tin mouse
どうせ月末近くで書類を溜め込んで中尉にケツを叩かれてるんだろう。
電話の向こうは頗る機嫌が悪いようだが、それはそれ、言っておかねばならないことがある。
「だからな、1週間後だぞ、エリシアちゃんの誕・生・日…!」
「だから何だ」
「忘れずにプレゼント送って来いよ」
そう言うと何故か重い沈黙の後に、疲れきったような溜息が聞こえた。
「……私は毎年、きっちり送ってるだろう」
「何だその嫌そうな声は」
「言ったことは無かったが」
「あ?」
「……私ももうすぐ誕生日なんだが」
は?
聞き返す前に通話は切断された。
樹の股から生まれたと思っていた訳でもないが。
野郎同士が誕生日を祝い合うなどという観念は無かった訳で…。
「わー、この熊ふかふか…!気持ちいい!」
「ああ、いいねえ!んじゃそれも…」
「え?!ちょっと買い過ぎじゃありませんか」
いいんだ、だってエリシアちゃんの三歳の誕生日は二度と来ないから。エドの幼友達を連れて、俺はセントラルの店が立ち並ぶ通りをショーウインドウを覗いては入っていった。女の子へのプレゼントは、やはり女の子のアドバイスがあるといい。彼女が「可愛い!」と声をあげるものは、俺が一人で入ったら見過ごすようなものが多かった。
ウインドウのうさぎのオルゴールにつられて入った店は、アンティークな時計やちょっとしたゼンマイ仕掛けの玩具が所狭しと並べられていた。
彼女は確かオートメイルの整備士だと言った。機械仕掛けが大好きらしい。目を輝かせてそのひとつひとつを手に取り、嬉しそうに笑って俺を呼んだ。
「ヒューズさん、これ可愛い!」
積み上げられたネズミのゼンマイ仕掛けは、背中の螺子を巻くとネズミがくるくると大きく小さく円を描いて回る、どこかユーモラスなブリキの玩具だった。こういうのを喜ぶのは男の子じゃないだろうか。そんな気もしたが、確かにその動きは愛らしくて、見ていると自然に心が解れた。彼女も随分気に入った様子で「こんなにちいさいのに良く出来てる」と裏をひっくり返したりして細工を探っている。
手に乗せてみれば思ったより軽い。ブリキの継ぎ目が粗いのもいかにも手作りで、どこか懐かしく微笑ましかった。ガキの頃からあったような他愛のない玩具。こんなのが机の上で、間抜けに回っているのを見ると思わず力が抜けていいんじゃないか。そいつは手の上で「賛成」と言うように、リボンを巻いた尻尾をキチ、キチと振った。
「動くって、生きてるってことですよね」
隣で俺の手を覗き込んでいる彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「あ、動かないものが生きて無いっていうんじゃあなくって…」
慌てて言い足すのに思わず笑い返した。いい子だな。エドは友達に恵まれてる。「分かってるよ、命を吹き込む仕事だよな、君のは」そう言うと、ぱっと嬉しそうに眸が輝いた。「そうなんです、やったぁ動いた!っていう、その瞬間が嬉しくて!」ああ、いい笑顔だ。戦争が無いのはいい。好きなことを仕事に出来る。
ふと見ると、並べられた数匹のネズミの横に、それだけ値札のバカに安いネズミが二匹置いてある。他のネズミは800センズ。その二匹は
「100センズ…?」
訝しんで思わず上がった声に、店の奥からアンティークの一部のような店主が微笑みながら出てきた。
「ああ、それだけ動かないんですわ。子供が触って落としたりしてね。
でも可愛いでしょう、置き物にしかなりませんが」
やっぱり動かないからさっぱり売れませんがね。商品のひとつひとつを愛してるんだろう、目に被さる長い白眉を下げて、それでも優しく笑う。俺はそのふたつから値札を剥がして店主に手渡した。
「プレゼントなんだ、包んで貰えるかな」
やはり機械細工を愛する少女も、隣に来て嬉しそうに笑う。
「私、直しますよ」
「ああ、一つは直してくれ」
店主は頭を下げて二匹を受け取り、商品より高価に思える木の箱に入れ、縁にレースが入った柔らかい白い紙で包んだ。
「もう一つは置き物ですか」
丁寧に包装しながら聞いてくる店主へ感謝を込めて、俺は木のトレイに値引き前の価を置いた。
「片方は魔法使いにプレゼントするんだ。自分で直すだろ」
「魔法使い?」
隣でやはり店主の手際を眺めていた少女が俺の顔を見る。
「すげえ態度のデカい…東の方に住んでる奴」
それだけで誰か分かっちまうってのはロイの奴もどういう認識されてんのか。彼女はちいさく噴き出して、「大佐ですね」と笑った。「誕生日なんだとよ」と肩を竦めて笑うと、「おめでとうございます」と何故か俺が言われた。
「あー…リボンはどうしますかな。
そんなにいろいろはありませんが。赤か、青か…、金か、ピンク」
俺達は一瞬きょとんとしてから、お互いちらっと目を交した。そしてニヤリと笑い合うと同時に言った。
『両方ピンクで!』
店を出ると、俺は彼女の手に受け取った小箱のひとつを乗せた。
「買い物に付き合ってくれたささやかななお礼」
彼女はきょとんとして俺を見上げる。お礼なんて言うには安すぎたか。
「…あー…、ゴメン、安すぎたかな」
ポリと頭を掻くと、慌てて手を振って否定した。
「違うんです、エリシアちゃんにだと思ってたから…、嬉しいです、貰っていいんですか?」
勿論、と言うと彼女は本当に嬉しそうに笑って、行儀良く頭を下げた。エリシアちゃんもこんな可愛い子になるといいなあ…いやもう世界一可愛いんだが。もう両手にいっぱいになったプレゼントの袋のなかへ、もう一つをそっと入れた。
「ったく、三十路前の男が誕生日にプレゼント貰って嬉しいかねえ」
「ヒューズさんは嬉しくないんですか?」
「……去年、エリシアちゃんは俺の絵を描いてくれてなあ」
「嬉しかったんでしょ」
…そうか。
嬉しいもんなんだな。
ならもっと前から祝ってやればよかった。
何だか俺は急に、取りかえしのつかないことをしていたような気がした。
これからは祝ってやろう。
毎年。
お前が「もういい、煩い」って言い出しても。
お前に家族が出来て、もうお前に祝って貰わなくてもいいと言い出しても。
お前が生まれてきてくれて、本当に嬉しいよ。
そんな今更なクソ恥ずかしいことを、思いっきり態度で示して鬱陶しがられてやろう。
結局プレゼントは、一緒にしておいた所為でエリシアに開けられてしまった。
「…ヒューズさん、魔法使いさんへのプレゼントは…どうするんですか」
エリシアとそのお友達の前で歯車を直しながら、そうっと訊いてくる彼女に、「まー、また何か探すわ」と眉を下げて笑った。「何がいんだろうなあ、男にプレゼントなんかしたことねえから、さっぱり分かんねえわ」
さっぱり分からんが、何かくだらないものを探そう。
包みを開いたとき、お前が一瞬でも笑うような何か。
手許に置いて、ときどき視線を止めて微笑むような。
翌朝、南部へ行くというエルリック兄弟と彼女を駅まで見送りに行った。
「ヒューズさん、すっかりお世話になっちゃって。有難うございました」
グレイシアからアップルパイを受け取って、彼女はぺこりと頭を下げた。
「いいや、全然。こっちこそエリシアと遊んでくれて有難うな。
セントラルに来ることがあれば定宿にしてくれ」
エルリック兄弟を囲む軍の奴らのなかにロス少尉やアームストロング少佐の顔が見える。不思議な兄弟だ。誰もが助力してやりたくなるようなひたむきさがいい。人の輪の中から、俺を見つけてひょいと手を振ってきた。頑張れよ。敬礼してやると、左手できりっと敬礼してみせた。
「…で、あの…、これ、ヒューズさん」
少し言い難そうに口籠ってから、彼女はピンク色のリボンが巻かれたままのちいさい箱を差し出した。
「ああ、気にしねえでくれ、本当に。
旅の荷物になっちまうかな、そうじゃなかったら貰ってくれ」
荷物なんて。そう笑って首を振った。素直な金髪が柔らかく揺れた。
「でも、せっかく選んだのに。
だからこれ、送ってあげてください」
彼女は俺の手をとって、軽い箱をてのひらへ乗せた。
「ヒューズさん、大佐のこと好きなんですね」
「は?」
どういう理屈でそうなるんだ、頼むから教えてくれ。本気で頼む。
「それ選ぶとき、すごく優しい顔されてました。
プレゼント選ぶときって、渡す人のこと考えませんか?」
…そんな顔してたかな。思わず片手で自分の頬を撫でて「まあ、嫌いだったら十年以上も付き合わねえわな」と言ってみると、彼女は妙に大人びたような微笑みを見せた。女という奴は本当に怖い。怖くて凄い。
発車を知らせる汽笛が鳴って、エドに促され彼女はもう一度深く頭を下げて列車に乗り込んだ。今度セントラルに戻ってきたら、俺も休暇でも取ってちゃんと街を案内しよう。窓から身を乗り出してずっと手を振っている三人が見えなくなるまで、全員がホームで見送った。「寂しくなりますな…」としみじみ少佐が言って、列車がカーブの先に消えてから、ようやく皆立ち去り始めた。誰をも別れ難くさせる、逞しくて強い意志を持った愛すべき子供達。南で幸運が待っていることを祈る。
さて、このネズミをどうやって届けよう。
今抱えてるヤマが片付いたら、東部に届けに行ってもいい。
「幾ら螺子巻いたって、お前一人じゃ行けねえもんなあ」
受け取った箱を軽く揺らしてから、軍服のポケットに滑り込ませた。
今日は電話口でしつこく誕生日を聞いて嫌がられてやろう。
俺は口笛でハッピーバースデーを吹きながら、ホームの中央にある階段へ向かった。
4巻の買い物してるヒューズがホントにすきです。(だからってこんな捏造はどうか…)(2004.05.01)