日本人対応マニュアル

どんなにニンゲンについて詳しくなっても、たまたま生まれ落ちた場所が「日本」であった場合、不幸なことに周り中が「日本人」である。そこで、次に、「日本人」を研究しなければならない。と言っても、私は世界中のありとあらゆる人種を研究したわけではないので、他の国の民族の特性と「日本人」固有の性質とを明確に区別してはいない。その或るものは、もしかしたら地球人一般に共通するものかもしれないし、本当に「日本人」にしか通用しないものかもしれない。それは、保証の限りではない。

それから、これはあくまでも「敵」を知って己の身を護るためのものである。一人前の「日本人」になるには、こうしなければならないというものではない。(なりたければ、なってみても良いが…。ただし、あくまでも個人の責任でやって欲しい。それで精神的にオカシクなったからと言って、私に医療費を請求されても困る。)重要なのは、「自閉症」者に特有のこういう行動は、こういう風に解釈されている・こう言われている、けれど、それをそのまま真に受けることはないということだ。


しゃべらないこと

しゃべり過ぎること

ボディランゲージの稚拙さ

人情を知らないこと

時間の観念がないこと

お人好しでやたらと気前が良いこと

人を頼ろうとしないこと

人との接触を避けようとすること

言われたことしかやらない・言われなければやらないこと

社会的な人格に徹し切れないこと

社会的な感情や欲求が自然に持てないこと

臨機応変にやり方を変えられないこと


人が「自閉症」だろうと何だろうと、協調性を重視して、人を「みんな同じ」「みんな一緒」に見ようとするのが、間違いの元凶。

人に気を使って・人の評価を気にしながら、人に好かれよう・人に嫌われまいとしている「日本人」の心理って、よくわからない。人様のお役に立つ「仕事」をすることが目的ではなく、「自分が大事にされている」ことを実感するために生きているのは、非常に不合理だ。

たまたま「日本」に生まれたからって、「自閉症」者まで巻き添え食うことはないと思うのだが…。みーんな、「人と上手くやっていく」ことに異常に神経を尖らせているので、そーゆーことに無頓着なのは許せないらしい。やっぱり、「自分が人と違っている」ことを認められた経験がなくて、「どうして同じにできないのだ!」と責められ続けているから、人の"違い"を許容する余裕がないんでしょうね?

では、口直しに一句。

『黒い蛇の歌』

一匹の黒蛇が 西に向かって旅に出る

前半身をキリッと立てて

かれは尻尾だけで前進をする

歌いながら 西へ向かって旅をする そして

山のまわりにとぐろを巻く

アメリカインディアンの詩『おれは歌だ おれはここを歩く』より

やっぱり、こっちの方がイイや。

しかし、どの国でも「自閉症」の予後は「良好でない」ケースが多いというデータが出ているところを見ると、これは「日本」に限ったことではないように思う。ただ、「私は、自閉症なので」とか「私は、こういう人なので」と表明することが許されるかどうかというところの、心理的な問題が大きいのかもしれない。

このようにあれこれ言われたことの中で、必要な処世術として努力目標にした方が良いものと、無理難題な要求として無視していいものとを選り分けて、自分は「こういうスタイルで行く」ことを決めておかないと、本当に、どうしていいか分からなくなってしまう。どうしたって絶対にできないことを言われて、「自分はダメな人間だ」と思う必要はない。しかし、言われて当然なことを指摘されて「憤慨する」ことは、許されるはずがない。ただ、どんな人でも「人に何も言われない人はいない」ことと「人から何か言われることを非常に警戒している」ことだけは、知っておいて欲しい。

「人の輪」の中に入っていないと、生存することができなくなる。けれど、「ニンゲンの鎖」に縛られることはないと思う。


      

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