雪解

私が曲がった腰で雪掻きをするのが、とても大層に見えるらしい。
ある日、寮長が用務員室を訪ねてきて言った。

「明日から、朝の雪掻きは俺達でします。当番の札も作りました」

結構力作でしょ?そう戯けて彼は、雪だるまの形に切り抜いた木片をひょいと掲げた。細い眼鏡のフレームの奥には、まだ遠い春の若葉の色。その後ろには手際良くつれてきた学長が、感じ入った面持ちで、「甘えておきたまえ、彼らには修練にもなる」と頷いている。毎日、雪が降る降らないにかかわらず、一部屋ずつ回していくと言う。

「冷え込んでる朝、カーテンをあける一瞬がスリリングなんですよ」

運がいい奴は二度寝の幸せに浸れるし、運の無い奴はひと冬に何度かシャベルを振り回さなきゃいけない。お願いします、お仕事の足を引っ張ったりしません。有無を言わさない笑顔で頼み込まれて、私はもう一度学長の方を見、それから頷いた。寮長は士官学生らしく踵を鳴らし、「ありがとうございました!」と礼を言うと、脚の弱い学長を背中におぶって出ていった。あまりにさっと出ていってしまったので、礼を言う間もなかった。もしかして今のは、都合の良い白昼夢かと思ったほどだ。





私が寝泊まりしている部屋は、学生寮の二階だ。
学生には申し訳ないが、部屋は彼らより少し広い。とはいえ、用具置き場が部屋の半分、木製の仕切りを挟んでその奥にベッドと机。学校から払い下げられたソファーと暖炉が窓際にある。

雪掻きをしなくても良くなったとはいえ、起床する時間は変わらない。
しかし、ゆっくり身支度を出来るようになったし、何より秘かな楽しみが増えた。カーテンを少し開いて、窓の外を見下ろす。


「雪男!!」
「雨女ってのは聞いたことあるけど、雪男ってのはなあ…」
「お前知らないのか、ブリッグズ山に出るっていう恐怖の雪女の話」
「ええっ、何それ。ロイちゃん博識〜」
「国境警備隊の報告によると…って、そんな話はいい、お前わざと雪降らせててるだろ!」


今日の当番は、寮長とその相方のようだ。いかにも嫌そうにずるずると大きなシャベルを引き摺るやや背の低い学生と、シャベルを肩へ担いで心なしか楽しげに意気揚々と歩く背中。フードに毛皮のついた支給品のカーキ色のコートを着て、膝上まで積もった雪に足をとられながら寮の玄関前へたどりつく。


不運にも朝から雪掻きをするハメになった二人組が、慣れぬ手付きでシャベルを振り回し、学び舎へ続く一本道を作っていくのは、なかなか可愛らしく愉快なものだった。早回しの映画のようにスピードを追求する組もあれば、雪合戦が蹴り合いになりとっくみあいになって定時までに終わらない組もある。いちばん笑ったのは、わざとくねくねと蛇行する道を掘った組。

実に個性豊かな雪道を、湧かしたコーヒーを飲みながら鑑賞するのが、私の寒い朝の楽しみになった。




「じゃあ俺、学校の方から掘ってくっから。お前、出来るとこまででいいからな」
「さっさと行け!」

寮長の同室、すっぽりとフードを被った彼はたしか、最年少国家錬金術師と噂に高い…。いつも中庭で本を読んでいる姿と、フードからのぞく横顔が重なった。彼は寮長を追い払うように、しっしっと手を振ったが、その勢いで足を滑らせて背中から雪へ倒れた。ぼすん、と。寮長はシャベルを放り出して戻ってきて、「おい、大丈夫か?」と片手を差し出したが、錬金術師はぷいと横を向いて、自分で立とうと両手を雪へついて……今度は顔面から雪に埋もれた。


「二回しか転んでねえのに、思いっきり雪だるまになってるのはなんでだ?」


元々のフォルムがまあるいのかしらねえ〜。そう言って笑いに肩を震わせる寮長は、突然襲ったシャベルの足払いを、ぴょんと跳ねて躱した。

「おま…そんなもの当たったら死んじまうだろ!」
「むしろ死ね」

雪へ差したシャベルを杖に、不機嫌な錬金術師は今度こそ慎重に立ち上がった。寮長は拍手喝采を送ろうとして、こちらを背にした錬金術師に睨まれでもしたのか、開いた手をそろそろと降ろした。






「だいたい、掘り返す必要などない」


失態を笑われたままではいられない。毅然と顔を上げ、錬金術師は厳かにそう宣うと、真っ白な雪の上におおきな円を描きはじめた。

「ちょっと、そりゃなんか反則じゃないの?」
「どうして」

そのなかへもう一つ円をシャベルで描きながら、錬金術師はむっとした顔でルームメイトを一瞥した。寮長は手をひろげて肩を大袈裟に竦め、「やっぱ額に汗してやんなきゃさ…」と言い、錬金術師は間髪入れずに「額に汗して会得した術だ」と答えた。なるほど、彼は雪を錬金術で溶かすつもりだろうか。寮長は返答に詰まったのか、ひろげた手をひらひらと揺らし言葉を探している。錬金術師は中心の円のなかへ逆三角形を描きながら更に言った。

「文句がある奴は錬金術を習えばいいだろう」

それを聞いた寮長は、後頭を掻いて少し考えていたが、やがてざくざくと雪を踏んで自分のシャベルを拾いに行った。錬金術師は黙々と正三角形を描き、三角形同士が重なってできた菱形の内側へ、さらに小さな三角を描いた。私の胸に小さな懸念が浮かんだが、彼の錬金術を見てみたい気持ちも陣が出来上がるにつれ高まっていった。


「ヒューズ!」


外円と内円のあいだに記号のようなものが描かれたとき、寮長は自分のシャベルをひきずって、外円の外へもうひとつ円をつくった。

「ヒューズ、邪魔するな!」

「いやー…、お前の理屈、俺は正しいと思うんだけど…」
「なら黙って見てろ!」
「うーん……、正しいんだけど…」

寮長がつくる円は、錬金術師が描いたのとは全く違い、ヨレまくっていた。外円にぐっと近付いたと思えば、ぐにゃっと離れ、また近付いた。錬金術師は憤然と自分のシャベルを放り投げ、小柄な彼にしては大股に寮長へ歩み寄った。一歩ごと、雪に足を取られながら。

「手伝わなくてもいいから邪魔するな」

錬金術師はようやく寮長の傍へたどりつき、最後通告を言い渡した。だらけた円のようなものを描き終えて、雪へ突き立てたシャベルの柄に顎を乗せると、寮長は深々と溜息をついて言った。


「…俺の母さんが言うわけよ」
「は?」
「お前、いつもあの辺のベンチに座ってるだろ?」

錬金術師は、寮長が指差した樹の下を眺めた。学校の敷地との境になる塀の近く、今はすっかり枝ばかりになった樹が何本か植えられている。錬金術師はよくその木陰で本を開いている。

「それが何だ」
「ベンチのまわりに…ほら、春になったらいろいろ咲くだろ」
「回りくどい!」

そんなことを憶えていてくれたか。私は驚いて耳を澄ませた。


「いやー…、球根ってさ、『雪解け水の冷たいのを一気に被ると腐る』って母さんがさ」


寮長はへへへと笑ってから、口許に笑みを残したまま、御機嫌をうかがうように錬金術師の顔をじっと見た。錬金術師はぽかんとしてから、ベンチのあるあたりと、足元の雪、それから描きかけの錬成陣を順に見た。




「雪の下って案外あったかいから、球根にはいいんだってさ」

錬金術師はその台詞を背中で聞いて、深々と溜息をついた。白い息が肩ごしにふわっとやわらかく昇った。

「冬のあいだ水をやらなくていいのは、雪がちょっとずつ溶けるからで…」
「お前の園芸講座はもういい」

返す声に、先刻までの険はもう無い。錬金術師は自分が描いた陣のなかへ、ずぼっずぼっと歩いていき、中央の図形を拾い上げたシャベルで叩いて消した。そして最後にひとすくい掘った雪を、円の外にいる寮長へ叩き付けた。雪煙が舞い上がって、寮長の愉快そうな笑い声がした。

「お前の所為で時間をロスした。だからお前が2/3だ」

錬金術師はまた、シャベルを引き摺って最初に転んだ玄関前まで戻ってくる。寮長は「ヒデえ」と不満そうに言うが、それは口だけで顔は笑ったままだ。よいしょとシャベルを引き抜いて、寮の正門の向こう、校舎へ続く道へと歩いていく。


「お前が花なんか見てるとはな!」


どうも言い負かされた気がしてすっきりしないのか、錬金術師は少し離れた寮長へ憎まれ口を叩いた。寮長は門の前でくるりと振り返って、片方の口端をあげると言い放った。


「花はさておき、お前がよたよたしながら雪掻きしてんのは最高に可笑しいからな!」


怒りに肩を震わせ、すごい勢いで雪を掻き上げていく錬金術師の姿は、可笑しいというか、可愛いというか。温くなったコーヒーを啜りながらよくよく見れば、寮長が描いた下手な円はハートに見えなくもないのだった。











(2006.02.19)