切り裂きジャックの恋

「じゃあ後は任せた」


と、颯爽と倉庫を出ていく上司二人。66ことバリー・ザ・チョッパーと二人きりで残されたファルマンは、暫く思考が停止した。伝説の連続殺人犯と二人きり。任せられても荷が重い。


「あー、心配しねえぜいいぜ、兄ちゃん。
 当分、アンタを斬るつもりはねェからよ」


当分とは有り難い。ファルマンは泣ける気持ちを押し隠し、精一杯厳めしい顔を造って骨のような鎧のような男と対峙した。さて、ずっとここに匿っておく訳にもいかない。協力的なうちに人目につかない場所に身柄を移したいところだが…。

そうは思っても、セントラルへは着任したばかりで土地勘が全く無い。顎に手を添えて考え込むファルマンに、66は冷たい床に胡座をかいたまま訊いた。


「なあ、その電話ボックスで殺害されたとかいう軍人って誰だァ?」


何をどこまで喋ってやるべきなのか、添えていた手で自分の顎を摘みながら考えた。面白い情報を持っているようだが、こちらの内情を全てを教えてしまえるほど信頼できそうには見えない。少し考えてから、結局名前ぐらいはいいだろうと「ヒューズ中佐…今は准将だ」と最小限に答えると、案の定66はさっぱり分からない様子で首を傾げた。


「それがさっきのガキの何なんだ?親父か?」


ガキ…。

消去法でいくと大佐のことだろう。「父親ではない」とまた否定だけすると、「親戚か何かか?」としつこく食い下がる。「友人だ」と面倒になって答えてしまうと、意外そうに「へえ?」と肩透かしを喰らったような声を出した。「准将ってったらもう爺さんだろ?ジジイとガキでダチ?」

あの人だってあの顔…いや、あの年で大佐だ。

そう言ったらどんな顔をするだろうか。大体、骨だけの癖、やたらに表情があるのだ、この殺人鬼は。案外愛嬌もあって見ていて飽きない。少し緊張が解けて、ファルマンは手近な椅子を引き寄せて座った。


「凄エ目してたなー…久々にゾクっと来たぜ」


友人では少し弱い、親友であり同僚であり戦友であり…。どう説明すればいいのか、いや説明する必要があるのかとファルマンがとりとめなく考えていると、66は「あんな目の奴、一度だけ見たことがあるぜ」と、どこか誇るように楽し気に口にした。殺人鬼の昔話など碌な話じゃないだろう。そう思いつつもその口調に引き込まれ、ファルマンは「ほう」とその先を促すような相槌を打った。


「俺が最初に夫婦をバラしたときによ。
 亭主の方を嫁の前で先にバラしてな。
 女ってのは便利に失神しやがるんだよなあ、ああいう時。
 頬ひっぱたいて起こしてよ、亭主の血でベッタベタになった手でよ。
 これがすげえ美人でなあ、殺してえのと犯してえのがごちゃ混ぜになって」


聞かなきゃ良かったと頭を抱えてファルマンは後悔したが、66はそんな彼のリアクションすら楽しい様子で嬉々として続けた。


「ああ、お前みたいな頭堅そーな奴にゃ分からねぇだろうな
 バラすだけじゃ勿体ねェから、押さえ付けたらよ。
 凄エ目で睨みやがって。丁度、あんな目よ。忘れらんねえなァ…」


愛嬌はあっても、やはり異常者なのだ。どう扱っていいのかさっぱり分からない。ファルマンは長い重い溜息を吐いて、なるべく彼をゾクゾクさせないように、茫洋とした糸目をすら逸らして黙り込んだ。


「ありゃ、人を殺せる目だね」


恍惚とした声が、倉庫の高い天井へぽかんと浮かんだ。異常者は時に恐ろしい直感を持つという。ファルマンは背筋がひやりとして思わず顔を上げた。


「何人も殺した目だ。堪らねェな」


そんであの姐さんも。あの姐さんは本当に武者震いが来るね。そう言ってざらついた声で笑う。自分は軍人になったものの誰ひとり殺してはいない。そんなこともきっと彼には容易く見抜かれてしまうのだろう。舐められまくりじゃないか。ファルマンはいよいよ途方に暮れた。


「…っと、それで俺はこのまま倉庫に閉じ込められんのか?
 隠れ家ならいいとこ知ってるがよ」


そんな事まで連行する男に教えられるのは酷く情けなかったが、結局代案を出せるわけでもなし、朝が来る前にファルマンは66の後を付いて倉庫を出た。まるで自分が人質だとげっそりしながら。





66が案内したのは、元、彼の店からそう離れていない、少し寂れた裏通りの安アパートだった。ファルマンの名義でそこを借り、66は人目を避けて忍び込んだ。時々彼の太い声が外へ聞こえてしまいそうではらはらする他は、これといって不穏なこともなく数日が過ぎた。66が拍子抜けするほど大人しく監禁されているのが、ファルマンには少し可笑しくて微笑ましかった。ホークアイ中尉に本当に惚れ込んでいるんだろう。彼女は一度もこの隠れ家に姿を現さないが、それでも彼女の言い付けを守って面倒を掛けずにいてくれる辺、健気だとすら思った。


大佐が暇つぶしのチェス盤を持って、ふらりと訪れたのは1週間目の深夜だった。


「お気遣い頂きまして」
「いや、一人でよくやってくれている」


珍しく労う大佐の声に、奥からひょこっと66が顔を出して「この頼り無エのが居なくても、俺ァちゃあんとこっから出ていかねえのによ!」とがなるので、ファルマンは慌てて扉を閉めた。大佐はそんな声に苦笑して肩を竦め、「元気そうだな、バリー」と部屋のなかへ歩き出す。


「暇だろうから、チェスでもするといい」


象牙と貝で作られたアンティークなチェス盤は、塵を被った粗末なテーブルに不釣り合いだ。「ルールも知らねェ」と興味が無さそうに言う66に「ファルマンに教えて貰いたまえ」とまた厄介を軽く押し付けて大佐が笑う。


チェス盤に駒を並べる大佐の手許を、ベッドに座った66はじっと眺めていたが、不意に思い出した顔で口を開いた。


「なァ、ヒューズっていうのか?殺された奴」


駒を順に並べていた大佐の手が止まり、片目を眇めたキツい視線を向けられたファルマンは慌てて手を振った。「わ、私は何も言っておりません」「ヒューズと」「名前だけです!」 ごちゃごちゃと言い合っている二人を見遣っていた66は、「それと友人だってのは聞いた」とファルマンの台詞に付け足した。


「…そうだ、友人だ。何か知ってるのか」


低い声で言い、探るようにバリーを見てから、また大佐は駒を並べた。ベッドの上で片足を曲げて、バリーは小馬鹿にしたような笑みを浮かべ首を二、三度横へ振った。


「仇討ちか、麗しい友情だなァ。見つけたらどうすんだ?殺すのか?」
「そうもいかない。軍に引き渡すさ。正当な裁判を洗いざらい喋って貰う」


大佐はチェス盤へ視線を向けたままそう答えた。66はつまらなそうに舌打ちした。


「嘘付け。こないだの殺気は、オレが犯人だったらその場で殺られてたぜ」


バリーの声はねちっこい。何だこいつは。何を言わせたくてこんなに大佐に絡むんだ。ファルマンは話を遮りたかったが、何をどう切り出せばいいのかも分からない。駒を並べ終わると大佐は無表情な顔を上げ、正面から66を見た。


「お前は大人しく連行されてくれそうに無かったからな。
 殺しながら訊問することも可能だ」


66は一瞬黙ってからベッドが割れるほど体を揺すって笑い出し、陽気な口笛を吹いた。洒落た冗談を聞いたみたいに。


「やっぱ、アンタもそういうのが好きなんだろ?俺と同じ穴のムジナって奴だ。
 なあ、イシュヴァールの悪魔さんよ」


知らないフリしやがって、こいつ大佐のこと知ってるんじゃないか!あまりの暴言に66に歩み寄るファルマンを、片手を上げて大佐が制した。そして感情の窺えない声で突き放す。


「君なんかとは桁が違う、バリー」


ファルマンの背筋がすっと冷えた。目から部屋の景色が消え、瓦礫だらけの戦場が映った。パチパチと焔が爆ぜる音さえ聞こえた。熱いはずなのに寒くて堪らなくなった。

身動きすら出来なくなった二人を置いて、大佐が肩から掛けたコートの裾を揺らして扉へ向かう。横をすり抜けながら肩を軽く叩かれて、ファルマンはようやく縛から解かれた。敬礼をする間もなく、その姿は扉の向こうへ消えた。







階下に止めてあった車のエンジン音が遠離ると、66は「参ったなァ」と頭を掻いてゲラゲラ笑い出した。

「姐さんよりイイかもしんねえなあ、あのガキ。たまんねえ、股間にきた」

窓辺で車を見送っていたファルマンが、露骨に嫌な顔をして見せるのにさらに笑う。

「変態」

ファルマンが精一杯の罵倒を投げてやると、自慢するように顎を反らせた。


「変質者で精神異常者で、連続殺人犯で身体も無エんだぞ。
 今更変態ぐらい追加されたって、どうってこっちゃねえ」


呆れる気も失せて、窓に額をゴチとぶつけたまま、ファルマンは一刻も早くこの奇妙な同居生活が終わることを祈った。









(2004.05.21)