戻る


2004.7月の日記

07/31 10:28 社会生活ができるようになるということは、ニンゲン社会のバカバカしい争いに巻き込まれるようになるということだ。こういうことを教えるのも、立派なソーシャルスキル。しかし、最も教えておかなければならないことなのに、私の知っている限りではその必要を感じている人は、世界に2人しかいない。
07/31 10:20 今月の忠告。
本を書けば何かが変わることは事実だが、本を書いて世の中が変わっても現実は変わらない。現実を変えるのは、金と人。本を書けば成功者で生活もできるなんてことには、決してなりません。(実際に成功し生活できるようになったのは、ドナさんだけでしょう。たぶん。)

そして、ニンゲンは、人が自分を取り戻し本来の仕事を進めようとすると、妨害・無視・干渉・意地悪が増える。何かをすると、こういうくだらないことに巻き込まれる。まったく、ヘンな生き物。

(あまりにもバカバカしいので、スライム連れてダンジョンで宝探しすることにした。)
07/28 06:48 食事の仕度をするとなると、一週間前から計画を立てて丸一日段取りを気にしている、掃除をするとなると他のことは一切しない、ゲームを始めるとそのことしか考えていないというのではなく、食事の仕度や掃除やゲームや他の仕事などをほどほどし気晴らしもするといった行動の切り替えがスムーズにできるようになったことは確かだ。そのために、環境を整備したり構造化したから。
しかし、今までは「周りの人は全員が分かっていない」一色で、それに対決する構えをしていれば良かったのに、最近は「学校とインターネット上に、とてもよく分かっている人がちらほらいる」という状況になって、“分かっていない人たち”に囲まれながら“分かっている人”としか繋がりを持っていないことから、“分かっていない”と“分かってくれる”間を行ったり来たりしなければならないので、混乱している。ということのようだ。
07/27 14:48 自閉症の存在が公認されたのはいいが、いったいみんなどういう方向に持っていこうとしているのか分からない。
「自閉症という異文化を認めて尊重する」という動きは、「一人で好きなことをしたいのだから、放っとけばいい」になりやすい。
「自閉症の診断基準」が、なぜか「自閉症は人の感情が分からない障害」と解釈されて、「健常者がいろんなことを教えてあげればできるようになるから、受動型になっておとなしく聞きなさい」と言われていたりもする。
それから、「みんなと一緒だと楽しいに決まっている」とか「誰かに言えばいいのに」とか「みんなで楽しく和気あいあいしているのが当然だ」としか考えられないし、そうでない人を見ているだけで自分がノイローゼになってしまうという旧態然とした地球人が圧倒的多数を占めており、相変わらず公然とその価値観を無理矢理押しつけてくる。

「一人一人が“個”として存在し、無理のない時間だけ空間を共にする」とか「一人でいる時とみんなでいる時を使い分ける」というあり方をすることは、一人一人が自分なりにカスタマイズした携帯電話やパソコンを持って、それぞれのやり方で人との繋がりを維持しようとしている人たちの姿を見ていれば、さほど違和感がない。
しかし、そもそも携帯電話やパソコンを持っていないとか、持っていても、人と繋がっている感覚を常に感じていたいがためにだったり、逆に人を自分のネットワークの中に繋ぎとめる力として利用していたり、単なる井戸端会議の新形態だったりしている人たちには、そんな感じが全くない。

一人一人を“個”として認め干渉しないという都会のインテリ向けの考え方が通用するのは、いつまでも都会のインテリだけで、例えどんな風に通信機器が進歩していっても、使う側の意識はほとんど変わらないのではないかとも思う。
そんな中で、「誰も言ったことのないAS的な生き方」を主張したら、「そんな話は聞いたことがない」とか「キチガイ」とか「いい加減にしろ」としか言われなくて当然だったのかもしれない。
そして、今まで「誰も言わなかった異文化のこと」を言った人は、孤立して当然なのかもしれない。今まで言えなかったことが言えるようになり、言いたいことを心おきなく言える人が現われると思ったワタシがバカだったのかもしれない。

何だか、とっても虚しくなってきた。かといって、誰かに電話してべらべらしゃべろうとも思わないし、オンラインゲーム上の仮想空間に別人になって住み、誰かと偽物のコミュニケーションをとって孤独を解消しようとも思わない。ただ、ゲームの中で飼っている犬を散歩させて、犬を通じて誰かと知り合って名刺を交換するとか、飼っているキャラクターを旅に出して何かを集めるとか、そういうことをしてみたい。
07/27 22:44 出かけるといっても、ご飯時にかからなければ言っていく必要はないし、長男が家にいて一日中パソコンでバスのペーパークラフトを加工しているので、次男と2人で黙って出かけた。必要がないのにわざわざ精神衛生上良くないことをすることはない。
そして、みんながそれぞれに自分のやりたいことをやるために2階にさっさと上がって行ってしまうと、(自分が寂しいからではなく、自分の思っている団らん風景と違うということを)またブツブツ言われるので、子どもたちに足止めをかけた。(今度は、子どもたちがブツブツ言っている。)
農作物の押しつけはなくなったので、その代わりに、日課でやっている手芸キットを買ってプレゼントすることにした。どうせ、良かれと思って人のために丹誠込めて作るのなら、本当に喜ばれて迷惑をかけないものにしましょう!という意味を込めて。(農作物はどう考えても食べきれるはずのない量を持ってくるだけではなく、採れたからと言ってウラナリのまで持ってくるので、あっという間に傷んでしまう。まるで、捨てるために受け取っているみたいだった。)

「会わない・思い出さない・黙ってないで言い返す」ということで、“現実”は変わるかもしれない。発達障害を理解させるよりも、その方が早道かも。発達障害をそうでない人に理解させるためには、そうでない人が発達障害の認知様式やモノの考え方に歩み寄る必要があるが、理解する能力のない人たちと一緒にいなければならない時には、普通の感情とモノの考え方を逆手にとってやっていかなければ変わってはくれない、てことだ。
ちなみに、プレゼントされるとうれしいというのは、今朝、お水の人たちのドキュメンタリー番組を観て採用した発想。しかし、あちらさんのやり方を採用すると、図に乗って同じ事を押しつけてきたり、同じ反応を要求されることがあるので、要注意! そこは、「ワタシはこういう者だ!」という核をもったキッパリとした“自分”で臨まなければならない。その上に、「礼儀」とか「マナー」とか「相手を傷つけない配慮」がくる。今までやってきたことは、先にサルマネ。これは本末転倒。
07/27 07:59 昨日は脱力状態がひどく、かろうじて朝の学校当番をやった後午前中ずっと寝て、夜は眠くて仕方なかったけれど楽しみにしていた『情報最前線「夏休み特集!新幹線途中下車…絶景の旅」』を、次男と一緒に頑張って観て、バタンキューだった。(こうやって、夜の時間を何の恐怖もなく安心して楽しく過ごせるようになっただけでもうれしいことだ。)

ここで、ちょっと整理。
  1. 感じていることや考えていることが全く違っていて、言葉を話しているが一切通じておらず、人との感情的な繋がりが全くない中で実質的に孤立して育ったことによる本態的鬱と、原体験が部分的に切り取られてフラッシュバックに襲われ続けることは生得的なことであって、なくなることはない。これに関しては、副作用がなくて臓器にも負担がかからない生薬を飲んでいる。
  2. しかし、現在、再発罹患しているのは、知的なところが全くなく肉体労働しかない家に身体能力がほぼゼロの私が全く理解も意思の疎通もコミュニケーションもないままにいることが原因の鬱であり、理不尽な農作物の押しつけとDVによるPTSDという環境要因であって、こんなものを薬を使って抑えるなんていうのは言語道断。原因は明らかに環境にあるのだから、環境を変える。そのために闘う。(自閉症が共感されることはないが、これはすぐ誰にでも共感される。これに関しては、人に普通に話してぶちまけてしまう方が薬を飲んで押さえつけてしまうよりもずっと健康的だ。)
2の方は、誰の目にも明白で、普通ならばこんな状況に陥るはずはないし、たとえ陥ったとしてもすぐに気づいて自分を護って当然のことである。
確かに、子どものことに夢中になっていて自分のことに全く気づいていなかったし、こういう面が完全に欠落していることにも気づいていなかったという面もある。しかし、いくら療育をしっかりしたからといって、野放しに社会生活を始めてしまったのでは、何のための療育なのか全く分からなくなる。療育でできるソーシャルスキルは「正しさ」に向かって一直線だが、世の中はそんな「正しさ」で動いてはいない。そういう世の中を生きて行くに当たっては、理不尽な世の中の犠牲にならないためのソーシャルスキルが必要で、そのソーシャルスキルを働かせるためには、ニンゲンの醜い部分を少しは持ち合わせていないとセンサーが感知できない。このことを主張するために敢えてここに書いているのだ。
現実から目を背け、「本も書いて社会生活も立派に送っている看板」をここに求めている人は、こんな日記は読まなくていい。それから、人的環境にも物理的環境にも恵まれて、現在精神状態が良好な人たちには不要なページだ。また、人的環境にも物理的環境にも恵まれず、現在精神状態が最悪な人たちは、決して見てはいけない。精神状態が更に悪くなるから。
07/26 14:28 なぜ、みんなが子ども会の集まりなどで普通に言っていることを、私がここに書いてはいけないのか? ならば、子ども会で集まった時に、みんなと同じようにしゃべったら少しは気が楽になるのだろうかと思って、一般の家族関係の愚痴を書き込む掲示板を覗いてみた。
私が書かなくても、書きたいセリフが書いてあった。読んでいてはじめて、無条件に“共感”した。感情のネットワークに入るって、こういうことなのか! な〜んだ、言いたいことを言えばいいだけじゃん。そういう風に言ってもいい場で言うのなら、逆に健康的なのかもしれない。だったら、やった方がよさそうだ。
07/26 12:00 もう、助けも求められないと分かった。鬱再発で寝ている。長男が守ってくれている。
今週から連日のように、子ども会の行事やら子どもたちとの約束やら、学校の面談などがあって出かけなければならない。何と言われようと、正々堂々と出かけてやる。(あんなバカげた妄想につき合ってたまるか!)でも、それを言いに行かなければならないと思っただけで、フラッシュバックが起きる。
07/26 08:47 私の現実と、子どもたちの現実は違う。本に書いたのは、子どもたちの現実の方だ。それは、紛れもない事実。実際にやったことだ。しかし、子どもたちの現実を本に書いても、私の現実は変わらなかった。
そして、自分の現実や感情を日記に書いたり助けを求めたりなんていう、普通の人が生まれた時からやっている普通のことを私が書いてはいけないらしい。ここに書いたって、誰も助けてはくれないことが分かった。だから、やめる。ただ、やめるに当たって、二度とこんなことが起きないようにしてほしいと書いておきたい。(それから、結婚していれば成功者のようなことを言われたって、その相手が何をもくろんでいて、その相手の家がどんな家だか確かめなければ、たらい回しにすぎないこと。更に、年をとれば持ち回りの役員やら一戸につき一人必ず強制参加の用事がたくさん押しつけられたり、介護の担い手として当てにされたりすることを計算に入れなければ、地獄への切符を渡すのに等しいこと。それも訴えて終わりにする。ここから目を背けるな!)
本の中では、自閉症や発達障害のことを訴えれば訴えるほど誉められるが、現実の方ではただキチガイ呼ばわりされるだけだ。「そんな話は、聞いたことがない!」とも言われる。そのギャップがどんどん広がる一方。苦しい。現実は、きれい事ではない。
07/26 05:39 だいぶ動けるようになったので、掃除の時間を作っても良いと思っていたところだった。でも、自分たちの居住空間だけだ。
今出たら、子どもの将来まで潰してしまうことになるので、それだけは守る。
07/25 22:14 発達障害の子どもを鬱にしてはならないと、本当に思った。自分は生きるに値しないと思うと、ニンゲンとことん落ちていくから。落ちる方はとても簡単だが、一度落ちてしまうと元いた場所に戻るのはなかなかできない。
でも、次男が、今日も入浴剤を買って来てくれた。こんな中で、よく育っていると思う。2人とも。もっとも、それだけは死守してきたからなのだが。それから、私のような目には絶対に合わせたくない。それだけ。
07/25 17:04 昨日のあんなバカげた事件のお陰で、今日は朝から脱力状態。そんな中で、PTAの行事と自治会行事で午前が終わった。午後は、その疲れだけでも何もできないというのに、フラッシュバックを起こさないことだけに専念。でも、イライラは収まるはずがない。あっちこっち痛くてブツブツ言うくらいならばやめればいいと思うのに、庭掃除をしている音が聞こえてくるから。きっとまた、グズグズ言ってくると考えただけで、下に降りるのがイヤになる。でも、鉢合せにならないためには、早めに行ってさっさと夕飯の仕度をした方がよいのだ。(今やっと、次男が帰ってきた。お守り役が来たので、下に行ける。)
どうせ何もできないのなら、ホームレスになる恐怖におののいているよりも夢でも見ていた方が賢明と判断して、引っ越すことのまず不可能なレオパレスを検索して時間を過ごす。
そういえば、正気を保つためのパソコンを手に入れメンテナンスしたり、自分の健康を取り戻すための薬や空調機器などをそろえるためにも、ずいぶんと入り用だった。快適環境はこうして、一つずつ自力で手に入れるしかないらしい。

…どこかにコロニーを作る。これは、夢のまた夢。
07/25 14:38 本を書くことで得られるものは、もう穀潰しでもダメニンゲンでもないという事実と、人間としての誇りの復権。読んでくれた人たちからの反響や、私が直接関わっていないところで何かがゆっくりと変わっていくことは、確かに精神的な支えになるしかし本は、現実を変えてはくれない。それから、印税では(市場が小さい分野では特に)とても生活できない。
こうならないためには、始めから穀潰しだとかダメ人間だとか思わずに済み、理解してくれる人がいて人間とは信じるに足るものだという安心感があって、相談でき支えてくれる人がいて、収入があることが必要。

そういう日が、いつか来ると信じていなければ生きてはいられない。が、どうせここから出られないと思うと、授業料を払った後のはした金を集めて、ファイナルファンタジーのゲームのできるFOMAを買って、ゲーム会員にでもなってしまおうかと、時々思う。でも、まだまだ高い機種なので買い増しもできず、安く買ったかなり前の機種で犬を育てて慰めにしている。
どうせダメだ、無駄な抵抗だと思うと、そうやって気を紛らわしたり自棄になる方向に走りがちになる。そうなってしまわないように、積極的で前向きな着メロをダウンロードして(月極はもったいないので、曲取りのもの)アラーム音に設定している。アラームは5つまで登録できるし、パソコンから送るリマインダーでも別の曲をかけられるので、何度も聴ける。音がいいものだと、頭の中で一日中自己再生している。逃避や回復のためではなく、本当に役に立っている。
07/25 07:32 どんな扱いをされようと、エサをいただいていることに感謝し、ちょっとでも疲れた素振りを見せたら「ご主人様、どうなさいました」としっぽを振ってすり寄るような、都合の良い飼い犬になんかならない。
昨日のバカげた事件のために、下に降りていくのもおぞましくなった。かといって、降りないわけにはいかないので、完全に無視する。いや、明らかに私は怒っている。
07/25 06:18 そこにいると思っただけで外傷になる、既に存在を抹消した者に言われたバカバカしい言葉がフラッシュバックしてくる。あんな、みのもんた大好き地球人の言ったことに脳みそを占領されてまた一日無駄にするのは、本当にバカバカしい。更に、状況を逃れられないからSSRIを飲んで抑えるなんていうことも絶対にしない。状況は、変えるものだ。相談する人もいなければ、助けてくれる人もいないし、友だちもいないけれど。とにかく、こんなところでのたれ死にはいない。
まさか、長男にオタク仲間ができたり、テレビを見ながらだらだら話しているだけでいいというような友だちができるなんて思ってもいなかった。それが、専修学校に入ってすぐにそういう友だちができた。当然、近所ではない。遊びに行くのにも電話をするのにもお金がかかる。だからといって、ほどほどの付き合いをさせてあげたい。予定外の出費が多くなる。自立への道は遠のく。
まだまだ時間はかかるし、生きている内には無理かもしれない。だからこそ、精神だけは正常に保ちたい。
07/24 21:30 黙ってカエルの本を置いておいた。金を稼いでいるとわかったら「ごくろうさん」だと。といっても、何の本だかはわからず、カエルの絵があったことだけが分かったらしい。自分も文化祭に出す刺繍の図案をどうしようかと考えていた時に、家中がカエルの置物やらフィギアやらぬいぐるみやらだらけなのでカエルの絵にしたとか言って、持ってきた。
というわけで、本日はホームレスにならずに済んだ。

ただただ脅えて、逃げ回って、奴隷になっている必要はないのだ。ダメなものはダメ、イヤなものはイヤ、嫌いなものは嫌い。まずそれがあって、その上にこそマナーやソーシャルスキルや我慢がある。受動的になりすぎるのもまた、立派な罪だ。
07/24 18:20 これはもう、外傷体験ではない。ハッキリ、嫌いということだ。
07/24 18:18 そろそろ、ホームレスの危機。
今日、3人で床屋に行って帰ってきたら、「そんなに出かける用事なんかあるはずがない!」だの「土曜日の度に家にいないのはおかしい」だのとろくでもないことを言われた。冗談ではない、学校のない土曜日に子どもを病院に連れて行って何が悪い! 
「よその家の人は朝から仕事をしている!」って、その“よその家の人のやっている仕事”というのは、収入のある農地の草を取ったり農作物の収穫や畑の管理をすることで、家庭菜園の草をむしったりナメクジの数を数えたり庭の掃除をすることではない。何のことはない、「自分が好きでやっているだけで、誰も頼んではいないどころかみんなに迷惑をかけて私をPTSDにした自分の趣味を人がやらないから、全部自分でやるしかなくて、そのお陰で肩や腰が痛くて仕方がない!」と言っているだけではないか。バカバカしい!
しかも、この家が暗いって、当たり前ではないか! もともと、ここに来る前から鬱で、ここに来てから大うつ病になって、2年間も寝たり起きたりしていた人が、明るいわけないではないか! 大うつ病の元凶が、よく言うわ! ここで生きなければならないという絶望の中で、どうやって死のうかと考えていた人が、どうして明るくなれる? 今は、こんなところで生きる気など全くない。ここからは絶対に脱出する! 
向こうがそう言ってきたので、「畑に野菜がたくさんありすぎるから病気になった」とハッキリ言った。そこで苦しくなったので、本気で怒って、こっちからぷいっと切り上げてしまった。今頃、どこかに告げ口に行っているに違いない。
肉体労働ができないこと、病院に通っていること、本を書いたこと、私が庭仕事なんかやったら長男が高校に行けなくなってしまうこと、すべて言った。「はじめて聞いた」って当たり前だ、はじめて言った。そういうことを言わないのは、私のせいではない。アンタが育て損ねた息子が不甲斐ないからだ。もともと、私は自己開示なんかするたちではないが、鬱とトラウマの嵐の中で、ストレッサーにそんなこと言えるくらいなら病気ではない。
はじめて話をしたからといって、理解できる器ではない。それ以前に、私は絶対にここでは生きない。そのことを、子どもたちにもハッキリ言った。私はもう、騙されない。
07/22 11:34 自分自身の精神を保ち、人とかかわりを持ったり行事に参加するなどしながらある程度の社会生活を送ることと、地域のローカルな文化になじむこととは別。必ずしも正しくなくても、社会的に狡知であればいいとか、向こう三軒両隣の範囲内で恥をかかなければいいなどということを、ソーシャルスキルとして教えるなんてことは絶対にしない。それは、単なる方便に過ぎない。
そんなことにエネルギーを吸い取られて、本当の社会的使命を果たせなくなってしまうなんてバカげているから、とりあえずおとなしく、余計な波風を立てないようにやり過ごす。そちらの方こそ、ソーシャルスキルだ。
07/22 08:47 フラッシュバックは起きなくなった。下らないモノのことは考えなくなった(思い出すこともなくなった)。後は、下らないモノを見た時に、ムカツカナイようにするだけだ。それから、下らないモノのために汚染されてしまった私の精神は、本来の私ではないということを忘れないことだ。
07/22 08:31 今日、長男は、上靴洗いをやった。疲れた(私が)。
洗濯物の方は、ズボンはほとんど合格になったが、シャツなどの服の方は、まだまだである。
近くに、身体を鍛えるのにちょうどよい運動関係の施設や教室がないことが、悔やまれる。
07/20 16:26 こちらが、もっとも進んだ研究をあれこれ調べてやっと勝ち取った快適生活への工夫なのに、地球(特に東洋の田舎)的には“だらしない”“みっともない”“考えられない”ことのようだ。
もっとも、この家の中で、インターネットとパソコンと携帯電話でネットワークを構成していること自体が、めちゃめちゃ浮いていることなのだ。そのネットワークの中でどんなに頑張ったところで、現実世界は全く変わらない。むしろ、どんどん浮いていく。もっとも、既に私は上昇気流にしか乗らないつもりだ。
07/15 07:23 自分がどんな状況に置かれ、どんな気持ちでいるか分からないまま、社会で生き延びるために人の言いなりになってれば、鬱になって当然。何が原因で、自分がどう感じているか分かるようになったから、鬱がPTSDに昇格した。日は明らかな原因があり、それだけのために精神状態が最悪になって、次男に迷惑をかけている。
こんな時、SSRIがあった方が乗り切りやすいのは分かっているが、もう飲まない。SSRIは、フラッシュバックが起きないようにしてくれるが、自分の感情もわからなくしてしまう。生薬は、フラッシュバックを起こさないようにするのではなくて、起きそうになるとノイズをかけて消してくれる。(それは、テグレトールが癇癪を抑える時の効き方に似ている。)
07/14 20:38 どうやって死のうかと考えたりフラッシュバックに苦しめられるより、あからさまに無視、明らかに怒った方がよっぽどいい。いちいち逃げることもない!
07/13 08:25 除外規定があるから、社会生活上の重大な困難がなければ精神科の対象にならないということではない。
本人がどんな重大な危機的状況に陥っていようと、問題行動がなければ誰の目にも見えないということが、大問題なのだ。やっぱり、当事者にしかわからない!ってことになるようだ。(少なくと現在では、この人ならすべてを任せられると思うようなNTの人に出会ったことがない。だからといって、ASの友だちもいないが…。)
07/13 08:22 自分の興味関心事にのめり込んで、着々と積み上げていくタイプの人はさほど心配ないかもしれない。
しかし、幼児期に積み木を積んではめちゃめちゃに壊したように、自分が積み上げてきたことや自分の良さを全否定して、人に言われたことや苦手でできないことをやらなければいけないと思い込んでしまうことがある。
不登校になったり問題行動を起こしたりするというような派手なことにしか、世間は目を向けない。しかし、こういう日常的な細かい判断を誤って深みにはまっていく危険にだって、しっかり対処して欲しい。
07/12 19:56 精神状態を良好に保ち、精神科的な治療をするためには、社会生活をある程度制限したり犠牲にする必要が生じることがある。また、問題行動が顕著な間は、周囲の人たちは問題行動を起こさせないために努力する。
しかし、精神状態を良好に保つことと社会生活とを両立させたまま、しかも問題行動を起こす危機的状況がないままに生きていかなければならない人たちのことは、いったい誰が考えてくれるのだろうか?
07/11 06:43 人は脳だけで生きているのではない。脳内物質だけでなく、他の臓器の虚弱やアンバランスが人の行動に影響していることだってある。もっとも、脳内物質の生成や体内物質のバランスを司っているのは他の臓器だったりもするのだ。
07/09 07:53 まるで、感情がわかる=シアワセになれるみたいな論調が続いている。しかし、感情がわかったら自分が不当に扱われていることに気づいてしまうこともある。
それから、私は“社会的感情”の中に入りたくないと思っているのではない。実際、私の代わりにカエルちゃんたちが世の中で飛び跳ねてくれているのはうれしいことだ。こういう形での社会参加ならば大歓迎!
しかし、世間の人たちの言う社会的なシアワセというのは、実際にはどのグループに入るだ入らないだの泥沼でもあるのだ。仲間関係を維持するというとキレイだが、たいていは個人的な恥やプライドが核になっていたり、ボスの機嫌を損ねないように気を遣い、他のグループを批判・攻撃ことで固まっていたりする。こんなものの中に入ることがシアワセだなんて押しつけられるのは、とんでもない話だ。(少なくとも、いじめから身を守る手段であることは事実だが。)
07/08 20:33 環境が合っていないことに気づかずに鬱になるのも、元気になったら嫌なことをさせられるという理由で病気でいるのも、全くおかしいことだ。あんなバカなことは、二度としない。
07/07 15:08 脱SSRI作戦は何度もやっているが、今回は代替物資があるのでうまくいきそうな気配がする二日目。離脱症状で、頭の中がキンコンカンコン鳴っている。代替物資の保健食品は胃腸障害を起こさないことが分かったので、今日は序々に増やしている。完全に入れ替わったら、規定量でもいけそうだ。問題は鬱の方ではなく、フラッシュバック。さっき、ちょっと起こした。けれどすぐに気がついた。
このフラッシュバックに関しては、うまくいっている人の話を聞いて、「快刺激のフラッシュバックをぶつけて相殺すればいい」とのたまわっている人がいる。が、今、フラッシュバックを起こしていて、自分が苦痛に感じていることに気づかなかったら、止めようもなければ快刺激で相殺しようにもない。それがわからないから、どんどん深みにはまっていくのだ。
つまり、うまくいっている人や軽度の人たちの話を聞いて方法を導き出したとしても、それが自分でできない人にどう道筋をつけたらいいか分かっていなかったら、絵に描いた餅。○○さんのようにできるように導くという仕事を放棄しておきながら「どうして、○○さんのようにできないの!」なんて言っている人は、無責任だ。
07/06 08:20 湿度100%とか90%(Yahoo天気調べ)、こんな日に快適に過ごせたことがあっただろうか! 昨日は、このものすごい湿度を、除湿機と腎機能を改善する保健食品の力で乗り切った。−−−とはいえ、除湿機の排熱がうまく処理できなくて、落ち着くまでにいろいろやってみた。排熱が部屋中にこもって、夜中に三回起きて、汗でぐしゃぐしゃになったシャツをとりかえたこともあった。
自分に合わない環境を押しつけられて、気持ちを受け取れだの感謝しろだのと言われるのは虐待に等しいと言いたい。

さて、PTSDの原因になった大量の農産物と気持ちの方は、一度本当に精神状態どん底になって断固拒絶した後、食べられるぶんしか受け取らないことにした。そうしたら、「いるかね?」と聞かれるようになった。
それから、言葉や人の奴隷ではない、精神的に自立した都会人ならば最初から獲得しているようなまともな生活を、やっと確保できるようになった。やっぱり、自分の身は自分で守らねば。
07/02 10:42 今日から、長男は期末テスト。田舎では就職に車の免許が必須だというのに発達性協調運動障害のために取得できそうにないので、専攻科でちょっとした資格を余計に取る必要がある長男は、かなりがんばらないといけない。さて、どうなることやら。
07/01 08:29 長男には、毎日のように電話がかかってくる。今見ているテレビのこととか、勉強のこととか聞かれているらしい。(かつて、ゲームができない長男の代わりに私がゲームをやったのと同様に、携帯電話の設定は私がやっている。)
私が高校生の時は、音楽をやっていたのでその関係の人たちの中に強引に入り込んだり、ピアノのできる人を探したりしていたけれど、こういう日常の会話をするなんてことはなかった。長男も、やっぱりオタク仲間を作っているけれど、それ以外の、普通の高校生が交わすような会話もしている。私的には不思議だが、これで良いのだと思う。

一方次男は、誘惑に負けて最近不摂生を続けたせいか、昨日から風邪気味。それで、今日からの宿泊訓練に出発した。いちおう風邪薬は持たせたが、もしかしたら迎えに行かなければならなくなるかもしれない。(やっぱり、私が監督していないとダメだと、再認識した。)