マーガレット

遠くで私を呼ぶ声がする。
声は私を探し回り、ようやく見つけたのかさくさくと芝生を踏んで近付いてくる。

「ローイ。もう休憩時間は終わり」

白いワンピースに金色の髪をおだんごに結った少女――少女と言えば機嫌を損ねるだろうが、女性と呼ぶにはまだまだあどけない――が、寝転ぶ私を見下ろしていた。まるで白い春の花だ。スカートの裾がふわふわと風にそよぐ。

「ホークアイ中佐が探して来てって。
 どうせこの辺でサボってると思いますって」

華奢なハイヒールが似合う細い足首。素晴らしいアングルだ。しかし私は彼女の父親の友、男の視線でそれを堪能するわけにはいかない。生返事を返して起き上がろうとするが、このところの激務続きで身体が重い。今月はアエルゴで会談、シンの使節を饗応、と大きな行事がたて続けだった。もうすぐクレタにも行かなければならない。北の国境にも視察に…。

彼女の父親が生きていれば、厄介事を半分ぐらい押し付けられたものを。そろそろ天国にも飽きた頃だろう。降りてきて私を手伝うべきだ。

「ロイ、なんだか疲れてるみたい」
「疲れが取れない年になったからね」
「やーね、おじさんみたいなこと言って」

彼女から見れば、四十過ぎの男は充分おじさんではなかろうか。いや、彼女から見なくても充分おじさんか。

エリシアは首から下げているネックレスのチャームをワンピースの胸から引っ張り出した。ハートのような形のそれを握って、彼女は傍らへ膝をつき、私の髪へ手を伸ばす。大きくひらいた胸元の白さに、私は慌てて両目を瞑った。堅い感触がぐりぐりと旋毛の上で回る。

「…何のおまじないだね」

私は片目を薄くあけた。エリシアの細い顎が目の前にあって、結い上げた髪が一筋落ちて光に溶けている。彼女は私の視線に気付いて、ぱっと笑った。ヒューズと全く同じだった瞳の色は、最近すこし青みがかってきた。それは私を少し落胆させ、同時になぜか安堵させた。

「元気が出るおまじない」

エリシアは、私の目の前へネックレスのチャームをぶら下げてみせた。小さな銀の粒でできたチェーンの先に、下がっていたのは螺子巻きだった。上等なチェーンに不釣り合いな…多分これはシルバーではない、まるで玩具の螺子巻きのようだ。

私は目で許しを得てから、その螺子巻きにそっと触れた。やはり軽い。エリシアの体温が残るそれは、ところどころメッキが剥げてすらいる。

「パパが最後にくれた玩具の螺子巻きよ」

私の指が一瞬止まるのを見て、エリシアは、ふ、と吐息だけで甘く笑った。その笑い方がやけに艶っぽくて、私はまた弱ってしまう。

「お守りにしてるの。
 はーもう疲れた、もうヤだって思ったら、これで自分に螺子を巻くのよ」

エリシアがチェーンに掛けた指をくいっと上へあげると、力の抜けた私の指から、螺子巻きはするりと逃げていった。鈍く光るそれを、彼女は自分の胸のあいだへ押し当てて回してみせた。そういえばあいつは、私に何も残していかなかったな。今更そんな恨みがましいことを思った。年を取ったからか、思ったことがうっかり口に出た。


「私も欲しいな」


口に出してから自分に呆れてしまった。大人が子供に強請るようなことを言うなんて恥ずかし過ぎる。それも形見を欲しがるなんて信じられない。私の螺子はどんなに弛みきっているんだ。

エリシアもさすがにきょとんとして、しかし困った顔はせずに明るく微笑った。ああ、目の色なんて関係ない。笑ったときの顔はやっぱり瓜二つだと思う。彼女の白い手が私の襟元を寛げ、鎖骨のあいだへ螺子巻きを落とした。

「いや、冗談だ。悪かった、貰えるはずがないだろう」

慌てて跳ね起きネックレスを返そうとすると、エリシアは羽根でも生えているかのようにふわりと後ろへ跳んだ。そして唇へ立てた指をあて、悪戯な笑みを浮かべて言った。


「いいの。等価交換よ。
 何と交換してもらうか、三日ぐらいかけてじ〜っくり考えさせてもらうわ」


それは余計に絶対に返さねば。彼女はさっさと踵を返して走り出し、私も軍服についた草を払う間もなくそれを追った。私達を笑うように、手のなかでチェーンと螺子巻きがチャリチャリと鳴った。















(2006.07.15)