present
それは太陽が落ちてきたようなものだった。
夜空に放たれた鮮烈な光は瞬く星の光を奪い、その時刻にはありえない濃く強い影をあたりに落とす。
熱でゆらぐ空気は陽炎を立たせ、季節外れの熱風となってあたりに渦巻いた。
そこは、きっと地獄で、燃え盛る炎のたてる音よりも、さらに激しい阿鼻叫喚の声が轟いているのだろう。
だが、現実にはその熱も声もそれを為したロイには届かず、辛うじて光が、そしてそれがつくる濃い影だけが、そこにある地獄図を描くためのわずかなよすがだった。
作戦の終了とともにおとずれるのは、重圧からの解放と、それ以上に重い自己嫌悪だ。それに慣れてしまうことは恐いと思いながらも、時折、逃げ出したくなるのも本心。溜め息をつきながら、錬成陣の描かれた手袋をはずすと、いつのまにか傍らにまでやってきていた男の手がのびて、それを受け取った。
「おつかれ」
簡潔にヒューズは言い、わずかに笑みを浮かべた。作戦の成功を確認するために、いくつかの小隊がロイが灰にした街へと手順通りに繰り出していく。大部分の人間は、ロイの存在から視線をそらしていたが、そのうちの何人かは、ロイに向けて明らかな嫌悪を、そして恐怖の混じった視線を向けていった。
あちらの視線には慣れた、とロイは思う。少なくとも、あの類いの視線は、自己嫌悪を忘れたときの自分への戒めになるだろうと、そう思う。武器を携えた、殺伐とした表情の人の流れに逆らうように、ロイはヒューズと肩を並べてしばらく歩いた。ちらり、と視線を傍らの男に向ければ、彼は戦場には似つかわしくない笑みを、微かだが浮かべて軽くロイの背中を叩いた。
ロイは、自分が人間兵器と呼ばれ、味方の側からも忌み嫌われていることを知っていた。それは戦場に立つ前から覚悟していたもので、それ自身についてはなんらの言い訳もしたくはない。だが、自分を追うように戦場へやってきたヒューズが、自分と関わることで他者からいわれのない差別を受けることは耐え難かった。
「人間兵器回収係」。
ヒューズはそう呼ばれている。
国家錬金術師には、その暴走を押さえる意味でも必ず補佐官がついてはいるが、志願した変わり者はヒューズくらいだ。馬鹿だと思ったし、実際口にしてさんざん詰った。だがヒューズはのらりくらりとそれをかわし、結局ロイの傍らに居着いてしまっている。
軍の側にしてみれば、ありがたい志願だったのは想像に難くない。機転のきく、まだ若い…つまり戦死したところでさして問題ではない…兵士が、扱いづらい「焔の錬金術師」の補佐につくというのだから。
最前線への配置転換は、軍にしては異常なくらい迅速だった。「よう」と近所に遊びにでも来たかのように、片手を上げてそれを知らせに来たヒューズを思い出すと、ロイは今でも胸ぐらを掴み上げたくなる。
確かにヒューズは、自分の野望への助力を約束はしてくれた。だが、それと今こうして最前線で戦うこととはまた別のことなのだ。わかっているくせに、ヒューズはそういうときばかり馬鹿なふりをする。馬鹿なふりをして、結局ロイを黙らせるのだ。
自分が乗って来た軍用車の前までたどりつくと、ヒューズが、一応の上官であるロイのためにドアをあけた。それに機械的に乗り込んで、後部座席に腰をおろし、それからロイは、天を仰ぐように頭をのけぞらせて改めて大きく息を吐いた。ヒューズがドアを閉める振動に微かな安堵を覚え、目を瞑る。
もう、うんざりだ。
喉元まで出かかった言葉を辛うじて飲み込む。かわりにごくりと喉が鳴って、ロイは自分の喉が乾き切っていることに気付いた。ヒューズに一声かければ、すぐさま水の一杯くらいは飲めただろうが、声を出すのも億劫で、ただだらりと座席に座り続ける。作戦の完全な成功を確認するまでの、わずかばかりの待機の時間。わかりやすい標的になることを知りながら、ロイは小さな密室で過ごすことをいつも選んだ。休息のために、そこそこの快適さが保証された車の座席は有り難かったし、少しでもひとりになる時間が欲しかったのだ。
それがわかっているヒューズは、車の外でドアに寄り掛かり、呑気に報告を待つふりであたりを警戒している。この、待つ時間が嫌いだった。錬金術師としての自分の錬金術への自信が、作戦は完璧だと嬉しそうに呟く。その一方で、その成功が何を意味するのかを考えろと、眉をひそめた良心が囁く。錬金術師でない自分など想像できないのに、この瞬間だけは、錬金術師である自分を憎みたくなる。
ぐだぐだと考え込んでしまうのは、疲れているせいだとわかっているが、わかっていたところですぐさま疲れが抜けるわけもなく、思考はなかなかうまく切り替わらなかった。
どのくらい無駄な思索をしていたのか。
「ロイ」
硝子越しの声と、窓を叩く小さな音に目を開ければ、ヒューズが笑みを刷いて、作戦の完全な完了を知らせた。
ロイが小さく頷くと、ヒューズは身軽に運転席に乗り込みすぐさま車を発進させた。
偽物の昼は、とうの昔に燠火となって消えかかっていた。燻る煙がわずかに白くたなびいて、夜の色を幾分削いでいる。やっと安心したらしい星たちが夜空に戻り、夜らしい夜が再び天に訪れていた。ライトを絞った車が、穏やかさを取り戻した夜を駆け抜けていく。
夜間のこんな移動など愚かだと思うのだが、次の作戦まで時間がない。移動先までどのくらいかかっただろうかと思い出そうとして、ロイは止めた。「兵器」が考える必要などないのだ。命ぜられるまま、その場に立ち、ただ、焼き尽し続ければいい。正に軍が望む通りの、兵器らしい思考に自嘲を浮かべた瞬間、
「おめでとう」
不意に届いた声に、ロイは目を瞬いた。
「……皮肉か? それは」
運転席から、バックミラー越しに笑顔を寄越すヒューズを睨み、ロイは呟く。
「まあ、作戦は今んとこ順調だし、そっちもおめでとうなんだろうな、軍的には。だけどそっちじゃねえよ」
ヒューズは笑みを崩さないままそう答え、ロイは眉間にしわを寄せた。
「ほかにどんな意味がある」
「誕生日だろ、おまえ。さっき日付けがかわったしさ」
ヒューズの言葉に驚いて思考を巡らせれば、確かにそれは正しかった。だが、今は戦争のまっただ中にあり、まして自分は兵器であり、そんなのどかな話題などかけらも思い至らなかった。
「妙なことを覚えているな、おまえは」
どんな表情をしたらよいのかわからずに、ロイがあからさまに困惑したまま声を返せば、ヒューズは呆れたような顔になった。
「妙なことか? 別に親友の誕生日くらい覚えてるだろフツー」
「そういうものか?」
「あ! それじゃおまえ、オレの誕生日とか覚えてないんだろ!」
軽くハンドルを叩き、それからヒューズはミラーに映ったロイを指差して叫ぶ。
「あたりまえだ」
「なんだよもう、友達甲斐のない奴だな」
ロイがあっさりと答えると、ヒューズはとたんにしおれてがくりと肩を落とした。
「そんなもの求めるな」
その姿が、あまりにもいつものヒューズのままで、ロイは、知らず笑みを浮かべていた。
「まあ、いいけどよー。どうせオレなんてねー。けど彼女ができたらそんなこというなよ。女性にとって記念日は重大なイベントだぞ?」
「それは当たり前だ。女性に対してそういう類いの配慮するのは全くやぶさかではない。けれど男のお前の誕生日など覚えていても記憶力の無駄だ」
自分でも驚くほどすらすらと、そんな言葉が流れ落ち、ロイは無意識のままミラーの中のヒューズに答えを求めた。それは日常の与太話であって、この凄絶な戦場にはあまりにも似つかわしくない。ほんの数瞬前までは、考えてもいなかったことだ。しかし、ヒューズは、ロイの視線を受け止めながらも目を細めるだけで、明確な答えは寄越さなかった。
「…言い切るねえ。おまえらしくていいけど」
「…褒めてるのか? それは」
おかしいだろう?と、そう言いたいのに、こぼれる言葉はまるで戦場であることを忘れたようで。
「褒めてるんだよ。素直に受け取れ」
「おまえの言い種を素直に受け取っていい目にあった覚えがない」
まるで自分は、罪のない人間のようで。
「そうかあ? そんなことねえと思うけどなあ?」
「ろくなことになっていない」
ロイは少し混乱する。
「それならこれで認識を改めろ。まあ、こんなトコだし、こんなもんしかねえが」
そういってヒューズが後部座席に投げてよこしたのは、銀色のありふれたスキットルだった。だが、この最前線で、移動ばかりの続く作戦の中で、酒らしい酒を口にした記憶はロイにはない。
「…酒か? よく手に入ったな」
キャップを外せば、すぐさまに上質なアルコールの匂いがあたりに満ちた。
「ヒューズさまの手腕を御覧じろ、さ。いいトモダチがいてよかったろ」
「まあな」
手に冷たい金属の感触と、そこから流れる香りに呆然としながらロイは辛うじて呟く。
「少しは喜べ」
「喜んでいる」
慌ててスキットルから顔を上げて睨み付ければ、ヒューズはけたけたと笑った。
「反応が薄いんだよ、おまえは」
「おまえが大仰すぎるんだ」
言いながらロイはスキットルに口をつけた。最初にスキットルの金属の味。それから強い匂いを漂わせながら、口と喉を焼き、アルコールが胸の奥へと落ちていく。ほわりと身体が熱くなった。ただ、胸にともった熱は、アルコールのせいばかりではないことが、ロイにもわかっていた。
「……帰ったら、この馬鹿な戦いが終わったら、もう少しいいものプレゼントしてやる」
その場で酒を口にしたロイに満足したようにヒューズは笑い、それからそんなことを言い添えた。
「期待はしないでおくから安心しろ」
もったいなくて一口だけでキャップをしめたロイは、そうしてそれを自分のポケットにしまう。
「ほんと、つまんない奴だな、おまえは!」
笑いながら言うヒューズに、ロイも笑みを浮かべて答えた。
「そんな私につきあっているおまえは酔狂だな」
「出世払いで返してもらうのを楽しみにしてるのさ」
そう言ってミラーに視線を移し、「な、未来の大総統」とヒューズは楽しそうに付け加えた。
「何もかも、無事に帰れたら、だな」
溜め息まじりで呟けば、ヒューズは強い言葉で言い切った。
「帰るんだよ、オレたちはな。なあ、いい男が片腕でよかったろ?」
「……驕るなよ。馬鹿者」
ヒューズは、戦場へ向かうための車を運転している。「人間兵器」と呼ばれるロイを乗せて。けれど悲愴感は薄かった。どれほどの罪を犯すのか知っていながら、ヒューズはそれを黙殺する。どれほどの命を奪ったかを知らないわけがないのに、その兵器の生まれた日を祝おうとする。
罪人は笑ってはいけないのだと思っていた。戦場で笑えるなどと思ってもいなかった。感情を動かしてはいけないと思っていた。けれど、受け取る自分の手がどれほどよごれていても。差し出されたものが嬉しいと感じる気持ちはごまかせなかった。
ロイは、ひとつ息を吐いてから「親友」の名を呼んだ。
「ヒューズ」
「んん?」
「少し車を止められるか?」
ロイの問いに、時刻を確かめ、それからヒューズは慌てたように車を止める。
「ああ、えーっと、大丈夫だな。どうした。気分でも悪いか?」
身体ごと振り返ったヒューズに、ロイは小さく笑う。
「少し酔った」
「はあ?」
お互い底抜けに飲むのを知っているから、ヒューズはその答えが明らかに嘘だとわかったはずだ。その証拠に、呆れ果てた顔でロイを見遣る。
「とりあえず今は、おまえで我慢してやる」
その間の抜けた顔に、運転席のヘッドレストに手をかけて前へ身を乗り出したロイは、無造作に唇を重ねた。ほんの少しスコッチの味のする口づけは、どちらからどちらへのプレゼントだったのか。
今はもう思い出せない。
茄子さまことさすとなる様にいただきました。
茄子さまのヒューズ大好きなんです、飄々としてるのに凄くかっこいい…!!
誕生日にあわせて誕生日ネタでそのうえ二人ともすごく可愛いです。本当にありがとうございました!(2004.05.24)