Fundamental
手首の内側の血管をひつこくねぶられながら、私はぼんやりと天井にうつるうすい影を見る。
「なあ、ヒューズ」
ヒューズの愛撫はかなり綿密だ。パラノイアじゃないかと思うほどに。
「なんだ」
舐めながら喋るものだから、歯があたった。痛くはないが、喋りながら租借される食物の気持ちはこんなものかと思ったり。
どうも、今日は思考がとりとめない。
「お前、もし私が拒んだら最初のとき、諦めたか?」
「自分から誘っておいて、何を訊くかな。マスタングさんは」
違う。私は無言で即座に否定した。
確かに、あのとき私は欲情していた。それは事実だ。
でも理由が、つまりそこに至った過程が、ヒューズの考えているものとは180°違うのだ。
「いきなり俺の上に乗り上げてきて、唇奪ったくせによ」
俺、男は初めてだったから驚いたぜ。
曇りのない笑顔でそんな大嘘を言うものだから、私は結局どちらでもよくなってしまう。
黙ると、ヒューズは熱心な愛撫を再開した。私もまた、ゆれる影を見つめた。
私がそのことを知ったのは、終戦のころだった。
ヒューズが私の親友であることはあ軍部でも有名だったせいか、私には伏せられていた。
兵器としての能力を期待しながら、人間扱いする現場の上司の矛盾に憤りは感じなかった。
ただ、奴が一足先に帰ったときの光景がやけに鮮明によみがえったのを覚えている。
調べた記録のよると、「先に戻るぞ」と笑顔で手を振っていたあの日のうちに、ヒューズは拉致された。
無理やり違う映画のフィルムをくっつけて現実を捏造されたような違和感。
なぜだろう。第三者の目から見たら私がいた戦場のほうが眉をひそめる地獄だろうに。
発見されたヒューズの衣服に乱れはなかった。足首の間接が外されてその周囲が腫れていたぐらいしか、見た目の外傷はなかったらしい。
男たちの供述による記録の日付を見たとき、急激に現実感が襲ってきた。
私にとっては、忘れられない理由が幾重にもまきついた日付。
イシュヴァール最後の日。
その日のことはよく覚えている。
私の任務は、彼らのよりどころである最後の聖地を焼くことだった。
その廃墟のようになった巨大な寺院。
骨組みだけはしっかりと残っているボロ布をまとう死体のようなそれを完全に焼き尽くすことは、征服の証だ。アメストリアの勝利と、終戦の象徴となる。軍部はその演目の役者に、焔の錬金術師を選んだ。
「君の焔は、この砂漠では見えぬ者の無い美しい旗となるだろう」
大総統の勅令をい私は拝受した。そして私は躊躇わなかった。だから天罰が下ったのかもしれない。
そう思ったのは、風の向きが変わったときのことだ。
空気の乾燥した地域であることはいうまでもない。
滅多に風の吹かぬ砂漠の風を利用すると、面白いほどに焔は天高くふくれ上がり、そして建物を崩していった。
そのとき、不意に風向きが変わった。次に面白いほどの焔に囲まれたのは、私だった。
焔は私の手袋を容赦なく責めた。すすけたそれを、私は自ら脱ぎ捨てるしかなかった。
赤い焔の間から、雲ひとつ無い空が見えた。この世のものでない風景だった。地獄の底から天を見る気分だった。
「マスタング少佐!」
ホークアイの声を聞きながら「助かるんだろう」と思った。
なのに意識を失う寸前私が呼んだのは、お前の名前だった。
中佐に昇進して私が奴の部屋の扉をノックしたのは、その数週間後。
「よっ、お疲れさん」
そのころには私の火傷は回復していた。
「ああ」
「とりあえず、入れよ。泊まってくだろ?」
「ああ」
兵舎は、イシュヴァールからの引き上げの兵士でいっぱいだった。
私が人口密度の高い場所が苦手なことを知っているのか、ヒューズは笑った。
その笑顔は別れた時と、まったく同じ。
「ヒューズ」
「なんだ、ロイ。髭ぐらい剃れよ」
「ヒューズ」
「どうした?」
私は玄関先で彼に寄りかかった。他意はないのに、ヒューズの体が硬直する。
「ヒューズ、すまない」
「知ったのか」
ため息のような声に、私の目から涙が落ちた。
「私の咎だ。許してくれ」
調書やカルテにあるとおり、ヒューズの身体は震えていた。
硬くなる体が接触を拒んでいる。しかし奴は私の身体を押し返さなかった。
「許してくれ、ヒューズ」
ヒューズを拉致したのは、アメストリアの兵士たちだ。説明するもくだらない理由で。しかしその背後には私の名前があった。
「別にお前のせいじゃない。俺はもう忘れた。身体に恐怖が残ってるがそれもいずれ、消える」
ヒューズはそっと、私の身体を引き寄せた。
「泣くな、ロイ。こんなことは、なんでもない。今はそれより、お前が帰ってきたことのほうがうれしい。グレイシアも、お前が元気で帰ってくるって言ったら、あたらしいパイを焼くってさ。お楽しみはこれからだ。こんなところで立ち止まるなんて、俺たちには許されねぇよ」
その身体は硬いままだったが、いつのまにか震えは止まっていた。
それでも一年もすれば、ヒューズは風呂上りにパンツ一枚で部屋の中を歩き回る姿を見せるようになった。
私はその夜酔っていた。めずらしく女性との約束が反故になり、少し気分を害していたのだ。
ヒューズのベットに腰掛けながら、ウィスキーにのまれた私はうとうととしていた。肌をさらしたヒューズに声をかけられる。
「おい、ロイ」
寝るなら、掛け布団めくれって。そんで横になれ。ちゃんと寝ろよ。
ヒューズは私の身体をそっとゆすった。彼の肌から風呂上りのあたたかさが伝わり、私は目を開いた。
目の前に白い傷跡の残るうなじが見えた。その映像は私の心拍数を急増させる。脳に電極を埋め込まれたように、電気信号がすごい速度で神経をさいなむ。神経が焼ききれそうな刺激だった。
鼻腔をくすぐる石鹸の匂いと風呂あがりの人間特有のしっとりとした色気が、奴の肌から立ち昇っていた。よくみると、傷のちかくの肌はほんのりと色づいている。
腿の裏と腹、それから足首。そんなとこにも同じような印が残っているのを、わたしは知っていた。
お前、あのときどんな顔をした? 何に祈った?
男たちの手はお前を絶望に突き落としたのか?
それとも天国へ誘ったのか?
調書によると、ヒューズは抵抗しなかったらしい。(当たり前だ。それが拷問に対する処理の基本なのだから)
私は人として最低なことを考えた。親友に対する冒涜だった。
ましてや彼が拉致された原因は私にある。
「ロイ?」
気がつくと、私はその傷で舌でたどっていた。やつの首を引き寄せながら。
ヒューズはまだ私が何をしているか、理解してない。
「ヒューズ。お前、あのとき誰を呼んだ?」
「え?」
「私か?」
ぽかんと開いたまぬけな口に舌を突っ込むと、ようやく抵抗が始まる。
「知ってるぞ」
逃がすもんか。そう思った。とにかく必死で私たちはもつれあった。
29年生きていて、いろいろなことがあったが、私はあの晩ほど獣である自分を自覚したことはない。
殲滅戦にまさる興奮だった。
憑かれたように私はヒューズの肌にむしゃぶりつき、殴られ、再び彼の体のうえに乗り上げる。
激しい攻防の末、私たちは上になり下になり、いつのまにか奴の息もあがっていた。
妙な空気がその場を満たしていた。
「くそったれ!」
暴力的な空気の濃度に負けたヒューズは、私の身体をベットに押さえつけて噛み付くようなキスをする。
私はベットに文字通りはりつけられた。最初の夜はそんな風だった。
「声出せよ。苦しいだろう」
苦しいのは腹筋に力を入れてるからだ。
お前に身体を触られながら考えるのは、あの日のこと。
執拗なだけでへたくそな愛撫より、そのほうが感じる。
私はどこかおかしいんだろうか?
いつも、お前に抱かれているのにお前を抱いているような気がする。
「ヒューズ」
なぜだろう。お前に触れていると、お前を失うことを考えると、焔の間から見た空の色を思い出す。死が差し伸べる腕の甘美さよりも、心臓が縮まるようなあの感覚。私と突き落とし、そしてこの世につなぎとめたのはお前にあえなくなるかもしれないという恐怖だった。
あのとき、お前も俺を呼んだのか。グレイシアでなく。
俺を。
パラノイアは私のほうかも知れない。
でも私は知ってるんだ。妄想ではなく、確信している。
「ヒューズ」
あのくそいまいましい戦場で、死の間際呼ぶのはいつもお前の名前だった。イシュヴァールの民が祈るように、私はお前の名を繰返した。
助けて欲しいと思ったことはない。ただ。お前に会いたいと望むことが、戦場での私の祈りだった。
お前にとって私の名が何かまでは、わからない。
でも、お前の名前は私にとって。
「ヒューズ」
「なんだよ、ロイ」
「なんでもない。呼んだだけだ」
怪訝そうな顔をするヒューズの頬に口付けると、彼の肩に顔をうずめた。
ひいっ、凄いものを頂戴してしまいましたよ!なんかちょっと気軽にいただいていいのかと思うような傑作を!コメントすら憚られる、本当にありがとうございました、わ、私、自分の日頃の適当さをかえりみて自分を深く反省するような気持ちに…(涙)。もっと感動したい方はKUMA様のお家に是非どうぞ!いやもう、何度読んでもカッコイイなあ…!(拝)