死に至る病

図面を徹夜で仕上げた俺は、盛大な欠伸を何度も漏らしながら司令部を出た。ああ、畜生、太陽が黄色い。


兵舎に戻って泥のように寝るか、とりあえず腹を満たすか。考えた末、だるい身体を引き摺って炊爨班の屯ろする廃屋へ向かう。元はイシュヴァールの民家だったが、砲撃で屋根が落ち、屋根のかわりにテントを被せて簡易食堂になっている。土埃は舞い込み放題、砂が目に入って擦ると、足下を俺と入れ替わりに痩せたネズミが出ていく。衛生面は万全だ。


昼飯にはまだ早く、朝飯にはもう遅い。中途半端な時間にひょっこり顔を出した俺を、炊爨班の男は面倒そうに見て「具の無えシチューとパンしかねえぞ」とダミ声で言う。天幕の影が男の三白眼を濁らせる。構わんと答えると舌打ちして、ブリキの器へどろどろしたシチューらしき物を注ぎ入れ、そのなかへパンを突っ込んでカウンターの上を此方へ滑らせた。給仕の応対もエクセレントだ。惜しみ無く五つ星をくれてやる。


テーブルと椅子なんて上品な物があるわけもない。皆、その辺に転がっている弾薬の入っていた木箱や、元はこの家の家具だったろう倒れた棚へ尻をひっかけて座る。

スプーンのかわりにパンを突っ込んでシチューを食いながら、ふと顔をあげると、無人かと思っていたレストランの隅に、ヨレた白衣が座っている。なるほど、医者も不規則な仕事だ。特にこんな戦場では。医者は俺達が「泥水」と呼ぶ粉コーヒーを片手に、もう片手からは煙草の煙を立ち上らせ、見ているだけで寿命が縮みそうな休憩時間を満喫している。


見覚えがあるな、と目を凝らしていると、向こうも胡乱な目を向けてきた。思い出したのはほぼ同時で、「あ」と俺が短く声を上げた時、医者の向こうから低くなった天幕をくぐるようにしてロイが入ってきた。




「ヒューズ、電信室で呼んでるぞ」


ずかずかと入って来ながら、ロイはふと医者に気付いた。そして、奴には珍しく、目許を和らげて素直な笑みを零した。医者は軽く片手を上げ「よぉ。今日は非番か。楽でいい」とニヤと笑い返した。ロイは微笑んで目礼し、また俺の方へと歩いて来る。


「あのヤブと知り合いなのか?」


前へ立つロイに、声を落とさずに訊いた。医者はマグカップを手に背を丸めて笑い、ロイは何だ?と言う風に眉を軽く上げて医者と俺を交互に見た。


「俺が怪我して寝てたらよ、あのオッサンが死体と間違えて焼却炉に運搬しろと」
「間違えただけだろが、お前さんの隣のベッドと」
「台車を横に付けられたときに、目を覚まさなかったら今頃」


俺の台詞を、小さく笑ってロイが引き取った。


「いろんな温度で焼かれていただろうな。データを取られながら」




医者の眼光が一瞬鋭く尖って、すぐ消えた。余計な事を漏らすな、そんな目。そしてまた、不味い珈琲を飲みはじめる。ロイは、俺の眸にも軽く険が浮かぶのを見てとって牽制する。


「優秀な軍医殿だ。世話になっている」


しかしロイはあまり怪我をしない。しても衛生兵の手当てで充分事足りる程度だ。俺の顔が納得していなかったんだろう、ロイは少し困った顔でまたちらりと医者を見てから、「作戦で…、一緒になることがある」と言い足した。医者が前線に出ることがあるんだろうか。しかもロイと組んで。うっすらと彼の役割の輪郭を掴みかけた俺に、白衣が肩を竦めて、「共犯さ」と笑った。なるほど。何だかその言葉の響きは親密すぎて面白くないが。




「そんなことより、こんな所でサボっていないで電信室へ行け。
 お前を探して来いと言われた」


徹夜明けの俺に「サボって」は無いだろう。思わず「もう20時間も寝てねえんだぞ」とぼやくと、「俺は25時間寝てない」と言いながら、俺の顎を親指と人さし指に挟んで抓る。そして、可哀想に睡眠不足ですこし充血した目を、鼻先が触れあうほどに近付けて

「さっさと行け。俺も眠くて何を喋ってるのか分らん。この場で倒れそうだ」

と、半眼で言う。


「分かった」と両手を軽く上げて降参し、残りの冷えたシチューをパンをヘラにしてかっこんだ。立ち上がると、白衣が、そこだけ医者らしく見える長い器用そうな指をひらつかせてみせた。追い出されるような気がしてまたムカついたのは、寝不足が俺の心を狭くしていたからに違い無い。だからつい、余計なことを言った。


「…ドラクマのことわざを知ってるか?」


ロイは眠そうな目を寄越して、思考するのも面倒そうに「何だ」と返した。そのつまらなさそうな態度がまた面白くない。


「共犯者は兄弟より仲がいい」


吐き捨てるように言うと、ロイは怪訝そうに眉を寄せ、心底馬鹿馬鹿しいというように溜息を漏らして首を振った。そして俺の耳朶を思いきり引っ張って、呪いを掛けるように低く、ドスのきいた声で耳へ吹き込んだ。



「兄弟でもさせないようなことを散々しておいて拗ねるのか。馬鹿」



俺が呆気に取られている間に、ロイはさっさと軍服の裾を翻し、遮蔽幕を分けて出ていってしまった。後には間抜け面下げた俺と、聞こえなかったのか、聞かなかったことにしようと思っているのか、我関せずと珈琲を啜る軍医が残った。



ロイが抓っていった顎を撫で、その手を自分の目の上へ乗せる。

「…ヤブ、つける薬があったらくれ」

白衣がハンと笑う息が、口を付けているだろうマグに篭って響いた。

「ねえよ。青二才」










(2004.12.30)