風切り羽根

ギイイ、と大きな羽根が、足下の緑に細長い影を落としては空へ昇っていく。
風を受けて回っている四枚羽根。だが、しばらく眺めていると、その羽根こそが風を生み出しているように思える。


「立派なモンだなあ」


羽根の軋みに重なって、風車小屋のなかからコッ、コッと木の触れ合う音。水を汲み上げているんだろうその規則的な音は、どこか人の心音に似ている。牧歌的で温かい、懐かしさに満ちた音が、明るい風に乗って胸を吹き通っていく。

高く上がった羽根の格子に張られた白い帆。ヒューズの声に頷いて、零れ落ちる陽光に目を細める。風がざっと草を分けて丘の梺へ抜けていく。外す間もなく引っ張ってこられたエプロンが、舞い上がり音を立てて靡く。いつも着用している軍服のオーバースカートよりも随分軽い。腰から下が浮ついた感じがして落ち着かない。眩しい。







よっぽど眠そうな顔で皮剥きをしていたんだろうか、目の前にしゃがみこんだヒューズが眉を寄せた。


「お前な、皮より指切ってんじゃねえか。ちっと寝たほうがいいぞ」


言いながらナイフを取り上げられ、掴んだ指の温さにヒューズが低く笑う。


「子供みてえ」


うるさい、と言い返しながらも、朝早くから家事三昧な私は、正直少々眠くなっていた。


「昼寝しようぜ、いい場所見つけたし」
「…、昼寝…、いや…眠くな…ぃ…」


蠱惑的な響きに頷きそうになるのを堪えて、眠くないぞ、ともう一度言い、眠気覚ましにヒューズの親指をぎゅうっと握ってみた。が、やっぱり眠いのか、すぐ力が抜ける。奴は笑いながら、ほれほれと急かして私を立たせ、引っ張るようにして畑を抜け、丘へ続く緩い坂を登った。引きずられる私の瞼は、もう半分くっついていた。

閉じた瞼の裏で、ティルトが険のある目で睨みながら「役立たず」と言った。








そうして連れて来られた風車小屋。ローズの家からも眺められたが、これほど大きいとは思わなかった。見上げている私を置いて、ヒューズはさっさと小屋へ近付き、扉を開ける。白く塗られた板張りの壁、くすんだオレンジ色の屋根。


「ロイ」


呼ばれて、素直な好奇心と、半分は無意識に足を向けた。蒸気が主な動力になりつつあるセントラルでは、近郊の牧草地でも風車は殆ど見ない。小屋のなかは広い吹き抜けになっていて、壁にぐるりと沿って羽根の支軸まで階段が伸びている。中央には太い支柱と深い井戸。子供が過って落ちないようにとの工夫だろう、井戸の回りは高い木枠で覆われている。軸が回り、井戸から汲み上げられた水は、用水路へ続く水路へと滾々と流れ出る。

コツコツという音は、井戸から上ってくる連なった小さな木箱が、水路の縁に当たって水を流すときの音だ。


「お、目が覚めたな」


階段を上りながら、ヒューズが可笑しそうに言う。仕方ないだろう、こういうのを見て理屈を考えるのは本能のような物だ。支軸に必要な強度、羽根の大きさと重量…。風速はどれぐらいが限界だろうか。見る物いちいちに興味を引かれる私を残して、ヒューズは壁沿いの階段をゆっくりと半周し、羽根の支点傍にある足場へしゃがみ込む。


一通りの仕組みを解いてしまい、見上げると、丸い窓を引き開けた男がいい気分で風に吹かれている。目を細めて外を眺めていたが、視線に気付いてひょいひょいと手招く。

傾斜の強い階段を少し用心して昇ると、ヒューズは狭い板間に胡座をかいて座っていた。屋根裏部屋を連想させるその踊り場を通り抜け、さらに上へ続く階段へ腰を下ろす。陽射しを吸った木肌に凭れかかると、忘れていた眠気に包まれた。階下から聞こえる水と木の単調な響きが、心地良く頭に靄を掛けはじめる。




不意に膝上に重みを感じて手を伸ばした。慣れた少し硬い髪が、指の間を滑る。


「…子供に見つけられても知らないぞ」


勝手に片膝を枕にする男の頭を呆れた声で撫でてしまうと、やはり余計に眠くなる。使い古した毛布のようだ、この男は。手触りがいい訳ではないのに妙に馴染む。乗せられた頭の重ささえ、邪魔だと思えないほどに。


「風車小屋には…子供は入って来ねえんだ」


危ねえからな。留守してる大人の言い付けで。そんなことを言う狡い男を、父親のように慕っている子供達が可哀想でならない。撥ね除けるのも面倒で、このまま寝てしまおうと意識を緩めると、調子に乗ってエプロンの下に潜ってくるから手に負えない。女のスカートの中ならまだしも、男のエプロンに潜って何が嬉しいのか。


「ヒューズ」


少し怒った声を作ってエプロンの上から叩くと、脚に頬を擦り寄せる。「昼寝させてやるって言ったのはお前だな?」頭が乗せられていない方の脚を奴の首へ回して締め上げてやると、手のひらで必死に階段を叩いてギブを表明する。そんな他愛も無い仕種が、何とはなく士官学校の頃を思い出させて懐かしさに口許が笑ってしまう。


「なあ、ロイ」


脚を解いて膝裏を肩へ乗せると、解放されて長い息を吐きながらヒューズが言った。


「お前とこんなにぼけっとすんの…久し振りだな」


確かにそうだ。同じことを思っていたのが少し可笑しい。「悪かないよな」と幸せそうに言う。「それに」続ける声は酷く懐かしそうで。「お前も何か…、学生の頃に戻ったみたいで」羽根の影が差し込む光を切る。「よく、笑う」

その言葉そっくり返してやる、と胸の内で呟いた。この村に流れる穏やかな時間は、お前によく似合っている。樹の下でノートを広げて子供に勉強を教えている姿は、士官学校の庭を思い出させる。だが、お前の幸せはもうセントラルのあの家にある。



お前はあの頃に戻りたいんだろうか。
いいや、ずっとは居られないから憧れているだけだ。

ひとときだからこその鮮やかさと、罪の無い解放感。それがバカンスという物だ。



「そんなにこの村が気に入ったのなら」


私は溜息を細く漏らし、窓から溢れる光がちらちらと照らす塵に目を遣った。


「あの吊り橋を壊して閉じ込めてやろうか?」


そう言うと、エプロン越しの頭が小さく動いて、「そうしろよ」と呟いた。

その気もないのに吐かれた、中途半端な台詞。もうお前はとっくに学生なんかじゃない、嘘も平気でつける悪い大人だ。橋が直らなかろうが何としてでも戻るに決まっている。あてずっぽうに掴んだところが耳で、意趣返しに下衣の上から内腿を噛まれた。竦んだ膝を割り入る肩に広げられて、引き剥がそうとする手にろくな力を込めない私も充分に狡い大人だ。


薄茶の布の下で身体の中心を柔く噛まれながら、本当に橋が落ちたままなら面白いと思って目を閉じる。

風が頬を撫で、窓の外では羽根が軋みながらゆっくりと回り続けた。


















エプロンプレイ…(2004.11.01)