お伽話を朝まで

ロイはもううんざりといった顔で、俺の話に口を挟んだ。


「エリシアが可愛いのは嫌というほど分かったから、寝ろ」


嫌というほど、とは何だ。どうしてお前は一言多いんだ。すると、「お前は一言どころじゃないだろう」とシーツを手繰り寄せて頭から被ろうとする。ロイの向こうには、ベッドから足が少しはみ出した少佐。もうとっくに眠っているのか、呼吸に合わせて胸が大きく上下する。


勝手に機嫌を悪くしたロイは、頭からシーツを被ったくせになかなか寝つけないようだ。何度も寝返りを打つ。慣れない野菜の皮剥きで凝ったのか、首や肩を回しているのがシーツ越しにも分かる。環境に慣れていない所為もあるだろうが、こいつは案外些細な理由で眠れなくなる。例えば――抱えるべき枕を俺に投げ付けてしまった、だとか。




「ヒューズ」


本当に渋々、やむを得ず、といった声で、ロイが口を開く。 本当に変わらないなあ、と俺は可笑しいのと呆れたのが半々で、そのシーツの中で篭る声を聞いた。どうしても課題が分からないとき、どうしても俺を頼らないといけないとき、ロイは学生の頃からずっとこの声を出すのだ。


「ヒューズ、喋っていいぞ」


子守唄にでもするつもりだろうか、王様は偉そうに許可する。


「ただし、娘自慢は無しでな」


そう言われても、じゃあ何を話せというんだろう。俺が黙って考えていると、ロイは「昼間、子供達に本を読んでたな」と、シーツの中から頭を半分出して此方のベッドを見た。


「その話でいい。話せ」


こんな大きな子供にお伽話をするとは思わなかった。ロイは単純に寝付きたくて、眠りに落ちるのに最適なボソボソした声を所望しているだけだ。俺が先に寝てしまって取り残されると、余計寝づらくなるのを牽制も出来て一石二鳥。だけどまるであれじゃないか?エリシアちゃんがよく俺のパジャマの裾を握ってするおねだり。「パパ、おはなしして」っていう奴。




俺は可笑しくて、可愛くて、からかいたくて。月明かりに白く映る顔を向けているロイへ、ベッドを半分空けて毛布を上げてやる。何だ?と寄せた眉が無言で問う。


「小さい声で喋らなきゃ、少佐が起きるだろ?」


だからこっちへ来い。俺の意図に気付いて顔を顰める。小さい声で喋ればいいだろう。半分吐息のようにしてロイが言う。俺はわざと聞き取れないような声でのろのろと話し出す。むか…、し…。……ところ、…、…王様…。わざと眠そうに、気怠く、果てしなくどうでもいいような、今にも寝てしまいそうな顔で。



猫の尻尾が膨れるみたいな、ロイの怒る気配がして、それからシーツをくしゃくしゃにする音がした。半眼で見る床の上へパジャマから覗く足が見えて、踏んだ板が軋み、次いで俺のベッドが軋んだ。全身で怒っている癖に、俺の毛布へようこそ。男の癖に足先が冷たい。脛に挟んでやると引っ掻きそうな顔をするけど、引っ込めやしない。俺を無視するなんて、俺でも喰らえ。そんな勢いで入って来た膨れっ面が、爪先から温かくなって緩んでいく。押し殺した笑いに引き攣る俺の腹を膝で蹴る。ベッドがまた軋む。


少し、眠そうな目になったロイが、それでも「話せ」と言う。猫が喋れたらこんなだろうなと思いながら、ロイの枕を頭の下へ差し入れてやると、当然といった風に頭を預ける。本当にこっちに来たんだから、何か話してやらなきゃいけないな。それらしいことを話していればそのうち眠ってしまうだろうと、俺は適当に話しはじめた。



「昔昔、ある寒い国に王様がいました」



ロイの睫がゆっくり下りて、黒い眸が隠れていく。尻尾が絡まるみたいに、足の指が丸まって脛裏を軽く握った。足はもう温かい。



「王様の国はいつも寒くて、一年中雪が降っていました。
 畑を耕すこともできません。
 王様は考えました。どうしたら雪が無くなるかなあ」



寝息が深く、長くなる。もう寝てしまっただろうか。俺はそうっと、話を続けてみた。



「王様はいっしょうけんめい勉強をして、おおきな焔を作れるようになりました。
 王様が手をかざすと、焔が生まれて雪を溶かすのです。
 王様はおおよろこびで、国中をまわって雪を溶かしました」



寝入ったように見えた口許が、思わずぷっと笑った。起こしちまったかな。俺の指が動いて、話しながらずっと見詰めていた、ロイの睫に宿る白い光を払い落とした。くすぐったそうに目を閉じたまま笑って、「それで?」とロイが先を促した。



「王様の国から、とうとう雪は無くなりました。
 ところが、いつまで待っても緑は生えてきません。
 ふしぎに思った王様が、お城を飛び出して見に行くと
 王様の焔が強すぎて、大地はからからにひからびていたのです」



思い付きだから、勝手に話が転がってしまう。寝物語にしては少し辛辣か。そう思いつつも話し続けるのは、この話のオチはもう俺のなかで纏まっているからだ。ロイは目を閉じている。でも耳を澄ませて聞いているのが分かる。



「王様は、雪の下に眠っていた、小さな芽や種まで燃やしてしまったのです。
 王様はとてもがっかりしました。
 そして悲しくなりました。
 この国にはもう誰もいないんじゃないだろうか。
 草木の育たないこの国と王様を捨てて、みんなどこかに移り住んでしまったんじゃないだろうか」



横臥したまま、ロイが少し俯くようにした。ぱらりと髪が散って此方に向いた旋毛を撫でて続けた。



「すると遠くから、カンカン、ドスンと音がしました。
 見れば大勢の人が、遠い山の上から水を引く川を作っているのです。
 王様がおどろいて見にいくと、ひときわ大きい男が力瘤を作って言いました。
 『力仕事は、我輩にお任せあれ!』」



撫でる手の下で、頭が笑いに小刻みに震えた。それだけで俺は酷くホッとする。



「川は大地を潤し、王様とその仲間は、みんなで国中に苗木を植えました。
 緑はどんどん育ち、畑は豊かに実って
 王様の国はとても美しい国になりました。
 王様は、国でいちばん強くて美しい女性と結婚し、皆に愛されて長生きしました。


 ――めでたしめでたし」



ロイはしばらく黙っていたが、そっと顔を上げた。微笑っている癖に寂しそうな黒い眸がちかと光った。潤んだような眸の上を白い光が流れて、唇が動いた。


「…お前が出て来ないぞ」


それだけ言うと、そんな眸で俺を見ていることが耐えられないようにすっとシーツへ視線を落とした。触れていられるのも耐えられない。表情も消して、頭へ乗せたままの俺の手も払い落とす。

そんな風にしたってほら。
足先は無防備に預けたままで、どうしろってんだ。
女にもこんな手管を使ってやがんなら、そりゃモテるだろ。
どうしたって太くてしょうがない、視角から下肢に至る単純な男の神経から必死に気を逸らせて違うことを考える。


「じゃあー…、ああ、アレだ、灌漑工事の設計とか、な…」


ロイは黙って首を横へ振った。素直な髪がシーツを叩いた。
そんなのは嫌。
俺の手を払った片手がシーツに落ちる。
こいつはただ甘えているだけなのに、俺は妙に律儀にその仕種に追い詰められる。



そりゃあ俺だって
死ぬまでいちばん傍に居てやりてえけど…。



(王様はとても甘えん坊なので
 宰相はときどき大事なことをわざと教えてあげないのでした。
 だって自分のちからで気付くことだって大切ですから)




ロイがいきなり、凄い力でしがみついてきたかと思ったら、上からも背中からも骨が折れるほど圧迫されて肺が潰れそうになった。ぎゅうっと押し付けられたロイも驚いて目を丸くしている。「ちょ、…ちょい、何、だッ…て」肘を突っ張ってようやくその剛力を押し退けようとすると、頭上には俺達二人を抱き締めて、漢泣きしている少佐の顔。


「我輩、感動いたしましたぞ…!!
 そのお話、是非我輩…、も、混ぜ…」


二人がかりで何とか引き剥がす。起きていたのかとか、どこから聞いてたんだとか訊く前に、寝呆け半分だったらしい少佐の巨躯は、またぐらりと傾いで俺達を押し潰そうとする。俺は間一髪ロイの腕を掴んでベッドから床へ転がり落ち、軋むどころか階下のローズも起きたんじゃないかという音を立てて少佐はベッドへ沈んだ。


「我輩…、力仕事は…得意…」


幸せそうに寝言を漏らす少佐を眺め、俺とロイは同時に噴き出し、床の上で無様にひっくり返ったまま一頻り笑った。


















(2004.11.23)