DOLCI

ぐらぐらお湯を湧かした小鍋。
ロイさんはローズに何か聞こうとするのかきょろきょろと彼女を探し、まあいいかとばかり一人頷いて、そこへ切ったばかりの野菜を入れた。



パセリを。



「あ、違うの、パセリは茹でないの…!」

テーブルからキッチンへ戻ってきたローズが、慌てて鍋からパセリを救い出す。 パセリは熱湯に溺れてくったり瀕死だ。しんなり。まあ確かに緑は幾分鮮やかになった、かもしれない。

軽く押し退けられるようにして火の前から離れたロイさんは、子供が母親に怒られたみたいに、ちょっとぼんやりしている。それから「すまない」と少し慌てて言った。


「ごめんなさい、教えなかったから…、でも大丈夫、食べられますよ」


なんでローズが謝るんだよ。
ロイさんがローズにちゃんと聞かないから悪いんじゃないか。

僕がむっとしたのが分かったんだろう、ローズは笑って僕の頭を撫でて「ねえ、ザジ。いちばんおおきなお皿、10枚持ってきてくれるかしら。重たいから5枚ずつでいいのよ」と、エプロンで手を拭きながら言った。僕はもう10枚ぐらい一度に運べるのに。


食器棚に取りに行く僕の背中で、ロイさんとローズの楽しそうな声がする。


「本当に私は役に立たないな、もう少し日頃から家事をやっておくべきだな…」
「ふふ、ロイさんって何だか王様みたい」
「はは、バレたか。実はそうなんだ」
「王様がこんな村に、何の御用かしら?」

「王様の用といえば、お妃探しに決まってい…イッ」



皿を10枚も持っていたから、前が見えなかったんだ。僕はロイさんの脛を蹴って「あ、ごめんなさい」と憮然として言った。ローズが「ザージ?」とたしなめるように言ってから、「ありがとう」とふんわりと笑って、僕の手から皿を取った。ローズのエプロンは白くて可愛い。ときどき、お母さんにするみたいにぎゅうってしがみつきたくなるけど、そんなことをしたら余計に子供扱いされてしまう。だからぐっと我慢するんだ。





一日の仕事が終わって、ばらばらとローズの食卓に人が集まり始める。

今日のメニューは、鶏肉のポレンタ添えと白インゲンのスープだ。それからトマトのパスタ。ポレンタ?ってロイさんは首を傾げたから、この村独特の料理なのかもしれない。トウモロコシの粉をつぶした粉を練ったもので…、塩とバターで味付けをする。一口食べて「マッシュポテトみたいだな」と納得していた。


「おー、いい匂いだなあ!」


ルイードとヒューズさんが入ってきて、その後にアームストロングさんが続くとダイニングはとても賑やかになる。料理の乗ったお皿をテーブルに運ぶのは、いつもは僕の役目だけど…。

「ザジ、今日はロイさんに手伝ってもらうから。あなたは皆と一緒に食べて」

面白くないけど、お腹は空いていた。僕は頷いて、腹の音を聞かれないうちにテーブルへ走り、ヒューズさんの前の席に座った。


まずはパンとスープ、大皿にパンを乗せてテーブルの中央へ二つ置く。ロイさんの手際は、まあそんなに悪くはない。スープ皿に多少指が入っていようが、口々に今日一日の出来事を話し合うみんなは全然気がつかない。

次はパスタ。キッチンの方から皿の割れる音と「あっ」「ああっ」と小さな悲鳴が上がった。あーあ、パスタ皿は予備が少ないのに…。指を切っていないかい、ローズ。ロイさんこそ大丈夫?そんなこと言い合ってやしないだろうかと、僕はそわそわと腰を浮かせては座り直した。


キッチンから出てきたロイさんは、何事もなかったかのように澄ました顔でパスタを運んできた。それからメインディッシュ、鶏のグリルとポレンタ。茹でパセリのぐったり添え。

これはローズの得意料理だ。メイン料理の登場に皆が歓声を上げる。ソースに使われたバターと香草のいい匂いがする。


「あれっ?」

皿を置かれた途端に食べはじめる、隣のラルフの弟がちいさく縮んだパセリをつついて言う。

「お兄ちゃん、パセ…」
「馬鹿、静かに食え。女に恥をかかせるんじゃねえ」

さすがラルフ、僕の恋敵なことだけはある。ラルフは「ヒューズさんの喋り方、カッコイイよなー」としょっちゅう真似をしてる。



ロイさんは僕の座っている列に置き終わると、今度は向こうの列に皿を配り始めた。だんだん慣れてきたのか、皿を置きながらルイードと談笑したりしている。そして、その隣、ヒューズさんの席へメインの皿を置いた。すると、頬杖をついてたヒューズさんの手が、ロイさんのエプロンに伸びてその端をひょいと捲り上げた。ラルフがときどき、ローズのスカートをめくって揶揄うときみたいに。


ローズだったら、真っ赤になって平手打ちなんだけど。
所詮エプロン、めくったところで何が見えるわけでもないし…、というかそれより、ロイさんは男だし。恥ずかしくもないか。


ヒューズさんが何か言った。「似合うなあ」だとか何だとか。ロイさんはエプロンをつままれたまま、背を屈めて視線を合わせ、小さい声でぼそぼそと何か言った。ヒューズさんはそれを聞いて、さも可笑しそうに身体を小刻みに揺らして笑う。ロイさんはちょっと怒ったみたいな顔をしていたけど、ヒューズさんがフォークを取って料理に手をつけると、じっとその横顔を窺った。


「…旨いか?」


ヒューズさんは驚いて「お前が手伝ったのか?」とか「凄いじゃないか」とか大袈裟に褒めちぎった。皮剥きとパセリを切るぐらいでこんなに褒められたんじゃ、ローズはどれだけ褒められたらいいんだ?ロイさんはちょっと調子に乗って自慢げに「勿論だ」とか何とか、顎に手をあててふふんと笑っている。大人って汚い。子供の手柄を横取りなんて…。

義憤に震える僕に気付いたのか、ロイさんはちらっと僕を見てからヒューズさんに何か囁いた。きっと、パセリだけ手伝ったぞ、とか何とか言ったんだろう。ヒューズさんが可笑しいぐらいがっかりしてテーブルに突っ伏した。ロイさんはまだ偉そうにふんぞりかえってた。二人の様子に僕も思わずくすっと笑った。何だか子供みたい。それに。


エプロンをめくっても怒られないなんて、いいなあ。


そんなことを思いながら。



ヒューズさんはぐだぐだになったパセリをフォークで刺して、またロイさんに何か言った。ロイさんの「食べられるぞ」とか何とか言うその口に、ヒューズさんはフォークを差し出した。ロイさんはちょっとむっとしたままの顔で、その先のパセリを食べた。やっぱり美味しくないんだろう、不思議なものを食べた顔でキッチンへ戻っていく。




メインの後、皆にハーブティーとクッキーが配られていつもの夕食が終わった。食器をキッチンまで持っていくのは各々の仕事だ。僕はカミツレの匂いが残る空のカップとソーサーをキッチンへ運んだ。本日のウェイターとローズが、キッチン脇の小さなテーブルでパスタを食べている。ロイさんの話に笑っていたローズが、僕の足音に振り返って微笑む。

「あら、ありがとうザジ。シンクに置いておいて」

優しいローズ。みんなのお母さんがわりで、みんなの憧れで…。


僕はさっきからずっと試してみたいことがどうしても我慢できなくなった。


僕は黙ってテーブルへ近付き、ローズの白いエプロンの裾を片手でひらりとめくってやった。ローズはびっくりした顔で大きな目を瞬いた。


「ザジ…?」

「…似合う……、なあ、と思って…」


ローズはぽかんとしてから、くっくっと笑って「変なの、ザジ…でもありがとう」と僕の頭を軽く抱き締めてくれた。やった!!僕の胸は馬に乗ってるときみたいに高鳴った。白いエプロンからは、さっき飲んだカミツレの甘い匂いがした。ロイさん、悪いけどローズは僕のだからね。そう思って彼女の肩越しに見習いウェイターを見ると、なぜか口を横に引き結んで真っ赤になっていた。まるでスカートをめくられた女の子みたい。何でそんなに真っ赤になってるんだろう。この人、絶対王様じゃないや。


















大総統にもなれないや。(2004.11.06)