1998/9/25 開設

over 80 ! !

 

すべての公職選挙の投票率80%以上に ! !

 

「ポピュリズム」「大衆迎合」「衆愚政治」という言葉を使うのは、『バカのひとつ覚え』である。

 

 

素朴な疑問 報道はどの程度投票に行っているのか?

 

★ 衆議院選県別投票率ランキング

 

★ 参議院選挙県別 投票率 ランキング (選挙区)

 

★ 2009年 投票率総合ランキング

 

1971年の参議院選挙のとき、その投票率は、59.24%でした。河野謙三参議院議員(後の参議院議長)は60%を切る低投票率に衝撃を受け、議員全員に、有名な「河野書簡」を送り、参議院改革を訴えました。

1998年7月、参議院選挙が行われました。その投票率は、58.84%でした。1971年の参議院選挙のときと同様、「60%を切る危機的で衝撃的な低投票率」でした。

ところが、1998年の参議院選挙の「60%を切る低投票率」には、こんな低投票率でいいのだろうか、という問題提起の声はどこにも起こりませんでした。新聞も書きませんでした。TVでも言いませんでした。それどころか、大幅下落が予想された投票率が「予想外に」上がったことで、メディアでさえ、手放しで持ち上げ、誉め讃えるばかりの無様な有様に、私は、愕然とする思いでした。

参議院選挙前には、空前の低投票率が予想される中、「投票率が40%を切るようなことがあれば、参議院と民主主義の危機である」と、メディアや、参議院議員や、メディアにコメントを寄せる“有識者”などは、一様に、警鐘を鳴らしました。つまり、「民主主義」の安否のボーダーラインは40%である、と発信したのです。そして、メディアは、「民主主義」の安否のボーダーラインを大幅にクリアした58.84%の投票率を誉めたたえ、「民主主義は健全さを取り戻した」、「民主主義は生き返った」と、解説し、事実上の「安全宣言」を発信したのです。50%そこそこの投票率をもって、高らかに「安全宣言」をしてしまっていいのでしょうか。「民主主義」の安否のボーダーラインは、50%ではなく、ましてや、40%などではありません。

また、58.84%の投票率を受けて、メディアは、「これが民意だ!民意が示された!」と大々的に報道しました。でも、50%そこそこの投票率をもって、「民意が反映された」と言ってしまっていいのでしょうか。投票率が、下落が予想される選挙で、大きく上向けば、たとえ5割そこそこの投票率でも、「連敗ストッパー」の救世主、時代の寵児として、MVPかMIPか、殊勲賞か敢闘賞か、お立ち台か表彰台に祭り上げられ、やんややんやの拍手喝采、手拍子の嵐です。

5割そこそこの投票率が、一方では、1971年には民主主義の危機だと衝撃を持って受け止められ、一方では、1998年7月には民主主義を蘇生させたヒーローともてはやされる。

これって、おかしいと思いませんか?

参議院選挙の結果を伝える報道は、40%を切らず50%を大きく上回ったということで、投票率には合格点が与えられ、ボーダーラインをクリアした達成感や安堵感が漂っていました。投票率の問題は一件落着し、報道のスポットライトは、早くも、「政局」の大波乱の予兆に焦点を合わせていました。「政争・政局」の「権謀術数・合従連衡」の妖しい雲行き成り行きに、いやが上にも高揚感が満ちあふれていました。こんな低投票率でいいのだろうか、という問題提起を、いつまでたっても、どれだけ待っても、新聞も書きません。テレビでも言いません。政治の根拠である選挙で、国の、立法・行政に、その資格と権限を与える、最有力の国政選挙で、1割・2割ならまだしも、有権者の、4割、じつに4,000万人を超える棄権者がいる、という現実に対して、選挙の直後はおろか、何日たっても、メディアも、コメンテイターも、有識者も、誰も、何も、言いません。その前回の、1995年の参議院議員選挙には、有権者の55%、5,000万人をはるかに超える棄権者がありました。1992年も、有権者の半分、約5,000万人の棄権者がありました。棄権者が1割・2割なら、少数意見尊重の見地から、かばい代弁するのもいいでしょうが、4割を超えるに至った今、棄権者に対して、その無責任、無自覚を、はっきりと、批判するべきではないでしょうか。主権者としての自覚を強くうながすべきではないでしょうか。国政にかかわる、衆議院議員選挙・参議院議員選挙で、4割・5割の棄権者が、揃いも揃って、政治を憂い、憤懣のあまり、確固たる信念に基づいて棄権しているとは、考えられません。棄権を権利と捉えようが、白紙委任と見なそうが、選挙という制度の機能をまっとうしているのではないのは確かで、それが大量の割合になれば、機能不全を引き起こす悪弊となるのみならず、選挙に大きく依拠している政治をも機能不全の不健康な状態に陥らせる危険性を増大させる要因になるのは否定できません。

投票率は、参議院議員選挙で言えば、1992年、1995年の選挙で、過去最低を、連続で記録しました。衆議院議員選挙で言えば、1993年、1996年の選挙で、過去最低を、連続で記録しました。1990年代の、衆議院議員選挙・参議院議員選挙は、合わせて、6回ありました。そのうち、4回の投票率が、過去最低を更新しました

これは、もう、異様な状況だと思います。今は、とても深刻な選挙崩壊の危機であり、民主主義の瓦解の危機であり、政治の危機であり、我々の生活・安全の保証・保障の危機である、と言えるのではないでしょうか。誰も言わないのなら、無名無力は承知の上で、「アリの一穴」どころか、「バカの一徹」で、「大海に、かわず飛び込むが、水の音も聞こえず‥…」でもかまわないから、とにかく、すべての公職選挙の投票率を、100%とは言わないが、せめて80%以上にしよう!」と、声を上げてみようと、一年365日、投票率アップを呼びかけるホームページを、開設することにしました。以来、私は、学生時代に幼稚な作文をしただけのキャリアに臆することなく、あまりの無知にもめげることなく、恥を捨て去り、原稿を書き、推敲を繰り返しています。平凡で何の変哲もない一市民である私は、このover80 !!を通して、「投票率が80%以上、つまり、ほとんどの有権者が選挙を通して政治に参加することが、日本中に溢れている日本人の叡知を集約する最適の方法である」と、賢明な皆さんに語りかけるとともに、自分自身にも、主権者の自覚を問いかけていきたいと思います。

私は、自分のまわりの、名もない幾多の人達の、尊厳に満ちた敬愛すべき人生を、目の当たりに見てきました。また、ごく普通の人が、ごく普通に人を愛し、家族を愛し、人を互いにいたわり、尊重し合い暮らしていることを知っています。また、誰もが、静かに、穏やかに、しかし強く、生きる意義を求め、自己アイデンティティを探していることを、確信しています。私は、日本人と、日本の民主主義の、健全な発育を信じています。私は、自分を信じ、自分の人生を信じ、日本人の叡知を信じ、それを心の糧にして、これからも、インターネットという情報の雑踏の中で、over80 !!というささやかな「ホーム」を、「換気」を怠らず、「掃除・洗濯・整理・整頓」を黙々と続け、手入れを続けて行きたいと思います。

 

 

 

★ 選挙yearを迎え、『報道の矜持』を考える ★

素朴な疑問 報道はどの程度投票に行っているのか?

 

 

国民のナビゲーターたる『報道』は、報道する前提として、報道に関わる全ての関係者の矜持として、各種選挙で『投票』という『国民の1分』を貫いている人が、どのくらいの割合を占めているのでしょうか?

まさか、80%以下だ、というようなお粗末なことではないとは思いますが・・・

100%で、当然であると思います。

「投票率」以下などは、もちろん、論外、言語道断です。

そうでないと、『国民の1分』を貫くこともできないものが関わっていることになり、選挙・政治の報道そのものが不潔不純不遜で歪んだものとなり、選挙やそれによって導かれる政治の『品格』に泥を塗ることになり、政治と社会をおとしめていくばかりです。

迷惑・最低以外なにものでもありません。

まして、投票率以下ということであれば、『報道』する資格などないのは明白です。

『社会』に汚染を撒き散らし機能を阻害する「ノロウィルスもどき」です。

「発熱」「嘔吐」「下痢」「嫌悪感」などの症状を発症させる前に、即刻、選挙・政治報道から退去し、バラエティーあたりで空騒ぎされるよう勧告いたします。

また、選挙のみならず、政治・社会に関する議論・コメントを発信する人に対して、「あなたは『国民の1分』を貫いた上で発信しているんですか?」と、画面・紙面に問いかけて行きたいと思います。

 

選挙を含め、社会の諸事に関して

私的・公的を問わず

発言・論評・報道する者の最低限の資格。

 

選挙権を有しながら、選挙で棄権する者に、政治を語る資格は、ない。

これは当然のことである。

選挙に行かないくせに、政治や社会にいちゃもんをつけている人の意見は、単なる『愚痴』にすぎない。

選挙に行かないくせに、政治や社会を論じている人の意見は、単なる『たわごと』にすぎない。

P.F.ドラッカーは、『すでに起こった未来』の中で、

――――「無人の森で木が倒れたとき、音は存在するや」 これに対する正解は「否」である。音波は存在する。しかし、その音波を知覚する者がいなければ音は存在しない。音は知覚によってつくられる。そして、この音がコミュニケーションである。――――

と書いている。

では、「政治・社会の森で棄権者が愚痴ったとき、音は存在するや」・・・答えは「否」である。

選挙権を放棄した者が政治について、声の大小を問わず『愚痴』をこぼすのは、「無人の森で木が倒れたとき」の単なる「音波」であり、「意見」という「声」は存在しないに等しい。

社会の諸問題を解決・調整する重要な役割をもつ政治において、棄権者の「音波」は、「声」にはならず、「無」である。

棄権者と政治との間にはコミュニケーションは成立しない。

「声なき声を聴く」は、「絵に描いた餅を食う」である。絵空事であり、無理であり、無駄な努力である。

今、各種選挙において、投票率が50%割れどころか、30%を下回ることもそんなに珍しいことではなくなった。国政選挙においても、投票率が60%を越えれば拍手喝采の有様である。

「選挙ダービー」が成立すれば、それで良し。

投票率の閑古鳥化よりも、ダービーの白熱化の方が、国民受けも、報道受けも、有識者受けも、格段に良好なのである。

勝ち馬・負け馬の白黒化の速さと正確さの競演が一過すると、早速、勝ち馬に乗りぶらさがり追っかける道中記に切り替わることとなり、投票率の閑古鳥化の問題は、蚊帳の外にたなざらしとなる。

こうして、おざなりに建前としてダービーマッチの飾り物として、出走直前のレースクイーンとして、出番を終えた「投票率」は、次の選挙までの眠りにつくのである。

政治的「無」の存在が選挙によっては7割を占めるような事態は、深刻である。

国の行方を占う国政選挙で4000万の政治的「無」が存在する様は、不気味を通り越して、ホラーである。

こんな状況で、政治にリーダーシップを求めるのは、無理な注文である。「無」を引っ張ることなど、不可能である。

得体の知れない「無」の闇が広がる無気味なブラックホールには、「君子危うきに近寄らず」しか方策は有りようがない。

「無」が危機的状況にまで切迫しているのは、「ネバー・エンディング・ストーリー」だけの話ではなく、現実の社会でもひたひたと実現している「トルゥー・ストーリー」なのである。

 

選挙に行かない人が政治を論ずる資格はないのは当然であるが、選挙に行かない人が政治を伝える資格はあるだろうか?

選挙に行かない人の政治的行為は「無」である。

選挙に行かない人の政治報道は職業人としての報道ではあるだろうが、あくまで「お仕事」としての政治報道であり、コミュニケーションという意味での報道とは言いがたい。『仏造って魂入れず』であり、中身の伴わない空疎な「信号」であり、コミュニケーションの役割を果たすことはできない。

このような空疎な「単なる信号」の羅列を垂れ流していれば、情報の受け手には信号が伝わるだけで、コミュニケーションという意味での報道とはまったく次元を異にする『真っ赤なニセモノ』となってしまう。

さて、選挙報道に関わる記者・評論家・コメンテーター・その他の諸々の報道スタッフは、選挙の際、選挙当日あるいは選挙の近日はとても多忙であろう。選挙の一週間前、一ヶ月前も、忙殺されているだろう。そんな中、選挙当日に投票するのはかなり至難な技であるのは、想像に難くない。不在者投票に行くヒマもあったのかな?

棄権という政治的「無」の人が、選挙報道、選挙解説、選挙評論、選挙に対する発言に関われば、その報道は「無」に侵されコミュニケーション能力が低下する一方、胡散臭さは倍化する。そんな報道がまん延すれば、全国に政治的「無」を撒き散らし汚染させることになる。

政治報道に携わる人たちの「自身の選挙権行使」に対する矜持のほどを、是非、知りたいと思う。

 

日本の総選挙の投票率は、1996年59.65%、2000年62.49%、2003年59.86%と、「低空飛行」が続いている。2005年9月は67.51%を記録したが、前回の59.86%より7.65ポイント上がったというだけのことで、「低い投票率」にもかかわらずあたたかく受け止められている。

「ワンサイド・ゲーム」になってしまったことで、「高すぎた投票率」に戸惑いすらみせる論者もいる。投票率が7.65ポイント上昇したことや「ワンサイド・ゲーム」になったことに、絶句しビビッて、どうするの?そこそこの低位安定の投票率でそこそこの政治知識をもった有権者による「拮抗した一点差ゲーム」ならば安心していられるのだろうか。

政治知識はどこまで知れば知識と呼べるのか。「大蔵大臣」だった政治家が、大事な決断をする際に大事な数字を秘匿されたままで後になって「知らなかった」とホゾを噛むといった出来事が一度や二度ではなく起こっている。

政治専門家でさえこの調子なのだから、政治に関する情報が有権者にどこまで公開され、有権者がどこまで多面的に把握しどこまで正しく理解できるのか、まったく分からない。

上司や親父に説教されているようなマニフェストや演説をウザいと敬遠し聞く耳を持たないからと言って劣悪な有権者と決め付けていいのだろうか。

庶民は賢明である。

権力者の側からの言い分を、ヤブニラミの視点から、クールにあるいはホットに、皮肉にあるいは率直に、ヒット・アンド・アウェーで、距離感を見失うことなく捉える智慧を、庶民は持っている。

戦国時代の百姓でさえ、知識も教養もなかったが、武士の合戦を、弁当を持って近くの山から「観戦」するような情報力を持ち、合戦の後に勝者に戦勝祝を捧げ、敗者の落武者狩りに取りかかるといったヒット・アンド・アウェーによって、権力側との「距離感覚」を保っていた。

庶民は、昔から、ずーっと、賢明なのである。

政治知識は、或る意味、「護送船団」である。

政治知識の情報源は、「大本営発表」であり、また、報道や団体や個人が発信した情報も、報道の過程で取捨選択され、二次加工三次加工・・・X次加工され、取材・編成・営業の思惑による横槍が絡んだ品揃えにディスプレイされ、「横並び」に「均等」に「並列的」に流布されていく。

政治情報における護送船団の中で、「大本営発表」の情報をもとに、「パネリスト」達によって加工されたものが、政治についての議論や判断の基本の情報として共有される。

こうして、「情報」は、記号化され抽象化され、「キャラ立ち」していき、いくつかの定説的「船団」に収斂されていってしまう。

護送船団が必ずしもいつも正しいとはいえないのは、最近の歴史を見れば明らかである。

こうした与えられた知識でも、その裏付けがあればあるほど間違いがない判断をする助けにはなることはなる。しかし知識は過去についてのものなので、知識に囚われて既存の観点や慣習や定説に拘ってしまう危険性も多分にある。

政治の知識がどの程度あるのかということで、有権者の優劣をつけたり、一票の軽重を問うのは、倣岸不遜な思い上がりといえるのではないだろうか。

投票率が高くなると人気投票の側面が強くなるのではないかというのは、杞憂にすぎない。

例えば、ドイツの総選挙の投票率は80%前後を保っている。2005年9月は77.7%、前回2002年は79.1%、前々回1998年は82.2%

投票率が80%前後を記録しても人気投票の様相はなかった。

日本国民がドイツ国民に劣っているとは思えない。

むしろ総選挙などでドイツ並みの投票率になれば、日本の進路の選択はより的確により臨機応変に示されるのではないだろうか。

 

 

 

 

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表紙項目

 

 

直前選挙日程 最近投票率

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直前選挙日程

 

衆議院議員選挙  投票率を80%以上にしよう!!

衆議院議員補欠選挙  投票率を80%以上にしよう!!

参議院議員補欠選挙  投票率を80%以上にしよう!!

知事選挙  投票率を80%以上にしよう!

市長選挙  投票率を80%以上にしよう!

 

最近投票率  (投票率一覧別項)

 

国政選挙  投票率を80%以上にしよう!

衆議院議員総選挙 (小選挙区)  投票率を80%以上にしよう!!

衆議院議員補欠選挙

参議院議員選挙  投票率を80%以上にしよう!!

 

参議院議員補欠選挙

 

知事選挙  投票率を80%以上にしよう!

  1. 7/5  静岡県     61.06%       (前回) 44.49%(05/7/24)
  2. 7/5  兵庫県     36.02%       (前回) 33.33%(05/7/3)

市長選挙  投票率を80%以上にしよう!

  1. 7/12  高岡市      (たかおか)      富山県   36.26%  (前回) 無投票(05/11/13)
  2. 7/12  奈良市     (なら)          奈良県   56.12%        (前回) 50.91%(05/7/31)
  3. 7/12  瀬戸内市    (せとうち)       岡山県   無投票       (前回) 65.21%(04/12/5)
  4. 7/12  中間市     (なかま)        福岡県   47.22%       (前回) 無投票(05/6/26)
  5. 7/19  旭市       (あさひ)        千葉県   63.11%        (前回) 無投票(05/7/24)

 

 

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リンクのご案内

over 80 !!は、リンク・フリーです。

リンクされた場合は、お手数をおかけして恐縮ですが、over80@yahoo.co.jpまで、その旨ご一報ください。

 

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・ ・ ・ ・ ・  ごあいさつ  ・ ・ ・ ・ ・

 

・ ・ ・ ・ ・  開設 10 周年のごあいさつ  ・ ・ ・ ・ ・

 

2008年9月25日、over80!!は、開設10周年を迎えました。

over80!!においでくださった皆々様に、心より感謝と御礼を申し上げます。

振り返ってみれば、10年目も、推敲と変更の繰り返しでした。

いつまでたっても、良く言えば、「手作り」の、平たく言えば、「あか抜けない」、頑固で偏屈で不器用なページに変わりありません。

これからも、相変わらず、推敲を重ね、サクサク・シェイプアップに励み、ヘルシー&スリムなページを維持していきたいと思います。

11年目を迎えるover80!!を、どうぞ今までと同様、よろしくお願い申し上げます。

over80!!は、インターネットという情報の雑踏の中で、皆様のお越しをこうしてお待ちしております。

それでは、各ページへと、ご案内いたします。

なにも気のきいたおもてなしは、できませんが、よろしくご高覧くださいますよう、お願い申しあげます。

 

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・ ・ ・ ・ ・  Yahoo! JAPAN 登録 10 周年にあたって  ・ ・ ・ ・ ・

 

over80!!は、

検索エンジン「ヤフー・ジャパン」の、

「新着情報1998年11月11日(水)」の、

「今日のオススメ」欄のトップに、

………………………………………………………………

over80 - 投票率を80%以上に - これが、タイトルの由来で、作者の働きかけだ。

先の参院選挙では、投票率が前回を上回ったというものの、58.84%にとどまった。

沖縄県では知事選挙が、

大船渡(岩手)、熊野(三重)、川之江(愛媛)等では、各市長選が

近く予定されている。

作者は投票率を上げることが「我が国を健全に導く最善の道だ」と訴えているが、

あなたは選挙に行きますか?

………………………………………………………………

というコメントとともに、紹介していただきました。

平成20年11月11日は、over80!!が、「ヤフー・ジャパン」新着情報の、「今日のオススメ」欄に掲載されて、ちょうど10周年の日となります。

皆さんから、いただいた、たくさんのover80!!へのアクセスのかなりの部分が、検索エンジン「ヤフー・ジャパン」を経由してのものだと思います。

「ヤフー・ジャパン」に登録されていなかったら、テーマがテーマでありますので、皆さんからのアクセスは、「激ヤセ」だったと思います。

また、そうなれば、コツコツと、ページ追加、推敲、変更を繰り返す意義を見失い、刀折れ矢尽き果て、生来の、意志薄弱、精神力脆弱の、私の資質と相まって、over80!!は、今頃、とっくに消えて無くなっていたことと思います。

over80!!は、ご覧のように、「スジ」と「アク」だらけの、というか、ほとんど「スジ」と「アク」だけの、糖分も、旨味のもとの脂分も、何もない、山菜の、「ワラビ」か「ゼンマイ」のようなページです。

画像も、デザインも、何もない、と、の3色の、「字」だけの、「食物繊維」のようなページです。

今後も、カロリー・ゼロのホームページを運営していく所存ですので、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

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