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2004.2月の日記

02/29 16:56 この無理解の根底にあるものは何か?−と問えば、たぶん非日常への無理解だと思う。
つまり、芸術家やお笑いタレントが、自分には無縁のものである限りにおいての憧れでしかなく、実際に自分の周囲にそういう人がいたら絶対に嫌われ、説教の対象となるのと、あまり変わらないような気がする。
02/29 09:28 家の中に敵がいる、などというバカげた理由のために、次男の態度が日増しに悪くなり、私の精神状態が悪化し身体が壊れていくのを見ているのは、辛いものがある。私は、こんな人間ではなかったはずだ。
しかし、ほんのちょっとのことをせずにわざわざ悪くしておいて、抗うつ剤を飲ませて封じ込めることしか世の中にできることはないのだろうか!?と思う。「何をどうすればいいか」が分かっているのに、その必要を感じる人が少なく、できる人もほとんどいないし、できても資金がない、この現実はいったい何なんだ!

四面楚歌が三面楚歌になっただけマシにはなったが、誰もSOSを受信してくれない。
02/28 23:18 バリアフリー住宅って、これから良いかも。
ウチは元々、年寄りがいるのであちらこちらに手すりが付いている。階段の手すりは私が付けるように要望したものだが、段差のある玄関やお風呂のものは、高齢者仕様のものだ。骨折しているけれど、ギプスでは生活に不便ということでテーピングにしてくれたので、ビニール袋で覆えばお風呂に入れる状態の今日は、とても重宝した。

筋力がなくて、固有覚が鈍感、前庭覚が敏感で、小学校時代は階段の上り下りに苦労し、エスカレーターも危ないからと使わないように配慮されていた私なので、これから先、先週のような事故が増えるのではないかと心配である。
02/28 20:36 さっき、隣の人がやって来た。来年は、私がもっとも嫌いな田舎の○人部の役員だと。二年に一度やって来る、PTAの役員だというのに!
来年度、再来年度(組の班長)の二年間、私の精神が持つかどうかわからない。今の内から、人の気配と侵入感を消去する音楽を、たくさんダウンロードしておかねば。今度は、バックアップをしっかりとって。
02/28 11:28 せっかく私が自分流にカスタマイズしたというのに、あの親子が妨害してくるようになった。(論文どころか本さえもただの紙でしかない輩なので、私が何を訴えているか知っているわけではない。むしろ、知ろうともしていないというのが正しい。)
だから私は、ますます部屋に引きこもる。そうすると、かかわりを持とうと、余計いろいろ言ってくる。いや、最近の様子は、あきらかに不当な干渉。

先週の怪我も、別にシップ薬と医療用サポーターで固めれば同じなので(どの患者の言うことも頭ごなしに否定する)整形外科になんか行きたくはなかったけれど、あの親子から公然と逃げるために行ってきた。外くるぶし下の骨にひびが入ったと思っていたら、ものの見事に折れていた。
鎮痛剤を出されると困るので、精神科と内科に通院していることを告げて薬の一覧を出した。「どうして、そんな遠くの病院に通っているの?」と聞かれたので、「高機能自閉症の専門医がいるから。」と答えた。このことに反論はされなかっただけ、救いだった。

現実は、三面楚歌。でも、神楽が奈落に心臓を握られているのと同じように、命を握られている。
02/28 07:12 今は、普通の子ども(いや、親子かもしれない)がおかしくなっている。世の中には、普通の子ども(親子)向けの子育て情報であふれている。一方で、軽度発達障害の存在自体をあからさまに否定する抵抗勢力の巻き返しも起きている。
そういうテレビや新聞の記事を、自分の存在と力を誇示するためにわざわざ丸暗記して話そうとする輩がいる。それが家の中にいるので、精神状態を安定させるためには家にではなく部屋に引きこもる。しかも、それがウチだけではない。「敵は本能寺」という状態が、世の中のあちらこちらに発生している。
こういう社会全体の無理解と確執を無視して、特別支援教育が進んでいくはずない。この分野は、障害の研究を深めていくことで進展するのではない。世間に対して啓蒙・教育しないことには、何も変わらない。むしろ、どんどん息苦しくなっていく。
02/27 23:14 「これこれこういうことをやって、発達障害を直した」という話を、世間は求めているのか!?
「これこれこういうことをやって、二次障害と精神障害を未然に防いだ」でも、「できないことはできない」ので、「違いを認めて欲しい!」という主張など、聞きたくもないらしい。
こちらは、一生懸命にこの世に生きようとしているというのに、どうしてその壁・その溝を取ろうとしないのか!?
私が一人でここから逃げたら、子どもたちはこのどうしようもない無理解と逆の対応という地獄に残される。だから、必死で死守してきた。(生きるも死ぬも、三人三つ巴。)
02/27 21:09 本を書いたって論文を書いたって、理解するどころか見ようとも振り向きもしない輩に取り囲まれている限り、何も変わらない。やっぱり、三人まとめて孤立していくだけだ。
02/24 08:15 最近の『読売教育メール』では、とにかく普通に・普通に見ろというアドバイスがやたら多い。相談者が、「自閉症の子どもについて・・・」と明記してあれば、田中康雄先生が回答するのだが、そうでない場合はたいてい元教員とか元校長が出てきて、「普通の子です」と言い張る。
質問の内容は、確かに、普通の子どもの情緒的問題と考えられるものもあれば、母親が神経質になりすぎているものもあるので、まずは普通に対処するのが筋だろうという面もある。何しろ、生育暦が明らかになっているわけでもないし、普通の対応をして通用しなかったら発達障害を疑うという考え方をするのに一理ある。
しかーし、もし、普通にみえるから(書面の相談なので、実際に見ているわけではない)といって、「私には普通の子どもにみえます」と断言した子どもに発達障害があって、その子がそのために診断の機会を逸して惨めな一生を過ごすことになった場合(診断がついたから、惨めでなくなるとは限らないが)、そんな気休めな回答をしたどこかのお偉いさんに責任がないと言ってよいものだろうか。「訴えてやる!」とは、言えないのだろうか?(注:あくまでも、ギャグ。)

要は、発達障害であろうとなかろうと、否定されて育つか・肯定されて育つかの違いなのだ。発達障害としての見識の有無にかかわらず、常識的な型にはめずに一人一人の子どもをきちんと見ることができるかどうかが問題なのだ。発達障害だと言われた途端に、悪いことばかりが目につくようになる人もいれば、発達障害的な視点で見たらただ悪いことだと思っていた事柄に理由が見えるようになる人もいるのは、発達障害をその人がどう見ているかを反映しているのであって、発達障害であることそのものとは本来無縁なものなのだ。
発達障害らしさには良い面もあれば悪い面もあるので、良い面だけを見る方向づけをしようとする業界関係者も、悪い面だけを強調しようとする社会の風潮も、どちらも片手落ち。どちらを見るのも不快なので、私は引きこもる。
02/24 07:49 次男に日ごろの不満を聞き出してみたら、↓のことだけでなく、未診断・未治療の同類や発達障害ではないけれど同じ行動をする子どもたちが、自分と同じことをしているのに誰からも何の指導も受けないのでエスカレートする一方なのが気になるということだった。別に、自分だけ不公平だというのではなく、「どうして、誰も指導しないのか!」と、憤っているとのこと。
いや、それは私も同じなのだ。ウチは、やるだけのことはやって積極的に選択して来ているのに、周りは全く違う。だから、無駄なことをあれこれやって、発達障害としての観点から見れば何でもないことに目くじらを立てている人たちが集まるところには行かないようにしている。(今年は、参観会後の懇談会は、すべてボイコット。)
02/23 17:46 ADHD二題。

次男が、「周りの人が自分の思った通りに動かず、物事が自分の思惑通りに運ばない」ことに我慢が出来ず、ストレスを自己生産し始めた。こちらは、自覚があるのですんなりと話を聞ける。

一方、母親自身が子どものADHDを消化し切れておらず、受容してもいない従兄弟の方は、あくまでも普通児扱いする学校からADHDのADHDらしさを否定的に見られて問題扱いされ、動揺している。動いているのは、母親自身。←そこは、従兄弟の良いところではないか! ただ、本人は本人なりに考えているのに、それが社会的に幼稚なだけで。

発達障害があることを認めて、その上で一つ一つほぐしていけば良いものを、なぜに世の中はこぞってわざわざ追い込むようなことをするのだ!
02/23 17:25 やっぱり、人でなしが基本的人権を踏みにじり搾取することを言ってきたので、「ふーん」と答えただけだった。もっとも、絶対に言ってくると思ったので、今日は朝からわざと風邪薬を飲むのをやめて、一日寝ていた。体重をかけたり動いたりしない方が足首にも負担をかけずにすむので、一石二鳥。(ちなみに、整形外科には行かない。信用できないから。わかってくれない人にかかわるのは、こりごり。)
02/23 07:46 「これは、人権問題だ!」「基本的人権の侵害だ!」と、夢の中で叫んでいた。でも、実際にこの言葉を言えないまま、終わってしまうのだろうなと思った。(だいいち、キホンテキジンケンノシンガイという言葉の意味が分からない相手なので、言ってもムダ。)
せいぜい、「足首の骨にヒビが入っているかもしれないし、そこらじゅうぶって痛いのに、何考えてんだこのドアホ!」と怒鳴るぐらいが関の山だろう。
02/21 17:54 今日は厄日。

長男のアレルギーと次男の難聴で耳鼻科に行くことになっていたのだが、その途中に「なんだか喉が痛いし鼻水が出ているから自分も診てもらおう」なんて思いながら自転車をこいでいたら、雨上がりの側溝のふたの段差にタイヤが引っかかって転んでしまった。どうやら捻挫をしたらしい。
耳鼻科の隣の薬局でシップ薬を買って貼った後、病院の待合室に座ったら、頭がガンガンしていることに気がついた。これはどうやら、風邪らしい。どうりで、朝からボ〜ッとしていたわけだ。(トイレに行った記憶がなくて、二度続けて入ったり…。ボケたか、と思った。)
帰り際に、鬼門の人に会ってしまいお説教されるし、災難に遭うために耳鼻科に行ったようなものだった。午後から熱も出てきたことだし、そのまま寝ていようかと思ったけれど、明日は足がはれてパソコンの前に坐れないかもしれないので、今、ここにいる。

こうなると、世の中で実効力のある理解者が内科の主治医と精神科の主治医の二人しかいないことが、非常に心細くなる。もし、交通事故に遭ったり他の病気になって病院に運ばれて自分に意識がなかったら、治療のために使われる薬で肝臓が壊れるかもしれないという不安がある。実際、年末に飲んだ市販の風邪薬の影響で、血液検査でへんな数値が出ている。(きっと、今の病院にたどり着く前、原因不明の身体的不調に対して一年の1/3は風邪薬を飲んでいたことが災いしているのだろう。)

いつまでたってもテレビを見ている人の視線の中に立ってしまう長男と、いつまでたってもASを理解できずに怒る地球人の遣り取りを見ていると、私からすればどっちもどっちなのだが、地球的価値観では「人の迷惑をかける人」にくくられてしまっているのが悔しい。
きっと、このまま抹殺されるのだろうなぁと思うと、感冒性の鬱が真性の鬱になりそうだ。
02/20 11:07 生活力をとる(その代わり精神状態は悪くなる)か居心地の良さをとる(その分生活できない)かの選択ではなく、両方をほどほどに。・・・これからの世代は、こうなってほしいものだ。

と、願っているだけではどうにもならないので、そうなることを目指して前進あるのみ
02/20 08:10 「世代が変われば世の中生きやすくなる」とは、到底思えないような情勢の中で、
当の本人は
、こういうものをせっせと作っている。
最近、なんとか見られるものができるようになった。(ただし、上からセロテープ貼り固め。)

その次の世代(つまり今の子どもたち)から、何とかなるかなぁ。いや、するべきだ。
特別支援教育では、本人に特別な支援をするだけでなく、すべての子どもとその保護者を教育してほしいものだ。

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02/19 21:06 俗に「体力と愛嬌があれば、世の中何とかやっていけるものだ。」と言うが、「それが一番欠けているのだ!」と説明したところで分かってもらえないのは、そういうことを言う人たちにとっては“体力”と“愛嬌”で踏ん張ってきたことは厳然たる事実だからなのだろう。(“体力”と“愛嬌”がなかったからうまくいかなかったということも、こちらにとっての事実。)
世の中、生きていくには丈夫な身体を持ち・人に好かれるように振る舞うことが大事で、そのために日々努力を惜しまない。それが、世の中を生き抜くということなのかもしれない。(これは、学校では決して学べない。) 
だが、「それが一番欠けている人」は、必要な努力をしていないとか、当然の報いだなどといつまでも言わせておいてはいけないと思う。そして、「それが一番欠けている人」にもできることを・できるやり方でできる世の中にならなければいけないと思う。・・・と、ここに書いてもどうなるものでもない。
02/18 21:06 自閉症の療育は、幼児期には自閉症の基本にのっとった特殊教育が必要で、青年期には自閉症のことを良いことも悪いことも全部飲み込んだ方法で社会に通用するにするための職業教育と就労形態の選択をしなければならない。つまり、どちらも専門なのだが、自閉症のことだけを知っていてもダメ・社会のことだけを知っていてもダメ、更に、一人一人が進んでいく分野の技能と仕事を請け負うためのルートの確保が必要。
それを、世の中の側に問題意識がないままに進めていかなければならない。それは、そう簡単に変わることではないと思う。(アスペルガーは、もっと難しい。)
02/16 21:54 以前は、おだてられて「いい気になってはしごに登ってしまい、そこから落とされる」のではないかという不安によく陥った。それが、今は、落とし穴に落とされるのではないかと不安になることがある。
「こちらへどうぞ」と勧められるままに進んでいるつもりが、実は体よく厄介払いされているのではないか・・・という気がしないでもない。

最近は、分かってくれる人と意識して避けようとしている人とが、完全に二極分化していて、しかも特別な場にわざわざ行かなくてもその揺れを感じてしまうからかもしれない。
もっとも、あっちもこっちもシャッターを下ろし、こっちから「おことわり」して、目の前のマイナスをプラス化することに専念しているからかもしれない。

基本的に「あれがない・これがない」「あれもだめ・これもだめ」「あんなことはしたくない・こんなのはいやだ」に走りやすい人に、向上心とチャレンジ精神を持たせようというのだから、引っ張られる側より引っ張っていく方が重労働。(しかも、引っ張っている私自身が、新たなチャレンジをしているときている。)
「進んでいるのに結果が出ない」と言うより、「後ろに下がらない」ために踏ん張り続けている。それが、永久に続く・・・およよ。
02/16 09:07 あれ?
今朝の『ズームイン・朝』での番宣コメントと、日テレホームページの番宣コメントでは、ニュアンスが違う。
立ち直るのは、母親なんだか本人なんだか、わからないぞ〜♪
(たぶん、どっちにしても疲れるから見ないと思う。)
02/16 09:02 『光とともに』ドラマ化、だそうだ。
でも、「自閉症の子どもを持つ母親(なんと、篠原涼子)が、一人の女性教師(←ちゃうやんけ!/なんと、小林聡美)に出会って立ち直る」お話だって。やっぱり、そこを取るのね♪

しかーし、同じ(?)よみうり系の「読売教育メール」には、「ADHDの疑い」と医療機関で言われた子どもに対して、「普通に見なさい!」という回答が…。
まったく、順風なんだか逆風なんだかわからない、今日この頃である。
02/15 14:30 洗濯課題シリーズ

←放っておくとこうなるので、→のように教える。

ところで、この長男、最近人に関心を持ち始めて、ドラマをよく見るようになった。
知らない人が見れば喜ばしいことかもしれないが、ここが大いなる勘違いの始まりでもあるので、ある意味では危険なことなのだ。(といっても、ウチの長男の場合は、シチュエーションやセリフを覚えたりする心配はほとんどない分だけ安全かも。)
02/14 15:27 洗濯課題シリーズ

既に、取り込んだ洗濯物を仕分けし、たたんでしまうことは毎日やっている。(出来については不問。)
今日は休みなので、洗濯物を干す練習。といっても、NLDの視空間認知障害のために、四角い物同士を揃えることができない長男のこと、シャツをハンガーにかけたり、ズボンをねじれないように干したりするだけでも一苦労。→間違っても、クリーニング屋さんのバイトはするなよ〜♪

昼には、外出先(5分後に自分が家に着く地点)から、一人分のレトルトカレーの支度をするように指示。泡がどれだけ出たらカレーを入れて、沸騰したらどういう状態になって、それから何分・・・と、いちいち事細かに言わないといけないのである。
こういう、理屈なんかいらないと思えるようなところにきちんとした構造が必要で、これが全部わかっていないと始めることもできない。当事者以外の人には、その必要がわかっていない。ここが問題!
02/13 14:18 現実は、自閉症方面に拡張していかないもよう。

まず、実際の担い手は地球人なので、地球人に理解できる範囲で(従って、異質さの根本となる心理的なもの、心の理論などは排除される)・地球人が実践できる範囲のものに限定されてしまう。
更に、対等の関係ではなくあくまでも上に立って指導したいようなので、“できない”“困っている”という言葉が大好きなようだ。

少数民族は、ちまちま行くさ。
02/13 08/16 異質なものが、「場」を同じくして一緒にいる。それぞれ、別のものを見て、違うことを考えている。
それがすれ違いでいられる分には、何も問題は発生しない。でも、それぞれが「自分にとって最適な環境を作りたい」「自分の不快を解消したい」と思った時、「相手のために良かれ」と自分の価値観を押し付けた時、こちらの心的外傷になってしまう。(あちらは、全く気づいていないので反省のしようもないのが癪に障る。)
もっとも、どこに行っても誰ともうまくいかず、社会的人格も持たず、長いものには決して巻かれない寄生虫の積極奇異型の言うことなんか多勢に無勢だし、経済力&政治力=社会的地位の世の中なので、ますます孤立していく。
02/12 09/30 就労に向けてのプロジェクトといっても、元々、引く手あまたの突出した才能があるわけではなく、駄石(といっても標準レベルではなくマイナス)の中に、磨けば光るかもしれない原石がほんのひとカケラあるかもしれないというものを盛り立てようとしている。しかも、推進している私自身が社会的にはゼロのドシロウトなので、どちらかというとお先真っ暗。
もし仮に、その原石から宝石を取り出せたとしても、この実行能力のなさと身体的(読み取り・表出両面)にも精神的にも周囲とズレているところはいかんともし難い。一生に渡って24時間体制で補助・監督・仲介を必要としていることが全く理解されていないばかりか、自活もできないのに人を頼み、普通なら必要ないような設備をわざわざ探して来てあてがわなければならないときている。

ただ、八方塞でないことが救い。今できることは、1mm1mm進んでいくこと。
※進んでいなくても、刻一刻とみんなが歳を取っていく。
02/10 16:59 詰まるところは…。

「本人の都合は十分に分かっていても、私にはできない。」
「あんな人の立場や都合なんて、考えたくもない!」
という、確信犯同士の闘いになるということ。

子ども時代には親がその考え方に染まっているし、学校に行けばそういう子ども同士の利害関係の渦に巻き込まれる。自分が社会に出たら、それで戦争までしているという現実を知ることになる。
学校の中で生き延びるための教育ばっかり考えていると、最終的に困るのは本人だけ。
02/06 08:49 地道にコツコツとやってきて用意周到に準備し満を持して臨んだら、最後の最後に参入してきた輩に大きな顔をされる。こんなことが、最近、立て続けに起きている。
B様人生を象徴するような出来事だ。そんなわけで、
02/05 10:42 【長男:それなりの工夫】

高校(といっても、専門学校)の学校説明会には、中学で使っている上靴を持っていかなければならない。それを忘れないために、「ある物に連動させて覚える」と言っている。つまり、「ある物を見ると上靴のことを思い出す」という、視覚的な連想ゲームをするわけだ。←これは、私自身が小学校高学年の時に編み出したテクニック。特に教えたわけでもなく、自分なりに開発したもよう。
こういうことは、いろんな方法があることを「例」として提示することはできるが、本人自身ができる方法を選んで採用するか自分で開発するかのどちらかになるので、「まっ、いいんじゃない。」としか言いようがない。

次回の登校日には、早速、プリペイド乗車カードを定期券に見立てての練習を開始。
02/05 10:33 【次男:ユニークであることの代償】

どうしても普通とちょっと違う行動をしてしまう次男が、それでちょっかいを出されたりからかわれたりすることに悩み始めた。ウチでは、同類の長男と毎日幼稚園&宴会状態で波長が合っているのだが、学校では浮いてしまう。もともと対人認知に問題があって不満も多いため、処理し切れないようだ。(睡眠障害ぎみ)
「世界中どこでも、人と違っていると悪いことでも良いことでも目につくので、からかわれたりいじめられたりするもの。もし、自分のユニークなところをなくして“なんの差し障りもない普通”を手に入れたら、人にはできないすごいところもなくなってしまうけれど、どっちを選ぶ?」と聞いた。「すごいところがなくならない方がいいのかな?」と、不安げに答えた。

だって、ユニークでなくなるなんてことができるはずがない。そもそも、認知の違い・興味関心の違いを変えるなんてできない。
02/04 11:08 入学金と校納金の振込み終了。

というわけで、 のための二本立て計画スタート!
02/03 08:56 【最近の傾向・その1】
発達障害の子どもが思春期を迎え、発達障害の親がそれに対応できなくて空回りしている姿を見なければならないのは、辛いものがある。発達障害の成人でも、あっちこっちにぶつかりながら生き延びてきて、その自覚がある人たちの場合は、思春期の大切さを知っていて、本人の気持ちも分かるし自分の二の舞を踏ませないようにとそれなりの対策を講じようと着々と準備を進めているものなのだが…。自分自身が子どもの思春期を乗り越えることができずにいつまでも幼稚園児扱いしていたり、自分のやり方では通用していないことを薄々気づいていて見栄を張ったり意地になったりしているのは、ちょっと(いや、かなり)どうかと思う。

【最近の傾向・その2】
“LD・ADHD・高機能自閉症”と並んでいるが、実質LDというものが多すぎる。「こんなはずでは・・・!」という現実を見ると嫌になるので、見ないようにしている。
02/03 23:36 来年度からの、長男の周辺機器ラインナップ。

遠出をするようになるので携帯電話といきたいところだが、人に連絡をとらなければという意識がない。おまけに、出かけるときに電源を入れない(これは、入れさせる)、帰宅後電源を切らない(これも切らせる)、充電をしない(これも、させる)、どこかに忘れてくるかもと、管理がたいへんなので、私が使っていたプリペイド式の携帯電話を使いまわす予定。ただし、一度でも行方不明事件を起こしたら、あんしんメイトかココセコムの導入を考える。

入学祝にパソコンといきたいところだが、パソコンは共有の98君をそのまま使う。ただ、日夜、電車・バス・車に関する、絶対に明日使えないムダ知識の収集にはげんでいるので、PDAをLANカードで使いたいホーダイのADSLに繋げて、更にムダ知識の収集にはげんでもらう。(PDAの方が、非力の98君よりよっぽど便利だと言っている。/だいたい、私が管理するパソコンが増えるとたいへんだし、セキュリティの更新に費用がかかる。)←資金源はバーバ。

これで、携帯電話を契約しても使い切れない基本料金を浮かせて、かつ、インターネットを利用しての情報収集も思う存分できる・・・予定。
02/03 20:00 合格といっても、よく事情の分かっていないおじいちゃん・おばあちゃんとか、とにかく入れてくれる学校があったということで単純に喜べる人と、「ここがスタートだ」と兜の緒を締め直している人とでは、すごい温度差があるようだ。
今日は、午前中は心臓に悪くて、午後は胃が痛くなる一日だったが、夕飯を食べて落ち着いたら、すごく当たり前のことに気がついた。
どうして、こういう子どもの行ける公立高校がないのだ!?
                                            ---今頃気づいても遅いか。
02/03 16:20
明日、銀行に行かねば。
02/03 15:47 『合格通知』を持って帰ってきた。(金を払え、と書いてあった。ひぇ〜〜!)
02/03 15:02






のようです。

今、学校に確認に行っています。ゴールというより、出発です。「合」ではなくて“GO!”です。