない。しかし「知能」に遅れのない
自閉者の場合、見せかけだけ合わせられるようになっただけで当然のように次の要求が出されるといったふ
うで、社会の要求はとどまることがない。
数字上、中機能者の適応が高機能者よりよいのは、傍目に「遅れ」がはっきりしているために社会の方があ
る程度我々に歩み寄ったところで妥協してくれるからである。しかし高機能者は完全に世間に同化するまで
妥協を許されない。しかし残念ながらそれは原理的に不可能である。そのことが高機能者の適応が悪くなる
理由である。
だから、高機能者を社会に適応させる場合でも、中・低機能者の場合と同じで100%の同化はあり得ない
事を社会は知るべきである。もし我々の側から非自閉社会に100%歩み寄ることを世間が望むというのな
らば、脳の違いを取り除くことで自閉症を治してもらうしか方法はないのだが、幸いにしてそれは現在の所
不可能なのだから、高機能者に対しても社会の側である程度妥協してもらう以外に自閉人と非自閉人がうま
く共存する方法はないのである。
ーーーーーーーーー
社会側におすすめしたい妥協の例
○「普通」であることを強いない。たとえば、あいさつをしない自閉人といえども非自閉人を取って食おう
と考えているわけではない。鬱病などの二次障害を併発する高機能者が多いことからもわかるように、「普
通」にしているように見える自閉人は実の所ストレスが高く不安定であることが多い。我々は「普通」でな
い時こそが周りも安心できる常態なのだ。
なおその際、自閉者(障害者)であることを理由にして不利益な扱いをしてはならないのは言うまでもな
い。
○ファッションの異様さは黙認する。悪臭がするなど、不潔な時は面と向かってきちんと指摘してくれると
ありがたいが、物が落ちてくるような場所でヘルメットをかぶらないなど本人が危険にさらされる恐れがあ
るとか、セクハラになるとかでない限りは見掛けがどれほどだらしなかろうがちぐはぐだろうが問題にして
はいけないし問題にさせてもいけない。(どんな理由があろうとも、ファッションの強要はファッショでし
かないのだ。)
○「能力」に応じた地位を提供しようなどといらぬ気を回す必要はない。また、地位を脅かされはしないか
などと心配する必要もない。我々は得意の「こだわり」以外は概して無能力なのだし、そもそも我々に人事
管理能力はないから人の上には立てないのだ。
(ただし、出世が「こだわり」になってしまった不幸な例外も一部いるように思われる。)
[2001年8月11日 0時6分50秒]
お名前: pocks
某掲示板で発言していたら、なんか自閉者養育相談担当にでもなったみたいな雰囲気になってきた。私は
非自閉者とも意志疎通が可能で、言っている事も相手にわかりやすいようだから、最も「軽度」だと
思われていることだろう。あるいは、ほとんど「普通」の人だと認識されているのかもしれない。
しかしながら、実の所普通にふるまえる(?)のはきちんと推敲した文章を自分なりのペースで書き
込めるインターネットの上だけのことだ。相手が目の前にいるとこうはうまく行かない。スーパーハイ
ファンクションと言われるグランディン博士ですら、講演の際は事前に質問を受け付けて回答を練って
おいたりするそうだから、普通の高機能(正常「知能」)に過ぎない私が非自閉人を相手にしたリアル
タイムの会話をまともにこなせるわけがない。
それどころか、日常生活の場面で頻繁にパニクるという情けない現状があることは書いた通りだし、
職場などの緊張が高い場にいるときは無意味な独り言が出る(さすがに場面は選ぶし小声でもあるが
止められないのでたまに人に聞かれている)など、何が「軽度」なのかよくわからない現状がある。
その職場も不安定就労とくれば、客観的に見てもあまり軽症とは言えないだろう。少なくとも、安定
就労を果たしている中機能者と、高機能と言われる範疇に入る私のどっちがより「重症」かと言われれば
すぐに答えられない面がある。
社会に理解が得られやすい戦略は「重度」から先に、というものかもしれないが、そもそも社会への
適応度をIQで測ることなどできない(控え目に言っても「無理がある」)のだし、社会の評価はその
慣習にいかに従順であるかによって決まるのだから、症状の重さを「知能」で区分けすること自体あまり
意味がないと言えよう。
そのあたりを考慮すると、福祉政策に関しては、精神関係の障害の下位区分が「知能」で大分類されて
いる現状から「自閉」を独立させて扱うようにさせることが最優先されるべきだと思われる。それに
よってこそ、いわゆる「重度」の人が単なる知的障害の人と同じ扱いになっているために自閉者として
適切に処遇されていないという問題を改善する事もできるだろうし、「高機能」の人への適切な援助も
得られるだろうと考える。
[2001年8月10日 4時17分2秒]
お名前: pocks
「いったいどれほど高い代償と、多くの努力が見かけを保つために費やされているのでしょう。」
(『自閉症とアスペルガー症候群』ウタ・フリス編著、東京書籍 54ページ)
「心の理論」などと言われるものがある。しかし、高機能の、すなわちIQ検査で知能の遅れがないと
される自閉児でも十才過ぎになって一部の者がやっとこさ正解できる課題を、自閉研究の対象群に
使われる「知恵遅れ」ダウン症児が標準的年齢(四才位。すなわち抽象的・論理的な事項に関する
推論能力が生じる前だろう年齢)でこなすということから考えて、非自閉人は「心の理論」課題を
そもそも「理論」としてロジカルに処理してはおらず、直感的に処理、あるいは感じ取っているとでも
いうべきことをやっているのだろうと思う。(上掲書47ページ中程に同様の見解が記されている。)
言い換えれば、非自閉人の意識は通常、pocks仮説に言う脳味噌付属社会性情報処理専用コプロセッサ
からその演算結果だけを受け取っているのであって、社会的な情報を意識的に処理しているわけでは
ないのである。
対して自閉人は非自閉人と違ってコプロが付いていないから、相手の表情や身振りに表れる感情から
相手が抱いているであろう信念の推測に至るまでの全ての社会的な情報を意識上で処理しなければ
ならないし、意識下で自動的に演算させて結果だけ受け取ることによるマルチタスク化もできない。
自閉人の「心の理論」の獲得が非自閉人より大幅に遅れる理由はここにある。
すなわち、生まれながらに他人をおもんばかる回路が付いている非自閉人はその回路の働きにより
幼くして心の「理論」を理解しているように見える行動が取れるが、実は理論的に把握しているのでは
なく、いってみれば本能的・自動的に処理しているのであって、普通の意味での論理的思考力は、
非自閉人の「心の理論」の形成には必要とされないのだ。
対して意識レベルで全ての問題を処理せざるを得ない自閉人の場合、抽象的な事項を論理的に推論できる
ようにならない限り、他人の心の内を推し量る事などできない。逆に言うと、「知能」が高い自閉者は、
サリー・アン課題のような単純なテストをその論理的能力にものを言わせて乗り切ってしまうのである。
これが、自閉者の一部が「心の理論」課題をパスするに至る過程である。が、常識把握コプロが欠落
している自閉人は、それまでの経験でつかんだロジックあるいは規則を意識的に適用するという戦略を
用いざるを得ないために、より高度なテスト、たとえば上掲書ストーリー4で「ポールが客にファースト
ネームで呼びかけた奇妙さ(328ページ)」に気づくことができた人生経験豊富な私をもってしても
なお、対照群の若い学生のようにポールの「逸脱」を笑うことまではできないのだ。
さて、今まで述べてきたように、自閉者は常に意識しながらでないと社会的な情報の処理ができない。
そんな自閉者が社会に適応し、場面に応じた適切な行動を取れるようになるということはどういうこと
か。あるいはどれほど困難な作業なのか。非自閉人のあなたがそれを想像したいのなら、足の一本一本の
動きを意識して歩かなければならないムカデの話を思い出すとよいだろう。あるいは、あなたが足の
筋肉の一本一本を意識して動かしながら歩こうとする様(さま)を思い浮かべてもよい。そんな状況
ならば足がすくんで歩けなくて当たり前。なんとか歩けるようになったとしても、ちょっと気を抜けば
たちまち足がもつれて転んでしまうことだろう。自閉者が社会に適応する、あるいは自閉者がソーシャル
スキルを身に付けるということは、まさにそういった種類のできごとなのだ。
(転載自由)
[2001年8月8日 23時14分42秒]
お名前: pocks
んで、なぜ「世の中での成功を小馬鹿に」するようになるか。
幼いころ「わがまま」で、「自己中心的」だと思われていた。
こんなに「自己中」では社会に適応できない、と思われた私には、自己を殺せという道徳教育が、
それとなく、あるいはあからさまに行われた。
本当は、自閉の為に自己らしい自己など確立していなかったのだが。
人様の為に生きよ、みたいなことや、人様のおかげ、みたいなことも口をすっぱくして言われたものだ。
他人とは何か、よくわかっていなかった私に向かって。
理想は聖人君子である。
聖人君子への道を教えるのは、生まれながらに自己を持つ非自閉脳の持ち主にして、自己中なヒトには
良いことかもしれない。しかし、元々自己があいまいで、傍目には自己中に見えたとしても本質的に
無自己の自閉人にはおもいっきり的外れというか逆方向である。自閉人に対しては、自己を押さえ
させる(って、ないものをどうやって押さえる?)のではなく、自己の内なる要求を正しく認識して
表現させることこそ必要なのだから。
自閉人は、世俗の欲求には概して淡白である。良く言えば超然とした仙人、悪く言えば常識のない変人。
そのこと自体がこだわりにでもならない限り放っておいても出世や金儲けには興味を示さない。
だから、自閉人に必要なのは、働く事がもつ下世話な意義、すなわち、金儲けのもつ社会的意義と
その必要性を理解させる事だ。
であるにも関らず逆噴射な教育をやってしまい、それが成功をおさめて固定してしまうと今の私が
できあがる。自立できないくせに、自立への動機付けも弱い社会のお荷物。
だから重要なのは、幼いうちに、ただの自己中人間と自閉圏の人間をしっかり区別し、それぞれに適切な
教育を施す事である。日本の社会がそこで手を抜いて、一見わがままで生意気なアスペ人間の頭を
押さえこむようなことを続けるようでは、高機能な我々の予後の改善は望めない。
[2001年8月8日 2時43分14秒]
お名前: pocks
>「いちばん自立しそうなのは、穏やかな気質をもち、雇用に役だつ何らかの特殊なスキルと興味が
あって、世の中で成功したいという強い欲求をもった人たちです。」(『自閉症スペクトル』?P78?)
(http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/naishyo/273468017578125.html [2001年8月2日16時])
雇用に役立ちそうな特殊なスキルと興味があっても、癇癪質で、世の中での成功を小馬鹿にしている
私のようなタイプは、自立から最も遠いところにいると言えるだろう。
私のような一見やっかいな性格の人が自立できない原因が実は障害にあるということは、社会的な援助の
対象たるべきことを示しているのだが、実際は「あんな性格なら定職につけなくて当たり前」という
ことで、自分の責任と言える原因でそうなったのではないにもかかわらず「自己責任」という概念を
適用されて棄民扱いされるのである。
[2001年8月5日 1時38分14秒]
お名前: pocks
>[2001年7月20日 9時44分19秒]
>[2001年7月20日 6時24分49秒]
この間にあった書き込みを再掲します。一見唐突に出てきている「債権」の話はこれが元です。
>お名前: Chip
>森口や、ペンギンや、名も無き子供たちのためならなんでもできる。
>しかし、自分のことはからっきしで、未だに、去年の2月の52万円を回収できず、いじいじしている。
>失効させたくないから、請求書だけは送り続けているが、とても回収できそうもない。不思議だ。
>
>[2001年7月20日 9時9分8秒]
[2001年7月29日 0時6分31秒]
お名前: pocks
債権取り立てメモ
小学校一年生か二年生の頃だと思う。同級生に10円貸したが、そいつは家にこもり、泣きながら
取り立てを試みる私をシャットアウトして踏み倒した。当時の私は、彼に殺意をおぼえた。
自閉者はある意味執念深い。債権の時効はあってもフラッシュバックに時効はない(問題の場面は
鮮明に記憶されている)。40年前の十円で殺されたくなかったら、自閉者相手に詐欺を働こう
などとは考えないほうがいい。
[2001年7月22日 4時55分29秒]
お名前: pocks
債権が時効にかからないようにしたいのであれば、請求するだけではだめで、相手が債権の存在を
認めなくてはなりません。具体的にいうと、「いつ借りたいくらは後で返す」のようなことを言わせ
(書かせ)なくては時効中断の効果が生まれません。これ以外の方法もありますが、裁判上の手続き
にする必要があるので、この「承認」(民法一四七条3)が簡便です。
…もっともこれがわかっているからといって、実行できるかどうかは別問題なわけで、そこが
自閉者にとって頭の痛いところです。
[2001年7月21日 7時23分1秒]
お名前: pocks
自分のことはからきし、なのは自閉者の特性。話せても要求できない、ということが専門書のあちこちに
書いてある。
もっとも、なぜか、というのは謎ではある。
[2001年7月21日 7時9分29秒]
お名前: 管理人
すみません、[2001年7月20日 4時53分16秒]の書き込みは、こちらに移動させていただきます。
直接やり合うと喧嘩にしかならないからすべきでないペンギン氏の忠告もあるが、ここを読む非自閉者の
ためにあえて直接反応する。そうしないと非自閉者には話の筋が見えないだろうからだ。
そういうわけなので、これから書く事はChip氏への反論その他ではない。ここを見て思い出したことの
一つとして、完全匿名で書いている私の立場あるいは考えを明らかにするために書くものである。
医学専門書の研究報告に載せるレポートに、実験台?になってくれた患者の本名を書く必要がある
だろうか?
専門書レベルの自閉症の症例研究を幾つか読んだが、全部仮名であった。科学的資料だからといって実名
公開である必要はないし、実名では資料が集まらない危険性を考えれば、学術書で仮名を使うのは妥当な
判断だと言えよう。(注意:ここまで前振り。)
私は高機能自閉症(アスペルガー症候群)の診断を受けた本人としてあちこちに書いているが、一切
連絡先を明かしていない。私が書くことで色々な人に差し障りが出ることが予想されるからだ。
たとえば、悪意はなくても不適切な対応をされることがある。そのことを「こんな嫌な事があった」と
書く事があるが、その中は、もし私が非自閉人であれば適切であったろうものが往々にして混じって
いる。そういったエピソードを本名丸出しで書けば、相手は怒りだすか、よくて当惑するだろう。
一方、こういった気遣いのようなものを公言することで、私が「pocksは本当に自閉圏の人か」と疑わ
れる危険があることも承知している。しかしながら、経験を積んだ児童精神科医か知的障害を併発して
いない本人であれば、私の書き込みから正しい判断ができるだろうとも思っている。(なお、今の所
私にこの種の疑いはかけられていない。)
もし、何らかの事情で私に個人的な(=秘密を要する)連絡を取りたいと思う専門家の方がいたと
しても、私のどれかの書き込みにその旨コメントしていただき、私からその方にメールする等の方法も
あるので匿名でも支障は生じない。
いずれにしても、差し障りを避けられるというメリットを上回るデメリットはないと考えられるので、
今後も私の個人情報を公開するつもりはないし、この国では精神障害者に対する偏見が強いという事情も
あるので、自閉人・非自閉人を問わず、安易に個人情報を公開しないように言っていくつもりである。
以下自閉者向け注
なお、この書き込みには、いかなる場合にも診断結果を言うべきではない、といった含みはない。理解
または援助を受けるため、偏見のない人に個人的に伝える場合にはメリットがデメリットを上回るだろう
からだ。
しかし我々自閉人は非自閉人をうまく見分けられないという弱点を抱えているので、自分が決める場合は
厳しめ(伝えないことを基本にする)に判断するか、信頼出来る近親者に相談して決めるのがよいだろう。
【管理人から一言】
>ここを読む非自閉者のためにあえて直接反応する。そうしないと非自閉者には話の筋が見えないだろう
からだ。
こういう気遣いは、しなくていいと思います。(もともと、リアルタイムで読んでいない人には、何のこと
だかわからない掲示板ですので。)
[2001年7月20日 9時44分19秒]
お名前: pocks
自閉者の「こだわり」が人によって違う、などということは自閉人の私には自明のことであるが
ひょっとしてそうではないと考える自閉人、または非自閉人がいるのだろうか。
どこかの研究者ページだったと思うが、グランディンさん(だったと思う)の来日の際に、ゲストとして
招かれていた日本のアスペ人はみんな英語を話せて、それなりの仕事についていたので、彼女が「日本
のアスペ人は全員英語が堪能で能力を生かした仕事についている」という誤解をして帰った、という
話があった。この話、「この誤解は解かない方がいいと思ってそのままにしてある」というオチまで
付いていた。悪い例になりそうな学校環境で育った私としてはその環境改善のために解いて欲しいと
思うのだが。
ところで私は英語がまるでダメである。(日本語すらわかったもんじゃない、という突っ込みは禁止)
そっち方面の仕事どころか、中学生レベルの英語力すらおぼつかないことは自分自身が一番よく知って
いる。また、語学への「こだわり」も湧いてこないので、どっかの自閉系翻訳者氏の真似などするだけ
無謀である。
また、社会的には、妻子がありながら最低賃金といい勝負の不安定(被)雇用しかできていない、
ありていにいえば落伍者の部類である。
私のような者を反面教師にしてくれればと思ってあちこちに書いているが、自閉症協会とかの
公式文書に「落伍者pocksの事例」とかゆーて書くのは、感情重視の非自閉者にははばかられる
ことなのだろうか?こっちとしては、後に続く幼い自閉者のためにはなから「悪い例」のつもりで
この身をなげうって書いているのだから、実生活に影響が出ないように匿名で書いてくれれば
別に問題はないというか望むところなのだが。
今の私の「こだわり」はコンピュータだが、いくつかの事情でこれでは食えない。
1.そっち方面の求人の年齢制限を大幅に越える。かといって自閉症のため営業ができないので自営は
不可能。
2.アマチュアとしては能力がある方だが、プロになれるほどの力はない。(笑)
3.自閉向けでない教育をされたため、「こだわり」で稼ぐことに罪の意識を感じる。
自閉だと気づかれていない自閉者は「わがまま」だの「甘えている」だのといった非難を浴びがち
である。ADHDを併発していたと思える私はちゃらんぽらんな態度で授業を受けていたので、社会は
そんなに甘くない、ということもイヤというほどたたき込まれた。
結果、以下のような固定観念が形成される
「楽をして稼いではいけない」
「賃金は苦痛の代償として受け取るべきものである」
普通の人がコンピュータのことで悩むレベルは、私からするとかなり初歩的なものである確率が9割
以上である。言い換えれば、私が見れば簡単に解決するということだ。だから、これしきのことで
報酬をもらおうなどという気が起きない。それどころか、詐欺でもはたらいているような気にすら
なるだろう。
だから、そっちで稼ごうという気は起きない。仮に求人と能力の二点が解決されても、である。
このようにして「限られた能力」を生かす道は閉ざされ、落伍して社会のお荷物になるのだ。
こだわりをうまく生かせるように配慮していくべきこと、好きで楽なことで食って行くのは
少なくとも悪いことではないと教えておくこと。世の中甘くないと脅すのは、日常的に世の中との
一体感を感じている(であろう)非自閉者向けの警句としては有効であろうが、日常的に世の中から
疎外されているように感じている自閉者向に使うのは誤解の元である。
[2001年7月20日 6時24分49秒]
お名前: pocks
直接の反応に近いことをやってしまう。m(_@_)m
>傍からはそのケだらけに見えるが、自分は「普通」だと思っている成人に、かなりコテコテの
>「自閉症」児がいる場合。・・・とーぜん、自分の子どもは「普通」だと言い張る。
(ペンギン日記7/16 1:35)
これ、うちのパターンでした。で、なんで気づいたかというと、ふとしたことから私自身がソレで
あることに気づいたからです。
幼児期の検診にかからなかったのはもちろん、子供のことを色々思っていた人もいただろうに、
とある専門医すらその可能性を指摘しなかった。後から「ヒント」かと思えたのは、母方祖母
(子供から見て)の「目が合わない」という言葉だけ。自分も目を合わせない私がこの言葉を無視
したのは言うまでもない。
かくも高機能自閉あるいはアスペとゆー障害は知られていない、という一例であろう。
P.S.
とある関係の知り合いの兄がカナー型ではないかとゆー気がしてるが、本人は兄は知恵遅れ
みたいな言い方をし、自閉とは言わない。彼はアスペっ気があるので、可能性はかなりありそう
なのだが。
これは、自閉症自体が知られていない(「重症」の場合、知恵遅れの問題にされてしまう。)
ことを示す一例なのかもしれない。
[2001年7月16日 5時26分49秒]
お名前: pocks
某所で自閉人が自閉人に突っかかってるのを見た。(現在は削除されている)
非自閉人にはわからないかもしれないが、どっちも「いかにも」な自閉人なのだ。
消された書き込みが消されなかったら書くつもりだったことをここに貼っておく。
(注意:ここに直接反応を返さないように>該当者その他)
「初対面の人にいきなり」議論を仕掛けるごとき行動は、積極奇異型の場合ごく普通です。
高機能なら嘘もつける、ということはグランディン氏の自伝でも明らかですから、
嘘をついた人は自閉症ではあり得ない、ということにはなりません。
従って、あそこで列挙されていたことが事実だとしても、誰かが自閉症であるという診断を
覆す根拠にはなりません。自閉症は「スペクトル」と言われるくらいの広がりを持った
障害です。しかし、どんなに多く見積もっても、スペクトル全体で百人に一人いるかどうかの
少数派でもありますから、同類同士でいがみ合ったらたちまち自滅間違いなしです。
どうか自閉者が連帯できる方向で考えていただきますように。
しかし、後半の連帯うんぬんはやっぱ見果てぬ夢だわ。
[2001年7月15日 5時21分14秒]
お名前: pocks
いじめについてメモ
受動型の人などでは問題になりにくいかも知れないが、いわゆる積極奇異型の場合、激しい
いじめの対象になることが多いと考えられる。
一見普通(知能検査は正常範囲かそれ以上)で、知識のない人から見ればただのわがまま・問題児
であるだけに、教師を含む周囲も「あいつなら虐められてもしかたない」という認識になりやすい
ので、陰湿化して表面に出にくいのでなおさら注意が必要である。
また、重い二次障害を招きやすい。
しかし、現在の「自閉人検出システム」は、言葉や知能の遅れに頼っているようで、同年齢児との
関わりが異常であっても、検診担当の大人との関わりに一見異常がなければその網をすり抜けて
しまうし、親も未診断のアスペだったりすると、自分もそんなもんだったということになり、
親が子供の異常を訴える可能性は格段に下がるであろう。
対処としては、社会がいじめへの感度を上げていき、その中で自閉人を発見するという方法が最も
良いと考えられるのだが……。
おまけ
わが子は「検出システム」の確立後に生まれたが、実際にそれをすり抜けた。この書き込みは
体験に基づいて書いている。
高機能男性の自伝を見かけないのは、「男のくせに」虐められた体験をつづれない、ということも
あるだろう。私だって、実名でそれを書く気は起こらない位だ。
[2001年7月7日 7時56分57秒]
お名前: pocks
化けるので、コンピューターがコケる危険をおかしつつIEで書く。
知能検査(成人向けウエクスラー)でばらつきが出ない、は間違いでした。
最近読んだ本によれば、アスペに特徴的なのは、積木模様と組み合わせの得点が高く、絵画完成・
絵画配列が低いということらしい。
で、テストの時に標準より低かった(が、正常範囲内)のは言語性の「理解」と動作性の「符号」
だったのですが、積木模様・組み合わせの評価点はいずれも17、絵画完成が12、絵画配列は11と
全部標準以上とはいいながら、見事な対照をなしている。
で、やっぱ俺は自閉の人なんだ、と思ったのでした。
[2001年7月4日 4時49分16秒]
お名前: pocks
主治医に「親の会」の連絡先を聞いているが、それが電話番号だけで、しかも自宅のような感じ。
商品に関する問い合わせとかの電話(ビジネス)だったらわりと抵抗なくできるが、知り合いでも
ない所にいきなり電話するのは抵抗が異常に大きく、まだ放置されたままである。
(一端知り合いになってしまえば敷居はかなり下がるが慣れが必要で、個人的用件の時はそれでも
抵抗がある。)
一方、掲示板で見つけたとあるイベントへの参加申し込みはいとも簡単にできAた。
ここ・も、コミニュケーション障害の表れで、しかも、かなり重いと考えるべきだと思うが
非自閉の方々が気軽に電話を使う一方、パソコンに異様な苦手意識を持っているのを何度か
目撃しているので、この苦しさも、理解は得られない気がする。
[2001年6月30日 7時9分16秒]
お名前: pocks
俺は自閉人だ。あんたら非自閉人とは回路が違うのだ。危害は加えないから、俺のアヤシく見える
行動は放っておいてくれ。
...てなことを一度大声で言ってみたい。
世間話することで相手の安全性を確認する、みたいなことはできないし、苦痛ですらあるのだ。
俺と同じ趣味の持ち主でないなら俺に話し掛けるな!小さな親切大きなお世話。
[2001年6月29日 6時1分17秒]
お名前: pocks
「アルジャーノンに花束を」という小説がある。とある知恵遅れの人が手術で天才になり、その手術の
原理的欠陥から再び知恵遅れになるまでの感情の動きを綴ったものだ。
診断を得て、自分の障害の特性を考えながら過去をフラッシュバックさせると、昔なにげに受けていた
待遇が私を馬鹿にしてのものだったことが実によくわかり、天才になる途中で主人公が感じた悔しさが
わがことのように、手に取るように共感できる。
こうしてまた鬱に落ちるわけだが、なまじ高機能なだけにダメージもでかく、忘れることもできない
ので回復困難である。
児童精神科・医療関係者にもおすすめの一冊。ダニエル・キイス著/小尾芙佐訳/早川書房刊
[2001年6月28日 5時11分35秒]
お名前: pocks
自閉症児に適した養育法と非自閉児(自分が異常ということになるので「健常」などとは言いたくない)に
適した養育法は異なる。
非自閉症者には許容範囲となる養育が、自閉者から見れば精神的虐待となるケース、というのがあり得るの
である。
私の母親は、子供のためを思って私をしつけようとした。しかし、私(自閉者)の特性を知らなかった。い
わゆる「常識」を振りかざし、私が「常識」についての論理的説明を求めるたび、「へらず口をたたく」息
子に切れていた。私の側から見れば正直に、わからないことの説明を求めただけだが。
屁理屈といって回答拒否されることで、私から見た私と親との距離は開いた。単純に見える要求がこのよう
な形で拒絶されたことで、親から放置され、精神的に虐待されたような感じを抱いた。
自閉症が一見情緒障害に見えるようになるのは、こんなところにも原因が潜んでいるのかもしれない。
[2001年6月27日 4時47分32秒]
お名前: pocks
日常生活でかなりひどいパニックになる、ということが頻発する。
(というか、自分がそういう存在であることに気づいた、というべきか。)
昔精神科にかかったときは、職業生活が送れていれば問題ないそうだし、癇癪になることはあっても自傷・
他傷には至らないので、それに従えば私は正常範囲なのだろう。(皮肉)
なにげな買い物をしようとして、その日一日鬱に落ちているということが何度もある。それが、食品だの衣
料品だのといった、それこそ日常用品についてなのだから、本当に情けなくなる。
しかし、福祉予算削減第一のこの国では、これが「日常生活の困難」だと認められることは、おそらくない
だろう。支援はおろか、(鬱に落ちていても)励まされて終わり、というオチが見える。
[2001年6月25日 5時29分16秒]
お名前: pocks
大阪の児童殺傷事件で、容疑者が障害者手帳を不正取得した疑いがあると報じられている。その根拠は、
「日常生活に著しい制限を受ける」はずの二級を、タクシー運転の職に就いていた時に取ったからだとされ
ているが、自閉の場合、職の選び方によっては問題なく職業生活が送れるのに、日常生活で制限を受けると
いうことが起こり得る。
たとえば私の場合、前の職場はほとんど一人作業だったので全くといってよいほど問題は起きなかった。今
の職場での付き合いこそ必要最低限しているが、近所付き合いはほとんど引きこもりレベルであるし、自
傷・他傷にこそならないが、日常の(とされるはずの)買い物場面でパニックに陥ることがしばしばある。
(最近行きつけのスーパーが潰れて馴れない所で買い物をしているのでこれがひどい)
以前自閉とは別件で精神科にかかったときも、内面の苦しさは問題にしてくれず、職業生活に支障が出てい
なければ問題はないでしょう、とか言われたが、非自閉人から見るとなにげなくできる(はずの)日常生活で
多大な苦労をやっている自閉人としては、この「職業生活」と「日常生活」の妙な重み付けはやめてもらい
たいもんだと思う。
仮に私が二級の手帳を取ろうとしたら、きっと「不正の疑い」とか言われるのだろう。迷惑な話だ。
[2001年6月23日 6時49分48秒]
お名前: pocks
とある掲示板で、ある親御さんが「今はこだわりもほとんどなくなり、多動もなくなったけれど、
検査をすれば明らかに数値として出る」ということを書いておられた。
私の場合、小学生の頃に受けた知能検査のプロフィールに極端なばらつきがあったのを記憶
してたので、最近やってもらったのだが、これが"数値として出ない"(^_^:)
ばらつきはあるのだが、低い方のパートも遅れは問題ない(正常値といえる)範囲に収まっ%A%4討い讙という診立てである。
しかし、日常生活の中で5僖縫奪・亡戮襪里呂修譴海銃錡鐫稟啝・ただし自傷や他傷はない。
癇癪になることはある。)だったりするし、友達がいないなどの悩みは結構深刻である。
ところが、診察場面で妙に冷静だったりすると、この深刻さがもう信じてもらえないわけだ。
かろうじて診断もらえたのは、多動+問題行動頻発の小学校の通知表を見せた所によるのが
大きいのではないだろうか。(続く....かもしれない)
[2001年6月22日 5時26分49秒]
お名前: pocks
場所をお借りします。中身はぼちぼち。
他の掲示板でオリジナルメッセージにするほどのことではないが、書きたいことを
書く予定です。
[2001年6月21日 5時3分42秒]
このテーマについて書き込みをして下さい(書いた人に対する書き込みをしないこと)。
※半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
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