LE MARI DE LA COIFFEUSE
ロイの髪は俺のよりずいぶんやわらかい。
指のあいだをするすると滑る。指先に巻き付けるとバネになってぴょんと跳ねる。仔猫のしっぽみたいな楽しい手触りと微かな温み。絡まる。逃げる。すり抜けながら手のひらをくすぐる。
「遊ぶな、時間がない」
正装に着替えたロイの手で、銀時計がせっかちな音をたてる。ロイがこんなに素直に触らせるなんて滅多にないから、もうちょっとゆっくりしたいんだが。生返事をかえして、鼻でスローなワルツを歌う。何だっけ、あの映画。中年男がすげえ色っぽい理容師と結婚する話…。そういやあの理容師も黒髪だったな。
「おい、ヒューズ」
「わかってるわかってる、急いでんだろ?」
木椅子の背が鳴る。むっとして首を仰向かせ、下から睨めつける黒い瞳が不機嫌にきゅっと細くなるから、俺は櫛を口にくわえたまま呂律怪しく答えて、まあ任せろと笑ってみせた。ロイは薄い唇を尖らせて、それでも不承不承座り直した。その胸襟から、金の箔押しで縁取られた封筒が覗く。
その招待状が来たとき、ロイは露骨に嫌な顔をした。“大いに戦果を上げた国家錬金術師を労う大総統主催の祝宴”とあったから。
「どうして錬金術師ばかり集めるんだ」
国家錬金術師には莫大な研究費が支給されてる。国民の皆様、彼らはこんなに役に立ってるんですよっていう、政治的アピール。そんなこと当然分かってるんだろうけど、やはりロイは気に入らないらしい。またぞろうるさい新聞屋が集まってロイのコメントを取りたがるだろう。目も眩みそうなフラッシュの嵐。苦手なダンスも二、三曲は踊らなきゃならない。もしかしたらスピーチのひとつもやらされるかも。だからって断るわけにはいかない。ロイは今や、国家錬金術師の代表、いわば“顔”なんだから。
気のすすまないままに今日が来て、ロイは渋々出かける支度を始めた。伸ばしっぱなしの前髪が目に掛かって邪魔そうだ。
「切ってやろうか?」
俺の好意を、ロイはふふんと鼻で笑って一蹴した。
「結構だ。また恐ろしく短くされては困る」
「おいおい、いつの話だよ。そんな昔のこと根に持つなって」
「あれを根に持たんで、何を持つんだ…!?」
だってロイの童顔は、長い前髪でいよいよ大変なことになっていて、まだ学生と言っても余裕で通りそうだ。やっぱりそういう場に出るんだから、階級に相応しい威厳とか風格とかをさ。そんな可愛い顔で行ったらジジイどもにナメられちまうだろ。
「一応フォーマルな宴席なんだろ?それじゃガキみたいだぜ。じゃ、前髪上げてやろっか?俺みたく」
ロイは差し出した手鏡を覗いて、さすがに長過ぎる思うのか、思案顔で前髪を引っ張った。そして俺の申し出を渋い表情のまま聞いていたが、頷いて椅子へ座った。あら素直。少しぽかんとした俺に、ロイは鏡を手渡しながら憎らしい顏で笑った。
「髪をあげるぐらいなら、また失敗されても元に戻せるからな」
ほんとこいつ一言多い。派手に失敗してやるべきか。
ロイの髪は(性格と違って)素直すぎて、後ろへ流そうとしてもさらさらと前へ落ちてしまう。濡らした手で撫で付けてから、櫛で梳く。そうする間にも、一房二房と指のあいだからこぼれていく。言うことをきかない。でも気持ちがいい。離し難い。
白い額のかたちがいい。思ったよりずっと凛とした顏になる。大人しく伏せた睫の影と、涼しげな眉の曲線のバランス。幼い顔がちったあ賢く見える。ああ、でもこれじゃ、余計にダンスに誘われそうだ。前髪をかきあげる俺の手のしたで、波紋がひろがるみたいにゆっくりと瞼がひらいた。潤んだ深い黒。その上をすっと光が流れたあとに俺の顏が映った。
「変じゃないか?」
俺は戯けて大袈裟に首を振ってみせる。「似合う」って言ってやったほうが良かったのかもしれないが、なぜか照れくさかった。ロイは苦笑してまた目を閉じる。その白い額を見下ろしながら、きれいに揃った髪の生え際を櫛の歯でなぞると、こそばゆいのか下瞼がきゅっと膨らむ。品のよさと変な色気、それからまだ半分ぶらさがってる幼さ。顏を晒け出した分いつもより表情がよく見える。それが妙に新鮮だ。こんなに雰囲気が変わるとは思わなかった。これはきっとあれだ、いつの間にこんなにキレ…いや大きく…っていう、花嫁を送りだす父親のような気持ち?……じゃ、ないか。ないな。
そんなどうしようもない困惑は横へ置いて、手持ちのワックスで固めてやろうと蓋を開けると、ロイは振り返って「それはいい」と言った。
「固めなきゃお前、すぐ崩れちまうだろ」
「お前のそれは固まり過ぎだ」
「そうかあ?」
「……それにあまり…、匂いがあるのは苦手だ」
悪い匂いじゃないが、とロイが口のなかでもごもごと言い、あとは察せという顏でじっと俺を見た。確かにうっすらとだがミントとシダーウッドの香りがする。しかたないから、オイル状の整髪剤をてのひらへ薄く伸ばしてロイの髪を撫で付け、一応の形に整えた。うん、緩いがなんとか半日ぐらいは保つだろう。
「ほい、出来た。行ってきな」
肩へ巻いたタオルを取っても、ロイはしばらく目を瞑ったまま、椅子から立ち上がらなかった。「急いでんだろ」と促すと、肩で溜息をついて、手の銀時計をのろのろとポケットへしまいながら呟いた。
「……いつまで続くんだろうな」
ロイは辟易している。英雄に祭りあげられたことに。毎週のように催されるパーティ、戦勝パレードまであった。そのたびに担ぎ出され、華々しく紹介される。「猿回しの猿だ」とロイは言う。その場はだれもが喝采を送るが、その拍手には冷ややかな侮蔑が混じっている。若造が。出世欲の塊。人間兵器。「まだ焦げ臭いなあ、君」と揶揄する将軍達。
「……俺がついていってやろうか?」
「馬鹿。いつからお前が錬金術師になったんだ」
「家族は同伴してもいいんだろ」
「家族はな」
ロイは肉親との縁が薄い。だから、顏は笑ってるのに、眸にはほんの少し寂しげな色が浮かぶ。ロイがこんな顏をすると、俺はもっと芯から笑わせてやりたくなる。
「家族みてえなもんだろ」
「お前みたいな煩い家族はいらん。うっとうしい」
「家族ってな、うっとうしくてありがたーいもんなのよ」
俺の愛はホントに家族並みなんだがな…と胸の内へ呟いた。家族とちょっと違うところは、離れてるときはちょっと寂しがってくれるといいな、とも思ってることぐらいで。ロイはちょっと笑ってから、俺をじっと見た。そんなことは珍しいから、はじめのうちは「ん?」てなかんじで見返してた俺も、だんだん落ち着かなくなった。まるでしばらく会えない奴の顏を覚えるみたいにじっと見つめる真っ黒な瞳。
「…んだよ」
「いや…、じゃ、うっとうしい家族だと思って、」
ロイはようやく立ち上がって、蓋を開けっ放しだった俺のワックスをひとすくい指へつけた。
「匂いだけつれていく」
その指がすいと動いて、額の生え際を後ろへ梳いた。その柔らかい腕の動きや指の表情が、敬虔な祈りの仕種にも似て鮮やかに胸を捉えた。微かに、言われてみれば癖のある匂いが鼻腔へ届く。
「行ってくる」
ロイは突っ立っている俺の前髪の一筋へ残ったワックスを擦り付けて、指へ絡めて引き寄せ、殊更ゆっくり顏を寄せると意地悪く笑った。
「家族がそんな顏するのか?ヒューズ」
固めた俺の前髪を弾いて、ロイは愉しげに肩を揺らして出ていった。
何なんだ、畜生。
お前なんか、散々苛められて泣きながら帰って来い。
(2005.11.5)
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