日本人対応マニュアル
どんなにニンゲンについて詳しくなっても、たまたま生まれ落ちた場所が「日本」であった場合、不幸なことに周り中が「日本人」である。そこで、次に、「日本人」を研究しなければならない。と言っても、私は世界中のありとあらゆる人種を研究したわけではないので、他の国の民族の特性と「日本人」固有の性質とを明確に区別してはいない。その或るものは、もしかしたら地球人一般に共通するものかもしれないし、本当に「日本人」にしか通用しないものかもしれない。それは、保証の限りではない。
それから、これはあくまでも「敵」を知って己の身を護るためのものである。一人前の「日本人」になるには、こうしなければならないというものではない。(なりたければ、なってみても良いが…。ただし、あくまでも個人の責任でやって欲しい。それで精神的にオカシクなったからと言って、私に医療費を請求されても困る。)重要なのは、「自閉症」者に特有のこういう行動は、こういう風に解釈されている・こう言われている、けれど、それをそのまま真に受けることはないということだ。
しゃべらないこと
- 「心」を開いていないと思われる。
- 自分の体験や自分の考えを言わないのは、「冷淡」だと評価される。
- 自分のとった行動に対して、きちんとした「理由」や「言い訳」ができないでいると、誤解されたまま終わってしまう。
- 「けち」だと思われる。
- 「可愛げがない」「素直でない」と思われる。
- 「何を考えているかわからない、傲慢不遜な人間」だと思われる。
- 「関心を持ってくれない」「無視された」と思われる。
しゃべり過ぎること
- 「自慢している」「相手のことを考えていない」と思われる。
- 「他人に媚を売って、気に入られようとしているのではないか」と邪推される。
- 「厚かましい」「しつこい」「迷惑」と嫌がられる。
- 事細かに事情を話すと、「言い訳がましい」と言われる。
- 「自分がうれしい時は他人もうれしい」とか「自分が好きなことは他人も好きだ」と思っているかのように勘違いされる。
- 「人の話を聞かない」「自分のことしか話さない」と言われる。
- 「見れば分ることを、いちいち人に聞くな」と言われる。
ボディランゲージの稚拙さ
- 「無礼・無作法な人」と思われる。
- せっかく来て一緒にいるのに、「歓迎されてない」と思われる。
- 「心がない」「人の気を逸らす」「感謝の念がない」と言われる。
- 「何を考えているか分らない」と不気味がられることもあれば、「自分の気持ちを抑えているのではないか」と心配されることもある。
人情を知らないこと
- 「頼り甲斐のない人」「面白みのない人」「尽くし甲斐のない人」と思われる。
- 「威張っている」と思われる。
- 「恩知らず」と言われる。
- 「考えが甘い」「世間知らず」と言われる。
時間の観念がないこと
- 人に対する「思いやり」や「気遣い」がないように思われる。
- 「怠け者」と思われる。
- 事の重大さを軽視しているように思われる。
- いつまで経っても覚えているのは、「執念深い」と思われる。
お人好しでやたらと気前が良いこと
- 「物の価値を判っていない」「無駄使いする人」と思われる。
- 「何か下心があったり、見返りを要求されるのではないか」と警戒される。
- いじめられたり騙されたりしても、気づかなかったり相手が誰だったか判らなかったりするので、またフラフラと近づいてしまう。そうすると、相手に「自分をボスとして認めているから、そういうことをしても良いのだ」と思われてしまう。(もちろん、ただカモにされているだけ。)
人を頼ろうとしないこと
- 「人を信用していない」と思われる。
- 何でも一人でやってしまう「身勝手な人」と思われる。
- 「自分から言わないからいけないのだ」と言われる。("自分でやらなければいけない"と思い込んでいる時には、"助けを頼むという発想ができない"とは思ってくれない。)
人との接触を避けようとすること
- そうされた相手は、「嫌われている」と思ってしまう。
- 「引きこもり」と間違えられる。
- 「呼び出しに応じないだけだ」と思われている。
- 「自分を守り過ぎ」「遠慮しすぎている」ように受け留められる。
言われたことしかやらない・言われなければやらないこと
- 「気が利かない」「気遣いが足りない」と言われる。
- 相手は、「自分が邪険にされているのだ」と感じてしまう。
- 人に言われたことは「しなければならない」と思い、人が言ったことは「必ず実現する」と思い込んでしまうので、律儀な人だと思われる。
- その言葉を通じて、「人が何を期待しているのか読み取り、それに応えようとしない」のは、「飲み込みが悪い」「分らん人」と言われる。
- 他に人がいないのに仕事を残すと、「他人任せ」「人を当てにしすぎ」「自分の義務を果たしていない」と言われる。(言われていないことは「やろうとしない」のではなく、「できない」のだとは思われない。/言われてもやらないのは、「やる気がない」のではなく「できない」のだとも思ってくれない。)
社会的な人格に徹し切れないこと
- 「常識がない」「立場をわきまえていない」と言われる。
- 「幼稚な人」だと言われる。
- 自分の社会的な役割が判っていないので、人の分担にまで口出ししていることに気づかない。いま・ここでは言ってはならないことでも、"知っている"と黙っていられない。そうすると、「越権行為をした」として嫌われる。
- "自分がやらなければ"と必死になればなるほど、「人を信用していない」「他人に仕事を任せることができない」と言われる。
- プライベートな場面で言われた本音を本気にしてしまい、他人に対して隠すことができないでいると、「人を陥れようとする危険人物」と見られてしまう。
社会的な感情や欲求が自然に持てないこと
- 「ひとりよがりだ」「うぬぼれている」と言われる。
- "人に怒られまい・人に嫌われないようにしなければ・人を傷つけまい"と観念的に考えすぎて、かえって「気にし過ぎだ」と言われる。
- 人は、自己防衛という動機があるとやたらと攻撃的になることが分からないので、相手のエゴに考慮できずに、相手が一番気にしていることをズバリと言ってしまって、反感を買ってしまう。
- 損得勘定ができないので、「無垢な人」「純真な人」と言われる。
臨機応変にやり方を変えられないこと
- ただひたすら、バカにされる。
- パニック起こしてバタバタしていると、「大袈裟だ」とか「慌てている」と言われる。
人が「自閉症」だろうと何だろうと、協調性を重視して、人を「みんな同じ」「みんな一緒」に見ようとするのが、間違いの元凶。
人に気を使って・人の評価を気にしながら、人に好かれよう・人に嫌われまいとしている「日本人」の心理って、よくわからない。人様のお役に立つ「仕事」をすることが目的ではなく、「自分が大事にされている」ことを実感するために生きているのは、非常に不合理だ。
たまたま「日本」に生まれたからって、「自閉症」者まで巻き添え食うことはないと思うのだが…。みーんな、「人と上手くやっていく」ことに異常に神経を尖らせているので、そーゆーことに無頓着なのは許せないらしい。やっぱり、「自分が人と違っている」ことを認められた経験がなくて、「どうして同じにできないのだ!」と責められ続けているから、人の"違い"を許容する余裕がないんでしょうね?
では、口直しに一句。
『黒い蛇の歌』
一匹の黒蛇が 西に向かって旅に出る
前半身をキリッと立てて
かれは尻尾だけで前進をする
歌いながら 西へ向かって旅をする そして
山のまわりにとぐろを巻く
アメリカインディアンの詩『おれは歌だ おれはここを歩く』より
やっぱり、こっちの方がイイや。
しかし、どの国でも「自閉症」の予後は「良好でない」ケースが多いというデータが出ているところを見ると、これは「日本」に限ったことではないように思う。ただ、「私は、自閉症なので」とか「私は、こういう人なので」と表明することが許されるかどうかというところの、心理的な問題が大きいのかもしれない。
このようにあれこれ言われたことの中で、必要な処世術として努力目標にした方が良いものと、無理難題な要求として無視していいものとを選り分けて、自分は「こういうスタイルで行く」ことを決めておかないと、本当に、どうしていいか分からなくなってしまう。どうしたって絶対にできないことを言われて、「自分はダメな人間だ」と思う必要はない。しかし、言われて当然なことを指摘されて「憤慨する」ことは、許されるはずがない。ただ、どんな人でも「人に何も言われない人はいない」ことと「人から何か言われることを非常に警戒している」ことだけは、知っておいて欲しい。
「人の輪」の中に入っていないと、生存することができなくなる。けれど、「ニンゲンの鎖」に縛られることはないと思う。
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