再び、私って何者?

「自閉症」について記述している著作物はたくさんあるのに、いわゆる専門書と本人による手記には、明らかに質的な違いがあります。その理由は至極当たり前のことです。研究者が対象を客観的に観察しているのに対し、当の本人は主観的な経験を語っているからです。いわゆる臨床像というのは、行動や学習に現われる結果、いや、手がかりにすぎません。本人は特異な感覚と情動の波の中を漂っているだけなのです。

いろいろなことが分かってきた今の時点で、もう一度自分のことをまとめることは、誰になんと言われようと、私にとってとても重要なのです。


1、発達性協調運動障害

辻井先生が、高機能広汎性発達障害』と子どもの不器用さ』の本を同時に書かれたことは、私にとって大いな救いをもたらしました。今にして思えば、アスペルガー的特性がプンプンしている家庭環境に育ち、言語・学習・行動という明らかに目立つどの部分にも障害が見られなかった私のようなタイプの子どもを発見する唯一の手段は不器用さだったからです。

私は、体力テストもスポーツテストもほとんど点がとれませんでした。スキップができるようになったのは小3の頃だったように記憶しています。ただ唯一好きだったのはブランコで、毎日近所の公園に行っていました。水泳・なわとび・マット運動・鉄棒・跳び箱はすべて居残りでした。ありとあらゆる球技ができなかったばかりか、算数は得意なはずなのにチームで対戦した時に点数が数えられない、メンバー交代の順番・ローテーションがわからないというオマケつき。フォークダンスや盆踊りは覚えるどころかお手本を真似ることさえ出来ないという、完璧な不器用さを発揮していました。

字を書かせれば筆圧がなくてうす〜いか、紙に穴があくほど力を入れすぎるかのどちらかです。ボールを投げる時に、カベにぶつける場合と人に向かって投げる場合の力の入れ具合が分からずに、友達を泣かせてしまったこともありました。自転車に乗れるようになったのは6年生の時ですが、一人で道を走れるようになったのはもっとずっと後のことです。6年生の時にやっと覚えた右と左は、「右と左に123」の歌を頭の中で何度も何度も思い出さなければ実際に動作できませんでした。また、挙手をするのもタイヘンで、必ずもう片方の手で支え、それでもすぐに疲れて下げていました。

足元が不安定だとか高低の差がある場所は、恐怖以外のなにものでもありませんでした。エスカレーターを使えるようになったのも、何故か小6の頃でした。今でも、斜面や階段の昇り降りは、何かにつかまらないと危ういものです。

運動機能の発達の指針となる検査のうち、普段の遊びにない項目がどの時点で陰性になったかなど、今となっては分かるはずもありません。が、かなり遅くまで陽性だった自信があります。舞踏病様運動というあまりありえないソフトサインがあった可能性さえあるのです。というのは、後年になって気功をやった時、普通ならある程度の訓練を積まなければ出来ないはずの"自発動"という錐体外路系の不随意運動が容易に、しかも誰にも習わない内から自然に出来たからです。

幼児期から今に至るまで、系統だった運動を無意識の内に行うなどということは、ほぼ絶望的でした。せっかく車の免許を取ったものの、道順から運転動作まですべてを頭で意識しないといけません。おまけに、いつもボーっとしているので、とっさの判断と操作の為に神経をすり減らし、疲労困憊してペーハードライバーに甘んじることとなっています。

 

2、触覚の牢獄

自閉症児はよく、聴覚が敏感すぎて音の洪水に辟易したという話を聞きます。私の場合、視覚・聴覚とも注意散漫で転動しているのは事実ですが、過敏で悩まされているのは触覚です。学生時代、授業中は体が気になっていつもどこかを触っていました。しかし、それでも先生の話はちゃんと聞いていたし、理解できないこともありませんでした。帰宅後は、さらなる触覚の刺激を求めて布団の中にもぐりこんでいました。

違和感のない服を探すのは大変です。まる一日服のことを気にしないでいられたことなど、一度もありません。腕時計をはめていられるなんて、私にとっては神業のようです。特に敏感な"手"に、食べ物や汗などがちょっとでもつくと、洗い流すまで気になっていたたまれません。また、何かに集中しなければならない時・緊張した時・我慢しなければならない時、体中がかゆくなります。人に触られるのが苦痛なのは言うまでもありません。(特に、自閉の傾向がない人i近づいて来られると、つい「あっちへ行け!」と言ってしまいます。)

 

3、ロッキング〜常同行動

父の書斎の片隅にあったイスで、ロッキングと呼ばれる常動運動をするのは、小学校低学年の頃までの私の日課でした。私の不器用さに気づいていなかった両親がロッキング木馬を買ってくれたその日に、木馬の耳におもいっきり目をぶつけてできた傷は、今でも残っています。

どうしてやらなくなったのかって? 飽きたというより、必要がなくなったのでしょう。ロッキングの時間帯は、その後、奇妙な人形遊びの時間に代わりました。つまり、単純な振動の繰り返しが、単純なストーリーの繰り返しへと発展したのでした。

更に、中学生になって音楽に出会って以来、自分を取り戻す為に同じアルバムを繰り返し繰り返し聴くことが日課になりました。同じ音・同じコトバの洪水に浸って、リズムに合わせて体を動かすのは、結局はロッキングしているのとたいして変わりがなかったみたいです。なんて、今でもこれはやっています。

 

4、過剰な脳内活動

私は、常にどうでもいい余計な事にかまけてしまうという、厄介な脳ミソを持って生まれてしまいました。何か夢中になるとそればっかりになってしまうばかりか、情報が勝手に自己増殖して頭の中を縦横無尽に飛び交います。私は、そのたびに喋らされ、動かされます。お陰でこの世を渡る為に必要な、ニンゲンに関する情報をいつも取り損ねてしまいます。

まるで、頭の中に、いつも設計図や企画書や地図の類があるかのようです。私は、それらに従って行動するようにプログラムされています。新たに入ってくる情報をどこに収めるか、常に考えていなければならない一方、自分の思い通りに事が進まないと、パニックを起こします。

ちょっとしたことにも順番が決まっていて崩せなかったり、客観的には何の根拠もない決まりをかたくなに守ったり。かと思えば、外界からの刺激に過剰に反応して暴走したり…。それは私から、自分のまわりの事象について正確に学習する機会を奪っていきます。私はいつもこの、本当に厄介な頭の被害者なのです。

 

5、ゾンビとの闘い

私にとって、ニンゲンとはゾンビのようなものです。

なにしろ、私は常に、自分自身の感覚や脳ミソが自己生産した情報や、特定の何かに夢中になっているのです。モノの見方・考え方や、相手に対して期待しているものが違うばかりか、私の知らない感情に支配されているニンゲンたちとは、私には訳のわからない異邦人です。

最初に係わったのがこちらからだろうと向こうからだろうと、次の一手がまるで読めないのです。ただ、何か共通の経験を一緒にする分には、いっこうに構わないのですが、その先が続きません。気の利いた受け答えができなかったとか、なれなれしすぎたとか、誰だか判らなかったとか、話題が噛み合わないうちに「あなたみたいな人はキライ」と言われてしまい、気まずい思い出ばっかりになってしまうのがオチです。

向こうから断られる場合のたいていの原因は、私の方にあるのかもしれません。でも、うまく行っていたのに、自分からやめてしまってそれっきりということもあります。たわいのないことに怒ったり、ちょっとしたことに傷ついたり、必要以上に悩んだりしてしまうという耐性の低さは、ニンゲンとのつきあいを打ち切るのに十分なものです。

そうこうしているうちに、思い出の中のニンゲンたちはゾンビ化して襲ってきます。一生懸命首を振って否定しようとしても、手で追い払おうとしても、次から次へとやって来ます。自己生産が得意な頭が、ここでもまたその能力をいかんなく発揮してくれるのは、迷惑極まりない話です。こうなるとこれはもう、ほとんどビョーキです。

そして、今自分が置かれている状況から逃げ出そうとあがくことが、次の行動を起こすきっかけとなるのです。


 

社会性がないまま生きていくのは、苦しいことです。社会性がないからこそ、普通の人には出来ないものの見方・考え方・発想ができ、それが天職になる可能性があるからと言って、決して楽になるわけではありません。共感できる人が身近にいないだけならまだしも、相互理解のない人たちと係わること自体が苦痛だし、その辛さを解ってくれる人さえいないのですから。

恐らく、支援の必要もなさそうに見える私のようなケースは、あまりにも軽症でどの時点でもチェックの網に引っ掛かりそうもありません。軽い為に、こういう問題を抱えていることに気づかれにくい上に、放っておいても大丈夫だとか、自助努力で何とかなると思われがちです。が、他の精神疾患に進行する前に発見して、何らかの手を打つ必要があります。

大人になってから自分で気づいて知ってしまった場合、自覚が救いになることがあります。しかし、けっこうしんどい精神症状や困難さをたくさん抱えている現実が、消えてなくなるわけではありません。コトバの理解や使用の特異さ・奇妙で突拍子もない行動・運動能力の遅れといったサインを、なるべく早い内に読みとってあげて欲しいものです。そして、病名を告げるうんぬんではなく、自分を肯定して、自分のまわりの異邦人達と適切な距離をおく為のスキルを習得できるように、援助してあげて欲しいと思うのです。

 


               

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