「ニューイヤーイブの夜まで仕事とは」
「お互いな」


軽口を交して、私は列車に乗り込む。
夏が暑い年は冬が寒いと聞いたことがあるが、今年に限って言えば当っている。セントラルは朝からみぞれが降り続き、陽が落ちてからは雪になった。道はシャーベット状にぬかるんで、靴底もズボンの裾も冷たく濡れた。

イーストシティはここより少し寒いから、うんざりするほど雪が積もっているかもしれない。駅で車を拾えるだろうか。今年の寒さには全く閉口する。

車内の暖房は頼りなく、コートを脱ぐ気にもなれずにそのまま座席へ座った。すると、コツコツとホームから窓を叩く音がする。窓は寒気に凍りついて、靄のように白く曇っている。窓をあけるべきか。いや、まあ寒いから止しておこう。私は瞬時にやや薄情な選択をして、てのひらで窓を拭った。拭ったところからヒューズの顏が見えてくる。鼻先が赤くなっているのが子供みたいで、思わず失笑してから口パクで「もう帰れ」と言った。ヒューズが首をかしげるから(絶対分かってる癖にイヤな奴だ)、改札へ続く階段の方を指差しながら、もう一度ゆっくり「帰れ」と繰り返した。

セントラルから出発する今年の最終列車は、遅すぎる出発時間のせいか、車内もホームも閑散としている。車窓から見るホームはとても寂しい景色だった。暗いホームの向こう、僅かな灯りが降りつのる雪を浮かび上がらせている。色も音もない、白と灰色の世界。心細さを掻き立てる風景。そんな場所にヒューズが、寒さに肩を竦めて、笑って立っている。なんだかとても似合わないと思った。さっさと戻って、暖かい家の暖炉の前に座ればいい。こんな寒々しいところにいる奴を見るのは、どうにも落ち着かなかった。

ヒューズは私の言葉をまた分からないふりで、へらへらと笑った。ポケットから出した懐中時計の針は、もう数分で出発することを示している。私は溜息をついてから、重い腰をあげて両手で窓を上げた。

「帰れと言っている。見送りはもういい」

コートの肩が、溶けた雪粒で鈍く光っている。私のぶっきらぼうな台詞に気を悪くするでもなく、ヒューズは目を細めてふっと笑った。漏れた息はたちまち白く凍る。奴の眼鏡も見る間に曇った。


「俺も乗って行こうかな」


列車が蒸気をあげて胴震いし、積もった雪がホームへ滑り落ちた。
どさっと雪の落ちる音。そしてまた戻ってくる静寂のなかで私は気付いた。
自分は寒いのではなくて、きっと寂しいのだと。


「……乗りたいなら乗ればいい」


どうせ乗りはしないのだ。意地悪い気持ちで言ったのに、寒さに唇が萎えて、まるで拗ねているような声音になった。

また、どこかで雪が落ちた。

ヒューズは曇った眼鏡を指で拭った。まだ遠い春の、若葉色の瞳がのぞいた。それだけで泣きたくなった。本当に、余程、私は寂しいのだ。

巨人の息のような蒸気が、列車の下からわき上がった。 ヒューズは静かに笑みをたたえたままの目を、また少し細めて頷いた。


「うん。そうしよう」


私が目を見開いて、また蒸気が立ち昇り、窓の傍から離れる背中を白く掻き消した。しかしその背が乗車口へ行きつく前に、列車は積もった雪を振り落とすような身震いをして、すべての扉を閉じてしまった。着膨れた駅員が走ってきて、扉をガタガタとこじあけようとするヒューズを叱った。その少し遠い光景が、私の胸の奥の冷たさを溶かした。


「ヒューズ」


つぶやくような声だったのに、主人に呼ばれた犬のように大きな男が振り向く。片手をかけている窓ががくんと震えて、列車はゆっくりと走り出した。ヒューズは大股に近付いてきて、凍った雪に足を取られた。滑りかけてもそこは軍人、器用に体勢を立て直してまた走って来る。モノクロのコメディ映画のようだ。知らず微笑むと、ヒューズは驚いた顔をしてから、笑い返した。

噴き出す蒸気と、滑る足元に脅されながら、ヒューズは私の窓へ追い付いた。腕を伸ばして、窓縁へかけた私の指を握った。とても冷たい指先が言った。俺も寂しい、ロイ。私はその指の上へ、もう片手をそっと乗せた。贅沢を言うな、寂しがり。


「窓を閉めろ」


ヒューズがそう、叫ぶように言った。私は頷いて手を引き、ヒューズも窓から指を引いた。堅い窓枠を下ろすと、それはすぐに白く曇った。

その窓へ、ホームから文字が綴られた。

happy new year

よくも咄嗟に、鏡文字を綴れる。
列車が揺れて、wとyが酷く崩れた。rのあとに解読不能な、mに似たよれた文字。まさかハートでも書こうと思ったんじゃなかろうな、バカ。
何か言ってやりたくて、私はまた窓を開けた。白い雪が激しく降り込んできた。もうホームは後方へ遠くなり、吹雪が駅舎を覆い隠す。


「…お前も精々、いい年を」


私は雪と風に乗せて呟いた。
どんな小さな声でも、どうせ聴こえているのだから。





窓へ綴られた十三文字は、イーストの駅までずっと私についてきた。









(2005.12.31)