ビー玉なんか欲しくない!

何か最近、いかに自分が「普通」化するために努力しているかという方向に走る風潮に流されてしまっているような気がする。

それはきっと、「人」というのは〈公式〉で「人」に対する私の行動は〈儀式〉であったはずなのに、「人の気持ちが解かりたい。」ではなく「あなたの気持ちが解かりたい。」なんていうセリフに惑わされてしまったからだろう。「人」の印象を良くして「普通」に見られるための新たな〈方程式〉が登場して、私はすっかり面食らってしまった。

確かに、もう非自閉の地球人たちは、悪者でもなければ天罰が下ることもないし、粛正されるのはむしろこちらの方だったことを知ってしまった。だから、地球人(特に大和民族)の「感情」や、その中で少しでも心象を良くする方法を学ばなければならないという理屈も分かる。

でも、私はもう、私のやり方でちゃんとやって来たではないか!

「そんなこと、みんな知っている。」だとか「もっとちゃんとした科学的なデータが集まっている。」だとか「もう方法論まで確立しているし、専門家がきちんと手を打っている。」なんてこと、始めっから関係ないではないか! そうやって研究した成果はたいてい出版されるのだから、私はまたそれを収拾して利用すれば良いのだった。

だって、私はどちらが上でも下でもそんなことはもうどうでもよくって、「サカダチしたって出来もしないこと」はしないことに決めたのだから。それから、自分がして来たことには「誇り」を持っていいはずではないか!

それと私はただ、目に見えたものを「解説」し頭に浮かんだものを「文字」に変換しているだけ。しかも、いつも目の前にあるモノを基準にしているけれど、今いったい目の前に何があって何について語っているかについての説明が一切ない。というより、自分でそのことに気づいていない。ひたすら調子に乗って饒舌になって行くけれど、それが目の前から消えてなくなるととんでもないことになっていて、急に我に帰る。そして、いつもいつもハシゴを外され続け、一人取り残される。

それはまるで、子供の頃に知り合いの家に遊びに行って、その家にあったビー玉についてベラベラしゃべっていたら、知らない間にビー玉をもらえるという展開になっていた事件そのままだ。私は全然自覚がなかったので、盗んで来たと思われてこっぴどく叱られたのだった。

まっ、もっとも、「人」と「会話」して影響し合うことが出来ていたら、私はこんなに長いことアスペやってないのだから、当然と言えば当然のことなのだ。私一人で放っておかれると、ボケ〜ッとしたまま「自分の世界」にぶっ飛んだまま帰って来ないのに、「人」が目の前に持ち込んでくる事柄には、全く染まって成り切ってしまうか完全に反発して拒絶してしまうかのどちらか。で、相手からの反応はいつもいつも意外で、私はフリーズしてしまう。結局、「会話」にならないのだった。

でも、また何かのエサを目の前にぶら下げられると、食いついて吊り上げられてしまうのだろうなぁ〜♪ そして、最近の釣り人はマナーが良いから、キャッチ&リリース。でも、刺身にされたり天ぷらにされるよりは、幾分かマシになったってとこ。それがイヤなら、深山の底無し沼のヌシになるしかあるまい。


                 

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