(02.04.21)
今、『空耳見聞録』という本を読んでいる。
1991年発売の遊佐未森さんの本で最近頂いたのだけど、インタビュー記事はなかなか面白く興味深く読んだ(まだ、インタビューのところしか読んでいないとも言う)
共感するところはたくさんあるのだけど、特に印象に残った言葉がある。
「声の記名性というのは大切だと思うんですよ(←これはインタビュアーさんの言葉)。」
「もっと声を生かした、声が聴こえるものをやりたいんですね。/ただ単純な声じゃなくて、もっと想いがあるものにしたいんですよね。」
よく、音楽雑誌を見ていると、すべて音楽の種類というのが出尽くしたとかいわれたり、アート的にもコラージュだったりとかが中心になっちゃっているところはあるけど、何かそっちじゃなくて、もうちょっと眠っている部分があるんじゃないかなぁと思って・・・、という言葉に続いて語られた遊佐さんの言葉である。
別のページでこのようなことも言われている。「それで、ビックリしたのは、“この年代の子に聴かせよう”っていう、そういう企画書みたいなものをどこかで見かけたのかな。それでこんな風に緻密に計算されてレコードって作られるんだって思ったんですよね。私の作り方って、全然回りの人もあんまり気にしないでやってくれたんで、恵まれていたんですけどね。」
聴いているのは形ではなく、(スピーカーやステージから)出てくる空気、曖昧なひとつの流れなのではないかと思う。好きになるのはアーティストが持つ味。声が変われば歌は変わる。

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