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お名前: ほっとしている管理人
「診断」がつくまで、「診断」が確定するまでの過程の心理的葛藤は、決してそんなに楽な
もんじゃなかった。だって、いろんなものに向き合わなければならないから。
まっ、私の場合は「???」の段階でいろいろやり過ぎたことが、大きかったけれど。
それでも、200になりました。続きは、どこかに書くでしょう。
[2000年10月24日 22時50分8秒]
お名前: ペンギン
「診断」は壁ではなくなっても、「自閉症協会」という壁、それから県境の壁は、当分の間立
ちはだかるかもしれない。
やっぱり、「軽度・高機能自閉症」そのものにまつわる不安感は、拭い切れない。
でも、自分がいろんなものの境界線だと思っていたら、私はどうやらその内側の境目にいるよ
うで、境界線上とか境界線のほんのちょっと外という人もたくさんいることを知って、最近、
本当に驚いている。
[2000年10月24日 22時44分39秒]
お名前: ペンギン
でも、人が書いたものを読んで、一喜一憂しなくてよくなった。
だって、もう、自分で心配する必要がなくなったから。
[2000年10月24日 22時32分25秒]
お名前: ペンギン
一方では、せっせっせっせと「診断」つけて、月に何度も集まって活動しているグループ
もあるというのに…。
なーんでか、ねえ???
[2000年10月24日 22時29分8秒]
お名前: ペンギン
久しぶりに、「じゃじゃ丸トンネル迷路」の科学論文をまとめて読んだ。
もっのすごーく、当たり前のことが小難しく書いてあった。
あらためて、現実とのギャップを感じた。
[2000年10月24日 22時22分40秒]
お名前: ペンギン
かくいう私も、実は親子三人で隣りの県の病院に通っている。
まっ、そのうち次男のADHDの診断は、どこでも下るだろうけれど、私と長男の「自閉症」
は、何処でもというわけにはいかない。
それで、今日、何か事故があった時の為に、近所の処方箋薬局に薬事情報を登録して来たのだ
が…。これも、本当は、すっごーくオカシイことなのだ。
[2000年10月24日 18時2分9秒]
お名前: ペンギン
こうしてみると、やらねばならないことは、まだまだたくさんある。
(何てったって、子どもの「診断」さえ、全然おりないところだから。)
[2000年10月24日 17時47分57秒]
お名前: ペンギン
しかーし、↓のことは、本来、私が心配する事じゃない!
[2000年10月24日 17時44分47秒]
お名前: ペンギン
一口に「自閉症協会」と言っても、県によってバラツキがある。とっても進んでいるところだ
と、アスペルガー症候群や高機能広汎性発達障害をも含む「自閉性障害」全般を対象にしてい
る。
私は、とっても遠く離れた県の「自閉症協会」にはたいへん縁があるのだけれど、地元の協会
には全く係わりがない。ホームページもあるのに、メール一つ出してもいない。(私がどこに
住んでいるか探る手掛かりを、自分のホームページにハッキリ書いていないということもある
のだろうけれど…。しかし、つい最近、ある会合で「自閉症協会」の会員という人と同席した。
そこで私は、「高機能自閉症」の話をしたのだけれど、その人には完全無視された。)
そんなんで良いのだろうか?
[2000年10月24日 17時43分3秒]
お名前: ペンギン
「何が・どう・違う」か判らなければ、「何処を・どう・気をつければ良いか」判らない。
[2000年10月24日 12時22分44秒]
お名前: ペンギン
別に、そういう目的で行くわけじゃないけど。
[2000年10月23日 9時45分52秒]
お名前: ペンギン
学会の会場を本人がウロウロするのは、先生方にとって迷惑な話なのだろうか?
でも、テレビや雑誌に出るより、よっぽど実践的だと思うな。
なんてったって、「高機能自閉症」や「アスペルガー症候群」の成人を見たことが無い現場
の医師や臨床心理士の人たちに、確かにそういう人が存在していることを知らしめることが
できるのだから。
[2000年10月23日 9時42分53秒]
お名前: ペンギン
〈人〉との違和感だってあって当たり前なんだから、終息するはずのないもので、終息する
必要もないものだって分かったし。
[2000年10月22日 9時46分52秒]
お名前: ペンギン
人が言い争いをしていると、心理的影響を受けてしまうこと。
表情が無くなるほど疲れている・生理的に不具合な「顔」を怒っていると思ってしまうこと。
いろんな「音」に含まれる金属的な高音が、ダメなこと。
予想外に人に話しかけられるのが嫌いなこと。
こういうものが不快刺激になっていることは気づいていたが、私はパニック発作を起こさない
し耳塞ぎもしないから、ただ、なんとなくイライラしていた。そういう風に感じてはいけない
と思っていたことが、すごく負担になっていた。
「自閉症」なんだから、それらを回避するように心掛けても良かったのでした。
だから、今は、とっても楽になりました。
[2000年10月22日 8時57分41秒]
お名前: ペンギン
『にんげんゆうゆう』で知覚のトラブルとして、「聴覚」は音の指向性・「視覚」は認知の
障害の部分に引用文を限定したのは、そういう他の病気の症状と間違えられないように、わ
ざと避けたのかもしれない。
だから、本人たちがトラブルとしてよく挙げる例とは違う箇所だったのだろう。
[2000年10月21日 5時11分4秒]
お名前: ペンギン
こないだ病院に行った時、「今日は、風の吹き方が良いので、葉っぱの揺れ具合が気持ち良い」
と言ったら、「言われればそうだけど…。さっき来た○○○□□の子が同じことを言ってた。」
と言われた。
確かに、「知覚過敏」そのものは、他の精神疾患にも見られることなのでそれだけで「自閉症」
診断の決め手にはならない。ただ、それが、急性的・過渡的なものではなく、生来のものである
ということなのだ。
[2000年10月21日 5時4分43秒]
お名前: ペンギン
私が、最後の最後まで分からなかったこと。
DSM−4で言えば、「対人的または情緒的相互性の欠如」
ICD−10で言えば、「社会的−情緒的な相互性の欠如」と表記されている部分。
TBSのドラマの時、「何故、人の気持ちが分からないことがテーマになるのだろうか」と思
った。そして、「コミュニケーション」というのは、情報交換することではなく情動の交流を
することだと、初めて知った。
NHKの番組制作時に受け取ったメール。これは、ハッキリ言ってショックだった。
「非自閉者は共感とか感情の交流ということをとっても重大視しているんだろう、ということ
ですね。それがないと、とっても不安になってしまう。だからきっと妙な感情の押しつけをし
たりして、よけいに自閉の人を困らせたりもしてしまうんでしょうけれど。」
それまで、ただ何となく不快だったこと、いったい何をやっているんだろうと思っていたこと、
それが人々の生きる力の源になっていたのだった。
今では、人々がそれを楽しんでいるという事実を素直に受け留めることができるようになった。
しかし、私はそれを感じることが出来ない。ただ、それが彼らにとって必要なことなのだから、
好きなようにやらせておけば良いのだと思う。そして、だからといって私が義務的に「楽しさ」
を感じることもないし、「楽しい」と感じられないことを「罪」だと自分を責めることもない
のだ。
でも、私が初めて「共感」することが出来た場面というのは、自分にない「偽物・作り物の感
情」をこちらが身に付けて「普通」の人と「共感」したのではなかった。「自閉症」者の感じ
るままに、本当の気持ちを言うことを許してくれて、私に通じる言葉で話しかけてくれた人だ
った。
私が初めて、私と同じ様な人が確かに存在すると確信したのは、リンコさんをこの目で見た時
だった。
やっぱり、「共感」することは生きる支えになっている。でも、自分自身の本当の感覚で共鳴
できないところには、「真の共感」は有り得ない。
それ以来、ニセモノの私はいなくなった。
[2000年10月14日 21時43分39秒]
お名前: ペンギン
数直線全体のことを語るのと、自分のいる一点からの景色を語るのとでは、言うことが違う。
それは、決してずるいわけでも建て前と本音を使い分けているわけでもないのです。だって、
どちらも本当だから。
[2000年10月14日 9時7分49秒]
お名前: ペンギン
私の場合は、「治療」が必要なほど神経症と「うつ」状態がひどくなっていたということもあるけれど…。
「自閉症」のことを語るのに「自閉症」でなかったら困る、というので必要に迫られてという面もある。
[2000年10月13日 21時41分52秒]
お名前: ペンギン
こないだ、自分のカルテを見たら、「神経症」と「自閉症」って書いてあった。
「わっ、韻を踏んでる〜!」と思った。←そーゆー問題じゃないっつーの!
こういう風に書いてあると、「病気」みたいだ。
でも、単に、「そういう人〜♪」なだけです。確かに、「ほとんどビョ〜キ〜」だけど。
↑
注:知っている人は少ないかも知れませんが、これはギャグです。
[2000年10月12日 9時29分28秒]
お名前: ペンギン
森口さんでも、4年前か・・・。(ため息)
[2000年10月10日 14時30分41秒]
お名前: ペンギン
昨日も、スーパーのレジ前に並んでいて、掲示してあるポスター(正確には、ポスター前の
空間−なにしろ、スーパーは蛍光灯だらけなので光がやたらと交錯している)をぼんやり見
つめていたら、突然後ろからトントンと叩かれた。
電動車椅子に乗ったおじいさんがクラクション鳴らしているのが、全く聞こえてなかったの
ね〜♪ マズイ、これじゃあ「自分に知覚のトラブルがある人」じゃなくって、ただの「障
害者に思いやりのない人」だぁ。
[2000年10月10日 7時33分35秒]
お名前: ペンギン
実は、私はずっと「自開」状態だったから、「自閉症」だって言われてうれしかった。
だって、「自閉」状態の自分を、いつも"悪い"こと・"してはならないこと"をしてい
ると思って否定し続けていたから。音楽に聴き入って動きが止まってしまうこと・ボケ
ーッと虚空を見つめてしまうこと…、こういうことに自分でダメ出しをしていたから。
でも、「自閉症」なんだから、それが当たり前で、たまにはそうして自分を閉じて守っ
て良かったんだって安心した。
それから、視覚過敏なんて知らなかったから、何故視力は2.0でモノはハッキリ見えてい
るのに、いつも焦点がぼやけていて見ようとするものがかすんでいるのか、わからなかっ
た。でも、それは、余計な光が見えていたせいだった。
そして、自分が加わっていない他人同士の会話の中に知っている言葉が出て来ると、イキ
ナリ答えてしまって驚かれたこともあった。
こういうことがあったのも、み〜んな「自閉症」だからだって分かって、うれしかった。
[2000年10月9日 23時0分19秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」は、人としての在り方が個々別々なだけだという観点からすれば、"広汎"性発達
障害じゃなくって無"汎性"発達障害だと思うな。
[2000年10月9日 15時28分4秒]
お名前: ペンギン
「自閉のシッポ」とは何か・・・これをずっと考えていたのだが…。
初対面なのに、もう十年来の知り合いに「今更何を聞くのかー!」みたいな態度で答えて
いたっけ。そりゃーもう、シッポ丸出しでしたね。
[2000年10月6日 8時30分28秒]
お名前: ペンギン
ICD−10の「自閉症」の診断基準に書いてある事って、本人が意識している事よりもずっと
低次元のことなので、人に言われるか他の人がやっているのを見るかしないとワカラナイ。
[2000年10月5日 8時48分13秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」の障害は、自分以外の人が一人でもいる(つまり、社会的な)場面で、どのように
人と係わっているか、あるいは、人と係われないでどのようにしているか、ということ。
しかし、本人は会話も情緒的交流も自分の出来ることをしているだけなので、出来ていないこ
とを人から指摘されない限り気づかない。
それを自覚するには、イジメという形でされるよりも、「診断」の告知という形でされる方が
絶対にいい。
[2000年10月5日 7時22分5秒]
お名前: ペンギン
何を言っても・何をしても「感情」の尾ひれが付く心配のない、自然体で居られることのでき
る場所があるというのは、大切なことだと思う。
今日、そこから帰って来た後で、すっごく自然に〈人〉と話している自分を発見して驚いた。
[2000年10月4日 19時35分19秒]
お名前: ペンギン
『自閉症』−幼児期から成人期まで−
K・エリス編 L・ウイング他著(ルガール社)
これ、ありとあらゆるタイプのありとあらゆる場合について、満遍なく見事に説明されている。
[2000年9月30日 17時51分39秒]
お名前: ペンギン
[自閉症→アスペルガー障害(自閉的精神病質)→広汎性発達障害]という風に診断名が変わ
って行く可能性がある。
だから、「自閉症」のままという可能性の低い者には「自閉症」の診断を下さない方が良い
という考え方にも、一理ある。でも、それは診断を受け留める家族の心理的な負担を軽くす
るだけの、日和見的な言い逃れでしかないと思う。
たとえ、「自閉症」らしさがなくなってかなり「普通」になるかもしれなくても、最初から
かなり「普通」であったとしても、一生涯消えることの無い「自閉性障害」の困難さを抱え
て生きていかなければならない本人の為を思うのなら、絶対にちゃんと診断して家族に言い
渡して欲しい。
[2000年9月25日 14時6分1秒]
お名前: ペンギン
始めっから「違っている」のに、無理して「普通」になろうとすると「普通」以下になって
しまう。
始めっから「違っている」ことを認めていても「普通」以上になれるとは限らないが、少な
くとも「普通」以下になるのを食い止めることはできる。
さあ、どっちを選ぶ?
[2000年9月21日 9時0分23秒]
お名前: ペンギン
「社会に入れない」けれど「社会参加をしたい」と思っているのか、「社会には入れる」
けれど「反社会的」なのかによって、目標が違ってくる。
前者は、成功を目指せば良い。けれど、後者は、失敗をさせてはならない。
[2000年9月20日 18時15分47秒]
お名前: ペンギン
しかし、「社会性のなさ」にもいろいろある。
能力的に社会的に要求される水準を満たさない為に差別されるとか、常識的でない行動をする
為にイジメられるというのなら、まだ分かりやすいし社会的にも受け入れられやすい。そして、
これらの事は、差別する側の非を追及できる。
でも、常軌を逸した異常興奮亢進状態があるとか、明らかに倫理観のない反社会的な行為をし
てしまう場合、これは「障害」だからといって理解される可能性はほとんどない。理由はどう
あれ、責任能力のいかんにかかわらず、結果そのものは明らかに非なのだから。
ただ、それが「障害」によるもので現在は成長過程にあるということが、養育者に理解されて
いるといないとでは余後が全く違ってくる。
[2000年9月20日 18時10分36秒]
お名前: ペンギン
ちゃんと拘束時間が決まっていて通っていなければ、「仕事」しているとは言えない
なんてことはないんです。
自分の出来る範囲で、体調に合わせてスケジュールを組んですればいいのです。なの
に、こんなことまで「ちゃんとやらなければ」「だらしがない」と自分を責める材料
にしていました。
[2000年9月20日 15時33分29秒]
お名前: ペンギン
>こうした人々は一見普通の人と変わらないため、これまで「性格がだらしない」「変人」な
どと見られていましたが、医学の進歩により、先天的な脳の微細障害に原因があることがわか
ってきました。
で、『自分を責めないで』です。
できれば、子どものうちに見つけてあげて下さい。一度、「自分を責める」習慣を身につけて
しまうと、必ず「自分を棄てて」しまいますから。
自分を「捨てて」何かになる、のではなく自分の人生と命までも「価値がないもの」と思って
自暴自棄になってしまいますから。
[2000年9月20日 13時27分7秒]
お名前: ペンギン
>人の感情を理解することが苦手で周りとの協調性がないアスペルガー症候群の人たち
今度こそ、ちゃんと伝われ!
[2000年9月20日 13時21分24秒]
お名前: ペンギン
>喜びや怒りなど生々しい感情をすべて理屈で分析し、喜んだり悲しんだりするふりをする
と言うより、「理屈」で解釈し、「喜んだり悲しんだりしなきゃいけないと」パターン化し
て無理して対応してしまう。
でも、完全に自分を殺して他の精神疾患になってしまうこともあれば、パターンを読み違え
たり状況判断しそこねたり、フリーズして演技することもできずに終ってしまったり、とい
う失敗を繰り返すこともある。
[2000年9月20日 13時18分5秒]
お名前: ペンギン
「『本当の人間』の亜流をめざすよりも、自分の特徴をよく知って上手に生きよう」
これ書いてくれて、ありがとう!
[2000年9月20日 13時10分39秒]
お名前: ペンギン
「自閉症者」の「自閉的な行動や発想」を否定しない。
これ、特に強調したいです!
「悪いこと」じゃない、だけど「時間と場所をわきまえる必要があること」なだけですから。
そして、それがきっと、将来は「取り柄」になります。(いや、そうして下さい。)
[2000年9月20日 13時6分56秒]
お名前: ペンギン
「自己内のことで忙しい」・・・ならば、そこに入り込んでやればいい!と短絡的に考えても
らっては困ります。やはり、それにはそれなりの「お作法」があるのです。
1.まずは、「自閉症者」を脅かさないように、並行して体験を共有する。
2.そして、安心感→興味→信頼関係に発展するまで気長に待つ。
3.それから、同じコトバ(言語・身体)で語りかける。
4.その時、「自閉症者」の「自閉的な行動や発想」を否定しない。
5.そこから一緒に、かつ、あくまでも指導的に介入を始める。
6.最終的には、本人の自主的な選択に任せる。但し、選択肢だけは呈示する。
私はこれを、二人の「自閉症児」に実際に行いました。そして、自分の方は現在進行形です。
[2000年9月20日 8時23分37秒]
お名前: ペンギン
もう一つあった。記憶。
「診断基準」とか「臨床的な徴候」なんてのは、その結果の現れにすぎない。
それを外側から見て右往左往しているのって、何かヘン!
[2000年9月19日 18時59分39秒]
お名前: ペンギン
「心の理論」がどうとかこうとかいう以前に、単に「自己内のことで忙しい」だけだと
思うのだが…。
感覚・思考・頭の中のスクリーン・特定のパターンなどなど。
その外の物は、ほとんどお付き合い。なのに、〈人〉は強制的に係わって来る。
何とかして対応しようと、努力する。だから、いつも手探り状態。
[2000年9月19日 18時29分58秒]
お名前: ペンギン
コップの定義って、液体が入る形状をしていて、手で持てる手ごろな大きさで、飲食時に
用いる為に作られた物ってことぐらいでしょう?
どんな形で、中に何を入れて、いつどのように使うかまでは指定されていないはず。
[2000年9月18日 15時27分39秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」って、コップみたいなものカモ?
つまり、容器であって中身ではない。
そして、その容器にもいろんな形や素材があって、中身の味も千差万別。
[2000年9月18日 15時23分48秒]
お名前: ペンギン
私は、先生方に助けてもらったから、次は「先生方を助けてあげなきゃいけない」と思ってい
る。これって、余計なお世話ですか?
(勝手に、「役に立っている」って思い込んでいるだけかもしれないけれど。「きっとまた、
ハシゴ外されるに違いない」って思っているけれど。「最後まで助けてくれるわけない!」っ
て判っているけれど。でも、お礼言われちゃったから、しなくちゃいけないの!)
[2000年9月17日 19時2分20秒]
お名前: ペンギン
でもなー、「障害」解説をしている私の立場って、正直言って親や本人というより児童精神科
医が一番近いのだ。
[2000年9月10日 19時12分14秒]
お名前: ペンギン
体調や精神状態に気を遣ってくれるのは、精神科の医者として患者に対してする当然のことで
す。でも、それ以上の関係(つまり、お互いの〈人〉を知ろうとか親しくなろうとか)に発展
させようという動機がないから、愛情の押し付けや見返りの要求がありません。むしろ、下手
なことを言うと陰性転移に傾く危険性と隣り合わせの信頼関係という微妙なバランスの上に成
り立っている。
それから、一生懸命に話を合わせようとしていたり・特異な「自閉的」感覚を体感してみよう
と試みてくれたり・何とかして理解しようとしてくれている。けれど、「本当には解かってい
ない」という限界も知っている。
実はコレ、地球人と連邦市民がお付き合いして行く為の最低限のマナーだと思います。
[2000年9月10日 10時35分58秒]
お名前: ペンギン
それから、同化するキャラクターがいなくなっちゃったので、壁や鉢植えといった診察室の
部屋そのものの方が、そこにいる人よりリアリティがあるように感じています、最近。
完全に陰性転移に傾いたり、逆転移を疑い始めたら、突然切れちゃう可能性もあります。
まっ、子供のことでは繋がっていくでしょうけれど。それから、薬も出してもらわないと困
るので、行かなくなることはありませんが。
[2000年9月4日 19時22分36秒]
お名前: ペンギン
こっちはこっちで、何らかの形で誰かの療育に役立つと思わなければ話さない。だから、病院
か学校か関係者に、話し相手は限定される。それはそれでいい。
しかし、こっちが金(医療費)を支払って時間を買わない限り、話を合わせてもらえない。し
かも、相手はそれを仕事としてやっているという状況って、本当は悲しむべきことなのだろう
な!? そして、それこそが寂しいと思わなければならないことなのだろうな!?
なのに、普段は誰ともコトバが通じていないことには寂しいと思わず、私みたいなニンゲンで
も思いっきり自然体でいられる場所がある、と思うだけで心強くなってしまってはいけないの
だろうな!? きっと。
[2000年9月3日 18時28分4秒]
お名前: ペンギン
知覚過敏・認知の偏り・状況理解の困難が軽くなると、行動は「普通」になってくる。
しかし、それは「自閉症」の症状であって本質ではない。
「自閉症」の人が語る、認知の偏り・状況理解の困難の体験談の全てが「自閉症」に特有のも
のではない。それから、知覚過敏や他の神経障害が重くて奇異な行動をするタイプの人は、人
と係わりたくても拒絶された体験を持っているから、あたかもそれらの「壁」が取り除かれれ
ば「普通」の人であるかのような文を書く。
本人が「自閉症」の仲間たちのことを書いているのに、そうでない人に違った風に解釈される
のは致し方のないことだ。なんてったって、圧倒的に数が少ないのだから。
[2000年8月28日 10時41分9秒]
お名前: ペンギン
「障害」と「症候群」は違う。
診断的「意義」と主観的「意味」もまた違う。
それぞれ、可逆性の問題ではなく、次元が異なっているものだから。
[2000年8月28日 10時26分53秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」を診断する意義というのは、その人に「自閉症」というレッテルを貼り付けること
にあるのではない。
非自閉の人たちと違う在り方をしていて、それによって人との情動律動による交流や繋がりが
持てず自分自身の存在基盤まで脅かしていることを、いち早く発見することが重要なのだ。
そして、そういう人として接し少しでも多くの安心感を与えて、人と居られるようにしてあげ
ること。「診断」されることによって、「発達支援」と結びつくことに意味がある。
もしそれが成人後にずれ込んだ場合、もはや「発達」ということは有り得ないので、自分自身
の「謎解き」が終るまでの間、時間の流れは一時的に逆になる。そして、どの時点まで巻き戻
して、どこから再出発するかが課題になる。
後は、その「事実」を受け止めて、少しでも楽になれるかどうかということ。
[2000年8月14日 17時44分35秒]
お名前: ペンギン
子音の聞き取りが出来なければ、当然、始語は遅くなる。
聴覚が良過ぎて人間に聞こえている通常の範囲以上の音が聞こえていても、始語は遅くなる。
音の要素が分解されて聞こえてくれば母音と子音がバラバラになって、逆に言語の「音」の法
則性に気づくかもしれない。
人の会話のパターンを誰よりも早く習得できてしまったら、その人の言葉は自分の意思や欲求
を伝え他人とそれらを遣り取りするために使われていないことに気づかれないかもしれない。
どれが良いとも楽だとも言えない!
[2000年8月14日 8時17分17秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」は、さまざまな問題行動を起こす「障害」なのではなく、人との係わり方の異常・
言語の使用の異常・部分的な要素に囚われて他者を全人的に認識できない異常の三つが組みに
なった「社会性の障害」です。
感覚−知覚や神経の過敏症状があったり、特定のモノに過敏に反応したり、興味や関心が極端
に限定されていたりします。
で、もしそれらのものが「不快」であることが多ければ、さまざまな問題行動を起こすので
「私は、人と係わることが出来ない!」と主張しているようなものだ。そうして、自分が
「自閉症」であることの証拠をあっちこっちにばらまいて、それがますます対人接触を妨げる
という悪循環を繰り返します。
しかし、逆に「快刺激」が多ければ、自分一人が心地良く自己満足していて他人とも居れるの
で、問題も起こさず対人接触もできる。この場合は大きなトラブルもない代わりに、「いざ、
就職」となる時期まで気づかれないでしょう。
どっちが良いとも楽だとも言えない!
[2000年8月14日 8時4分14秒]
お名前: ペンギン
ここ20〜10年の間に、「障害」の概念が大きく変わっているのです。
病因ではなく症状別に対処しようという動き、知能指数ではなく発達指数で人間を評価しよう
という動き。その中で、注意欠陥障害や学習障害という新しい「障害」の概念が生まれたり、
「広汎性発達障害」という視点で「自閉症」を捉えるという方向になって来ているのです。
だから、明らかな不適応や問題行動があったにもかかわらず、「知能」が高いから「障害」で
はないとか、「知能」が高いから多少の困難があっても大丈夫だというので「未診断」な場合
が一つにはあります。
でも、表だったトラブルがなく、且、従来の概念では「障害」の範疇に入っていなかったため
に「未診断」のまま経過し、現在他の病態を合併する形で不適応が露呈している場合というの
もあります。
早期診断されて、今から発達(成長)していく人、成人後に診断されたものの既に他の不確定
要素が混ぜこぜになって分かり難くなっている人、成人期になって始めて社会に出られないこ
とに気づいて悩んでいる人…。今は、いろいろなケースが入り混じり、それぞれに本人の意識
と客観的な「診断」とのズレがあり、また「境界型パーソナリティ」が増えていることもあい
まって、より一層事態を複雑にしています。
[2000年8月13日 8時3分49秒]
お名前: ペンギン
飛んでいるのは「注意」じゃなくって「意識」の方だ。
「意識」は常に"何か"についての「意識」だから、それが入力される入り口の「感覚−知覚」
が分断されれば、「意識」がコマ送りになる可能性は十分にある。
私はそれほど身体症状が重度ではないので、「場面」ごとに「意識」が途切れることはあって
も、その「場(時間と空間の接点という意味)」としては繋がっている。だから、その「場面」
ごとにタイトルがつけられてファイルされていて、似たような「場面」や「キーワード」を見
聞きする度に関連する記憶が再生されてしまう。
でも、まばたきをする度に「場」が独立して間に空白が入るとしたら、これはもう「注意の欠
陥」以前の「意識の連続性」の問題だと思う。
それから、「障害」の比重が{身体・感覚}>{神経}>{精神}である場合には「生活」の
困難が重くなり、{身体・感覚}<{神経}<{精神}であれば「精神」的な負担が大きくな
るのだと思う。
[2000年8月11日 11時6分36秒]
お名前: F8
私はどうしよおもなく理屈っぽい。
理屈っぽいくせに不注意のおかげで時間がずたずたになる。
さて、そんなわけで、私が児童精神科医ではなく、「言語病理学者」の所へ行ったのは
(偶然とはいえ)正解だったのかもしれない。
でも、もう一人、支えてくれる人を選べるとしたら、
ほしいのは神経科医なんだ。精神科医じゃなくて。
[2000年8月10日 20時34分29秒]
お名前: ペンギン
要は、インターネットは本人が気づくための窓口にはなっても、それだけで診断することは
不可能。とにかく、よく分かっている専門の医師が対面して、時間をかけて会話して観察し
て見ないといけない。
でもだからといって、「この病院に行けばいいですよ。」って紹介することも出来ないのが
現状。ただ一つだけ言えるのは、「自閉症に詳しい児童精神科の専門医」がいるかどうか確
かめてから、罹ること。
私は「悩み」を人と分かち合いたいという「感情」がないので、相談されると拒絶してしま
います。「自閉症」であることで「共感」したいだけなので、ここはそういうことに対応で
きません。ごめんなさい。
[2000年8月5日 8時21分58秒]
お名前: ペンギン
まあ、本人の意識としては両者の間に差異がないのと、たとえそれで謎解きが出来て本人的
には納得したとしても周囲との溝が浅くなるわけではないことも、大差ないけど。
でも、客観的に見ると身体的な特徴って確かにある。アスペルガー的な性格の人って、視線
が合わないとかちょっとそれっぽいところはあるけれど、筋肉をちゃんと使いこなしている
し、声の抑揚が普通だ。それに、思考に感情がちゃんと含まれている。
[2000年8月4日 11時57分9秒]
お名前: ペンギン
しかも、アスペルガー的性格で生き難いのと、社会生活に適応できていないけれどどういう
わけか養ってくれる殊勝な人に恵まれて生存できているアスペルガー障害との間には質的な
違いがあるのに、大人になってしまうとその線引きが難しいというのも問題だ。
[2000年8月4日 11時46分22秒]
お名前: ペンギン
>意識の切り替えとか、注意力のコントロールとか、めちゃくちゃに分断された時間意識とか、
そういう身体的な問題の比重があまりにも大きすぎてねー。
私の場合は、見たものに同化してしまうとか心理的距離がオカシイとかいうコトの方が問題だ
った。でも、最近になってやっと「感覚−知覚異常」があることが知られるようになって来た
けれど、本人が実感として感じているそういう事が分からないから、行動に現れた特徴で「診
断」しようとして「基準」を作ったものの上手く行っていないというのが現状。
それから、認知の障害でいろんなことがわからない、かつ、「心の理論」獲得以前に奇異な行
動をすることについては書かれているけれど、物事と人事に関する道理が分かって来ると全て
を法則化して理詰めになるので、逆に人より物分かりが良すぎるくらいになってしまうことは
あまり知られていない。
でも、一番の違いは「人」としての存在基盤と様式が違う「人」であることで、「自閉性障害」
があるとどんなに軽微なものであっても必ずいつか・どこかで不適応を起こすということ。だ
からこそ、早期に発見して対処する必要があること。
(その辺が、問題を起こすほどに顕著な症状が現れて始めて「障害」になるADHDとは決定
的に違うところだ。)
[2000年8月4日 11時36分36秒]
お名前: ペンギン
>書き込みスタイル(たとえば短時間連続投稿とかさ)、引用好き、くり返し好き、
細部にひっかかって延々と脱線すること、CDの聴きかた、ギャグの長持ちのし
かた、等々等々。
そうそう、それそれ! GDGD・ECEC・CDCD!←この記号は音階を表します。
(ソレソレ・ミドミド・ドレドレと変換して下さい!)
[2000年8月4日 7時8分24秒]
お名前: ペンギン
でも、お医者サンと仲良しって言ったってこっちが医療費と支払って行っているとか、
こっちから「話しをさせろ〜!」って旅費払って自分から行っているのだから、愛着と
か何とかそれ以前の段階だけど…。
やっぱり、ずっと50の関係じゃなくって、100になったり0になったりしている
平均を計算して50ってとこだし。
[2000年8月3日 23時5分46秒]
お名前: ペンギン
そんなことより、カンペキなアスペの子供にいろいろ教えていて、「なじぇ、こんなにも手に
取るようにこの子のことが分かるんだろう???」と思っていたコトの方が、ずっと実感があ
った。
[2000年8月3日 22時56分59秒]
お名前: ペンギン
>その理由は・・・ 本で読んだ知識と自分の実感が合わなかったからさ。
私は、自分を診断する前に「自閉症」の症状があったはずなのに「自閉症」を無視されて
ADHDと診断されてしまった息子を診断しなければならなかったから、ウイングさんも
ドナさんもそのために知ったのだけど…。
まさか、現在の自分に適用されるとはつゆ知らず〜♪だった。そう思ってみたら、全然内
容が違って見えた。
[2000年8月3日 22時54分11秒]
お名前: ペンギン
>8歳で周りの存在に気づいて以来、一度も、「しんどくない状態」を知らなかったわけだか
ら、それが標準だと思いこむのも当然でしょう?
そうそう、私もそれ以降全ての行動&発言を「公式化」し、自分自身が「強迫観念」のカタ
マリと化していたことに気づいたのは、去年の今頃だった。
[2000年8月3日 22時44分48秒]
お名前: ペンギン
ごめんなー、「自閉症」とアスペの最先端の専門家の先生方にいつでも確認できる体制がとれ
ちゃっていて。(でも、それなりのことをやって来た成果だと思っている。)
[2000年8月3日 22時39分9秒]
お名前: F8
それに、私にとってはやはり、意識の切り替えとか、注意力のコントロールとか、めちゃくちゃ
に分断された時間意識とか、そういう身体的な問題の比重があまりにも大きすぎてねー。
愛着とか何とか、それ以前の段階だわ、全く。
[2000年8月3日 21時34分36秒]
お名前: F8
いいんです、怒ってるわけではないことを確認できたので。
ペンギンさんの返事しだいでは、削除しに行こうと思っていたのですが、
もうレスがついてしまっている以上、相手の方が読んでしまった後であることは確実なので、
ほんとにどうしようかと、一日中仕事にならなかったので・・・
[2000年8月3日 21時13分2秒]
お名前: ペンギン
それからー、私はお医者サンと仲良しなので、知らない人に説明するよりよく知っている人に
言いたいことを言う方が楽ニャことを知ってしまった。
一人で抜け駆けして、ごめんニャ〜♪
[2000年8月3日 19時23分0秒]
お名前: ペンギン
あっ、それから、私には「どーしよーもない実物」の子供が二人がいるので、現場の学校と
周りの父兄や近所の人たちという「戦場」がある。
そして、「実物」の親たちとも対面したり、PTA活動を通じて「軽度発達障害」の存在を
真っ向から否定される経験を日常的にしているので、私の苦手な「言葉」だけで勝負しなけ
ればいけない掲示板で「人」に係わっている余裕がニャいのニャ〜♪
それに、どこかに昔書いた覚えがある事を、新規参入者ひとりひとりにいちいち説明する気
がニャいのニャ〜♪ そのうちどこかで見つけてくれて、そのうち悟ってくれればえーと思
っているので…。
つーわけで、後はヨロシクおにぇぐわぃしや〜す♪
[2000年8月3日 19時9分33秒]
お名前: ペンギン
>「自分にも覚えがあって身近な行為や態度」が、「親を苦しめる元凶」として語られている
場所に入って行くのが辛いということだったのだから。
いや〜、それは私も実際に経験している。それに、私がHPを作った頃はまだほとんどの掲示
板が、「こんな子供に困ってる〜! 誰か何とかして〜!」「私も一緒よ〜!」「みんな同じ
なのね〜!」式の書き込みばっかりだった。
F8さんが普段出入りしているアソコと、私が居座っている○○○(「も」の付くところでは
ない)さんのところには、「こういう子供が好き〜!」とか「私もそのケあるのよ〜!」って
いう人が集まっている。もっと増えて欲しいものだ。
でも、ここはそーゆーところではないから、絶対に紹介しないでね〜♪
[2000年8月3日 18時56分49秒]
お名前: ペンギン
だいたい、現場の医者だってあの「診断基準」で診断するわけではないのだ。
実物を何人も見て、それから生育歴で裏付けを取って、確かに「発達障害」=生まれつきの
ものであるという証拠をカルテに書きつける。でも、決め手は人との遣り取りの中で見せる
仕草なのだ。
それに私だって、「診断基準」を読んで古典的な「自閉症」ではない「自閉症」というもの
があることを知っただけで、本当にそうじゃないかと思ったのはテンプルさんが主観的に書
いた文章と自分の経験が一致したからだった。でも、確かに自分と同じ仕草をしている成人
たちが実在するのをこの目で見るまで信じられなかったし、医者の目で見て確認してもらう
まで確信は出来なかった。
[2000年8月3日 18時49分6秒]
お名前: F8
だってさ、社会性だって、元はと言えば、注意力の視野の広さとか、注意の切り替え力とか、
潜在的学習力のなさとか、背景・文脈の無視とか、そういうものが基礎にあるわけでしょ?
情報が分断化されていたら、対人関係の基礎を学ぶことだってできませんもの。
そこまで遡って書いてあれば、私にだってわかったかもしれない。
だけど、普通に診断基準読んだところで、
「人とは付き合わないことにしたから、人付き合いは問題になってません〜」
「まわりの人たちこそ、非常識なんですぅ〜」で
納得してしまうもの。
そして、自分が疲れきって消耗してしまうことについても、これが普通なんだと思っていた。
てっきりみんながこんなに疲れているんだと思っていたから。
8歳で周りの存在に気づいて以来、一度も、「しんどくない状態」を知らなかったわけだから、
それが標準だと思いこむのも当然でしょう?
「この状態のことを『疲れている』とよぶのだ」とは知らなかったから、
「なぜ自分はときどき動かなくなるのだろう」と疑問に思っただけだった。
答えは、「怠け者だから」「横着だから」しか思いつかなかったぞ。
[2000年8月3日 10時53分49秒]
お名前: F8
それにね、私は「違うと思ってたのに診断されてしまった」クチだからね。
自己診断したのはADHDだけ。
いや、ASについては、専門家に診断されてもしばらくは「違う、違う」と言っていた。
その理由は・・・ 本で読んだ知識と自分の実感が合わなかったからさ。
ウイングの三つ組みなんて、読んだだけでは意味が分からなかったんだろうね。
社会性だのコミュニケーションだの想像力だの、私には関係ない話だと思った。
何年も家に閉じこもっていたから苦痛はなくて「これでいいや」と満足していたもの。
何年も家に閉じこもっているのが変わったことだとは思わなかったし。
ただ、地域のつき合いなどの、義務的な人間関係が「疲れる」と感じていただけ。
それについては、「相手が非常識だからだ」「相手がプライヴァシーをわきまえないからだ」と
思っていた。自分が人付き合いがヘタなのだとは思ってもみなかったし、
「後でぐったり疲れきってしまう」のが「ヘタだから」というのもわからなかった。
ただ「体力がないんだ」と思っていた。
それでも、人とつき合う場面は極力少なく保っていたから、何とかやっていけていたし、
寂しいという感覚もないので、何の不満もなく、だから問題と感じていなかった。
問診のとき、「いえ、対人面では別に問題ありません」と胸張って答えてたね。
「だって、対人関係、ほとんどありませんから」と続けちゃったけどね。
診断基準なんか読んだって、全然関係ない話だと思ったもんだよ。
私が診断を納得したのは、結局は、ANIの仲間たちの「雑談」がきっかけだった。
掲示板やメーリングリストでの書き込みスタイル(たとえば短時間連続投稿とかさ)、
引用好き、くり返し好き、細部にひっかかって延々と脱線すること、CDの聴きかた、
ギャグの長持ちのしかた、等々等々。
結局のところ、ANIの仲間たちの「雑談のしかた」には、全てが見事に現れてた。
社会性だとかよりも、もっと根本にあるであろう、生理的なものが。
[2000年8月3日 10時41分9秒]
お名前: F8
それと、あの場で問題になっていたのは、「自分にも覚えがあって身近な行為や態度」が、
「親を苦しめる元凶」として語られている場所に入って行くのが辛いということだったのだから。
自分をどうこうしよう、じゃなくて、親が(子どもの)被害者的ムードに浸ってない場所で
子育ての話したかったみたいだから。
それに対して、「結婚している人はいないはず」だと答えになっていないもの。
(というより、「結婚している人はいない」だと、私にまで降りかかってきてしまうから)
だから、戦犯になってみることにしたんだ。別に、誰にでも甘い顔したいからじゃないぞ。
だから、「自分は健常者だけどセンスはこの子と同じ」「自分が小さいときに楽しかった遊びは
止めさせたくない」と言っている健常の親がたくさん集まっている場所を振ってみた。
何もココを振ったわけじゃないんだから、許容範囲だと思うんだけど。
そんなにマズかったかい?
[2000年8月3日 10時18分45秒]
お名前: F8
それはそうなんだけどさ、会いもしないで「そんな人がいるはずがないから違います」というのと同列にはなりたくなかったんだよ。
自分がそういう文献を読んだことがないからというだけの理由で、「そんな人が存在するはずがない」と言えちゃう人の方が正しいんだろうか? でも、それだと、診断を求めて専門家を訪ねることも、あるいは、診断できる専門家を探す(心当たりを人に訊ねる)ことも、「騒ぎすぎ」になってしまう。
可能性の部分でつぶすと、診断以前の手続きさえも「悪」になってしまう。私はそれをしたくなかった。「自分が文献を読んだことがないから」という言いかたには「文献の紹介」で応えるしかないんじゃないかと思う。
ついでに、診断できる相談機関のリストを出せないのは私のせいではないし、相談機関が身近にたくさんないのは、「もしかして?」と疑い始めた人のせいではない。
[2000年8月3日 10時1分57秒]
お名前: ペンギン
自己診断することにも、意義があります。
でも、ちゃんと医療機関を受診して診断してもらうこととは別のことです。
実際に「自閉症」と診断された子供を見て「私もあれと同じ」と言っている場合と、
診断基準を読んで「私のことだ」と思う場合とでは、解釈が全く違います。
その診断ができる専門家の数が少ないし地域差があり過ぎるのが、今現在の状態です。
本当なら、専門の医師に対面受診してちゃんと診断がついている人同士・診断された
子供を持って気づいた人同士・そういう人たちの書いたものを読んで自分もそうだと
思っている人同士、別々に集まらないと正確な情報交換にはなっていない。だって、
見ているものが違うのに、同じ言葉を使っているから。
(辻井先生が、「アスペの会」以外のリンクを外した理由の方がもっともだと思う。
つまり、専門の医師に診断されたという前提条件のもとに統一しないと、ラチがあか
ない不毛の議論が続いてしまうから。しかし、早いところ「相談できる専門家リスト」
も作ってくれなくっちゃ、事態は進展しようがない!)
[2000年8月3日 7時30分33秒]
お名前: ペンギン
私は、二人の子供にそれをしてあげたし、私もしてもらいました。
だから、親と療育者と本人掛け持ちです。
お陰で、すっかりゴチャゴチャになっています。
どうしてこんなことになってしまったのかって?
それは、私が「自閉症」に共通点が多いアスペルガー症候群だからです。
それは、何を言っている・何を書いているってことじゃない。
独特の身振り・手振り・目つき・話し方。困った時に見せる表情と態度。
そういうところを、ちゃんと診てもらっています。
[2000年8月3日 0時2分21秒]
お名前: ペンギン
私は、二人の子供にそれをしてあげたし、私もしてもらいました。
だから、親と療育者と本人掛け持ちです。
お陰で、すっかりゴチャゴチャになっています。
どうしてこんなことになってしまったのかって?
それは、私が「自閉症」に共通点が多いアスペルガー症候群だからです。
それは、何を言っている・何を書いているってことじゃない。
独特の身振り・手振り・目つき・話し方。困った時に見せる表情と態度。
そういうところを、ちゃんと診てもらっています。
[2000年8月3日 0時1分20秒]
お名前: ペンギン
ひとりひとり違うから、ひとりひとりの話しを聞いてあげること。
そして、ひとりひとり分かってあげること。
[2000年8月2日 23時39分10秒]
お名前: ペンギン
「療育」というと「こういう場合にはこう」というように一律な公式を作って当てはめること
だと思っている親もいるだろうし、そういう方法を知った本人が「こんなことをされても私に
は通用しない」と敵愾心を持ったりもするでしょう。
でも、目的は「型にはめる」ことでも「押しつける」ことでも「行動を改善する」ことでもあ
りません。まず、本人を知ること。どういう風に感じ・何を思って・どう考えているか、何が
原因で出来ないのか・分からないのか、一度本人と同じところに立つことです。
まず、言語・非言語のどちらでもいいからコミュニケーションができること。たいていの人は、
「言葉」だけがコミュニケーションの手段だと思い込んでいるけれど、「自閉症」の場合は特
に身体的なものや遊びや記号のようなものであるかもしれない。とにかく何でもいいから、本
人に「通じる」こと「意味」がわかること。
そこから一緒に始めて信頼関係や愛着を作り、「言った通りにやったら出来た・分かった」と
いう経験をすること。
だから、一人一人やり方が違うし、一人に一人付きっきりぐらいの体制が必要なんです。
[2000年7月27日 7時50分58秒]
お名前: ペンギン
「診断」が複合している場合、本人にとっては自分の中の「自閉症」やADHDやLDを
分けることは出来ない。これらを分けるのは療育者の立場にとっては必要で、親にとって
も或る程度は理解していないと判断を誤ることになる。
それから、「自閉症」の三つ組みの「障害」の組合せや型を知らないと、「自分」のこと
を人に語るコミュニケーション能力や自己認知力がどの程度のものであるか、実際に会っ
ていない相手だと分からないので、「言葉」だけでは真実は伝わらない。
非言語性のコミュニケーション能力の理解と使用に困難があるタイプのアスペだと、本人
の頭の中に「言葉」と「言葉」でキッチリと関係化された体系が出来あがっているので、
ネットの場ではあたかも「普通」以上にカンペキな人間のような印象を与えているかもし
れない。
いずれも、本人の側ではなく本人から情報を引き出そうとする親たちが分かっていなけれ
ばならない問題だけど。
[2000年7月27日 6時13分59秒]
お名前: ペンギン
あっそうだ、「児童精神科」っていうのは、子供の行く精神科という意味ではないんですって。
「通常、幼児期・小児期に初めて診断される障害」を取り扱う精神科、ということだそうです。
[2000年7月21日 8時30分50秒]
お名前: ペンギン
「楽しみ・興味・成し遂げたものを他人と共有すること(例えば、他の人達に興味のあるもの
を見せる、もって来る、指差す)を自発的に求めることの欠如。」
これって、DSM−4のアスペルガー障害の「診断基準」の一文だけど。この文章考えた人も
アスペなんじゃない? だって、これ自分がイメージしているものを言語化するのに完全に失
敗しているよ。よく知らない人がこれを使うことを、全く想定していない。
(これは、皮肉です。本気にしないように。)
[2000年7月19日 7時36分4秒]
お名前: ペンギン
本当は、私が頭の中で見ているものを記述する必要があるのは分かってはいるんですが、
どうしても自分の頭の中に浮かんでいるシーンや文章に対する見解とか解説をしてしま
うのです。
でも、↓の件に関しては、書きたくなくて(と言うより、思い出したくなくて)避けて
いるところなので、誰かが代わって書いてくれた方がありがたいです。
[2000年7月16日 21時55分20秒]
お名前: ペンギン
私は、具体的なことは頭の中では再現できているのだけれど、それを言語化できなくて
書けないので、説明してくれてありがたいです。
[2000年7月16日 21時50分23秒]
お名前: QP
ごめんなさい。横から、茶化して。
皆さんの言ってる事はよくわかってるんです。
ただ、今日はちょっと調子がよすぎて何にでも反応してしまうだけなんです。
[2000年7月16日 20時44分5秒]
お名前: ペンギン
それと、人との「かかわり」方の型とは、また別のものだと思うのだが…。
[2000年7月16日 13時54分0秒]
お名前: QP
ホルモンといえば、私は妊娠中、何度も車にひかれかけた。
今考えてみると、度がすぎたボ〜ッとモードだった。
[2000年7月16日 11時50分22秒]
お名前: フリーラジカル
↓その通りだと思うよ。私は20代後半から自閉性障害域にいる時間が長くなってきた。
幼少期と思春期を更年期(ちと早いが)は、ピークだと思う。
やっぱりホルモンの関係かしら。
[2000年7月16日 8時45分8秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」にも、急性期と慢性症状があるだけだと思うんだけど、違うの?
急性期ってのは、いわゆる狭義の「自閉性障害」で、知覚過敏や認知の障害やこだわりや
合併する神経症がひどくって、いかにも「自閉症」でござい!って感じになる。
で、慢性症状ってのはいわゆる「広汎性発達障害」の状態で、人によってこちらに移行す
る時期が違う。そして、発達と伴に落ち着いてきても、時々何かのキッカケで急性症状が
出てしまうのだと思う。
[2000年7月16日 7時56分27秒]
お名前: ペンギン
「診断」がどうこうじゃなくって、自分のことを示している「診断基準」があることを知る
前に陥っていた「うつ状態」と知ってからの「うつ状態」では、質が違います。
知る前の方は、もともとあった傾向が無理を重ねてひどくなったもの。それに対して、知っ
てからのは、しなくていい努力としてはいけなかった苦労をしてしまった時間を悔いる気持
ちがそれに加わるからです。
一方で、今まで暗中模索で手探りしながらやって来たものに方向性が見えてくる安心感があ
るので、タガが一気に外れてしまって「言っても良かった」「やっても良かった」という思
いが噴出してしまう。そうすると、一時的に、今までやって来たことが全部ムダだったよう
に感じられるのが原因です。
これは、「その障害は、社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の臨床的に著
しい障害を引き起こしている」かどうかには関係無く起こることです。医者が重視するのは
正にこの点ですが、自分探しの本人にとってはこれこそ適用除外規定。
知る前と後とでは、「自分」は大きく変わるけれど、自分の置かれている現状が変わるわけ
ではないし、周りの人たちとの関係もそれぞれに結び直して良くも悪くもなるのだけれど、
最終的には「今までやって来たことは、無駄ではなかった」というところに落ち着かないと
ね。今になって知ったって事も一つの「財産」だから。
[2000年7月14日 3時9分42秒]
お名前: ペンギン
一見して分かる「障害者」でもないし、一見して分かる「自閉症」でさえない場合、
「普通」に近ければ近いほど、無理を重ねてよじれてしまったものを元に戻すのは痛いです。
時間が経っていれば犠牲にして来たものが多くなるし、深みにはまっている現実を見るのが怖い。
でも、「ワガママ言うな!」「贅沢だぞ!」「今まで通りにちゃんとやれ!」「普通にしてろ!」
っていう自分自身の「心の壁」を乗り越えるのが、一番の壁。
でも、精神的な破綻をきたすほどの「発達障害」だって、立派な「障害」です。
[2000年7月14日 2時32分40秒]
お名前: ペンギン
学校教育の現場では「学習障害」、医学的にみればその原因に「自閉症/アスペルガー症候群」
「ADHD」「発達性協調運動障害」、それと知能レベルが絡んでくる。
こんな分かりやすいこと、どうしてワカンナイのかねえ? どうしてワカンナイのかが分から
ない!
[2000年7月13日 7時50分34秒]
お名前: ペンギン
医者の見ている臨床像と、本人の実感が違っているのは当たり前のことです。
医者は外見や行動からしか判断できないけれど、トータルに見ています。
本人は、自分が漠然と感じているものについて書物を読んで確認しています。
しかも、部分と全体とを分離するのが得意な人種なので、書かれていることを要素分解して、
自分との共通点と相違点を探します。要は、自分の謎が解ければ良いのです。
[2000年7月12日 18時49分39秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」と「精神分析」との間には、忌まわしい過去があるので抵抗も大きいでしょうね。
親の「愛情」が足りないとか、親が手抜きをしているとかいう俗説のお陰で、随分とひどい
精神的な虐待を受けてきた歴史がありますから。
親の「愛情」を、「自閉症」を知ることに注げは良かっただけなのに!♪
[2000年7月4日 11時8分11秒]
お名前: QP
私「私、どこかちゃんと診てくれる医者をさがして受診してみようかなあ。」
ダンナ「診てもらえ、診てもらえ。」
私「でも、何ばかなこと言ってんだって思われるかもよ。」
ダンナ「だいじょうぶ。保証する。おまえはオカシイ。」
・・・何故かちょっとうれしい私。
私「あんたのほうが、もっとオカシイよ。受診する。」
ダンナ「いっしょに受診するか?」
・・・少しうれしいが、受診する時は一人がいいよ〜。
でもアスペびとのダンナに「オカシイ。」って言われるってことは、私は「普通」っていう
ことか?
でも、どっちが正しいかわからないけど、どっちかが「オカシイ」ってことだな。
でも、違う意味で、2人ともオカシかったりして。
2人で行ってお互いを「オカシイ、オカシイ。」って言うのも夫婦漫才だな〜。
[2000年7月3日 12時3分56秒]
お名前: ペンギン
まっ、親との間で「愛着」形成しそこねた人には、ちゃんと「自閉症」のことを分かっている
精神科医が必要だってこと。
「発達」上の「障害」の部分は、後から取り戻す可能性もあるってこと。なにしろ、「自閉症」
は「広汎性〈発達〉障害」でもあるのですから。
私にはちゃんとした精神科医が必要だった。でも、現役の子供たちが私みたいにならずに済む
為には、「自閉症」であることを前提とした親子関係があればいいってこと。
だから、私は精神科医のあり方と治療の方法論に固執しました。でも、世間一般の人には、そ
んな専門的な知識は不要です。
[2000年7月1日 5時58分32秒]
お名前: ペンギン
それで、最近どうもオカシイと思っていたら、身体と精神・社会生活をしている私と個人とし
ての私・療育者と本人がバラバラになっていたのが、知らない間に統合されて、まとまった
「自分」になってました。
[2000年7月1日 5時32分53秒]
お名前: ペンギン
生まれて始めて、親身になって話を聞いてくれた人が精神科医であったとしても、
普通、ただそれだけですから。(だって、それはお仕事だから。)
それから、私は長年の転換障害と離人状態とその他もろもろの慢性的な神経症
(発作系は一つも無い)状態に双極性障害(躁鬱病)があるので、医者が必要
だったのと、「自分」を取り戻す必要があったので、精神科医が大好きです。
たまたま、と言うよりドラマのお陰で思いがけない展開になりましたが、同時
進行になったので大騒ぎになりました。
でも、それは私の個人的なニーズなので、関係のないその他の人は、あっさり
無視してけっこうです。
[2000年6月30日 8時25分6秒]
お名前: ペンギン
↓の精神科医の件。
ドラマ三本立てがなかったら、お互いにあまり話題もなく陰性転移を起こしたままでいただろ
う。ドラマを見て思ったことをベラベラしゃべったことがキッカケになったし、たまたま、余
りにも違う二人の精神科医で混乱してしまっただけなのだが…。
その経緯を地球語で表わすと、「何もしてくれないけれど、話を聞いてくれる人もいることが
わかった」ということらしい。
そりゃあそうだ、ついこないだまで、「言ったことを守る人が良い人」で「口から出任せばか
り言う人は悪い人」だったのだから、「話すことと行動が別」の人は最悪の人間に分類されて
いるのに、それを信じるなんて要求が高過ぎる。
しかし、今でも、書いてあること・言ったことは必ず実現すると思っているぞ! でも、それ
が本当かどうかを、その最悪に分類されている人にいちいち聞いているというのは矛盾してな
いか? まっ、「人間」なんてのはそんなアバウトなものだってことで…。
[2000年6月29日 11時19分36秒]
お名前: ペンギン
確かに、自我基盤は脆弱でも、まるっきり自我が無いわけではなかった。
ただ、防衛機能が弱いので、いろんなものの影響をマトモに受けてしまう脆さがあった。
基礎が貧弱、壁も隙間だらけなところにもってきて、柱が一本も無い家に住んでいたよう
なもの、今までは。
少なくとも、太い杭だけは何本か打っといた。そんなところかな?
[2000年6月28日 23時44分14秒]
お名前: ペンギン
何か、最近おかしくて、わけがわからない。質問には答えても、人には係わりたくない。
何かオカシイと言っても、悪い方にじゃなくって良い方に向っているのが不思議で、落ち着か
ない。
「自分を否定しない」とか「極端に走らない」とか「私はこうだ!って言える」なんていう
当たり前のことが出来るようになったり、ストレスを無意識下に押し込める前に感じること
が出来るようになって、要は精神的に健康になったのだ。
でも、万年不健康・万年ヒネクレモノだったので、何か悪者になった気分だ。
[2000年6月28日 23時36分53秒]
お名前: QP
今頃になって、ASの診断基準とADHDの診断基準のチェツクをしてみた。
夫婦そろって、やっぱりASのようです。
ダンナは贅沢にもADHDにも、みごとに合格です。
チェツクしてみなくてもダンナのADHDは当然と思ってたけど。
あの突発的な、私にない行動力にひかれたんだから。
今考えたら、それが行動力というのかどうかわからないが個性は個性だよね。
でもダンナに言わせれば、私は、どこへでも勝手に一人で行ってしまって驚くんだって???
[2000年6月25日 12時18分18秒]
お名前: ペンギン
本物の精神科医のスゴイところは、例え↓のような偶然が重なって進んで行ったにしても、
患者の精神状態に応じた対応がちゃんとできて、特に「転移」の問題を、それが陽性だろう
と陰性だろうと、しっかりと受け止めてくれること。
[2000年6月19日 19時22分19秒]
お名前: ペンギン
もっとも、「精神科医」の三元連立方程式がなかったら、ずっと分からないままだった
でしょう。
「始めて会った話の通じる人」=「私の言うことを聞いてくれて、良いことを言ってく
れる人」=「実際には何もしてくれない人」=「精神科医」だった、という。
しかも、現実の精神科医には、「どうせ仕事だ」とか「薬をもらう手段」という陰性転
移の方が強くて、「同朋並みに共感できるカウンセラー」という陽性転移に確証が持て
なかった。
そこに、ドラマ上の「言った通りに行動してくれる」架空の元・精神科医が現れて、で
は、現実にいる「この人は、いったい何をしようとしているのか?」分からなくなって
しまった。
そこで始めて、その「一番良い言葉」と「一番悪い行動」を引き算して、その間に「こ
ころ」があることを発見したのですから。
[2000年6月17日 9時23分13秒]
お名前: ペンギン
「私が私でいて良かった」と「自分」を肯定するとは、私の場合「自閉症でいて良かった」
と思える場所がなければならなかったのでした。
普通なら、もっと他のことが得意なので、興味を持ったり趣味になったりする「自閉的ファ
ンタジー」がもっと分かりやすくって仲間も集めやすいのでしょう。それを認められる機会
もあるだろし、共通の話題にもなりやすいでしょう。
でも、私の場合は他のことが一切なくって、「自閉症」でいることが何かの役に立って、そ
れを人に認めてもらえる間だけ、「自分を肯定する」ことができるのです。
世間的には「悪い」ことで、他では「やってはいけないこと」「言ってはいけないこと」だ
というのは、十分承知の上で。
[2000年6月16日 7時19分23秒]
お名前: ペンギン
【「アスペの会」の先生方へ】
とはいえ、私はずっと、自分自身が感じているヘンな「感じ」や他人との「違和感」を説明す
る言葉を探しつづけて来たので、私の「自閉的ファンタジー」が「自閉症」そのものだったの
だから、「自閉症」をよく知っている人で・思いっきり「自閉症」のことをしゃべって・しか
もそれを理解して答えを返してくれる人でなければ、話が合うはずなくて当然ですね。
内容自体が専門的だし、自分が治療した経験があって相談を受けたりもしていたので、治療者
の側に立ったことがあったことも共通の話題になったので、たとえこちらが先に言い出して後
から確認する形でも不満はなかったわけです。
適当な狭さの閉じた空間で、名古屋弁で、ドラマ三本立てが始まったのは偶然です。それがな
かったらしゃべらなかったでしょう。でも、疑問を感じる度に説明が聞ける専門家が3人もい
るなんて、恵まれすぎていますね。
[2000年6月16日 6時16分49秒]
お名前: ペンギン
話し相手が医者だけっていうのも、本当は良い事ではないのは分かり切っているけれど。
他に、マトモな答えが返って来る人がいないのだから、仕方ない。
[2000年6月15日 18時46分30秒]
お名前: ペンギン
確かに、世話の焼ける患者ではあるが、自分で本を探してきて勝手に解決しているのだから、
こんなに楽な患者もいないだろうな!♪
[2000年6月15日 15時42分29秒]
お名前: QP
我県には、まだアスペルガーという言葉は一般化されていない。
上の子の診断名は自閉症スペクトラム。下の子の診断名は、高機能自閉症である。
上の子は、小さい頃からよく診断名が変わったので、要するに自閉症の仲間でしょと思う
ことにしている。
私は講演会好きなのでよく行くのだが、質問してアスペルガーという言葉を知っていた医者は
まだいない。
今日は質問しないでおこうと思うのだが、やっぱり質問してしまう。
昔は受動型だったが、だんだん積極奇異型に変身してきてしまっているようだ。
そのせいかストレスで、この3年くらい独り言が多くて困っていた。
もう昔には戻れそうにないが、なんとか混合型で適応したいと思っている。
[2000年6月11日 0時24分9秒]
お名前: ペンギン
治療者は、所定の場所(診察室)で、規定の位置関係で座り、特定の顔をしている同一人物で
ないといけないのです。
だから、廊下では会いたくありません。だいたい、廊下を歩いている時はよそいきの顔をして
いるから別人だし、「治療」というのはあの部屋の属性だから、他の場所に「治療者」がいて
は困るのです。
[2000年6月8日 5時55分8秒]
お名前: ペンギン
強固な「自己」の世界を持っているがためになかなか人と適切に係わることが出来ないし、
介入するのも困難なのが「孤立型」。適応は悪いけれど、ひどい外傷体験がない限り精神
状態は比較的安定している。(逆に言うと、外傷体験をしてしまうとその処理が出来ない
ので、解消され難い。)
「自我基盤」のなさを逆手にとって、誰かの人格を模倣して演じることで表面上の適応は
できるようになるけれど、それが「自己否定」と表裏一体の形になっていて精神状態の不
安定な「積極奇異型」。
きっと「受動型」というのは、「自己」を保ちながら「人に係わられる」ことが上手い人
たちなんだろうなぁ。
私はやっぱり、「自己」を保ちながら「人に係わる」ところに留まりそうな気がする。
「係わられる」と、どうしてもこっちから切ってしまうから。
[2000年6月6日 10時18分1秒]
お名前: ペンギン
それから、本当には「人と繋がれない」とか「人と上手く繋がれない」からこそ、「繋がって
いる実感」が欲しいのです。だから、「認めてもらう場所」が必要になります。その相手は、
「同朋」であることもあれば「理解者」であることもあるし「支援者」であってもいいし、だ
からといって必ずしも「共同生活者」であるとは限りません。
そして、能力的なバラツキが大きくて出来ないことが多い場合でも、能力的には十分なのに気
分的な要因が大きくてそれを伸ばせないでいる場合でも、「私にはこれができる!」というも
のが必要です。
この二つがあれば、本人の「治療」も「教育」も要らないでしょう。ただし、周囲の「理解」
と「支援」は永久に必要だと思います。
[2000年6月6日 8時47分44秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」者といってもいろいろなタイプがあって(孤立型・積極奇異型・受動型)、それは
持って生まれた「人との係わり方の様式」です。
それに、知覚過敏や接触防衛が強いとか、パニック障害や行動障害を合併しているとか、多動
や認知障害に基づく学習障害が加わると、当然のことながら対人接触が不快になったり拒絶的
になったりします。それでその組合せで、係わりたいのに係わり方がわからないことに悩む場
合もあれば、自分では仲間意識があるのに受け入れてもらえない疎外感を感じていることもあ
るし、逆に係わって欲しくないのに係わられるのが苦痛になってしまう人もあります。或いは、
そこに居ることが出来ないこともあるし、そこに居るのに周囲とは完全に無関係ということも
あります。
いずれにしても、「自閉状態」にある以上、基本感情が「不安」と「恐怖」に陥りやすいのは
明白です。
でも、幼児期〜子供時代に、家族に理解されていたとか、集団生活に不都合がなかったとか、
本人が全く無頓着であったとかいうさまざまな理由で、大きな外傷体験をしなくて済んでいる
人たちというのは、そこのところが違うのです。
こういう場合は、様々なトラブルを起こしたり、自分自身の至らなさを自覚しながらも「自己
否定」に走ることなく、安定した精神状態を保つことが出来ます。(世に言う、アスペ父やア
スペ母には、これが多い。)
しかし、最初のボタンが掛けられない(人との係わりがまるっきり持てない)程「障害」の程
度が重いとか、逆に「障害」の程度が軽すぎて最初のボタンの掛け違いに気づかないまま成長
してしまった場合には、意識的・意図的に「愛着」を形成してあげないといけないのです。そ
うしないと、せっかく生まれてきたのに「生まれてこなければ良かった」と思うようになるし、
周囲の人たちの好意と愛情に恵まれているのにそれを「感じる」ことも「受け入れる」ことも
できずに、ひたすら「自分を傷つける」方向に傾いてしまうのです。
いずれにしても、「愛着」形成の手順は同じです。
適切な援助をしてもらえる→いると安心・いないと不安→いろいろなことを教えてもらえる
(成功への自信がつく)→失敗しても大丈夫(失敗経験からも学習できる)→一人でやって行
ける。
それを「感情」の側面から見るとこうなります。
「(理解されて)うれしい」→「(いないと)さびしい・心細い」&「(いると)心強い」→
「(自分らしさを認めてもらって)幸せ」→様々な肯定的な感情を「感じられる」ようになる。
そこに持って行くのが、治療教育であり発達援助ということなのです。
[2000年6月6日 8時25分50秒]
お名前: ペンギン
今日の『永遠の仔』では、フラッシュバックで泣くシーンと外傷体験の現場とが繰り返された。
当然、身体的には同じ状態になるけれど内容がなくて泣けないので、わざわざ自分で何か思い
出してフラッシュバックを起こそうとしているのに気づいた。
(想起の自己生産は止められたけれど、身体症状はそのまま。何だか寒気までして来た。)
確かに「愛着」ではないけれど(医者に愛着を抱いてどーする!)、「生きていて良い」「役
に立っている」「理解者がいる」という実感があると、マイナス方向に落ちて行かない。
両親が子供の引き起こす行動を「理解できないこと」として責めるような場面が多い場合には
子どもの健全なアイデンティテイ・自己評価(自己愛)が形成できず、子どもたちの問題をさ
らに複雑にしていってしまう。 (『高機能広汎性発達障害』P164)
な〜んて、私は、特に問題行動をしなくても「災いの元になる口」を持っていたせいでこじれ
ただけですが、本当にその「だけ」のため「だけ」に苦労しましたです。
「アスペの会」でやっている治療的介入と愛着形成の理論の宣伝をしてどーする!って、「宣
伝していい」って杉山先生に言われたから宣伝します。「それで、何も自分たちが出向いて行
かなくても、その場にいる人たちがやってくれればいいことだから。」ということです。←こ
ういうことをわざわざ書くところがアスペ的ですな。
ここでいうアイデンティテイとは、「自分らしさ・自分のとりえ」という意味です。
一般的には趣味と言われるものが、アスペの場合は「自閉的ファンタジー」や「極限的な興味」
と言われるような独自の「自分の世界」になっていて、そこにどっぷりと浸かったまま出て来
ようとしません。これでは人との係わりを妨げ、集団から孤立したり集団に入る妨げになって
しまいます。
ところが、それをそのまま認めてとことん付き合うことで特定の個人との「愛着」関係を形成
することができるようになり、「集団の中で、人と繋がっている」感覚を持たせるように導い
ていけるようにもできるのです。
(これ、こんな高尚な理論に基づいてやったわけではありませんが、私が感覚的に二人の子ど
もに対してやってきたことと同じです。)
たまたま、私は「自我境界」がなく「自我基盤」が出来ないという点で強固な「自閉性」を持
っていたの「自閉症」であることが「自分らしさ・自分のとりえ」になりました。
それで、「自閉症」の解説者と弁護人になることで「人と繋がろう」としているし、実際にそ
れが出来るようになったので、と言うか、その限りにおいて自分の存在を肯定するようになっ
たのでしょう。
[2000年6月6日 0時25分14秒]
お名前: ペンギン
やっぱり、私は専門用語好きなので、専門家のフォロー付きの方が思い切ってズバッと
しゃべれます。
漠然とした「感じ」しか分からないので、それを客観的にまとめてもらうのが快感なの
ですわ。
[2000年6月5日 10時33分14秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」がややっこしいのは、身体障害&知的障害&精神障害を横断する横軸だけでも複雑
なのに、それが発達障害であるという点では縦軸も考慮しなければならないこと。
それから、私はもともと要素や部分でモノが見える「特殊な人種」だから、「自閉症」の本質
だけを取り出すことが出来る。だから、こうして平気で恥をさらしている。
けれど、ほとんどの人たちは、身体も情緒も分けることの出来ない「一個人」として「自閉症」
者を見る。しかも、ほとんどの人が何らかの合併症を持っている。医学的な対応としては、識
別する必要があっても、実用的には一人一人・個々のケースが分かればこと足りる。
日常的に起きる問題は、とっても具体的なことだ。正しい対応をする為には、知識が必要だ。
でも、対処する人たちのほとんどは、全人格的にバランスの取れた普通のニンゲンだから、感
情を排除して知識だけを切り離すことができない。
私は、もともとのモノの考え方と観点が医者や臨床心理士に近い。私は、ニンゲンを見る時に
その人の社会的な肩書きを無視しするから、専門家の先生だろうと何だろうと「自閉症」に詳
しいかとか本人との親和感はどうだという見方をする。けれど、一般の人にとっては、言って
いる内容よりも、誰が言ったかということの方が重要だ。
というわけで、私は言い放つことしか出来ない。それを役に立つ「情報」として分かりやすく
人に提供することが出来ない。
その前に、横軸の中心が身体障害に傾いている人とほとんど精神障害でしかない人とでは、周
囲の人たちの見方がまるで違うことを考慮できないというのが、最大の欠点だ。前者は、隠し
ようが無いけれど、後者は隠さなければならないのだ。
結局、人の心情が分からなければ、やっていることがどんなに正しくても無意味だということ。
この「障害」の盲点。それが分からなかったので苦労したのに、分かってもまだ、要らぬ苦労
を自分で背負ってる。
やっぱり、バカだ!←と、まだこんなことを言っている。
[2000年5月31日 4時37分3秒]
お名前: フリーラジカル
しつこく「指さし」の話題に戻るけど、そう言えば私の側からも彼女に何かを指で指し示した
ことがなかった。「冷蔵庫のような」親に見えただろうな。それにウタ・フリスの「自閉症と
アスペルガー症候群」に出てくる、廊下を一緒に歩いていてもそれぞれ好き勝手な方向を見てい
る母子。
[2000年5月28日 1時43分4秒]
お名前: フリーラジカル
如月さんも書いてたように、しょせん経験は分かち合えないと思っている。それを言語化したい
という欲求は、頭の中の情景と言語との呼応を楽しみたいという欲求。結局、自己完結の世界。
[2000年5月28日 1時39分8秒]
お名前: ペンギン
「全ての人が、どうして私の知っていることを知らないのか?」
私はこの疑問を、高校の頃まで抱いていた。
未だに自分が経験したことを、他者に説明しなくてももう分かっているものとして書き始める。
或いは、他者がそのことを知っていようといまいとお構いなし。知っている人にだけ分かれば
いいと思っている。
でも、その前に、自分の経験を言語化する能力が無い。そして、他者とその経験を分かち合お
うという意志もない。どちらが先なのかは、きっとニワトリと卵の関係だろう。
[2000年5月27日 17時47分10秒]
お名前: ペンギン
指差しが出来るようになったのは、他者の存在を認知したという点で「自閉症」から一歩
出たのだろう。けれど、自分に見えているものを操作するために指を指したり言葉を使う
技術を身に付けただけ。
人の「心」を操るなんて、一生出来ない芸当だ。
(人の「心」を踏みにじるのと、人に「恥」をかかせるのは得意だが。)
[2000年5月27日 11時18分18秒]
お名前: ペンギン
>その内容はすべて要求だ。
というのは、便利な「道具」としての他者を発見しただけ。
[2000年5月27日 11時4分52秒]
お名前: ペンギン
自分の見ている(経験している)ものを他人に指し示す為に、「指差し」をする。
ということは、自分と他人の区別がついていて、自分に興味があって何らかの気持ち(好き・
おもしろい・欲しい・手にとって触りたい・怖い、など)を伝えたい時に、それを指し示す。
でも、もし他者は自分の見ているものを見て、同じように感じていると思えば、それを指し示
しもしなければ他人に働きかけて何かをしてほしいとも考えない。
見えているものはただ「見る」だけだから、何もしない。でも、欲しくて取りたいという欲求
があっても、他者にもそういう気持ちが生じているわけではないと知らないし、その要求を実
現する為にその意志を伝えればいいとも分からない。だから、ただ「欲しい、取れない」でパ
ニックか癇癪かのどちらかになる。
[2000年5月27日 10時35分36秒]
お名前: フリーラジカル
ところでそもそも、赤ちゃんの「指さし」って「あれは何?」って聞いてるのかなあ?
「あれを見ろ」だったら興味・関心の共有を求めてるんだろうけど、
「あれは何?」って聞いてるのだとしたら、指さしをしないってことは、「モノには名前がある」
ってことを分かっていないだけだもの。こんなこと、ここで聞いても誰にも分かんないか。
赤ちゃんはさすがにこの掲示板、見ていないだろ〜。
[2000年5月27日 6時45分37秒]
お名前: フリーラジカル
こないだのM先生の言葉「いや〜、今日見ると、この子は自閉症圏の子にみえませんねえ。」
娘はしきりに診察室の棚のおもちゃを持ってきては、私に何か言う。それをM先生は「興味の
共有」と捉えているんだろう。でもよく聞くと、その内容はすべて要求だ。あのおもちゃを取れ、
だの、このパトカーのドアが開かないから開けろ、だの。とても「興味の共有」と呼べるもの
ではない。
やっぱり「指さしをしない」という乳児の頃の自閉症児の特徴はすごく象徴的だ。3、4歳の
ころ、私は他の人とコミュニケーションを持とうなんて気がしなかったのを覚えている。
ちょっと大きくなっても「この子は無口ね」とよく言われたが、なぜ他の子がそんなにしゃべる
ことがあるのか、不思議に思っていた。その頃に持ってた語彙で伝えられる内容など、人と
コミュニケートしたいと思わせる内容ではなかった。そうやってモノと行為の「名前」の
ファイルが頭の中で増えるだけだった。そう、母が躍起になって図鑑を指差して、これはポスト、
これは信号、とか言っていたのを覚えている。私はポストや信号とかの話をしなくちゃいけなかったのか?
娘は信号を指差す行為をすっ飛ばして成長し、今は「信号は赤の時は渡っちゃいけないんだよね
〜、緑になったら、渡っていいんだよ。」という決まり文句を、信号を見るたびに言っている。
[2000年5月27日 6時29分9秒]
お名前: ペンギン
おっと、治療関係じゃなかった。治療「構造」だった。
これって、もしかして、患者の話を聞いて「心」を癒す職業の人が、常に自分自身に課すように
心掛けていることなんだろうね。
だって、「日常」とか「生活」にまで立ち入ると、「心」や「精神」じゃなくなっちゃうもの。
昨日の『天使が消えた街』の、京子さん(のりピー)と婚約者のように、結局は、お互いに傷つ
くことになってしまうのだから。
それで、今度は「自閉症」の「心」が良くなっちゃうわけ?
いや、確かに、もともとの「自分」の世界の「心」はとっても綺麗だと思うけれど、それが「世
の中」にぶつかると悲惨だよ。
特に、「生活」に係わるところでは平静でいられるはずないもの。
[2000年5月18日 13時18分18秒]
お名前: フリーラジカル
>「4分音符で・ゆっくりと・盛り上がっても落ち着いて、平坦な中にも抑揚があって・
時々リズムを変えて」押し付けないしゃべり方。
すいません。この部分を想像しながら、つい私の好きな音楽(例えばサティ)を聴いているよう
な気分になり、ウットリしてしまいました。
サティのようなしゃべり方・・・♪♪
[2000年5月18日 9時55分57秒]
お名前: ペンギン
すみません。ずっと、主題が抜けていました。
これは「自閉人」と仲良しになれる「精神科医」ネタの続きです。
[2000年5月18日 8時56分54秒]
お名前: ペンギン
それから、「治療関係の破壊」をしない。
つまり、「生活」には立ち入らない。
これ、絶対条件!
[2000年5月18日 8時54分13秒]
お名前: ペンギン
しかし、「顔」のあるニンゲンには同化しにくいので…。
ナマズにでも変換するかな?
いや、せめてムウマ(ポケモンのキャラ)ぐらいにしておこう。
[2000年5月18日 7時58分40秒]
お名前: ペンギン
あっ、そうか!
「4分音符で・ゆっくりと・盛り上がっても落ち着いて、
平坦な中にも抑揚があって・時々リズムを変えて」押し付けないしゃべり方。
(「ドラマの続き…」のところに書いた、心を落ち着かせる「音」と一緒だ!)
できれば、玉置浩二のような「抜いた音」で。
しかも、頭の中で繰り返しやすい短いフレーズにまとめてくれる。
これがいいのだ!
「自閉症者」の相手をする時には、癇癪を起こさないとか、怒らないとか、落ち着いて
なんて考えるよりも、狭山先生みたいなキャラになっちゃえばいいんだ!
[2000年5月18日 7時20分31秒]
お名前: ペンギン
「名古屋弁」って、いいよ〜♪ 全体的に穏やかで。
[2000年5月17日 21時42分26秒]
お名前: ペンギン
「恥かかせんじゃなーい!!!」「考え方がおかしい」「本心を聞かせてくれ」それから
「一人で勝手に決める」「説明が足りない」「アンタのやっていることは、わけがわからん」
「それで通ると思ってるの!?」「そんなところに座ってないで、こっちへおいで」
バッカもん! これ一つでも出来たら、「自閉症」じゃないわい!!!!!!
[2000年5月16日 8時45分57秒]
お名前: ペンギン
だから、「生きてていい」と言うより「死にたい」と言っている方が、絶対的に楽なのだ。
しかも、「生きてていい」と言う気にさせてくれた医者本人は、実際には何もしてはくれない。
ただ、戦場に送り出し、傷ついたら薬を塗ってくれるだけ。
でも、本人たちが何人犠牲になろうとこうやって闘っていかない限り、何も変わって行かない
のだ。
どうせ無駄死にするのなら、せめて畳の上でなく路上に屍をさらさないことには、生きている
ことさえ全く無意味になってしまう。
[2000年5月16日 8時23分10秒]
お名前: ペンギン
個人的には、それで救われたり苦しんだりいろいろだけど…。
「世の中」に対しては、「診断」なんて有っても無くてもまるっきり無意味だ!
[2000年5月16日 7時39分58秒]
お名前: ペンギン
学校の方は、教師というのは職業で子供のことを知る義務があるのだから、説得するのは比較
的簡単に出来る。どんなささいなことにだって理由があるし、今の時点では無理なことをきち
んと説明して、適切な対応をすれば実際に効果があることを証明して見せればいい。
もし、他の子供とトラブルを起こしたら、こちらが迷惑をかけていることを第一に考えること。
出来ないと判っている事柄でも、結果として他の子供に悪影響を与えることをしたら容赦無く
叱ること。こうした社会的な大枠だけはビシッと作っておいて、個人的な能力の欠けている部
分は必要なことを着実にやりながら時期が来るまで待つしかない。
でも、「世の中」には「先生」がいないのだ。「自閉症」だ「学習障害」だ「注意欠陥障害」
だのと言えないのだ。それは、モノの考え方がおかしくて・躾がなっていないことの言い逃れ
でしかないのだ。
尚悪いことに、これらの「障害」を持った子供を「世の中」に送り出す為に、人がどんなに凄
まじい努力をしているか誰も知らない。それでもまだ、やることなすこと「普通」じゃない。
出来る限りのことをすべてやってもまだ、性格の悪い・わがままな子でしかないのだ。集団の
中にいられるようにするだけで、精一杯なのだ。
それから、この自分の身の回りのことどころか自分自身のことさえ満足に出来ず、自分以外の
人の動きさえ一切眼中に無い子供に、いちいち指示を出して「人への気遣い」をさせていると
いうのに、その結果しか知らない人は「やさしい・いい子だね」と誉める。そして、お母さん
からガミガミお説教されている「かわいそうな子供」だ、と同情する。
3人分の「生きてていい」を言うということは、3人分の「障害」を背負って3人分一人で闘
うことなのだ。一番崩れやすいのは、私だというのに。
[2000年5月16日 7時36分8秒]
お名前: フリーラジカル
またそう言えば、今まで「要は○○○っていうことだろ」というまとめの部分で見当違いな
まとめが返ってこなかったのは、この掲示板とかASの元上司とか、要するに同朋だった。
「私の説明が悪いのかな」「相手が私の本心を本当に分かろうとしてないのかな」「分かるため
の能力に欠けるのかな」と思ってたんだけど。もともと論理積が違うな、って言った方が
何だかいいみたい。
[2000年5月16日 5時24分42秒]
お名前: フリーラジカル
あ〜!また「検討」が違いました。「見当」でした。ケントウチガイでしたあ〜。
[2000年5月16日 5時9分7秒]
お名前: フリーラジカル
そう言えば、「本心を聞かせてくれ」っていう言葉は百万回(私ってばいつもこの単位)くらい、
聞かされた。だから一生懸命に私の本心を一説ぶつと、今度は「言ってることが分からん」
「もっと短い文でしゃべれんのかね」「要は○○○だってことだろ!(←完全な検討違い」と
くる。「感情」ですら短い単語で説明できない私に、「本心」を短い文で説明できるわけがない。
[2000年5月16日 5時7分49秒]
お名前: rim
そういうタテマエを真に受けて、これまで散々お馬鹿なこと言ったりしたりしてきた手前、
今では大抵のことはすぐには信じない、受け入れない、という意識態勢になっているん
ですよね〜。「本にはこう書いてあっても、口ではこう言っていても、現実は違うんだ」
ってことが辛いです。
[2000年5月16日 1時19分38秒]
お名前: ペンギン
こんなことを、障害児学級の先生がアスペの子供のことを「こんな子供、みたことない」「親
の躾が悪い」「親の接し方が悪い」、なんて言っているような時代に書いたって意味ないじゃ
ん!
それから、とにかく「普通で通すしかない!」という本人とおぼしき人のコメント。
全く、「世の中」ってこんなものって、そのドラマを作ったTBSの公式ホームページを見る
度に思い知らされる。
[2000年5月16日 1時2分53秒]
お名前: ペンギン
おやおや、rimさん。
私の現在の愛読書の「DSM−4」の「通常、幼児期、小児期まちは青年期に初めて診断され
る障害」つまり児童・精神科の領域の冒頭に、こんなことが書いてありますよ。
この章の各疾患は通常、小児期および青年期に明らかとなるが、この章に入れられた疾患の診
断を受ける者の中には、成人期まで臨床的関与を求めてこない者があるかもしれない。(略)
それゆえ、小児や青年を専門に診療している臨床家は、このマニュアル全体に通じており、ま
た、成人を専門に診療している臨床家もこの章に通じているべきである。
でもねぇ、これ、何てったってよその国の精神医学会の基準だから。
[2000年5月16日 0時46分0秒]
お名前: ペンギン
ダメだ、やっぱり去年からの1年分、これにあと8人足して13人、事件にして8件分が
ズラズラ出て来て眠れなくなってしまった。
こういう生まれつき「精神的に健康」な集団に対して、現場では、生まれつき「精神的に
不健康」なのが一人で立ち向かわなければならないのだ。
ただ、勝たなくていい、負けさえしなければいいだけの闘いだけど。
そして、ここ1年で変わったのは、生活に支障をきたす寸前のかなりひどい「うつ」状態
が改善したこと、ってことが分かった。
「自閉」の状態は、「障害」の部分を克服したはずの15年前から、実はほとんど変わっ
ていなくって、ただ30年間否定していたものを肯定するようになっただけ。
「うれしい」だの「悲しい」だのフラッシュバックだのって、結局毎晩泣いてることには
変わりはないが。これ、もうちょっと何とかならないかとは思うけれど、そうこうしてい
る内に、また別の不安が出て来て…。やっぱりまだ「不健康なりの精神的健康」には程遠
いなぁ〜。
[2000年5月16日 0時33分37秒]
お名前: rim
私などが思うのは、「自閉症スペクトル」という概念を、カウンセリングの現場などでも
もっと幅広く認めて欲しいということでしょうか。
自閉症スペクトル上に位置していても、社会生活が十分に営める人は、確かに健常者と
して「通用する」かもしれないけれど、自閉性に起因する不適応障害や精神的ストレス
はほとんどの人が抱えていると思う。そういう人が精神科やカウンセリングを訪れて、
「自閉症スペクトル」を主張したときに、「それはないでしょう」「考えすぎですよ」
という対応がなくなるだけでずいぶん違うと思うんだけど。それに自閉症スペクトル上
に位置する人間が二次的障害で精神科などを訪れた場合、非自閉者と同じアプローチを
行ったら、治まるどころか余計に混乱または悪化するような気がする。
自閉症スペクトルを「障害」としてだけでなく、パーソナル特性として認めて欲しい。
私は、この自分のままで社会でやっていく方法を知りたいのに、「心を開け」なんて
言われるのは心外なのです。地球人の流儀で心にグイグイ入り込まれるのも。
[2000年5月15日 23時51分31秒]
お名前: ペンギン
その闘いの現場には、テレビカメラもナレーションもBGMも無いし、精神科医も臨床心理士
もついては来ない。
[2000年5月15日 22時28分37秒]
お名前: ペンギン
かくいう私も、さっき今年の夏祭りの子供の太鼓練習の出欠を聞かれて、ウチの子は二人とも
参加できない(一人は太鼓そのものが叩けない&身体的に屋台が怖い。もう一人は大きい音が
嫌いで。いや、それ以前にADHDで。)と答えたものの…。
こないだの「恥かかせんじゃなーい!!!」「考え方がおかしい」「本心を聞かせてくれ」に
係わる5人の人物にまた「何か言われる〜!!!」と思っただけでフラッシュバックの嵐なの
だ。
昨日は、どう考えても普通なら絶対に覚えていて当然の人が誰だったか全く忘れてしまってい
て、話をしながら思い出してなんとかなったのを「これで、いーのだ」と平然と過ごせたとい
うのに。(次にこうだったら、これはもう相貌失認のことを言うしかないな〜。)
一年経って、最近のドラマがらみの展開のお陰でようやく自分は「生きてていいんだ」ってと
ころに落ち着いたけど。だからと言って天下まで取ってくれたわけではないから、これからの
闘いは、専門家の先生たちに後押しされた本人たちの仕事だからね。どんなに有名な先生だっ
て、この件に関しては解説者でしかないんだから。
ああいう絵空事でない実態を訴えられるのは、本人しかいないんだから。そりゃあもう、薬漬
けになろうと、支えられてやっと立っている状態であろうと、やるしかあるまい。
[2000年5月15日 21時52分1秒]
お名前: フリーラジカル
ん〜、難しいなあ。
私はパッと見では「自閉症でござい」っていう華々しい症状がない。首振りとか、手をひらひら
とかはない。今はチックがあるから「こいつ何かヘンだぞ」っていう目印があることにはなる。
(あ、それと肩の高さがまったく変わらない、美咲さんみたいな歩き方も目印かな。)
そういう華々しい症状は子供のときはあったのかも知れないけど、ナオされたのか、それとも
自然と「普通になってきた」又は克服した、のだろう。
ところがこの「パッと見」と、よく(ちょっとではなく)話してみると分かる「何か違う」感じ
との間の差が大きいのよね。
目は合わないし、非言語コミュニケーションは苦手中の苦手だし、省略した話し方
されると理解が悪いし、・・・という訳で、生身の人間を相手に「お仕事」をするときはかなり
苦労が多い方だと思う。誤解される不安がある一方で、自分は相手の言っていることをきちんと
理解してるんだろうか、という不安もあるし。一方的にしゃべってしまうのも、仕事上では
問題だし。
と、また卑近にも私の例を出したけど、
こうやって、せっかく本人は「今のままで・生きていていい」という自己肯定を得ても、
外に出ていくと「非常識だ」と括られて職をなくしたり、失職しなくても仕事の上で重い
精神的負担(これって著しい困難の定義に入る?)を背負い込むために、そのせっかくの自己
肯定の社会的意義はゼロに等しくなる。
そんな辛い思いをしている同朋が一体どれだけいるのだろう?
「自閉症」のままでいることを自他ともに(今度は他の方が重要)肯定するには、やっぱり
私たちよりも、地球人の心の壁の方が問題だよね。
[2000年5月15日 19時58分45秒]
お名前: ペンギン
だから、「心の理論」を獲得すると、行動が普通になって来るのと引き換えに「精神的には不
健康」になっちゃったりするのは、ある意味では当然なのだ。
そもそも「自閉症」である限り、「全ての面で機能が良く・広範囲に興味を持ち・社交面でそ
つなく・日々のありふれた問題が無い」わけないんだから、機能の全体的評定が80点(100点
満点で)を超えることはありえない。
なのに、いろんな場面で↑の「 」のように見えることを要求されること自体がストレスにな
ると言うより、そういう要求自体が「自己」を否定することなので、精神的には「死」の方向
に向って行く。それに、もともと自分と外界の境目がハッキリしていないし、自分と外界の関
係は曖昧で、常に不安と恐怖と背中合わせでいるようなものだから、「精神的に安定」してい
るはずがない。
だから、そもそも「自閉症」で「社会」にいて「精神的に健康である」なんてのは、二重三重
に矛盾しているのだ。でも、何とか可能なような気がして来た。
「自閉症」のままでいることを自他ともに(他だけでなく自の方が重要なのに注意!)肯定して、
「自閉症」でありながら「社会」にいられる方法を正しく学習して、
普通になろうと努力するけれど普通に成り切れないことも自覚して、
「共感」できる仲間との間で自分本来の「感情」を取り戻して、
「バカじゃない」「一人じゃない」「ここにいる」の本当の意味がわかること。
つまり、「このままで・生きていていい」って本人に思わせること。
そういうことじゃない?
[2000年5月15日 10時7分54秒]
お名前: フリーラジカル
>「精神的に健康」という状態とは「生活上の問題がないばかりでなく、人からも求められてい
る人であること」
・・・・・。自分の存在理由を求める、というのは、換言すれば精神的に健康であろうとする
努力の顕われだったのね。
[2000年5月15日 6時26分51秒]
お名前: ペンギン
きっとね、社会生活上の困難を引き起こす「障害」の部分を、自力で克服できたのだから「障
害」ではない、なんて思うことはないんだろうと思う。
特に、知的障害を伴っていない場合には、社会生活上の「障害」を克服する可能性が十分にあ
るわけだ。そして、それを克服できたことは「誇り」にしていいし、それでも残っている個性
や癖に当たる部分もまた「誇り」にしていいのだと思う。
だいたい、DSM−4だって、多軸評定の第5軸に「機能の全体的評定」というのがある。
生まれつきの「発達障害」だって、治療や教育で改善されていくことがあるのだから、第5軸
を適用除外してはいけないのだ。
ちなみに、生活上の問題も社会性の欠陥もない精神的に健康な状態から、生活どころか自他の
生存を脅かす危険のある最重度の精神疾患まで、数字で言うと100〜1の点をつけることに
なっている。
例えば、私の場合では他の合併症が全くなく・知的障害もない・「自閉症」で、全体的な機能
評価は軽度(70〜61)だったものが、一過性のストレスに対応できない状態であるレベル(80
〜71)に移行した。
でも、大多数の知的障害のない「自閉症」で、普通学級から特殊学級に在籍している者は中等
度で、成長と伴に軽度に移行するタイプのものが多い。もちろん、それよりも改善して行くこ
とだって、十分に有り得る。
また、知的障害がない「自閉症」で社会的・職業的に重大な障害がある重度の者は、養護学校
や施設に入所している可能性もあるし、社会生活を営めるようにまでなっている可能性もある
のだろうと思う。
ただ、知的障害を伴っている場合には機能評定が変わりにくい。特にそれが重篤であればある
ほど、臨床像は変わりにくいということなのではないだろうか?
それから、ここで特記すべきことがもう一つある。それは、「精神的に健康」という状態とは
「生活上の問題がないばかりでなく、人からも求められている人であること」と定義されてい
ること。機能評定が低くなるにつれ、家族・仲間・同僚・友人との関係についても述べれらて
いる。
ということは、「精神的な健康」と「対人関係や社会性」とは切っても切れない関係にあるの
だろう。そして、「自閉症」の症状の改善がなくて生活上の困難の程度は変わらなくても、こ
こでこうしているような仲間意識を持っただけで「精神的な機能」は何ポイントか上がること
もあっていいわけだ。
[2000年5月14日 19時43分38秒]
お名前: フリーラジカル
最後の数行がブットンダので、書き直し。
自分で組み立てたプロット通りに子供は動いてくれないからだ。
その例:
娘(店員になりきって)「お母さん、『トマトジュース下さい』って言ってごらん」
私(いじわるして)「オレンジジュース下さい」
娘「・・・・」(もしくは癇癪を起こす)
これでこの遊びはおしまいになる。
[2000年5月12日 18時12分20秒]
お名前: フリーラジカル
私が腹立たしいのは、「自閉症」に関して精神科医の間で大きな意見のばらつきがあることや、
時代によって診断基準が変わったことだけではない。
もっと小さな神経症状や、行動異常と言われるものでも、いまだに医者の間で意見が違うこと。
専門家と呼ばれる人の間で見逃されること。
例によって箇条書きすると
1. 私が保育園時代に自閉症かも、と言われ、「言葉が話せるようになったので違いました」
で、終わりになったこと。
2. 母は私に「どもり」があった、と言ったが、それは正確にはエコラリアだった。
もちろん、私の子供の頃には気付かれなかった。今でも話に興奮すると起きる。
3. (すっかり忘れてたのに今日、再発したので思い出しました)私にはチックが時々起きる
のに、かつて内科医(これがまずかったかも)に受診したときに「疲れ目です」(笑)と
言われた。
4. 私の子供は「指差し」をしなかった。言葉も遅れた。この重大な特徴が二つもあるのに、
健診ではひっかからなかったこと。
5. 最近、「子供さんは『ごっこ遊び』してますね」と、ある精神科医に言われたが、
この医者がどういう意味で「ごっこ遊び」と言っているのか、私には合点がいかない。
私の子供のごっこ遊びは一見そのように見えるが、相手を自分一人の空想遊びの道具に使ってい
るようにしか見えない。ままごとは私や大人とはするが、園の子とはしない。自分で組み立てた
プロット通りに子供は動いてくれない』って言ってごらん」
私(いじわるして)「オレンジジュース下さい」
娘「・・・・」(もしくは癇癪を起こす)
これでこの遊びはおしまいになる。
どうなってんだ!
[2000年5月12日 18時8分1秒]
お名前: ペンギン
子供の頃に「自閉症」の診断歴があるとか、「自閉傾向」があるのに「経過をみましょう」
と言われたとか、「自閉症」特有の症状がありながら社会生活が出来ている為に診断がつか
ずにいる人、或いは、意図的に診断を避けて来た人。
こういう人たちにとって、「診断」は壁のように立ちはだかっていることでしょう。そして、
「診断」されることで社会の側が壁を作ってしまうという現実も、そろそろ、どうにかして
欲しいです。
それが、「自閉症」でない「自閉症」の難しいところです。
[2000年5月12日 9時48分49秒]
お名前: ペンギン
>つまりこの方達は、自閉症独特の問題を持ってはいても、「自閉性障害」とは呼べません。
このような立場からみれば、自閉症が治るということは十分に有り得ることになります
というわけで、私は「元・アスペ」と↑の文を書いた杉山先生に、直接言われました。
でも現在は、意地を張るのをやめて医師の手助けをちゃんと受けています。診断は外れても、
必要なものは必要ですから。
[2000年5月12日 9時40分4秒]
お名前: ペンギン
診断をはずれてからこそ必要になるのは、医師のバックアップと本人たちの情報交換。
[2000年5月12日 9時6分29秒]
お名前: ペンギン
>生れつきの発達の問題を抱えていても、それが社会的な障害を生じていない状態であれば、
診断を下すことは出来なくなるのです。
自力でそこに至ることができるような軽度の場合でも、やっぱり社会生活を持続させるには
フォローが必要なことに変わりはありません。
[2000年5月12日 6時4分5秒]
お名前: ペンギン
医師との相性ねえ?
やっぱり、一番は良く分かっていて対応してくれること。そして、もっと良く知りたいと思っ
ていてくれること。それから、こちらからも学ぶことがあると思っていてくれること。
でも、本当の一番は、声としゃべり方です。
[2000年5月12日 5時58分30秒]
お名前: ペンギン
他の合併症が一切無くて、学習障害もなくこれだけ考える事が出来て、それでも私は「自閉症」
の三つの要素【対人関係と社会性の特異性・コミュニケーションの障害・想像力の欠如と常同
行動やこだわり】があるので、軽いけど「自閉症」です。
(でも、体育と給食と物理と読解問題がまるでダメで、外国語は高校レベルで止まってしまった
ところをみると、やっぱり何かアンバランスがあったのでしょう。)
日々、人との違和感をビンビンに感じているし、本当の意味での「感情」が分かっていないし、
言葉の行き違いだらけだし、何か始まるとそればっかりになって止められないし、人よりパソコ
ンに親近感があるし、早く仕事を片付けてCDを聴く時間を作る事ばっかり考えています。
と言うものの、「自閉症だ!」と大きな口を利いていながらも、やっぱり「大丈夫かなぁ?」と
思ってしまうし、私がこうしてのさばっていると「どこがオカシイの?」ってポロクソに言われ
ているだろうし、何よりも診断してくれた先生に迷惑をかけているのではないかと思うと、本当
は自信ないんですけど。
大丈夫だよね?
[2000年5月8日 10時20分49秒]
お名前: ペンギン
その数少ない児童・精神科医が、年間10名の仲間を発掘してくれたとする。
で、どう考えても、本人の方が医者より多いし、その親や家族の方が本人より多い。
治療や教育的介入や生活指導を、医者や臨床心理士にしてもらうのは当然。
けれど、ずっと数の多い親や本人が動かないことには、その他のことは何も変わらない。
そして、その方が遥かに手っ取り早いと思うのだが。
しかし、本人よりも数の多いその他大勢の人の中で理解者だけを数えると、本人よりも少なく
なってしまう。というのが、現状なのカモ?
その前に、診断を下せる医者の数が少ない。
こうして、どんどん、同志は減っていくのであった。
[2000年5月8日 8時25分59秒]
お名前: F8
ん? 精神科って、気分障害と思考障害を診るとこなのかと思ってた(笑)
児童精神科よりもさー、マジで神経科の先生方が自閉の勉強してくれたらいいのにと思う。
[2000年5月7日 10時52分36秒]
お名前: ペンギン
ただでさえ、児童・精神科医って数が少ないのに、不登校とか、家庭内暴力やその他の行為障
害とか、幼児虐待の後遺症のPTSDとか、思春期の不安障害とかいろいろあって、「発達障
害」なんてのはそういう一つのカテゴリーにすぎなくって、その中に「自閉症」があるわけだ。
(そして、高機能はまたその何割かで、「自閉症」を語れる「自閉症」者はまた、ほんの数人
しかいない。)
もともとの数が少ないのだから、仕方がないと言われればそれまでだが。この少数派の中の少
数派が、どんなに熱心で頑張ってくれても、やはり限界はあると思う。
でも、ただ単に重度の人たちの「窓」として、優遇されているのではないことを願うだけ。
[2000年5月7日 10時7分39秒]
お名前: ペンギン
それから、論理的に筋の通っていない慰めの言葉が通じないのと同様に、過度な希望を与え
るような安易な言葉をかけるのも、かえって良くありません。
現実的でない言葉でも、すべて真に受けてしまうからです。
「できない」「わからない」とハッキリ言われる方が、「何でも教えてあげる」「力になっ
てあげる」と言うより安全です。だいたい、自分のことを知りもしないのに「お節介な!」
と拒絶したくなります。
でも、一旦、信頼関係ができてからは、「何でも教えてもらえる」とか「力になってもらえ
る」と思わせてしまうと、本当にそうしてもらえるものと思って依存しすぎてしまう危険が
あります。
が、「わからないから教えて下さい」と言われると、余計な干渉をされずに言いたいことが
言える安心感を与えることが出来ます。たとえ、手のひらの上に乗せられていたとしても。
[2000年5月3日 17時29分4秒]
お名前: ペンギン
実は、その治療的介入を私は自分の息子とU君には、とっくにやっていた。
それは、「自閉症」を治したのではなく、「自閉症」と「生きる」ことの始まりでした。
自分でやっておきながら、本人は「死にたい」ってずーっと思っていたんですから。
そういえば、私が息子に「人のこと言えない!」ってお説教していたのを、辻井先生は
笑って見てたけど、もしかしてその時、既に「お見通し〜♪」だったりして?
[2000年5月3日 12時2分16秒]
お名前: ペンギン
「自閉症」というのは、こだわりや感覚の異常があって、普通の人のように普通の人と係われ
ない障害だというのは、本人からの認識でしかなかったようですね。そして、こちらの主訴と
しては、「違っているのに違いを認めてもらえない苦痛」というわけです。
でも、客観的に見ると、まずはおかしな行動をする人。そして、他人の感情がわからなくって、
意思の疎通の出来ない人になるのですね。
こちらからすれば、「私に解かるように話してくれない為に、さんざんひどい目に会った!」
が「人の言ったことが通じない、わからん人だ!」だったわけです。
で、「私に解かるように、説明しようとしてくれる人」がその治療者というわけです。
単に、困った行動を統制しようとする人は、普通の人でしかありません。それなら、たくさん
いるのにね!
[2000年5月3日 11時53分11秒]
お名前: ペンギン
あっ、それから、先生。もし仮にこれを読んだとしても「これは、うかつにものも言えない」
などと構えないようにお願いしま〜す♪
実は、今までもさりげなーく名言を吐かれていたので、随分と助かっていたのでした。それ
から、例の三元連立方程式も、それまでは「言葉」と「状況」の混同でしかなかったものが
「方程式」になったのは、さりげなく括弧でくくってくれたのを見たからなのでした。
(方程式が三元連立だったことは、ドラマネタの項目に書きました。)
だったら、バラすなと言われればそれまでですが、口頭で伝えるよりもこっちの方が正確に
伝わるので…。これは、ドナさんがマレク先生に頻繁に手紙を書いているのと同じことです。
こんなことをわざわざ書いて、すいません。ちょっと、いろいろと同時進行なので、度々ネ
タにしてしまうと思います。もし、ご迷惑なようでしたら、言って下さい。
(「こんなところで、公開メールしてどーする!」などと怒らないようにお願いします。い
や、すでに怒っているかどうか、それこそ「言ってくれないとわからない」ので。)
[2000年5月3日 11時9分19秒]
お名前: ペンギン
「あっ、その先言ってやらなきゃいかんのか?♪」
これは効きましたです。一週間前に言われた時には、誰かに「言ってやらなきゃいけない」
と言われるような人間でしか無かったのか!と思って、ちょっとショックだったのです。
でも、考えてみたら「その先を言ってくれなかった」ばっかりの勘違いと行き違いの連続
だったので、言われても仕方ないという程度の認識しかありませんでした。
この言葉を頭の中で一週間まわし続けてみて(今回は、自分で回しました)、「言ってやる」
という言葉は、「侮蔑」ではなく「思いやる」という意味で使われていたことにやっと気づ
きました。
そして、あの診察室のあの椅子にすわっている人を、単に何かを教えてくれる人・自分の考
えをまとめてくれる人・「自閉症」について情報交換する人・報酬と引き換えに投薬してく
れる人ではなく、「行為」なき「好意」を私に通じる言葉で届けようとしてくれている「人」
だと思うことが出来るようになりました。
本当にありがたいことです。←今頃、それを言った当の本人はクシャミしているに違いない。
[2000年5月3日 10時41分58秒]
お名前: ペンギン
病院の診察室が良いのは、その場所の特定の椅子に座っただけで、医師と患者という属性が
はっきり付けられるからです。毎回、同じ場所で位置関係も一緒だと、なお良いです。それ
から、他に人がいるとそちらの影響も受けてしまうので、個室の方が良いです。
「自閉症」を良く知っている医者だと、医学的知識で対応してくれるし、こちらも思いっき
り地のままでいられるので(ただし、信頼関係ができてから)、うれしいです。
何よりも一番良いのは、「自閉症」であることで係わっていて、お互いに「自閉症」につい
て知りたいだけなので、「自閉症」以外の事を話さなくていいことです。
(私的な場面で出くわすと、「なぁ〜んだ、やっぱりこの人もニンゲンだったのか!」と思
ってしまうので、この限られた場所・時間というのは大切です。)
[2000年5月3日 7時19分54秒]
お名前: ペンギン
で、「で…。」の続きの言葉の足し方にも2種類あります。
イヤそうな口調で面倒臭そうに言い直されるのは、日常的な普通の会話でしかありません。
(これは、親切に感じられることもあれば、ただ不快なこともあります。)
判っている治療者は、省略されている言葉を文法的に正しく言い直してくれます。
(一度に何人もの自閉症児・者を相手にする場合は、これが適切に出来ないとタイヘンです。)
私は、それだけでなく、「まとめ」を言ってくれる人の方が相性が良いです。もともと欠けて
いる、自分の感じていることを「まとめ」る能力を補ってくれて、その言葉を頭の中にグルグ
ル回すことができるから。でも、この場合は音声が必要なので、メールではダメです。
[2000年4月30日 12時0分44秒]
お名前: ペンギン
「で…。」の後に、あの元・精神科医は言葉をきちんと足してくれていましたね。でも、現実
の普通の精神科医は、ああいうことをしてくれません。あれができるのは「自閉症」を良く知
っている児童・精神科医だけです。
知らない人が見ればただの優しい人なんでしょうけれど、あれは医者としての自閉症者に対す
る接し方です。でも、医学的知識で対応できるのは、医者や治療者の顔をしている時だけです。
こういう風に、至れり尽せりしてもらうのはうれしいです。だから、尚更、それを安っぽいド
ラマに使われてしまったのが残念です。全く、ここに辿りつく前にして来た人の苦労のことな
んか、どうでもいいんだから。テレビ局のプロジューサーなんて。
しかし、「あっ、その先言ってやらなきゃいかんのか?♪」は、頭の中にこびりついてグルグ
ル回ります。それこそ、うれしい「耳タコ」です。でも、ずーっと「世の中」の方がおかしい
と思ってきた原因の多くが言葉の行き違いや感情の取り違えで、実は治療すべき対象だったの
かと思うと、うれしいけれど悲しくもあります。
[2000年4月28日 5時46分26秒]
お名前: フリーラジカル
>「気持ち」を受け取れ・・・
これは精神科医としてのプロフェッショナルなギリギリのメッセージだよね。これ以上は立ち入
れない。立ち入ってはいけない。いい医者だと思う。
(でもどこの・誰かなんて詮索しないから大丈夫)。
私は「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」なるものを知るまでは心理学、精神医学は毛嫌い
してきた。だって、どの人格、どの精神障害にも少しずつ当てはまるんだもの。星占いとおんな
じで。例えばその中の一つを「私ってこれかな?」と選んだとしても、必ず自分に当てはまらな
い要素がある。だから危うく、心理学的に言えば(って毛嫌いしてる割に心理学上の用語を知っ
てる私)「誘導」(一般に言う『すり込み』かな)されそうになるので、心理学や精神医学は
私にとって立ち入り禁止区域だった。子供のころの自閉症診断歴を「な〜んだ、違うじゃん」と
思った経歴もあって。
私にとって今、精神科医はクスリを処方してくれる人、でしかないな。
他の、本当の意味でのメンタルな精神科医は私にとっては同朋でしかない。この掲示板を読む
ことのような。
[2000年4月27日 10時18分46秒]
お名前: ペンギン
それで、こちらは地球語の正しい解釈を学び、あちらは私に理解できるようにするには
どういう話し方をすれば良いか知ることが出来るわけです。しかも、「人に係わりたく
ない」と言っている人に、「人に係われ」とは言わないでくれるのですから。
これが、本当の『君が教えてくれたこと』でしょ!?
こういう人が、最初っから身近にいてくれたら、私は不良番長にならずに済んだはずで
した。これなら、感謝もするし感激もします。
[2000年4月27日 8時42分5秒]
お名前: ペンギン
「気休め」を言うばっかりで実際には何もしてくれない、現実の現役・精神科医
と
言ったことをちゃんと「約束」として実行してくれる、架空の元・精神科医
この連立方程式を解いて始めて、
現実の現役・精神科医は「気休め」ではなくて「気持ち」を受け取れと言っていたのだ
という結論を導き出した私って・・・・・・・頭、良いんだか、悪いんだか?
[2000年4月27日 8時17分35秒]
お名前: ペンギン
あ、それから、言葉の意味とそれを使う人の意図を切り離せない為に、すっごくどうでもいい
ささいなことを真剣に考えてしまうことについて。
「これだけIQが高かったら、普通の人はこんなこと考えないでしょう?」と、私が言った時
に笑ったのは、「普通の人は、IQが低くてもこんなことは考えない」っていう意味でしたね。
で〜、この医者は「どこの・誰か」などと詮索するのはやめてね〜!(だったら、書くなと言
われればそれまでですが、精神科医と我々の実態を報告する義務があるので…。なんて、書き
たいのを我慢できないだけです〜!)
そんなことをしたら、本当に「途中で逃げ出されてしまう」から〜。転勤あるし…。
[2000年4月27日 5時59分30秒]
お名前: ペンギン
「次の人のカルテに手を伸ばしたら、先生は時間を気にしている。」
私は、ここまでは解かるのだけど、その先を言ってもらわないといけない人だったってことに、
今日、気が付きました。
本当に、「もういい加減話しをやめろ、迷惑だ!」と思われて「また、人に迷惑をかけてしま
った」と落ち込んでしまうところでした。まるで、「私が先生を辛くする」と繰り返した繭子
のように。(現場では、「追い返そうとしている」などと言ってしまう口汚さのお陰で、同情
の余地はありませんが、私の場合。)←本当に迷惑をかけているというのが、正解カモ〜?
「早く終われ〜! じゃなくって、単に時間を計算しただけだ。」
こういうことを教えてくれて、しかも、ラブラブにならなくていい地球人の医者は、やっぱり
いい人だ。(でも、やっぱり、しゃべりすぎが正解かなぁ〜?)
[2000年4月27日 0時0分47秒]
お名前: ペンギン
いや、積極奇異な孤立型だと思うなぁ。
[2000年4月26日 23時42分30秒]
お名前: F8
考えたんだけど、「エネルギーレベルの低い積極奇異型」ってないのかなー。
[2000年4月26日 23時17分45秒]
お名前: ペンギン
私も、RH+のO型。輸血できますな。
(でも、あなたと私の血が混じったら、拒絶反応が起きるカモ?)
[2000年4月26日 22時56分5秒]
お名前: F8
私なんて、いまだに○○型の区別がわかんないや。
ゆえに、自分が何型なのか、いまだにしらない。
血液型はO型らしい。
[2000年4月26日 20時33分13秒]
お名前: ペンギン
今日病院で、「自分は積極奇異型だったって発見した」と言ったら、大笑いされた。
「あなたが受動型なわけない!」って。
[2000年4月26日 18時24分40秒]
お名前: ペンギン
早い話が、勘違いの過程が、ちょっと複雑なだけ。
[2000年4月20日 11時29分0秒]
お名前: ペンギン
私の場合、けっこうしっかり「自閉」していたのに、感覚障害が軽くて言語発達が逆に
良かった。つまり、従来の「自閉症」の概念をあざ笑うような「自閉症」のようだ。
どうやら、生まれてこの方、自分以外の全ての存在を「単語」に変換して「自分」とい
う文脈に当てはめるジグゾーパズルを作ることに専念していたようだ。
だから、私にとって「世の中」とは、「単語」が並んでいてその下に意味が書いてある
「国語字典」のようなものだ。たまたま、その項目が「人間」に関するものだった場合、
意味の代わりに「私がするべきルール」が書いてあるだけの。
[2000年4月20日 9時26分23秒]
お名前: ペンギン
「自閉のしっぽ」ねえ、やっぱり有ったんだ。
上手くごまかしていたつもりだったのに…。でも、何となくほっとした。
(書いた文章は"そのもの"だとは思っていたけれど。)
これは、ただの茶飲みトモダチではないぞ。
[2000年4月12日 19時45分14秒]
お名前: ペンギン
自閉症の特徴は?
1、言葉の発達の遅れ。
2、対人関係の困難さ。
3、アンバランスな感覚。
4、活動や興味の範囲が狭い。
5、アンバランスな知的機能。
6、変化に対する不安や抵抗。
◎これらの特徴や障害が、種々の程度と組合せでみられる。
これって、ドラマ特集のテレビ情報誌に書いてあった「自閉症」についての説明。
「自閉症」とは?という項目には、「自閉症」は○○であるという決り文句がなく、
たいてい「自閉症」は●●でないと記述されている場合が多いのは、毎度のこと。
しかし、これってすごくあっさり書いてあるけれど、下手な診断基準より的を得て
いる。
ただ、先に書いとくけど、ドラマ見て自己診断で「自閉症」だと思った人の掲示板はここではありませんからね〜!
それから、「こういう私って、自閉症?」っていう質問をするのも、ここではありませんよ〜!
ここは、「自閉症」の本人たちが、今まで誰も共感してもらえなかったことを堂々と自慢し合う楽園ですからね〜!
[2000年3月27日 22時52分45秒]
お名前: ペンギン
それで、私は落ち着いたけれど…。
ここでこんなことをやっている分には、それでいいけれど。
社会的には、デメリットの方が大きいんだろーなー!
[2000年3月17日 17時30分18秒]
お名前: ペンギン
コミュニケーション障害があるとか、対人関係が一方的とか言われるのはまあ仕方ないとして、
「へんなものへのこだわり」とか「モノの部分に固執する」なんて、ハッキリ言うなよ〜!
それゃあ、我々の文化なんだから!
できれば、「素晴らしき自閉的世界をお持ちで…。」と言って欲しかった。なんて、そんな人
いるわけないか!?
「こだわり」をこだわり通すのは小気味良いし、「モノの部分」で遊べるのはささやかなお楽
しみなんだから。
[2000年3月16日 15時18分29秒]
お名前: ペンギン
実は、現行の公の診断基準に当てはまっていないだけで、ザットマリの基準だったら
バッチリなんだけど…。
[2000年3月16日 8時4分7秒]
お名前: ペンギン
とはいえ、最近の私って、モロ現役だよな〜!
[2000年3月15日 19時16分21秒]
お名前: ペンギン
ところで、今日ハッキリ聞いてきました。
今の私の状態は、アスペルガー症候群の診断基準は満たさないけれど、
「軽度の自閉症(広い意味での)」には入るそうです。
いわゆるPDDとはどう違うかって?
ウチの先生、PDDという用語を使いたくないだけみたい。
しかし、自分で「自閉症」だと書いておきながら、人に言う時には
アスペと言っていたので、ハッキリ「じへいしょう」という音にさ
れて言われてしまうと、けっこう来ますな〜ズシリと。
へへ、「自閉症」なんだから、ウォークマンでCD聴きながら堂々と
道を歩いてやる〜!←単なる開き直り。
[2000年3月15日 19時11分26秒]
お名前: ペンギン
それはね、治療効果の意味の解釈の違いなのです。
行動に表れるような客観的でダイナミックな効果が出てこそ治療の効果があったと解釈するか、
内面的・精神的・主観的であっても「本人が楽になる」ことをも治療効果に含めてくれるか、
ということなのです。つまり、矯正か支援かってことです。
多くの人は矯正して社会に適応させることを求めているのに対し、本人たちは支援を求めてい
る。
多くの人は社会に適応すれば目標達成したととらえるけれど、本人は適応に伴う苦痛を少しで
も減らして、快適な社会生活を送る方法を探そうとしている。
「本人には語る資格がない」と思っている人の方が多いかもしれない。
でも、「本人の言い分に耳を貸さない人は治療者の資格がない」と本人は思っている。
少なくとも、そう思うのは自由だし、その権利を剥奪することは誰にもできない。
[2000年3月5日 22時6分21秒]
お名前: ペンギン
診断がつくかどうかで大切なのは、それが生まれつきの障害なのか躾や養育に問題がある
からなのかが、ハッキリするということでしょうね。
で、その先は解釈の違いで診断名もいろいろ変わるし、ごくごく軽いものならば「本人の
為」を思ってちょっとしたことでも取り上げてくれる医者もいるだろうし、後は「本人が
苦労してでも自力でやっていけるのなら、甘やかさない方がイイ」と考えている医者もい
るでしょう。
いろんな医者がいて、いろんな考えがあることにいちゃもんつける気はありません。ただ、
専門外で良く知らないのに知ったかぶられると困ります。それで病気をひどくしちゃった
という人、何人もいます。
それから、先日「色付きメガネは自閉症の治療効果が無い」と書いてあったのを偶然目に
してしまいました。そりゃあねえ、メガネかけたから治るわけなんかありませんよ。かけ
る前と後とでたいした違いはありませんよ。それに、遠視も乱視も斜視も確かにあります
よ。きっと、有名で力のある医者の言うことの方が「正しい」ことになるんでしょうよ!
ただね、このメガネのお陰で楽になった人が何人かいるという事実だけは、曲げないで下
さいよ!
どんなに少数でも、どんなにささいなことでも、たとえそれが「全部気のせいだ」と言わ
れようとも、少なくとも私を黙らせることはできませんからね! そう言われることには
慣れていますから。
[2000年2月19日 10時7分54秒]
お名前: ペンギン
診断がつこうとつくまいと、「元」がつこうとつくまいと、全然変わっていないようなんです
けれど、このことに何か意味があるんでしょうか?
だって、無いモノは無いままで、出来そこなったモノは出来そこなったままだし、
相変わらずニンゲンは不可解なままだし、自分がニンゲンと同じ生き物だという事実は引き受
けられないし、
どんなに仕事が出来て重宝されても、私の意見が正当なものとして通ることはないし、
自分が人としてすべきことを人にしていないから、誰も助けに来てはくれないし、
私がいない方がみんな楽しそうだし、私はいたからといって人類が進歩することもなさそうだ。
自分の居場所を取り戻した分、逆に、現実が厳しくなったような気がします。
今まで「何となくオカシイ感じ」だったことが、くっきりはっきりどうしようもないものだと
分かってしまったら、怖くなってしまいました。
話の分かる人に出会えたのは良いんですけれど、本当に必要としている日常生活のサポーター
が一人もいないことにも気づいてしまいました。
診断が先にあればしなくて済んだはずのことを全部し尽くしてしまった後に、「してもしなく
ても良かったこと」だと分かっても、私は少しも楽にならない。
今までビクビクしながらやっていたことを堂々とやれるようになったからといって、それが容
認されるようになったわけではないし、今までイヤイヤやっていたことを堂々と断るようにな
って、私は楽になった代わりに周りが冷たくなった。
結局、総数は同じなまま、中身の配分が変わっただけのような気がします。
[2000年2月4日 23時41分19秒]
お名前: ペンギン
診断がつく前と後で、変わることもあれば変わらないこともある。
診断に、ショックを受ける人もあれば救われた気持ちになる人もある。
でも、いままでうすうす感じていたものに説明がつくのは、うれしいものだ。
自分の連邦市民としての位置付けを知ったからといって、感覚の異常が治ることはない。
けれど、いろんなことが解決する。
感覚の異常に気がつかないのは、他の人も自分と同じと思うからではなく、他の人が自分と違
うなんて考えたこともないからだ。
事実、日々の生活に始終付きまとっていた触覚の過敏さえ、テンプルさんに教えてもらうまで
全く分からなかった。息子がしょっちゅう服を気にしたり、どうしても着れない服があるのを
知っていて、しかも自閉症の子供にはよくあることだと人に言っていたのに、自分のこととな
ると、話は別だった。
それから、聴覚のことは、カンペキな絶対音階を持っていたはずなのに「ドの音がレに聞こえ
てウルサイ」とゆみっちさんに訴えたら、「数年前にドの音の周波数が変更になった」と教わ
って、始めて気がついた。
そして、一番の障害だったはずの視覚の異常は、花粉防止メガネをかけると何故か楽になると
いう経験があった上に、テンプルさんの本に書かれていたので納得したのだった。でも、小さ
い頃から、視力は2.0もあってとってもよく見えているのに、目に映っている物がいつもよそ
よそしくて、すぐそこにあるのに実体感が無くてまるで絵のようだったという心当たりがあっ
た。それで、私は「探し物」が出来なかったのだ。
先日、私のことを「元」アスペと紹介されましたが…。
確かに、それはそうなんでしょうけれど…。
想像力・コミュニケーションの困難が無くなっても、社会性の困難だけは変わらないから分か
って欲しいというのが、私の「売り」ではありますが…。
診断がついてもつかなくても変わらないどころか、診断に「元」がついたからといって、こう
いうことは、ちっとも変わっていないんですけど…。
[2000年1月25日 22時56分39秒]
お名前: F8
それとね。
うちの図書館では、ろうや盲、分娩麻痺などに関する文章をけっこうリンクしていますが、
それも、他種別の障害に関わっている人たちというのは、
探せば(そしてこちらが教えれば)、わりと話のわかる人がいます。
わからない人はもちろん多いけどね。
しかも、一般化、抽象化を図ることで、
直接的すぎる場面を思い出したり語ったりせずにすむ、というオマケつきです。
(自分の経験を、抽象語を使って、間接的に語れるのさ)
[2000年1月16日 14時37分13秒]
お名前: F8
「自分で」それなりに扱えるようになれば、それだけでだいぶ違います(笑)
あとは、自分の世代では「それなりに扱ってもらえる」というのはアテにしませんが、
「それなりに扱え!」とわめきちらすこと自体は、
(心身とコダワリの方向の両方が、「わめきちらせる状態」にあるときであれば、っていう
条件つきではありますが)
それなりの快感であったりします。
でもそれは、すぐに効果が出ることを求めているわけでも信じているわけでも何でもない。
黙っていなくては、と抑えこむためにもエネルギーが要るものだ、と気づいたから。
(黙っていたいのに無理して叫ぶのもエネルギーの無駄であるのと同様に。)
[2000年1月16日 14時33分11秒]
お名前: ペンギン
それから、大いなる誤解の一つに、「アスペと診断されればそれなりに扱ってもらえるんじゃないか」と言うのがある。
でも、「私はアスペだから」と言って理解してくれる第三者なんて、今のところ皆無に等しい。
「だから何? 甘えるんじゃねー!」と言われるのが関の山だ。
アスペの子供がいる人なら分かってくれるかと思えば、そうでもない。結構、「私の子供はそんなにひどくないから、
あなたの言うことは参考にならない」と思っているか、「私の子供はあなたみたいにいろいろ出来なくて不自由だか
ら、参考にならない」と思っているかのどちらかだったりするのだ。
診断がついてもつかなくても、限られたごく一部の人にしか話せないという状況は、変わっていませんよ〜!
[2000年1月16日 10時50分54秒]
お名前: F8
学校とかで言えばさ、学生部の中の「留学生相談課」みたいなもの。
そんなものがあるかどうかは知らねども。
あるいは、出稼ぎ労働者かけ込みセンター。
日本語教室。
そういうのがあればいいんだけどね。
病気って言うよりさ、元は健康な障害者で、
病気になることがあるにしても、その多くは適応障害だという気がするんですよね。
[2000年1月13日 19時3分2秒]
お名前: ペンギン
発達障害だから「小児科」。だけど、大人に成っても「小児科」か? (いつまでも子供だからというのなら仕方ないけど。)
でも、本当は、医療だけでなくて心理と教育の問題だから、病院へ行かなければいけないのもオカシナことだ。
それから、どこもオカシクナイのに「精神科」ってのも…。あれ? もしかして「うつ病」だから?
[2000年1月13日 9時28分15秒]
お名前: ペンギン
ちゃんとした診断が無いと、似ているけれど違う人かもしれない。
でも、ちゃんと診断できる人が少ないから、診断にこだわるのもおかしいし、子供の頃には
ハッキリしていたのに今はそうじゃない人には診断が下りないかもしれない。
自閉症との共通点が沢山あるほど、診断されやすいかもしれない。でも、あまり共通点がな
い人だっている。
それに、自閉症の方に近づいていたい人もいれば、普通に近い方がウレシイと思う人もいる。
また、普通にしなければ、普通になりたい、普通になったと思いたい時期もある。
ただ確実なのは、友達が一人もいなくて寂しいだけの人じゃないってことぐらいかも…。
[2000年1月4日 18時46分7秒]
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