silver

中央司令部の中庭には、そう洒落た物ではないがカフェテリアがある。
丸い白いテーブルが幾つか、それからベンチ。季節が良ければここで昼食を摂る者も多い。


春先とはいえまだ風が冷たい今、コートを着たまま座った椅子から見渡せば、人がいるテーブルは疎らだ。元軍属なのだろうか、愛想の無い痩せたウエイトレスがテーブルの横を通り過ぎた。振り返り視線を遣ってみたが、背中を向けたまま隅のテーブルの男と話し込んでいる。

単なる待ち合わせで、咽が乾いているわけでもなかった。それ以上合図を送るのはやめにして、深く座り直す。執務室のそれとは比べ物にならない簡素な椅子。何かに似ていると思ったら、士官学校で使われていた椅子もこんな硬い座り心地ではなかったか。散漫な思考に、霞んだ白い空。ふと高い窓とインクの匂いを思い出す。



時間には正確な相手より、珍しく早く来た。さてあと何分あるだろうと、コートの内ポケットから銀時計を取り出そうとして、少し離れたテーブルから上がったしわがれた声に手を止めた。



「国家錬金術師がよォ」



昼間から酷く酔っ払っているものだ。軍服をこれ以上は崩せないというほどにだらしなく纏った男が、多分水商売の女だろうか、後ろ姿さえ気怠げな女を向かいに座らせて赤い顔で唾を飛ばしていた。



「あいつらが来なきゃ俺はよ、次の作戦に出るはずだったんだ」



男はポケットから略章を取り出して、小銭でも捲くようにテーブルの上へぶちまけた。小銭よりも軽い音がした。女はわざとらしく「わあ」と歓声を上げた。少し離れたテーブルへ視線を凝らすと、その形と色からだいたいの判別はついた。従軍章、歩兵記章、陸軍称揚章、青銅星章。戦場で半年ほど、ただ逃げ出さずに踏み止まればだれでも貰える物ばかりだ。

女はそれをきっと承知で、それでも商売だと割り切って、ひとつひとつの勲章の意味を語る男に、相槌を惜しみ無く打って感心してみせた。

参戦した軍人なら誰でも持っている勲章だが、それでも充分意味のある物だ。戦場へ赴き、行軍し、砲火に耐えた。それで充分じゃないか。きっと男は前線でよほど辛い思いでもしたのだろう。濁った目は暗い。こんなに命からがら戻ってきて、なのに俺は後方の奴らより勲章も少ない。何故だ。砲弾がふっとばして作ったどろどろのクレーターの中で、銃声がするたびに金玉が引っ込むぐらいビビりまくって、それでたった4つ!それもこんな、誰でも持ってて金にもなりゃしねえ。男は喋るにつれ激昂していった。店のマスターが渋い顔で出てきて、痩せたウエイトレスも手を腰にあてて男と密やかに失笑を交している。




「あの作戦、あれに参加さえしてりゃぁよ、俺ぁ銀星武勇章を貰えるはずだった!」




シルバースターとは大きく出たものだ。しかし、未遂とはいえ軍事作戦の詳細をカフェで滔々と話されてはたまらない。誰か制止でもしないものかと見回してみたが、その回りのテーブルに座っている男共は、連れの女の深いスリットにニヤつくばかりで動きそうにない。

やれやれ。溜息を吐いて立ち上がろうとすると、中庭に続く回廊の角を曲がってヒューズが姿を見せた。私が目を向けると、遠くからも分かったのかヒューズは片手をよっと上げて笑った。酔っ払いがテーブルの上の略章を芝生の上に払い落として叫んだ。



「俺たちゃ、毎日死ぬ気で、ガタのキた銃で戦ってんのによ!
 あいつらはちょっと指を振るだけで街を消しやがる!!」



ちょっと指を振るだけで。


笑おうと思ったが、上手く笑えなかった。


ヒューズが騒動に片眉を上げながら近付いてくる。突っ立ったままのマスターにも視線で「何?」と問いかける。マスターが肩を竦めて首を振るのに、ヒューズは分かった分かったという風に笑った。男は演説台の独裁者よろしく、立ち上がってテーブルを叩いた。




「あいつらが全部持っていきゃがったんだ!
 あいつらさえいなけりゃ俺は、シルバースターが貰えたってのによ。
 俺達にバラまかれるはずだった星は、ごっそり吸い上げられて奴らの肩の星になっちまったって訳だッ、畜生」




ヒューズは、芝居っ気たっぷりに笑いながら、片手をズボンのポケットに突っ込み、片手で耳をほじりながら男に近付いた。男は胡散臭そうな目でヒューズを睨み付ける。



「ああん、何か文句があんのか、青二才」

「青二才!久し振りに言われたねえ、そんな台詞」



ヒューズは男の視線が自分の一挙一動を隙無く捕らえるのを待って、ゆっくりと見せつけるようにポケットに突っ込んでいる手を上下に揺らした。チャリ、と上等な音がして、純銀の鎖が外へ滑り出し、光を弾いた。



「こっ、国家…、」



男は国家錬金術師の銀時計を見たことがあるんだろう、顔を強張らせたが憎々しげにヒューズを睨んで踏み止まった。ヒューズは芝居が楽しくてたまらないんだろう、くっくっと咽を鳴らして笑っている。まるでキンブリーが嬉々として術を走らせるときのような。人が悪い。笑ってしまいそうだ、私まで。


もう男の事はどうでもよくなって、私はヒューズの手首に絡まっている銀時計の鎖を眺めた。あれをどうした?なんて訊くこともしなかったけれど、まだ持っていたんだと思うと不思議に柔らかい気持ちが胸を暖める。男は呂律を怪しくしつつもまだ噛み付く。




「きっ、貴様のような奴がいるから、俺はっ、」



ヒューズは地面に散らばった略章を見た。酷く、自分が侮辱されたような顔になった。緑の眸が少し細まる。それがいちばん怒っているときの眸だ。ヒューズは戦後、自分の小隊の戦没者達の家族を訪ね、勲章を渡して頭を下げた。罵倒する父もいた。泣いて勲章を抱き締め、ただ頭を下げる母もいた。



「こんな、馬鹿みてえな勲章しか貰えねえんだッ!」

「黙れ」



ヒューズはダガーを投げるときの動作で大きく腕を横から薙ぎ、男の眉間に指を突き立てた。術を発動されると思ったのか、男が目を剥いて硬直した。






「名誉戦傷章でも欲しいのか?」






ぞっとするほど低い声だった。


冴えた鮮やかな動線が瞼にいつまでも残った。


男はただただ首を横へ振って、ひっ、ひっ、と短く悲鳴をあげながら芝生の上へ座り込んだ。ヒューズは軽蔑しきった一瞥を投げて、男をそれきり忘れた。そしてポケットから出ているままの鎖をそっと仕舞い込み、座ったまま身動きも出来ずにいた女にゆっくりと、いつもの愛想のいい笑顔を見せて言った。



「ああっとー、それからお嬢さん。
 ここぁ見ての通り、ムサい野郎の吹きだまりでね。アンタみたいな美人がいたら目の毒だ」



言われて女は、やあね、口が上手いわねと、引き攣ったまま笑って立ち上がった。そしてスリットから白い臑をちらちらと覗かせながら中庭から裏門へ、巻き込まれたくないと言わんばかりに足早に突っ切っていく。



ヒューズは私へ視線を寄越して、行こう、と顎を軽く上げてみせた。私は静かに笑って席を立った。



歩くヒューズにマスターが笑いながら肩を寄せて、ホントに何か出るんじゃないかと思ったぜと囁いた。ヒューズはまさかと苦笑して、あとで俺の部屋にコーヒーを二つ、とオーダーした。マスターは元軍人だけあって、ビシっと大袈裟なまでに敬礼して私達を見送った。










「…まだ持ってたんだな」




中庭の芝生が回廊の石に変わる。私の呟きに、ヒューズは笑って頷く。チャリチャリと戯けてポケットの中で鎖を揺らす。その胸の略綬に銀星武勇章が光っている。



お前が錬金術をやっていたら、いったいどんな光を放つんだろう。

それが見れないのは少し残念だな、と思いながら、暫く黙って隣を歩いた。















続く!っぽい!(2004.07.25)