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12/03 21:19 鬱病は、ほぼ治ったと言って良いと思う。普通は、鬱病が治ると人との距離が近くなりつきあいを再開するものだが、私は人との距離を遠くしてそれなりにつきあうことを初めて始めた。鬱病を治しただけでなく、鬱病の原因を遠ざけるようにしたので、ここで生きることもやめたが死ぬこともやめた(精神的に)ということ。
12/02 09:00 今話題の、耐震強度偽装事件。人を育てず、道路や建物をバカバカ建てて仮需要を作ることで復興だの経済成長だのと言ってきた、戦後日本のツケが回ってきている。ニートの問題も、その中の一つに過ぎない。
人を教育し、人に関する需要を作ることに投資してきた北欧とは、社会経済構造が全く違う。
12/02 08:53 最近、本やテレビだけでなくDSなどのゲームでも、“脳をきたえる”ものが流行っている。確かに、パソコンに頼りすぎて使わなくなったり老化のために衰えている脳の機能を活性化させるためには、必要だと思う。そういう目的で、私も使っている。
しかし中には、“発達障害のある人は元々できるはずもない”ものがある。こういうものが流行ることで、「それは単にトレーニングを怠ったからだ」とみなされそうな気がしてならない。
12/01 08:13 中間にいる人は、常に「それを言わなければ支援を受けられないよ」と「それを言ったら世の中生きていけないよ」の板挟みのジレンマにさいなまれている。
ちょっとした集まりに行っても、どっちの立場でいていいのか分からない。
11/30 17:18 ASDでもADHDでもLDでも、障がいとして認められる方向に行くか、認められないことを前提として生きていく方向に進むかの選択に迫られる人がいる。あるいは、そういう時期がある。
障がいとして認められる方向に行くためには、障がいそのものが医療的に・教育的に・法的に認められ、それなりの支援が得られるように働きかけていかなければならない。
しかし、障がいとして認められる可能性の低い人、あるいは制度が整備される前に生きなければならない人が、本人自身のスキルを高めると共に自分が生きていかなければならない時代や世の中について学習し、(自分の周りだけにせよ、もっと大きな範囲を対象とするにせよ)社会に理解を求めるように努めてはいけないなんてことはない。
11/30 08:42 ローカルルールだけが唯一のルールだと信じて疑わない、“井の中の蛙”がまだいる。このグローバルな時代に、井戸の外で起きていることを傍観者として見てはいるものの井戸内のルール以外は理解しようともしていない人が、どこの田舎にもいる。気をつけろ!
11/29 13:58 採算重視・経営優先の風潮+相変わらずのムラ社会=ASDにとって不利な世の中
このような時代になってきているのは、確実。
11/29 13:45 学校では教えない、“みんな仲良し”“みんなともだち”の本当の意味。
すべての人が仲良しになれるわけはないし、みんなが友だちということはない。気の合う人もいれば、どうしてもうまくいかない(そりの合わない)人もいる。
それなのに、と言うより、だからこそ、“みんな仲良し”“みんなともだち”と教えるのは、「集団で生活したり行動したりする時はみんながまとまるようにしましょう、できるだけ争いごとは少なくしてみんなが協力するようにしましょう」ということ。
NTの人は、前半の部分は分かっているので言葉にされない。いや、NTの頭の中は、四六時中、誰が仲良し・誰が友だち・誰がイイヒト・誰が好きな人・誰が嫌いな人…/誰と誰が仲良し・誰と誰が友だち・誰と誰が仲間・誰と誰の仲が悪い・誰と誰がつき合っている…といった情報とそれに関する感情で満たされている。すべての思考がその上に成り立っているような、いわば脳みその土壌みたいなものなので、自覚すらないのかもしれない。
しかしASDの人たちは、まわりの人に全く気づいていなかったり、意識の中に中にまわりの人との関係や、人と人との関係にまつわる感情という項目がなかったり、人はすべて無害で無警戒でいるか・人はすべて有害なものとして警戒しているかのどちらかのことが多いため、言語化された後半部分だけを知識・情報としてインプットしてしまう。気をつけろ!
11/28 17:06 学校では教えない、友だちの定義について考えてみる。
何でも話せる人・話しを聞いてくれる人・多少衝突しても差し支えない人・話をしていて楽しい人・相談に乗ってくれる人・呼べばすぐ来る人・時間的物理的に一緒に行動してくれる人・酒の席を共にできる人・同じ趣味を持つ人・自分をさらけ出せる人・ちょっとしたものの貸し借りができる人・プレゼントをこまめにくれるしお返しをし合う人…。う〜ん、見事にいない。
最近は、ブログの方が盛んになって、検索するとホームページよりも大量にブログが引っ掛かってくるようになり、ネットで正しい知識を得ることが難しくなっている。得られるのは、どちらかというと情報に近い。ネットは、コミュニケーションの箱と考えた方がよいのではないかと思う。と偉そうだが、私のように口コミ情報が全く入ってこない者にとってブログは不可欠なものになりつつあると、言いたいだけ。
11/28 15:56 逆上がりができるできないが重大問題になるのは、学校の現場と子どもを学校に通わせている親が行く相談機関の中だけの話。
しかし、逆上がりに必要な諸能力(身体能力だけでなく、恐怖心に対処するという精神的な要素も含めた)が備わっていないことは、一生に影響する大問題になる。未だ教育現場に根強い根性論をどう論破するかなどと言うコマイことを真剣に考えている暇があったら、身体能力に困難があって精神状態の不安な人の今後の人生のQOLについて考えて欲しいものだ。
11/28 15:28 また一人、味方がいなくなってしまった。信頼していた内科の主治医が、診療できなくなってしまったのだ。夫婦でやっている開業医だから、ずっと面倒を見てもらえると安心していたし、長男にも頼りにするように言っていたというのに…。詳しい事情は知らないけれど(予測しようと思えばできるが)、かなり離れた病院に勤務することになってしまったそうだ。
仕方がないので、今日は風邪をひいた次男がご主人の方にかかった。症状に関すること(と言うか、薬の処方に必要な情報)だけを矢継ぎ早に聞いてくる。次男が何か言いたげにしていたのに、一方的に説明が始まった。次男の言おうとしたことを私が代弁したけれど、説明を続行。案の定、この症状でこんなに要るの?と思えるほどのたくさんの薬が出されていた。私と子どもたちがこの病院に行くことは、もうないだろう。
11/26 22:30 今私が怒っているのは、この田舎根性そのものに対してではない。それが好きだという人は、そうすればいい。そのことに文句を言うつもりはない。
ただ、この国のこういう現実を全く知らずに、田舎根性の巣窟の中に今住んでいてもうどこにもいけないでいることは許せない。そのために一度、心身共にぶっ壊れた。でももう、精神的にも身体的にも自分を守って生きることにした。怒っていると楽しめなくなる。そんな生活をしていると、損するのは自分だから。意識して自閉。下手に自分を開くと、危ない。
11/26 22:16 合理的に考えたり世界的に見たりすれば明らかにオカシナことが、日本の田舎ではまかり通っている。しかも、田舎に行けば行くほど、それが正しいこととして真面目に取り組まれていたりもする。そういう場面にいなければならなくなった時は、どんなに下らない・バカバカしいと思っても最低限の義務を果たして黙って付き合っておくのが無難だ。(というより、本当に敵対する姿勢を貫き通す選択をしない限り、決して逃れられない。)そして、真剣に考えないことだ。そんな時間と情熱があったら、自分の生きている世界の方に使うべきだ。
日本では人が3人いたらこういう田舎である可能性をまず疑ってかかった方がいい。だが、こういう田舎根性をやめないかぎり日本型ニートはなくならないだろうことも、ここに明記しておきたい。
11/24 15:11 ニンゲンに興味がなくても、日本人としてうまくやっていこうと思っていなくても、ニンゲン社会で生きていくために知っていなければ自分を守れないことがある。それが、ソーシャルスキル。でも、学校で教わるようなキレイゴトでは全然ダメ。
11/24 13:34 どうやら、この国の人たちには、人間の発達や機能のバリエーションの一つとして発達障害をとらえようという気が全くないようだ。関係者の間でさえも、障害者の枠の中に新たなジャンルを一つ増やすかどうかの議論しかなされていない。そこから外されていた方が、無難で賢い選択だったのかもしれない。お陰で、最近とても気が楽になった。
11/22 07:45 日本の田舎には、近所のこと(冠婚葬祭や行事、うわさ話)となると活躍したがる人が必ずいる。また、一番最初にその人の耳に入れておき、その人を通してからでなければ話を進めてはいけない人というのがいる。それを知らずに、自分にできることを普通にやろうとしただけであからさまにイジメられることがある。気をつけろ!
きっと、この“日本の田舎”は、どんな大都会のどんな先進のコミュニティにも蔓延している。一番の防衛策は、自分に任された個人の仕事以外の複数のNTと一緒に活動しなければならない事柄では、まずはよく観察し、下手にしゃべらないことだ。学校では、自分から積極的に動けとか、リーダーシップが大事とか教わるが、社会に出たらその通りにやっていい場は一つあれば幸せな方だと思った方がよい。
11/21 08:36 今の世の中には、教育的指導をする暖かさが欠けている。躾のなっていない子どもが増え、分別盛りのはずのいい大人がとんでもない犯罪を起こすこのご時世、単に警戒しているだけでなく、みんなが感情的・利己的になっているから。悪意のある確信犯も、発達障害のために判断ができなかったり怪しげな行動をとってしまった者も、容赦なく警察沙汰になる。しかも、家の車で自分の子どもをひいてしまったとかどこかの駅周辺に悪質な落書きがあったとかいうような、かつては新聞の片隅に載るか載らないかぐらいだった小さなニュースまでもが、全国版のニュースになってしまう。
『発達障害児・者支援法』ができたといっても、それは発達障害児・者を支援する教育関係者と医療関係者に法的根拠を与えるものといった性格付が強い。当事者自身の権利や義務をうたったものではない。

こんな世の中だから、まず最初に理解が必要だと私はずっと訴えてきているのだが、それさえもしてはいけないことらしい。
子どもだからと教育的配慮をし過ぎ、家庭内のことは個人の問題としてきたことや経済優先で倫理観がなくなったりという戦後日本の間違いの結果が、荒れた成人式だったからといって、いきなりの180度転換はないだろう!と言いたい。
11/16 08:34 ノンバーバルコミュニケーションスキルの学習のために、演劇関係の基礎の本を取り寄せてみた。演劇のための発声法や身体表現のトレーニング本で、専門的すぎた。そんなものを長男がやるはずないし、私も教えたくない。これなら、アナウンサーが使う滑舌の教本の方が、まだ役にたちそうだ。そもそも、教えてできるくらいなら障害じゃないから、不都合をちょっと小さくできれば上等だ。
探している内に、雑談のコツ・プレゼンのコツ・分かりやすい話し方のコツを、分かりやすく書いた本があるのを発見した。それで、ご立派なNTもどきができあがるとは、まったく思わない。ただ、今まで、読書感想文や来学期に向けての誓いを書くために、とりあえず400字詰めの原稿用紙を埋めるためのテクニックを教えてきたように、ビジネスに必要な最低限のスキルを教える参考書として使えるかどうか確認してみるつもり。(ちなみに、原稿用紙を埋めるテクニックは、小学校6年生の国語の参考書で十分。)

業界内でこういう本を探しても無駄なので、業界外のこういう本を探している。そのため、最近続々と出版される業界関係の本を買う余裕がない。そもそも、私は図書館ではないので、業界関係の本をコレクションする義務はない。
11/15 12:56 未だかつてないほど、私は今、自閉している。
以前は、自分が人と違っていることにもまったく気づかず自開し過ぎていたために、どこにも属さない“無”だった。
今は、一時期のようにNTが恐くて外に出られないのではなく、下手に関わって精神状態が悪くならないように、相当警戒している。つまり、“イイヒト”をやめた。
低炭水化物・高アミノ酸・ウォーキング・筋トレで身体改造をしながら、どこに向かうか考えている。
11/13 17:31 洋書の字数の多さと分厚さには驚かされる。一方、日本では人に理解を求めるにはマンガが一番。しかも、感情移入のしやすさ重視。

だからといって、日本で非言語的手段をフルに使って人とコミュニケーションをすると言う時は、身振り・手振りを派手にするという意味ではない。日本には、人に好印象を与える仕草・姿勢・型というのがある。これは、○○道と呼ばれるものにも繋がっているように思う。
非言語コミュニケーションスキルには、声のトーンや話す速さに気をつけたりすることも含まれるので、言葉のトレーニングも入るけれど、ほとんどは大袈裟でなく意図や主張が見え見えでないさりげない“見た目の美しさ”であったり“らしさ”だったりする。…厄介な国だ。
11/12 16:25 「目は口ほどにものを言い」というが、実際は、身体的な印象が言語より勝っている。非言語コミュニケーションが語りすぎる傾向が強いからこそ、この国の世間の目はASDを誤解する。
ASD関係者の多くが自分自身の非言語コミュニケーションスキルの問題を感じていて、居心地の良い場所を選んでやってきたらASDだったとしたら、見抜く目がなくて当然だろう。
11/12 16:19 日本女性は自分の容姿やファッションに自信がないこととか、森田療法が得意としている日本人特有の社会不安障害だって、見た目・外見・イメージ重視の日本人だから起きることなのかもしれない。
11/12 15:48 この非言語コミュニケーションスキルに対する見抜く目のなさは、ニートの問題とも絡んでいると思う。

文字情報に100%依存して“正しさ”を追求しやすい大卒ニートは、言うまでもなく、非言語なことで人が人を判断するのはオカシイと主張し、それでは自分が正当に評価されていないと見下すことになるだろう。
しかし、自分の花がそのままナンバーワンだと思っている切磋琢磨欠如型や、人に迷惑をかけたり傷つけ合うことが恐いタイプでも、(大部分は、人から評価されることへの恐れかもしれないが)他者から見える自分の姿を受け入れられないという点に、非言語的な問題があると思う。透明人間になりたい一方で、言語コミュニケーションでのネット上の付き合いなら大丈夫というのなら、ほとんど上と変わらない。
11/12 15:09 非言語コミュニケーションというと、よく「身振り・手振り・態度」と括弧書きされる。日本人は欧米人に比べると身振りや手振りを大袈裟にしなくて良いから、ASDにとっては楽だと言われるが、果たして、そうだろうか?と思って『人は見た目が9割』という本を読んでいる。

タイトルの通り、非言語コミュニケーションとはそういう特別なことではなくて、“見た目”とか“らしく見えること”と書いてある。
アニメや映像の分野で世界的評価を得ている日本人は、活字よりもマンガやテレビからの情報の方が好きで、パターン化されたイメージに左右されやすい。論理好きなドイツ人や論理的な文法を持つ言語を使っている国に比べると、言語コミュニケーションで意思伝達したり分かり合う能力は劣っているのではないかと思う。
一方、非言語コミュニケーションの方は、この国ではまず非言語コミュニケーションとは何かを説明するところから始めなければならない。そのため、そのようなスキルを学習する必要性を理解してもらうまでに、時間がかかる。と言うより、明らかに非難される。逆に言えば、非言語コミュニケーションスキルとは、無意識のうちに習得していているのが当たり前になっていて、ほとんどの人は見た目で判断されているということになる。

言語コミュニケーションによる理解力が劣っているがゆえに、日本では、定義上「感情」が問題になるASDは、心情的に理解されにくいという壁がより大きくなる。さらに、NLDの困難は、毛嫌いされて門前払いを食らったり説明する言葉が理解されないため、見抜くどころの騒ぎではなくなる。
この点に関しては、英米で書かれた本をそのまま訳しただけではまったく足りない。(仮に、療育センターでお墨付きをもらったとしても、実社会では役にたたないことになるだろう。)
11/12 14:36 といっても、ニート問題は人ごとではない。子どもを2人ともニートに育てた親が、正にウチの親。

元ニートの誇りにかけて、ニートサポートナビのニート度チェックをやってみた。
やはり「あなたはニートの傾向が強いようです。」と出た。当然であろう。
11/12 07:54 私と同じことを言っている人がいた。こういう本を読む必要がある人は、決してこういう本を読むないところが難点。
こういうことは、親たちにはもうとっくに言っている。どうするべきか諭しても、その都度逆をやってきたツケが回ってそうなったのだから、もう誰も何も言えない。

「ニートな子」をもつ親へ贈る本
11/10 14:29 今年の『犯罪白書』で、初めて少年院の教官に対する調査が行われた。「少年の規範意識の特徴」で、「感覚、感情で物事を判断する」(60%)というのが挙げられているけれど、これは何も少年に限ったことではない。いい年の成人や老人だって、似たようなものだ。そしてそれは、“文化”と“経済”の名の下に、間違いなく煽られているものだ。
ちなみに、NHKの解説によると、統計上も少年犯罪の件数(割合)は若干減っていて、低年齢化しているのではなく逆に高年齢化しているとのこと。ねちねちと不可解さを強調する報道の影響で、誤ったイメージが形作られている。くれぐれも、ワイドショーや2ちゃんねるの祭り現象などに惑わされないようにしてもらいたい。
11/10 07:46 金曜日から、ショックなことが立て続けに三つ起きた。

一番最後のが、一番ショックだった。ほとんど戦場に立つことなく護衛されている指揮官には、世間との狭間にいて常に誤解され、一番欲しいのは“世の中の理解”という最前線の戦士の気持ちなんか分かるはずないと言うことが、よーーーく分かった。

これは孤立なのか孤独なのかと考えてみた。私は、決して孤立しているのではないことは確信できる。一人で先走りすぎているから、誰とも話が合わないし、嫌がらせや妨害を受けているのではないかと思うことにした。

前線の戦士は、ひたすら前進。戦いあるのみ。
11/08 16:19 この国は、言葉と学力には過剰に反応する。言葉で人を判断し、学力が下がると目くじらを立てる。つまり、人を見る目がない。
11/08 07:45 隔離された無菌状態の世界で部分的にしかものを見ていない人は、いくらその道の権威としての社会的地位を持っていたとしても、現実社会の中で全人として難問に直面している人には敵わない。期待する方が、間違っている。
11/07 16:50 私は、本に書いてあることの続きを話している。
しかし、世の中は全く追いついていない。
黙るしかない。

この業界に関わってから、たくさんの親御さんが支えてくれました。
本を買ってもらったお陰で、無事、長男を専門学校の高等部に通わせることができました。
本当に感謝しています。

でも、その他は、良いことはなんてありません。
早く、透明人間に戻りたい。
11/07 15:15 たくさんの本に書いてあるのと同じ事を言っているのに、誰からも「あなたの言っていることはわからない」とか「それで、何をして欲しいの」と言われる。もう、誰にも何も言いたくない。
でも、誰かしら分かってくれるかと、試しに電話をかけたりメールしたりしようかと迷っている。でも、どうせまた同じ事の繰り返しになるに違いないと思っていたら、寝込んでしまった。
11/07 09:02 疎外された人が何を言っても無駄、ということらしい。
11/06 16:28 本を書こうが、支援法ができようが、本人も社会も家の中も何一つ変わらない。子どもの頃は、よく積み木を詰んでは壊すことを繰り返していたものだったが、いつまで経っても積み上げては自分で壊す癖は治らない。
この国は発達障害に全く無知な文化的後進国でしかなく、説教し・叱って・ひっぱたく教育しかできず、謝罪と誠意の演技ができさえすれば満足するような民族だということが、よーく分かった。
不信感が警戒心を呼び、防衛のために攻撃的になる悪循環を生み出しているのはそっちの方だということに、いい加減に気づくべきだ。
11/04 17:43 中学から先にこそ、真の孤立が待っている。人間一般ではなく、日本人♂・日本人♀に明確に分かれるから。そして、同世代のヒトたちが、崇高な知識以外の物(おしゃれ・ファッション・ブランド・宝石・タレントなど)にうつつをぬかし、モテルだのモテナイだのといった話ばかりするようになるから。流行文化に染まらない中性人は、どこにも居場所がなくなる。
11/02 16:39 また、ニュースで言ってる。
「友だちがいない」のではなく、「友だちになれる人がいない」「話が全然合わない」のだ!
友だちができないのは本人の努力が足りないと解釈する意見ばっかり流すのは、いい加減にやめてほしい!
10/31 08:45 私は、くだけた言い方をしない。だから、こういう言い方をする。専門家に嫌われても、やめるつもりはない。
ASDの一次障害
直るものではなくそういうものとして対応すべき。そして、良い面を引き出し(同時に、悪い面を出させないようにし)、活かす方向で考える。
ASDの二次障害
極力減らすべき、また、できるはず。
それから、ただ単に体育をたくさんやるのではなく、科学的根拠に基づいて基礎代謝を上げるようにすると、身体面の不具合と、それによって生じる多くの不都合がかなり改善されると考え、実践中。
10/27 12:02 ブログって、情報の質は良くないが、コミュニケーションの手段としてはやっぱりいいかも。思ったことを日記感覚で書いてもいいし、誰かに言いたいのに聞いてくれる人が近くにいない話題を書くのもいい。RSSリーダーをうまく活用すれば、閉鎖的すぎもせず開放的すぎもしないチャットのようになる。
公開日記色を強くしたい時はコメントに答えないことに決めればいいし、掲示板色を強くしたい場合はきちんと答えればいいけれど、チャットと違ってタイムリーにしなくていい。書き込みごとにトラックバックやコメントがつけられるので、話題が飛ばなくてわかりやすい。(ただ、新着を全部表示するように設定していると、どこを見たらいいのかわからなくて困るけれど…。)

実際に人と会うと、こちらは何も考えていないのに人がいろいろな口実をきっかけに近づいてきて、全くの想定外だったので挨拶程度しかしなかったりしていると、ある日突然、挨拶しても話しかけても無視されたいなんかして、ワケがわかんない。それの繰り返しで友だちが一人もできないので、たわいのない雑談をする相手もいなくなる。ブログだと、その心配がなくてすむ。
10/26 15:47 日本は、世界一のゲーム・アニメ・コミック王国。言論の自由という御旗の元に、一流文化人でさえも、こういうものが引き起こす害は提供側の問題ではなくて受け手の側の問題だと言い張っている。これほど子どもを王子様扱いして骨抜きにする教育貧国は世界に例を見ない、にもかかわらずだ!
個人の資質を一切無視して形式に押し込めることで成り立っていた社会が、「家」という型枠が外れた瞬間に、個人主義の厳しさを知らないまま「個」がバラバラに飛び出してしまって収拾がつかなくなっている。表面的な社会性だけを気にして、「恥」をかいたりコミュニティから外されることは恐れるけれど、個が社会的存在であることの本当の意味を教えない。これが、現在の有様。

こんな中で、むやみに個室を作り、本人がおとなしくなって楽だからという理由で金を与え、好きなことをさせて子どもを放置したらどんなことになるかなんて、考えなくたって分かるだろう!
これは、知識の普及や医療が遅れていて、子どもの発達障害を知らない・気づかないとかいう以前の問題。視覚情報への再現欲求が強いASDの子どもの危険なこだわりだったらただではすまされない、というだけのこと。
10/24 09:09 冷戦が終わったことを、「全体主義の敗北・人権の尊重」というイデオロギー的な前進としてしかとらえていなかった。が、本当に底流にあったのは「自由主義経済の勝利」だった。つまり、能力のある面の社会的狡者は勝ち組となってますます金持ちになっていくが、ウリのない人・社会的にうまくやっていけない人・自分を前面に押し出せない人は生きていけないか、せいぜい年収300万円止まりの世の中に向かっているということだ。
もうすでに始まっている増税が、どんどん拡大される。また、フリーターや自分を“世界に一つだけの花”と思い込んで夢を追い求める“銭金”生活者が増えれば、社会保障費の負担も大きくなる。ひきこもり・ニート・失業者といったカテゴリーに入る人たちを支えていてくれた人たち(だいたいは親)に、余裕がなくなる。「誰かが何とかしてくれる、金は何とかなる」と思い込まされて育てておいて、いきなり「“1ヶ月1万円生活”をしろ」と言われているようなものだ。

自由主義の中に社会主義的思想を組み入れる余裕のある時代に生まれた甘い考えは、修正すべきだ。今は、何でもケイザイになっていることも、忘れてはいけない。
  • 発達障害の有無に関係なく、安定就労できない・自立できない人がたくさんいる時代になっていることを忘れてはいけない。
  • 発達障害者支援法ができたところで、世界一の財政赤字国を当てにするのは危険だ。
  • 今は、オタク産業という分野があるから市民権を得られて良いと楽観してはいけない。オタクとして生きるあり方をヘタに推奨すると、オタクを市場として狙っている企業の餌食になる。
10/22 23:17 これは、発達障害があるからどうだという問題ではなく、社会問題のまとめ。


【企業の事情】
  • 国際的な自由競争が激しくなり、どの企業も生き残りが難しくなっている。
  • 企業が生き残るためには、できるだけリスクを負わないようにしなければならない。
  • コストを抑えるために、人件費のかかる正社員はできるだけ少なくしたい。
  • 企業にとってプラスになる優秀な人材だけを採用したい。そういう人にはいくらでも投資する。
  • すべての人が税金・保険などの負担を背負う代わりに、その恩恵も受けられるシステムが崩れようとしている。
  • ちょっとしたミスが、存亡の危機に成り得る。
  • ちょっとした失敗が許されない。
【本人の問題】
  • 生きるために、何かを犠牲にしたり我慢することができない。楽に流れる。
  • 日々、おもしろおかしく好きなことをやっていられるので、知識・教養がない。
  • 仕事に必要なスキルや体力、身体能力がない。
  • 何かを犠牲にしたり我慢してまでも生きていたいとは思えない。
  • ちょっとした失敗を、自分で許せない。
【社会全体の問題】
  • 成長過程で、職業をすることへのイメージが自然に身につけられない。
  • 利益と採算を優先させる体制について行けない人が、疑問を持つことも許されない。
  • 好きなこと・できることを追い求めるように言うばかりで、ニーズがなければ成り立たないということを教えない。
  • できる人・明るい人・主張のできる人・努力する人ばかりではないのに、そうでない人を切り捨てる。
  • 金の稼げる人はどんどん金持ちになり、稼げない人との格差は広がっていく一方。
10/21 22:20 今の私の最大関心事は、教育でも医療でもない。身体の問題だ。
ASDの人には偏食が多いからどうだという問題ではなく、身体機能的な偏りや未成熟の大元に何らかの栄養素の代謝障害があるのではないかと思っている。それも、特定の一つの栄養素だけで語れるものでもなく、ビタミンならBのいくつというような細かなことで、しかも一人一人違っている。
また、CoQ10を飲んだり体脂肪率を下げたりすることで身体が随分と軽くなったことなどから、疲れやすさや筋肉の弱さ、抗重力姿勢維持困難などの原因の一部は、何らかの方法で補填がきくのではないかとも考える。
体力をつけるために、ただ単にやたらと走ったりスポーツをやればいいという大雑把なことではなく、もっと科学的な方法で身体機能面での不備を補う処方箋を作る方法はないものだろうか?
10/20 16:19 世間知らずの親が鳴り物入りで認めた才能なんて、世間には全く通用しない。
頼むから、孫の人生まで台無しにするのはやめてくれ!
10/20 16:18 今年も、保険の審査に落ちた。(+_;)
精神科に通院した後肝臓を悪くし骨折までした2年前に、試しに出してみた時に落ちたのは、仕方ないと思う。が、今年はきっと、収入が少ないからだと思う。さすが、AAAのA社。
念のため書いておくが、本の印税は生活費の足しにはなっても生活はできない。それ自体が、保険や年金の類だと思った方がいい。
10/18 16:10 本来ならば人に言うべきことをこうして日記に書き、自分はしてもえなかっていないことを本に書き、「こういう大人になってはいけない」と子どもたちに毎日言い続けなければならない下らない輩の奴隷になっている人生なんて、あっていいはずはない。本当に、こんなバカバカしいことはもう終わりにして欲しい!
これはひとえに、社会的基盤と経済的基盤を作る能力がないにもかかわらず、それを全く補填されておらず、誰からも何も教わっていないことが原因。だから、療育をやっている。
今日は丸一日、その下らない輩の代わりに班長の仕事をやっている。義務でやる仕事をする時には、そんじょそこらのNTより完璧にやる。また恨まれる。
10/18 11:00 やっと、鬱の最大の敵=PTAから解放されたと思ったら、今年は、自由参加のはずの某行事への勧誘がキツイ。役員の方針なのか、全体の方針なのかは分からないが、いつもは「参加希望者は電話」というところが「欠席する人は電話」という連絡が回ってきた。
何と言われようが、義務ではない行事・行かないと子どもが寂しくなる行事・大人だけの集まりには、精神の健康を保つためにも絶対に行かない。
10/16 14:48 世の中、どこもかしこも“人間としておかしい”ヤツらばっかりだ。いったい、どこに行けば、ちゃんとした“人間”に出会えるのだろうといつも思う。
だが、地球上でそんな人に出会うのはまず無理だと分かった。なぜなら、ホモ・サピエンスというイキモノは、ヒト♂、ヒト♀、ヒト・ホモセクシャル、どこかの地域社会のヒト、どこかの民族のヒト、どこかの文化圏のヒト、何かの職業をしているヒト、なんとかいう会社のヒト…、といった社会の属性をよりどころにして、その社会の成員であることを支えにして生きているからだ。そういった属性のない“人間一般”といった人は、この地球上には存在できない。仮に存在していたとしても、表向きは(社会的には)社会人のふりをして、振り落とされないように努力して生存している。
だから、“人間一般”でないものはすべて私には嘘だと感じるし、ヒトナニガシに接触するたびに気持ち悪くなるし、家の中のそういう連中は許せない。
結局、“人間としておかしい”イキモノにしか出会えないのだから、そういうイキモノのために消費するエネルギーは極力少なくした方が得だってことだ。
10/14 13:59 私は、人の気配というものを極力感じないように生きることにして以来、非常に安定している。役員をやっていないからというのではなく、行事に出かけてもウォークマン(というかMP3)なしでも人の気配を感じないようにしているから、後で不快感を消去する必要もない。家の中でも、なるべく人に会わないようにしているし、人としてどうしようもないヤツがどんなどうしようもないことをしようが、一切考えない。思考エネルギーの無駄使いはやめた。だから、最近、音楽は聴く必要がない。
自分の行動を決めるのは、誰かの言葉とかどこかに書いてあったこと。子どもたちがドラマを見るようになって、毎日、人が人に直接何か言ったりやったりして、人と人がかかわり影響し合う様子を見させられていて、とても気持ちが悪い日々を送らされている。けれど、今は、この生まれ損なった身体を健康にすることが最大関心事なので、さらりと忘れる。
買い物にはほとんど出かけずに、宅配の食材を使っている。難しいものは作れないので、材料は使うがメニューは必ずしも書いてある通りにはしない。ネットで買い物をする時には、挨拶や業務連絡程度のやり取りはするが、後で困ることになるから、無理して下手にうわついたことを書かないように気をつけている。掲示板は読めないけれど、言い放つだけのブログならば読める。つまり、コメントは読まない。
要するに、義務と仕事のための付き合いだけはするが、どこにいて・誰といても一切人とはかかわらない。こんな生き方をしている宇宙人が、地球上で幸せを感じることはまず絶対にないだろう。地上にいることは否定しないが、地上のものでないものだけ見ていれば、自分を守ることが出来る。これが信条。
10/07 10:04 最近、昼間の情報番組の前にサスペンスものの再放送をするようになった。時間前からテレビをつけると、ちょうど犯人が自白を始める頃になる。どうやら、サスペンスもののドラマでは、犯人がどのようにして(殺人)事件を起こすまでに追いつめられたかが描かれているようだ。犯人に同情しながらも、犯罪を犯さなくて済んでいる自分の境遇に満足するためにこういうドラマが必要なのかどうかは知らない。
こういうドラマでは、弱者の心情がクローズアップされている。それなのに、凶悪犯罪が実際に起きると、ニュースでは「こんなことをする犯人の気持ちが分からない」とか「友だちに話せばいいのに」といった、お決まりのインタビューばかりが流される。記者に聞かれて、犯罪を犯してしまった側がどうしてそこまで追いつめられなければならなかったのか推測するようなコメントをした人がいないわけではないと思うのに、放送されるのはだいたいお決まりのフレーズだ。
私が思うに、サスペンスものに美化はいらない。事件報道にこそ背景への配慮が必要だ。“感情”に囚われた悲しいイキモノ=NTの、身勝手さを見せつけられた気がする。
10/03 08:20 ニート関係の本に専門学校の見分け方が書いてあったのを見て、はたと思った。夏休みに長男と体験入学に行った2校を比較すると、今のままだらだら過ごしていても十分入れる方の学校は、教職員・在校生のレベルからみても、入学時にノートパソコンを(実質)全員購入させたり無意味な海外への修学旅行が組まれていたり、景品で盛り上げたりしているところを見ても、あまり良くないのではと思った。
2校の表向きの違いは卒業条件が日商簿記2級か3級かの違いなのだが、厳しさにかなりの差があり、それに比例して就職実績にも質的な差がある。ついていけない人を置いていくかどうかといった、姿勢の違いもある。ついていけなくて置いていかれることが明らかなら、レベルの高い学校に行かせるのは危険。しかし、簿記やExcelの授業は多少難しくても、他の科目の履修内容が本人の良さを活かすのにぴったりで、たった1時間の体験入学の間に担当教官の目を引いていたことからも、うまくいけば上手に伸ばしてもらえそうな感触がある。
兎にも角にも、本人が最初から無理だと思い込んでいる日商簿記2級がどんなものか、本当に無理なのか、早速確かめてみることにする。
10/02 17:18 ニート支援をしている関係者が、「ゼロのものをプラスにするのなら感謝されるが、マイナスのものをゼロにしても誰もがそれで当たり前だと思うので、歓迎もされない。」と嘆いていた。これも、発達障害に共通する。
10/02 17:00 最近、ニート関係の本を読んでいて気づいたことがある。

昔からいる「金持ちの子どもで働く必要がない人たち」とか「ドロップアウトした反社会的な人たち」とは違って、最近増えているのは“非社会的”ニートだそうだ。(ただし、“非社会的”と言っても、ニートの場合は、引きこもりと違って自分の興味があることをするためには外に出て行くし、家族以外の人とも接点を持っている点で明確に区別されるところをまずしっかり押さえておく必要がある。)
ニートの人たちの中には、自分の好きなこと・やりたいこと・できることが分からなかったり、自分の好きなこと・やりたいこと・できること以外は全くしようとしないために一度も就労したことのない人もいれば、一度就労したけれど自分の方から社会(の理不尽さや汚さ)を見限ってやめたという人がけっこう多いそうだ。これらの理由の一部は、ASDの未就労の原因とも重なるところがある。ASDだと分かったら、できるだけ早い内に「好きなこと・やりたいこと・得意なこと」を大事に伸ばすと同時に、「やるべき事もきちんとできる、または、するように方向づける」ようにしなければならないし、世の中の不合理への耐性をつけたりする必要もあるゆえんだ。
ニート関係の本は、建前上発達障害がある場合は該当しないように書いてあるが、ニートの就労支援をしている関係者が発達障害のことをよく知っているとは思えないので、実際には元に発達障害のあるケースも含まれていると思う。その場合は、そう簡単ではないし、混同されたら別の問題が起きる危険もある。今後、ニートの就労支援という大義名分の元、発達障害のある人たちが下手に巻き込まれてしまうことには警戒すべきだ。

また、一般的には子どもがニートになってしまった場合は、親の意識を変えることが重要だと言われる。が、単に親の子育て姿勢を問うだけで解決するような単純な問題ではない。一部の天才や恵まれた有名人が、「好きなこと・やりたいことをどんどんやりなさい」とか「夢は必ず実現する」、どんな人にも「他の人にできない素晴らしい能力がある」みたいなことをテレビでやみくもに言ったりしている風潮にも問題がないとは言えないだろう。
それは、自分の生きる力の源になるし生きる目標として不可欠だ。確かに、得意なことは誰にでも必ずあるものだけれど、誰もが世界的な天才であるはずはない。また、どの家にも1000万円以上の年収があるわけではないので、当然、能力にも経済力にも使える資源にも限りがある。全世界が諸手を挙げて、一人一人の個性と才能を最大限に伸ばすために協力してくれるはずもないし、そのために何千万円もの資金を投入してくれるはずもないのだ。それなのに、言葉巧みに子どもを煽って商売している大人がたくさんいる。
自分の家の経済事情を無視し、雇用・求人・市場という需要を無視した、現実検討識に欠けた才能というのは、袋小路に陥るしかない。その危機意識が、親にもなかっただけではなく社会全体にもなく、“オレは世界一の大天才で大富豪のあととり”であるかのように子どもを錯覚させてしまったことに、気づくのがあまりにも遅すぎた。

職能不足で就労できそうにない子どもは、何とかしてウリになるものを見出すと同時に、欠点が表に出ない環境に身を置けるように進路を選ばなければならない。一方で、社会全体の(発達障害と社会情勢の変化に)無知な人々や、言葉巧みに人から搾取することしか考えていない商売人からも、子どもを守らなければならない。その汚染源が家の中にある場合は、特に。
10/01 16:46 『電車男』ブームで、アキバのヲタクが変わったと騒がれているが、それは違うと思う。今は、フィギアや食玩が増えたり、大人をターゲットにした玩具が続々と発売されるので、コレクションすることが特別なことではなくなっただけだ。
増えたのはヲタクではない。ヲタクみたいな格好をしたコレクターだ。真性ヲタは、そう簡単に増えるもんじゃない。
09/29 08:50 「不満はあっても、それしかないから・義理で仕方なく買う」時代ではなくなった。企業間競争・国際競争に負けたり、サービスが悪いとかイメージが下がったりすると容赦なく潰される。企業は、ちょっとしたことが死活問題に直結するので、リスクを負いたくないと考える。
こんな世の中では、障害者や職能に満たない者を企業に雇用させるには、そういう人たちを雇用することが社会的にかなり評価されていなければ無理だろう。しかし、障害者を雇用していることがステータスになったらなったで、派手に宣伝できる施設面でのバリアフリーを強調し、いかにも“障害者に優しい企業である”ことを印象づけられる方面を充実させるに違いない。しかも、顧客は、ちょっとした失敗を決して許さない。人を思いやったり相手の事情を考えるどころか、積極的に攻撃してくるのだから、その点のリスクも少ない人を選ぼうとするだろう。
企業間競争・国際競争に勝つために、素晴らしい才能溢れる個性の持ち主が勝ち組として優遇され大金持ちになっていくのだろうけれど、その一方で、才能のないたくさんの負け組の人々が安い労働力の供給源として温存される。“世界にたった一つだけの花”ともてはやされて王様扱いで育った人々の行く末は“ホリエモンかホームレスか”のどちらか。
社会状況は、昔とは全く違うのだ。だから、「発達障害の人は昔からいたし、何となく何とかなってきたから、これからも大丈夫」なんて呑気なことを言っていられる時代ではないのだ。
09/25 17:09 ブログって、けっこう便利。テレビ番組の感想なんか、考え方・感じ方の違いが良くわかる。これでは、テレビを観て私が語ることに共感する人がいないわけだと悟る。
掲示板は、レスをつけたりつけられたりすることを意識して(つまり、人を意識して)書くけれど、掲示板と同じに使っていないブログは基本的に日記で、自分のために自分の書きたいことを書くものなので、ストレートでいい。それに、RSSリーダーを使うと、新規投稿の中から面白そうなのを拾えるので、広い範囲から選べるのもいい。
09/21 14:53 『電車男』もいいけれど、世の中には本当に情けない人とか間違って育っちゃった人とかいるってことを学習する為にも、こういう人は嫌われると学習する為にも、F2スマイルとかココリコミラクルタイプとかも見ておくといいかもしれない。「世の中にはこんなのがいるから、騙されないように・引っ掛からないように、気をつけろ!」って。
そこまでやらないと、本当の意味でのソーシャルスキルにならない。
09/21 14:20 ひとりひとりが“違っている”ことは事実なのに、“違い”を認めるように訴えると必ず“差別”の問題が起きる。ひとりひとりを大事にすることはもが皆王様にでもなれるかのように甘やかすこととは違うのに、子どもと対決できない大人がいる。その一方で、社会で成功できるように何でもかんでも習わせて詰め込もうとする親もいる。世の中は力の強いものが勝つのだと教えてはばからない人もいれば、世の中の現実を見せずに理想を説こうとする人もいる。
バランスは個人の中でこそ必要なのに、なかなかうまくいかない。ニンゲンはだいたい中庸ではないので、そういう多様な人たちの中で翻弄されずに生きていける力をつけることが、一番なのかもしれない。
09/20 15:22 かつての社会は(“かつて”がいつまでを指すのかは不明)、子ども時代に多少問題があったり途中でグレたりしても、「時期が来れば立ち直る」「その気になれば何とかなる」社会だった。と言うか、そうせざるを得なかった。しかし今は、そうではない。
ニートの問題も発達障害の問題も、ひとりひとりの個に合わせ、幼児期〜青年期の間にそれぞれの発達段階に応じてやるべきことをやらずにいた、つまり次世代をきちんと育てていなかったところに根っこがあるのだと思う。自分がその犠牲になったので、次の世代はそうなって欲しくない。これはもう、執念。

断っておくが、どうも障害と名の付くものの関係者は、そのことばかり考える傾向があるようだけれど、私は元々は教育問題と社会問題のヲタクである。確かに、気づき〜二次障害を克服する過程ではそのことばっかり考えていたけれど、元気になったら枠からはみ出すに決まっている!(ここは発達障害に関することだけを書く場なのでそれだけを書いているが、狭くて息苦しいところに押し込められるのは嫌いなので、あしからず。)
09/15 15:32 LD・ASDの一次的な障害で働けない人、LD・ASDの一次的な障害への未治療が原因で働けない人LD・ASDの二次障害のために社会への出口を見失ってしまった人…。実際にはこういう人たちもNEETの数に混ぜられてしまっているのだろうけれど、厳密には入れて欲しくない。いや、入れるべきではない。
働きたくても職能や社会能に満たないためにはじかれてしまっているLD・ASDの人は、単なる働く能力はあるけれど働く気力が萎えてしまった人でも、社会的な判断力がありすぎるがためにうまくやっていく自信を失ってしまった人でも、他者からの評価を受けることなく“ONLY ONE”としての自らの能力を過信して社会に対してダメ出しをし続けている人、要するに、自分が社会の中に生きているという感覚を成長過程で体の中にすり込まれ損ねて大きくなってしまった人とは違うからだ。

でも、働かない大人や子どもを持たない大人がたくさんいる社会って、子どもを育てられない社会ってことじゃん!
もしかして、日本って、精神的には世界で一番貧しい国なんじゃない!?
09/10 14:14 日本では、入れる学校に入って、入れてくれる会社に入れてもらい、入社時の条件内で仕事をするか人事課が決めた部署で仕事をする。このような就業体系が崩れている企業や職種も一部あるが、一般的には企業の「採用に関する考え方は、驚くほど変わっていない」そうだ。
採用されるために特技を磨き、何かの資格を取ったりすれば万全かというと、そうでもない。
例えば、楽天の仕事市場コラムに、英語を活かせる仕事につきたいが、どうすれば……という質問が載っている。
回答は次の通り。「語学を活かしたい」は職業ではありません。
語学が出来る(といっても単に英語が使えるだけなのでしょうが)ことは有力な能力ですが、これだけでは「仕事の能力がある」ということにはならないことにまず気づいて下さい。何らかの仕事を覚えて、そこで語学を使う時にはじめて語学の能力が役に立つということです。「語学を活かしたい」は職業ではありません。

自分なりの特技であっても、世の中の方から「欲しい」と言ってもらえなければ仕事にはならない。(長男の大好きな会社で、長男が勉強している方面で募集広告を載せていたけれど…。競争率もかなり高そうだ。)
09/09 16:08 学校と社会の間が隔絶している以上に、精神科と社会との間は断絶している。
学校の中や治療室の中で誤った希望を抱いてしまうと、社会に出た時に絶望してしまう。
自力でその間を繋げる力の無い人は、繋げてくれる人がいなかったらそのままになってしまう。
従事しているのは、先生と呼ばれている人たちなのに、ハッキリ言ってかなり無責任だ。
(社会的地位が与えられているが故に、自らの無責任さに気づかない。)
09/09 08:07 「こだわり」とか「偏り」とか「固執」とか呼ばれているものを、現時点で私は三つに使い分けている。
  1. 不快感を消去し心を健全に保つためのリセットに必要な、感覚的なこだわり。(音を聞く・何かを見る・触る…)
  2. 掲示板や集会(イベント)などで共通の話題を持てる、オタク系のこだわり。基本的には個人の楽しみだが、ある程度世の中と繋がっていて、気晴らしや生き甲斐にもなる。
  3. 職能に結びつく可能性がわずかでもあったらラッキーな、能力的な偏り。それしかできないから、固執するしかない。
09/08 10:21 毎日目に入ってくる光景が、死にたい動機にしかならないような生活をしていたのでは、いくら時間がたっぷりあっても何もできずに一日過ごしてしまう。けれど、毎日、何でもいいから何か楽しみにすることがあるとか、必ずしも良い反応は返ってこなくても自分なりに楽しく取り組んめることがあることを、“生き甲斐”と言うのだろうと思った。(例えば、毎日、特定チームの野球やサッカーの試合を楽しみにするというようなことでもいい。)
ASDの人が、実際にいる誰かをその対象にしてしまったら、ほとんどストーカー状態になってしまうだろうし、掲示板でそれを要求したとしたら、書き込み制限をくらってしまうだろう。あくまで、対象を人に向けずに、人に迷惑がかからないようにしなければいけない。
いろいろやってみたが、音や万華鏡なんかだと確かに楽しくてウキウキするけれど、あっちの世界にぶっとんでしまうので、それだけに没頭して何もできなくなってしまう。こういうのは、イヤなことや不快感を消去する時に使うものだ。私の場合、適当にやる気と元気を起こさせるには、HTMLタグを貼ったりレイアウトをいじったりするのが一番いいことが分かった。
09/07 14:58 ASDであるが故の悩みや相談があるとか、身近にASDの人がいないとか、ASDのことを語れないというのなら、ASDという理由で集まるのもいい。
が、ASDだから気が合うだろうと安易に考えるのは絶対にやめて欲しい。まずは人を見て、個別に判断願いたい。
09/07 09:43 この業界って、当事者本人が喜ぶことで成り立っているのではなくて、当事者の周囲にいるNTの悲喜こもごもを取り扱って成り立っているんじゃないの?
「本人の立場で」と言うけれど、本当に本人の立場で言いたいことを言ったって、そんな超個別的な超少数意見が通るはずもない。結局、周囲にいる「本人の立場で支援したい」と思っているNTの多くの立場で、これが本人の言い分だと担ぎ上げたい発言だけが繰り返し取り上げられる。
でも、それはまだマシな方で、一番多いのは、教えたがっている人・指導したがっている人なんだろうな。
09/07 09:02 ASDだってことは、それで分かり合える部分が多いかもしれないけれど、だからといってそれで集まれるかというとそうでもない。
ASDはあくまでも自分の地盤で、自分探しの過程で出てくること。共感されたところで特にうれしくはない。どちらかと言えば、それそれものをいじられたくない。基本的に、何かについて言いたいことをそれぞれ別々に言って、必要だと思えば取り入れるし、必要なければ無視する。あくまでも、何かを通じての繋がりがいい。直接は、ご免だ。
ということは、孤立していて直接関わられると鬱になる構図は、どこにいても同じって事だ。
09/07 08:54 家の中で孤立していること自体は、何でもない。むしろ、快適なくらいだ。問題は、全く無関係ではいられないので、接触するたびに怒れることばかり起こることの方だ。それから、「全く分かってない!」「話が全く通じない!」「ちょっとしたことを軽い気持ちで言ったのに、いちいちつっかかって不快!」ということだ。これが、鬱の原因。それで、ちょっとした買い物一つ一つにしたって、いろいろ講釈したいことがあるのにしゃべれないので、むしゃくしゃしている始末。張り合いがないので、お昼寝の誘惑に負けてしまう。
ここしばらくは地球博の情報収集やら準備やらで張り切っていたけれど、もう行かないし、九月に入ったら駆け込み来場者が殺到して私の知っている情報はほとんど役に立たない。私の利用していた口コミ掲示板は、2ちゃくねる化して荒れまくっているので、落ち着いて読んでいられない。
これは、精神衛生上良くない! 第一、毎日時間を無駄に過ごしてしまう。それで考えたのが、↓。ASDを離れたところで、居場所を見つけること。まあ、「オタク同士で言いたいことを言ってましょう」ってことだ。
09/06 15:14 人の少ないところでは、商売はできない!
ASDを活かす道を考えているのなら、元々人口の少ない業界内でどうこうしようと考えるより、一般人のいる開かれた場所に身を置いているべきだ。ただし、できればNTとの“違い”を自覚した上で、NTのルールに従いながら…。
狭い場所にいると、手柄争いや利権争いに巻き込まれるぞ!  そういうのは、まっぴらご免♪
09/06 07:30 既に、人口減少社会に突入!
これからは確実に、何をするにも{金がない・人がいない・継承されない}事態になる。このことを計算に入れないと、福祉も支援も成り立たない。それ以前に、産科・小児科の病院・医者が減り始めているそうだ。人に頼っている場合じゃないかも。
09/05 14:13 今日、台風本体はまだ来ていない。が、台風の切れ端の雨雲や秋雨前線の影響で雨が降っている。私の常識では、「これくらいの雨なら小学生は着替えとタオルを持って歩いて行くのが当たり前」で「教室に濡れた服を干す光景また一興」なのだが、最近の若い母親はすぐに車で送迎する。学校側も、一昔前までは「なるべく車での送迎はしない」ように指示をしていたが、今では逆に奨励していたりする。(と言うか、現状に合わせた。)
子どもが雨で多少濡れることは仕方ないが、いや、子どもは雨が降ると喜んで逆に濡れることを楽しんだりもするものだが、他の父兄が車に子どもを乗せて集団登校の子どもたちが歩いている横をバンバン通るようでは可哀想だ。こんなことを心配しなければならなくなっている。何だか、わけがわからない。
09/05 14:00 そういえば、『積み木崩し』の中で、「娘の目が怖い」という父親のセリフがあった。「親になることから逃げているのではないか」「一度も(父)親だったことはなかったのではないか」とも問いつめられていた。
これと全く同じ問答を、私も実際にしたことがある。子どもが家庭内暴力をしている事情は『積み木崩し』とはちょっと違って、諸事情から躾ができずに「この親は強く言ったり暴力をふるったりすれば自分の言い分が通る」ことを学習してしまったからだが、親の方が自分の考えを持っておらず、子どもをどのように育てたいというビジョンもなく、世間体だけを気にしてその場その場で子どもを叱ることを続けてきていたことも明白だった。その人には、『こんなとき10代にどう言えばいいの!?』 という本を渡して、「この中から探していいから、自分の考えを持つように」と言った。
受容することは何でもかんでも子どもの言いなりになることではないし、困難を理解できたからといってすべてが解決するわけではない。それは、人との関係障害を悪化させて孤立・人間不信・引きこもりなどを防ぐためのスタートラインにすぎない。「子どもに発達障害があると知った時点で問題の半分は解決する」と私が言ったのも、そういう意味だった。発達障害の子どもがいる家族は、スタートラインに立った時点で、「その後どうするのか?」「社会的支援を求める方向に動くのか?/自立できる方向にできるだけ向うのか?/両者のバランスと塩梅をどう加減するか?」と問われ続けることになる。
世の中全体が、まるで“アラブの王子様”でも育てているかのようになってしまった今、社会性のなさがさほど問題にならないことが救いになる反面で、社会性が元から欠如していることが放置されたり、ユニークさを賞賛されたことが落とし穴になる可能性も大きくなってきている。
09/04 12:43 ASDの違いを単なる文化の違いと言い笑って育てても大丈夫なのは、ごく一部のギフテッドの人に過ぎない。
社会に生きるためのスキルを何一つ持たないのに「発想が素晴らしい」ともてはやし、親の気を楽にするために浮ついた本を出す出版社は、その子が生きる術を持たない大人に成った時に責任を取ってくれるのか!?
09/04 10:27 『積み木くずし・真相(後編)』
ビデオに撮って、今観ている。どんな内容だったかブログで読んでしまったので、「私は大丈夫だから」と笑って言いながら心の中で何を考えていたのか分かって観ることになってしまった。前編は、単純に浅はかな親と可哀想な子どもの話だと思えたのだが…。実は、みんな良い人過ぎたが故に起きた悲劇だったのかも。
それにしても、全く救いのない話しではなかった分悲惨さがいっそう際だつドラマをやっているというのに、CM入りの時に「引き続きお楽しみ下さい」というテロップを入れるテレビ局の神経ってなに?(よそのブログにもあった意見だけれど、最初にいじめてたヤツらと梨本勝と面白おかしくはやし立てていたテレビ関係者とマスコミに
か・め・は・め・波〜!(s`o)=<☆*+:*+:*+:*+::*+:*+:*+:*+:*+:*+=○)
09/03 11:05 子どもの方は、何とかして気づいて欲しいと思っているのに、親の方は全然気づかない。分かったかなと思ったのに、親が全く何も分かっていなかったことが分かった時が、一番ショックかも。もう、絶対何も言えないって思う。
そもそも、一緒に住んでいる人が目の前で起こしている事件にまったく気づかないし、ましてやその理由なんて考えたことのない人って、ハッキリ言ってやったって全く理解しないのかもしれない。それ以前に、聞こうともしないし。
09/03 00:14 『積み木くずし・真相(前編)』を見た。

本当のことは誰にも言ってはいけないと抑え込んでいる時、実はいろんな症状となって表われているのに自分では気づかない。抑え込むのが当たり前になっているので、不自然だとも思っていない。で、自分では気づかない内に限界が来て、精神的にも身体的にも壊れてしまう。
そして、壊れて始めて、「本当のことを言ってもいいんだ」「我慢しなくていいんだ」と分かり、「話していい」と言われて、いい気になって話してしまう。しかし、それで解決する・この状況が打開できると期待して言ってみたものの、誰も何も変わりはしない。当てがはずれた分だけ、逆に苦しくなる。それに元々、言うとまずいことになると経験的に分かっていたから言わなかったことなのだから、話すとやっぱりまずいことが起こったりもする。やっぱり、何も分かっていなかったんだと思い知らされることにもなる。最初に抑え込んで壊れた時に、本当に壊れてしまった方がずっと楽だったと思う。
最初に壊れた時に誰かに話して状況が良くなる人、本当のことを言った方が歓迎されて仲間が増えていく人は、始めから「聞かせて欲しい」「教えて欲しい」「そこから学びたい」と思う聴衆がたくさんいた人だった。ってことに、今頃気づいても遅い。
09/02 14:12 「知識や情報を交換したり義務として伝達すること」と、「人と会話すること」とは、根本的に違う。私は、前者はできるが後者ができない。
表面上やっている会話は、知識やスキルとしてやっているにすぎない。義務的に居合わせた人とたまに会話が長く続くと、その時はうれしい。が、後になってものすごく落ち込む。
義務ではなく、誰かと親しくなろうと思って会話を始めてみたことは何度かある。けれど、ものすごく無理をして心にもないことを言い続け結局は疲れてしまうか、突然シャッターを降ろしてしまうかのどちらかになることが多い。最近では、基本的に自分が人と親しくなりたいと思っていないことを悟って、努力するのもやめた。ものすごく気が楽だが、(人との義務的なかかわりは逃げていないし、表面上ちゃんとやっていながら)こんなに孤立してしまっていいのだろうか?と思う。
09/01 22:38 才能に溢れていて世の中のしがらみに生きなくていい人は、何でも笑い話になるし本人自身もそれでいいと思っているかも知れない。しかし、ほとんどの人は、才能もなく世のしがらみにがんじがらめに縛られている。
ここ数ヶ月間、万博の掲示板を毎日のぞいていて、ものすごく親切で純粋に世話好きな人もいれば、ものすごく意地悪で攻撃的な人もいるし、自分では何も調べずに人頼みにする人やマナーを守らない人に対する反応も実に様々なことを知った。今テレビでやっている『電車男』にも、パソコンの前で見守っている人が色々出てくる(もっとも、本当の2ちゃんねるには、とても放送できない書き込みでめちゃくちゃだろうと思う)が、一般には、こういうのを“十人十色”と言うのだなぁと思った。
どんな人であろうと、ニンゲンに生まれて戸籍を持ったからには、こういう人たちから逃れることはできないと悟ったら、そこにいなくていい幸せを感じた。と同時に、隔離された特別な場所の中で天狗になっていると結局は何もできないことも痛感している。
09/01 08:12 今年の夏、夏負けした長男は、湯上がりに足に水をかける冷温水浴で乗り切った。自律神経の問題らしい。
私は、来年から大人料金になって遠出ができなくなる次男を連れて万博と冒険王に行くために体力をつけたのと、ダイエットのために水を常温で飲みナットウキナーゼを服用したせいか、夏バテしなかった。血液がサラサラになって血行と新陳代謝が良くなったかららしい。が、その疲れがどっと出て、夏休み終わりの3日間風邪を引いてしまい、起きているのが辛かった。もしかしたら、今年は寒暖の差が大きいので、季節の変わり目の体調不良が早めに来たのかもしれない。
09/01 08:01 “A MIND APART”が邦訳されて、『虹の架け橋』になった。
“違い”を訴えれば訴えるほど、一生懸命橋を架けようとするらしい。┐(-。ー;)┌
09/01 07:56 「実際に会う人・実際には会っていない人の大半が(ASであってもなくても)“なっていない人”“ろくでもない人”“いずれ天罰が下されるべき人”に分類されることになる」というのは、まず、ニンゲンの99%は感じていること・考えていることが違うだけでなく、予め連絡もしなければきちんとした構造も示さないからだ。
上記の“違い”が原因でパニックを起こすというのならば、周りの人が困るのでそれなりの対処をしようとする、と言うかせざるを得なくなる。鬱になる場合、日本ではまず気づかれない。しかし、表出される反応がパニック・癇癪・鬱・引きこもりのどれであっても、人とうまくやろう・人と共感したいと思った相手にとっては想定外であり、ASは小うるさい迷惑な人ということになる。
08/31 21:59 人生の九割方は、雑用。だが、ASでない人は、人と会ったり話したりすることで楽しむことができるし人を生き甲斐にすることもできるから、どんなに雑用が多い人生でも希望が持てるのだろう。
しかし、確信犯的ASにとっては、実際に会う人・実際には会っていない人の大半が(ASであってもなくても)“なっていない人”“ろくでもない人”“いずれ天罰が下されるべき人”に分類されることになるので、雑用でない残り一割だけを楽しみとし、その範囲で出会う人としか親しくなれない。いわば絶望的な闇に取り囲まれているので、一筋の光明だけを見るようにしないと、生きたいと思えなくなる。
08/28 17:05 子どもたちの成長を見ていると、自分がどこでしくじったのかがよく分かる。それで、このところネットどころではない。といっても、長男の進学先選びで忙しいのではない。体験入学や説明会は確かに時間的に拘束されるが、精神的に縛られているのはむしろ次男の方だ。
やっているのは、ズバリ夏休みの工作。発想は素晴らしいのに、それが単なる思いつきにしかならない。「先の見通しを立てる・段取りをする・科学的に考えるといったことを全くせずに自分なりに工夫する」ことは、考えようによってはすごい才能かも知れない。人にできないことをなす人は、きっとこういう人だ。だが、「それを試しにやってみて、失敗したらその理由を考え、成功するにはどうすればいいか考えたり、当初の計画を変更するといったことを繰り返すことができるならば」という条件付でだ。
発達障害者の多くがうまくいかないのは、注意・認知・運動の困難といった障害そのものの問題と言うよりも、自分自身の実像や特性を見極められないために、“自分のしたいこと”や“自分がこれからしようとしていること”と“実際に自分にできること”と掛け離れているところにあると私は考えている。自分が実際にできることの見積もりができずに物事を始めてしまい、うまくいかなかった時にそのギャップを少なくするように目標を下げたり、うまくやるための方策を立てて地道に努力することが自力ではできないこと、つまり現実検討力と遂行能力のなさが問題なのだと思う。そうなった時に起きることは、パニックだったり暴力だったり引きこもりだったり現実逃避だったり鬱だったりといろいろだろうけれど、それは表出方法の違いに過ぎない。

現実検討力と遂行能力のない子どもが素晴らしい発想をしたり人と違う能力の片鱗を見せたりした時に、その発想と才能を具現化させる方法を1つも提示することなくベタボメするしか能のない大人というのは、子どもを慢心させるだけで、結局は子どもを飼い殺ししているのだ!(しかしながら、自分の子どもをそうやって飼い殺しして、いい年になっても未だ社会的半人前にしか育っていないというのに、孫に対しても全く同じ態度を取ろうとしているジージ・バーバの現実検討力のなさには本当に呆れてしまう。)
子どもたちが自分と全く同じ困難を見せた時には、正に自分がどこでしくじったのかがよく分かる瞬間。なので、見逃すわけにはいかない。そんなことのために、数日の時間を費やすなんてバカげていると思われるかもしれない。また、どのように教育しようとも、何をしてもどうにもならないもので、最終的には親と同じようになるしかないかもしれない。結果的にどうなろうとも、不可抗力であったにしても、できるだけのことはやる! そういう主義。それで今日は、専門学校の説明会を欠席して、目を離すと勝手なことをやってせっかくの思いつきを台無しにしてしまう次男につきっきりだった。いったい何をする予定の日だったかも、忘れてしまった。
08/27 11:05 昨日、他の専門学校の体験入学会に行った。私的には前の学校の方が合っているけれど、本人的にはレベルも雰囲気も昨日の学校でいいとのこと。とはいえ、費用は前に行った学校の方がかなり安い。今の、専門学校高校課程と比べると倍になる。学費保険を全額投入して、かろうじてセーフ。だが、定期代・昼食代・私服費を含めると完全にオーバー。それ+、自動車学校の経費!
学費・入学時に購入するものなどのことだけではなく、めざす資格・就労先についても聞いてきた。その中で大きな収穫は、現在では(1999年以降)、専門士の資格が取れる学校なら短大卒業とほぼ同等とみなされるので、技能連携制度で2校分の学費を払い2校分の勉強をして短大卒業資格を取る必要はないということ。そもそも、そんな資金があるはずもないので、必要があっても絶対に無理。
これからかかるお金と、本人が今からやっていくことの目安の両方のメドが立ったのは良いけれど、どちらもいつまで続くか分からない。あと一年あるので、まだ気が楽だけれど…。
(体験入学に同行して、Excelのいろんな機能やバーをトリプルクリックすると最大化することなどをタダで教えてもらってホクホクしているのは、私である。なにしろ、パソコンに関しては、分からないことを教えてもらいながら自分で勝手にいじっているので、正式なやり方を全く知らない。長男に投入する資金で、今からMSOを取って自分が就労したいくらいだ!)
08/23 20:43 ↓の続き。
まだ2年生だけれど、{できるもの〜できそうなもの〜取れるもの}を可能な限り渡り歩いて、職能として通用する範囲をできるだけ広げるためには、今から準備が必要。こちらの道は、本人の能力を最大限に活かすことが最優先。
一方、本人の最大関心事は、今後の生き甲斐・趣味・交友関係の元として大切にとっておく。
この二つの線が一致すれば万々歳!なのだろうけれど、ほとんどの人にとって叶わぬ夢。それは、どんな人にも言えることで、発達障害があろうがなかろうが関係ない。ただ、発達障害がある以上、どんなささいなものであっても、職能に通じる能力は最大限まで開発する努力を惜しむわけにはいかない。(それでもまだ、半人前に追いつかないかもしれないけれど…。)
08/23 14:20 まだ高校2年生だけれど、進学可能な専門学校の説明会に行ってきた。「あれができたら・これができたら、だいたい就職先はある」とは分かっていても、実際に本人がやってみないことには何も決められない。
2年生で行っている人はいないし、本人は状況が分かっていないし年の割に素直過ぎるので、“へんな親子だ”と在学生に言われてしまった。(出されたランチに「食べられないものがあるから、食べて」と親に頼む高校生、バイキングのスイーツを「2人分取ってきて」と男子高校生に頼む親、その通り取ってくる男子高校生、なんてのはまずいない♪)
といっても、昨日行ったところは、内容的には良くても、難なく大学に行けるレベルの生徒が行く学校で、ついていけなくなる危険性大。本当に、様子を見に行ったのだった。しかし、壁に貼ってあった求人票を見たら、条件の中に「普通免許取得」の多いこと!(交通の便のない地域なので…。)筋力なし・協応運動障害あり・注意の障害あり・状況判断力なしの長男にとって、これが最大の難関かもしれない。危なくて運転させられないし、取れるかどうかもわからないけれど、とりあえず自動車学校に行かせる必要がありそうだ。(これは、ほとんど専門学校の進学と同時進行で考えなければならない。)
実際の仕事内容はともかく、その次に心配なのは、上司・先輩命令で飲み会につき合わされる可能性。最近の新入社員は誘われても断る人が多いとは聞くが、それはたぶん大都市の話しだろうと思うから。(そっちはいいから、今のオタク仲間との付き合いをずっと続けていてほしい!←今は、実際に会えなくなってもメル友でいられるので、かなり便利。)
08/21 21:05 世の中が理解しようと思っていないASDの情報が、本当に人の役に立っているかどうかは分からない。また、自分のした仕事の結果もすぐには還ってこないし、現実は相変わらず鬱病になるしかない状況。
しかし地球博の情報は、実際に使う使わないにかかわらず、誰かが見てくれるだけで何かの役に立っている実感がある。といっても、ごく一部の人だけが盛り上がり、朝の整理券争いだけがますます加熱していくだけだけれど…。しかしそれも、あと1ヶ月で終わってしまう。やっと見つけた生き甲斐が、またなくなる。
08/20 09:47 万博情報で人の役に立とうと思ったら、愛知県に住んで・全期間入場券を持って・週に一度は自分が観覧に行き・何か聞かれたら確かめに会場に飛んでいけるような人でなければ無理。
ASDで人の役に立とうと思ったら、資格を持ったNTかNLDに生まれなければ無理。
どの本にも、ASの人は“自分の方が違っているのに、周りの人が自分と同じように感じたり考えたりしていないことをおかしいことだ!と思っていて、周りの人の方が考えを変えるべきだと思っている!”と書いてある。正にその通り! だから、決して人の役には立てない。その考えを変えるつもりもない。永遠に孤立あるのみ。自分の世界に生きる以外には、この世のどこにも自分が生きていて良い場所など見つかるはずがない。「ここでなら」と思って始めてみるが、結局疎外されて絶望する。自分の世界に戻るいかなくなる。その繰り返し。
08/20 09:37 ハガキの宛名書き。といっても、万博の日立館記念写真をインクジェット官製ハガキに貼り付けて、ジージ・バーバに出すだけだが…。長男(高二)も次男(小六)も、空間認知に問題があるため正しい位置に住所・名前を書けない。
これが、ジミー大西のような絵と色の才能と結びついていれば、人にできない特殊能力になるのだろうけれど…。まだ分からないが、世の中そんなにうまい話ばかり転がっているわけがない!
08/06 16:20 あやうく火事!
になるところだった。事の発端は、魚焼きグリルの火を私が消し忘れたのだけれど…。2Fにいる私にそれを告げるのに、長男はゆっくりへらへらと上がってきて、「魚焼くところの火がついてる」「消した」と普通に言ったので、全く重大性を感じなかった。用が済んだので下に降りたら、確かにガスの火は止めてあったが魚焼きグリルの中では、グリルの下敷き石に火がついてバンバン燃えている真っ最中だった。おいおい、そこまで消してから2Fに言いに来るか、とりあえず家が燃える危険を感じて慌て呼ぶかなにかしろ!
とはいえ、たまたま台所に長男がいたから良かったものの、もしかしたら今頃はこんなことをしているどころではなかったかも(||||゚ _ ゚ ;)
08/04 10:20 ASDの人には、{下調べ・用意周到な計画・事前告知・当日までのスケジュールと当日の計画表}が必要だというのは、私にとってはごく普通のことだ。と言うか、日常的にやっているし、これをしないと落ち着かない。(例えば、今日のプール当番のために、WebとOutlook両方のカレンダーに書き込み、三日前からリマインダーを送るように設定し、今日は朝から午後の当番のために組んだ計画に沿って行動している。当然ながら、何かの企画が立っている時はそのスケジュールだけで頭がいっぱいになるので、他のことはできなくなる。今日が終われば、明日・明後日の子ども同士が約束した夏休みのお楽しみに遅刻させないための時間割、子ども会の行事に遅刻しないで行くための時間割り、子どもの当番に遅刻させないための時間割、地球博本番のスケジュールと控えているので、他のことに手がつけられない。)
これは、ASDに関して何か言う時にはたいへん重宝する。私にとっては自然なことだ。しかし、ASDにはこういうことが必要なのに他の人たちには不足しているということは、ASDの本を読んで初めて知った。と言うか、これは周囲の非ASDの人たちにとってはたいへん迷惑なことらしい。それで最近、次男にうるさがられる。次男にとっては、その気になった時・直前に連絡する、何をするか決めずにとりあえず時間だけ合わせて友だちと集まる、その場で行き当たりばったりに行動することが、自然で普通だそうだ。
08/03 08:36 国内で書かれた本には、周囲の人が問題行動に悩まされているような場合のみがASDと診断しうる状態であるかのように書かれていることが多い。しかし、英米の本には、現時点では周囲の人が困ることはないけれど本人的には大問題を抱えていて、将来的に困ることになる可能性がある状態を含めてASDが記述されている。中には、国内の専門家と称している人が診ても、“神経質なだけの普通の人”としか言われないのではないかと思えるケースも多い。どうしてそうなのか?−答えは明白。よく分かっていないからでしょう。
実際、NTの人は、ASDの人に無造作に言葉を投げかける。が、
  1. 「世の中のほとんどの人はだいたいこういう感じ方・考え方をして、こういう気持ちや欲望・野望を持っているものだ。
  2. 人に何かを聞くといろんな答えが返ってくるものだけれど、その答えからはその人の真意や感情が推測されるので、人は言葉ではなく気持ちの方をくみ取ろうとするもの。
  3. 人が人に何かを聞く時には、人の行動や印象からその人が抱いている気持ちや性格を推測して何かを期待して聞くし、答えから本当はどう思っているのか聞き出そうとするのが自然。
なんてことを無意識のうちにしているなどと考えたこともないので、そういうことを説明もしなければ前置きもない。それで、こちらがものすごく真剣に答えたことに対して、「そんなことを聞いたのではない」とか「うるさい」という答えが返ってくる。こちらからすれば、ほとんど詐欺に近い。
08/02 16:30 長男と↓の実習をやっているのは、最低限の銭金生活(簡単な自炊/マクドナルドでバイト)ができるようにするため。

一方、まだ専門学校高等過程の二年生だけれど、今やっていることの続きのできる専門学校が2校あるので、今夏休み後半にはそれぞれの体験入学と学校説明会の申し込みをした。
長男の性格などを考えると、営利を考えなくてよく、サービスがあまり良くなくても「まあ、こんなものか」と思ってもらえる公務員に向いていると思うのだが、公務員試験に合格できる学力がない。しかし、体力と筋力はそれ以上にないので、肉体労働の求人が多い高卒就労では、就労できたとしてもその先が不安。ということで、取れる資格と技能は全部取り、学校という天国にいられる時間をできるだけ引き延ばしながら確実に就労までの面倒を見てもらえるところを選ぼうと思っている。目標は、“パソコンが普通程度にできる一般事務員(できればバスか鉄道会社の)”になる”ことかな?(就労できさえすれば、後は“バスのペーパークラフト男”にでも何にでもなれるから〜♪)
07/30 21:47 毎日の実習(長男):野菜を切る・野菜を炒める・肉を炒める←ある時は、必ずやる。
今日は、枝豆をゆでるのに、自分に丁度良い大きさの片手鍋を見つけて工夫。(何のためのどこで塩を入れるのか分かっていなくてやたらと入れようとしたけれど、段取りを除けばだいたい一人でできそう。)
最初にやった時には、パックのまま取り出そうとして全部流しに落としてしまった豆腐だけれど、今日は上手に取り出して切る。
07/26 21:10 7/23(土)、リベンジ万博その1無事成功! といっても、一度学校の遠足で行っている長男は留守番で、次男と2人で行く。勝因は、{朝一企業Aゾーンの1つに待ち時間なしで直並び→会場を行ったり来たりしないで済むように考慮した事前予約をフル活用(マンモスブルーとNEDO)}のコースの間に、時間調整の外国館を組み込んだこと。
いやぁ〜、とにかくワンダーサーカス電力館が最高に良かった。まだ行っていないけれど、大地の塔の万華鏡よりも良いかも。ただ、電車型ライドだから直進するものと思っていたのに一台一台バラバラに回転したり後ろ向きになったりしたので、ちょっとびっくり。マンモスの牙のキーホルダーが目当ての次男も、北ゲートの公式ショップ・ロシア館共にお目当ての物は在庫切れを確認し、事前に通販で確保しておいた物をゲットできることになり、納得。どこに行っても石ばっかり物色して、結局ありふれたヘマタイトを手に入れて満足。くじゃく石を加工したカエルの置物を(値切って)買ってあげたら、大喜び。砂漠の薔薇は、何だか分からなくて興味がわかないようだし管理が悪いと埃まみれになりそうなので、とりあえず私が保管。(なんだ、結局買い物に行ったのかぁ?)
私の方は、お目当てのエジプト館の展示物を写真に収めることに成功。NEDOパビリオン前では、ロボット三種に遭遇。癒し系アザラシロボット、あいちゃんは触り心地が気持ちよかったぁ!♪−次男がNEDOのロボット(みらい君)が見たいと言っていたから予約したというのに、当の本人は実用ロボットは無視。東ゲートでは、アクロイド嬢に質問−これも、次男はやりたがらない。なぜ?
ついでに、いよいよ日立(予約済み)に行く最終リベンジに向けて、一部別行動になる長男との待ち合わせ場所をしっかり写真に撮って来た。現在、みんなそれぞれ見たいものが見られて、できるだけ近くを回って合流するための計画を再構成中。
07/26 20:18 今日の実習(長男):野菜を切ってサラダを作る。
             玉ねぎを切り、鶏肉炒めを作る。
※やはり、自分で作るとよく食べる。(少しは太れるか?)
07/25 21:31 今日の実習(長男):枝豆をゆでる。
      ↑
といっても、うれしくて自分一人でほとんど食べてしまう。手伝いというより、自炊?♪
07/22 21:58 今日の実習(長男):小玉スイカを切る。
             クリームスープの野菜切り&火の番
             ※自分好みの大きさに野菜を切ってご満悦
07/21 21:28 今日の実習(2人):焼きそば作り
生きていくということは、ほぼ毎日が雑用の連続。自分の才能と好みを活かせた仕事ができる人はほんのわずかで、もしそうできたとしても、“人のためにどれだけのことができるか”にかかっている。浮世離れした御曹司にでも生まれない限り、この現実から逃れることはできない。ニートにさせないためには、小さい内からこれらのことを視野に入れておく必要がある。(もし途中から急にこんなことを言い出したら、逆ギレされて危険。)
07/20 21:18 今日の実習(長男):スライサーできゅうりをスライスする。
07/19 10:38 ただいま、リベンジ万博に向けて準備中。6月に一度、カードで貯めたポイントを商品券に換え、その商品券をカードの系列会社のバスツアーで使って行った時の失敗を繰り返さないように準備している。(この次は、新幹線の回数券を上手に利用して資金を捻出。)
6月の時は、計画を立ててチケットを入手してから日がなく、万博の予約システムには繋がらないものだと諦めていたので予約なし。その代わり、パビリオンの待ち時間を毎日時間別に表につけ移動時間を計算して、念入りに計画を立てていったのだが、思わぬ誤算。
まず、混雑日を避けたつもりが、全国に同じ考えの人が大勢いたらしく入場者16万人の日に行ってしまった。日本館の待ち時間が140分(注:実際の待ち時間は90分/所要時間40分)ということは了解していた次男だったが、本当は日本広場でやっていたぜんじろう先生のイベントに行きたくてブリブリ。土産物屋にお目当てのマンモスの牙のキーホルダーがなくてがっかりしたのは分かるが、時間を計算して動いていることを全く理解していなかったために、まるでホビーショーにでも行っているようなつもりで一つ一つのお土産をじっくり吟味して夢中になり、携帯電話で何度呼び出しても音信不通になってしまった。そこで、1時間以上の無駄。(携帯電話は、迷ったら自分でかければいいと思っていた。)それから、50分待ち(注:実際の待ち時間は35分ほど/所要時間30分)で三菱未来館に入っただけで、他は何も見られなかった。8時間も会場にいたというのに、予定になかった土産物屋に2往復する移動時間と土産物屋でのロス時間とで、他のすべての計画が吹っ飛んだ。まあ、そんなトラブルがあったにもかかわらず、日本館と企業パビリオンを1つ見られたことは成功といえば成功だが…。
更に、次男だけでなく長男も、「待っていて」と言われたらその場所にずっといるか、移動した場合は指定された場所が見える場所にいて見ているかのどちらかということが分っておらず、待ち合わせをする度に私が辺りを見回して2人を探さなければならなくなり、私が完全にキレてしまった。ついでに書くと、朝の西ゲートの混雑ぶりを見て、予定通り西公園駅からリニモで北ゲートに行くことにしたのだが、「リニモに乗るには、一度会場の外に出て横断歩道の方に向う」とさんざん説明しておいて、かつ、一緒に行ったにもかかわらず長男が逆方向に走り出してしまい、先に駅について待っていた私たち2人と悪名高き合流をしなければならなくなってしまったことも、キレた原因の一つ。(NLDの長男が地図を読めないことや、ゲートを通っていないのでフェンスで囲われている施設の中にいようが外を通ろうが関係ないのに「一度会場の外に出て」という言葉に反応して「会場の外に出たら退場になってしまう」と早合点してしまったことに対して怒っているのではない、すぐ来ると思って長男の分まで切符を買ってしまったために合流というルール違反をしてしまったことに対して怒っているのだ。)
それで今、リベンジに向けて「時間に合わせて動くこと」と「万博に行っているのであって、ホビーショウに行くのではない」ことを言い聞かせると共に、予約をきちんと取って行く計画を立てている。(予約を取るにはコツがいるが、肝心なのは諦めずに何日も1時間おきに粘ること。)予約の入っているパビリオンを、できるだけ無駄なく回り、入場者が10万人くらいだった場合・15万人くらいだった場合・20万人を越した場合のそれぞれにどの外国館を加え・どこを切り捨てるかを考え、万が一マンモスの牙のキーホルダーが公式ショップになかった場合を考えてロシア館をコースに入れ、更に、予め通販でマンモスの牙を取り寄せて保険にしている。後は、当日何万人来て、ゲートを何時に通過できるかにかかっている。
事前予約や携帯電話で混雑状況が分かるシステムの導入で便利になったとはいえ、万博は行く準備も当日も、まるで戦争だ。子どもをダシにしないと私は万博に行けないのだが、当の本人たちは“科学より娯楽”で、スターウォーズの方がいいらしい。その映画も、みんな友だちと行くようになったので、私は永久に映画館には行けなくなってしまった。先進技術と文化の香りをかぐために私がムキになっているのは、そのため。
07/13 14:55 鬱になる傾向があるから鬱になっているのではない。鬱にならざるを得ないような屈辱的な状況に置かれているから、鬱になるのだ。ことあるごとに、「こういう大人になってはいけない!」と子どもに教え続けなければならない環境にしかいられなくなっている現実を招いたのは、“この社会に生きられない”という絶望のために自暴自棄になるしかなかったからだ。
そこから這い上がって大学教授になったり何かの資格を取って自立したASDの人たちはたくさんいるのを知っているが、再び学習するための資金と生活費、その間住む家や生活費をどうやって調達できたのか、不思議でならない。
07/12 09:25 例えば、感覚に関する特性(敏感・鈍感)があるとする。それは、ワガママでもなければワケの分らないことでもないし、下らないことでもない。本人にとってはたいへん重要な事実だということを、しっかりと認識する必要がある。
しかしそんなのは、ASDの常識とも言える導入部分にすぎない。問題は、それが、たいへんに強固でへたに触らない方がいいのか、認めた上で少しずつ慣らすことができたり状況を説明することで軽減できたりするものなのか、それとも、常人にはない優れた特殊能力として伸ばした方がいいのかを見極めることだ。それには、知的レベル・コミュニケーション能力のレベルと方法の選択・重症度とその内容などが関わってくる。
特定の個人の手記を読む人は、その手記に書かれたことからASDとしての骨組みだけを抜き出して、目の前にいる全く別のASDの個人の状態を加味した上でその個人のASDを読み取る能力が要求される。その能力が備わった人だけに読者になる資格を与えられているわけではないので、それでどうなるかは保証されていない。私の知るところではない。(出版社も責任を負いはしない。)
07/12 09:12 特定の個人のことが分かったからといって、ASD全体が分るわけではない。(逆に、特定の個人の特殊なことばかりがクローズアップされすぎることによって、まったく違う状態の個人が誤解されたり、ほんのちょっとの微妙な差異が気に触ってしまったり、きめつけを嫌う人からの反発があったりという弊害が生じる。)
特定の個人をカリスマやスターとして扱いたいのならばなおさらに、ASDの人は一人一人違っているので、その人をしっかり見て欲しい!と主張しておきたい。
07/08 14:32 イベントに参加するのは良いことだが、地球博に行く場合は事前に入念な調査をして、視覚・聴覚の刺激が強すぎるパビリオンを避けたり人混みを避けたりする必要がある。(それ以前に、可能なスケジュールを立てるために念入りな研究が必要だが…。)
しかし地球博で採用されている近未来システムは、たいへん居心地がよい。ICチップが埋め込まれた入場券、パソコンやケイタイを利用した情報システム、ロボット、資源循環プラント、環境との融和(冷房なしでも涼しい外壁の工夫など)だの、わくわくしてしまう。それに、子どもの頃から憧れていたけれど絶対に行けないことが確定している国のパビリオンも、実は大好き。
07/08 14:17 世の中は、文化的であること・一流であること・最新であること・価値のあることを必ずしも歓迎しているとはかぎらない。即戦力というのは、下らないことで・理屈に合わないことでも・間違ったことでも、その場で正義としてまかり通っていることに素直に従えるということ。
それで、心身症になったりPTSDになったり鬱病になったりして医者に行く。だが、医者は身体症状や気持ちを改善する薬をくれて病的な状態から回復させてくれるが、それ以上のことをしてくれるわけではない。上記のバカげた環境を改善してくれるわけでもなければ、そこにいるオカシナニンゲンを排除してくれるわけでもない。誰も環境を変えてくれないし自分で変える力もない場合は、自分を護るために貪欲になるしかない。
バカなことを言ってくる・やってくると思ったら、サッとそこからいなくなる。イヤなヤツの気配にさえも触れないように、そこにいかない。…これは、世の中によくいる未診断だが社会適応できているAS成人によくみられる行動パターンだ。そういう人たちは、このようにして自分を傷つけないように生き延びているのだろうと思う。それで生活基盤を失う心配がないのなら、どうやらそれが最善の処世術のようだ。リアンさんのように理解してくれるNTやNLDの強いASの人たちに囲まれていてASらしさを否定される心配のない人なら、積極的にカミングアウトできるが、この島国でそれをやったら自分の首を絞めるだけ。
07/03 17:12 今日の実習:封筒の糊付け・〆・切手貼り・郵便番号と住所の調べ方
07/02 22:11 次男が、学校の宿題で朝食に目玉焼きを作った。ついでといっては何だが、夕食の時に長男に枝豆をゆでるようにさせた。熱さに敏感なので、熱い湯気の立ったお湯のなかに豆を入れたり、味見用の豆を箸でつかんだり、熱い鍋の枝豆をザルにあげたりするのは本人にとって大ごとである。何とか上手にできて、いつもよりたくさん食べた。自分で作ると美味しいらしい。
07/01 20:42 このホームページができた当初は、鬱病のまっただ中だった。それから、ASDとは何か自力で研究し、診断が下り、NTとの違いを知って怖くなったり、治療の途中で精神的に不安定になったり薬の副作用が出たりと、今から思えば随分と異常だった。それはそれなりに、記録として残している。だから日記。(最初は、ドナさんやテンプルさんの手記から読み取るしかなかったから、目を皿のようにして読んだ。しかし今は、手記はなるべく読まないようにしている。一個人の特殊事情と一人一人の微妙な差異が目についてしまって、平静が保てなくなるからだ。今は、精神的に安定することだけを見るようにしている。それはほとんど自分の「こだわり」に関わることで、ASDとは関係のない事柄だったりする。)
しかし、もし今アトウッド先生が取り組んでいるような認知心理学のASDへの応用が、気づき〜治療の過程で最初から導入されていたとしたら、決してこんなホームページは作らなかっただろう。(何しろ、第一線の専門家でさえ誰もそれができなかったのだから、どうしようもない。)だからといって、今まで出来事はすべてこの国の現実なのだから、リセットしないことに意義があると思っている。
07/01 08:16 今の時代は、感情的になればなるほど賞賛される。同情をかうことが、正義らしい。これは、たいへんな時代になった!