旧約聖書の最初にある創世記。神は天地創造の時に土のちりで人を作り、エデンに一つの園を設けて、人をそこに住まわせたといいます。これがアダムですね。 そしてアダムのあばら骨から創られたのが妻のイヴ(エバ)です。 イヴはへびにだまされて、禁断の果実を夫とともに食べ、そのために楽園を追放されてしまいます。 この禁断の果実こそが、りんごなのです。 と、一般的には思われていますが、創世記のこのくだりには、これがりんごであるという記述はありません。 神はアダムに「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」とだけ言っているのです。 この「善悪を知る木」は、「それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましい」ものだったとのことですが、特に何の果実であるかはわかりません。 聖書の他の部分には、りんごという記述がいくつか見られます。 例えば雅歌には、「りんごをもって、わたしに元気をつけてください」とあります。他にも、「箴言」には「金のりんごをはめたようだ」、ヨエル書には「ざくろ、やし、りんご、野のすべての木はしぼんだ」といった表現が見られます。この場合、果実は「りんご」と特定されているわけです。 (もっとも、これらが私達が今考えるりんごであるかも怪しいような気はするのですが) では、何故「善悪を知る木」とだけ呼ばれるこの禁断の果実がりんごと考えられるようになったのでしょうか。 最初に聖書を翻訳したガリア人やローマ人のキリスト教徒たちの時代には、りんごはどんな小さな果樹園にも必ずあるというくらい普及していました。そのため、もしエデンの園にひとつしか果物がなかったのならば、その果物はりんごだったに違いないと考えたといいます。 他にも多くの神話糖で取り上げられていたこともあり、りんごの呼び名は果実類を代表するものであったことも関係するのでしょうか。 またりんごは、ピュタゴラス学派の人々は、りんごを横に割った時の形を、五つの枝を持つ完全な星形、善悪の知の秘密を解き明かす鍵となる星形五角形と考えたそうです。これはイヴの話と共通しているようです。 そしてアダムとイヴの多くの宗教画には、禁断の果実としてのりんごが登場することになり、私たちも「アダムとイヴが食べたのはりんごだ!」と思うようになったようです。 聖書の舞台になった紀元前のパレスチナでは、「食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましい」とまでされるりんごは栽培されてはいなかったようです。 そこでこの果実は、実はりんごではなく杏ではなかったか、という説が出てきました。 杏の方が先に近東に伝わっていたからだといいます。 しかし、杏が近東に伝わっていったのは3000年前のことであり、りんごはそれ以前に中央アジアからの遊牧民とともに中東からヨーロッパ東部へと広がっていたともいいます。 結局のところ、「アダムとイヴが食べたのは、りんごである」かもしれないし、そうでないかもしれない、という結論になってしまいましたが… <参考文献> 「聖書」 日本聖書協会(1996) 「世界食物百科」 マグロン・トゥーサン・サマ著、玉村豊男監訳 原書房(1998) 「日本大百科全書24」 小学館(1988) |