モノクロームの世界。地上に一線、薄く浮かび上がる道の上を軍用車が走る。
視界の効かない夜間移動。積もった雪は溶ける前に凍った。悪路に突き上げられながら荷台に蹲っていると、隣に座るロイがほんの僅かに身を寄せてくる。頭上には半分だけ引っ掛けられた破れた幌。一応は少佐であるロイへの気遣いだろうか。はためく音が耳につく。


「寒いか?」


旋毛を見せて首を振るが、コートのフードを被せてやる。地平線の向こうがパッと光ってから、雷が落ちたような地響きが車体を揺らす。赤く浮き上がった市街が目的地だ。瓦解した建物に穴だらけの壁。さながら古代遺跡のようなシルエット。イシュヴァールの急襲を受けて、駐留していた部隊は総崩れになった。まだ踏み止まってはいるらしいが、無線も途絶えて状況は全くわからない。銃声が散発的に聞こえて来る。


コートの下で握ったロイの指先は、石のように堅く冷たい。手袋越しとはいえ、皮膚の弾力は全く失せている。もう何度、この指先が街を焼いただろう。その硬さが酷く辛かったが、辛いと思うことさえロイを傷つける気がした。ロイはロイで、俺の中指のタコの上を軽く握って、何かを言おうとして開いた口を、結局何も言わずに閉じた。



月も細く、遠くに上がる照明弾と車の灯だけが、世界を皎々と照らした。突然、遠い爆音に慣れた鼓膜を、叩き割るような音と光が襲った。運転席から「糞」だの「神様」だの怒号が飛び、車はつんのめって急停止した。荷台にはざっと20人ほどが積まれている。俺達はよろけつつも、銃を手にして一斉に立ち上がる。見れば、5両先の先頭車が地雷でも踏んだのか、大破して派手な火柱を上げている。


「動くな!座れ!」


指揮官が助手席から顔を出して俺達を振り返る。誰もが道の左右に鋭く目を配る。地雷で先頭を潰して、動けなくなった後続車両を襲うのは、イシュヴァールの武装集団の常套手段だ。いつ、銃声に囲まれるか。限界まで緊張した落ち着かない視線が、潅木や草地に注がれる。ピリピリとした静寂の中、横転した車が燃える音だけを夜風が運んでくる。


静寂は何分続いただろうか。襲撃の気配が無いのを見極めた指揮官が、残った車両へ指示を飛ばし、車列は一旦草地へ降り炎上している車両を迂回して進む。凍った斜面をスリップする車体。踊る焔が照らし出す、手袋のように地面に落ちている手首。中身はどこへふっとんだのか、風に吹かれて路上を這いずるコート。白い雪の上に、鮮血。

悲しいとか、怖いとか、出来るならなるべく目にしたくないとか。
そんなことすら思わないようになったのは何時からだろうか。


焔の照り返しと熱を片頬へ受けて路上を見下ろしていると、ロイは俺が被せたフードの下から窺うような目線を向けてきた。俺はその手を握り直してゆっくりと笑った。


「怖いか」


訊いてもロイの表情は動かない。夜と話してるみたいだ。薄い唇がゆっくり開くのを見て、俺は不意に軽い欲情を覚えた。


「…お前は怖いのか?」


車体ががくんと左右に揺れて、車はまた路上へ戻った。地雷は周到に埋められることが多い。一つ埋まっていたということは、この先にもトラップは有ると思った方がいいだろう。だからって、そんなことを心配しても始まらない。死ぬときゃあ死ぬ。それが唯一の戦場の真理だ。


俺は握った手に少し力を込めて、黙って首を横へ振った。
乏しい光の下、ロイはほっと息を緩めて「ならいい」と目を伏せ、自分にだけ聞かせるような幽かな声で呟いた。


「…お前が怖がらないうちは、…俺も怖くない」


ああ、それは俺を強くもし、壊しもする呪文だ。
適正量の分からない麻酔だ。



「怖くねえよ」


強がりでも何でもなくそう言って、揺れつづける車に身体を預けた。深く被ったフードの下、覗く口許でロイが微笑った。大事な人間を遠くに置いてきた者と、こうしてすぐ傍にいる者とどちらが幸せだろう。俺は酷いエゴイストだから、自分が後者であることを、神だか何だかに心で深く感謝した。

ジープを焦がす焔が遠くなる。爆発に巻き込まれるのを懸念して、救出すら行われない。死に晒され続け、生死を分ける境界線の細さに何度も歯噛みして、いつしかこの無作為の選別を受け入れるしか無くなった。

運命と呼ぶにはあまりに無慈悲な、それでも。
此処で果てるのなら、この国の頂上など遠すぎる。


俺の指がふらりと、ロイのフードの縁に掛かった。
もっと目深に被せて世界中から隠してやりたいような
跳ね上げて青白い星光の下に晒してやりたいような
相反した感情に指が迷い、結局、ただ襟を直してやるだけ。
その優柔不断な指先を、目を伏せたままの吐息に笑われる。



もう一度フードに手を掛ける。
その吐息が甘く、手首の内側をくすぐったかと思うと、脈の上にロイの唇が触れた。

唇は丁寧に柔らかく、何度も手首の皮膚を食んだ。
それは俺の腕の影になり、荷台に座る誰からも見えないだろうが、唇を浮かすときには湿った音をさせて、ほんの少し俺を焦らせた。


銃声が大きく響く。爆発に明滅する市街が近付いた。
泥まじりの汚れた雪の上を、少し滑って車輪は止まる。


ロイはようやく戯れを止め、光のよく滑る黒い眸を上げて、俺にしか届かない声で言った。


「怖くないのなら」


短い前髪が寒風に煽られて、余計に幼く見える。俺は頷いて言葉の先を促し、フードを鼻の上までぐっと深く被せてやった。そこしか見えなくなった唇が小さく、しかし躊躇わずに動く。



「俺の傍で死ね」



降りろ!と指揮官のダミ声が急かす。詰め込まれた兵は、一斉に銃を担ぎ直して荷台の後方へ殺到する。畜生、こいつがこんな可愛いこと言ってやがるのに、上手い返事をひねり出す間が無え。


俺はフードの影へ鼻先を突っ込んで、誓う代わりに、きゅっと引き結ばれている唇を舐めた。

















萌えお題:フード付きコート(2005.01.30)