Voiceless call










ロイ・マスタングが行方をくらまして、どれぐらい経っただろうか。

誰もが探し当てることはできなかった。腹心の部下であるホークアイも、それなりに付き合いが長い元東方司令部の部下たちも、軍より抜きの諜報部員たちも、ロイ・マスタングを見つけることはできなかった。完璧に、ロイ・マスタングは姿を消していた。唯一、彼を見つけることができるであろう親友は既にこの世にはなく、事実上、ロイ・マスタングを見つけ出すことは完全に不可能になってしまった。





「……ここ、か」

エドワードは、ほとんど廃墟のようなが外観の一軒家の前に佇んでいた。
手にしたメモは、まるで電話番の走り書きのように、支離滅裂な文字が並んでいる。ロイの残したものの中のひとつだ。一見意味のないこの電話の書き取りメモのような物の暗号めいた言葉をエドワードが解読できたのは、まったく幸運だったとしか言いようがない。1歩遅ければ、不要なものとして焼却されていたところだ。一見、何の変哲もないメモ。書類箱の底ににぽつんと残っていたのを見つけられたのは、たまたまエドワードがセントラルに立ち寄った日が、ロイの身辺の品が撤収される日と重なったからだった。

もともと錬金術師は、自分の研究の成果を暗号めいた文書で残しておくものだ。そのメモに、どれほどの情報が書きこまれているかはわからないが、解読する価値はあると、譲り受けた。エドワードは、優秀な錬金術師としてそれを解読する術を心得ている。解読に、さしたる時間は必要なかった。


そして、ここを探り当てた。





確認はしていないが、奇妙な確証があった。むしろ、この場所をエドワードに知らせるために、あのさして重要でなさそうなメモにこの場所を記したのではないかと思うくらいだ。

国家錬金術師であるエドワードは、あらゆる資料の閲覧が可能だが、失踪した軍大佐の残した資料は、さすがに閲覧は許されなかった。考えてみれば簡単なことだ。それは、『研究資料』ではなく、『捜査資料』であるからだ。国家錬金術師とはいえ、閲覧させるわけにも行かないだろう。そう考えれば、押収される可能性の低い一片のメモ用紙ぐらいしか、エドワードの目に触れることはない。

エドワードは、ようやく見つけ出したにもかかわらず、なんだか酷く気軽な調子でドアベルのボタンを押した。まるで、近隣を尋ねるような気軽さで、不安もない。あえて、不安があるというのなら、このドアベルが正常に機能しているかどうか、ぐらいだ。

ドアベルは正常に機能していた。廃墟のような外観に相応しくない可愛らしい音を立てて、来客を告げるドアベルの音が、ドアの外に佇んでいるエドワードの耳にも届いた。


応答する声もなく、扉が開いた。





ドアの向こう側に佇む人は、最後にあった時より少し髪が伸びている位か。顔色が冴えないように見えるのは、どんよりと曇った空のせいだろうか。それ以外は、大して変わっている風にも見えない。少し痩せただろうか。

扉の向こうから現れた姿に、驚きはなかった。予想通りの男。
ロイ・マスタングだった。


「よお、久しぶり、大佐」


ぶっきらぼうに、エドワードが口を開いた。エドワードがそう言う口の利き方をするのはいつものことだが、そこに、今は不機嫌が混じっている。 相手は、少し驚いた表情をしていたが、やがて薄く笑うと、口を開いた。 エドワードは、いつもどおりの皮肉混じりの言葉が出てくるものと思って待ち構えていたが、結局何も言われることはなかった。相手が、口を開いたきりで結局何も言わなかったからだ。

ロイは、軽く苦笑すると、とりあえず入れというように、半身を下げ、まるで女性をエスコートする仕草でエドワードを家に招き入れた。エドワードは、器用に片方の眉を吊り上げて、ロイを見上げ、わざとらしい鷹揚さで扉をくぐった。 ロイは、扉を閉じると鍵を掛けるでもなく奥へと引っ込んでいく。エドワードはその後をおうこともなく、案外広い玄関に佇んでロイの新しい住居をきょろきょろと見まわしていた。





外観は酷い廃墟のようだったが、中に入ってみれば、存外小奇麗なものだった。板張りの床や階段の手すりは、綺麗な飴色になっていて、随分と古いものなのがわかる。壁紙は少々白茶けてはいるが、人が生活しているせいか、表の廃墟じみた様子とはまったく違って見えた。

再び、足音が近づいてくる。視線をそちらに向ければ、ロイがメモ用紙の束をもって現れた。エドワードが、不思議そうにその様子を見ていると、ロイは、さらさらと鉛筆で何か書きつけ、差し出してきた。 エドワードは、不思議そうな顔のまま、そのメモ用紙を覗きこむ。 メモ用紙には、思ったよりずっと汚い文字で短く

<わたしは今、声を出すことができない>


と、書かれていた。エドワードは、驚きをありありと浮かべた顔でロイの顔を見上げる。そんなエドワードに、ロイは、軽く肩を竦めて見せただけだ。


「理由は、説明してもらえるよな?」

ロイは、低いエドワードの問い掛けに、頷いた。

<説明する。ついて来たまえ>





以前と変わらぬ尊大な調子のメモを見せると、ロイはくるりと背を向けて、階段を上った。エドワードがついてきてもこなくても、別に構わないというような歩調だ。 エドワードは、鋭い視線でロイの背中を睨みつけながら、後をついていく。ロイは、階段を上がって、正面の部屋の扉をあけると、入れというように振り返った。

エドワードが部屋に入ると、そこは立派な書斎だった。古びた本特有の、埃臭さと黴臭さが鼻腔を刺激する。見れば、決して狭くはない壁一面の書架は、ぎっしりと埋め尽くされている。ロイ・マスタングの研究資料だろうか。押収されていたと聞いていたが、まだ、これほど残っていたのか。

思わず、エドワードが書架へと歩み寄っていく。純粋な錬金術師としての興味がエドワードの中に頭を擡げていた。この資料にどれほどの目新しい知識と論理が盛り込まれているのだろう。そう考えるとわくわくする。目を輝かせて書架を眺めていたエドワードの真横から、ぬっと、一枚の紙が差し出された。

エドワードは飛び上がらんばかりに驚いた。毛足の長いカーペットに足音を吸い取られて、ロイが真横に佇んでいることに気付けなかったのだ。いくら本に目を奪われていたとはいえ、ちょっとばかり不覚が過ぎると、仏頂面で差し出された紙を受け取った。

その紙には、アルファベットと点と線が表になって書きこまれている。何を意味しているのかわからずに、エドワードはロイの顔に視線を向ける。そんなエドワードに、ロイは、一枚のメモ用紙を手渡した。あらかじめ書いてあったのか、先程より落ち着いた文字で書かれていた。

<軍の旧式暗号通信のコード表だ。これからの説明は長くなる。筆談では時間がかかるので此方を使おうと思うが、覚えられるだろうか?>

エドワードは手元のコード表と、メモ用紙を見比べると、ふん、と鼻を一つ鳴らせた。

「これっくらい、1時間もかかりゃしない」

エドワードの返答に、ロイは、唇の端を上げて笑った。それだけ見れば、以前と変わりないような笑いだった。







「さて、説明してもらおうか」


コード表を手に持ったまま、エドワードは、溜息とともに言葉を吐き出した。行儀悪くデスクに腰掛けて、椅子に座って僅かに低い位置に有るロイの顔を睨みつけるように見下ろす。ロイは、軽く肩を竦めると、リラックスした調子で皮張りの椅子に背を預け、指先をデスクへと滑らせた。

実際、レクチャーは、1時間かからなかった。木製の重々しいデスクを、指先で叩く音を点、引っかく音を線として、4つの音を組み合わせて一つのアルファベットに相当させる。一見難しそうではあるが、法則さえ掴んでしまえば単純な話だ。それに、エドワードは元々飲み込みが早い。コード表を手に持っていれば、普通の会話のペースでも、メモを取らなくても頭の中で文章が作れる程度には、読み取れるようになった。

突き刺さるようなエドワードの視線を受けて、ロイは、少し思案していたようだが、やがて、ゆったりと、デスクを叩きだした。椅子の肘掛に頬杖をついて、デスクを指先で叩く仕草は、まるで、深い思索にふけっているかのようだった。


――結論から言おう。わたしは、人体練成を行った。


コード表に視線を落としていたエドワードが、音もせんばかりの勢いで顔を上げた。表情には、驚きと、怒りと、それから些かの呆れのようなものが見て取れた。

「…なんだよ、それ。あんた、俺達のしでかした不始末を、知らないわけじゃないだろ?」

――君達の練成陣と、構築論理をわたしなりに手をくわえてつかった。君達が基礎を作ってくれていたおかげで、わたしにもできた、といったほうが正しいだろう。

「嬉しくもねえし、そんなこと言ってんじゃねえぞ、俺は」

今にも噛み付きそうな顔つきだが、エドワードは極力怒りを押さえた声音で、吐き捨てた。
胸倉の一つでも掴み上げられるだろうと思っていたのか、意外そうな顔をしているロイが、なんだか癇に障るが、見なかったことにした。エドワードが胸倉を掴みもしなかったのは、これから本当に胸倉を掴みあげたくなった時にやることがなくなってしまうからというだけだ。それに、これから嫌というほどそう言う気分にさせられる話を聞かされることだろう。


「声は、人体練成の代償か?」


指先は、YESと答えた。

――おかげで軍にもいられなくなった。突然声が出せなくなった理由を、説明するわけにも行かない。人体練成を行ってから半日、血を吐きつづけて、死ぬかと思った。

「よく、それだけで済んだな。死んじまうかも知れなかったのに」

ロイは、軽く肩を竦めた。自分でも不思議だとでも言いたいのだろう。酷く気軽な調子は、まるで他人事のようだ。

――練成陣を見るかね?

ロイの申し出に、エドワードは頷いて、デスクから床へと足を下ろした。

「どこにあるんだ?」

ロイの指が、デスクから離れた。エドワードの尋ねる視線に答えるように、ロイの指先は、エドワードの足元を指差した。まるで、そこにハンカチでも落としたかというような動作だった。エドワードは、つられるように、ロイの指し示す方向へと顔を向けた。

足元、毛足の長いカーペット。よく見れば半端な大きさで、真新しいカーペットだ。 大体、こんな大袈裟な書架のある書斎にこんな毛足の長いカーペットが敷かれていること自体おかしい。書物も、カーペットも酷く埃が立つのだ。いっしょの部屋に置けば、手間ばかりがかかることになる。

エドワードは屈むと、カーペットの端を掴んで引きずり上げるように勢いよく捲り上げた。どうして、今までここにいて気付けなかったのだろう。フローリングの床一面にチョークで描かれた練成陣、そして、練成の際にロイが吐いたものなのか、それとも、練成された『もの』なのか、赤茶けてこびりついている、それは、見間違いようのない、血液の跡。すっかり乾いていて、既に匂いもほとんどないが、こうやって痕跡を見ていると、酷い臭気が鼻をついているような気がしてくる。

顔を顰めて、エドワードはカーペットを放り投げると、ロイに視線を向けた。
ロイは、その様子を静かに眺めている。



「……練成は、成功したのか?」


できるだけ、頭の中に発生する血の匂いを吸いこまないようにしながら、エドワードが問い掛けると、ロイは、少し思案するように頬杖をついた方の指で自分のこめかみを叩いた。

――誰を練成したのかは、尋ねないのか?

かえってきたのは、YESでも、NOでもなく、反問だった。
エドワードは、軽く肩を竦めた。煙に巻かれてやる心算はなかったが、当然といえば当然の問い掛けなのだから、答えてやるのは吝かではない。

「なんとなく予想ついてる。ヒューズ中佐だろ?大佐、他に友達いなそうだし」

本当は、殉職して二階級特進で彼は准将になっているはずだが、馴染みの深い中佐という階級で呼称した。ロイもあえて、それを訂正するでもない。


「大事な友達、だったんだな」

エドワードには、自分と引き換えにこの世に引きずり戻したいと思えるほどの友人はいなかった。アルフォンスは弟だし、ウィンリィは、そう言うのとは違った。うまく説明できないし、自分の中で理解もしていない。思わずしんみりとした口調で呟いた

エドワードに、ロイは、虚をつかれたような表情をして見せて、それから何か思いついたように、唇の端を上げて笑った。嫌な笑いだ、と、エドワードの直感が告げる。 こう言う笑いは何度か見た。『お前は知らないんだな』と、訳知り顔で蔑む時に浮かべる種類の笑いだ。

ロイの指が動くのを、とっさに、聞きたくないと思った。
それでも聞いたのは、生来の負けず嫌いのせいだ。


――わたしと、ヒューズは肉体関係にあったんだよ。


エドワードは、自分の負けず嫌いを思わず呪った。こんな話聞かなければよかった。

「…中佐には、奥さんも子供もいただろ」

無視すればいいのに反駁したのは、まだ年若い少年特有の、ある種の潔癖さがあるからだ。そのくせ、ロイを汚いといって切り捨てられない優しさも持ち合わせているからどうしようもない。エドワードは、自分の中にある無意識の潔癖さと優しさに苛まれ、なんともいえない渋い顔をして見せた。

――君ぐらいの年になれば、軍人にそういう悪癖をもつものがいることぐらい知っているだろう?わたしたちは、士官学校当時からの関係だった。ヒューズがグレイシアと出会う以前の話だ。ヒューズの結婚後も関係が続いていたのは

ロイの指が、ぴたりと動きを止めた。
エドワードは、その先を聞きたくはなかった。指先のつむぎだす単語の意味など、判らない顔をして、コード表を捨ててしまいたいと切実に思った。
実際にそうしてしまえばいいことなのに、実行できない。汚い言葉汚い事実の後ろ側にあるものに、きっと、意味があるからだ。
ロイの指先が、また、動き出した。


――わたしが、あいつを離さなかったんだ。あいつの、具合がよかったから。


ああ、クソ。さっき胸倉を掴まないでいてよかった。でなければこの機械鎧の拳で力いっぱいぶん殴って、すっかりなまっている様子のこいつの奥歯の二、三本を吹っ飛ばしてやるところだった。エドワードは、机に乗り上げてロイの胸倉を掴み上げながら、内心で酷い罵声を吐いた。
ロイは、エドワードの顔を、嘲りを含んだ笑みで見詰めている。

「バカか、あんたは」

内心で渦巻く罵声は、結局一言しか言葉にはならなかった。

「そんなんじゃねえだろ、俺にだってわかるような嘘つくな」

ロイの指先は動かない。ロイの指先が動かなければ、ロイの言葉はない。

「あんたは、好きだったんだろ。どんなんだって、俺は、人を好きになる気持ちを嘲り笑ったりなんかしない。自分で自分の気持ちを汚くすんな」

――わたしは、ヒューズの優しさにつけこんでいたに過ぎない。


「ふざけんな、クソッタレ!どんなに優しくったって、好きでもない男と、エッチなんかできるかよ!」


間近で怒鳴られて、ロイは、思わず目を見開いた。思いっきり虚をつかれたように、きょとんとした顔で、エドワードを見上げる。エドワードは、真っ赤な顔をして、ものすごい仏頂面でロイを見下ろしている。

エドワードの言っていることは、年頃の、まだ色事に疎い少年の言葉だ。好きでもない相手と寝ることなんてよくある話だし、軍人同士男だらけの環境に慣れれば、その手の壁は低くなるものだ。エドワードは、軍人としての経験がないし、周りに男しかいない環境というのも知らない。だから、そんなことが言えるのだ。けれど、エドワードの言葉は、酷くストレートに、すとんとロイの中に落ちてきた。

物知らずで、甘っちょろい、だけど、とても当たり前の言葉。

思わず、ロイは笑い出した。
声なんて出ない、無音の笑い。
けれど、ここ暫くしていなかった、あけすけな笑い。
ヒューズが生きていたころにはよくしていたっけなんて、思い出しながら。
エドワードがますます酷い仏頂面をしたけれど、構わずロイは笑いつづけた。
笑いすぎて、涙が出るくらいに、笑った。








「……ここか?」

ドアの前で、エドワードは、緊張した面持ちでロイに問い掛けた。ロイが頷くのを確認した後に、エドワードはドアノブを掴んで、扉をあけた。

そこは、南側にしつらえられた、サンルームだった。

どんよりとした雲の切れ間から、細々とした太陽の明かりがさしこんで、申し訳程度の鉢植えと、こちらに背を向けたノッキングチェアを照らしていた。ノッキングチェアは、ちっとも動いていなくて、そこに人がいるのか疑わしいほどに、気配がなかった。

晴れていれば、それなりに綺麗なサンルームなのだろうが、いかにせん曇っていて、気配のないノッキングチェアが真ん中にぽつんとある風景はちょっとばかりぞっとしない代物に見えた。書斎で、散々笑いこけたあと、ロイは、練成の結果を見せるといって、エドワードをここに連れてきた。

だから、あのノッキングチェアに、ロイの練成した『ヒューズ』がいるはずだった。 意を決して、エドワードは、足を踏み出した。ヒューズ、のいる場所へと近寄っていく。



「…中佐」


声が震えないように、腹に力を込めてから、エドワードは声をかけた。 ノッキングチェアの反応はない。ゆれもしないし、答える声もない。 ロイは、何も言わずに、ドアのところに佇んでいるだけだ。いや、何もいえないのか。

エドワードは、腹を括ることにした。ここでぐずぐずしても仕方がない。ロイが、その声と引き換えにえたものを、この目で見たかった。 前に回りこんで、エドワードは息を呑む。

そこには、ヒューズがいた。

生前と、寸分たがわぬ、マース・ヒューズが、ぼんやりとした顔で、ノッキングチェアに腰掛けていた。 完璧な人体練成に見えた。少なくとも、外見上は。


「中佐、…ヒューズ中佐?」


エドワードの表情がにわかに訝しげに曇った。エドワードを見ても反応しない。いや、エドワードの声にすら反応しない。いや、微かに反応はしているようだが、目の前のエドワードと関連付けられていないようだ。視線がまったくあらぬ方を眺めている。




「どういう、ことだ…」

呆然と呟くエドワードに答えるように、ロイが、扉をノックした。

――完璧に見えるのは、見てくれだけだ。その体には、魂が、ない。

エドワードが振り返る。視線の先にいるロイは、諦めたような笑いで見つめ返していた。

「魂が、ない?練成は、完璧じゃなかったってことか?」

判らないというように、エドワードが首をひねるのを見つめながら、ロイは『ヒューズ』の傍らに近寄ってきた。ノッキングチェアの肘掛に指先を落とす。

――魂と、内臓もいくつか足りない。この体を維持するのに、ぎりぎりといったところだ。

「失敗したのか。あんたも…、『あれ』をみたんだろ?」

エドワードは、かつて人体練成を行ったときにみたものを思い出し、声を震わせた。人体練成を試みたものがたどり着く場所。扉、そして、そこに待ち受ける存在。

――見たと思う。だが、はっきりとした記憶はない。

咽喉からの出血で、それどころではなかった。流れ込んでくる知識と、自らの血液に満たされていく肺に、完全に混乱していた。死を覚悟するような苦しみの中、練成陣の真ん中に横たわるヒューズを見たとき、願いがかなったと思った。血を吐きながら、それでも神に感謝した。生まれて初めて、神はいるのだと思った。

『還ってきた』と、素直に喜んだ。このまま死んでも、きっと悔いはないだろうと。 自分の命と引き換えに、もう一度ヒューズの目が見られるなら、それでいいのだと。 だが、ロイは、死ななかった。練成も、失敗だった。出来上がったのは、できの悪い抜け殻だった。

涙も出なかった。

明るい笑顔も、包み込むような愛情も、闊達な言葉も、何もかもをなくして、ただ、あの瞳だけを取り戻した。後悔なんてしてるに決まってる。未練もたっぷりある。けれど、自分は幸運だと思える部分もある。なぜなら、手に入れたから。魂のない抜け殻でも、やっと、ヒューズを自分ひとりのものにできたから。

度し難い、馬鹿な自分。







エドワードに、そんなことは告げない。意味のない言葉でしかない。エドワードに必要なのは、人体練成の成功例であって、こんな出来損ないではない。

――役に立てなくて、すまないな。

指先が、皮肉でもなくそう告げるのを、エドワードは驚いた顔をして見つめた。

「な、なんだよいきなり」

――わたしの人体練成は失敗だった。きみには、とんだ無駄足だっただろう。

エドワードは、へっと、鼻先でロイの殊勝な態度を追っ払った。

「人体練成の結果を聞きにきたわけじゃねえよ。この、イヤミったらしい暗号を解いたぞって、いいにきただけだからな」

ポケットの中から、一枚のメモをひらりと取り出して、エドワードは胸を張った。ロイが、その行方を暗号にして置き去っていったメモが、エドワードの手に握られている。思わず、ロイの顔に笑みが浮かんだ。子供っぽい、実に彼らしい、気遣い。

エドワードは、ぼんやりと目を開けているだけの『ヒューズ』にかがみこんで

「また来るよ、中佐。今度は、土産を持って」

誰にでもそうするであろう朗らかさで、声をかけた。 『ヒューズ』は答えない。魂は、そこにないのだから。 不意に、『ヒューズ』の指が動いた。ロイのするように、ノッキングチェアの肘掛を指先で叩き始める。ロイがするより、ずっと拙く、たどたどしいけれど、確かに、それは、先程覚えたばかりの暗号通信のものだ。 エドワードが、軽く眉を寄せた。

――反射みたいなものだ。いつもわたしがやっていたから、覚えてしまったんだろう。

『ヒューズ』の奏でる音に重なるように、ロイの言葉が割って入る。何故か、照れくさそうに笑っていた。

「ふうん」

エドワードは、特に興味もなさそうに、肩を竦めて見せただけだ。 あらぬ方を見つめたまま、『ヒューズ』の指先が動く。 魂のない抜け殻。けれど、エドワードは確かに、その、琥珀色の瞳の奥に、意思の光を見たような気がした。







「あ、そうだ。俺、通報しないからな」

廃墟のような屋敷から出るとき、エドワードは、ロイを振り返ってそう言った。 少し驚いた様子のロイに、エドワードはめんどくさいし、と答える。

「本気で報告なり通報なりするつもりだったら、ハナっからアルをつれてくるさ」

確かにそうだ。と、納得した風なロイに、「安心しろよ」と告げて、エドワードは、アルフォンスの待つ宿に向かって歩き出した。



一人で通行人もほとんどない、田舎道を歩いていたが、足を止めて後ろを振り返る。
ロイの住む、廃屋のような屋敷はひっそりと静まり返っていた。
ふと、あの、『ヒューズ』の奏でていた音を思い出した。


「そら、あんなこといわれりゃ、なあ……」


誰にも言えねえよ。

困ったように、恥ずかしそうにエドワードは呟いた。その呟きは、誰にも拾われずに、風にさらわれて、消えていった。


ヒューズの奏でていた音は、たった一つの文章だった。
繰り返し、繰り返し。


――愛してる。

ただ、それだけを。


















坂田くんのサイトにあったボイスレスコール、私は本当に大好きだったので、閉鎖に駄々を捏ねてもらってきました…。(強奪)本当に泣けるよなあ!坂田くん、またサイトやってくんないかしら。来年ぐらい。どう?(2004.10.22)