笑う哲学者

「よお、ここが天国か?」



こいつは錬金術師じゃない。
本当ならここへ来る筈のない人間だけど、訳あってちょっと寄り道して貰ったわけだ。まあ半分暇潰しなんだけど。

俺の姿に怯まないんだな。
初対面の俺に知己のように片手を上げる。頭の螺子が緩いんだろうか。



「アンタも面白い事言うね。
 マース・ヒューズ。
 天国があるなら入れる気でいるのか?
 例の殲滅戦で何人殺した?」



直截に手を汚したのは数える程だけれど。
お前が調べ上げた拠点は幾つあったっけ。
とても熱心に仕事をしたよな。その年で中佐だ。
いや今は准将か?死んで昇級なんてお笑いだが。



「あれは戦争だ。仕方ない」



仕方ないだって。何て明朗な割切り方。
雨だから滑った、それぐらいの簡単さで言い切る薄い唇。
デフォルトで貼付いているらしい淡い笑み。
らしくないとよく言われたみたいだけど、とても軍人に向いた男。

俺の後ろの扉に見覚えがあるのか、顎に手を宛てて凝っと見ている。



「そこへお前は入るんだ」



入る、じゃなくて還る、が正しいかな。
座ったまま言うと、「へーえ」と間延びした声が返ってくる。
俺に会いにくる馬鹿は、大抵切羽詰まった目をした気狂いが多い。
こんな正気な奴と会うことはあまりない。
少し勝手が違う。それがどうってことじゃないけどね。



「世界の記憶の一つになる」



それをどう思ったのか、髭の男は戯けるように肩を竦めた。
どうも馬鹿にされている気がする。
いや、相手にされていないというべきか?
それもどうってことはないけどね。



「頭が回って災難だったね」



何も返ってこないから俺ばかり話す。
確か、この男は饒舌だったような気がする。
よく喋る人間だったような。
それが哲学者のように静かな表情のまま黙っている。


もともと寡黙な男だったのかもな。
もう喋る必要は無いと思っているんだろう。
興味が無いのに意識に触れてみるのは癖みたいなものだ。



「お前をさっさとその向こうへ遣っちゃうか
 それとももう少し残しておくか。
 面倒だから自分で決めてよ」



男はまだ、何かを読み取ろうとするよりは音楽でも聞くように扉の浮き彫りを眺めている。
こんな、錬金術を学んでいない直感的な男が、案外あっさり世界の成り立ちを識ってしまうのかもしれないな。



「お前をね、もしかして誰かが練成したいと思うかも、だろ」



そう言うと、ようやく俺をちゃんと見た。
眼鏡の向こうの眸が、下手な奇術でも見るように胡散臭げに細くなった。



「世界に溶けちゃうと掬い上げるのが大変だからね。
 練成も難しくなる。
 術者への代償も大きくなる。
 さあどうする?」




そう言って伸ばそうとした見えない手を、パチンと何かに弾かれた。
拒絶された。
それが答だった。


馬鹿馬鹿しいと思っているのだろうか、随分冷たく見える笑みで口端を上げる。



「趣味悪ィなあ。
 どうせ成功しねえモンをチラつかせて楽しいか?」



ひりひりする。
弾かれるなんて。
でもちょっと面白いな、これが真っ当な人間っていう奴かもしれない。


失敗か。
残りたいって言ったら、代償に娘でも消してやるとこだったのにな。
つまらないな。



「錬金術が嫌いなんだね」
「好きか嫌いかと言われたら嫌いだな」

躊躇いもなく答えて、また淡々とした顔になる。

「学べばそれなりの術師になったと思うけど、あんた」
「興味無えな」



愛想を取ると、実にあっさりした男だな。
分かったよ、じゃあ消えちまえ。
秩序に供物を捧げます、この実に人間らしい男を。
俺は扉の鍵を触れずに開けた。

男は少し、苦いように笑って呟く。



「幸せな錬金術師を見たことねえからな」

それには心から同意する。

「錬金術なんて無くてもいいのにな」

それにも心から同意する。



「錬金術師も嫌いなのかい」


そう言うと、漸く、優しい顔で笑ってみせた。
まるで愛しい人にするような顔で。
そしてどこか気障な仕草で目の前に指を一本立ててみせる。



「例えばだ、好きな奴があまり趣味のよろしくない服を着てたからってそいつを嫌いになったりしねえだろ?」



服か。
その程度の問題か。これは傑作だ。
俺は心底可笑しくなって、ふつふつと沸き上がる笑いを噛み殺せずに腹を抱えた。

「酷いね、泣くよ」
「喜ぶと思うが」



笑いを収めきれない俺に目を沁みるように細めて、そいつは開いた扉の前へ立った。
黒い手がその姿を掻き消すのを見て、もうちょっと話したかったなと思った。



「今度は錬金術の無い世界に生まれるといいよ」



でもどの世界にだって不幸の種はあるけれどね。
お前はまたあいつを甘やかすのかな。




パタン、と扉の閉じる音。
扉が消えると俺も消える。




panta rhei













(2004.04.08)