りんごの日本史いろいろ
〜りんごの変遷とネーミング〜



日本の現在のりんご栽培は、明治初期の欧米からの品種の導入によって本格的に開始されました。これらの品種には、勿論欧米での名前がついていました。
例えば、料理用などでよく知られている「紅玉」は明治の初めに導入されましたが、欧米での本来の名前は「Jonathan」です。他にも、青りんごの「祝(いわい)」が「American Summer Pearmain」、「国光」が「Rall's Janet」などなど。
しかし、現在のように横文字が氾濫している時代ではありませんでしたので、横文字名前のままでは、普及は難しかったようです。そこで日本名がつけられることになりましたが、最初は産地ごとに勝手に名前をつけていたため、かなりの混乱があったようです。


北海道や青森県では、開拓使が導入した番号で呼ぶものが多く、同じ品種でも地域が違うと別な番号がつきました。「アレクサンダー」という品種は、北海道では「一六号」、青森県では「八号」と呼ばれていたようです。山形県ではイロハを採用し、「イ印」「ロ印」。その他、試作させた篤農家が自分の園の名前をつけた「岡本」「松井」、これに熟期を絡めた「樋口晩(ひぐちおく)」、「菊池早」などという名前があったようです。
前述の「紅玉」も、「六号」「満紅」「三五号」「千成田」「千生」「チ印」「盾無」に、「国光」が「四九号」「晩成子」「三七号」「雪の下」「キ印」(え…)「霜潜」などといった名前で呼ばれていました。


1894年(明治27年)に仙台で第1回目の名称選定会が開催され、主要な品種に初めて統一名がつけられることになりました。この選定会は回を重ねましたが、どの県も自分の県で使用している名称を統一名にしようと運動し、特に岩手県の名称が多く採用されたために、青森県の代表から不満が出ました。
そこで1900年(明治33年)の第6回大会の折に、それまでに決められた統一名称を捨てて、新たに全国統一名を定めました。それが「鳳凰卵」「紅玉」「国光」「柳玉」「祝」の5品種なのです。
これらの名称がなんとなくおめでたい感じなのは、ちょうど時の皇太子(後の大正天皇)のご成婚があり、これにあやかってつけたものであるからだそうです。


この5品種のうち、「国光」と「紅玉」は100年にわたって日本のりんごの基幹品種として君臨していくことになりました。しかし、明治以来現在に至るまで、外国からのりんごの品種の導入は止まることなくその数は1000を越えています。そのうえ、昭和に入って日本でも新しい品種の育成が始まり、「国光」と「紅玉」の位置付けも変わってきました。
まず、同じアメリカ原産の「スターキング・デリシャス」が「紅玉」に置き換わりました。その「スターキング・デリシャス」も日保ちの悪さから減少し、かわって青森県が開発した早生品種の「つがる」が大きく伸びてきました。そして「国光」は、「ふじ」にその王座を明け渡すことになります。
現在の生産量は「ふじ」が全体のほぼ半分、次いで「つがる」、デリシャス系、そして残りの品種といった順になっています。
しかし毎年新たな品種が次々と発表されている今日、私達の口に入るりんごの種類は更なる多様化を見せることになります。その中から、今の品種以上に支持されるりんごが生まれ、りんごの歴史をまた変えていくかもしれません。


<参考文献>
「日本大百科全書24」 小学館(1988)
「りんごのほん」栗田哲夫編著、和広出版(1983)
「果物はどうして創られたか」梅谷献二・梶浦一郎著、筑摩書房(1994)
「昭和農業技術発達史第5巻 果樹作編/野菜作編」農林水産省農林水産技術会議事務局 社団法人農産漁村文化協会(1996)