2.体臭

「おまえ、臭うぞ」
 再会の抱擁のために開かれた腕から顔を背け、私は思わず鼻を押さえた。
「あ? そうかあ?」
 ヒューズはそう言われてはじめて気付いたように、服の袖を引っ張って、くんくんと臭いを嗅いだ。
 しかし、湿度の高い時期に一週間ほど軍事教練でどこぞの山に籠ってきたヒューズのそれは、そんなことをしなくてもすごい。
 なんというか、汗と土と青臭さと…つーんとくるような目が痛いような…。
「んー、なんかよくわかんねえんだけど?」
 眼鏡を外せば粘膜が敏感に反応して気付くんじゃないかと思ったが、奴がなんにでも順応性の高いことを思い出して息を吐いて諦めた。
 コイツは、ふだんはいろいろ細かいことにうるさいくせに、状況が変わると何かスイッチでも入るのか、その状況にすんなりと馴染んでしまうのだ。
 今回のこれは、簡単に言えば野営慣れだ。環境に馴染むために、ヒューズはたぶん、感覚器官のいくつかの機能を極端に抑制しているに違いない。
 いや、今回の状態は人間を臭いで判別しそうな勢いだから、野営慣れというより野生化か?
 眼鏡をかけた野生動物……なんだかおかしい。

 臭いの凄さに思考が逸脱した方向へ向かっている間に、ヒューズはぶちぶち言いながらも自分のベッドの端に腰掛けると、苦労してブーツを脱ぎにかかった。
 そして、それが、すぽんと音をたてて抜けた瞬間。
 一瞬、何かの襲撃でもあったのかと思った。頭を殴られたような強烈な刺激に意識が途切れかける。
 それを本能が必至に押さえ、かわりに口と鼻を押さえろと命令し、身体を窓に駆け寄らせる。息を詰めていたのも無意識だ。
 全開にした窓の方を向いて数回深呼吸し、それから恐る恐る彼の方を振り返った。
 しかし、当の臭いの発生源はきょとんとしてこちらを見ている。

「順応しすぎだ! おまえの鼻、バカになってるぞ!! 風呂! 今すぐ風呂だ!! その臭い、落とせ!!!」
 私は命に関わる気がして必死で叫んだ。しかし、自覚のない奴の反応は薄い。
「えー? この時間帯じゃ水だろ?」
 真っ当な意見だが、とてもではないが聞き入れられる状態ではない。
「うるさい! 真冬じゃないんだ! 死にやしない!」
「風引いたら看病してくれる?」
「何をかわいこぶってんだ! それよりいけ! 早く!!」
 ヒューズは唇を尖らせてブーイングしたが、私のあまりの必死さにしぶしぶと立ち上がった。
 しかし、片足しかブーツを脱いでいないのを思い出すと、それを脱ごうとしてまたベッドに腰を降ろす。
「ヒューズ! 脱ぐな!」
 しかし、状況の理解がいまひとつ浅いやつは、私の制止も聞かずに、再びすぽんと音を立ててブーツを脱いでいた。

 私はその後しばらくヒューズに近付けなかった。
 彼の臭いはすぐに落ちたのだが、あの衝撃が尾を引いて、そばによると思い出してしまうはめに陥ったのだ。
 ヒューズはそれ以来、体臭には今まで以上に敏感になったというのだが、私には本当かどうかはよくわからない。