2003 year Sep.15 Fuji international speedway FINALE Sidecar Infomation

 1966年(昭和41年)にオープンした富士スピードウエイで最初に行なわれたレースはMCFAJ主催「全日本モータサイクルクラブマンレース」である。MCFAJによるレースは、今は無き伝説の「浅間」以来、現在に至まで連綿と開催され続けており、まさに日本のモータスポーツの草分け、パイオニアである。
1966年3月12日(土)13日(日)と開催されたこのレースで、サイドカーは既に「エキジビション競技」として行なわれている、そして、今年の7月5日(土)に開催された「MCFAJクラブマンロードレース第3戦」(現行コースにおけるMCFAJ公式戦最終レース)では公式競技として行なわれた。まさしく、サイドカーは富士スピードウエイの初めから終わりまでをみつめてきたカテゴリーの一つである。

 サイドカーの最大の特徴は「アンバランス」の一言に尽きる。実車を目の前にして感じるのは左右の極端な形状の違いであろう。
 過去に於いては左右対称に近いデザインとし、フォーミュラ−カーを3輪にした様な形で走行性能の向上を図った事例もあるが、結局それは「サイドカー」では無い、と言う事で否定された。現在では本車側車輪が進行方向に向って直線上にある事。側車側車輪は横方向からみて、車体側後輪と並ばない事と定められている。
 この様な非対称な車体デザインは、走行性能上でもサイドカーの最も大きな特徴となる「左右でのコーナリング特性が異なる」状況を生み出す。具体的には、アクセルを開けると本車側が進もうとし、アクセルを閉じると本車側が逆ブレーキとなり、側車側が進もうとする。この特性を理解し、又生かす為にドライバーとパッセンジャーがお互いの呼吸を理解しあい、コーナリングを行なう。レーシングサイドカー走行の大きな特徴であるパッセンジャーの大きな体重移動は、サイドカーの運動特性を抑え、且つ生かす為のものでもある。

 展示されているレーシングサイドカー(膝をつく姿勢で運転するので、通 称「ニーラ−」と呼ばれる)は、2台。1台はTeam OZEKI所有のLCR(ルイ・クリスチャン・レーシング/スイス国)製のシャシー。もう1台は日本のサイドカーエンスージャスト矢崎氏製作のYZF(ヤザキ・フレーム)シャシーである。
 この2台のサイドカーはレーシングサイドカーの歴史的発展の良い見本である。
 YZFシャシーのサイドカーは、非常にトラディショナルな作りの鋼管パイプ製フレームである。前輪は、アールズフォークと呼ばれる一種のリーディングアームサスペンションとなっているが、基本的にはフレームにステアリングヘッドが取り付けてある為、一般 的なオートバイフレーム(ステアリング)と同様の機構である。

 一方、LCRシャシーは、一般 的なオートバイの構造とは大きくかけ離れている。まず、エンジンはスズキ製GSX−Rのものであるが、ドライバーの後方にミッドシップ状に搭載されている。又、フレーム本体には4輪フォーミュラ−カーの様に、アルミニウムで箱型に組まれた一種のモノコック構造となっている。最大の特異性としては、前輪の保持及び操舵の機構である。4輪のフォーミュラ−カーのダブルウイッシュボーンサスペンションを進行方向に向けて突き出した様な形となっており、4輪車同様、操舵機構がサスペンションの先端に取り付けられている。サイドカーのコーナリングは、オートバイよりも4輪車に近く、積極的にステアリングで舵を取る事で曲がっていくので、この様な機構が考え出された。
 ちなみに、このシステムはヨーロッパと同時期(むしろ早く)国内でサイドカー選手熊野氏が考案され、MCFAJのレースで実戦投入を果 たしている。その熊野氏は世界GPサイドカーカテゴリーへの進出を果たし、日本製工場レーサー撤退後の日本人選手の世界GP進出のパイオニアである。
 レーシングサイドカーに於いて現在のトレンドとなっているLCRタイプのシャシーは、ある意味日本人の生み出したアイディアと言っても過言ではない。

 

以上、富士スピードウエイファイナルイベントにおける、レーシングサイドカー展示に際しての、富士スピードウエイ様からの説明文。