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クトゥルフの呼び声~クトゥルフ・ハイパーボレア~
第1話:触発
3.アブホースの影
夜。夕食をすませた後。
田園開拓任務初日ということもあり、その日は地形の把握や
土壌調査をした一行は、村長の善意で宿泊させてもらっている
離れに戻っていた。
水源をどこから引いてきて、どういう配置の田畑にすれば良い
か?というのは流石にリズが詳しく、様々な案件をだした。本
来はツァトゥグアの神官よりも、自然と農耕の神であるイホウン
デー信仰の神官の方が、こういったことには詳しいはずだが、
敵対していたので相手のことも良く知っているのだろう。
実際の土壌とか細かいことになると、やはり農家出身である
リーヴィの出番である。休火山を北にもち山間の村なので、土
壌的には余り良い土地とはいえなかったが、ある程度の改善
が出来そうだ。
「そういえば、アレ、依頼の時に話が出なかったってことは、中
央が知らないってことじゃない?」
話が一段落したところでトリシアがリズに聞いた。アレとはイ
プシロンのことで、布教活動のことを言っているのである。
ツァトゥグア信仰は首都のあるウズルダロウムの神殿がとり
しきる中央集権型で、内部は寡頭政治体制をとっている。遠地
にある場合は支局を経由することもあるが、活動するにあたっ
て基本的には中央への報告が義務付けられている。
処刑執行人は神官と密接な関係にあるので、トリシアはこの
辺の事情にも詳しい。
「そういえば、そうですね。手紙の配達者が山賊にでも襲われ
たのでしょうか・・・。明日聞いてみましょう。」
連絡の義務を怠れば、何らかのペナルティがあるはずだが、
自分のことじゃない、と思っているのか、のほほーんとリズが
応える。
「あんた・・・本当に神官?」
疑わしそうに、トリシアが言う。
「失礼な!どこからどうみても偉大なるツァトゥグアさまの忠実
なる下僕ではありませんか!」
神官の特質としては、当然、異端者に対して弾圧的であるこ
とがあげられるが、貴族階級が多く、禁欲的で教義や規則に
対して五月蝿く、従順なことが共通している。リズは異端者を
目の仇にしていること以外、これに当てはまらない。
言葉使いから貴族階級だとは思うが、言葉の内容が内容だ
し行動も行動なので・・・生い立ちとかは不明である。聞くの
も怖い。
「あれ、ヴァリスティーゼじゃないか?」
いつものリズを中心とした漫才をBGMに窓の外を眺めていた
リーヴィが、ふらふらと歩いていくヴァリスの姿をみつけた。
「そうですね。どこに行くのでしょう」
リーヴィの視線の先をみたシンシアが言った。
「方角からすると神殿の方だな・・・」
腕組みしながらネスが言う。
「これは・・・」「おいかけるしかないだろう」「うむ。そうしよう」
視線のあったリーヴィとネスがなにやら意気投合していると、
「御下劣。馬に蹴られますわよ。」
リズがジト目で言った。
「な、なんでだよ」
リーヴィとネスがうろたえたように見事に合唱する。
「おおかた、イプシロンと逢引するとでも思ったんだろ・・・・・・」
頭の上で腕を組みながらトリシアが言い、こう付け加えた。
「面白そうだ。あたしも行こう・・・」
神官は自戒の意味で禁欲的な者が多いが、教義として禁じ
られているわけではないので、飲酒や殺傷でさえも自由であ
る。リズもいつもは「大地の恵み」という名前のエールや「清め
の水」と称するワインを昼間から飲んでいる。
そして、実はリズもこういうのが嫌いではないので、全員でヴ
ァリスの後をつけることになった。辺境の村・・・・酒場もないの
で余興というか、楽しみがないのである。
想像通り、ヴァリスは神殿の中に入って行った。
一行は近くの茂みに隠れ、息をこらしてその様子をみていた。
殆ど出歯亀状態である。
しかし、想像とは違ったこともあった。神殿の中に入って行っ
たのがヴァリス一人ではないのである。現に今も数人の村人
たちが神殿に向かって歩きつつある。
「やっぱりおかしいな・・・」
ネスが呟き、流石のリズも今回は頷いた。
じいっと村人たちの様子を観察していたシンシアであったが
「1つ気がついたことがあるわ」と言う。
シンシアが言うには、ヴァリスのように今朝の礼拝の儀の時
にそれほど熱心でなかったものは、ふらふらと夢遊病者のよう
に歩き、熱心だった者は、ずるずると足をひきずるように歩く・・
歩くというより、這うと言う表現の方がしっくりくる・・・そうだ。
リーヴィには良く分からないが、呪術師と言う職業柄、シンシ
アの記憶力は優れている。
呪術師と言うのは、まだ体系化されていない初歩的な魔術
を使う人々のことで、医学の知識や学者としての知識もある。
実際に医療や錬金術で生計をたてている人も多い。呪術師の
中で魔術の奥義を極めた者を”魔術師”と言うが、魔術師は首
都にも5人いるかどうかである。
それにしてもシンシアの記憶力には驚かせられる。
「あれで最後かな・・・行って見るか?」
ネスが囁く。依頼には関係ないが、こう尋常でない事態を目
の当たりにすると、やはり気になる。
村人たちが入っていったので、当然の如く、鍵はかかってい
ず、すんなりと中に入れた。礼拝堂に村人の姿はなく、しーん
と静まりかえっている。
「どこにいったのでしょう」
シンシアが薄気味悪そうに呟く。慣れているリズならともかく、
夜の人気のない礼拝堂は何となく不気味だ。しかも、正面の
祭壇の後ろの壁画はツァトゥグア神なのだ。
「あれだけの人数・・・神殿の各小部屋に行ったとも思えないけ
ど・・」とトリシア。
「何か秘密の通路でもあるかもしれない・・・探してみるか・・」
とはネス。
二人とも探索は得意だ。ネスは狩人と言う立場上、野外の方
で輝くタイプだが、迷路のようなダンジョンでもない限りは、少な
くとも剣一筋のリーヴィよりは、探索にすぐれている。
トリシア・・・処刑執行人は、裁判官(もしくは神官)の命令で
死刑を実行する首切り役人だ。職業柄、刀剣の扱いにも長けて
いるが、国家権力の及ばない地方では行政執行者代理人の
権限をも与えられるので、戦闘よりも探索や尋問・・・・時には拷
問も・・・を得意とする。
ほどなく、祭壇の後ろに地下へ続くと思われる、通路がみつか
った。人一人が降りれる梯子を降りると、かなり大きな自然の洞
窟につながっていた。
ランタンに火を灯すと洞窟の至る所に、ツァトゥグア神の絵や小
型の銅像があった。
「うあ・・・・」
流石に、ツァトゥグア信者でないものは顔をそむけたが、当然
リズは平気だ。
「おお?!これは、エイボン導師の彫ったと言われる幻の銅像。
何故このようなところに・・。」
最近まで弾圧されていたツァトゥグア信者の神殿・・・神殿のみ
ならず家も・・・にはこのように地下通路があり、地下で隠れて信
仰していたので、このようなものがあっても不思議ではない。
「良くわからないけど、これって、アブホース神を模ったものじゃな
い?」
そんな中からツァトゥグアのものでない銅像を見つけたネスが
言った。狩人という職業柄、多少ではあるが神話知識がある。
「こちらには、アトラック=ナチャのものがありますね」
こちらはシンシア。どちらもツァトゥグアに近い神性ではあるが、
信仰の対象ではない。というより信仰するには、人間にとって危
険すぎる存在だ。
「うーん。これは・・・・ますます、調べねばなりませんね。ツァトゥ
ウグア神と接触してみましょうか・・・・生贄は・・・・・」
「やめなさい。」
リズの提案を、トリシアが間髪いれず却下した。当然だ、生贄に
されては敵わない。ツァトゥグアや落とし子の姿を見るのも嫌だ。
「・・・・とりあえず、奥に行ってみよう。」
リーヴィが進言した。
4.村の終焉
奥まで来ると、信じられないような光景が目前に広がって
いた。
灰色のねばねばとしたアメーバーみたいなモノの前に村人
が一列に並んでいる。それを、別の村人達・・・シンシアに言
わせると熱心な信者で、這うように歩いていた方の者たち~
が取り囲んでいる。
それだけなら良いが、一列に並んだ村人たちは、その灰色
のアメーバーもどきにのみこまれては、次の瞬間、その脇か
ら、元の村人を排出されているのだ。
「なんだ、あれ・・・」
岩場の影から、嘔吐を必死にこらえながら、トリシアが言った。
「まずい、次はヴァリスだぞ。」
ネスが言うより早く、リーヴィが飛び出していた。ヴァリスが
”取り込まれる”寸前、何とか抱え、灰色のモノから引き離す。
同時に、面々も飛び出し、リズが叫ぶ。
「一体、これは何ごとですか?」
一列に並んだ村人たちは無反応だが、脇でみていた者と排
出された者はうつろな目をむけた。無論、言葉はない。
すると、その灰色のねばねばした・・・恐らく生命体?・・・が、
身体をうねうねとくねらせ始めた。見る間に人型になり、一行
の想像通り、イプシロンの姿をとり始めた。
「これはこれは、招かれざる客とで言うべき方々ですね?」
「あなたは、一体?。本物のイプシロンはどこへやったのです
か?」
こんな状況でも、普段からツァトゥグア神と交信が深い為か、
一番正気を保っているリズが問うた。
「彼なら、彼の本望通り、我の一部として、今もここにいるよ」
と、胸のあたりを指さす。
「彼の本望?」
「彼は、ツァトゥグアのみならず、我が父や他にも興味を抱いて
いてね。卑しい人間風情が、そんな大それたことを考えるもの
ではないが、まあ、我に会えたのは彼の人生最大の幸運だ
ろうよ。」
くすくすと笑いながら言う。と、言うことは、彼は人間ではなく、
人間を卑しい存在と言うからには、それを超越した存在なので
あろう。が、どこか人間くさい愛嬌がある。
「分かりました。」
リズが続ける。どこか目がすわっている。彼が何者なのか理
解してしまったのであろう。
「何があなたをこうさせているのかは分かりませんが、大いなる
父の元へ還られたらどうです?」
「我は、父から独立し個性の存在を知った。いまさら父の元へ
還る気はない。今の我は矮小なる存在であるが、自己増殖を
繰り返し、やがては、父をも超える存在になるだろう・・・今は
だめだ。もっと人間を食らい、人間の知識と経験を我がものに
しなければ。・・・・現在の我の力は弱すぎる。」
「仕方ありませんね。」
リズが、呆然とこのやりとりを聞いていた一行を振り向き、にっ
こりと微笑んでから・・・・・・
「火を放って逃げますわよ」・・・・と、言った。
ヴァリスティーゼをトリシアに任せ、リーヴィが最後尾で元村人た
ちを撃退しながら、何とか地下洞窟を抜け出した一行。
今、最初にこの村を見渡した小高い丘の上で、燃え盛る村を見
ていた。
周囲にはヴァリスを含め、160人程度の村人たちがいる。
人口500人位の村で、イプシロンもどき曰く100人前後の”信
者”がいると言ったことを信じるなら、240人近い人間が犠牲にな
った計算になるが、仕方ない・・・と諦めるしかない。
何しろ、本物の人間との区別がつかないのだから、良くやった
ほうだ、と自分で自分に言い聞かせるより他にない。
リズの話によると、”アレ”はアブホースの落とし子らしい。
落とし子の殆どは、父に食われ彼の一部として取り入れられる
が、稀にそれから逃れられた、はぐれ・・・とでも言うべき者がいる
らしい。
イプシロンは、熱心なツァトゥグア信者であったが、落とし子の話
から推察するに、ツァトゥグア以外の大いなる存在にも興味を示
していたようだ。彼が何をしたのか、どんな状況だったのか?は分
からないが、あのはぐれアブホースの落とし子と出会い、今回の事
態が起こったようである。
アブホースの落とし子に食われた者の傀儡は、知性がある上に、
普通の村人のふりをしていたことでも分かる通り、個性も”再現”
出来るので始末が悪い。
全員の表情は暗かった。あのはぐれアブホースの落とし子がどう
なったのか、分からないこともあるが、それ以上に自分の身に降り
かかった現実的な問題がある。
何しろ、開拓とか出来る状況ではないし、リズのツァトゥグア神殿
への報告・交渉次第では、依頼料がどうなるのかも分からないのだ。
「・・・・じゃ、まあ、とりあえず帰りますますか。リタも来る?」
重い足取りでトリシアが歩き始めた。
「はい。父も、もういませんし・・・」
「冒険者になっても、明日が分からないけどね。」
ネスが、確かにこればかりは、真実なことを言う。
一行は、新たなる定住の地を探す村人達と別れ、”1つのこと”を
思いつつ、重い足取りで帰路についた。
ただ1つ、別れた村人たち全員が”人間”であることを祈りながら。
おしまい。
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