「自閉症」という名前

「自閉症」という名前が誤解されていることを、私はつい最近まで知らなかった。そもそも、長いこと自己診断で自分と息子が「自閉症」だと思ってきたのは、いったい何がキッカケだったのだろうか? 私はただ、「自分がオカシかったから息子もオカシイだろう」と思っていたらやっぱりそうなって、育児書の欄外の注釈に書いてあった文を読んで、息子のそういう状態を「自閉症」というらしいことが分かったというのが最初だったような気がする。

息子は私と違って、知的ボーダーでしかもアスペルガー障害にADHDが重複している行動障害児だった。純血アスペルガー症候群で高機能の私とは臨床像は全く違うのに、私には息子のしていることが手に取るように分かった。カナー・タイプの自閉症児の面倒を見ていた時も全く何も困らなかったし、他のPDD−NOSの子どものしていることにも、全て説明がつく。そういう状態がすべて、「自閉症」或いは「自閉性障害」だということに、何の疑問も抱かなかった。

ただ、つい半年前にドラマが始まり、その後マスコミでも「高機能自閉症」が取り上げられるようになるまで、私は「自閉症」の本当の意味を知らなかった。というのは、人との係わりのなさ・コミュニケーションの不自然さ・健常とは違う認知や知覚のあり方に基づく「こだわり」と呼ばれる偏りや歪み、といったものが一生続くものだということを、そこで初めて知ったから。ドラマのストーリー紹介などで「感情」がわからないことが重視されていたのが、どうしてなのか分からなかったから。


確かに、私は最初の25年間を、「自分が100で、世の中が0」の状態で過ごしていた。で、私に行動障害がなかったのは、運動能力があまりにも遅れていたのと認知障害や知覚過敏が軽く、誰よりも早く言葉を覚え本を読みあさった為に、「世の中」を「法則化」することにいち早く成功し、人に言われる前・人から教わる前に先回りして自分でやってしまったからだった。それで、私はほとんど人と係わらずにうまいことすり抜けて来れたのだった。特に、世界文学全集の"あとがき"と解説、テレビの対談番組の司会者のまとめの言葉などはとっても参考になった。

それで、それでは本当に生きる場所がないことを思い知るところまで追い詰められて、今度は「自分が0で、世の中が100」に方向転換をして10年間、私はもう「世の中」にすっかり収まったつもりでいた。とはいえ、周りの人が全く自分と違うことを考えていて、何故か私の言うことは「意見としては通っても、結論にはならない」のはどうしてなのか、サッパリ分からなかった。

それに、〈人〉と話しているのに、〈人〉という要素はいつも脱落して「言葉」だけが記憶され、しかも相手の目の残像と自分のしゃべった言葉の「音」が何度も何度も頭の中で再生されることも、当たり前過ぎて「辛い」とさえも思わなかった。いつもいつも頭の中でいろんな考えが沸き起こってそれを追いかけるのに忙しく、外界から聞こえて来るいろんな「音」の波動を聴き入ってはボ〜ッとしてしまっていたことにさえ、気づいていなかった。ただ、CDを聴き始めると何時間も一曲リピートし続けて、他のことが一切出来なくなってしまうのは分かっていたので、それを「イケナイこと」として禁止していた。

このように、自分では完全に上手くやって「社会復帰」したつもりでいたけれど、自分がいろんなものの「部分」や「要素」しか認知してしなくて、〈人〉と〈人〉としての係わり方が出来ていないという状況はずーっとあったのだった。「普通・人は・こういう場合に・こうするものだ」という内容がビッシリ書かれた私の「世の中事典」には、きっと何万もの項目があったに違いない。しかも、その間中ずっと、「世の中の人は、全て私のことを怒っている」と思い込んでいた。なにしろ、明らかな笑顔以外の人の顔を「怒っている」と処理していたのだから。(今でも、やっぱりそれは変わらない。)

それで、その状態は10年しか持たなかった。自律神経はめちゃめちゃになるし、「世の中事典」に自分を当てはめることが強迫観念になって、不安神経症になってしまった。そこから、一時は完全な躁鬱病になっていた。実は、最初にホームページを作った時には、「私たちのような親子がいることは、まだ世の中に知られていないから、死ぬ前にこういうバカな人間がいたことを一言書いておかなければならない」と本当に思っていた。

当時は、まだ躁状態の波がハッキリしていたので、そういう時に書いた文章は攻撃的で明るかったし、メールにもほとんど「オウム返し」的な表現技法で返事が書けた。当時、私の精神状態が最悪だったことなど、誰にも分からなくって当然だったとは思う。しかし、ホームページを作る過程で、同じような人が他にもいることを知った。ある意味でうれしかったし、それでまた随分と希望観測めいたことも書いてしまったこともあった。

「たった一人」だと思っていたら「仲間がいた」までは良かったけれど、それが「ものすご〜くたくさんいて、しかも地球上のある地域では研究され尽くされていた」ばかりではなく、そういう最悪の精神状態のまま「自閉症のことを分かっている人」として取り扱われてしまったのは、むごい仕打ちだった。しかし、その騒ぎの渦中に置かれた故にちゃんとした精神科医に出会え、お陰で9回裏二死満塁ツースリーから代打逆転ホームランを放って逆転勝利したような心境になれたので、偶然だったかもしれないけれど、タイヘンに有り難く思っています。


まっ、それで、私としては全ての"謎解き"が完了して、しかもこれからどうすることが「私にとって自然」なのか判って喜んでいるんですが…。

そうしたら、今度は私が自分の存在の拠り所としている「自閉症」というものが誤解されているという事実を突き付けられて、テレビやマスコミで取り上げられるようになって「少しでもその誤解が解ければ良いじゃないか、有り難く思え!」なんて言われたってねえ!(「人の気も知らないで!」とはこのことだ。)

全く「世の中」から孤立してしまって係われなかったタイプの人と違って、積極奇異に変な風に係わってきてしまったので、むしろもう「世の中」とは「係わりたくありません!」。私は、終始一環、ただの「自閉症オタク」です。(今や、「軽度発達障害オタク」になりつつあるが…。)


それで、最後に一言。

「自閉症」という名称は、ある意味でとっても良く私たちの状態を表わしている言葉だと思います。

だって、「認知」や「知覚」の歪みや遅れがあって物事を全体として捉えることが出来ないだけでなく、≪自分自身≫さえもまとまりがつけられずにいるのだから、「自閉」の「自」を「自我境界」とすれば、身体の境界や自分と他人との境目が有るんだか無いんだか曖昧な「自開」状態です。

でも、「開かれたまま危機にさらされている自己を守る為に、自分の感覚と思考のパターンの中に安全な基地を求めている人」とすれば、確かに「自閉」してますから。

しかし、「自分の感覚と思考に囚われて外界に係わることが恐怖になっている状態」とか「自分の感覚と思考の特異さに縛られて、外界との係わりかたがあまりにも不適切な状態」のまま抜け出せないでいる人も、たくさんいます。普通一般には、そういう人のことを「自閉症」とか「アスペルガー障害」とか呼ぶのでしょうけれど、それを卒業して社会に適応できるようになってもなお、「自閉症」は「自閉症」です。

(それを、広汎性発達障害と呼びたければ、そうして下さい。私は、ぜ〜んぶひっくるめて「自閉症」とか「自閉性障害」って呼んでますけど…。)


        

 「二つのモード」へ   「ペンギン日記」へ   もういちど…