RACING SIDECAR, Race History    Jan.19/2000
 

レーシング・サイドカーレースの発祥

 サイドカー世界選手権としてスタートしたのは、1949年になる。それ以前にもレースは開催されていたが、いわゆる現代での街中にみかける2輪に側車を付けたサイドカーで行っていました。公道を走れるマシンでサーキットに駆け寄り、レースをしてそのマシンでまた帰って行く、というアットホーム的なレースとして開催されていたようです。

 競争である為、必然的にスピード向上、誰よりも速くと言う事が追求された事は容易に想像できます。サイドカーである為、スピードを上げ安定して走行する為には、側車側でバランス、過重コントロールするパッセンジャーの働きが重要になり、曲芸的動きがやり易いような改良が必要になってきたのです。

  この改良の取り組みがレーシング・サイドカーへの第1歩となり、現在のスタイルまで進化してきました。1949年にスタートした世界選手権は2輪としてもスタートしたようであるが、サイドカーも同時に含まれた経緯があります。しかしながら現在では、残念ながら世界選手権モータサイクルWGPから政治的に排除されるようになり、同時併催的にワールドスーパバイク(SBK)に組み込まれ、世界選手権シリーズ戦として運営されています。

   


 スイス、ドイツ、イギリス、オランダなどでは2輪に匹敵する程の根強い人気が今現在もあります。その理由には、サイドカー特有のコーナリングがあるのでしょう。車高を限り無く低くしたマシンで、2輪では不可能な程ブレーキングを遅らせ、ドライバーとパッセンジャーのその絶妙なコンビネーションをもって、不安定な3輪であるにも関わらずドリフトをし、ブラックマークを付けながら各コ−ナを抜けて行く様はサイドカーレースでしか味わえない醍醐味であるからです。

 

存続の危機

 グランプリの一員として定着し順風満帆に運営されてきたかと思われた1980年後半、プロフェッショナル化されつつある2輪GPの背後で、サイドカーをGPより外す動きがありました。メーカが資本を注ぎ込みハイレベル化される中、技術的には高度なものを持ちながら、その技術を他に(例えば市販車)生かせる道など無い事、またさまざまな政治的な働きにより、1990、91年頃には存続の危機に追い込まれたのでした。

   
 サイドカー側はその時エントリー各チーム間にて、ISRA( International sidecar race associaton)の組織を設立し、存続の為一致団結立ち上がったのでした。その紆余曲折の結果 、92年以降のWGPスケジュールに組み込まれますが、各チームの運営は厳しいものでした。
 

サイドカーレース、その後

 政治的には厳しい道のりを歩む事を余儀無くされたサイドカーレースだが、そのレースの内容は見る人を魅了するものであった。
ドライバーがエンジニアをも兼ねるこのサイドカーレースは、そのチーム毎に持てる技術を発揮し、熾烈なチャンピオンシップを繰り広げます。そのLAPタイムはGP2(250cc)に匹敵し、ある区間タイムではトップタイムを記録する程です。その技術が進んで来た経緯は誤ってはいなかったのです。
 技術陶酔狂的集団とも言われましたが、常にアイデアを持ち、研究心を失わなかった結果 、独自の進歩をし続けてられてきたのです。

 ここに、レース、競争する為に望む基本的精神・神髄があると思います。ある外国ジャーナリストは「現在、一番人間臭いレース」と評価しています。

サイドカー世界選手権レース自体は、健全なレースを守っているのです。