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No.8-題名:青少年有害社会環境規制基本法案 Mar.2/2002

 今巷では、報道のあり方について、内容について、国が”規制”を法として行なうべく事について議論がなされていますね。これは今、メディア規制3法案の中の一つですが、報道する、出す側としては「報道の自由」を疎外する要素として反対されてますね。この法案、どちらかと言うと私は自由民主党が”ある”成果 を挙げる為の事務的な要素がとても多いと受け取ってるんですね。
その部分どうゆう事かというと、今現在、客観的にみてもテレビで放映、報道される内容ってのは、子供、青少年に対して私ら子供の頃の内容と違いはあれど”刺激”のあるものが多いと思うのは”事実”と思います。それをどこからか、「これは有害だ」と言う意見、署名、運動があがって、議員にあげられ、”では”と言う事で、偶然にも今青少年の犯罪が多い背景とあいまって、”規制”しよう、しかも”法”でと言うストーリーが一つあるのだとも考えますね。

 ですが、どうなんでしょう。いつから自由民主党は”社会主義的”な思考をもった党になったのでしょうかね。! その背景には別の戦略があるように私は思えるのですが。要は権利を私物(党)化してる節もあるのでは、と。

 個人的にみえないのは、法案を出すまで月日はあったのでしょうが、議員からはどのような統計的データがあって、その要素が原因、引き金となって、事件とどのような相関性があったか、明確な事は国民に何もと言っていいでしょう、知らされてないですね。どちらかと言うと、「この様な事項が懸念される、何々を防ぐ為」などと言ういつまでも曖昧な言葉だけで、規制に結び付けている様な気がします。いったいどの程度、どれだけの膨大な双方のディスカッションがなされたんでしょうね、恐らくないでしょう。あったらこんなに揉めてないでしょうから。
と言う事は、やはり、この国の古くからある”臭いものにはフタをしろ”の考えが、歳、寄りの議員にあって、権力で”押さえ付ける” 考え方になっているようで、成長してないと思わざろうありません。結局のところ、規制する事は覚えているものの、その後の”リスク”管理など、対処など、は考えられて無い様ですね。今の国際化社会において成長しきれてない国の人材的な貧弱な面 を露呈してると思えます。

 国の対応の事について考えを書きましたが、逆にテレビの内容については、これもビジネス的要素が露呈していて、内容、と言う観点では、余り良い番組がない事も事実と思います。要は何か”視聴率”の数字が先にきて、”興味”を引く内容性の強いのが多いような気もします。これは制作者の資質、思想、モラル、能力に関わってくる事と思いますね。ゴールデン時間帯は、まさにそうゆう”気”引く内容が多いですし、そのそれぞれの思考の内容の受け取り方では、感受性の強い子供、青少年、に与える影響は確かにあるでしょう。個人的には、人間的に学習できる、共感できる、他の文化の素晴らしさ、と受ける番組は深夜帯に多く、これを何故ゴールデン時間帯に放映しない?、とは思うのですが、現代の子供、青少年には興味のない事であるのも事実と思ってます。これは多様化した現代における課題/盲点でもあるのでしょうが、子供と親が一緒に観ている時間も減少してきているのもあるのでしょうね。

前節が長くなりました。 で、自分が子供の頃面 白かった番組が槍玉にあげれてますね。”俺たちひょうきん族””ドリフターズ8時だよ全員集合”など。現在では、恋愛もの、暴力のあるもの、等のドラマ。バラエティのものなどですね。どうでしょう、これをユニークな事、つまりは娯楽として受け取れない人間が居た時は。一般 社会人はこうゆう娯楽も楽しみに、ストレス発散、会話の共通、などに利用していると思うのですが、どうなんでしょ、言っちゃ悪いですがこうゆう娯楽、ユニーク性を”知らない”議員さんらが観た場合、”くだらない”と思うのも関の山ではないでしょうか。?
議院も 一国民でしょうが、国民の何%に相当するのでしょうか。? 勿論、顕然な社会を造りあげる目をもたなければならないのも議員であるのでしょうが、単に規制に移すのは”芸”がないですよね。

 私ら子供の頃、色んな番組をみましたが、それらが全てにおいて悪影響をもたらしたかと言うと、そんなに常に記憶に留まっている事では無いように思います。楽しい時間をもらったり、とか、ここまでしたらこうなるんだ、とか、その場で知る知識程度に留まっていると思いますね。一方犯罪に移す場合って、精神的にもっと別 な要因がその人間の中に入り込んでの事があるのではないでしょうかね。それが全て報道だけ、と言う事ではないと思います。著作物であったり、そうゆう専門書であったり、そうこまで視野にいれないと、犯罪との相関性は定義しずらい事であるとも考えるんですがね。どうでしょう。

 結局のところ、国が直接的に権限を使い”規制”するのは如何かと思います。それよりも報道側へ”自主規制”を計ってもらい指導的、調整的作業がまず必要と思うのですがね。一方、報道局含めマスメディア側は、”自主規制”ってもんをしっかり考えるべきではないんですかね。視聴率だけでなくて、何を造って何を流すのか、社会的に受け取られるのですから与える影響について検討するとか、プロなのですから、製作する側もプロ的な人間であって欲しいですね。ビジネスだけでなくてね。
ですから、この問題に関しては今規制に関しては”国”が行なう時期ではなく、報道するものを含め、出版物等々に関するモラル、自主的な”規制”を認識、検討する事が必要なんではないでしょうか。全てを規制しても、”反発”は出てくるでしょう、必ずね。また、ユニークさを押さえ付ける事にもあるでしょうから、法がそこまで介入する権限はこの国にはないと思いますね。

 それと親である人間なんでしょうね。大変難しい事ですが。
私は以前からこう思うんです。民間の番組はスポンサーさんがいて、制作者がつくり、放映してる訳ですよね。内容の良否の意見は出していいでしょう。しかし”観る観ないの判断”は自身にある訳ですよね。自分らがお金を出して製作されてない訳ですから文句は言っても仕方ない事、切ってしまえばいいんですよ、嫌なものは基本的にね。

 冒頭にも書かせてもらいましたが「報道の”自由”」と言う言葉がありました。対して「選択する”自由”」ってものも受け手にはあると思うんですね。皆さんは ”自由”って事を考えた事はあるでしょうか。日本的に捕らえれば、「自由って何でもしてもいい」って事で受け取られているのが多いのではないでしょうか。? そうゆう教育にもなってるとも思うですね。
私はある時教わったんですがね、「自由ってもんは、全ての権限が自身にあるって事」なんですね。どうでしょうか、出す側、受ける側、自身の判断ができる事が必要なんだと考えてます。非常に難しい事ではあると思うのですがね 。

今の与党、野党の議員さんらには、今のこの問題をどうこうするよりも、社会、国際社会における立場、自身らの身辺を”改善/規制”してもらいたいですし、そのゆう態度を国民にみせていく方が先と思うのですがね。あなたがたが行なっている事を国民はみて希望を失っているのでしょうし、感心がなくなっているのでしょうから。
「自分の首を閉める」「灯台もと暗し」ってのは今の議員、報道彼らに言えるのではないでしょうかね。強いては国民自身にも、でしょうが。

率直な個人的意見でした。


 

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