『自閉症だったわたしへ』より

「私の世界」の中では、心は半分催眠術にでもかかったような状態で、物事は最もシンプルな形に返ってゆく−あらゆるものが、色とリズムと感覚に還元されるのである。そしてわたしはそのシンプルさから、物事の核心をつかむことができるのだ。

わたしの心のありさまは、意識が完全ではない人の状態に似ているのではないかと、時々思う。体は目覚めているのに、心だけがまだ、眠っているような感じ。自分のまわりに神経をはりめぐらせたり、物事に反応したりするのをやめさえすれば、わたしはいつでもその状態になることができる。そして、本当の自分に戻ったように感じるのは、その時だけなのだ。気を張ってまわりのできごとに注意するのは、わたしにとっては大量のエネルギーが必要で、戦いでも続けているかのように疲れるのである。

そうしてついに、わたしはその「わたしだけの世界」を、自分でも否定せざるを得なくなってしまったのである。かわりにわたしは、もっと押し出しが良く、行儀も良く、社交的な、だが感情のない空虚な殻をまとったのだ。おかげで「皆」は、本当のわたしに触れてくるようなことはなくなった。だがわたしは次第に、自分でも本当の自分自身を訪ねてゆくことをしなくなっていった。もちろん「皆」は、そんなわたしを見て、普通の子らしくなったと喜んでいたのである。

それは、あるがままの自然なわたしは、受け容れるに値しない人間、どこにも属することのできない人間、つまり、生きている価値さえない人間、ということだったのだ。

仕事の場以外では、わたしはそれまでの交友関係と同じように、自分の知り合った人たちを、いつも自分で断ち切っていた。

わたしは、世の中がことばや体の触れ合いで自分を襲ってきたり、こちら側に参加しろと強要したりする前には、どれほど明るさと静けさに満ちていたかも、鮮明に思い出すことができた。

「じゃあどうしてあなたは、最初から最後まで自分のことを『あなた』と書いているの?」

なぜきみはそんなに、いつも人を裏切るみたいにしてするりと逃げるのだ、と聞いた。

人と一緒にはいるがその中に溶け込みはしないという状況は、その時のわたしには受け容れやすいものだった。

どこにも逃げ道のない状態で「世の中」というものの中にいたことは、わたしには一度もなかったということだ。

自分が恐れているのは感情そのものではなくて、感情に対する反応なのではないかと、わかり始めていた。

好むと好まざるとにかかわらず、わたしという人間は、二十六の歳にしてようやく、「世の中」に出て、そこにとどまり続けることになろうとしていた。

「世の中」に対する長い長い闘いは、ついに、終わったのである。勝者はいない。ただ終戦協定が、あるのみだ。

 

『こころという名の贈り物』より

確かにわたしは、少しでも気持ちを向けられただけで、必ず「消えて」いった。人の好意という直接的な感情も、励ましのことばの気配ですらも、わたしは受け取ることができず、いつもその場で、蠍に刺されたかのように麻痺してしまっていたのである。

わたしは三歳まで自由に「わたしの世界」を楽しんでいた。そしてわたしのまわりで動いていた「世の中」には、理解されずに見つめられていた。ところが大きくなるに従って、ドナはどんどん小さくなってゆき、「世の中」につかまれている時には、本当のわたしになる自由を失ってしまったのだ。

「すべてが世の中で自己はなし」対「すべてが自己で世の中はなし」というシステムの中では、ルールは簡単なのだ。世の中の感覚を取り除いてしまえば、「自己」にかかりすぎた負担が消え去ってゆく。すると、「自己」はなんとか、戻ってくることができるのである。

わたし自身は、「自分でわかったことだけが、自分の得たこと」という現実の中で生きてきた。わたしにとって理解不能なことを、まわりがいくら押しつけようとしても、それはまったく何の意味もないことだと、実際に大勢の人々が証明してみせてくれた。それをあくまで押しつけるなら、「適応性の高い」ロボット(たとえにこにこしてはいても)を、作り出すことになるだけなのだ。

体と呼ばれるものの中に閉じ込められている、当の自分自身の姿さえも。そしてその体から、わたしはすぐにでも逃げ出したかったのだ。

会話を楽しむふりはできるようになったが、相手と一緒に会話を楽しむという感覚は、まったくわからないままだった。「自己」と「他者」が同時に存在し得るという感覚も、まったくわからないままだった。

誰と誰がどう関係しているとか、どうやって誰かを知るようになったかとか、誰かの身の上話がどうであるとか、そういったことは、わたし独自のシステムでできていたファイルの棚には、まったくどうでもいいことだったのである。

わたしは相手の言っていることについて、感情にかかわる部分(対象に対する愛着ということ、または、その時相手がどう感じたかということ)をつかんでいないようだと言われたのです。また、話題になっている人たちどうしの関係(会話を通して表わされる社会的、社交的な事柄)もつかんでいないと指摘されました。わたしは情報の部分(事実)しかつかんでいない、と言うのです。

また、「自分の空間を確保したい、自分自身であり続けたい」と思うことが、彼らにとっては「孤独、相手がほしい」「自信がない、自己中心的な人を歓迎」というふうに映るのだということも、わかってきた。

どんなに努力しても、わたしが人と交わした会話には、いつも大きな穴がたくさん開いていました。

わたしが好きなのは、やはり匿名性と、無関心の方なのだ。

自分の家族と一緒に親しく暮らし、何年も同じ友達を大切にして、小学校から大学までストレートに進学し、自分自身の文化的コミュニティーとかかわり合いながら生きる。それらはわたしにとっては、最も困難なハードルの、いくつかなのである。

そういった「世の中」が喝采してくれるようなことよりも、むしろ床を掃除するといったことの方に、達成感を覚えるのだ。

お金や「成功」や「名誉」といったつかみどころのない概念も、何の意味もなかった。そういったものは、ただの「理論」でしかない。わたしには理解できない。

普通にふるまうことはできるけれど、どういてそれでも、自分を他の人たちと同じと感じることが、できないのだろう?

本当の行動とは、自ら感じたことの中からしか、生まれはしないからである。それ以外の方法で何かをやらせようとしても、それはただ、そうしたことをする時には、人はこう感じるのかもしれないと、分析させるだけに終わってしまう。つまり、感覚や感情や意思という概念に出会うことはあっても、それが自閉症児自身のものにはならないのだ。概念とは、感覚でも感情でも意思でもないのだから。それは単なる記憶力の良さや、どのように外見を取りつくろえばいいかというレパートリーの一端に、すぎない。物事には、決して逆からは行うことのできないものがあるのだ。

これまでわたしは、何のために体がいるのだろうと、よく考えた。それが今、やっとわかったと思った。自分が自分であることに対して、これ以上に大きな保証はないだろう。おそらくこれは、人間にとって、一生で一番最初の保証であるに違いない。赤ん坊が、自分の母親を認識するよりも先に知っていることに、違いない。その保証が、わたしにはずっと、ないままだったとは。自分の体との一体感こそ、感情や感覚を自分のものにするために必要な、架け橋だったのである。


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