冬の線路






****


日付けが変わるのを見計らったかのように、電話が鳴った。深夜の執務室に、最初のベルは幽かに、二度目は遠慮なく。こんな時間にここへ掛けてくるのは一人しかいない。交換手を通さず、直接私の机の上へ繋がる声。


「よ。んな時間までご苦労さん」


受話器から聞こえた遠い声には、微かなノイズが混じっている。混線だろうか、諍う女の声が遠い潮騒のように切れ切れに耳につく。こんな時間、は此方の台詞だ。何か嫌味のひとつでも言ってやろうと、些か疲れた頭で考える。握ったペンの尻で眉根をつついて。


「眉間に皺」


見えてるんだと言わんばかりに続けられて、むっとするとまた言葉を被せる。


「あー。明日、そっちに行くことになってな」


明日。急な話だ。来ればいつも構うと思うな。嫌味を言う必要は無くなった。私は鼻で笑って、指の間でペンをくるりと回した。


「そりゃ残念だな。明日はセントラルに行かねばならん」


ヒューズは「はあ?」と鼻からも口からも期待ごと空気が漏れたような間抜けな声を出して、素直にがっかりするから俺の機嫌は簡単に良くなる。「すれ違いだな」と揶揄う声で言うと、アテが外れた溜息を盛大に漏らすのが聞こえる。落胆しろ。落胆しろ。俺の不在をもっと嘆け。


「じゃ、あの店の場所だけ教えてくれよ。
 この前お前が買って来たシュークリーム、うちのエリシアちゃんがいたくお気に入りでなぁ」



俺を落胆させてどうする。

渋々、駅前にある店の場所を説明してやると「ああ、あそこか」と納得した後、微かに笑う気配がして「で、俺はお前と会えんの?」と訊いてくる。こいつの狡さは、当たり前に吐かれるこんな台詞。


「朝、始発に乗って中央司令部で会議だ。昼過ぎまでかかるだろうな」


あらら。本当にすれ違いだなと言う声がまた遠くなる。私はふと、何か大事なことを思い出しそうになる。何だったか…お前に言うことがあったような。睡魔が思い出しかけた何かの尻尾を隠してしまう。その電話をどんな風に切ったのか覚えていない。気がついたら仮眠室で寝ていて、中尉に叩き起こされて追い立てられるように待っている車に乗り込んだ。あいつが来ると言ってた事を誰にも告げずに出てきてしまったと、気が付いたのは列車が動き出してからだった。





****


会議は思ったより早く終わった。ついでに軍法会議所に顔を出してみる。あいつが居ないのは分かっているのに、どうしてそんな気になったのかよく分からない。連夜の睡眠不足でぼうっとしているのかもしれない。

無人のヒューズの部屋はきちんと整理されていて、少し意外な感がした。書類が日に焼けるを厭うのか、厚地のカーテンが掛かった部屋は薄暗い。その時、扉が開いて丸い眼鏡の…名前は何と言ったか、鋼のの紹介でヒューズが会議所に引き入れたという…が入ってきた。腕には分厚い本が数冊。ああ、彼女が整頓しているのか。彼女は私が部屋にいることに驚いたらしく、目を丸くしてから申し訳なさそうな顔をした。


「あ、あの…、」
「ああ、分かってる。居ないのは」


彼女はまるでヒューズの代わりみたいにぴょこんと頭を下げた。そのゼンマイ仕掛けのような仕種に笑い、部屋のなかを見回す。本棚のなかに、士官学校であいつが使っていた法科の本がある。机の角に傷。木製のフォトフレーム。本人が居ない方が、気配を感じるというのも奇妙な感覚だ。

本棚へ本を戻した眼鏡の彼女が「ごゆっくり」と声を掛けて出ていくと、私もこんなところでのんびりしている暇は無いと我に返り、扉の前でもう一度、カーテンの深緑を振り返って其処を出た。





****


ヒューズの家にまで寄ったのは、ちょっとしたいたずらだ。

飛び出してくるエリシアを抱き上げ、突然の来訪に驚くグレイシアに、件のベーカリ−製シュークリームの入った箱を渡す。まるで私がこの家の主人のようだ。こんな完璧な家庭に毎日「ただいま」と言えるのは、奴には過ぎた幸せじゃないだろうか。エリシアは、その白い箱の中を見て歓声を上げる。

「わあっ、これエリシア大好き!!パパに買ってきてって言ってたの」
「まあ、もう…エリシア」

娘をたしなめながら私へ苦笑して見せるグレイシアと、自ら皿を取ってこようとキッチンの奥へ小さな歩幅で走っていく可愛らしいエリシア。あいつはさぞ悔しがるだろう。俺の役を横取りしやがって。

グレイシアが丁寧に煎れてくれた紅茶はとても美味しく、私は礼を述べ、エリシアの頬へキスをしてその暖かい家を離れた。






****


セントラルからイーストシティへの列車は、途中幾つかの田舎駅に止まる。駅の引き込み線には、立ち枯れた背の高い草が風にそよぎ、冬の穏やかな日射しを受けて橙金に光っていた。ホームの向こうに数件の民家や宿が見える。細い道をかすめるようにして馬車が行き交う。小さいながらも住みよさそうな村だ。乗客に珈琲やサンドイッチを売る声がのんびりと響く。窓越しに伝わる暖かさが座席の布地や肘掛けに沁みとおる。眠気を誘われ、欠伸をして目を閉じると、コツコツ、と窓ガラスを叩く音がした。物売りだろう。軍帽を目深にかぶって無視を決め込むと、今度は強く叩いてくる。


「ベーグル食いませんかね。旨いよ」


残念ながらグレイシアのキドニーパイを食べてきた。しばらく何も口に入れたくないほど美味しかった。そう、黙ったまま心の中で返して、ふと違和感に眉を寄せた。


「そういう態度の軍人は嫌われんぜ?」


窓の向こう、慌てて高い車体から見下ろすと、その声の主はやはりヒューズだった。両手で窓をいちばん上まで押し開け、身を乗り出す。ホームの喧噪と冷たい風が吹き込んでくる。


「お前…、何で」
「どうせこの駅通るだろうと思ってよ。案外早く終わったじゃねえか」


車輪の下から蒸気が噴き上がり、その姿は白に霞んでまた現れる。随分暇なことだ、いつ通るかも分からないのに、ぼさっと待っていたのか。馬鹿じゃないのか。蒸気が邪魔で手を伸ばすと、ヒューズの手が無造作に私の手首を掴んだ。


「降りて来いよ」


言葉に詰まってから「馬鹿言うな」と押しだした。「この駅に、次の列車が来るのは1時間後だ」これを逃せばイーストシティに到着するのは夜になってしまう。ヒューズは「ちょうどいい、俺も1時間余ってるんだ」と笑いながら自分勝手なことをほざいて、引き寄せる手に力を込めた。待て待て、降りるにしたって別に窓からは無い、無賃乗車じゃあるまいし。腕を引っ込めようとすると、汽笛が高く鳴って車輪ががくんと回った。


「ほれ、さっさと降ーりろって。怖かねえから」


別に怖くて嫌だと言ってるわけじゃない。何が嫌かといえば、この間抜けだか妙にロマンチックだか分からないシチュエーションだ。猛烈に恥ずかしいんじゃないのか、これは。隣の車両でデッキとホームに立って別れのキスを交していたカップルが、ぐいぐい腕を引っ張られている私を目を丸くして見ている。そりゃあ見物だろう、こんないい年の男が情熱的に窓から逃避行。キスでもする方がよっぽどマシだ。


「ヒューズ!」


振り払おうとして出した怒った声は、奴の脳天気な耳には情熱的に名前を呼ぶ声にでも聞こえたらしい。「ん」と機嫌のいい顔で笑うと、猫でも抱き上げるように私の脇に両手を差し入れて、「ほら、大丈夫だから」と優しく言う。引っ張られた私は窓枠に股間をぶつけそうになって、慌てて腰を浮かせて窓枠へ膝を乗せる。「よしよし」と訳のわからんことを言いながら、奴はそのまま私をホームへ引き摺りだした。

勢い余り、私を抱きとめたまま後ろへ倒れるヒューズは笑っていた。わざと踏み止まらなかったな。こいつだけは何度殴っても殴り足らない。列車の尾灯が遠くなり、不本意ながら抱き合うように縺れたままホームに倒れ込んだ俺達を、さっき別れたカップルの片割れがなるべく見ないようにしてそっと改札へ歩いていく。


二人きりになったホーム。先に噴き出したのはヒューズで、俺を腹へ乗せたままゲラゲラ笑うから、俺は跨がったままその頬を軽く叩いた。叩いてから俺も笑った。ガキに戻った気分だ。授業を上手く抜け出したときみたいな爽快さ。


「そんじゃ、どっか行きますか。お前、何か喰った?」


お前の家でパイをな。そう答えてやると恋人でも奪われたような悲愴な顔で俺の襟首を掴んで引き寄せ、動物じみた仕種で喉元に残るパイの匂いを嗅ぎ、「ああ、グレイシア…」と呻いた。大袈裟な男だ。俺の指は、奴の癖のある髪を撫でたり引っ張ったり二、三本抜いたりした。シュークリームもすでに配達済みだってことは言わずにおいた。きっと泣き出すから。


行こうか、と言われても、このちいさな町のどこへ。立ち上がり、駅舎から見える町並みを眺めた。他に行けそうな場所も無い。このホームには屋根すら無い。俺とヒューズは改札を抜け、石を敷き詰めたその路を歩いた。柔らかい風に追い越される。緑青色の尖塔が遠くに見える。





****


道はやがて広場に突き当たり、露店の市場や石壁の家々が道に沿って並ぶ。野菜、花、衣類、日用品。市場には、豊富とは言えないが村の大きさにすれば充分な量が取り引きされ、店主も客も表情は明るい。軍人の姿が珍しいのか、すれ違うとちらりと視線を寄越してくるが、その目に畏怖は無い。蔦棚の木陰でゲーム盤を囲む老人。女達の賑やかなお喋り。子供達が道を横切り歓声を上げて走っていく。何だか、ふと。私の焼いた街も、元はこんな風だったんじゃないかと思う。


ヒューズはあちこちの露店を楽しげに覗き込んだ。アメストリスはもともと他民族国家だが、この町は特にいろんな肌の色の人種が混ざりあっている。売手も買手も様々だ。ヒューズが立ち止まってたのは、いかにも手作り風なアクセサリーを売っている店。不揃いな大きさの貴石を列ねたネックレス。真鍮の指輪。ヒューズが見詰めているのはバロックパールのブレスレットだった。商品を並べた布の端で、まだ幼い少女が座りうつらうつらと船を漕いでいる。可愛い店番の膝から降りた猫が、ヒューズの足下に懐いて擦り寄る。


「買えばいい。きっと似合う」


隣に立ってそう言うと、ヒューズは珍しく気恥ずかしそうに笑って「いいんだ」と言い、また歩き出した。俺の声に少女が目を覚まし、慌てて姿勢を正す。そんなに奥方が恋しいなら、さっさと家に戻ればいいのに。わざわざ途中の駅で待っているなんて本当に馬鹿だ。俺は奴が見ていたブレスレットを少女から買って後を追った。


「ヒューズ」

少女が鞣革の袋に入れてくれたブレスレットを差し出すと、困った顔で笑ってから、「お前が渡してやって。もうすぐ誕生日だから」と言った。俺は溜息をついてそれをコートのポケットへしまった。

「…そんな顔すんなよ」

そんな顔、なんてしてない。じゃあどんな顔をすればいいんだろう。俺が視線を路上へ落とすと、手荒く頭を撫でられた。


「しょうがねえだろが。お前に会いたかったんだからよ」


人の心を勝手に読むのは止めろ。
頭の手を払って先に歩き出すと、後ろで笑い混じりの吐息が漏れた。

猫は市場の端まで奴について歩いた。





****


広場が終わるとその先には、黄色やクリーム色の家壁が道を挟んで連なる。蛇の看板は薬屋、スパイスの缶を扉に幾つも吊り下げているのは香辛料屋らしい。つんと強い匂いが鼻をつく。緩い上り坂。白い石畳の上を光が跳ねる。

遠目に見えていた尖塔は教会のようだった。その前へ差し掛かったとき扉が開いて、耳慣れない賑やかな弦楽器の調べと共に、褐色の肌に白いドレスの花嫁が鮮やかに目に飛び込んできた。花婿は花嫁の長いベールの裾をフラワーガールのように持ち上げている。尖塔の上から鐘の音が響く。出てきた二人を、親族や友人らが取り囲む。


「あー、懐かしいな…」

ヒューズがぽろっと隣で呟き、俺も軽く頷いた。「花婿はあっちの方が男前だけどな」と余計な一言を付け加えて。その台詞にムキになって、ヒューズは俺の腕を掴んで人の輪へ引き摺っていく。

「お前、目ぇ悪いんじゃねえのか?ちゃんと見やがれ、どっちが男前かなんか近くで見りゃ一目瞭然…」

花嫁は唇と同じ色のブーケから、一本ずつ小さい薔薇を抜いて客人の胸に飾っていた。そして近付く俺達に気付くと満面の笑みをたたえ、一輪を俺の胸に差し入れた。しかしヒューズは、旦那をクサした声が聞こえたかのか笑顔で目の前を通り過ぎられた。

「お前は趣味じゃないらしいな」

言葉も無くヘコむヒューズの肩を叩いて笑うと、「うるせえよ」と唇を尖らせた。長いドレスの裾に、ちいさい女の子達が花弁を散らして祝福する。しあわせな、幸せな光景だ。胸から小さい薔薇を抜き出して、花嫁の後ろ姿をぼーっと見ている奴の背中を眺めた。久し振りに、こいつをしげしげと見る気がする。耳の形はこんなだっただろうか。髪はもっと跳ねていたような気がしていた。記憶なんて曖昧なものだ。肩の線だってもっと…。でも指は、やっぱり長くて。

「いいよなあ、結婚式ってな」

俺がお前に触りたいと。欲情しているんだと露も思わない奴がのほほんと笑って振り返った。


「だから、お前も早く嫁さん貰…」


もう聞き飽きた。お馴染みのフレーズを繰り返そうとする唇を、深紅の薔薇の蕾でポンと叩いて塞いだ。






****


坂は上るにつれ勾配が急になり、家々の壁が途切れたと思うといきなり緑が広がり、丘の頂きに大きな椎が枝を広げていた。別にどこを目指して歩いていたわけでもないが、その大樹を見ると最初からここへ来るつもりで坂を登ってきたような気がした。

冬の陽が落ちるのは早くて、空はもう甘く黄色が滲んでいる。樹の影に辿り着くと、ヒューズは眼下に見渡せる町を一望して「結構デカい町だったんだな」と呟いた。赤茶けた屋根と日干し煉瓦の塀が連なる古い町並みは、はじめて見るのにどこか懐かしい。俺は樹に凭れて散り敷かれた落葉の上へ腰を下ろした。湿った土の匂いと、雨の気配。夜には降り出すだろう。コートのポケットから銀時計を出して開く。残された時間はあと半分。


「…折角だから、お前に訊いておく事がある」


振り返るヒューズの、眼鏡のフレームの縁に夕陽の甘い色が吸い込まれて消える。軍服の裾が、町へ吹き下ろす風に靡く。手を伸ばすと脚に触れた。軍靴の皮の硬さ。ズボンの下の体温。ヒューズはゆっくり、年寄りじみた緩慢さで前へしゃがみこんで、「そういう事は喋っちゃいけねえんだと」と、子供を諭すみたいに俺の頬へ手を添えて言った。



「なあ、あんま無茶すんなよ。
 お前は頭は回るが、回り過ぎて先を急ぎ過ぎる。
 相手もよく分からんうちからつっかかるな。
 上り詰める前に転んじまうぞ」


何でそんな事を言うんだ。
酷く他人事じゃないか、ヒューズ。
俺の足下に気をつけるのはお前の仕事だろうが。
それとも、御丁寧にお役目返上に来たって言うのか?


分かってる。
これからはもっと慎重にやらなければならない。


だってお前はもう居ない。
この世の何処にも。



あの写真立てに、もうお前の家族の写真は入っていない。
俺の買っていったシュークリームを見てグレイシアは泣いた。
お前はもう、最愛の妻にたった2300センズのブレスレットすら買えない。
花嫁から祝福の薔薇も貰えない。


俺にしか見えない。
俺にしか聞こえない。
俺にしか触れない。

それもきっと、あと少ししか。





「言われんでもちゃんとやる」


俺はあつかましい、情けない、裏切り者の、脱落者の、愛しい手を叩き落とした。
音はする。ちゃんと。俺の耳には。


「さっさと大総統になって、派手に結婚パレードでもしてやる」

ヒューズは眉を下げて笑った。笑っているように見える。俺の目には。眸の薄いグリーンに、光の加減で褪せた金色が混じる。

「パレードまでしなくてもいいんじゃねえの」
「お前がしろって言ったんだろ?!」
「…そうだっけか?」

俺が覚えていることを、こいつはいちいち覚えていない。記憶に温度差があるのだ。大抵は俺のほうが良く覚えていて、くだらないことにそれが寂しかった頃もある。だからといって、ヒューズに記憶力が無いとか、記憶する気がないという訳じゃない。こいつとは記憶の作法が違うのだ。写真を撮るように、絵のように覚えている。


「お前のこともさっさと忘れてやる」


俺は息が混じるほどまだ近い顔に、出来るだけ尊大な顔をして笑ってやった。ヒューズは目の縁に苦笑を浮かべて、黙って二度頷いた。


「美しい妻と娘と国政に夢中になって、…まあそうだな、命日ぐらいは思い出してやってもいい」


ヒューズはまた頷いたが、かくりと首を垂れたまま顔をなかなか上げない。額に手を当ててぐいと押してやると、未練がましい上目遣いが覗いた。


「…何だ、その顔は」
「実際そうなっちまうと、なんつーかそれはそれで嫌だなと」
「フザけるな」


前髪を思いきりぐしゃぐしゃにしてやると、ヒューズはすまんすまんと笑って俺の手を掴んだ。「本音と建て前って奴だ」なんて、そんなのどっちかは隠しとけ。手のひらの熱を感じる。でもそれはとても微かなものだ。冬の日射しのような正体の無さ。こんなものなら、こんな一瞬なら、いっそ還ってきて欲しくなかった。お前だって言ったじゃないか。学生の頃、二人してお前の実家に行って、そしてまた学校へ戻るとき。いつまでも手を振っている家族が、ホームと一緒に小さくなるのを見て。


「…訪ねた方は、楽しくても…」
「…何?」


残る方は寂しいと、お前は言ったんだ。残される方は寂しいと。



黙り込んだ俺に、ヒューズはもう一度「何だ?」と顔を覗き込んで来る。見られたくなくて頬を叩いた。ヒューズは「何だよ」と苦笑してから、少し眉を下げて「あんま痛くねえんだわ、これが」と肩を竦めた。馬鹿め、加減してやったんだ。






夕陽が、山の稜線を朱に滲ませて隠れた。鮮やかな残照を横顔へ受け、ちらと視線を流したヒューズは懐かしげに言った。

「なあ、ほら、あのときみたいだなぁ」
「あの時じゃ分からん」

「二人してイシュヴァールから戻ってきたときみてえだろうがよ。なあ」


そんな事は覚えているのか。そう言って立ち上がり、金色の霧に煙るような街を見下ろしてふと気付いた。ああ、この街はイシュヴァールに似ている。作戦前に高台から眺めた、この手で焼き払った街に。僅かな沈黙のあとにヒューズは短く笑った。


「…光の加減が、砂粒が飛んでるみてえに見えるからだ」


だから人の思考を読むなって言うんだ。思いきり眉間に皺を寄せたが、ヒューズは笑ったまま受け流し、「そろそろ戻んなきゃな」と登ってきた緩い傾斜に視線を向けた。



















次で終わります…多分…。(2004.12.12)

close next