八高線の想いで

現在は八王子ー高麗川間が電化され貨物列車も走らなくなってしまったが、'70年夏頃まで蒸気機関車D51,C58が貨物列車を牽引し、また結構な貨物量もあったため本数も多く重連列車もありなかなか見応えのある路線であった。'69年秋小学校5年生の遠足で初めて間近で蒸気機関車を見てその迫力に圧倒され、以後八高線に足繁く通うようになる

私が初めて機関車を撮った写真('69.12拝島駅で)

当時同級生にSLに詳しい者がいて、高崎に行くと機関区に入れてくれると聞き、早速行ってみたが入り方が分からずホームから写しただけで帰宅する。機関車が何台も並び、今となってはガントリクレーンも懐かしい('70.1)

EF62の一号機も見かけた

東飯能ー高麗川間をいくC58,以後この場所がお気に入りとなった('70.3)

同地点を行くD51

バック運転のD51,この頃は撮影者が多く運転士は気を遣ったことだろう

D51重連が鉄橋上を行く、金子坂と呼ばれる勾配があったため重連列車もよく見られた

ようやく念願かなって高崎機関区に入れてもらう。仕業を待つD51507('70.5)

蒸気時代終焉が迫っているのか、ナンバープレートを外されたC11や9600が並ぶ

お気に入りの場所を上ってくるC58 ('70.5)

別の日のカット、珍しくピントが合っている

当時の東飯能駅か?懐かしい雰囲気が漂う

その機関車はいきなり目の前に現れた。はじめてみるDD51('70.5)

うしろにD51を従え、訓練運転の初期の段階だったのだろう

あっという間にDD51やDE10の天下となりそれにともないD51,C58は姿を消してしまった('70.7高麗川)

そしてその日はきてしまった。SLさようなら八高号('70.10高麗川)

拝島駅で、跨線橋まで黒山の人だかり