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1.戦国時代の忍者5

武田素波、上杉担猿
 
 忍者のことをスッパ・トッパ・ラッパと言うこともあり、素波(破)・突波・乱波
という当て字が使われます。これらの言葉は現在でも「スッパぬく」や「トッパ
な奴」と言うように使われていますね。

 武田信玄は、「足長坊主」という仇名の通り、全国的に諜報網をもっていま
した。その諜報組織に「三つ者」(間見・見分・目付)の一群を抱えていました。
武田忍者として有名な武田素波は甘利備前・飯富兵部・板垣信方の三将の
配下に当てられていました。武田家には冨田郷左衛門という忍術の達人がいた
と言われ、この者が諜者の統率者として三つ者を指揮・統率していた中心人物
と思われています。また、この他に甲賀忍者の黒川氏や伊賀忍者の音羽氏等
も武田忍者として活躍した・・と伝承されています。
 「広文庫」の「すっぱ」の欄には、「倭訓抄」よりとして、「すっぱ、俗に貪婪恥な
く窃盗を事とする者をいへり」、また「妄に刀を抜く者をすっぱぬきといふもこの義
なるべし、或は水破なり」とも書かれています。「松屋筆記」にはとして、「今の世
スッパヌキという詞あるも、不意に刀を抜く事にて、忍びのおもひかけぬ所に立ち
いりたるにたとへしや」と書かれています。

 信玄のライバルであった上杉謙信に於いても信玄への対抗上、行商人を使って
諜報組織を動かしました。その1つが、担猿と言われたスパイ網です。担猿は一般
には太田丈乃助のことですが、軒猿と言うこともあり、これは古代中国の軒猿黄帝
の「軒猿」の字を訓読みにすると「のきざる」と読めることから、命名源になったので
はないかと言われているからです。さて、行商人に身をやつした上杉忍者ですが、
ヒントは越中富山の薬売りでなないかという説があります。
 信玄も謙信も忍者を敵にすると危険な存在と認めていたと認識できる逸話に次の
ようなものがあります。
 二人の争いに乗じて伊賀の加藤段蔵というのが、謙信に自分を売り込んだ。うさ
ん臭さに謙信は雇わない。
 しからばと武田信玄のところへ。ここでも、信玄は侍臣に命じ殺させた。謙信はも
ちろん信玄も反間・逆諜の危険が多いとみたのであろう。
<孫子の反間とは、その敵間によりてこれを用うるなり>
 つまり、敵のスパイを逆に手なづけ逆用する方法です。