プロポーズ

生前は娘が大変お世話になりました。
今回の件で御迷惑をお掛けしたかと思います。
娘に代わって心からお詫び申し上げます。
軍の配慮で送っていただいた歯を遺骨とし
家の裏に墓を作りました。

もし、お近くに来られることがあれば
立ち寄っていただければ、娘も喜ぶと思います。





検閲済みと不粋な赤い判がべったり押された封書の中は、ロス少尉の母親からの短い手紙だった。たった7行の短い文章を、僕は何度も読んで、そこに何か隠されたメッセージ――例えば本当は娘は生きているので安心してください、といったような――がありやしないかと思ったが、何も掴めなかった。薄い茶色の便箋を、元通りに折って封筒へ戻す。

少尉が、セントラルへ着任間も無いマスタング大佐に…『焼き殺された』という話を、僕はまだ信じられずにいた。それ以前に、どうしてロス少尉がヒューズ准将の殺害容疑で捕縛されなくてはいけないのか、というそこから既に信じられない。ありえないトリックの、ネタばらしもオチも荒唐無稽。出鱈目な推理小説を読んだみたいだ。


少尉と僕はよく一緒にいたから、気を使ってくれているんだか何なんだか、廊下でも食堂でも、僕の姿を見ると途端に「しっ」と相手に囁いて噂話を止める人がよく居る。噂なんて好きにすればいい。だってどれも見当違い過ぎて、怒る気にもなれないから。


曰く、マリア・ロス少尉は軍の内情をクレタへ流すスパイだった。それを知ったヒューズ准将が殺されたのだ。

曰く、少尉は軍の公金を横領していた。それを知った准将が彼女を諌め以下略。

曰く、少尉はイシュヴァールと関わりがあって、テロリストを手引きしており、それを知った准将が以下略。


よくもまあ、そんなにパターンを考えられるなと感心する。酷いのなんか、ヒューズ准将と不倫関係にあって痴情の縺れだとかいうのもあった。(タブロイド紙なんかが飛びつきそう) 当てつけに軍の資料を隣国へ売り付けようとして以下略。僕は、そして彼女の友人は、ロス少尉はそんな馬鹿なことを絶対しないと知っている。それだけで充分だ。


充分、なんだけれど。

ねえ、こんな急に居なくなっちゃうなんてあんまりじゃないですか。
ある日突然、煙のように(あっ、ちょっとこの表現辛過ぎ)僕の傍からいなくなってしまった大好きな人。
僕の秘めた恋の行方は。(ちっとも秘めてねえよって同僚に言われるけど)
二人のこれからのストーリーは。

もっと早く告白して「あの日のアリバイ?彼女は僕のベッドで寝てました。隣で眠る顔があんまり可愛いから、僕は泣きぼくろに3回キスして」ってそんな風になってたらこんなことには。



畳んだ手紙を胸に向かった司令部内のカフェで、少尉のことなんか全然知らないはずのオバサンが「あの娘は案外派手でねえ」なんてドぎつい色の口紅で言うから、斜め前のテーブルでソーサーにカップを叩き付けてやった(しまった、怒ってしまった)。びくっとしてこっちを見てから「…でも、焼き殺すなんてマスタング大佐もやりすぎよねえ…」なんて付け足す。両方悪く言えばバランスが取れてるつもりなんだろうか。それより自分のはみだした口紅を直したほうがいいよ。






オバサンの話じゃないけど、マスタング大佐のやり方には首を傾げる人も少なくない。

親友の仇だからって、裁判もせずに殺してしまえば、何の経緯も分からないままになってしまう。本当に憎いなら、関わった全てを引きずり出してやろうと思うのが普通じゃないだろうか。それに、丸腰の少尉が、生きたまま捕縛できないぐらい抵抗したなんて思えない。殺さなくてはならなかった?僕はそこに、勝手に淡い期待をする。例え、虫歯の治療痕が一致しようとも…。


それと、もうひとつ。


僕は見たんだ。ホークアイ中尉が東方からつれてきた犬とじゃれあってるのを。それは大佐がロス少尉を『殺した』翌日で。あの人は、黒い子犬に餌をやりながらごく普通に微笑んでいた。あんな穏やかな顔が出来るもんだろうか、大事な人が誰かを殺した次の日に。マスタング大佐についてきた連中も、皆いつもより普通過ぎて、僕にはそれが妙に引っ掛かるんだ。



僕のそんな頼り無さ過ぎる根拠を述べて、どうか元気を出してくださいなんて。
いつか、きっとひょっこり帰って来ますよ、なんて。

それまで一緒に待ちましょう、なんて。


僕はもう一度、ジャケットの中から封筒を取り出した。そんな脳天気なことを言ったら、御両親を怒らせるだけだろうか。滲んだインクで書かれた遠いアドレス。妙な噂がここまで流れていないといいけれど。


とにかく、手紙を貰ったんだし行ってみよう。
何が出来るという自信もないまま、僕は休暇を取り、南行きの列車のチケットを買った。








ロス少尉の実家は、ダブリスとセントラルのちょうど中間あたり。以前は酷く痩せた土地だったらしいけれど今は一面の穀物畑になっている。遮るものの無い平地を、列車はほぼ真直ぐに進む。刈り入れが終わった畑に、前夜の雨がところどころ水たまりを作ってる。


一度だけ、昼寝してた僕の頭を少尉が撫でて、「麦畑みたい」って笑ったのを思い出した。なるほどそんな色だなと、まだところどころに残って揺れる麦穂を見る。目の前の細い手首を捉まえることも出来ずに、ただただ照れていた駄目な自分。


少尉の家族は、優しげなお母さんと、半端な軍人よりずっと体格のいいお父さんの二人だ。兄弟はいない。駅に迎えに来てくれていたのは、手紙をくれたお母さんではなくてちょっと無愛想なお父さんの方だった。大地からそのまま生まれたような、この土地そのものの厳格な表情。なのに目尻に少尉と同じ黒子がある。


「…あの、すいません…突然来て」
「ああ」


口数の少ない親父さんは、さっさと背を向けて駅舎を出ていってしまう。ついてこいという感じではあるけれど、本当に来てよかったんだろうかと戸惑う。たった三段の階段を降りて舗装もされていない道を踏む。いかにも農夫といったチェックのシャツを追って行く先に、驢馬に繋がれた荷車が待っている。

促されて荷台に乗ろうとして、路上で花を売っている少女に気付いた。墓参りという名目なのに、花すら用意してこなかったのは、やはりどこかで少尉が死んだなんて自分が認めていないからなんだろう。ちぐはぐな自分に苦笑して、僕は少し待って貰い、名前も知らない薄青と白い花を買った。出来上がった花束の色合いが寂しくて、最後にオレンジ色の小さな花も買い足した。


花束を持って荷車に乗り込むと、親父さんは何か言いたそうな目で僕を見たけれど、何も言わずに驢馬にゆるく鞭をくれた。藁と農具が端へ寄せられた荷台に座り、僕は沈黙に耐え切れずにまた「…あの、お手数かけてすいません」とさっきと同じようなことを言った。返事はやっぱり「ああ」だった。僕はもしかして嫌われていますか。刈り入れの邪魔でしたか。なんだか風が冷たいなあ。



ロス少尉の実家に来るのは初めてじゃない。一度だけ、休暇を一緒に取れた何人かで遊びにきたことがある。それは春で、このガタゴト揺れる沿道にも黄色い花が咲き乱れていた。今度ここへ来るときは二人きりで…、そんな密やかな野望は潰えてしまった。まさか一人きりで来ることになるなんて。見渡す限りの農地を眺めながら、僕は少尉の手の代わりに花束をぎゅっと握った。

少尉の家は、緩く長い坂の上にあって、驢馬は少し苦そうに喘いだ。何だか申し訳なくて僕は荷台から降り、親父さんは前を向いたまま「マリアの墓を見に来たんなら、家の裏だ」とそれだけを言った。僕は頭を下げ、降りてもノロい荷車を追い抜いて坂を上った。色付いた大きな樹の横に、青緑色の屋根の農家が見える。


歩きながら、ああ、僕は本当にあの人の墓参に来ているんだなあと、どうしようもなく遣る瀬無かった。『マリアの墓』なんて親父さんの口から聞いてしまって、彼女の死を受け入れていないのは世界に僕一人きりなんじゃないかと思えてしまう。

大好きだ、本当に好きだと思っていたのに、僕は彼女の何の役にも立たなかった。僕にもっと力があれば、彼女にあんな冤罪を押し付けさせやしなかったのに。僕がちっぽけだから。守れもしないのに、好きだなんて言う権利は無いんだなあ。見上げる緑の屋根がぐんにゃり歪んだ。






家の裏手に回って、僕は墓らしき物を探した。けれど見当たらず、家の廻りをぐるっと一周してしまった。家の正面に着いた荷車から親父さんが降りて、「墓と言うか、ただの土盛りだけどな」と裏手へ案内してくれた。それは本当に小さな、言われないと気付かないような土饅頭だった。本当にささやかな、大雨が降れば流れて消えてしまいそうな。


「マリアは、何だか偉い人を殺しちまったんだってなあ」


人殺しは一緒に埋葬出来ねえって、共同墓地にも入れなかったんでなあ。親父さんの声を聞きながら、僕はこんなのあんまりだと思った。ヒューズ准将のあの白大理石の立派な墓。階級は違ったって、准将だって少尉だって軍のために頑張っていたのに。あんまりだ。僕は目を瞑って首を横へ振った。こんなものの下に少尉が眠っているなんて、絶対に認めない。親父さんの手が、僕の肩をポンポンと叩いてくれた。慰めに来たはずなのに、何で僕が慰められてるんだろう。


「女房もすっかり気が弱っちまって。病院入っちまってなあ」


僕は土盛りの前へ座り込んだ。裏庭まで枝を伸ばす大樹から、鳥が高く囀って飛んだ。こんな不幸、幾らだってあるのかもしれない。でも僕はやっぱり受け入れられない。




「…親父さん、僕ね、軍曹なんですよ」


鼻を啜ってしゃがんだまま言うと、少し間を置いてから「…そうだっけな?」と返事が返ってきた。


「だからね、今のうちに…曹長、准尉、少尉と出世して…
 ロス少尉が戻って来たときにはあの人よりしっかりした男になって…」


その想像は幸せなのに、何故か僕はどんどん泣けてきて困った。親父さんの大きい手が、藁でも掴むみたいに乱暴に僕の髪を撫でた。その手荒さが嬉しくて、僕は調子に乗って言った。


「少尉にプロポーズしたいと思いま…ッ」
「馬鹿言うな、お前みてえな鼻垂れにウチのがやれるか」


僕は言い切る前に地面へ顔面から叩き付けられた。彼女を産んだ大地の鉄拳はしっとりと硬かった…。


「マリアと結婚したきゃあ、大将ぐらいになってくれんと」
「…ムリ、すいません、ムリ…」


僕の頭を押さえ付けたまま、親父さんが「なっさけねえ」と吐き捨ててから身体を揺らして笑った。この人が笑うところを初めて見た気がする。いや、地べたに押し付けられたままだから見えはしないが。


「…まあ、待っててやってくれや。
 ワシもどうも、あれが死んだ気がしねえのよ」


気が済むまで笑ってから、親父さんはようやく手を引いて言った。地面に仰向けに横たわり、僕は泥まみれのままで何度も頷いた。頭上の梢が揺れて、また鳥が飛んでいく。黄色い葉が舞い落ちる。

親父さんは墓の上へ腰を下ろし、葉巻きに火を付けて燻らせた。僕は煙草を吸わないんだけれど、それはとても格好が良かった。見上げていると視線が合って、「お前、軍人より農夫が似合うツラだな」と、今度は笑顔を見せてくれた。それは彼にしたら、凄い褒め言葉なんじゃないだろうか。木漏れ日がちらちら落ちてきて眩しい。僕も笑うみたいに目を細めて、頬に張り付いた泥を少しだけ払った。僕らはそれから、長い間黙っていた。何も話さないけど、二人で、きっとどこかに生きている少尉のことを考えていた。幸せでいて欲しい、と、いつかまた会いたい、を繰り返して祈った。自分がすっかり無くなるぐらいに。



「なあ、その花束よ。
 どうせなら女房んとこ持ってくかい?」


どれぐらい経ったのか、そう言われて我に返った。地面に置いたままの花。ここに少尉がいないなら、供えてもきっと意味がない。「病院、ここから遠いですか?」と花束を拾って立ち上がると、親父さんはもう家の表へ向かって歩き出していて、やっぱり振り返らないまま「行くならその顔、家ん中で洗って来い」とぶっきらぼうに言った。


親父さんて結構、奥さんにはメロメロなんじゃないかな。
どうも自分が面会のダシに使われてる気がして、僕は思わずちょっと笑ってしまった。不機嫌そうな顔で振り向かれ、僕は怒鳴られる前にさっさと家へ駆け込んだ。















(2004.11.16)