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忍術書

  *戦国風雲忍びの里より

 「忍法三大秘書」は「万川集海」「忍秘伝」「正忍記」になります。
ただその根拠はなく、この3冊が有名だから、そうなったと言われ
ています。
 これら、忍術秘伝書は「虎の巻」と呼ばれていて、この言葉は、
今でも良く使われていますね。
 実際には、江戸時代中期の兵法書ブームの折に門外に出された
もの・・・という説があります。忍者の実戦兵法を書物として残すこと
は忍者の存在価値の危機になりますので・・・。
 また、忍術・兵術・道場の秘伝書は通常、免許皆伝をもって伝え
られるはずですが、これらのものが口伝から秘伝書という”書物”に
変化したことは、衰退への危機を意味していたと思われます。
 少し話は変わりますが、柳生隠密は”剣法”です。柳生新陰流と
言われるもので、陰流から相伝されなかった者がおこした流派に
なります。後、勘違いしがちですが、江戸時代の「お庭番」と「隠密」
は別組織です。

「万川集海」
 延宝四年(1676)に甲賀・伊賀の11人の忍術をまとめたもので、
全22巻。正忍、将知、陽忍、陰忍、天時、忍器の6編からなり、くの
一・水蜘蛛などの代表的な用語はこの本が出典である。
 水蜘蛛は寸法が乗っていないのし、現代の実験結果から・・・人が
水に浮くのは不可能ですので、実は折りたたみ式の船だったのでは
ないか?という説があります。
 「甲賀本」には甲賀郡隠士の藤林保義、「伊賀本」には伊賀国隠士
の藤林武次とありますが、編者の名前が違うだけで同一人物の手に
なった本で、実はこの二人の編者も親子であり、甲賀と伊賀の境に
住んでいたそうです。

「忍秘伝」
 永禄3年(1560)に伊賀の玉縄(玉滝)の住人である服部美濃辺三
郎が著し、その後、にんし承応2年(1653)3月、服部美濃守保清が
全4冊にまとめたもので、永禄3年より伝承したものらしいです。

「正忍記」
 延宝9年(1681)に紀州藩士の藤一水正武太夫が著したと伝えられ
ます。全3巻。勝田何求斉、養真ら伊賀の忍者が紀州に移り、紀州流と
して発達させた忍術。紀州流忍法書には、青竜軒名取兵左衛門・名和
三十朗正武・武藤一水の名のものもある。

「忍術秘書応義伝」
 甲賀五十三家のうち頓宮四方佑家に伝わる巻物(一巻)。天正3年(
1575)に竹中半兵衛が写字し、頓宮盛重が天保12年(1841)に浄写
したものです。

「忍術応義伝」
 望月重家が天正14年に油日岳に籠もり神授を得たという、1巻だそう
です。

「忍未来記」
 木村家に伝わったもので、「甲賀忍之未来記門人」近松彦之進が享保
4年(1716)に写したものです。

「忍法秘巻」
 雲州の伊賀流の秘伝を、井上所左衛門政休が正保年間に著したもので
1冊。

 この他にも、「老談集」「雲起正伝」「木猿伝」「楠正成火術伝」「当流奪口
忍乃巻」等、多くの忍術書があります。